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2005年7月31日 (日)

あの人はタフ

「列子」(中国古代の書)にこんな有名な話がある。

ある男の斧がなくなった、隣の男ではないかと疑う。すると、顔つき 動作 言葉が怪しく思えてくる。ところが、しばらくして自分が置き忘れたところから、斧がでてくると、隣人は普通の人に見えてきた。注釈者は、これを「疑心暗鬼を生ず」と説明している。(加納善光氏の本参照)

こんな話は、今でも沢山ある。何か事件があって逮捕された人の写真を見ると一様に悪人顔をしている。普段知っている人はよく「あの人が犯人だなんて、、」と驚いている談話が良くある。

宗教の教祖になるくらいの人は、人を引き付けるだけの何かがあるのだろうけど、ひとつには、役が人を作るという面もある。この人は偉い人と周りが言えばそんな風に見えてしまうものだ。

昔からあるが、ここ10年をとってみてもオーム 法の華や白装束の団体 他にも地球が破滅するなどと、世間を騒がした宗教?が数知れずある。

まわりが、どうしてこんなことに共感し信じるのか不思議に思うことを信じて財産を吐き出し、人を殺す(直接間接問わず)。教祖様にとってみれば、なにか一言いえばがっぽりお金が入ってくるのだから、周りを含めてこんないい商売はない。権威をさらにひけらかすため、税金のかからないお金で大きな建物を造る、どこかへ寄付をして賞状 学位 勲章をもらう。

他人を信用するのは難しい。だまされたと分かればくやしい、被害が出れば返せと訴えなければならない。そんな思いをしたくなくて付き合いはほどほどにしておこう、ということになる。

しかし、いったん難問や不幸が訪れると、相談する人がいないのを知ってか似非宗教が親切顔をしてつけこむ。知人にもそんな人がいて、次ぎ次ぎと来て困ったという。勉強一筋で世間を知らない人、急激な変化で周りが見えないときを狙ってだましのプロが入ってくる。こんな人にかかればいちころ。

「じゃぁ どうする心配だね」 「わしよりはやく逝くことだね」

「そのわしが心配で逝けないよ」だって、あの人はタフだからね。

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2005年7月30日 (土)

いまさら直せない

自分たちが使う文字、漢字は象形文字といって、ものの形を図式化したもので、主として人の状態(老人 女 赤ちゃん) 身体(頭 顔 手足) 自然(動物 植物 天地)そして文化(衣食住 道具 家具)を元に記号化したものであるという。

日本には、古代からいろいろな機会に文字が中国から輸入され、はじめは、日本の言葉を漢字で表現する万葉集のような方式がとられたが、平安時代初期になってその一部をとったカタカナ 草書体のように崩して作ったひらがなが出来るなど日本独自の発達をとげることになった。

しかし、漢字そのものは基本的に変化が少なかったので、自分の父親が日中戦争で中国の上海から武漢に送られた当時は、筆談でかなり細かいところまで通じたと言い、「同文同種」と言う言葉が実感できたと言っていた。

しかし、自分が90年代に香港や揚子江付近のツアーに行ったときは、これが漢字?と言わせるほど略字化され、見当も付かない記号が多かった。戦後日本でも漢字が簡素化され、いまでは共通する漢字はほんの一握りになってしまった。

さて、この文字 自分なりに思うのはきれいに書くというのは、絵描き 楽器を使う人のように、先天的なものがあるのではないかと思う。

自分のように悪筆家は、どう書いても納得できる字からは程遠い。小中学校を通じて正月の宿題に書初めがあり、提出すると金 銀 赤の紙が張られて、廊下にはりだされるが、万年赤紙でありその年初めの屈辱であった。

いいかげんに書いたものでなく、親にしかられながら何回も「しんぶんがみ」で練習し「せいしょがみ」何枚か書いたものうち一番良いと思うものを出してさえ他の人に比べればあきらかに落ちる。

な~んでか、それはね、字のバランスがとれないことにあると見た。藤原定家や弘法大師などはもとより、近所の習字の先生を除いても、いわゆる最近の味のある文字、といわれる人のものは、一字一字(部分)を見ると上手ではないものがあるのに全体として形が出来ている。

比べて自分の字は、一行にすると蛇のように曲がりくねる、右肩あがりや左肩あがり、大きな字 小さな字 角ばった字 角のない字など変化に富む。いや、富みすぎてそれそれが自分を勝手に主張している。

題して、民主主義文字という。でも、自由のない全体主義よりはよしとするか。

いまさら、直せないものね~

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2005年7月29日 (金)

ヨテツンボ

P1010093 子供たちが夏休みに入ったとたん、蝉の声が一段と騒がしくなったような気がする。

ハルゼミに始まってアブラゼミ ニイニイゼミ クマゼミ そしてツクツクホウシ カナカナとヒグラシが鳴く頃に夏休みが済む。

白いタモを持って子供たちは近所の大木を見上げて探す。

まだ蝉の方も警戒心が強いらしくなかなか捕まらないようだが、なかには、蝉の上手をいく子がいて、これみよがしに虫かごをゆすって、ジャージャーと鳴かせて小一坊主をうらやましがらせて通る。

何回も失敗しながら、蝉の飛び方 タモの差し出し方、腕を上げていく。蝉のおしっこを何回かけられたと自慢げに話す。

もう少しすると、蝉の方も短い恋の季節、相手の関心を引くことに熱中し、子供に対する警戒心が薄くなると、素手でも捕まえられるようになる。とたんに子供の関心は低くなる。やはり、難しくないと興味はわかないのだろう。

しずかさや いわにしみいる 蝉の声   ばせう

話が少しとぶ、じつは自分の耳の中にアブラゼミが住み着いている。しかも、年がら年中。自分のは一定の音、調子で「ジー」鳴く、人によってはミンミンゼミ形 川の流れ方 などのほかいろいろとあるらしい。

出て行ってもらいたいが、なかなか言うことをきいてくれない。健康診断の医者さまに言わせると「死ぬまででていきません」という。

長年騒音職場で過ごしてきたせいでなった職業性難聴に、老人性難聴もはいってきたと言う。普通会話が出来る状態では職業病にもならないので、適当に折り合いをつけてください。とつれないお言葉。

しかし、自分にとっては四六時中「ジー」となっているのは気持ちの良いものではない、普段ほかに気をとられているときはいいのだが、静かになると耳の奥というか、芯というか音がする。

漢方薬で治してはと薬局のチラシにあったが、「真光源」?だったかの例もあり、いまひとつ信用できない。

テレビの音が高いと言ってしかられ、話し声が大きすぎると言っては注意される。しかし、耳の悪いことで、ひとつ利点も出来た。都合の悪い話は聞こえないふりをしてやりすごすこと。

飛騨ではこのことを「ヨテツンボ」という。つまり、、、、 いうまでもないか。

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2005年7月28日 (木)

ゆめは獏に 霞は仙人に

今朝 起きてみたら足首に違和感がある。きのうの山登りで軽いねんざをしていたようだ。

「いやだね、年をとるってことは、ねんざや筋肉痛が2~3日しないと出てこないんだから、、、、、聞いてはいたけどさ」

それで、今日の散歩はいつもの半分くらいにしておき、他人のブログを覗いてみた。みなさん若い、わけの分からないものがかなりある。向こうから見れば自分のはくだらないことをぐだぐだ言っている。となるかもしれない。しかし、コメントの多いブログは正直いってうらやましい。

