2019年8月18日 (日)

量が多い

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暗い谷間から流れ下ってきた沢水が岩にぶち当たって急カーブを強いられ沸き立つ音があたりを圧倒していた。

久しぶりに有東木へ蕎麦を食べに行ってきた。

一昨日までの雨の影響で水かさが増していたので、水の量も多かったようだ。

それとともに、ここが地元テレビ放送されたとかで、普段なら五~六台しか見ない駐車場は満杯を通り越して、誘導員まで出ている騒ぎ、、、、、、こちらも量が多かった。

テレビで放映すると難民のようにあっちこっちへと巡り歩く人が多いのは好奇心が強い人が、、、、、、

 

食事のあと、腹ごなしをかねて森の鎮守へ出かけてみれば、ミンミンゼミに混じってツクツクホウシが合いの手を入れていた。

秋はそこまで来ているようだが、まだまだ蒸し暑い日が続くようだ。

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2019年8月17日 (土)

男と女の間には

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川辺に咲くコスモスの花。

水の落ち口に近くそのしぶきを受けて長い花穂の先をゆっくりと揺らしているのは見ているだけでも涼しく感じてしまう。

昨年に続き今年も暑い夏が続き、今日はこの夏一番の暑さになったとテレビは報じていた。

それでも、台風によるフエン現象で四十度越えをした新潟にくべれば天国のような暑さなんだろうけれど、、、

こんな日に山の畑に集まった面々の奥さんたちは一様に「こんな日には誰も来ないでしょう」と言ったという。

ところがどっこい男どもは台風の間外に出られなくて集まってきた。

「あんた 変わっているね」と言うことまで一様だった。

長い間夫婦をやっていても、男と女の間には分かり合えないことが何時まで経ってもあるようだ。

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2019年8月15日 (木)

海行かば

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のろのろとした台風10号が日本に上陸し山陰沖に抜けたようだ。

ここ静岡はかなり離れていたが影響範囲が大きかったため、風は幾分少なめだったものの、雨が激しく降ったり、青空が出たりなど変幻自在な空模様の一日だった。

麻機の遊水地でも。風に煽られて裏返しになる蓮の中で雄雄しく立ち上がっている蕾の花があちこちに突っ立っていた。

 

海行かば 水漬く屍

   山行かば 草生す屍

 

今日は先の大戦で日本が無条件降伏をした日である。

j自分の周りでは父親が中国大陸で盲貫銃創で負傷し、戦争末期には27歳だった義理の叔父が輸送船の撃沈で、同じく従兄弟も海に沈んだまま帰ってこなかった。

この大戦での犠牲者は民間人を含めて300万人以上とも言われる日本人が死に、世界では数千万人とも言われる人々が犠牲になり、一人ひとりの記憶は何千万通りあったはずだが、全てを一緒くたにして闇の中に封じ込めてしまった。

いまの国会議員のうち先の大戦について肌身で感じた人はほとんど居ないそうだ。

ネットを見れば勇ましい言葉で、韓国と戦争したらとか、中国と戦わばなんて言葉が飛び交っている。

戦争とは、一方的に勝つものではない。

どんな小事件でも必ず泣く人が出てくることを知って欲しいものだが、、、、、、、、

 

今日はお盆、久しぶりに戦争の犠牲になった親族をおもってみた。

 

 

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2019年8月13日 (火)

シャボン玉

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夕焼けの空に向かって大きく息を吹きかけた。

それまで丸く浮かんでいたシャボン玉が大きく変形した。

意識して造ったものではなく偶然の産物であるが、なんだかこの女の子の魂を見た思いがした。

このごろ子供の数もめっきり減り、ひさしぶりに子供の歓声を聞いていると、、、、むかしを思いだしてしまう。

海へ海水浴に行ったのはいつが最期だったか知らん、、、

川へ行ってバーベキューに興じたのは何時ころだったか、、、、

すくなくとも孫たちが小学生のころだったから十年、いやもうすこし前だったようだ、、、、

”子はかすがい”ならぬ孫がかすがいだった。

子供の力をエネルギーに出来た時代は遠い昔のゆめまぼろしのよう。

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2019年8月11日 (日)

