あの人はタフ
「列子」(中国古代の書)にこんな有名な話がある。
ある男の斧がなくなった、隣の男ではないかと疑う。すると、顔つき 動作 言葉が怪しく思えてくる。ところが、しばらくして自分が置き忘れたところから、斧がでてくると、隣人は普通の人に見えてきた。注釈者は、これを「疑心暗鬼を生ず」と説明している。(加納善光氏の本参照)
こんな話は、今でも沢山ある。何か事件があって逮捕された人の写真を見ると一様に悪人顔をしている。普段知っている人はよく「あの人が犯人だなんて、、」と驚いている談話が良くある。
宗教の教祖になるくらいの人は、人を引き付けるだけの何かがあるのだろうけど、ひとつには、役が人を作るという面もある。この人は偉い人と周りが言えばそんな風に見えてしまうものだ。
昔からあるが、ここ10年をとってみてもオーム 法の華や白装束の団体 他にも地球が破滅するなどと、世間を騒がした宗教?が数知れずある。
まわりが、どうしてこんなことに共感し信じるのか不思議に思うことを信じて財産を吐き出し、人を殺す(直接間接問わず)。教祖様にとってみれば、なにか一言いえばがっぽりお金が入ってくるのだから、周りを含めてこんないい商売はない。権威をさらにひけらかすため、税金のかからないお金で大きな建物を造る、どこかへ寄付をして賞状 学位 勲章をもらう。
他人を信用するのは難しい。だまされたと分かればくやしい、被害が出れば返せと訴えなければならない。そんな思いをしたくなくて付き合いはほどほどにしておこう、ということになる。
しかし、いったん難問や不幸が訪れると、相談する人がいないのを知ってか似非宗教が親切顔をしてつけこむ。知人にもそんな人がいて、次ぎ次ぎと来て困ったという。勉強一筋で世間を知らない人、急激な変化で周りが見えないときを狙ってだましのプロが入ってくる。こんな人にかかればいちころ。
「じゃぁ どうする心配だね」 「わしよりはやく逝くことだね」
「そのわしが心配で逝けないよ」だって、あの人はタフだからね。
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