さて、そのなかのひとつに、こんなのがあったので、書きとめた。

夢をあきらめてはいけない  あきらめたところでストップする

やる前からあきらめたら 何にもならない

夢をいっぱいあきらめ、つぶしてきたおじいさんからみると

P1010056 夢は夢として心の中に持っているから夢なのであって、

状況により あきらめ転進するのも進歩である

自分の夢のため周りが見えなくなるのははた迷惑

夢はしばらく こっちにおいといて と言う気持ちになれないかい。

と、のたまう、が、じいさんもかなり周りに迷惑をかけてきたのでここは小さな声で言う。

夢を追いかけて、、、気の向いた仕事がしたくて、、、と、結局はフリーターやニートに逃げ込む。

夢を食べるのは獏に、かすみを食べるのは仙人にまかせなさい。彼らはそのほうのプロだから、、、、

(写真、夢やぶれ?ボロボロになった羽で蜜をもとめるアゲハチョウ)

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2005年7月27日 (水)

ヤンブシ(2,014)

P1010065 山伏岳(2,014m)安倍川を囲む山の中では一番の高さを誇っている。

山伏が当て字か、ヤンブシがなまりかは知らないが、一番高い割にはすぐそばまで自動車で行けるのと、なだらかな斜面の山のため四季を通じて登る人が多い。

台風一過 雲もほとんどない澄み切った青空が広がる。竜爪山にしょうかと思ったが、先日インターネットで山梨の櫛形山のヤナギランが咲き出しているとのことだったので、ヤンブシに登ることにした。

早速支度にかかっていると、水道工事の見積もりに立ち会ってくれと電話があり、出発できたのは10時を過ぎてから、、、、、

雲の増えた安倍川沿いの道を気あせりしながら富士見峠 大日峠そして百畳峠の駐車場に着いたのは、11時半。先客は軽自動車2台、さすが、こんな日は勤め人は来れないなと思いながら支度する。

15分ほどで、市営の山小屋(といっても小屋があるだけ)ここまでは、つい最近草刈をした模様で道が広々としている。

先客の声を支度しているときに聞いたので、追いつかないようにとゆっくり登ったが、先客も自分同様デジカメで草花などの写真を撮りながら登っていて、心ならず追い越す、そしてまた、小さな子供ずれを追い越し、いつのまにか普段の急ぎ足山登り(自分なりの)になってしまった。

30分ほどで、西日影沢からの道と合流、45分ほどで立ち枯れのもみの木,低い笹原そしてヤナギランが売り物の頂上に到着。富士山や南アルプスはいずれも低い雲に頂上を隠している、愛鷹山、富士から沼津にかけての千本松原は見えるのに、、、、空は八割かた雲に覆われている。コンビニのおにぎりを取り出して食べながら1時間、倒木に腰掛けて待ってみたが富士山をはじめ、山々はベールをはずして素顔を見せない。

わし  「お宅らの顔なんて、とっくの昔に知っているんだ、いまさら隠してもしょうがなかんべ」 

おふじさん  「しつっこい人きらい、今日はいいかげんにして帰んなさい」なんて飲み屋のおかみさんみたいなことをいう。

ヤナギランも、空振り三振、桜なら「つぼみかたし」の状態。10年以上前になるが日影沢から初めて登った時は、まるで、明るい紫の帽子をかぶった状態だったが、最近は年々面積も数も減らしてきている。荒地の先駆植物としては仕方のないことかもしれないが、今年もみるかぎりでは少なくなっているようだ。

先客も遅れて上がってきたのに、すでに下山している。自分も腰を上げるとするか。

帰りは、大日峠から口坂本に降り、温泉で汗を流して帰宅。

(いま、この道路は工事のため通行時間の制限をしている。また、この付近には虻が大量発生しているため、野天風呂に入った際は注意が必要です)

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2005年7月26日 (火)

風雲急を告げる

台風7号もどうやら無事すぎてくれたようで、ひとまずは御同慶といったところです。前評判では500mmを越す雨が降りそうだと言うことで、心配をしたところですが、、、、、

むかし、天気予報がなかったころ、地上には何の異変もないのに雲の流れが速く、嫌な予感をさせるときに使った言葉がはじまりのようですが、近年になって闘いの前の状況もいうようになりました。

7/11日の「心頭滅却すれば」7/19日の「安倍城」でご意見をいくつか頂きましたので自分の歴史観(そんな大げさなものではないのですが)を一言。

P1010033 まずひとつ、近代までの歴史書は、勝った側の見方で書れているため、そちらを正当化しょうとかなり細工してある。

つぎに、琵琶法師や次の講釈師や軍談師により、大衆が喜びそうな方向に話が移っていったため、史実と違っていたり、中国の故事来歴を紛れ込ませていて荒筋以外信用できない部分あり。(平家物語、太平記、甲陽軍鑑など)

そして、明治以降に皇国史観でまた話が捻じ曲がっていった。

たとえば、NHKの「そのとき歴史が動いた」など見ていると騎馬武者が刀をふるってチャンチャンバラをやっているシーンをよく放送するが、長野県の開田村に行って、日本古来の馬を見て、これに、鎧兜を身に着けた武士が乗って走り回ったとは想像できないはず。

もちろん、馬も全てが小さかったわけではなかろうけど、豪勇の武士も身体が大きかった筈。しかし、撮影のため紙製の鎧を着けてサラブレッドにのって短距離を走るのを本当と思ってはいけません。

鈴木眞哉というひとの「刀と首とり」と言う本によると、戦国時代の戦闘は馬から下りて槍で闘ったことが軍功状などからわかります。つまり主たる武器は刀ではなく槍だったのです。(余談ですが、ヨーロッパの騎馬武者は馬にも鎧をつけている)

快川和尚が、敵の火責めに会い大騒ぎの最中、「心頭滅却すれば、、」は誰が聞いたのでしょう?紙に書いたものなら戦火の中誰が持ち出せたのでしょう?

P9280012 安倍城は、対岸の同じ時代の賎機城に比べると、壕などの遺構がはっきりしていない、無理にここに何があった筈として、立派な城に見立てているのではないだろうか。室町時代の城主はいずれも麓に住んでいて、山城は見張りをするか最後に逃げ込む場所が多かった。そんなことを思いながら前回の記事となった次第です。

きょうは、すこし生真面目に書きすぎて、我ながら面白くもなし。失礼

 

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2005年7月25日 (月)

死んだらどうなる

自分が死んだらどうなるか。 いえ、霊界の話しではないんです。

台風直撃の予想とあまりの蒸し暑さによる精神の錯乱と、とっておいてください。

今日も散歩先で話したんですが、テレビを騒がしている若貴兄弟や中尊寺ナンとかという漫画家の争いも、結局は遺産をめぐる争いだったようです。

日本はむかし、家の財産は長男が独占してつぐ、というのが慣例としてあり、遺言を残すと言うのは、その家になにか特別な事情がない限り、まず書かれるということはなかったようです。

戦後、民法が改正され、遺産は決められた割合を原則にして、兄弟が平等に継ぐ、相続税もかなり高率?で課せられるため、どんな財産家でも金持ち三代と言われるようになったという。

