2018年4月23日 (月)

自分なりの百選を

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山桜と桃が同時に咲く北国の春

桜の花も済んで野山にはいろんな草花が咲き乱れている。

”名花十友”と言う言葉がある。古代中国の曽端白と言う詩人が、沈丁花、蓮、菊、海棠、梅、芍薬など十種類の花に、それぞれに名前をつけて友としたことによる。

しかし、今の自分には沢山ある花から十種類だけに絞るのはとても難しい。それどころか季節ごとに選ぶのさえ、、、、、、である。

よく似たたとえかもしれないが、深田久弥が選んだ日本百名山というのがあるが、こちらのほうは百とまではいかないかもしれないが、自分の周りにもかなりの数の山がある。

そのほかにも、観光地百選や四国八十八箇所などよく似たものがあって、それを回るのを趣味としている人も居るが、ひねくれものの自分には、他人がその主観で決めたものを唯々諾々と従うのではなく、何で自分なりの”何とか百”を作らないのかと思う。

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.やはり歳だと思い知らされるのは、旅行から帰って来てからの二~三日目である。

身体中がだるくて身の置き所が無い。

あっちへごろり、こっちへごろりとして過ごさなければ平常には戻れない。

耕運機など機械の運転は義弟がするので、鍬をもって畑のあちこちを動きまわるのだが、やはり、普段動いているようで動かさない筋肉があるようだ。

良いのか悪いのか判らないが、二~三日あとに反応が出ると言うのは、帰りの自動車運転がこの疲れのピークからずれていることであり、天はうまくしてくれている。

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2018年4月21日 (土)

横綱を締めて

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立科町は山部の修学院津金寺にある学問杉とよばれる巨木がある。

終業の寺だと言うがあまり修行僧は見かけないが、この杉を植えたころは学問のお寺だったようだ。

公称では高さ50m 目通り8m 樹齢は800年と言われている。

まだ文化財などには指定されていないのは、その杉の形などが若々しいことにもあるかと思われる。

しかし、この近隣の杉の中では一~二をほこる大きさであり、その幹に巻かれた横綱は王者の風格を示している。

大相撲の横綱はこの木に巻かれた横綱よりはもっと立派なものであるが、風格の点においてはかなり劣ると言う気がするのは、、、、、、

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昨日の疲れを取ろうと温泉の宿に入ったが、最近に無く酒量をあげたのに寝苦しくて熟睡をした感もなく朝を迎えた。

帰り支度のひとつ、みやげ物買いと連れの従姉妹の家からこのあたりのブランド米である八重原米をもらうなどしたあと、名古屋方面に帰る弟夫婦と別れ帰宅することになった。

気温は27度をしめし、すっかり夏気分。おまけに、腹が八分目を越して十二分とくるとまぶたが重く、これではならじと午睡に入れば一時間余も眠ってしまった。

むかしに比べれば自動車道も延長され、片道六時間近くかかっていた復路も四時間すこしとなった。

そのあいだに歳は二十数年たち、疲れは同じかそれ以上になる。

”ゆっくり ゆっくり”と隣から呪文をかけられ、日没前にわが家に到着し完了する。

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2018年4月20日 (金)

捕らぬ狸の皮算用

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Img_0162赤い五弁の花びらを下向きに咲かせて鶯神楽はさいていた。

