舎利
友人の奥さんが先日言っていた。
ゴールデンウイークに男の子が二人帰ってきたが、どちらも大ぐらいで米の飯が大量にいるのでもったいなくて混ぜご飯で量を増やそうと思ったけれど長男と次男と家にいる長女たちはそれぞれに入れる材料が違っていて、結局みんなが可もなく不可もなしに食べるのが白いご飯しかない。と嘆いていた。
また、別な人が取引先の接待で「菜飯を食べませんか?」と言われ戦後の食糧難でいろんなものが入ったご飯を食べさせられてきたのに何で今更菜飯なのかといってやった。といっていた。
自分らが白いご飯を食べられるようになったのは昭和35年から40年ころだと思っている。
飛騨は昔から米の採れる量が少なく戦前は勿論食糧難だった戦後もつづき、白いご飯を一般の人が食べられるようになったのはこのころからではなかろうかと思っている。
飛騨に伝わる話として、むかし瀕死の病人の枕もとに竹筒に入れた米を揺すって「これが米だよ」っていったそうでそれくらい貴重なものだった。
とにかく戦後の食糧難は米の配給さえ一か月のうち十日分くらいの配給しかなく、十日分と言っても政府がが勝手に決めた量でしかなく、当然足りない分は銘仙の着物などを持って県境を越え富山県まで闇米の買い出しに出かけ、富山県警の目を逃れて家に持ち帰っていた。
白いご飯のことを”銀シャリ”と言うが艶やかに輝く炊き立てのご飯にどれだけ憧れたか。
このシャリは舎利という字を書き”骨”のことをいう。
般若心経の中に舎利子と仏弟子の名前が出てくるが、舎利とどんな関係があるのかないのか聞いてみたいのだが、 、 、 、 、
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