さて、自分の場合幸いにしてというか、不幸にしてというか、健康以外にこれと言ったものがなく、国に持っていかれるようなはめには会いませんでした

いまも財産はない、だからどうでも良いことですが、日ごろ健康に見える人ほどコロッと死ぬと言うから、遺言でも書いておこうかな、と思うときもあります。

しかし、ろくに財産と言えるものがないその日ぐらしには書く事がありません。となれば思い切って大法螺を吹いておくとしましょうか。

一億円の預金証書はだれに、東京麻布の土地はだれにとか、書いておく。ある場所を指定せずに、すると皆して小さい家の中を上へ下へとひっくり返して大騒ぎ、おかげで家の中はきれいさっぱり片ずいてしまう。なんてのはどうかな。

それとも、見透かされて「あのボケじいさん、最後の最後までかき回そうとして、、、」と鼻にもかけられないのか。まず、その可能性 大。

しかし、幕末の小栗上野介の例もあるように、もしかしたらと言って縁の下や墓まで探しにくるやつもいるかもしれん。そんときゃ、霊界から出てきて「お前ぐらいだよ、わしを信じてくれるのは」といってドタマ一発はりたおしてやるとしましょか。

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2005年7月24日 (日)

あこがれのハワイ航路

P1010051 あ あ~あこがれ~のハワイ~航路 と 岡 晴夫が歌ったのは戦争がすんでまもなくのころだった。

外国へ行けるはずもない時代に、明るく突き抜けたような歌声は当時子供心にも印象的だった。

中国の元が切り上げられた、とマスコミや投資家 金融界がさわいでいる。経済のことは全然分からないが、聞くところによると完全相場制でなく「管理フロート制」というもので、上げ幅も2%程度っていうから、将来どうなるかわからないが、政府が管理する相場ではそれこそ「なにをか言わん」でないか。

そこで、思い出したのは昭和31年だったと思うが、アルバイトで砂を箱に入れて担いだ記憶がある。当時はなんでも人力で仕事するのが主流の時代。一日汗みずくになって50mほどの高さまで何回も担ぎ上げて240円だった。

戦後日本の対アメリカの為替レートは1ドル360円。これでも、高いと言われたそうだが、円は360度だからと決められたそうだ。それほど、戦争により日本は疲弊していた。

肩にくいこむ背負い紐とやけつく太陽のもと「アメリカでは、皿洗いでも一日5ドルになるんだってよ、自分たちはこんなに頑張っても1ドルにならないんだよな~」と話したのを憶えている。

当時、不況で増え続ける失業者の対策のため、国が土木工事などを失業対策として直接行なっていたが、そのときの賃金が百円札2枚と十円玉4コだったことから、失業対策労働者は、自虐的にわが身を「ニコヨン」と言っていた。

自分が海外の仕事に放り出されたころ、円が完全相場制になってすぐの頃でいきなり300円前後に跳ね上がり日本経済はだめになるという悲観論で満ちていたほど、変動はおおきかった。

しかし、かの国にでかけてみると、経済的には天国だった。当時、家族には基準内賃金が支払われているうえ、自分たちには一日当たり30ドル(9.000円)の日当がでて、現場では一日2ドルの食費を支払うだけ、山の上では買物するにもろくにないといった生活だった。

それから、20年「ガーナで仕事しないか」と言う話が来た。聞いて見るとやはり一日30ドルという。「とてもじゃないが、一日3000円にならない手当てじゃ無理だね」といってことわった。

同じ頃、ハワイへ観光旅行に行ってきた。あこがれのハワイ航路も船から飛行機へ。現地では日本インフレといって、ブランド品探しでじゃぶじゃぶお金を使う嫌味な日本人であふれていた。

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2005年7月23日 (土)

草むしり戦争

P1010050 今日は大暑、草木の勢いが1年の中で最も盛んな時期と言う。

我が家の小さな庭でも雑草と草むしりおじいさんとの闘いが連日続いている。(写真は牧の原から採ってきたマンリョウの花)

むしっても抜いても生えてくる草は、強い日ざしと蚊を応援団にして勢力の拡大をはかる。

一方、おじいさんは、防虫剤 麦わら帽子という鎧兜に身を固め、雨蛙 沼蛙 とかげを蚊に向かわせる作戦をとるが、これら生き物はおじいさんを信用していないので、こちらの連合軍はおじいさんの構想どうりにはいかない、つまり、団結力がなくバラバラ。

したがって、おじいさんの方が、ぐんと旗色が悪い。「コンチクショ/ 秋には反撃するからな/憶えておけよ」と、捨て台詞をはきながらクーラーの効いた部屋へ逃げこむ。

おじいさんの趣味のひとつに山野草の栽培?がある。といっても、いまはやりの高山植物や希少植物ではない。山菜摘みに行った時などに一株引っこ抜いてきたものが多い。理由としては、いま山ではどのくらいか成長しているかを知る目安のためである。

ところが、この山野草の強いこと、きびしい環境にいただけあって、あちこちに種を撒き散らす、いま庭にはみつば マンリョウ すみれ ほととぎす 明日葉 つわぶき が、とんでもない所で顔をだし、始めは「かわいい~」と思っていたがなんのなんの、あまりの繁殖ぶりに最近では、雑草同様 むしり捨てられている。

ひきかえ、園芸店で買ってきた花の弱いこと大事に水遣り、肥料、日差しと手入れしていてもすぐに枯れる。植木市で「この花、上手に育てるにはどうすればいい?」って聞いたら「そんなに上手に育てられたんじゃァ、俺たちの商売上がったりだよッ/」と冗談とも本気ともつかん返事が返ってきた。

子育てに相通じる所があるという植物や愛玩動物。植木市のおっさんみたいに教育関係者に言われたら、、、、、、

「さァ どうする?」

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2005年7月22日 (金)

テロップのついたお笑い

先日テレビで若手おわらい芸人がたくさん出演する番組を見ていて驚いた。

画面の下に、話すことが文字で書いてある。これは、書かなければ誰も分からないないほどはっきりしない発音なのか、それとも、われわれ高齢者に対する放送局の親切か?

とにかく、画面の中で日本語を話しているはずだ。そして、文字を見てて思ったのは鼻先でフフンと笑うことはあっても、声を出して笑う、まして、ひっくりかえるなんてのは、感受性が薄くなったのかここしばらくは見ていない。

この芸人たちは、いま、お笑いブームだというが、少し前のコント55号や海原お春小春、夢路いとしこいしなどの若いときにくらべてもかなり落ちる、芸人と自分の年の差かもしれないが、、、、、(彼らは自分のことをピン芸人と言っていた)

3年ほど前、機会があって「平家物語」をビワで聞くことができたが、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」だけで1分ほどかかった。これは、逆に今どこまで進んでいるのか、解説書をみながら聞かなければならなかった。

パンフレットによると、平家物語全編を聞きたいと思うと2~3ヶ月はかかります。とあった。このテンポが江戸時代の人にはあっていたのか、自分たちの若いときも、やはり最近はしゃべり方や歌が早すぎると言われた。

江戸時代の人を今の世に連れてきたとしたら、これが日本の言葉か。歌はむやみやたらと太鼓を叩き、人は吠え 悲鳴を上げているだけではないか。というだろう。

これが、進歩と言うものか、置いてけぼりを食わされそうなった落ち葉のつぶやき。

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2005年7月21日 (木)

すりあう袖がない

P1010026 早いもので愛媛県の別子銅山の坑内に入ったのは、30年も前の話になる。

たしか、閉山の1年前のことことだったが、採掘現場は海面下950mと言っていたように思う。下へ下へと銅の鉱脈を求めて掘り下がった切り羽は、やく2千メートルの岩盤の圧力を受けて、坑道の側壁が「山はね」といって、薄くはじけるようにはがれる状態になっていた。

