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2005年8月31日 (水)

小人(しょうじん)です

いまの世は挙げて「かいかく 改革」の大合唱。

改革とさえ言えばそれでお終いみたいな風潮があって、国会 企業などあらゆる所で叫ばれているが、言っている本人は自分だけは別だけんど、、、みたいなところがある。 

おとなり、中国は三大だか四大だかの文明発祥地でもあり、ある時期までは世界の科学の先端を走っていた。秦の始皇帝の兵馬俑をみても同じ時期の日本は弥生時代であり、竪穴式住居からやっと出たかどうかの時代で、その文明 文化の格差は創造を絶するものがある。

この中国が、次第に停滞していく、とくに明末あたりからの政治の腐敗ははなはだしい。自分の偏見と生齧りの考えで言うと、元凶は儒教にあると思っている。

儒教とは、孔子が始めたと言われる教えで、実力主義が横行し、身分制秩序が崩壊しかけた周時代末に生まれた孔子が「周初への復古と身分制秩序の再編と仁道政治、礼儀作法を事細かに掲げた、、」とあるが、すでにこの時代の既得権擁護論者であったのだ。

その言の中に、「その位に在ざれば、その政を謀らず」つまり、その地位にないものが政治に余計なくちばしを入れるなと言っている。そして、儒家はなにかあると必ず、「前例に照らして」と新しいものは受け入れず、礼の仕方 歩き方 着るものの色などまで、指導する、これで進歩などあるはずもないが、上に立つ者にとってはこんな楽な制度はない。

この教育で、二千年余。国の役人になる、科挙の試験は儒教関係の教科書(四書五経など)をどれだけ丸暗記したかで決まった、中国(韓国を含めて、いや日本も入れるか、、)は儒教の束縛から抜け出すのは至難の業である。毛沢東が「非林 非孔」と批判しても果たせなかった儒教。

日本でも、朱子学として徳川幕府の中に食い込み、士農工商の身分制のがんじがらめは明治まで制度として生き、いまだに先祖は徳川さんについてきた士族ですと、優越感を持つ人がいる。

先祖代々百姓の子孫としては、「シノタマワク」はだっきらい。というと、

唯だ 女子と小人は養いがたし、、、と ええ どうせ私は小人でいいんだけど今の世 女を怒らせると大変だよ、昔だってソウだったんではなかったの?

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2005年8月29日 (月)

夏休み 終わった フー

静岡では、昨日で夏休みが終わった。

P1010043 先日の台風から、蝉も声変わりし、「じぃー」や「み~ン み~ン」などの暑苦しいものから脱皮し「つくつくお~し」と涼しげになのが主流になった。そして「カナカナカナ」というのをとみに聞かなくなったような気がするが、そちらではいかがかな。

あれほどいたおたまじゃくしや子蛙も消え、変わってトンボが避暑地から戻ったらしく数を増やしている、朝も涼しさを感じるようになり、秋はもうすぐそこ。

夏休みの宿題も、4人4様で、孫の声を聞いていると、一番上と下はまあまあのようだが、6年の二人は最後の追い込みに入っていたようだった。じいじとしては、素知らぬ顔をすることにしている。

だって、この年になると義務教育の成績の良し悪しなんて、な~んの値打ちもないことを知っているからだ。同級会を開いてみるとよく分かるが、成績のよかったはずのものより、出来の悪かった方が威勢のよいのを見ると、なまじ成績がよかったことが、いい子ブリッコを守ろうとして伸びなかったのかなと推察してしまう。

もちろん、自分の同級生なんてたかが知れている、有名人や大金持ちなど傑出したものがいないので、一般論かどうかは分からないのだが、、、。

東京のある区では、生徒の学力が低かったのを理由に、夏休みを一週間縮めたそうだ。まったく、肝っ玉の小さいことする教育委員会だ。

区の教育委員会といえば、区長が任命するのだろうが、どうせ、子供の頃から成績優秀で過ごした連中ばかり、夏休みの楽しさを知らない輩だろうとこれも推察する。

それでなくても、いまの子供は外に出たがらない、遊びは周りから与えられ自分で工夫したり作るということがない。このほうが学力向上よりよほど大事なことなのだ。

自分の親を出して申し訳ないが、父親は小学校4年で卒業していたが、新聞はきちんと読めていたし、計算も生活上必要な物が出来ていた。おまけに、時計の修理学校(当時 時計の修理は最先端の技術だったと聞いている)に行き、今で言う技能士の資格も取っていた。