火もまた涼し

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あつく垂れ込めた雲の隙間が朝日が昇ってきたのを知る。

朝の五時すこしまわった時間東の空の一部が真っ赤に燃え上がり幻想的な様相をきたした。

その空もまもなく箒で掃いたように雲が片付けられて青い空には白熱電球のような太陽が空気を暖めだした。

テレビでは、各地の午前九時ころまでには三十度を越してしまったと放送していた。

そのむかし、武田勝頼をかくまったとして火を掛けられた快川和尚が「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と辞世の句を歌ったとか。

その話しをしたら、日が暑く感じなくなるのは歳をとって知覚神経が鈍った証拠であんたもそうなったらお終いだよって言われた。

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2019年8月10日 (土)

日本の技術は

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天気晴朗なれど波高し、、、、

と、言うのは日露戦争の折、連合艦隊から発せられた電文であるが、今日の用宗海岸の波の様子はこの電文どおりの様相であった。

長らく進路が定まらなかった台風10号からの波なのか、それとも直近の8号と9号のせいなのかは知らないがかなりの高い波である。

それにしても、テレビを見ていたら今回の台風の進路は予想がしにくいと言うことであったが、非公式では日本列島の東の海上を行く予想を気象庁がしていたのに対して、ヨーロッパのコンピューターは早くから四国、九州を予想していて、今日になって気象庁も同じような予想に修正した。

また、前回の台風8号でもヨーロッパの進路どおり台風が進んでいったが、日本のコンピューターより地球の反対側に近いヨーロッパのコンピューターのほうが性能が良いのだろうか。

それとも、幾分博打的な予想をしたというのだろうか。

日ごろ日本の技術はすごいというテレビ番組が多いのだけれど、これはオリンピックなどでメダルラッシュと放送されているが済んで見るとそんなんでもなかったように、自己満足の一部なのだろうか、、、、、、

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2019年8月 9日 (金)

青空が悲しい

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こよなく晴れた 青空を

     悲しとおもう せつなさよ

長崎の鐘という歌の出だしである。

今日八月九日は長崎の原爆忌。

広島に原爆が投下されてから三日後、ここでも10万人を超える人が一瞬で無くなった。

投下予定の軍需産業の根幹を成す八幡製鉄がある北九州が雲に覆われていたので、同じく軍艦の造船場があった長崎に変更された。

基地や軍需工場があるから攻撃される、その分でいくとイージスアショアなどは真っ先に対象となるだろう。

住民が心配するのは今も昔も変わらない。空に雲が無かったばかりに運命は大きく変わったのは目視で戦う前の時代だったから、、、、、、、、。

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2019年8月 8日 (木)

立秋

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早いもので暦は今日から秋に入ったと伝えている。

どこかに小さい秋がないものかと見回したところオミナエシの細かい花が咲き出しているのを見た。

花だけを見ているとなんとなく涼しげに感じるのは脳に刷り込まれた印象からなんだろう。

しかし、現実は梅雨明け以来言って気の雨も降らず、地面は乾ききっていて畑に入れば土ぼこりが舞い、胡瓜の葉は枯れて茶色くなってきた。

何処まで続くこの天気、百姓ならずとも雨乞いに行事をするしかないかとおもっていたら、台風十号がお盆のころ来るそうで、それまで雨が降らないとしたら、お手柔らかな台風で来て欲しいものだが、、、、、、、、。

 

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2019年8月 7日 (水)

時代は変わっていく

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揃うた そろたよ 床搗きゃ揃うた

   稲の出穂よりよ~ぉ なお揃うた

鉛を精錬する溶鉱炉を造るとき、その基礎となる地面を固めるとき、大勢の人が槌を持って床を搗いたものだったが、その際調子を合わせるために歌われたのが、この床つき歌だったそうだ。