そして、この圧力のため岩盤の温度は50度にもなっていた。もしここに水が流れていれば掛け値なしの立派な温泉になっている。

むかし、温泉と言えば火山の近くというのが相場であったが、ボーリングの技術が発達したお陰で、千メートル程度のところに水脈があれば、どこにでもあることが分かり、日本中温泉だらけになった。

とくに、最近は断層帯で、岩盤がこすれあって熱を帯び、こすれた部分が粘土化し、鉱物が溶けやすくなっているところが有望と分かり、航空機で空から探すのが主流のようだ。

このようにして出来た温泉は、早く元を採ることが至上命令となり、昔みたいに湯治場、自炊などで、長逗留する施設にはならないし、人間もせっかちになって「いい湯だな フフン」とはいかない。

女湯は残念ながら、小学校に入った頃から入っていないのでわからないが、男湯ではめったなことでは、言葉を交わさない。「袖すりあうも他生の縁」というが、袖を脱ぎさっているから無理もないか。

海外の事情と言っても自分の場合、お定まりのアンデス山中しか知らないが、温泉のあるところにプールのように大きくて深いものをつくり、水着着用で入るように出来ている。

石鹸 シャンプーは使わないし、身体に皮膚病のある人などが沢山いるため、混浴を期待して行った自分は、温泉のふちで呆然と立ったまま帰ってきた思い出がある。

その話を、他の国へ行った連中と話したが、どうも、そのほうが世界の常識のようだ。

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2005年7月20日 (水)

夢の。。。。。

梅雨明け三日、というのにすっきりしない天気が続く。蒸し暑さに弱い自分としては、きわめて気分が悪い。そこでまた八つ当たり。

PCB 、フロン、 ドライクリーニングのトリハロメタン、そして今問題になっているのがアスベスト(石綿)。いずれもむかしは、夢の。。。。 理想の。。。。といわれてきた品物である。

それが、環境に 健康に悪い影響を及ぼすものだと言うことが、外国の文献などに発表されから、かなり時間がたって日本で騒ぎ出す。この遅さはどこから来るのか、非加熱血液製剤によるエイズのときもそうだった。

原因はほとんどみんなが知っているが、自分だけは大丈夫というと言う考えからかあまり大きな騒ぎにならない。

一方、癌などの難病に他国で使われている薬品が保険薬品として、認可されていないため、使えなかったりする。安全と言うことに時間をかけたほうがいいのか、外国で安全としたものは早く認可すべきか、これも、悩ましい問題だ。

アスベストが、肺に入り組織を繊維化することは、以前から分かっていた、むかし鉱山で粉塵を吸って、やはり肺に結節ができる職業病で「けい肺法」と言う法律があったとき、すでに炭肺 アスベスト肺があり、昭和40年代に入ってからだと思うが、まとめて塵肺法となったように記憶している。

そして、いまけい肺 炭肺患者が少なくなった中で、アスベストの被害者はかなりの数になるようだ。そのうえ、有毒とわかっていながら被害を受ける人がこの先まだ沢山出そうだとなると、アスベストの回収 破棄もひと問題となる。

科学万能といわれるこの世の中、夢の物質だの、究極の液体だのといわれたら眉に唾つけてかかってみよう。

ついでに、「ぜったい儲かります」という金融商品「身体に良いといわれている」健康食品も付け加えて、、、

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2005年7月19日 (火)

安倍城 オカンジャケ

P1010035 バタンッと大きな音をたてて車のドアを閉めたのに、すぐそばの梅畑でコジュケイが「チョットコイ ちょっと来い」と啼く、足ごしらえをして「さあ」というとたんに、花火が「ドカン ドカン」と二発あがる。べつに自分のために上がっているのではないが、幸先よし。

そう、今日は静岡の古刹 洞慶院(トーケンさん)の縁日である。そこの名物オカンジャケが目当てだが、その前に「安倍城」まで行ってこようと言うのが今日の予定。

朝7時、駐車場には2台しか入っていないので一番隅っこの邪魔にならない所に止め、お寺のわき道にはいる。檜の根が縦横に走る山道には、不規則に線彫りの観音様が、33番まで建っている。いずれも、彫りが浅いので○番と仏像がわかるだけ、たぶん、寺の持ち山だけなんだと思う。 最後の観音様は、15分ほど上がったところでおしまい。ご縁がありますようにと五円玉一つあげて先へいく。

登り始めて30分位か?増善寺から上がってきた道と合流する地点(久住砦)から、岩質が変わる、それまでは風化した砂岩泥岩で明るい茶色だったが、以降は黒色の頁岩砂岩になり、岩も硬くなる。

このころから、Tシャツも汗まみれ、木立のせいばかりでなく風が全然なく蒸し暑い。目に汗が入り痛い。一服のあと、標高差50mほどを降って再度登りに入る。

ようやく435mの山頂に着く、どでかい石碑が鎮座ましましている、現市長の署名があることから、古いものではない、こんな石(1トン以上はある)をどうやって上げたのか、そのほうが興味がある。少し離れて建つ現地の石を使った供養塔の方が奥ゆかしく思えるのは自分だけか?

この城は南北朝の頃南朝の味方をした狩野氏の持ち城だったというが、防御面でではたいした施策のない様に見受けられる。今川氏にこの地を追われる際にもここで闘ったと言う記述はない。史家は話を面白くするためやこうあって欲しいと言う希望をいれ、ときどき講談師みたいになることがあるので、要注意。

汗みずくになって、降った洞慶院には、中年を過ぎたおばあちゃんがいっぱい。竹を叩いてつぶし、繊維状になったところに、赤 白 黄色と派手な色をつけた「オカンジャケ」(魔よけ 厄除けの道具?)を一本頂いて帰る。

登りが1時間ちょっと、降りで40分くらい、休憩含めて2時間ちょっとの山歩き。

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2005年7月18日 (月)

夢の吊り橋

P1010028 梅雨が明けたんでしょ、天気予報みてもこの一週間傘マークがないよ」ってんで、いいに加減に走って寸又峡温泉までいってしまった。

出かけるときは、「口坂本の温泉がやけどにいいよ」と聴いていたので藁科川沿いに上っていたが、途中で暑くなりそうだから山の上に上ろうということになり、コースを変更し山越えで千頭に下る。ここまで来たら長いこと寸又峡温泉に行っていないから行ってみようか。となった次第。

温泉街手前の大きな駐車場は、予想に反してガラガラ、木陰のある場所に車を止めて右左に旅館などを見ながら歩道をあるく。

人通りは当然ながら少ない、軒並み「日帰り入浴可」の看板を見る。町営の露天風呂が400円だからあまり高く出来ないらしく、600円。温泉街も厳しいようだ。しかし、どこも、休憩は出来ないように見えた。(ここも休憩できる施設ができたら、、、)

温泉につかる前に、この地の目玉である「夢の吊り橋」にむかう。すれ違う人もボツボツと、家族連れ 男女のペアばかり、団体さんはいない。

天子トンネルちょっと大時代的すぎる名前を抜けるとすぐ下に大間ダムのエメラルドグリーンの水と吊り橋が目に入る。今日は太陽の加減もあってよりあざやか、絵の具をぶちまけたよう。道路から40mくらい下になるか、階段をふくむ歩道を降って橋のたもとに着く。

