楽まざれば是如何
残躯は天の赦す所 楽まざれば是如何
伊達 正宗
正宗 晩年の詩として知られるものである。この人は運良く長生きし、大大名として生涯を終えているが、一方では望みを途中で絶たれた不満も残してもいた。
市街地に住む、知り合いのおばあさんがいうには「公園を横切るとき、ベンチに所在なげに男の人が腰掛けている」という。それも、ひとつのベンチに一人。
それぞれ事情が異なっていることだろうが、仕事一途できて趣味はありません、お金は自由になりません、と言う人がかなりいることが想像される。折角天が与えてくれた時期に一人黙って過ごすのはもったいない。
小学生の時の一年間は非常に長かったように思う、それが40 50 60歳と時のたつのが加速度がついて次第に早くなる。物理的には同じ時間なのだから、心理的 肉体的なものなのだろうけど。
趣味のない人は、何でも良いからサークルに入って、見栄を捨てて初心者になること、自分は絵がかけない 字が書けないとはじめに決めずに。
と、立派なことを言う自分は団体行動が嫌いで、いまはやりのグランドゴルフ ゲートボール 野鳥観察会 写生会など麻機沼周辺で行われている活動を横目で見、カメラ片手にただあちこち歩いている。
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