2021年1月27日 (水)

梅は咲いたが

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昨日 今日と雨は降ったがいまの時期としては気温が高めに推移し、散歩には上着一枚が余分なほどだった。

麻機のあちこちでは梅の花が三分から五分咲きくらいに花が開き、木の下に行くとふくいくとした香りに包まれる。

鼻の感覚が鋭くなったわけではないはずだから、意外と花の香りが強いのを再確認させられた。

立春も間近に迫っていよいよ春近しを感じさせるが、、、、、、「このままではあるまい」と気を引き締めようとするが、、、、、、、、にやけてくる。

 

静岡に来た当時、「静岡はぬくといもんで、何をしても、、」という自虐的な言葉をよく聞いた。

そして、静岡県は西の遠江の国と中部の駿河の国、東の伊豆の国が合わさっているのでそれぞれ気質が違う。とのことであった。

その例えとして、もし食えなくなったら遠州の人は気性が激しいから強盗をする。駿河の人は優柔不断で自分から何かしようとする気がないから乞食になって物乞いをする。そして、伊豆の人は小機転が利くから詐欺をする。とのことであった。

そのうえで、同じ駿河でも静岡の人に言わせると、清水と焼津は港町なので気性が荒いとさらに気弱なことをいう。

結局のところ、静岡市の人は同じ県に住みながら周りがおっかない人ばかり、、、ということになりそうだ。

新型コロナが発生して一年になるが、新聞は毎日県内各市町の発生状況を掲載している。

当初は浜松市がトップを切って大きな数字を出していたが、夏ごろから静岡市が急追してトップに立ったのだが、それ以降トップの座を譲ることなく、浜松市に二百人以上の差をつけている。

東に神奈川県を西に愛知県と緊急事態宣言を発している県に挟まれて県境は厳重警戒に余念がない中、静岡市が首位を譲らないのは、優柔不断が原因なのかなと思うこの頃である。

 

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2021年1月25日 (月)

返事は来ない

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昨日から今朝がたまで24時間以上続いた雨は富士山頂では雪だったようで久しぶりに真っ白に厚化粧をした顔をのぞかせていた。

真白き富士の峰、、、、という歌が浮かんできたが手前の山は対照的に黒々としており、歌の文句にはそぐわないと止めてしまった。

午後になってまだ湿気ている畑に行ってキャベツと白菜を一個づつとってきたが、二人所帯には多すぎると言ってまたひと悶着。

年寄りにはこんなコミュニケーションしかないのだが、ひとりものの知り合いはそれが幸せだという。

「富士と写真の亭主に向かってどんなに悪態をついても、、、、返事は帰ってこないよ」って。

 

”批判より提案を”っていうけれど、ガースーの国会答弁を聞いていると「対策が後手後手になっているのではないか」などの質問をした言葉を繰り返したあと「その言葉は当りません」も繰り返し。

その理由の説明はない。これでは提案のしようがないないのではないか。

政府は一度閣議で決めるとかたくなに固執するが、与党議員やどんな基準で選ばれたか知らないが有識者などの意見はどれほど入れられたのだろうか。

支持率回復を望むなら、もう少し国民にわかるような答弁が欲しいのだが、、、、、無理だよな。

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2021年1月23日 (土)

寒九の雨とは

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ポツポツと降りだした川面を見定めているカワセミ。

雨の波紋か小魚が水面のえさを取るときの波紋か見定めかねているようにも見えたが、人間の目とはけた違いに良いはずの彼らには杞憂に過ぎないことであろう。

 

本当に何十日ぶりかの雨が降りしきり午後になって思い切って床屋へ行ってきた。

寒さとコロナ化とで行くのを控えていたのだが、三カ月近く行かずにいると髪の毛が耳にまとわりつくのが我慢できなくなる。

長髪が流行した昭和四十年代の写真を見ると、かなり長い髪の毛をしていたのだが、どこかで短くし始めてから生え際が長くなると耳の周りがうざったくなる。

特に雨など降る日にそれが顕著になり、気がたって来るようになるのでつれも「行っておいで」と勧める。

久しぶりに床屋へ行くと壁に「〇体温を測らせてもらいます。〇三十七度以上はできません。〇住所氏名の署名をお願いいたします。」などと書いた紙が貼ってあったが、いずれもスルーパス。

なじみの床屋なので、父さんが頭をかまっている間隣に立った母さんと世間ばなし、、、、

一時間後、頭はすっきりとしたが借り上げた襟元をすうすうと風が吹きすぎていく。

”寒九の雨”というには少し遅いかもしれないが十日くらいの遅れはこの際目をつぶってもらおうか。

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2021年1月22日 (金)

はつもの

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「もう出とるはとるずなんやけど」と思いながら山の畑の脇をさぐってみた。

南向きの暖かい斜面の蕗畑、いつもこの時期になると3cmに満たない小ぶりなフキノトウが膨らんでくる。

ふるさとあたりでは今の時期雪の下になり、フキノトウが出るのは雪解けが進んでいく四月になってからのことだがこちらでは葉っぱが小さいながらも枯れないで残っている茎の中心部に秋には気配を見せていたフキノトウが膨らみ始める。