自分は鉱石の調査や採掘のほうだったので、実際にこの歌を聞いたのは組合の青年部、、、歌声運動の中から聞き覚えた歌だった。

今はどうなのかは知らないが、そのころ溶鉱炉は床搗きで締め固めた土の上に耐火レンガを積み上げて造っていたが、炉をとめるとレンガが崩れてまた造り直すしかないそうだ。

そのため、ストライキなどの際この炉を止めるというのが最大の圧力として争点になった。

実際何度かそんな事態になったが、会社は炉の運転を続けるため、組合員ではない管理職をかき集めて最低限の温度でこの炉を三交代で動かし続けたが、日ごろ肉体労働をしていない大学卒の管理職は大変だったようだ。

そのご、労働組合は世間の風潮に同化され、組合員の意見より会社の意向を組合員に伝達する機構に成り下がった結果、ストライキを打つ方法さえ分からなくなり、組合員の信頼を失ってしまった。

 

いま麻機の田んぼでは遊水地にするため買い上げられた場所と、高齢化や米の単価が下落していく中で放棄された田んぼも増え、マダラ模様が年々拡大していき稲の出穂は次第に少なくなっていく。

以前は労働組合の総評と並び評された農協はともに見る影もなく、、、、、、、、時代は変わっていく。

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2019年8月 6日 (火)

原爆考

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麻機田んぼから国一バイパスと賎機山  暑いながらも暑いながら平和の空

暑い暑いと言いながらも裏の畑のトマトやキュウリ オクラ モロッコ豆を収穫し、雑草をすこし引き抜いて帰る。

わずか一時間ほど、、汗でびっしょり シャワーを浴びる。

出がけに広報無線は「広島に原爆が落ちた日なので黙祷を、、、」と言っていた。

この放送を聴いたときおもわず昭和20年のこの時期日本中が焼け野原になっていて、静岡二千人あまりはもとより、3月の東京大空襲でも10万人と言われる人が亡くなっていたのに、と言う思いもした。

しかし、原爆は戦争が終わってからもその被害が続いていくことを考えれば、特別扱いにしても仕様が無い二のかも、、、、、

先の世界大戦は日本だけでも200万人、世界では何千万人と言う人がただそこに居たと言うだけで命を奪われてしまった。

そのひとつ、広島に原爆が落ちたあの日もこんなに暑かったのだろうか。温暖化が始まる前なのでそんなでもなかったのだろうか、、、、

今日、BSの放送で大岡昇平の「野火」と言う小説を映画化したものを見た。

見たと言っても後半の一部ではあるが最後の総攻撃で日本兵がばたばたと死んでいく様を映し出していた。

若いころ職場で、南方で戦った人から聞いた話しだが、「日本軍は補給と言うことが軍の仕組みから考えていなかったようで、現地のものを略奪して食料としたため現地の人から恨まれ、最後追い詰められてからは食うものもなくなって餓死者さえ出るようになると、鉄砲に当たって死んだほうが楽だという考えにさえなった」と言っていた。

この映画でも、泥だらけの軍服を着た兵士が手足をもぎ取られて死んでいくシーンや怪我をした傷口に蛆がいっぱいなど画面があり、小説を読んだとき以上の衝撃があったが、本当に戦争と言うものはこんな情況なんだったろう。

ほかの映画などでは、胸に鉄砲玉をうけて、その傷以外は五体満足で死んでいくシーンばかりだが、そんなきれいごとではないはずである。

原爆ばかりでなく空襲で焼け死んだ人の写真の中にも悲惨な映像を見る。

ネトウヨをはじめ、戦争を知らない世代は勇ましいことばかり言っているが、、、、、、、

自分が当事者になることがないと思っていたら間違いだよ!!!!!!

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