嬌声をあげながら渡る若い男女に内心毒づきながら対岸まで行って帰る。

かるく一汗かいたところで、「美女づくりの湯」にはいる。温泉は単純硫黄泉なのだが、濾過しているため、匂いも薄い。自分としては余計なことをしてくれない方がいいと思うんだが、それとも「源泉掛け流し」をひとつ作り足すかしたら違うんじゃないかな。

おかげで美女のなりそこなった。「うん? おれは男だよな、この場合どうなるの?」  「オカマだよ」

外の出て、ふとみると谷むこうにあったホテルが跡形もなくなっていた。

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2005年7月17日 (日)

あとの祭りさ~

   おまつりすんで日が暮れて  

   冷たい風が吹くは夜は

   、、、、、、、、、、、、、、、、

   ほんに切ないため息ばかり  

   いくら泣いてもかえらない

     いくら泣いても、、、、、

鉄をつかった道路橋の談合問題が世間を騒がしている。

今回は道路公団の幹部が天下りしたその先で行なったことが中心のようだが、それを見越して受け入れた会社、先輩と癒着した公団職員ががっちりと組んだ仕組みであることは誰の目にも疑いのないところである。

そして、鉄の橋だけでなくあらゆる所にこのピラミッドが出来上がっていて、何時になったら解決するのかしないのか。

水戸黄門の8時45分頃のように印籠を出して解決して欲しいのだが、いつもの汚職事件のように自殺者が出たところで「助さん 角さん もういいでしょう」と仕舞われる可能性がおおきい。

「明鏡止水」 水がゆらいでいては、きれいな月が水面に写らない。しかし、現状はヘドロがたまりすぎて、悪臭が鼻をつき月を見るドコロではなくなっている。

流れる水は腐らない、しかし、月は写らない。たぶん公務員の上級職に合格し、なにもできなくても、エスカレーターに乗り、あがるだけ上がった挙句のことでしょう。

「山高水長」 前例だけを踏襲し、何もしないで過ごせば、なんとか勲章だったはずなのに、、、。まわりにおだてられ、自己過信状態になった人が告訴されたら、どんなに悔やんでも

     あとのまつ~りさ~

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2005年7月16日 (土)

孫の孝養(効用)

ばあばの気持ちはいざ知らず、じいじの場合。

小学校1年、いまのところ一番下の孫が「じいじ、さかなとりにいこう、そしてざりがにもいたらとろう」という。

じいじにとっては、渡りに船。普段でも散歩の途中、側溝や用水などを覗き込んで小魚やざりがに、源五郎などをあちこちでみている。しかし、一応世間体もあって、釣竿やたもをもって歩き回るのも、チョット気恥ずかしい。

きょうの蒸し暑さも苦にならない、孫の世話と称しておおっぴらに水路をかき回し、「どれ、そこはこうするんだ」とたもを取り上げ泥んこになった。

あとわずか あとわずか 孫が知らず知らずにしてくれる孝養。

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2005年7月15日 (金)

ALMACEN (アルマセン)

Almacen (正確にはeの上にダッシュがつく)とは、スペイン語でアルマセンと読み百貨店をいう。ちなみに、マーケットはメルカードいいます。

ペルーについてすぐの頃、ちいさなアルマセンに入って魚の缶詰めを指差して魚と言う単語が分からないため英語で「フイッシュ?」と聞いたところ、むこうは「ノ フレスコ」という。再度聞いても同じ答え。つまり、むこうさんはフイッシュを新鮮か?と受け取り缶詰めは、「新鮮でない」と答え、結局はその繰り返しで買い損なった。

かの国の庶民はこの国に来た以上この国の言葉を話せ、他の国の言葉なんて覚える気は毛頭もない、フランス人がその典型と言われているそうだ。日本人みたいに外人がくると言葉ができないと言って逃げることはしないようだ。

いまひとつ、アルマセンでは、店の棚に並んでいる商品を買おうと思って店員の所に持っていってもすぐに手に入れることが出来ない。

店員は、品物を受け取り奥に入る。かわりに紙切れを持ってきて会計に行けと言う。そこで会計(Caja)に行きお金を払うと別口から品物が出てくると言う仕掛けになっていた。

これは、じれったい上愛想の無いものであるが、店主が店員をまったく信用しないことの証明である。現場でもそうであったが、なにか間違えても「悪かった」「すみません」と言う言葉や責任を取ると言うことを忌避するお国柄。(とくにかの国ばかりでなく中南米全体。いや、フランスでもそんな店があった。)

昔から人は「性善説」と「性悪説」で議論してきたが、まだ結論は出ていないようだ。自分はどちらかと言うと「性悪説」かな?。なぜなら、悪いことをしないようにと、自分自身を随分おさえてきたように思うから。

赤ちゃんは、けっして天使ではないッ/  可愛いい可愛いいで赦していると、とんでもないことになるよ。

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2005年7月14日 (木)

僧走?坊走?

12月を師走というなら、7月はさしずめ僧走(ソウワズ ソウソウどちらでもよい)いや坊走(ボウソウ)の方が良いかな。

いま、あちこちで墨染めの若い僧が自転車や自動車で走り回っている。

7月15日を、仏教界では盂蘭盆会といい、亡くなった人が帰ってくることになっている。

旧暦では、今年のお盆は8月19日だが一般には旧盆は8月15日におこなわれる。また、富山県八尾では9月1日を風の盆として行われるところから、お盆とは、向こうの都合ではなくこちらの都合で行なわれる行事である。

ということで、我が家も静岡に来てから7月15日の盆をうけいれ、昨日 今日と迎え火を焚いた。いま、親二人を含めて先祖が家にいるはずなので、ちょっと静かにしなければ先祖様ににらまれるのだ。

なにしろ、もうすぐ先祖様と同居しなければならぬ身、いまのうちに手を合わせておかないと後々意地されるから。

「なに、手を合わせるより、揉み手だろうがッて?」

このほかにも、先祖様は春秋の彼岸には墓に来ている。草葉の陰で泣いている。と言われると65歳にもなって修行が出来ていない自分はおろおろとして「ご先祖様いまどちらにいますか」とたずねる。

亡くなった人も、今までどうりのつもりで、8月の盆に帰ってみると、迎え火もなく、どっかへ遊びに行って家にはいない。となると、行き所がなく柳の木の下でたたずむしかない。ひとりでたたずむのならまだしも先祖代々にたたずまれると、これまた壮観だろうな。(失礼しました)

      

      色不異空 空不異色 

      色即是空 空即是空

 

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2005年7月13日 (水)

たまたま見た NHK教育

P1010016 本日の記事のため、自分は683円をはたいて本を一冊購入した。

理由は、NHK教育(自分もときどき見るのだ) 月曜日の夜10時半からの番組、タイトルは「日本一多く木を植えた男」 宮脇 昭さんの講演だった。はじめは、なにげなくチャンネルを合わせただけ。

みると、丸くていかつい顔、無表情で口を大きく開けないしゃべり方、印象はよくない。が、ほかに見たい番組もなくそのままにしていた。

見ているうちにこのひと、偉い学者さんのようだが、タイトルどおり世界各地を含めると千五百ヶ所でともに植えた幼木が三千万本に及ぶという実践者でもある。それもただ植えただけでなく、その土地に合った古来の森の復元のようである。