必要なら、学校をでてからでも習得できるものだ。使うことのない公式や通用しない英語が出来ないからとてなんのハンディになりましょうや。

何はともあれ夏休みは終わった。フ~ゥ~ゥ

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なるよになるさ

むかし、と言ったって、おじいにして見れば「やっと こないだ」のことだが、血液を輸血するときは、O型はO型からしか血をもらえないが、AB型は全ての人の血が貰えると言う話があった。

これは、本にも書いてあったように記憶しているから、医学会ではどうだったのか知らないが「AB型はいいよなあ~」というのが、率直な感想であった。

ときはかわり、輸血は同じ型同士 さらにRH+ - と区別が細分化され、おまけにエイズなどの検査もされている、しばらくすれば、また、細分化され「貴方に合う血はありません」とベッドの上で告げられ、輸血もしてもらえなくなるかもしれない。そのときは、むかしを思い出して「先生 私はAB型ですからどんな血でもよいのです」懇願してみるか。

話しはそれるが、最近、人の性格は血液型で決まる。という話を信じている人がかなりいて「私はO型だから、こんな人なの」と自分を第三者的に見た発言をする、当方O型を大型と間違えて「そんな、太っている方には入りませんよ」と言ってキョトン/。

とにかく、占いと言うものは誰にでも当てはまるもので「そう言われれば、私にもそんな一面がある」と言うことをいっている。でなければ世の中4種類の人しかいないし、同じ性格だと「あいつ今こんなこと考えているぞ」なんて見透かされたんでは面白くもない。

しかし、世の中上手く出来ていて、このほかに星占い、干支占い、カード占いをはじめインチキ占いまで数えれば数限りなく占いがあり、それをあわせて判断するとさっぱり分からなくなるはず、、、、

つまり、占いが多くあると言うことは人生もこの先多種多様であると言うことにつながる。

ケセラセラ なるようになるさ 先のことなど わからない って、ドリス デイも歌ったじゃありませんか。

                                    

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2005年8月28日 (日)

いくぞ一億火の玉だ

新聞を見ていたら面白い記事があったので、そこからの連想をひとつ。

中国では旧暦の8月15日に、月餅という日本で言う饅頭みたいなものを、送りあう習慣があるという。日本でも「お歳暮」「お中元」などといって、同様に品物のやり取りをする風習があるが、中国の場合、もっとおおげさなものらしく、包装を金銀などで派手に包んだり、金や高価な商品を添えたりして問題になり、政府が取り締まり、派手な月餅禁止令まで出しているという。

政府が伝統行事にまで口を挟まなくてはならないのは、日本でも江戸時代何回か行なわれた、贅沢禁止令に似て面白い。

中国では、昔から賄賂が公然化し、国の役人を勤めるとかなりの財産ができたというほど腐敗しており、それが、革命の原動力の一つになった、といわれていた。

それなのに、毎年かなりの公職者が逮捕されているが、社会主義の国になっても古来の風習はなくならないものらしい。

水戸黄門のテレビではないが、菓子折りの下に小判を詰めて「お代官様、これをどうぞ」と薦めると「越後屋 おぬしも悪るよのう」を地で行っている。

しかし、これを他人事とは笑っていられない。昨年発覚した「橋本派 一億円献金事件」は、これの上を行く。一億円をもらっても「知らない」を連発し、証拠を突きつけられると「そういうことなんでしょうね」と来る。そして、検察をどう騙したのか名目だけの№2に責任を転嫁している。

当事者は、代議士を辞めて責任を取りましたというが、代わりに女房がでる、いや息子だという。選挙民もこれを不思議としないのか、身代わりなら、身内なら誰でもよいのか。

いいかげん、目を覚まさないと水戸黄門のお出ましを期待する世相になる。政治家のモラルが低くなり堕落すると、それをやっつけ、国民の鬱憤を晴らす独裁者がヒーローになる。日本では昭和の初期に青年将校が決起した時代。ヒトラーが政権を取った状況に似てくる、とおじいは思う。

現に首相や慎太郎など勇ましい発言に魅力を感じている若者が多い、大正デモクラシーから、10数年、軍国主義に変わり、国際連盟を脱退し、ABCD包囲網といって孤立化している。

