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2005年6月30日 (木)

かたじけない

P1010045 なにごとの 

おわしますかは 知らねども

   かたじけなさに 涙 こぼるる

一般には西行法師の作と伝えられていますが、詠み人知らずと言う説もあり、自分は後者のように思います。が、まあ そんなことどっちゃでもよろし。

日本人は、むかしから山川草木すべてに霊が宿るとしてあがめてきた。いわゆる八百万(数え切れない)の神です。

自分みたいな無神経で無霊能者でも、雄大な景色 巨木などに接したときは、何か感じるものがあります。若い頃は、多神教は未開の宗教みたいに思っていたこともあったが、世界の歴史をみるとほかの宗教を認めない一神教の方が、らちもない殺し合いを繰り返してきたようです。

しかし、多神教でも あまり、人間を神に祀り上げるのはどうかと思うんだけど、、、、きっと、なにかに利用しようとしていることがみえみえじゃないですか。

人間の神様は伝説や空想の人にのみ資格を与えたいものです、、、、

ところで本題、早いもので今日で今年の前半がおわりました。このブログを始めたのが3月16日 ケセラで57回 オラケタルで34回 自分ながらよく続いていると感心しています。

このブログには、アクセス解析という項目があり、どこのどなたかは分かりませんが、訪問された人の数と時間がその日 昨日 今週 先週とグラフで表示されています。

その結果、ケセラで947回 オラケタルで443回と自分の予想を上回る訪問者がいて、中にはきっまた時間に見ていただいているのかなと想像させるものもあったりして、これらがつたないブログを続ける原動力になっています。

あらためて、いずれに おわしますかは 知らねども かたじけないことです。 

                 

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2005年6月29日 (水)

ペッタン ペッタン

久方ぶりと言った感じの雨が降った。北陸地方は豪雨だと言う昨年台風被害の大きかったところを狙い撃ちするように、一方で西日本は雨乞いをしている。白河法皇ではないが、まだ、思うようにならないものがたんとある。

話はかわる。今、靴の本場イタリアで中国製靴の輸入を規制しようとしているというので驚いた。

高級品だが、一度くらいイタリア製の靴を履いてみたいと思うのは男女問わずかなりいることと思う。そういう国が規制を検討しなければならないとは、値段ばかりでなく、デザインや履き心地の面でイタリアっ子を満足させているのであろう。

もちろん、イタリア人が中国へ行って指導し生産していることは予想できる。ちなみに自分の靴もそのほとんどが中国製。

「えッ あなた イタリア製を持ってる。 いや~おみそれいたしました。さぞかし足にピターッとフイットするんでしようね」

「そうでもない? どうして また」  「ああ 既製品ですから  と」

観光で行ったイタリアの街で人のよさそうな靴屋のおじさんがバスにむかって靴をペッタンペッタンと折り曲げて見せていた、「あれ、靴は土踏まずのところで折れ曲がるのがいいのかな?」とそのとき様子を見ていて変に納得したのを思い出した。

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2005年6月28日 (火)

静岡市民になったけんが、、、

今日は、清水で37,9度だって、ここしばらくあまり蒸し暑いので頭の回線がこんぐらかってしまいそう。

そこで、思い出すのが約30年前のこと、静岡に来たばかり そう、今日みたいに暑い日 10人ほどで炎天下の作業をしていた。午後の小休憩の時、そばの八百屋へ行き「おやじさん この西瓜三つ欲しいんだけど、いくらにする?」と聞いたところ。三個足した値段を言った。

「そんな計算ぐらい俺にもできるよ」と言ったが、おやじさんには分からなかったみたいだった。他所では、そういう聞き方をしたときは、まとめ買いだからいくらか安くしてよ、ということなのに。

また、子供の転校手続き時に、学校では水泳時に学年により帽子の色が決まっているとのことだったので、北街道のスポーツ用具点に行き「○○色の水泳帽子が欲しいのですが」と言ったところ、奥から出てきた店の人が「ありません」の一言ですっこんだ。   怒るのを通りこしてあきれてしまったね。

そして、最近までコンビニや大きな店の進出には異常ともいえる反対運動を展開し、今も「大型電気店などが吸い上げたカネを地元に還元しない」から、と規制しようとしている。ここからは、静岡中部の人は「のんびり おっとりしている」という気質を微塵も感じない。

来た当時、職場の人に聞いたところ、静岡の人は値段を値切ると言うことはとても恥ずかしいことと思い、商人は値切られることを侮辱と考えていると言う。これはあちこちで聞いたから間違いないとおもう。

自分としては、値切ることは商売人と言葉のやり取りを楽しむような感覚があっただけに、なんともはや殿様商売は、、、、とつぶやいたものだった

しかし、消費税が付くようになって、一円単位まで言われると値切るすき間が無い。  無言で商品を差し出し、無言でカネをはらい 無言で持って帰る。

自分も結構 静岡市民になったけんが、、、、、と

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2005年6月27日 (月)

チョウトンボ 乱舞す

P1010066 今日も暑い。例のごとく、麻機沼散策で大汗をかき、初クーラー。最近流行っている省エネ温度にしてみたが、さすがにいいですね。われわれ貧乏人には毒だけど癖になりそう。