この人の話を聞いていて日ごろ不思議に思っていたことが、ひとつ解明できた。

古来日本の本州太平洋側の低山帯は、常緑広葉樹林帯であり、杉松など針葉樹は先進植物として岩盤に近い尾根や山頂部などに茂っていたのだそうだ。それを建築資材にするため、とくに戦後になって、杉 ひのき 松など人工林にしてしまったことに根本的問題があるという。

山は、どんぐりなど実のならない木で覆われ、減っていると言うのに熊 鹿 猿が食べ物を求めて里に下りてくる。花粉の飛散が激しくなる。そして、広葉樹はその根を深くまっすぐに地中に入れ土壌をわしづかみにするのにたいして、針葉樹は根を平板状に発達させ、根が浅いから土砂崩壊に対して抵抗が低いと言う。

静岡に来て地すべり対策工事と言うと畑地化して木のない場所や杉林が多かった。ことに杉林では、手入れ不足で地面に日が差し込まず、腐植土もなく石がむき出しの所が多かった。地すべりが杉林で多いのはこのせいか、ナットク//

広葉樹林の保水力は、針葉樹に比べて格段の違いがある。台風のときの倒木、崩壊も植林地帯が圧倒的に多い。まさに人災だったんだ。

宮脇さんのいう、植えてはいけないところに植林したことが原因であると言うことがわかる。これからは、広葉樹の間をすこし遠慮しながら立地条件がよく、管理できる場所にうえるべきであろう。

公費をつかっての地すべり対策、ボランティアを利用した整備も聞くが、もっと林野政策をしっかりすべきと今ごろになってらおじいさんは教えられた。

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2005年7月12日 (火)

朴葉 木っ端 焼き石味噌

  小原庄助さん なんで身上つぶした

   朝寝 朝酒 朝湯が大好きで  

  それで身上つぶした あ もっともだ もっともだ

言うまでもなく民謡「会津磐梯山」のはやし言葉である。

昔の人はこのくらいのことが、贅沢の極みだったのだろうか。今どきのニートは朝寝、飯抜き、朝シャンぐらい当たり前のこと、それを養っている親はたいした たまげたものだ。

下下の国 飛騨にも同じような言い伝えがあった。いわく「焼き味噌 3年」

味噌をおかずにして食べるとご飯をよけいにたべるので、やはり、身上をつぶすというのである。これは、米の取れ高が少なくて高いこともあったが、塩も貴重品だったことによる。

いま、飛騨に行くとどこの旅館でも朝食に「朴葉味噌」を出されるが、もともとは、大食らいで収入の多いきこりなどが食べた山家料理であった。

山仕事にいくとき、割り子(静岡ではメンパという)に五合飯を詰め込み、おかずは生味噌一包み、ガンド(大鋸)や斧と一緒に「ねこだ」(わらで編んだリュック?)にいれて行くのが常だった。そして、昼時になるとその辺にある山菜や岩魚を刻んでほうりこみ、煮えたところで昼にした。

このころ、岩魚は沢山いて、幅3~40センチの谷川の石の下にいるのを手づかみでつかまえられた。

鍋代わりにした、朴の葉は、若葉ではなく落ち葉を使用したので、落ち葉のない季節は木っ端味噌と言って木の削りかすや杉檜を薄く板状にして使用したが、木の香りが移ってこれも美味い。

このほか、山遊びや川狩りに行ったときなどやったのが、大きな平らな石を焼き、焼いた面を上にして味噌で土手を作り、やはり、手当たりしだいに放り込む。

岩魚 山女 こけ(きのこ) たけのこ(根曲がり竹) うど ふき みずななどそれこそどれが合う合わない何ていわないで。

しかし今では、全国どこにでもあるようなバーべキューになってしまったそうだ。

 

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2005年7月11日 (月)

心頭滅却すれば

天正10年と言えば、いまから450年ほど前のこと。

織田信長が、甲斐の国に攻め入り、恵林寺を焼き討ちにした際、僧侶たちは火に追い立てられて次々と死んだ、このとき快川国師が「心頭滅却すれば火もまたすずし」といって慌てることなく寺に殉じたとあるが、これとほとんど同じものが、中国の唐の時代の詩にある。

これって盗作? それとも甲陽軍鑑の作者あたりがとってつけたもの?歴史書と言われるものによくあるので、、、

火あぶりには、遠くおよばないが少し日が出ると暑い。すぐ、クーラーに逃げ込む、昔ならどうだったといわれるが、自分の育ったところは、飛騨高原。8月のお盆には浴衣一重では寒いところだし、湿気がなかったので、、、、、

月下美人 「おまたせ」と

P1010012 ようやく月下美人が開花した。昼過ぎから急にふくらみだし葉から25センチほど突き出して重そうにゆらゆらと風に吹かれだした。

9時過ぎ、直径8センチまでに開く、10時満開差渡し20センチは優に超える立派な花になる。

雄しべは外に出 雌しべは奥に上を向いて鎮座ましましている。これが、本当の奥さん。それにしても、原産地ではどんな生物にたよって受精しているのか、真夜中 一夜だけとはもったいない、香りはわずかにあるが何に似ているか分からない、白い大輪の花に似合うことは確かだ。

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2005年7月10日 (日)

巨人 大鵬 卵焼き

巨人 大鵬 卵焼きという時代があった。

昭和35~38年ころだったか、強くて子供が好きなものの代名詞だった。大人なっても好きなのはすこし単純な人と言う評価が自分の周りであった。

今年のオールスターファン投票で選ばれた巨人の選手は一人。オリンピックでもロンドン大会からなくなるという。

相撲人気もここ2~3年前から「満員御礼」の垂れ幕が少なくなり、かげりがささやかれていた所に、若 貴の争いでさらに拍車をかけている。

ひとり卵が物価の優等生かと思ったが、鳥インフルエンザでやや安定性を欠いてきた。そして、アレルギーなどで一時の人気はとりかえせない。

かわって、いまはなんだろう。「巨人の星」や「アッタクNO1」のように身体を鍛えてというのは、敬遠するし、漫画のキャラクターにもならない。食べ物は贅沢しすぎていまさら食べたいものなんて特に~、とくる。

先日 長島元監督が野球観戦に出てきた。脳梗塞だったかで倒れて以来のこと、この病気からの回復は程度にもよるがリハビリが大変難しいと聞く、彼のスター性などから考えて、ある程度注目はされて当然と思うが、その扱いぶりにはむかし聞く「大政翼賛会」的な思いをするのは自分だけなのだろうか。

美空ひばり 石原裕次郎 林家さん平 などいまでもまつり上げて批判は赦さない。「石原裕次郎の歌は好きだが人柄がいかにも金持ちのぼっちゃんで好きじゃない」といったところ「お前 変わっているなァ」と変人扱いにされたことがある。「昭和の爆笑王」といわれる、林家さん平のまともな落語聞いたことありますか?