ただ、今の時期のフキノトウは雪の解け始めたころに出てくるフキノトウより硬くて触感としては落ちるが、独特の辛味や香りは同じかそれ以上のものがある。

十粒ほど見つけてさっそく春の香りを味わってみた。

初物は命が三日伸びるとか、、、、それでは少なくとも三日間は大丈夫ってこと。

明日の命がわからない中で、これから次々と初物を食べて寿命を延ばそうと考えている。

ヘッ!ヘッ!!ヘ~  と。

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2021年1月20日 (水)

大寒小寒

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大寒小寒 山から小僧が降りてきた

  

  岩手の和尚さん寒がりで 

 

すっぽりかぶった白頭巾、、、、、

 

たしか、三橋美智也の歌だったが、軽快なメロディーで今でも時々この時期になると口ずさんでいる。

写真の山は十一月の浅間山だが、静岡から見る富士山は風で吹き飛んでしまったようで薄化粧がいいとこだし、静岡のシンボル竜爪山は標高1,000mを越しているのに先日降ったかどうかよく見ないと分らないくらいにしか白くならなかった。

なにしろ、こちらではこの山に三回雪が降ると春になると言われるくらいたまにしか降らず、その言い伝えも温暖化のせいかこの頃ではよほどのことでないと白くならない。

 

今日は大寒一年一番寒い時期という。

今年は、日本海側の平地が大雪に見舞われて、富山市など何十年ぶりとか言われるほどの積雪を記録したそうだが、平地の雪は根性なしで瞬く間に消えていく。

面白かったのは先日飛騨地方のことをテレビで放送していたが、その内容は屋根雪降しのやりかただった。

自分たちは子供のころから二から五メートル以上の雪が降るのが当たり前の暮らしをしているので屋根雪降しをはじめ雪またじは”お茶の子さいさい”で、斜面に立つ校舎の屋根雪は生徒が下すものだと思っていた。

その高さは、十メートルを優に越していたが、誰もそれを危ないなどと思っていなかった。

今年は、その雪で60人を超える死者が出たと聞くと、、、、どうして?とおもってしまう。

飛騨など雪国では屋根雪が滑り落ちないように軒近くに鉄製のアングルやそのむかしは細丸太を屋根に固定して一気に滑り落ちないようにしたものだが、暖冬続きでそんな知恵もなくなってしまったのだろうか。

 

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2021年1月19日 (火)

様子をうかがって

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庭の南天の実が赤くなって一ケ月以上になるが、程よく熟れたようでヒヨドリがついばみ始めた。

それを習ってか、ヒヨドリがいない隙を狙ってメジロが品定めをしている風だった。

ここ二~三日、みかんを二つ割していない日が続いたので、腹を空かしてか、それとも来たついでなのかはわからないが警戒を怠らず様子見しながらの品さだめ、、、、、、

 

コロナ禍のなかで新しい言葉が次から次へと出てくる中で最近”黙食”という言葉が出てきた。

先日、全国チェーンだと思うラーメン屋に入ったとき、あとから来た若者六人グループが一つテ―ブルに座り大声で笑ったり椅子を揺らしていた。

店の人が注意するでもなく応対していたので帰りがけに店員に苦情を言ったのだが、どうも店に対する半ば嫌がらせのようでもあった。

自分たちが子供のころ食事中になにかすると「黙って食え!」っておやじに叱られたものだったし、年がら年中「腹が減った 楢が減った」で過ごしてきたので、喋るより腹にものをつめることに重点を置いたので食事を一家だんらんの場なんて考えたこともなかった。

いつのころから食事中に話をするようになったのだろうか。

先日、政治評論家でガースーとも多人数で会食した御仁が言っていた「我々は(酒の入った)会食でなければ話しが出来なくなっている」といっていたが、こうなるとたばこ同様会食中毒としか言いようがないのだが、、、、、、、、

 

 

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2021年1月18日 (月)

蒲の穂

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蒲の穂に夕日が当たって幻想的風景を醸し出していた。

受精を済ませた穂は次第に膨らみ、風に乗せて種をばらまこうと膨らんだ部分が太陽光を透かしているのだが、緩い風に吹かれてゆらゆらとその光を揺らめかせているその風景は見飽きない。

因幡の白兎が大黒様に教えられてガマの穂にくるまったという昔話があるが、こんな時期だったのだろうか、羽毛布団のようにぬくぬくとしそうな綿毛が取れるのだろうか。

 

日本人の八割ほどが今年の夏オリンピックは無理だと思っているようだとテレビは言っていた。(自分はもっと前からそう思っていた)

新型コロナの流行はワクチンが出来てもおさまるとは思えないのを肌で感じているからであろう。

万が一、日本での流行が抑えられたとしても世界のパンデミックは終息しないので新しい型のウイルスで再拡大をしかねない。

先日来、ガースーや森会長をはじめ日本の関係者がオリンピックは止めないと強調し始めたのは”言いだしっぺ”になって責任や非難を受けたくないだけのようで、これはIOCを含めてすべての関係者が共通の認識であるようだ。