ちなみに、めったなことでは ネクタイ スーツは着たことが無く、クールビズ風以上の生活をしているが、熱さには二言なし。

いま、麻機沼は夏本番。植物も猛々しいといった雰囲気。

盆の供え物の下に敷くと言って、葦を刈り取っている人がいたが、そんなのどこ吹く風と言った勢いで背丈以上になって水面を覆い尽くしている。なかでは、ヨシキリがジュージュージュルルーとあちこちで囀る。

池の深い所には蓮が早くも大輪の花を咲かせていた。ピンクの20センチは優に越える花弁をかぜにまかせて揺らしている。蒲の穂も膨らみ始めた。(ケセラの夏の花 参照)

そして、一番の見所はチョウトンボの乱舞。

チョウトンボ、名前のとおりトンボにしてはやけに広い羽を持ち、飛び方もひらひらと言った感じの飛び方をするため付けられたようだが、これだけ大量に飛んでいるのは珍しい。

静岡流通センター側の遊水地内に、つがいを探してかそれとも縄張り争いかは分からないが、全身黒マントで包み、羽の付け根は藍色がかった光沢、先端は透明の衣装。

自分にはイスラムの戦士を感じさせる装束で他のトンボを寄せ付けない。ひらひらひらひらと上下 左右自在に飛び交う。

どこで聞きつけたか、NHKも撮影に来ていた。

さきほど、ラジオで北陸 東北地方が梅雨に入り、沖縄地方が梅雨明けしたと発表、自分たちの所は梅雨入り後ほとんど降っていないんだけどどうなっているんですかね。

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2005年6月26日 (日)

 わがまま

アメリカでBSEの疑いがあった牛のサンプルをイギリスでBSEだと確認したと言う記事があった。

この牛は、昨年11月に、兆候が出ていたもので、いったんは白の判定出されていたものを、イギリスに送って最終確認したという。

科学先進国を持って任じるアメリカが自国で検査できない不思議さ、そして、今も尚その牛がどこにいたのかどんな牛なのかは公表されていないそうだ。カナダからの牛はBSEを盾に輸入させないくせに、日本には輸入せよとせまる。

日本でも、吉野家などがアメリカの牛でないと牛丼が作れないので輸入を再開せよと言う。自分としては「もう 勝手にしたら」と言う気もする。そのかわり、タバコ並みに「この牛肉はアメリカ産です。健康を害しても自己責任です」ぐらいの注意書きを張り出す処置が必要ではないだろうか。

アメリカ産にこだわる吉野家には未来が感じられない、と同時に先日日本に先駆け輸入再開した台湾にテレビ局がレポーターを派遣して、台湾吉野家の牛丼を食べさせ「これこれ この味ですよ」なんていわせていた。バカも良いとこ

むかし、雲仙岳(眉山)が崩壊して海を挟んだ島原地方に大津波を起こし沢山の被災者がでたとき「雲仙大変 島原迷惑」といったそうだが、いまは「アメリカわがまま 世界は迷惑」という時代か。

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2005年6月25日 (土)

温泉は付帯施設で

P1010026 日本は温泉の多い国である。入浴施設はおそらく世界一だと思う。

どこに住んでいても2時間以内に温泉へ行けない所はない。とかなり前に聴いたことがある。そして、温泉信仰とでも言うか、仕事で出かけた土地で「ここには温泉はでないのか?」とよく聴かれた。

温泉は、当初地上に湧出する湯 蒸気 噴気などから始まり、ボーリング技術の発展で地下から汲み上げられるようになった。そして、始めは、火山など地熱のある所でないという考えから、その付近ばかりを探ってきたが、石油やガスなどの探索中に断層付近にも高温の水があることが分かり、さらに、竹下内閣当時の「ふるさと創世事業」で多くの市町村が温泉を掘ったためかなりの公営温泉が作られた。

しかし、多くなった温泉全てが順調に運営されるわけでない。やはり、温泉プラスなにかがないと厳しいようだ。そのため、昨年問題になった長野県白骨温泉のように売り物の白濁が薄くなったため、色付けを行なったり、湯量を増やすため水を混ぜたり、循環させたりとあちこちで工作していた。

今日出かけた、川根町の「ふれあいの湯」または「茶里夢の湯」は湯量の多さと施設のすぐ傍を通る蒸気機関車が走ることで、予想以上の繁盛をしており、自分も温泉できる前からすこし関係し、これまで10回以上行っている。

温泉が湯治場から娯楽施設になった 今、お色気か遊園地など付帯施設に頼らないと生き残れない。「おれも、あんたがいないと生きていられない」なんてときどき言えばいいんだけど、   なんとも むずがゆくてね。

「なに言ってんの わたし、あんたの付帯施設じゃないからね/」

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2005年6月24日 (金)

うらやましい~

最近面白いテレビコマーシャルがあってよく見ている。

静岡県以外の人には分からないCMなので説明すると、スポンサーはパチンコ屋さん。いままでも面白いのをいくつも出しているので、センスのある製作会社をもっているようだ。