智に働けば角が立つ 情に掉させば流される 

意地を通せばきゅうくつだ とかくこの世は住みにくい

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2005年7月 9日 (土)

おじいさんに多機能は

久しぶりに大型電気店を二店まわった。といっても国道一号線沿いに並んで建っているのだから時間はかからない。

買い物客は、比較が簡単に出来るし、面白くて歓迎だが店の人は大変なことと思う。

我が家のテレビ、購入してから20年以上という代物だから、自分同様、高齢者の仲間入り部品もすでになく故障すれば即おしゃか。

そのため、最近の地上波デジタル化もあり、どんなふうになっているのかを見るのが目的であり、買う気はない。

店員は、熱心に勧める「いまなら、店頭価格をさらに割引します」「冬のボーナス払いでけっこうです」「番組が画面でみられます。録画予約が簡単。裏番組がとれます」などこれでもかと特徴をのべる。

しかし、携帯電話やパソコンの機能を使いこなせない自分には、そんな多機能のテレビは必要ない、次から次と新しい機種が出来て、買った次の日から旧型になる。

「説明書ががありません、そのくらい簡単です」という携帯電話がよく売れている。シンプル イズ ベストだ。高齢者人口がこれからも増えていく、製作者もその辺を感じ取らないと遅れを取るよ。

P1010085 今日は四万六千日、豪雨の中 清水さんの花火があがった。

この雨では、空を見上げるのは大変なことと想像する、しかし、今日中にあげたいのか、意地になっているようだ。

今日お参りすれば四万六千日分の功徳があるとか、とすると、120年余のになる、そんなに沢山はいらないので、今日のお参りはよしにした。

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2005年7月 8日 (金)

自転車考

静岡市街地は、沖積 洪積層のごく新しい地層でできている。おもに安倍川の氾濫で海岸部や駿府城付近に砂利がたまり、それより北は大きな湖状になっていたが、粘土質の細かい土とそこに生えた葦などが堆積して出来た土地が多い。

そのため、一部に島状の隆起がみられるもののほとんど平坦な平野?を形成している。これが、幸いしたと言うか自転車でどこでも行けるため、今でもそうだと思うが自転車の普及率は日本一と聞いたことがある。

今日、もう少しのところで事故を起こしそうになった。高校生が一旦停止を無視して徐行していた車の先端をかすめて走る。車を止めて外に出たときにはそれこそ脱兎のごとくはるかかなた。早速学校に抗議をしてきた。

自分の家もご多分に漏れず自転車が2台ある。近頃流行の省エネではないが、足の鍛錬を兼ねて近距離は歩くか自転車を使う。(本当は燃料が高いため)

自動車を運転している時は、自転車の無茶な走り方やどこにでも放りっぱなしに腹を立て、自転車で走っている時は自動車の横暴運転に腹を立てる。

無茶をやっているのは、ごく一部の人だというが、ついつい全てがそういう風に見えてくる。とくに、高校生と老人の自転車が怖い。一方は集団になると始末におえない若者特有の心理だろう。そして一方は交通法規を知らないこと、バランス感覚なさを自覚していないことにある。

未来の自動車に望みたいこと、一部のトラックにあるように右折 左折 バックなどを音声で知らせているが、もうすこし、自分の気持ちを相手に伝える方法を考えてもらいたいものだ、が、そんなことすると喧しいかね。

今日は、つい腹立ち紛れに書いてしまい、我ながらつまらないブログになり申し訳ない。

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2005年7月 7日 (木)

星に願いを

P1010013 ささのはさらさら  のきばにゆれる

 お星さま きらきら きんぎん すなご

五色のたんざく わたしがかいた

          お星さま きらきら 空からみてる

あちこちに、七夕かざりがでていた。歌のとおり家の軒先や保育園 浅間神社 老人ケアホームなど、最近商店街で客寄せにどでかいものが流行っているが、家の軒先などに出してあるほうがその家の特徴がでていたりして好ましい。

その短冊をいくつか拾い読みさせてもらった。自分が星なら叶えてやりたいものがいくつかあった。一番多くあったのは「家内安全」や健康に関してのもの、幼稚園や保育園のものでは「○ ○ ○になりたい」だったが難しくて長いので憶えられない。きっとなにかの主人公なんだろうけど、爺様にはなじみの無い名前。なかなか願いを聞き届けられないね。だって 知らないんだもの。

老人ケアホームのは、一様に健康の願いだけ、、、それはよく分かる。しかし、ユーモアも何にも無い。年をとると言うことは発想もなくなることかな。自分だったら「長い旅 そろそろ終えて ポックリと」なんて書こうかな。多分ケアする人から、書き直しなさい/としかられるかも、、、

浅間神社では巫女さんが短冊を結び付けていた。ここで多かったのは家内安全 学業成就 健康についで、女の子の「かれし」がほしいだった、それも堂々と実名?入りのもの。

いや~女性も強くなったもんだ。しかし、この梅雨空 天の川の水も増水して彦星さんと織姫さんは自分たちのデートにやきもきしていてそれどころじゃないのでは、、、、

「エッ 天帝様と彦星はちやうんですか。そうでしょうね~ そうでなきゃ 織姫さん、年に一回のデートの最中に彦星さんがそわそわしてたら面白くないものね」

「もっと まじめにはげみなさい/」って尻たたかれちゃうよ、きっと」

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2005年7月 6日 (水)

月下美人がまだ咲かない

月下美人がまだ咲かない。

先日友人から頂いたものだが、友人のはもう咲き終わったという。

不規則に散らばっている葉のふちに七輪のつぼみが昨日から6~7センチも突き出し、先端のふくらみの先は少し桃色にいろづいてきた。

まるで、妊婦の夫のように、何も出来ないで、まだか まだかと待っている。

一晩だけの開花という、それも、真夜中に咲くというので昨日今日と観察し、まだと見きわめをつけなければ眠れない。

月下美人とは、もともと絵画の方の言葉が先にあった、月の下で美人が憂い顔でたたずんでいる、この構図がうけてとりどりの絵が出回ったことで、この種類の絵を月下美人図とした。

のちに中南米からはいった、クジャクサボテン科のこの花に命名した所、香りが良い 一夜しか咲かない花の特徴もあってかなり普及し有名になった。

余談ながら、事典をひいた。

月下氷人、、、、中国の古代の人が氷の下のものと話した夢を見た。氷の上と下は陰と陽の関係にあり、これが出来る人は男と女を結びつけることが出来ると考えられ、仲人の代名詞になった。

月下老人、、、、道教の神様の名前。この神様は白髪で袋を担いでいる。この袋には、結ばれる(赤い糸)男と女の名簿が入っていて、この名簿をみて結んでいることから、やはり、仲人を意味しているとした。

さらに余談を追加すると、この神様に誕生日があって、8月15日とのこと、結婚を希望される方、誕生祝など送って名簿を見せてもらう事をおすすめします。

「エッ どこにいるかって?神様だけに案外とそばに御座るんではと思いますがね」

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2005年7月 5日 (火)

食べ物の好み

食べ物の好みは、その人の生まれ付いての味覚、言い換えれば「おふくろの味」に行き着くのではないかとおもう。そのため、テレビ番組でおいしい店と紹介されても、その人の味覚とずれたら「なんのこっちゃい/」となってしまう。

自分は、雪国の生まれのせいもあって、どうしても塩味が濃いようで、よく「じいじ塩分控えめにして」と言われるが、三度の食事には味噌汁が欠かせない。

逆に砂糖やみりんはほとんど使わない。べつにテレビ番組で「へたな料理人は砂糖で味をごまかす、、」と言ったからでなく、それ以前からの味覚である。

砂糖や化学調味料は、本来の味を失わせる、とくに、山菜において。

少し前までサービスのつもりか、調味料をザクザクとかけ 醤油もおまけとかけられた漬物を出されて閉口したことがたびたびあった。

一押しですごかったのは、岡山県の瀬戸内地方で出された味噌汁。白味噌のつもりで一口飲んだら、あまりにも甘いのにびっくりしそのままになったことがあった。先日 淡路島を撮影したテレビで「行事のあるときの味噌汁は砂糖を入れる、おいしいよ」と言っていたから、あのあたりではこれがお袋の味と言うのかなと思ったしだい。

自分が思うに、子供には本来食べ物の味を識別する能力はない。まわりの信頼できる大人が食べる表情やしぐさのを見て、これは美味い これはまずいと判断しているようだ。そのため、近くにいてよく家に来る孫の方がじじばば好みの食事を喜ぶ。

母親は、子供に対していつまでも食べ物と言う面から影響を与えている存在である。それが、大人になった息子から「コンビニ弁当の方が美味しい」なんていわれたら、それこそ母親失格?