春、ウグイスが鳴くころ策から名付けられたと言うが、じゃ、神楽は何処から来たのか、、、、、

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今日、ようやく畑に入ることにした。

乾いたからと言うより、何時までも家を留守にするわけにはいかないということにもある。

義弟は小型の畝立て機を畑にもってきて、自分が一メートル置き、等間隔に引いた線を掘り起こす。

「ちょっと湿っているが、なんとかならぁ~」ってんで十七うねを彫り上げ、そこに肥料を蒔き、土をかぶせた上に25センチ間隔に種芋を置く。

弟夫婦も入って五人がかりで20kgの種芋を午前中一杯かかって仕上げる。

太陽は昨日同様かんかんと頭の上から照り付けるが、昨日一人でネギを植えたのに比べると時間がかかったのに楽に作業が出来た。

むかし、田植えをするとき田楽で囃しながら大勢の人が田植えをした絵をみると、こういう効果があったのかななんて考えながら、にんまりとする。

畑脇に腰を下ろして「こんなに植えて出来すぎたらどうしよう」なんて心配をする。

「まんだ、植えたばっかりに何言うだ」「今年の天気どうなんだろうな」

「きのう、〇〇のおっさんが言っていたけんど、今年はタラの芽が一向大きく成らんのだって」「どうも、気温は高いけんど地面の温度が高くならないんじゃないか」って言っていたよ。

”捕らぬ狸の皮算用”を植えたばかりの畑を見ながら話しのほうははずんでいく。

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2018年4月19日 (木)

年寄りの冷や水

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望月町から見た蓼科山


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蓼科山山頂は綿帽子


昨日降った雨は高い山では雪だったようで、浅間山も蓼科山も山頂は真っ白な綿帽子をかぶっていた。

この時期になると珍しいことのようで何人もの人が口にしていた。

午後になって畑のほうは表面上は乾いてきたが、内部に水気の有るのは分かっている。

しかし、そこの住人ならいざ知らず泊りがけで来ているものにとって持ってきたネギを植え替えたいという誘惑に駆られ、畑の一番高いところに深さ30センチほどの溝を掘ってみた。

長野では”ベト”という粘土質の土は水気をかなり含んで重く、長さ15mほどの溝を鍬で掘るのは大変なうえ、28度ほどにもなった暑さは身体に堪え、疲れて帰ってきたら笑われてしまった。

やっとあれだけの仕事に、、、、、夜の食事もそこそこに横になったが腰が痛くてマッサージをしてもらった。

みんなが止めるのも聞かず、ボロボロになるまで畑に居る。”年寄りの冷や水”とはこのことか

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2018年4月18日 (水)

かたくり粉で「へ~」

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天気予報を信じて十八日静岡を出た。

出るときは予報どおりぽつぽつの小雨であり、午後から向こうでは陽が差すと言うことと思っていたが、甲府盆地あたりから雨脚が激しくなり、野辺山を越えれば上がるのかと思ったら、それも否定されてしまった。

立科町に着いたものの畑に入る状況でないどころか、まず明日から晴れても土が乾くのは明後日なんだろうな。

途端、予定は大狂い。

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長野の春は遅い。

桜は落花盛んで、春はこれからだと言うが気温はここ三日間二十五度越えの真夏日で暑かった。

そんなか片栗の花を見つけた。

青紫の花びらを反り返らして威張ってはいたが、花期の短い花で早くも暑さ負けをしているようだった。

この花を見ながら思い出したのは、子供のころ子の葉っぱを摘んで御浸しにして食べたもんだといったら、向こうの御仁は「で、味は?」と聞いてきた。

「ほうれん草によく似ていてこれと言った味は無いよ。それより、この根からとったかたくり粉ってのは農家の嫁さんの副収入で、掘るのを手伝ったことがあるよ」って言ったら「へ~かなり採らなきゃ駄目なんだろ」っていうので、爺さんは調子に乗ってしゃべりまくる。

今でこそ澱粉と言えばジャガイモになってしまったけれど、むかしは葛の根や藤の根、ワラビの根そしてカタクリの根から澱粉をとって、それぞれ、くず粉、吉野葛、ワラビ粉、かたくり粉といったんだ。」

「今ではみんな高級品我々の口にはとても入らないし、もしそれを名乗ったものがあればたいていはジャガイモ澱粉なんだ。」

一同「へ~」と言わせて悦に入ったが、どんな「へ~」だったのだろうか。

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2018年4月17日 (火)

植える?蒔く?