拉致や靖国参拝などの外交問題、税金の問題、道路公団や、社会保険庁を初めとする公務員の堕落、それを取り締まるはずの警察が隠し財源を作るなど、かなり、やりどころのない不満がたまっているはず、ここで、口当たりのいい言葉ではけ口を代弁しようとするものがでてくれば、たちまち「いくぞ 一億火の玉だ」

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2005年8月27日 (土)

チャボホトトギス

P1010009 今日の気温は平地で35度のもなるというので、海抜千㍍ではどうなるのか、さぞかし別天地があるのかと期待を抱いて竜爪山に登ってみた。(写真左文殊 右薬師 合わせて竜爪山)

竜爪は、静岡市街地からよく見える山であり、この山を冠した町名や小中学があるくらいで、静岡市のシンボル的な山の一つである。

自分も、この山はあちこちのルートからなんどか登っており、今回は2月に、雪を僅かに積もらせたとき以来である。

麓 平山の駐車場から30分ほどで穂積神社に到着、ここは山岳信仰のお宮さんで、境内周りに杉の大木が何十本もあり、ゆゆしさをみせている。ここでしばらく息抜きをしたあと、再度山道を登る、僅か先30㍍間隔ぐらいに、そう、年のころ5~60代の男性が一人づつ、そのあとから間隔を詰めないようにゆっくりと歩く。

古い神社跡を過ぎると、道は足場用鉄材で作った階段状になる、前回はここの雪が踏まれて凍っていたため難儀した所である。何年か前の大雨で道が崩れてたための処置であるが、登山道というより階段登りで標高を稼ぐ。

約40分、尾根に到着、俵峯から来た道と合流した処の休み場には、フシグロセンノウの真っ赤な花が目立つ。ここからすぐに最高峰薬師岳(1,051m)に到着する、山頂は小さな祠があるだけで、大抵の人はほんの少し足を止め、次なる文殊岳(1,041m)に向かうため鞍部を降る、理由は眺望がきかないためだ。

文殊岳、晴れていれば市街地や富士山 駿河湾 伊豆半島のほか塩見岳、赤石岳の南アルプスと360度遠望できるが、本日はな~んも見えない、気温も10時で25度、風もなく期待はずれ、ぞれでも、30分ほど汗の引くのを待って降りにかかる。

P1010070 一度下って薬師を登った所で、三脚をつけたカメラで地面を写している人がいるので近寄ると、チャボホトトギス地面に張り付くようにして黄色い花を咲かせている。

もう、花期もお仕舞いでほとんどが三角錐の種筒をつけている中で貴重な花。早速自分も一枚写す、登る途中ではヤマジノホトトギスを見ていたのに、この花は気がつかなかった。

なにか、もうけものをした気分で帰る、見返り草の小さな紫色が目に付く、台風の被害も栗の実やさるなしの実が落ちて、秋の獣の餌が少し減っているが、杉以外に倒木もなく、まずはめでたしめでたし。

往復 3時間半チョットの山散歩

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2005年8月26日 (金)

もちろん神様です

P1010072 いま我が家に、鯉らしい二匹の赤い小魚がいる。

昨年の夏休みに裏のほうにある田んぼの用水路で孫たちといって取ってきた魚で、当時は1㌢に少し出た程度のものだったが、今では6㌢にまで育っている。

当然、同じように捕まえてきた鮒ともろこ 泥鰌もいるのだが、水槽を別にしている。分けてみて分かったのだが、この魚にも個性がある、1年の飼育の結果両方とも人間になれたらしく、人が近づくと餌の要求するのだが、その仕方が違う。

鮒は、水槽の下のほうで人を見ながら、一斉に身体をくねらせ、くちをパクパクさせるが、水面に上がらず、落ちてくるまで待っている。

赤い魚の方は、水面にあがり餌の沈むのが待てないようで、人の手をつついて請求する。この魚は、前にも書いたように用水路にいたし、今年もまた、別な場所で小さいものを見ているので、人が放したというより逃げた鯉の子供らしいところがある。

赤い鯉というものは、自然界にもまれにいるらしいが、ほとんどは犬や猫同様、人間が作り出したものに違いなく、今では、簡単につかまるし手のひらに載せてもしばらくはじっとしている。やはり、遺伝子のなせる業なのか。

