2025年4月29日 (火)

ゴールデンウイーク

何十年ぶりかのゴールデンウイーク中の旅行に行ってきた。

25日と26日は高山泊まり、27日と28日は佐久泊まりと四泊五日の大旅行となった。

行程は600km余で一日当たりの走行はあまり多くはなかったが寄る年波で疲れたのか、各地で9時過ぎから翌朝の5時ころまでぐっすりと眠ってしまった。

今回の旅行目的としては、我が家の墓掃除と年忌ではないが今度いつ来れるか分からないという脅迫感みたいなものがあってお寺で追悼供養をしてもらうと同時に神岡まつりの囃子を耳の底に止めおきたいというのが主目的でもあった。

そしてもう一つの目的は秋にもらった米が底をつきかけたので、30kg一袋をもらうことであった。

天気は昨夜降ったもののまずまずの晴天続き、、、、、、

 

とにかくこれから二~三日は静養をして平常に戻していこうと思っている。

 

 

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2025年4月24日 (木)

ぐずついた天気

長期の天気予報では今日から晴れ上がるはずだったが細かい霧雨が途切れることがなかった。

 

トランプ大統領がここにきて行き詰り始めたようだ。

本当に高関税を課すといえば世界がひれ伏すと思っていたのだろうか、周りに人材がないというより人材を寄せ付けなかったことのつけがここにきて八方ふさがりのはじめとおもわれる。

このままでは、中国に漁夫の利をえられてしまうだろう。

とにかく物を言えばひれ伏す日本は一番くみしやすいとばかりに真っ先の交渉相手に選んだが、、、、、、、、

 

前大統領憎さと思い付きだけで百本に及ぶ大統領令というものに署名したが、、、、これを支持してきたアンリか国民の程度の低さを世界に披露したようなものである。

 

ぐずついた天気はいつかは上がる、トランプの愚かさを国民が知るのはいつのことだろうか。

 

 

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2025年4月23日 (水)

柳色新たなり

渭城の朝雨 軽塵を潤す 

   客舎清清 柳色新たなり

 

通りかかった麻機遊水地の柳の芽吹きを見てこの漢詩を思い出した。

昨夜から午前中に降った久しぶりの雨はまさに軽塵を流し去ったのか清々しい浅黄色の葉をゆらし、その下をまつわるように燕が飛び交っていた。

新緑の季節を迎えた野山は立つ霧のなかに幻想的な山を浮かび上がらせ、また一つ大きな季節の節目を迎えているようだ。

 

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2025年4月21日 (月)

初冷房

ここ二~三日続く夏日に身体が追いつかないようで何となく気だるい毎日が続いている。

それを吹っ切るようにと山と裏の畠に出かけているが、今日掛川まで行く道すがら自動車のエアコンを冷房に入れてしまった。

午後になって連れの友人が訪ねてきて、「うちは灯油ストーブをしまったよ」といったが静岡でいう”八十八夜の別れ霜」と言ってまた寒くなることがあると思うし、”梅雨寒”と言う言葉があるのだからまだまだ仕舞うというわけにはいかない。

特に連れは暑さ寒さには許容範囲が少なく敏感なのだから、、、、、、、、

 

 

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2025年4月20日 (日)

産休

今日は穀雨、一雨ごとに植物の芽生えが盛んにななる季節になったことを意味する。

山桜も済み藤の花が開花し、気温も二十度越えの日が続くといよいよ畠の雑草退治に精を出さなければならない季節になった。

 

さすがアメリカと言うべきなのか、それとも人材宝珠なドジャースだからなのか有力な選手に産休を出したというから驚いた。

日本でもこんなことができるのだろうか、やっと十年ほど前だったか大会社に帰属するサラリーマンに産休制度が出来たが、取る人がさっぱりということを新聞などでみたが日本では家庭より会社という風潮が強く、もし申請すれば上司はあからさまに顔をしかめるし、そんな顔を見たくないというのが大方だったことは想像できる。

まして自分たちが現役の時はそんな考えはs玉の片隅にさえ出てこなかった。

そんなアメリカでありながら、いまだに世界共通基準と思われるメートル法が採用されずヤードポンド法が公用単位だし、人間は類人猿からしかしたのではなく神が作りたもうたものという進化論否定論者が多数いて大統領もそうだと聞くとガリレオの「それでも地球は回っている」という時代以来何にも進歩していないやからが多数いるということになる。

そんな考えの人は産休というものにどんな意見を持っているのだろうか。

 

 

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2025年4月17日 (木)

すっきりくっきり

すっきりと晴れ上がった空の下真っ白な富士山がすっきりと見えていた。

この時期どんなに晴れていても水蒸気による靄や黄砂などで遠目がきかなくなるころなのに、これほど遠望が利くのは珍しい。

近いうちに飛騨と信濃を回ってくることにしているため手土産代わりで評判のよい甘夏を摘みに三百段余の階段とさらに山道を登った先にある畑に登った。

重量にして十二~三キロの甘夏を担いでようやく降りてきたが以前なら一気に登り一気に降ってきたのだが、かなり難儀した。

それでも、八十代半ばを過ぎる、この歳になったまだそんなことができるのは、ありがたいことなんだろうろうと言い聞かせている。

 