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雑草の中の雑草、とも言うべきタビラコの花を見かけた。

キク科の花の特徴である黄色い多重花弁を大きく広げて虫を誘っている。

この草花はもともと、”仏の座”といって、春の七草のひとつであり食用にもされてきたのだが、近年、シソ科の別な草に名前を取られてしまった。

それでも我関ぜずとばかり、雑草の根性で絶滅危惧種になることも無く繁茂し続けている。

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明日の朝早く長野に行って来ようと思っている。

最近では例年行事になっているジャガイモの植え付けに、、、、といっても、義弟がほとんど手間をかけてくれているので、当方は種芋を持っていき、適当な大きさに切り、並べたあと土をかけてくるだけなのだが、、、、、、、、

ところで先年、ジャガイモを植えたあと日帰り温泉で地元の人に「ジャガイモを植えてきた」といったところ「こっちでは種を蒔く」というんだ。

当方は種が大きくてある間隔をおくものを植えると言い、麦や野菜のように細かくて撒き散らすのを蒔くという。

向こうの人は植木などシャベルや鍬で穴を掘って植えるもと畑に置いてくるものを蒔くという。

と、そんなこんなで、ジャガイモ談義が始まり、長風呂になった覚えがる。

植えると蒔くのちがい。

それにしても、平均健康寿命をとっくに過ぎた兄弟が、自動車で四~五時間かけてジャガイモの世話ができると言うのは当たり前のようで有り難いことなんだ。とおもう。

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2018年4月16日 (月)

満天の星

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ドウダンツツジの花が口をすぼめて咲いていた。

こんな小さな口なかに雄しべ雌しべをもっているのだが、どうやって交配しているのだろうか。

細い枝先に白い花をいくつもぶら下げている様子を星に見立てて”満天星”と書いてドウダンツツジと読ませるのは凄い当て字と思っていたが、もともとは燈台躑躅から出来た名前だという。

燈台と灯台。すこし違うはずだが解説はごっちゃになっていた。

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仕事も終わり、いたずらに馬齢を重ねること十数年、最近では、家族のこと、交友のこと、仕事中の失敗など嫌だったことはかなり忘れてしまった。

そして、楽しかったことも同様に忘れてしまった。

忘れてしまうと人生ってものは本当に短いように見えてきて、十年や二十年前のことが、やっとこの間のことのように思えてくる。

歳を取るにしたがって年月の過ぎ去るのが早くなるって言うのはこのことであろう。

もうすぐ八十歳になろうとしているのになんだか、アッという間の人生、道半ばで達成感と言うものもなくなってしまった。

年年歳歳 花相似たり 歳歳年々 人同じからず   というが、全てを忘れてしまえば、人も年々変わることが無い。

「暑いね」「寒いね」を繰り返して時は過ぎていく。

”地上の星”と言う歌の出だしにこんな歌詞がある。

風の中のスバル 砂の中の銀河 

      みんな何処に行った 見送られることも無く

結局老兵は、拠りどころを忘れられてしまい、今では好々爺となりはてぬ。

いや、好々爺を演じることでかろうじて世間とのつながりを維持している。

我を張って嫌われると孤独死が待っているとも限らないから、、、、

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2018年4月15日 (日)

君子蘭は

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夜が明けて雨が激しく降っていたのを知った。

七時半になって同報無線は「静岡県中部南(自分の住んでいるところ)に大雨警報が発令されました」と放送した。

それを待っていたかのように雨ががり、空が明るくなってきた。

「何を言っているんだろうね、テレビの天気図を見れば素人だってピークが過ぎたことくらいわかるのに、、、」そう毒づいてしまう自分が居た。

濡れ縁のしたには「そんな雨も関係なかったよ」と言いたげに君子欄が濃いオレンジ色の花を一斉に咲かせている。

この花、ランといいながら蘭の仲間ではないとのことだが、三年に一回てどの割合で、植え替えているが、根っこの様子は蘭といってもよいような感じがするんだが、、、、、、、

