2025年5月12日 (月)

舎利

友人の奥さんが先日言っていた。

ゴールデンウイークに男の子が二人帰ってきたが、どちらも大ぐらいで米の飯が大量にいるのでもったいなくて混ぜご飯で量を増やそうと思ったけれど長男と次男と家にいる長女たちはそれぞれに入れる材料が違っていて、結局みんなが可もなく不可もなしに食べるのが白いご飯しかない。と嘆いていた。

また、別な人が取引先の接待で「菜飯を食べませんか?」と言われ戦後の食糧難でいろんなものが入ったご飯を食べさせられてきたのに何で今更菜飯なのかといってやった。といっていた。

自分らが白いご飯を食べられるようになったのは昭和35年から40年ころだと思っている。

飛騨は昔から米の採れる量が少なく戦前は勿論食糧難だった戦後もつづき、白いご飯を一般の人が食べられるようになったのはこのころからではなかろうかと思っている。

飛騨に伝わる話として、むかし瀕死の病人の枕もとに竹筒に入れた米を揺すって「これが米だよ」っていったそうでそれくらい貴重なものだった。

とにかく戦後の食糧難は米の配給さえ一か月のうち十日分くらいの配給しかなく、十日分と言っても政府がが勝手に決めた量でしかなく、当然足りない分は銘仙の着物などを持って県境を越え富山県まで闇米の買い出しに出かけ、富山県警の目を逃れて家に持ち帰っていた。

白いご飯のことを”銀シャリ”と言うが艶やかに輝く炊き立てのご飯にどれだけ憧れたか。

このシャリは舎利という字を書き”骨”のことをいう。

 

般若心経の中に舎利子と仏弟子の名前が出てくるが、舎利とどんな関係があるのかないのか聞いてみたいのだが、 、 、 、 、

 

 

 

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2025年5月10日 (土)

残念

もう七十年近くも前の話しになるが、自分たちが鉱山に就職した当時火薬の取り扱い、岩盤が剥がれ落ちる落盤事故、立坑への墜落など一つ間違えれば大けがどころか命に係わる事故にあう可能性があり、それを思い知らせる意味もあってこん棒で頭を叩かれたものもいた。

これはいわゆる”愛のムチ”と肯定的にとらえる向きもあるが、手子(手元)が怪我をすれば後味が悪かったり責任を問われたりするためもあってのことだった。

しかし、いまの時代これらは一切で駄目だという。

パワハラ セクハラ 何とかハラスメントで警察沙汰になりかねないからであり、一般社会でも中間管理職はこれらに細心の注意を払わなければならないため、昇進をしたくないという人が増えているそうだ。

現地採用の従業員は少しでも早く本社採用の職員並みになりたくて胡麻をすったり、仕事ぶりで評価されようと互いに競ったり讒言したりとした時代がもはや夢物語になってしまった。

そのおかげというのだろうか、いわゆる社会常識やしつけの欠如がいま問題になっているようだが、今の若者が何十年か後にはまた同じような嘆き節を語る世の中になると思うと、その時はそんな社会体制になっているのだろう。

 

そんな時代を見ることができないのが残念と言えば残念。

 

 

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2025年5月 9日 (金)

本当か?

ユーチューブを見ていると日本は塵の落ちていない綺麗な道路、人柄は親切でおだやか、食事が美味しくて何より食べ物が美味い国と自画自賛している。

昨今の報道を見ていると本当にそうなんだろうかと疑問がわいてくる。

無差別に人を攻撃し傷害を与える、オレオレ詐欺に代表するだましの手口、道路わきにはポイ捨てのごみ等々

SNSで儲けんがため外人を食事に誘い、旨い美味いの連発記事が載っているがそれは自分たちの努力でなく、ただ視聴率を上げて報酬を得るための所作にしか過ぎない。

韓国や中国を卑下する右翼的思考もあってのことかもしれないが、近隣アジア諸国の中で抜きんでているという思惑もIT事業や稼ぎ高で経済大国を追い落とされた現状を無視している。

 

ひとっころのように”島国根性”と自分を極端に卑下する必要はないが、空疎な自慢は周りが見えず独断だけのトランプ大統領と一緒ではないだろうか。

 

 

 

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2025年5月 7日 (水)

米騒動

先日長野で宿を借りた友人宅での話し、自分は全国鉱山労働組合の一組合員として安保闘争のデモ隊に加わり国会前でデモ行進に参加したが、一歳上の彼はどこのセクトだったか聞かなかったが樺場美智子さんが亡くなった前日に現場にいたそうで、二人の感想はいまの若者は何事にも怒るということがなくなってしまったな、、、と言うことで一致した。

 