 

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2025年4月15日 (火)

荒れた天気

今日の天気は二度の雨が降ったり太陽が顔を出したりとめぐるましく変わった。

毎日のように政策を変更するアメリカ大統領と一緒である。かの人には信念というかものをよく考えず思い付きだけで生きてきたのだろうか。

こんなキングに立ち向かうには中国やカナダのようにスペードのエースをぶっつけるか、なんでもハイハイとしたがうハートのエースを差し出すのか、、、、

信念がないだけに次の手が読みづらいところは制球が定まらない野球のピッチャーを連想させる。

ともあれ、彼の言動で地球が混乱しているのは間違いない。

 

 

 

 

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2025年4月13日 (日)

ディスコ踊れば

いまから五十年ほど前海外で仕事をしていた当時食べたカルフォルニア米は美味かった。

日本から米を持っていけないので、食事を担当してくれた人たちが一番日本の米に似ていたカルフォルニアからの米を選んでくれたのだが、先入観として持っていた陸稲はまずいという認識を改めさせてくれた。

こんな米が作れるのなら、日本も水田をやめて陸稲でいいのではないかと思ったくらいである。

そして、いま何が因果か分からないが備蓄米を放出してもコメの値段は変わらないくらい米の需要はあるらしいので、カルフォルニアからコメを輸入すればトランプも喜ぶんでなかろうか。

一昨年は別として昨年の米の収穫は平年作だったという、それに追い打ちをかけるようにして二十万トン余加えても需要がひっ迫しているということはどうしてなんだろう。

今年の収穫期に入って古米や古古米を抱えている業者がいるとは思えないのだが、、、

 

余談ではあるが、この時仕事休みの合間に都市部に降りデイスコで踊った。

日本でディスコが流行り始めたのはそれから十五年余りたってからであり、扇子をフリフリ女性が舞台に上がったのはバブル真っ盛りの1,990年代だから、ディスコに関しては先駆者と言ったところだろうが、踊っているとどうしても盆踊りにしぐさになってしまいお互い笑いあったものだ。

しかし、彼の国の人々はそれがまた新鮮だったようで、真似をされて、、、、、

 

 

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2025年4月12日 (土)

キングと龍

スペードのキングが東方の龍を打たんとて大きく剣を振り上げたところ、竜の方も負けじと火を噴いている。

そのとばっちりは周りに飛び火し、火消しのため草薙の剣で風向きを変え自分の床にだけは来ないようにとしている。

 

まさにトランプ大統領が仕掛けた関税合戦は行く先が見えず、連日株価が乱高下している。

新ニューサーとかいう政府が進める施策に乗った人々は素人衆が多いだけに気が気ではないのだろうが船頭がふらふらしているだけに舳先がどっちに向いているかわからない。

 

ところでキングと龍の戦いでどっちが勝つかと言うことになるのだが、爺さんどっちもメンツをかけた戦いではあるが、

どうも龍の方に分があると見ているがさてどっちなんだろうか。

龍に分がある理由と思うのは独裁国家では国民に無理を強いることができるうえ、希少金属を止められることにある。

そして、アメリカに交易したいものがあれば関税の安い第三国経由で輸出という方策で高関税を避けられるのではないだろうか。

ただ、お互い面子が立たなければ振り上げたこぶしの下しようがないだけに、どこかが仲介するか国内からの批判しかないが、曲がりなりにも民主国家だけにトランプの弱いとみる。

 

 

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2025年4月 9日 (水)

さくらの種は

安倍川上流の有東木迄蕎麦を食べに行ってきたがここもご多分にもれずまた値上がりしていた。

温かい一日だったので川に面した場所で食べることにしたが、鶯は早くも”谷渡り”のさえずりを見せ山吹は黄金色に輝いていた。

山桜は標高六百メートルの高みに上がっているが、この谷筋ではかなりの量があると見えて薄い桜色に染まっている場所さえ目についた。

種で広がったと思える山桜なので手入れされていないと思える杉の植林の中に一本だけ咲いている桜を見るとよくぞこの地で頑張ったものだと感心する。

植物は足を持たないので種が落ちた地で他の木と競合しながら育つしかない。

テレビでは新入社員がもう退職屋に頼んで会社を辞めていると聞く、引く手あまたのご時世だから許される行為かもしれないが「辛抱が足りない!!」と爺さんは思う。

これまで何度も転職した見には言えないことかもしれないが、ボーリングに関係した職業で全うしたのだから許してもらうことにして、いま退職するとトランプ関税の如何によっては大きなリスクとなるかもしれないという老婆心から言わせてもらう。

 

爺さんになったり婆さんになったりでふらふらした意見もあとわずか、、、、

 

 

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