いいえ、そんな時代なんですよね。(オール電化のコマーシャルから)

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2005年7月 4日 (月)

書いたもん勝

中国人 なかでも漢民族と言われる人は気位が高い。いわゆる 中華思想というやつである。

世界三大文明の発祥地である黄河文明が起きたときは、周囲の国はまだ影も無く、周囲の土地に住む人はすべて獣並みしか見ていなかった。ちなみに日本は縄文時代で穴ぐら生活。

しかし、文明と言うやつは、水と同じく高い方から低い方に流れるもので、自分の優位性を保つには常に発展しなければならないのだが、漢民族にはそこが分からず今もって気位だけが高い。

司馬遼太郎の「草原の記」という本によると、人口が増えた漢民族(農耕民族)が中国東北部に浸出し開拓を始めたところから、問題は始まった。

もともと、蒙古から中国東北部にかけては匈奴の土地であった、夏になると高地に羊 馬 牛などを連れて行き冬は低地に移ると言う生活をし、放牧地もそれぞれ決まっているため、仲間同士の争いもたえなかったとある。

そこに、漢民族が入り込み農地に換える、すると行く所が無い。

匈奴にしてみるとこの一帯は、地味が痩せていて硬いので、一度掘り返すと土は冬の烈風に吹き飛ばされ、二度と草原には戻らない。そのため、武力で持って農耕民を追っ払い財宝を掠め取ると言う手段をとる。

漢の文書では、匈奴は野蛮きわまりの無い民族としか書かれない、そして、万里の長城とともに世界に広められる。北方の遊牧民の側から見た書物や歴史書があれば、世界史もいくぶん違っていただろうに。

世界には、文字の発達しなかった文明がいくつかある、もし、文字になって残っていたなら、また、違った世界になっていたこととおもう。

結論  

  書いたもんが勝ち 言ったものは、すぐに消える

    まして  腹のうちなんて  それこそ、、、、、  

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2005年7月 3日 (日)

ジャンボタニシ考

          「P1010005 写真の代物 正式にはスクミリンゴガイの卵でございます。別名ジャンボタニシと申します。ジャンボと名が付くくらいですから大きくなると5センチくらいになるものもございます。そして、食べるんです雑食性だから、手当たりしだい、いえ、口当たりしだい胃腸も強靭です。

いま、静岡で大発生中。一見ピンクのきれいな卵に見えるが、その数を見ると不気味を通り越して、嫌悪感。靴などで踏みつぶすとニチャっとしていつまでも離れず、これまた気持ち悪い。

もともとは、南アメリカの原産です。誰が考えたのか20年ほど前、カタツムリの変わりに食べられないかと、味見もせず持ってきたそうだが、美味くない 売れない、そしてほったらかしたそうだ。

ところが、この貝日本がよほど気に入ったのか、各地で大発生し農作物に被害を与えているようだ。静岡でも以前に焼津方面で養殖していたようで、この業者が倒産のあと広がっているという新聞記事を見たが、その後 どのようにして、日本坂 宇津谷の峠を越えたか分らないが近年静岡に進出をはたしている。

むかしから、帰化生物は多種多様にあり、稲をはじめ植物事典など見るとこれもなのというようなものまで、持ち込まれている。古いものはすっかり日本の風景に溶け込み折り合いをつけているようだが、やはり、近年 安易に持ち込まれた食用蛙 ブルーギル あらいぐま ヌートリアなど、トラブルを起こしているものが多い。

帰化生物が大発生するのは、天敵がいないせいだと言われているが、沖縄のマングースのようにハブの天敵にと輸入したら、ヤンバルクイナを襲っていたなんて例もある。

全てを排除するには、増えすぎ広がりすぎている。嘆くだけでは能が無い、と言って個人で何をなすべきか分からない。

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2005年7月 2日 (土)

ハンゲショウ

P1010025 半夏生 太陽が黄経100度に達する日、、、とかなんとかあるが、簡単に言うと夏至から11日目をいうらしい。

これと同じ名前を持つ植物があり、彼岸花と同じように季節を敏感に感じて今の時期に花が咲くことから付けられたとする説や葉っぱがこの時期一部分白くなり花より目立つ所から半分化粧していると言う話も聞く。いずれにしろ人が勝手につけた名前だから、草の方は俺の知ったこんで無いと言っていた。

本日の散歩道梶原山の道端で見かけた草(花?)。

梶原山は、以前は静岡と清水の丁度境にあり、静岡の瀬名から農道が頂上すぐ下まで付けられているうえ、近年頂上を公園にし芝を植えているため、訪れる人が多くなった。

この山標高が273mあり、市街地に面してさえぎるものがないことから、旧両市を一望にできる、かくれた名勝地である、とくに、夜景は各地の夜景の名所に劣らないものがあると思う。(他の人のホームページだが夜景のパノラマあり、梶原山で検索してみてはいかが)

また、この山の由来は、鎌倉幕府初期に源 頼朝を助けたことで寵臣となった梶原景時が頼朝の死後、京都に行こうとして一族郎党をひきつれこの地に来た時地元の武士団(追いはぎ?)に襲われ進退窮まってこの山の上で自害したことによるとされている。

下には、自害する前に鬢を撫で付けたとされる泉もある、伝説とはいえ半化粧?では無念だったかな。

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2005年7月 1日 (金)

草 ぼうぼう

ootuyama5 本日 新浜松市が誕生したそうだ。

人口は78万人で、静岡で一番人の多い市になり、静岡市に負けてたまるかと政令市を目指しているとのこと、

この合併は、周辺11市町村を吸収しただけあって面積は広い、静岡市の場合南アルプス周辺 人のいない土地も含んでいるが、新市の場合は長野県との境まで人が住んでいる。静岡市に比べて土地に余裕がある。これらが吉となるかどうか、、、、

いずれにしろ、平成の合併は今までのものと同じく、政府の思惑から始まっているだけに評価はずいぶんと先の話になることだろう。たしかに、交通の便がよくなり小さな町村はあっという間に通り過ぎる。市町村の長や議員は減らせる。

しかし、今度の合併でまた郷土色は無くなり、市政によっては、財政上の理由から福祉サービスなどをを一部に集中すれば、中心部に人が集まり遠隔地はさびれかねない。駅前と一緒でどこ見ても同じと言う時代の先触れではないだろうか。

自分が育った鉱山の社宅 いまでは住む人はおろか建物さえない、

うさぎ 追いし あの山 は 荒れて踏み込めない

こぶな(いわな) つりし あの川 は 草木がぼうぼう

夢は いまも めぐりて も おもかげなし

わすれ がたき ふるさと は どこに 

上の写真 防火壁だけを残して、自然(見かけは)に帰った社宅跡。  

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