今回のものは、このシリーズ三作目であるが、顔のあちこちにピアスのような金物をつけた若い男女が室内で「チチェンってなに?」、、、、「ロシアの百円ショップかなにかでないの」の会話を聞きつけて外から白髪まじりで長髪の老人(この人がこのシリーズの主役)が顔を引きつらせるようにして「新聞を読みなさい、、、、もっと勉強せい」と怒鳴りつける。前回も前々回もとにかく相手を怒鳴りつける。そして、しめくくりはこの「パチンコ屋へ行く者 当然なり」と来る。

毎回 うらやましい、こんな風に他人を怒鳴りつけられればいいな~、むかしはいつも怒っているこんな年寄り近所にいたよな~、と言ったら、、、

「そんなことしたら逆切れされて、腹にあなあくよ」だって

あなあいてもやってみたいような誘惑はあるね。

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2005年6月23日 (木)

ぶっそうな世の中なのに

「毎度ありがとうございます。このたび当社の商品をお買い上げいただき有難うございました。ひきつづきカタログをお送りしますので、○○カードでお買い上げ願います」こんな内容のメールが1月 自分宛に送られてきた。

あわてたね~、とりあえずカード会社に電話して確かめた結果 被害はなかったが、その場でカードを解約した。ついでに、銀行へ行き廃業後使わないカードがあったのでそのカードも破棄。

今の世の中カードが簡単に作れるため日本人は平均で3枚、カード社会のアメリカでは6枚と言い、その弊害も大きいそうだ。

アメリカで大規模なカード情報流失事件が一月頃あり、それが今頃まで伏せられていたそうな、日本でも被害が一億円を上回り さらに今後拡大しそうな気配と言う(カード会社は被害を補償すると言うが被害の証明が難しいんだろうな)。また、銀行のカードについても以前から被害が出ていて、最近になってようやく被害の補償などに重い腰を上げかけているが、経費などからなかなか対策が進んでいない。

カードを廃止して、一番良かったのはムダ使いをしなくなったことと落としても財布に入っていただけで済むと言う安心感があること。一方、中身がどれだけなのかいつも確認していないと恥をかくことがある。

ただ、最近有料自動車道に乗った時などETCのゲートが多くなったので、再度カードが必要なのかと思うが、いまひとつ心配でつくれない。 

目的以外に使えないカードなんて出来ないもんだろうか。無理だよね、ぶっそうな世の中なのに。

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2005年6月22日 (水)

ヤオヨロズの神

今年の梅雨はいまのところ雨が少ない。

天気予報では週末からまた天気がよくなる(梅雨時だから雨が降らないのは天気が悪いというべきか)情報がでているし、そろそろ各地で水不足のきざしがでているそうな。

この調子で行って来月にまとめて降らないようにしてもらいたい、毎年のように気象台はじまって以来などという天気は御免こうむりたいものだが、これはヤオヨロズの神に頼るしかない。

話は違うが、連日のように飛行機の小さな(と言えるかどうかわからないが、、)事故が報道されているが、ここしばらくは飛行機は乗らない方が良い。

むかし会社で聞いた「大きな事故は小さな事故300件に一度おきるものだ」という、そして、最近ではかなりの数の飛行機が中国などで、整備されているという。JR西日本の事故ではないが、安全を軽視する所とは距離をおくのが賢明であろう。

そして、どうしても乗らなきゃならないときは、やはりヤオヨロズの神にお願いしよう。

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2005年6月21日 (火)

気候までは無理

今日は夏至。一年で一番日脚が長くなる日だというが、日本では梅雨空のもとあまり実感できる年は少ない。

7年前、スイスにこの時期出かけたが、日没は10時近くになり、あらためて彼の国がかなり北にあることを思い知らされた。また、梅雨と言うものが無いヨーロッパでは今頃が一番天気が良いため、この時期が結婚式に向いている。つまりジューンブライトということらしい。

なんでもかんでも外国からもってくるが、気候まで持ってくるのは無理だったらしい。       残念/

さて、前日に変える予定が連日のだらだら歩きと、運転手付きの車生活にすっかりくたびれてしまった。薦め上手にのっかってもう一泊し、帰ってはきたが、うだうだと寝て本日は終了。

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2005年6月20日 (月)

じじばば御在所へ

P1010062 天気予報では、降る予定だったが運良く晴れる。

折角ここまで来たのだからと じじばば 7人で御在所岳に上ることにする。御在所岳は三重県と滋賀県の境をなす鈴鹿山脈の主峰で標高1,213mになるが、頂上までロープウエイがかかっているため、以前から観光地化している。

この山は、花崗岩でできているためあちこちに岩峰が露出し、気候的にも複雑な場所(冬は西からの季節風の通り道 夏は海からの風が雨 雲をつくる)なので、花の数が多く、赤とんぼ モミジ 雪や樹氷など何時行っても何か見るものがある山として知られている。

P1010056 今回も、赤白ヤシオの時期が済んでいるとのことだったが、更紗ドウダン 紅ドウダンが丁度見ごろ、かなりの範囲で咲き乱れていた。更紗ドウダンは黄色味がかった5ミリほどの釣鐘状の花弁の先を赤く染めて密集し、紅ドウダンは一回り花が小さいが濃い赤で目立っていた。