「国連が決めてくれ」とか「WHOが言ってくれ」とかいって、自己責任を回避するような声が聞かれるのは、もう無理だろうと誰もが認識しているからに違いない。

ただそれを認めると、言いだした団体にペナルティーという名の違約金が生じる可能性があるからだ。

「せっかく努力している選手が可哀そうだ」というが、モスクワのオリンピックのように政治圧力でボイコットしたことなどがあるように、上の人はそんなこと屁でもないことである。

ただただ、自分たちのメンツとお金(儲けか損か)だけであることを承知しなければならないだろう。

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2021年1月17日 (日)

咲き初める

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山の畑の脇に植えてある河津桜、二輪 三輪と咲き出していた。

サクラの花は年中何かしらの種類の木が花を咲かせているそうだが、今の時期開花している冬桜と比べると花の大きさと言い艶やかさと言い格段にきれいである。

冬まだ寒いとは言いながら、春の兆しはすぐそこにいているようだ。

 

今日は、阪神大震災から26年目の日だという。

あの日の朝、起きだしたとき揺れを感じ、地震が起きたことは知っていたが阪神であんなに被害起きているとは知らなかったので、榛原の現場に入っていたが元受けの監督が来て「大きな被害が出ているらしいよ!」と言われても頭の中はついていかず、仕事を終えてテレビを見るまで分からなかった。

街中のあちこちから火が出て燃え広がり、ビルの一階部分がつぶれてしまったりして、死者がどれだけいるか分からない状態だった。

いま考えると、あの時代はまだ今のように通信網が未熟だったのだろう。

その中で一番驚いたのは、高速道路の橋脚が長い距離にわたって倒れていることだった。

この地震の前に、カルホルニアで地震が起きたときやはり自動車道の橋脚が倒れてしまった写真を見て、日本の土木工学の先生が「日本ではこんなことは起きません」と、のたまわっていたのを思い出したからである。

どこで、そんな自信が身についていたのだろうか。

その後、東北地震の際には原子力発電所がもろくも崩れ去って、安全神話が一気に崩れ去ったのと同様で、人間の知恵というか、日本人の先の読み方はいつも良いように良いようにと考える癖は治らないようである。

災害というものはいつ来ても大変であるが、阪神も東北も寒い時期に来たというのは何か関係でもあるのだろうか。

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2021年1月15日 (金)

ひとり左義長

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今から70年余も昔のこと、字が下手だった自分には正月二日に書く書初めが大の苦手だった。

いまのように紙が十分にない時代、練習は新聞紙で行った後枚数が制限されていた清書紙に書くのだが、緊張しているものだから、さらに下手な字になる。

その書初めは常に右上に赤紙を張られて廊下に張り出される屈辱を味わった。

 

生まれ育った東茂住の三枚に青年団の若い衆が3~4メートルほどの杉の木を立て、その周りに正月飾りや書初めなどをまとわりつかせて15日の夜は華やかに左義長が始まった。

子ども心ではまるで天まで届くかのように高い杉の木の上の方にヘタな書初めを上げてもらい、金紙の書初めより高く上がれと祈ったものだった。

 

最近、一人キャンプが流行しているそうだ。

”ひろしです”で一時人気だった芸人が山を買ってその中で一人キャンプをしているのが評判になり、その影響だそうだが、自分も静岡に来て以来ひとり左義長をしている。

町内会でもやっていた時期があったが、人混み嫌いの自分は庭に一角でトタンを敷きそのうえで家の分と知り合いのを寄せて燃やしているのだが、連れは近所を気にして「やめろ!」何度も言うが、火には怪しい魅力がありやめられない。

しかし、ものの10分ほどで炎の祭典は終了となり、水をかけて消した灰は魔除けになるとかで家のそばの木の根元などに分散して撒けば、今年の小正月の行事はお終い。

もちろん、餅を焼くことなどできないほど短い祭典である。

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2021年1月14日 (木)

田の神に

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麻機の田んぼに鍬を入れススキを立てお供えの丸餅を供えて田打ちの神事を行ったところがあちこちに見られた。

ススキではなく笹竹のところや、御幣の有る無し、お供えの種類など決まっていないところを見ると決まった形はないようだが、いずれも今年の収穫や田の平穏を祈ったものに違いない。

ただ、この神事をしているのをこちらに来てみたことが無い。

写真の田んぼも焼いた丸餅やその下に敷いた紙などから言って、つい先ほど行ったもののようである。

というのは、二日前には雨が降ったし、このあたりはカラスの多いところなので、何日も無事であるはずがないからである。

ほかの田んぼでは、乗用型耕運機が入って他の土をかき回していた。

 

緊急事態宣言の追加として二府五県が加わることになった。その発表に際してガースーは静岡県の名前を読み上げたので愛知県と神奈川県の間に挟まれているのでしようがないのかな?なんて思っていたら福岡県の間違いだったそうだ。

その福岡県も急遽入ったそうだが、県としては申請していなかったのに西村大臣から追加指定はしないと言われてそうならしようがないかと決めたそうだが、後になって「追加指定はしない 云々」は間違いだったという。

もう全く見ていられないよね、、、、、もう神頼みしかないか。

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