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2018年4月14日 (土)

桜 天に登る

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桜前線北上中という字を新聞などで見かけるが、今どの辺りにまで行っているのだろうか。

きのう、安倍川の上流に行って見たら山の尾根近くの桜とおぼしき花が咲いていた。

標高にして700mくらいの高さとみた。

あの高さと周りの杉から察するに、桜なら人が植えたソメイヨシノではなく山桜ではないかと見たがまるで、桜前線天に登るといった風情さえある。

なにせ、かなり離れた場所からの花であり、、、、、まさに、かすみか雲かといった趣きさえ感じてしまう。

そういえば、標高400mから800mになる鉱山の祭りは四月二十三日と決まっていたが、丁度このころは年によってすこしさ差があったが桜吹雪に神輿が練り歩くさまは幻想的な思い出として残っている。

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先日娘婿から「ばあさんいるかい」と電話がかかってきたので「居るよ」って返事したら、「二枚とって置いたからね」という。

何のことか分からなかったが「あいよ」とだけ返事をしておいた。

それが、連れとその友達が行く予定の「前川清ショー」の切符だった。

そして、その友達が都合が悪くなって代役に自分が行くことになった。

前から12列という絶好の指定席だったので予定時刻すこし前の午後1時半に到着してみると、いずれも高貴高齢者とおぼしき人々がわんさと詰めかけており、その人たちにもまれながらゲートをくぐった。

ショーは、今では古手の歌手なのでかなり知った曲ばかりだったので、耳に心地よかった。

そして、感心したのはピアノとドラム、サックス、ギター二人の計五人のバンドでよくあんなに音響効果が出せるものということであり、もうひとつは、同行の”おんながた”、、、名前を紹介したがわからなかった、、、、

その”おんながた”の踊りが綺麗で見入ってしまった。

”おんながた”のおどりは梅沢富美男の妖艶さとは違って細身のすっきりとしたスタイルであったが、踊り一つ一つのしぐさは日本人形みたいに優雅にきまっている。

ただ、一般にいう日本舞踊とはすこし違うように見えたのは、表情やしぐさに重点を置いた踊り方のせいだったのかと帰ってから感じている。

でも、久しぶりに楽しい時間が過ごせたと娘むこに感謝している。

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2018年4月12日 (木)

水辺の艶姿

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シャガの花、水辺に咲けば艶姿。

この草は小ぶりながらアヤメの仲間だけあって、姿かたちはそっくりである。

ただ、古いむかしに日本に帰化した植物なのだが三倍体といわれるだけ有って実をつけることが無い。

そのため、日本中何処にあっても遺伝子が同じだそうだ。

そのため、自分で繁殖するということが出来ず、人の手によってあちこちに運ばれたようだが、全国あちこちで花を咲かせるということは育ちやすいということもあるが、古来好かれてきた花なのであろう。

水気の多い場所を好み、人気のない暗い杉林の縁などで見かけると、昔はこの辺でも住居があったんだという証明になりそうだ。

過疎化で集落が消滅しても、、、、、、、

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aこのごろ国会中継は見ないようにしている。

質問者にまともに答えようとしない答弁いはうんざりとするし、一連の疑惑のためどれだけ国費を浪費し、政策が進まないでいるのか。

すべてが、首相の周りからおきていることである。

これだけ不十分な説明をし与党からまでおかしいといわれながら、政権にしがみつくのはよほど何か好いことがあるのだろうか。

それに輪をかけて不思議なのは支持率が3割から下回らないことであろう。

こんなにされても見離なさいのは、トランプ大統領がどんなことしても支持する人が同じくらいいるのと同様、、、、、、、、、

冷静な判断が出来ない人が多すぎるのか、変えようとする人が出てこれないのか。

まったく もう~

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