むかし、インドでだったか狼に育てられた少年が見つかったが、結局は人間界に戻れなかったというのを聞いたことがあった。狼が本当に人間の子供を育てるのかどうかは知らないし、この話も、眉唾的なところがあったので長く話題にならなかったように思う。

それにしても、家猫 犬 金魚や鯉をはじめ野菜 家畜などは、人間が野生生物から作り上げたものでいわば遺伝子をいじくって作ったものであり、そのほとんどが、たかだか、1万年ほどの間に、人の世話を受けなければ、自活できない所まで来ている。

そういえば、人間自体も他の哺乳類に比べれば、皮膚が薄く、体毛も少なくて食べやすい身体に作り変えられている、という説があるのをご存知かな?。

サルの仲間から品種改良をしてクロマニオンをつくり、さらに、この先食べやすくするためには、骨を細く柔らかにそして、北京ダックのように運動をさせず、わしのようにでぶっちょにすれば食べごろなので今ひとつ改良中なのです。

誰が人間を食べるのかって?   もちろん神様という名の存在です。

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2005年8月25日 (木)

台風がきた

台風11号がきた。

午前中は、風もなく雨も小降りだったが、さすが、4時過ぎからは台風の片鱗が見えてきた。

天気予報も、人工衛星が監視するようになって精度が上がってきた。また、以前なら「ジエーン台風」「伊勢湾台風」「狩野川台風」など何百何千と死者を出した水害、「紫雲丸台風」「洞爺丸台風」などの教訓を生かして、お定まりだった道路や山の崩壊、海の事故などもかなり少なくなった。

しかし、台風にも流行があるのかと思える節があり、最近は静岡を狙ってくるようになった。望みを言うならもっと西側へ行ってもらって四国地方の水飢饉を何とかしてもらいたかったのだが、なかなか、叶えてもらえない。

今回の台風は、どちらかというと風台風気味であるが、それでも、満潮により、海へのはけ口が滞った時間には、裏の川も路上にあがるそぶりを見せていた。

「お控えなすって、今日のところは、いろいろとわけもおありでしょうが、曲げてこらえていただきとうござんす。」

「早速のお控えありがとうござんす。つぎのわらじは土佐の早明浦一家へつなぎを出します。つきましては、どうぞお手柔らかに願えればと恐惶謹厳おたの申し上げます。」

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2005年8月24日 (水)

奨励されてもね~

自分には、兄弟 従兄弟合わせると40人以上はいる。上は90歳台から下は50台まで何人かは亡くなっているから、現在の所30数人となる。

これは、自分たち世代にしては、多いほうではない。各家庭平均5人の子供がいた。「貧乏人の子沢山」を地でいくってやつで、兄弟の少ない家庭が本当にうらやましかったものだ。

何時の頃だったか、サンガー夫人という人がいて産児制限の運動をして世界を飛び回っていると聞いた。インターネットで見てみたが、今では過去の人らしく乗っていなかった。

おかしいなと、さらに調べたら日本に来たのが大正の末だったということ、つまり80年も昔の話ということになるそうだ。こんな古い人をどうして知っていたのか。

この人が、活躍した時期はどの国も、戦争の消耗品としての人的資源が欲しい時期にあたり、「産めよ増やせよ」を国是とし、国民を子供生産機とみなしていたので、随分と迫害を受けたそうだ。(当然 日本でも)

産児制限運動は、子供を生みすぎて母体の健康に影響を及ぼすこと、人口爆発を防ぐことなどにあったようだが、日本でこの人の名前が知られたのは、戦争に負けて人々が食べていけなくなったためであろう。でなければ自分が名前を聞く人ではなかったはずである。

その成果もあってか、小子化社会となり、今年から生まれる子供より亡くなる人のほうが日本では多くなり、人口がこれから減少していくそうだ。

子供の数が、減っていくことにいろいろと理由を挙げ対策を検討しているが、大本は自分たち世代にある。

子供の数が多すぎて、食べるにも 遊ぶにも 着るものなど、あらゆる面で我慢を強いられてきた。その反動もあって子供には、ピアノだの 子供部屋だの 大学だのと自分が出来なかった、いや、したかったことを子供にしてあげた。(子供が望んだかどうかは別)

いきおい、子供は二人という家庭が多くなり、あまやかし、自立できない若者(ばかもの)を数多く作った。

いま、その子供や孫がが大きくなったのだ。一度減速モードに入った人口はちとやそっと御意見では回復しない。いまの子供は、まだ両親の兄弟が多いから従兄弟の数はそれでも20人ほどになるが、その先になると、おそらく3~4人の世界になるだろう。