この地はウグイスが多く道の両側で啼き競っている、そして、人なれしているのか電線のうえで平気な顔をしてさえずる。「じょうず じょうず」と褒めたからというが、、、、

とにかく遠いのであまり来る機会もないところだが、また別の季節に来て見たい山。そして歩き回りたい山。魅力のある山である。

朝、見た蒼滝も水のきれいさは気持ちよいものがある、水量はこのところの雨不足で物足りなかったが、それは、ポスターが良すぎたせいだろう。ただ、山頂の「かもしかセンター」は昔ながらの鹿専用の動物園であり、一度で結構というものだった。

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2005年6月19日 (日)

いもうとの還暦

妹が、今年めでたく還暦をむかえた。その祝いを三重県湯ノ山温泉で行なった。

むかしは、数え年だったが最近は満年齢でやるようになり、一年延ばしに抵抗していたが年貢の納め時、しぶしぶの体をとりながらも兄弟夫婦に招待されうれしそうだった。しかし、主役なれしていないうえ一番年下と言うこともあって、彼女は始めの挨拶時だけで、すぐに平会員におちてしまった。

夜遅くまで飲み歌って過ごした。ちなみに今日は「父の日」これを祝ってくれる人はだ~れもいなかった。望むのは贅沢なのかな。

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2005年6月18日 (土)

万博見物記

P1010014 愛知の万国博に行ってきた。豊田に住む弟がおいでというので。

大阪の万博から35年になるとか、当時はまだ自分も30歳、今から思うとやはり馬力が違う、おしめをつけた末娘までつれて出かけたのだからねえ~

リニモに乗って北ゲートから評判の悪い荷物検査を済ませて入場するが、有名な企業パビリオンはいずれも2~3時間待ち、と言われれば予約して良いものかどうか分からない。曇天 高温とくればとても並ぶ気がしないので、行き当たりばったりで廻ろうと言うことになり、メキシコ館 コーカサス共同館 アフリカ共同館などをまわるが、いずれも、パネル主体のため迫力不足は否めない。アンデス共同館では、ピスコという酒を探したがどういうことかない。(他の館でも酒類は見なかった、ブルガリア館のヨーグルトは三重県産だった)

大阪万博とは、テーマが違うせいもあってか、各パビリオンに特徴がなく、アメリカ館などやる気の無いようなところもチラホラ。そして、中国人や韓国人のように外見ではわからない人を除くと、いかにも外人と言う人が少ない。

この日は、入場者が最高の17万人と新聞に書かれていたが、周遊道路の桟橋の下にかなりの人が入り込んで、避難民状態。熱中症で12人が救急車の厄介になったとか、これから出かける人はこの辺の対策に気を配る必要がある。

最後は万博ドームに近寄ったがここも予約で一杯とのこと、ゴンドラに30分待ちで北側に戻り、ここに再び見ることのないであろう万博見物を終了した。

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2005年6月17日 (金)

花博跡地にて

P1010004 6月から無料で入場出切るとのことなので浜松花博跡地に立ち寄ってみた。

駐車場には50台を越える自家用車があり、ウイークデイを考えれば予想以上の盛況である。明日の万博の予行練習を兼ねてなどといいながら、あちこちと歩いてみた。花博には、行っていないので比較のしようも無いが一部施設を残してほとんど撤去されていて、今は広い散歩道と言ったありさま、花もところどころで咲き、舗道 トイレも綺麗に整備されているが、このあとどのようにしていくのか分からない。なにしろ広大な敷地があるだけに、単なる金食い虫ならないようにして欲しいものだ。

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2005年6月16日 (木)

ぬくとい乳はダメ

我々の世代に牛乳嫌いが結構いる。 自分も冷やしたものでないとだめな方だ、原因は分かっている。

戦後の一時期,栄養補給の名目でアメリカから脱脂粉乳が入ってきて学校給食に使われたためである。食べるものに不自由した時代でさえそうなのだから、よほどまずかったのだろう。いまでもぬくとい乳は臭いがトラウマになって受け付けない。

この脱脂粉乳は昭和40年くらいまで出たそうだが、味の方はどうだったのだろう。最近ではスキムミルクと名前を変えて、乳製品添加物というそうだから「似て非なるもの」と思うのだけど

去年、有東木に出かけたとき、店先に粟 稗 黍 などと一緒に飾ってあった、店の人も名前の知らない高粱(コウリャン)をすぐさま当てられて威張ったものだが、これも腹を膨らすだけで消化の悪い穀物だったし、今では高級品になった、筋だらけの鯨肉、冬になると白く凍ってしまうヤシ油、小麦粉とふくらし粉で作ったドーナッツ形のパンなどどれも懐かしくはあるが二度と食べる時代になって欲しくないものだ。

しかし、「喉もと過ぎれば 熱さを忘れる」というように日本がどこかへ行きそうな昨今、なんとか声を出さなければと思いつつも、むなしい感じがするのはなぜだろう。

米マイクロソフト社が中国でブログの開設サービスを始めるそうだが、中国政府に協力して書き込みを検閲し、「自由」「民主主義」「人権」「台湾独立」などは他の言葉に置き換えてと出て、使わせないそうだ。

日本も以前は同じような時代だったんだよ。  恐ろしいね 怖いよね。

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2005年6月14日 (火)