弥生時代に米が日本に入ってきてから紆余曲折はあったにしてもコメは日本人の主食であり続けた、

自分の記憶でも戦後しばらく続いた食糧難や平成五年の冷害による米不足を経験しているが、昨今のような米不足は理解できないでいる。

江戸時代以来天災による米不足は度々あったが、そのたびに米業者が値段を吊り上げるため米を隠したりしたため、怒った庶民が打ちこわしを含めた米騒動を起こしている。

一番近い例では大正七年、富山県の主婦を発祥としている米騒動が全国的に広がり政府が乗り出すまでに大きくなったのも、一部業者が買いだめに走ったためと云われている。

昨年の米の収穫高は平年作といわれながら米の値段は急上昇し、今年初めに二十一万トンの備蓄米を放出したのに米価は下がらず、その後二度にわたっての放出も効き目がなかった。

その原因として最初の米の放出を落札した農協がどこかに隠しこんでいて、市場にはわずかしか出回っていないことが明らかになっているがその理由と対策をやっと今ごろになって首相が指示したと新聞に書いてあった。

なんだか農協は農家や国民のことを考えずむかしの打ちこわしっを受けた悪徳商人のような役割を果たしているような気がしてしまう。

集票能力から、むかし”農協さん”と言われたころの政治圧力団体から地に落ちた権力の回復を狙っているとしたら、米離れ、農家離れがさらに進行していくことになると思うのだが、、、、、、、、、、

 

 

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2025年5月 6日 (火)

ゴールデンウイーク終了

今年も今日でゴールデンウイークが終わった。

諸物価値上がり、特に宿代の高騰のなか自分も久しぶりに年寄りの冷や水的に前半戦に参加したが、宿代の高騰からランクを下げての旅行となった。

しかし、これが意外と良かったと見えて連れの評価は良かった。

一つには五人しか止まれない民宿で女性一人だったので、病気を心配してあまり温泉に行きたがらない連れを宿の許可を得て女性の脱衣所で待機させてもらったり、小さな器で山菜尽くしの料理などの宿など小さくて安いところがよかった。

また、前半は飛び石だったこともあり交通がスムースにできたことでストレスがなかったことにある。

 

それにしても、後半は新聞をにぎわす事件が沢山あり、今日の雨はのぼせた頭を冷やすこうかがあたtのかな??

 

 

 

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2025年5月 4日 (日)

報道の自由度

今朝の新聞を見て驚いたことが一つ、日本の報道自由度はセかい180国中66位でG7国中最下位の評価されていたことにある。

ホワイトハウスからAP通信記者を排除しているアメリカが57位、戦争中で制限が多いウクライナでも62位という。

日本の66位には「日本は政府と大企業が主要メディアの経営陣に圧力をかけて報道をゆがめている」「記者クラブがメディアの自主検閲を行ない外国人記者に差別をしている」というのが理由だそうだ。

いままで、開かれた報道で自由に情勢を見ていられていると思っていたが、どうやら世界の評価は違っていたようだ。

”日本の常識は世界の非常識”と言う言葉を聞いたことがあるが、この辺の所にあったのかもしれない。

たしかに日本の新聞はお役所の言うことにはあまり批判してない、警察発表はそのまま鵜のみし独自の取材はテレビドラマの中でしかありえないとは冤罪事件や先日の殺人事件でも感じたものだった。

 

もちろん、ロシアの171位 中国の178位そして北朝鮮が179位となったのは当然のことながらエリトリアが最下位の180位となっていた。

改めてエリトリアとはどんなところなのか調べてみたい気がする。

 

 

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2025年5月 3日 (土)

すっきりくっきりと

今日は憲法発布記念日。先の大戦で無条件降伏した結果それまでの大日本帝国憲法が廃止され新たに民主国家の礎となる憲法が発布された日である。

日本では重大な祝日の一つであるがどの祝日も同様のように日の丸の旗を立てた家は見えない、政府の記者会見場では恭しく頭を下げている旗であるが、オリンピックぐらいでしか一般国民は気にしていないようである

この憲法も発布されてから今年で78年、この憲法のおかげで日本からせんっ総犠牲者がほとんど出ることがなくなったが、やはり社会の進歩と言うべきなのかいたるところで現状に合わなくなってきているのは認めざるを得ない。

そこで憲法を改正しようという動きが近年目立ってきているが、いわゆる保守層と言われる人々は占領軍に押し付けられた憲法という観点からの見方を主力に置き憲法九条ばかりに目を向けていている。

そのため、憲法改正と言うと九条ばかりに目が向き、そこを変えたくない人々は護憲派という名前の下改正に反対している。

本来なら憲法を守ろうとする人たちが保守系で、改正しようとする人が革新系となるはずが逆転している不思議さ、、、、、、、、

 

昨夜の雨は高い山では雪になったようで晴れ上がった青空のその向こうにくっきりと白衣装をまとった富士山や南アルプスが遠望できた。

 