じじばばでは、いまさら子作りも出来ないし、面倒も見れない。昔みたいに奨励されても、こればっかりはどうしょうもないもんね。

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2005年8月23日 (火)

ホントカネ/

P1010062 今日は「処暑」とテレビが言っていた。残暑が厳しくても、酷暑の勢いはとどまり涼風が吹き始める頃、というが、このむし暑さはどうにかならないのだろうか。

おなじ、海のそばでもハワイやゴールドコーストはどうして湿気がないのか不思議である。ともあれ、昨日の長野県望月町では、おみなえしなども咲き出し、それこそ涼しい秋風が吹き渡っていたので、あとしばらくの我慢すれば、と願っている。

さて、2002年1月から43ヶ月景気が拡大して、岩戸景気を抜いたそうだ。

ホントカネ ホントカネ そりゃホントカネ/ 

国民の年収は下がり続けているとやっと先日新聞で報道されていたのに。

統計というものは、実態を全然反映していない典型的な例なのか、選挙が近いため恣意的に作られたものかそれとも、自分の周り以外は景気がよいのだろうか。

となると、自分は貧乏神のひとりなのか。神?そんなに偉くはないはずだよ。

今度の選挙では、弱いものいじめ、取りやすいところから取るなどと評判の悪かった「政府税調」の案は採用しないと、自民党は言う。となると、赤字財政をどうするのかはっきりした対案がでていない。「また、ずるずるですか?」それとも当選すれば忘れるのかな。

「まず 隗より始めよ」という言葉もあるように、赤字になる原因の削除から初めて「これ以上どうにもなりませんので、どうぞよろしく、、、」というのが筋なのにそれがない。

きのう、燃料が残り少なくなったので、長野県内で入れようと思ったが134円/㍑だって、この急激な値上がりどこかが儲けて景気の底上げをしているんだろうな

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2005年8月22日 (月)

小諸城址{懐古園}

P1010010 小諸なる 古城のほとり

 雲白く 遊子悲しむ

緑なすはこべは萌えず 若草は、、、、、

暮れゆけば 浅間も見えず 歌かなし佐久の草笛、、、、

昨日、長野から「プル-ン」のはぶき(省き,熟れ過ぎなどで出荷できない実)ができ過ぎたので取りの来なければ捨ててしまう。という電話があったので、書きかけのブログを放り出し、一緒に日帰り温泉へ行く約束していた仲間も連れ出してむかった。

ところが、予想より早くつきすぎたので、小諸城址{懐古園}にいった。

小諸城。一般には明治の文豪 島崎藤村の詩で全国に知れ渡っているが、城としては平安時代の末期に築かれたものが、元になっているという。文字どうりの古城である。

現在は、千七百年代に作られたという三の門を除いては古い建物もなく、石垣や空掘りに当時の面影を想像するだけである。

P1010043 三の門を入った、すぐそばの二の丸の端正な石垣と天主台の傾斜がばらばらな荒っぽい石組みは対照的である。おそらく、築いた武将やその時の情勢によるものと思われるが、何度も来ていながらはじめて気づいたことであった。

また、藤村記念館の前にある推定500年といわれる欅の巨木は、人を圧倒するし、自分が好きな水の手展望台は、ここ3年ほど前に、通路が崩壊し今では鉄製階段になって、当時の趣はなくなったものの、はるか下に千曲川を見下ろす景色は変わっていない。

帰り際、あずまやでご老人が三人草笛を吹いていたが、これはチョット絵にならないなぁ~と感じた、本人たちは結構まじめに吹いているのだが、いまの若い衆には選曲からして無理/

そんなこんなで、本日無事御帰還。

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2005年8月21日 (日)

和を以って貴い?