サルーデサルー

P1010019 中南米で酒を飲みに行くとしたら、BAR(バール) TABERUNA(タベルナ) CERVECERIA(セルベセリア)日本語に直すとバー 居酒屋 ビアホールとなる。しかし、どの飲み屋もはっきりした区別はない。

観光客など外国人の多い店はこぎれいにしているが、メキシコ(現地ではメヒコと言う)で入ったタベルナはすごいものだった。とにかく、床掃除をしたことが無いのか紙くずだらけ。後で聞くと口をぬぐった紙ナプキンをポイと捨てるのだそうだが、店の方でもある程度散らかっているいる方が繁盛している証明としてかまわないところがある。あまりの埃っぽさに何か一杯呑んで退散したおぼえがある。

さて、前に書いた飲み屋であるがどれも結構明るくて家族連れや友達連れなどのほか席が隣のアミーゴとごちゃ混ぜになって、まず、一杯目そこで必ずと言っていいくらいに「サルーデ サルー」という、日本語に直すと「健康に乾杯」と言ったところか、宿舎で日本人同士で呑む時もよく言った、郷に入れば郷に従えと、、、、。

飲むところはもう一つある、いわゆる暗い飲み屋。リマの郊外シンコメデイア(5.5キロ)には日本で言うバーがあった。ここで、初めてディスコを踊ったのは、日本でバブル期にジュリアナ東京でデスコが風靡する20年くらい前のことだった。床に点滅するパネルがあり、ミラーボールに照らされて、、、、しかし、我々のデイスコはいつも盆踊り風 阿波踊り風になり締まらなかった。(ちなみにディスコとは、円盤 レコードを言う)もちろんお世辞だが「変わった踊り方ぜひ覚えたい」なんていた人もいた。

ここでは、女性がいるものの日本のホステスとは違い、店にショバ代を払い客の相手する方式で、客に呼ばれることのすくない女性は持ち出しになるため長続きしない。したがってすごく綺麗な人や特徴のある人でなければ勤まらない仕組みのようだ。始めて連れられていった時は圧倒されてしまったものだったが、順応性のたかい?自分は直ぐになれてしまった。

余談 スペイン語で居酒屋を「タベルナ」というが、百貨店は「アリマセン」といい、人を呼ぶときは「オイ(ガ)」、自分のことを「ヨ」(ジョ) 天井は「テーチョ」、柿は「カーキー」など憶えやすい言葉がいくつかあるうえ、いくつかの決まりを憶えればローマ字読みで結構通じます。

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2005年6月13日 (月)

貴乃花はオバカさん

貴乃花があんなにオバカさんとは思わんかった。彼の母親があんな た~けとは知らなんだ。

いくら相撲一筋で来たとはいえ横綱を張ったのだから心技体が揃ったと横綱審議会が認めた人なんだろうに、まァ 30台の若者だからしょうがないか。しかし、母親はいい年なんだろう。

そもそも、家族の問題をマスコミに向かって発言する、というのはどんな心積もりがあってのことだろうか?

マスコミとは、前後を省略し、一部だけを強調して報道するくらいのことは、一般の人に比べて彼らはよく知っているはず。もっともらしく話を引き出すインタビュア質問にのっかってベラベラと話す、それを面白おかしくふくらますキャスターにかかれば、まとまる話もまとまらなくなってしまう。

面と向かって話してもだめなら、あとは時の経つのに任せるか我慢するしかないだろうになぜできないか。まわりにきっと煽り立てる人がいるんだろうね。

最近では、元家政婦や最後を看取った人まで探し出して、ますますもめさせようとしている。今朝も みのもんた 曰くには 「協会葬のあと遺骨はどこへ行くんでしょうね」だと、視聴率さえとれればいいのか/

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2005年6月12日 (日)

精神年齢は伸びたか

とにかく女性が元気に活躍する時代になった。

スポーツ界をはじめ、身近の新聞社などが運営するカルチャーセンターなどの広告を見て出かけてみたが、受講者のほとんどが中年女性、男はほとんどいないので次は行きにくくなる。女の人がこんなにせいをだして勉強や趣味に打ち込めるのは良いことだが、その陰で夫は、ますます家に閉じこもっているのだろうか。

また、韓流ブームとかで、あちらの俳優が来たりすると、その出迎えと称して女性の人だかりがテレビに出る、そのほとんどが40歳前後だといわれている。

髪を一様に短めにし茶色に染めている人を見るとほんとにこれが40歳?と思うほど若々しい。(おじいさんの目から見ると精神年齢も若そうに見えるが、これは大きい声でいえない)とにかく、若いという言葉に弱く、なにかといえば「かわいい~」と言う言葉しか発せられない。いい大人に「かわいい~」はないだろうに。

かく言う自分は、なんとか年相応もしくは以上に見られたくて今思うと生意気に背伸びをした言動をしたものだ。(それは、男と女の違いでしょ。一緒くたにしないで) 

昭和30年代前半だったと思うが、「日本人の精神年齢は12歳、、」と言われ、これが流行語になったことがあった。戦後平均寿命と言えば50歳程度だった時期から今では80歳になろうとしている。しかし、精神年齢はがどれだけ伸びたかと言うとかなり心もとないものがある。

世の奥様、どうか身近に閉じこもっている「濡れ落ち葉」に愛の手を/

きのう梅雨入り宣言がされたばかりの東海地方、今日は早くも中休みだってさ。

 