 

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2025年5月 2日 (金)

ふるさとの山

激しい雨風の音を聞きながら先日来の疲れが出てきたらしく終日うとうととして過ごした。

歳をとると疲れもすぐに出ないというのは本当である。

それにしても良い時に故郷へ帰ってきたもので、丁度一週間前の今日静岡から安房トンネル平湯峠を超えて高山に着いたのは午後一時ころ、約280kmであった。

屋度に入るには少し早すぎるので旧市街二ノ町三之町付近を散策したが、ここも例にもれずインバウンドとかで狭い道筋や立ち並ぶ店には外国人で一杯、人込みに慣れていない身にとってはかなり辛い、さらに追い打ちをかけるようにして強い香水が店内に立ち込めて長居が出来ない状況になってきた。

そこで、北アルプスが眺められる駅西の”アルプス展望公園”に行き乗鞍 笠ヶ岳さらに穂高を眺めて過ごした。

のちほど黄砂の影響と聞いたが、穏やかな春の日のもと墨絵のように近くの濃い山が次第に淡い鼠色の山々、そしてその向こうに空に紛れ込むかのようにうっすら白い北アルプスが連なる。

飛騨にいた当時はこれらの山々のすべてを歩いたものだと自慢げに話していたが、この霞たつ風景は静岡では感じられない風景であり懐かしさが身に染みた。

しばらくすると地元の老人ホームの入所者たちが介護人に支えられながら

ベンチに腰掛けて日向ぼっこを兼ねて世話をしてもらっていたが、どんな気持ちでこの風景を眺めていたのだろうか、、、、遠目ながら穏やかそうな人 そうでない人 全然無関心でぼうっとしている人それぞれがこれまでの生活が 性質が出ているようでそちらの方を眺めてしまった。

 

石川啄木ではないが”ふるさとの山は有難きかな”を実感した。

 

 

 

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2025年5月 1日 (木)

五月朔日

今日はメーデーと八十八夜が重なった日である。

べトナㇺ戦争が終結して五十年、メーデーの行進で高揚した気分聞いたニュース、あの無敵アメリカが見放すと民衆の支持を失っていた傀儡政権はあっという間に制圧されてしまった。

アメリカとの同盟はこの程度のものであることを知った最初であり、その後のアフガニスタンなどでも同じことが繰り返されたが日本政府はそうした現実から何も学ぼうとはしてこなかった。

 

一方「八十八夜の別れ霜」と言われるように暖国静岡でもようやく霜が降りすことがない時期になったとのことで、ここしばらく燃料切れのまま放っておいた石油ストーブを掃除して片づけることにした。

山は若葉の黄緑色に覆われてきたがそのむかし四月末の遅い霜に茶畑を霜害でやられた農家の人がすることがなく、自分らの現場に来て文句たらたらと嘆いていたのを思い出す。

こちらも公共予算のあまり金で発注された工事で大急ぎ、残業に残業をかさね夜遅くまでの突貫工事で気が高ぶっていただけに、関係のないブツブツに危うく喧嘩しそうになったことがあった。

 

いつの世もいろいろと思い出すことの多い五月朔日である。

 

 

 

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2025年4月30日 (水)

令和の米騒動

長野県の佐久市小諸市東御市上田市ほかのいわゆる東部地区には四十年ほどの間、毎年六回前後訪れているため知り合いも増えてきて時々食事なども一緒にする時があるがコメの味に敏感である。

あそこの米は我が家より不味いとか、あそこの米は美味いとか言い、宿によってはここは「八重原の米を使っています」なんてわざわざメニューに書いてある場合さえある。

そして、新しい店ができるとコメの味を調べ「これはダメなのでまもなく、、」と言っていたらそうなったとか言っていた。

 

そんなコメどころではあるがやはり高齢化には逆らえず放棄田んぼも見える。

最近は大型の機械も入れて省力化や自動化を図っているが、機械が大型化省力化すると高価なものになりコメの生産だけでは賄いきれなくなってほかの田んぼの米作りなどで稼がないとやっていけないのであちこちの田植えや稲刈りをしているが、そうなるとあちこちの田んぼで刈り取った米が混ざり美味くなくなるうえ、収穫の一部しか来ないので田んぼの地主でありながら市販米を書いたすのうかもあるとか、、、、

今日のテレビで田んぼを集約して大規模化すれば、生産効率が上がって米が安くなるのではないかという映像もあったが現実はかなりむつかしいらしい。

 

昨日帰ってくるとき途中の道の駅でコメの販売所を見てきたが、いままで展示されていた米が全然なく「令和6年産の米はすべて完売しました」と書いた張り紙があった。

米どころにお客が集中したせいもあってのことだろうが、令和の米騒動のゆく末はどうなるんもだろう。

 

 

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