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2005年6月11日 (土)

梅雨入り

P1010022 孫二人の運動会

昨日、北九州と関東甲信の変則梅雨入りが宣言され、今日にもその他の太平洋側が梅雨に入りそうな中での運動会。

じいじ ばあばも招待されでかける。冒頭校長 PTA会長の挨拶も、雨降りの心配でスケジュールの変更をいい、そのとうりの運営とあいなった。

ときどき、パラつく中で競技が変更される、先のさきが分からないので、家族はカメラをもって右往左往 緊張感のある運動会。

よそ者には面白い展開だが、当事者は大変だったろう。それでも、は全種目完了し、4時少し前には後片付けを手伝っていた孫も帰り、今年も梅雨に入った。

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2005年6月10日 (金)

根上がり?檜

P1010018 盛岡地方裁判所に大きな石を割ったようにして樹齢400年とも言われる桜があり「石割桜」として有名である。

植物は過酷な場所をものともせずがんばる。種が偶然に落ちた所で生きるしかないためなのだが、左の写真も先日登った岩岳の山頂近く、檜が岩を抱きかかえるようにして成長していた。もともとは、岩の上で成長していたのだろうけど水や栄養を求めて根を伸ばした結果、根上がりになったものだろう。

擬人化しすぎだろうけど、最近は自分にあった仕事がないからと就職しない若者がふえているが、仕事は生活するためにあるものなのだ。と割り切らなければ、これから先大変だ。

利益や安定を求めるなら楽しい仕事なんてあるわけ無い。ただ、どんな仕事をしていても、愛着ややりがいと言うものが出てくるものだ。人から見てつまらない仕事に見えても、やっている人は自分なりの工夫がどう出るかなど興味を持ってやっている。丁度「幸せ」と言うものと同じように本人がどう思うかが一番大事なのだ。

親に頼る生活をニートというそうだが、親が何とかできるうちはよいが出来なくなった時はどうするの? 大体がニートなんて言葉にすることがおかしい、先日もラジオで言っていたが「生活無気力者」とぐらいに呼べば、自分から恥じるのではなかろうかと、、、、

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2005年6月 9日 (木)

それがおじいさんの生きる道

作家 五木寛之は「こころとからだ」と言う短編集で、なにかで身体を動かそうとする前に自分の身体にむかって語りかけ、言葉で告知することを薦めている。

重いものを持ち上げる時は「さあ これから重いものを持ち上げるぞ」と言って全身に知らせた上で、腰を落とし膝を曲げ、ゆっくりと力を入れる。人間年をとるとだんだんに喉が狭くなるので、飲み込む前にやはり自分に言い聞かせる。そのほかにも、熱い風呂、冷たい水に入る前、走り出す前なども同じことする。と言っている。

自分も、この本を読む前から気づいて実践していたことなので、なるほどやっぱしなと思った。 50代後半に入って、トラックの荷台からなにげなく飛び降りた時、膝の衝撃にびっくりして腰砕け状態でぶざまにひっくり返ったことがあった。

仕事では、4m四角の足場の上にいることが多く、足腰が運動不足で弱っていた上に体重がつきすぎたことが原因だったのだろう。以後、自分自身に声かけするようにしていた。

前に近所の外科医に言われたことがある「気持ちはどんなに若くても、身体は確実に年をとるものです、傷の直りが遅くなるのはそのせいです」と、、、、、、

人は、誰しも自分の老化は認めたくない、いつまでも若いときのように走り 飛べると思っている。子供の運動会でよくアキレス腱を切り、正月には餅を喉に詰まらす人が後を絶たない。交通事故では、これならまだ渡れると思ってはねられると言う。

「年寄りの冷や水」という言葉もあるじゃないですか、身体を他人と思って、意思疎通をはかりやしょう。  それがおじいさんの生きる道。

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2005年6月 8日 (水)

W杯出場 おめでとう

    サッカーのワールドカップ

                出場決定おめでとう

P1010030 ワタナベツネさんが、野球 巨人軍の会長として戻ってきたそうだ。

よほど巨人を愛しているうえのことだろうが、彼が発言した「たかが選手、、」は、巨人の今の成績同様、マイナスイメージをさらに加速させるだろう。周りに忠告できる人がいないところには、ほかの会社とおなじ運命にあるものと見た。

自分が静岡に来た約30年前にはサッカーはマイナーの競技であり、静岡の子供たちを中心に熱中するのがよく分からなかった。もちろん、当時でも世界的にはサッカーの方がよほど盛んではあったのだが、、、、。

やはり、一般化したのは Jリーグの発足とワールドカップで解説がいろいろとされたのが大きいが、都市の名前がついたチーム名 後援企業が表面的に口出ししないこと、国際試合に通用する選手 チームになっていることなどがある。一方プロ野球は、選手として活躍したことの無い親会社のおじいさんが牛耳っていることにあるとおもう。実際今の状態がプロ野球といえるのか、実際の運営を親会社に頼っているようでは、実業団野球と変わらないだろう。だから「髪が長いの、染めているの」と細かいことにまで口を出される。

そんな、競技がこの先発展するとは考えられない。同様に大相撲もそうだろう。横綱審議会などが、相撲取りの態度がどうのなんて枝葉のことに文句を言う。もっと相撲を発展させるには日本人だけの国技にするのか、世界に人材を求めるのか。茶屋制度、部屋の経営などに手をつけるのか方針がはっきりしない。

頭の固いおじいさんは、分をわきまえること。貴方が急にいなくなっても会社は、社会は廻っていくものだ

/金は出しても口出すな/   それが大人のあらまほしき姿です。

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2005年6月 7日 (火)

巨木が10本

P1010063 千葉山 智満寺

国の天然記念物 杉の巨木を10本も持つお寺である。

約10年ぶりにこの寺に行ったのは、島田市伊太へ梅を貰いに行くには少し早く家をですぎたせいだ。国1 野田インターで降りて北へ7キロ駐車場から急な石段を折れ曲がり登ると、仁王門いつのものか分からないがかなり痛みが来ていかめしさと言うより痛々しさが先にたつ。創建1.200年とのこと。

引き続いての山門 本堂のいづれも茅葺の屋根を持ち静かな境内には人っ子一人いない。きれいに掃除された境内 鶯が遠くで啼く、裏手に廻ると奥の院登り口とある。これを見るとやはり足がうずく、前は連れがいたので頼朝杉で引き返したが今回は一人。

奥の院までどのくらいかかるか知らないが「イザ 行かん」道はゆるやかに幅広く登りやすい。まわりは目通り3~50センチの杉のおおい森、そして、足元には桃色がかった花ミョウガ(ケセラの花を見てください)が咲いている。時期が良かったせいか、こんなに咲いているのは初めてだ。

約30分 496mの山頂に着く、奥の院は其の少し先にあり、まわりに3本の巨木が見える、屋久島の杉は見ていないので分からないがいづれも800~1200年の風格にはさすがと思わせれものがあり、おもわず幹に手のひらを当ててみた。その後踏み固めた道に沿って歩くと雷杉をはじめ他の杉に出会う。信仰の山として手を入れなかったせいか、伐採した跡もない。

下りは、どうだんばらを廻って下った。案内板の少ないところを見るとリピータ向きの山かなおもう。    行程ゆっくりあちこち廻って2時間ほど。

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2005年6月 6日 (月)

芒種 

P1010041 本日 6月6日は芒種。

田植えを始める時期と言う。むかしは、農業用の暦があってそれにしたがって農作業が行われてきた。地方によっては、山に残った雪形なども目安になったようだ。

しかし、三ちゃん農業、片手間農業と言われるころから、農業は土日に行なわれるため、静岡のようなところでも次第に早くなってきた。

田楽 今ではおでんの語源としかおもわれていないが、ずーっと以前は、農家の大事な舞楽のひとつだった。田んぼのまわりの踊り手に合わせて早乙女が丁寧に一本一本 苗を植えつけて言ったという。

人々が互いに助け合わなければ出来ない作業だったが、機械化された今、各自がトラクター 耕運機 田植え機などを使い土日だけで済ませてしまう。さらに、農業者資格があれば田んぼの売買が、簡単にできるため先祖代々の、、、なんて言わないからまわりの田んぼの持ち主をよく知らないという時代に入った。

人との交際を「うざく」思う一方で、心のつながりが欲しくて新興宗教などに走っていく、一度壊れたものの復旧は難しい。新しいなにかが必要なんだろうね・

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2005年6月 5日 (日)

動くこと 山の如し

疾きこと 風の如く  徐かなること 林の如く

侵し掠めること 火の如く  動かざること 山の如し

ご存知、武田信玄が征旗としてつかい有名になった、孫子の兵法の一節である。当時、山は動かないものの代表であった。

南アメリカ アンデス山脈は7.000m近いアコンカグアを最高峰として南北約8.000Kmに及ぶ世界最長の山脈である。

標高の4.600mともなれば赤道直下といえども、氷河がある。日本でも剣岳の黒部側 剣沢が氷河と言われているが、表面だけでは万年雪と変わりない。ここで見た氷河は足で表面の白い所を蹴ると直ぐ下は青い氷になっていることだった。

自分が仕事をしていたところは、むかし、約2億3千万年前には浅い海の底だったところだ。そのわけとして、現場には頁岩と石灰の互層があり、アンモナイトの化石が出てくることである。この地層が山の斜面に延々と、平行線を書いているさまは、壮観である。

アンデス山脈は、海の底で堆積しながら沈降し、その後太平洋側のプレートに押されて隆起、ついには7.000mの高峰を作るにいたったのである。世界最高峰のチョモランマも元は海底だった時期があるとのこと、

まさに「動くこと 山の如し」と変えなければなるまいて。

 

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2005年6月 4日 (土)

ツバメに興味を持ちました

自分が生まれ育った飛騨北部は、飛騨高原と言われるように山頂部が割合と緩やかになっている山が多い。

東部 信濃と国境を接する北アルプスは違うが、山菜取りに行って方向感覚をなくし全然違う所に降りたり、捜索隊を出したりと言うことがままあった。

そのため、腕時計でおよその方向を知る方法や、谷を下ることは苦しくてもしない、尾根を歩けなどとともに、カラスの声が聞こえたらその方向に人家がある可能性がありスズメは人家から離れないなど教えられたものだ。

カラス スズメのほかに、タヌキ ツバメも人間に寄り添って生きている。とくにツバメにいたっては、人家の軒先に巣を作り子育てする。外国ではコウノトリが屋根や電柱の上に大きな巣を作ると言われているが、これは、先祖代々の学習なんだろうか、それとももう遺伝子に組み込まれてしまったのか?

稲作が日本に入って二千年ほどというし、ツバメが日本に繁殖に来たのは、たぶんもっと前のことと思う、とすると、日本人とツバメの付き合いは比較的新しいものだから、ツバメのほうが人間(日本人)を信頼したことになるんだろうな。

そうすると、他の国ではツバメとどう付き合っているのか興味がでてきたが、誰か知っている人いませんか。

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2005年6月 3日 (金)

せめて猫なみに

P1010116 でんでんむしむし  かたつむり

おまえのめだまは  どこにある

つのだせ  やりだせ  あたまだせ

ここしばらくは、天気がよくないようだ、はしり梅雨というものなのかなァ。

梅雨が似合うというか、思い出すものとは、人によりいろいろあると思う。田植え かえる あじさいにでんでんむしと言うのは絵の題材にもよく使われる。

家を背負ってあるくことから保育園の子供劇などにも使われる愛嬌のある生き物だが、殻が無いだけで嫌われるナメクジとは、親戚関係で野菜などの食害はおなじである。

人により 国により嫌われ度 好かれ度には、いろいろあるが、一般的に嫌われる生き物としては蛇とゴキブリ ねずみなどが揚げられる。これらは、生き物のせいでなく、親 先祖から嫌な生き物として教え込まれたことが、大きいといわれている。

現にねずみは、尻尾さえ違っていればリスに見まちがえるだろうし、南アメリカでは「クイ」といって台所近辺でウロチョロしているのをときどき捕まえて食べている。自分も一度ご相伴にあづかったが、結構淡白で美味い肉だったことをおぼえている。

立場を変えて動物側から見た場合、人間ほど嫌われている生き物は無いのではないだろうか、自分勝手で周りをすべて自分のコントロールのもとにおきたい。

そう、いまのアメリカ合衆国のように。されば日本は動物にたとえるとなにか、言わなくても大体見当がつくでしょう。自分としてはせめて「猫」になって欲しい、食事の時だけ甘え声を出してあとは知らん顔。

「そんなことばかりしてたら、嫌われるがな」「うん、だけどそこがいいって言う人も結構いるがね」

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2005年6月 2日 (木)

ヤヤコシヤナ~

P1010054 静岡 久能海岸の西側に大谷地区といって、比較的最近(30年くらいか)になって住宅化したところがある。この住宅街に接して、池の谷池というややこしい池があるそうな。(行ったことが無いのではっきりしないが、あのあたりは砂礫層がが多く普段は水の無いところなので、古いため池と思う)

この池を、近辺に住む人が埋め立てて公園にしたいといっている。「蚊がわく、付近に住み着いている動物が農作物を食い荒らす」などを理由としている。しかし、新聞によると市民団体からは、自然環境保護から現状維持の声があり、市当局も手をつかねているとのことだった。

最近はこんな例があちこちにある。そこに家を建てたのが悪いのか、よそ者の市民団体が住んでいる人の気持ちも考えずに叫んでいるのか、難しい問題である。

自分がよく行く麻機沼(アサバタヌマ)も近年になって、ダイオキシンで汚染されていることが分かり、あちこちに「水を飲まないで、魚を食べないで」という看板をたてている。ここは以前にゴミ捨て場同様になんでもかんでも放り込んだとの話を聞く。

今年になって調査ボーリングをしているが、遊水地として 自然公園として整備したものの、さて、これもどうするのやら

自然問題は、 ヤヤコシ ヤヤコシ ヤヤコシヤナ~

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2005年6月 1日 (水)

楽まざれば是如何

P1010008 馬上 少年過ぎ  世平ら白髪多し

残躯は天の赦す所 楽まざれば是如何

            伊達 正宗

正宗 晩年の詩として知られるものである。この人は運良く長生きし、大大名として生涯を終えているが、一方では望みを途中で絶たれた不満も残してもいた。

市街地に住む、知り合いのおばあさんがいうには「公園を横切るとき、ベンチに所在なげに男の人が腰掛けている」という。それも、ひとつのベンチに一人。

それぞれ事情が異なっていることだろうが、仕事一途できて趣味はありません、お金は自由になりません、と言う人がかなりいることが想像される。折角天が与えてくれた時期に一人黙って過ごすのはもったいない。

小学生の時の一年間は非常に長かったように思う、それが40 50 60歳と時のたつのが加速度がついて次第に早くなる。物理的には同じ時間なのだから、心理的 肉体的なものなのだろうけど。

趣味のない人は、何でも良いからサークルに入って、見栄を捨てて初心者になること、自分は絵がかけない 字が書けないとはじめに決めずに。

と、立派なことを言う自分は団体行動が嫌いで、いまはやりのグランドゴルフ ゲートボール 野鳥観察会 写生会など麻機沼周辺で行われている活動を横目で見、カメラ片手にただあちこち歩いている。

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