和を以って 貴しとなす、

聖徳太子が制定したとされる、17条の憲法のはじめに書かれている言葉である。自分が始めて就職した会社の各所に張られていたのを、思い出す。

また。3条には「詔を賜りては 必ず謹め」とある、17条だから他にも官僚は不正をするな、民 百姓は怠りなく働けなどというのも付け加えているが、要は不満があって偉い人のいうことは聞きなさい。長いものには巻かれなさい。と言っている。

また「寄らしむべし 知らしむべからず」は近代になって、偉い人が主導することに普通の人は、ただ黙って従いなさいということであり、いずれも組織の上にたつ人には都合のよい言葉である。

今度の選挙で、落下傘候補を対立に立てられたある陣営(人)は「政治一筋にやってきたのに政治のことも分からないものをぶっつけられて」といっていたが、政争一筋、自分の側近の都合しか聞かず世間の常識が分からなかったからこうなったのだ。と少々乱暴でも言ってあげたい。

自分としては、夫の弔い合戦だの、子供に跡を継がせるだのと言って、しがらみをを残しておくより、よほど落下傘候補の方が、それなりの見識がある人なのでよいことと思っている、いいかげん一部の人だけに権力を任せるのをよしにしたいのだが「いかがかな?」

なお、聖徳太子については、「日本書紀」においてすでに伝説の域に入った人で、その存在を疑問視する学者がかなりいることを、付け加えておく。

 

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2005年8月20日 (土)

スポーツとは

朝起きて外を見ると暑くなりそうだが、気持ちのよい青空が広がっている。

近所の山へ登ってみたいな。とは思ったが、今日は土曜日、人ごみ、車ごみは自分たちのような閑人は避けてたほうが、世のため人のためなので、いつも通りの足慣らしでよしておこう。しかしチョッと悔しいので、里山を一人でよく登るという友達に、どうしているかメールをいれてみた。

九時半過ぎ、外に出ると西の空だけが暗い「あんなに晴れていたのに、やはり今日は山行きの日ではなかったのかな」と歩き出した。

ところが、雲あしは意外と早く、10分ほど歩いたところで遠く雷の音がし、焼津との境にあたるあたりは、雨ぐもりのような感じがする。

そして、すぐだったバラバラと大粒の雨だ降ったかと思うといきなり豪雨。まわりに雨宿りする所もなく、たちまち、ずぶぬれになる。夏の雨は生ぬるい、そのまま家に向かいながら、むかし「雨に歌えば」なんて曲があったな、日本の歌は雨については湿った感じなのに、あちらはなぜ明るいのか。しかし「雨の朝パリに死す」なんてのあったな、なんて雑念をむさぼって帰る。

全国高校野球大会が、駒大苫小牧の夏大会連覇で終了した。明徳義塾の不祥事で始まった甲子園だが最近は一部テレビと新聞が扱っているだけで、自分の周りを見ても反応は鈍い。

野球そのものの人気が無くなっている。どこの学校を見ても甲子園に行くような学校のチームには地元の生徒がいないそうだ。「八百屋の次男坊が活躍して、、、」なんてのはないね。      明徳もまた しかり。

また、体育会系の体質がいまの生徒には受け入れられない所にもある。先日も小学生の野球大会を見ていたが、生徒をただ罵倒している監督を見て腹が立ったことがある。

「改革」ばやりの世の中、運動漬けで脳みそが空の指導者では、先が暗い。

スポーツとはから、勉強する必要がありそうだね。

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2005年8月19日 (金)

秋はそこまで

P1010027 じぃじ ばぁばにとって、嵐のような三日間がすんだ。

食べ盛りの子供たち、毎食5杯、3杯とおかわりする。ふだんは一日2合程度のものが5合炊いても一食でなくなるという、自分の中学生の時に良く似ていると、たのもしいやら、心配するやらの毎日。

いる間は大変だったが、いっせいに居なくなるとなんとなくしんと静まり返り、映画などに出てくる田舎の老夫婦の心境になってしまう。

見送りに外に出てみると、空には巻雲がかかり、入道雲は、控えめになっている、秋はそこまで来ているのを知らされた。

縁側の、水槽には小鮒とめだかが別々に泳いでいる。昨日の沢蟹やカジカは現場で放してきたが、残りは今度来たときまでという。時機を見て死んだことにしょう。

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2005年8月18日 (木)

夏休み

P1010025 昨日に引き続き じぃじは子供たちの監視員。

昨日の予告どおり魚釣りと水遊びだというので、朝から釣竿 たも やすを準備してやる、ちかごろの子供は準備は人任せだ。

平山という所へ行く、平山は、静岡市内を流れる長尾川の上流で竜爪山を源流とする川で、市街地に入ると雨の時以外は、地中に姿を消す川であるが、上流には、泳ぎに適した場所もある。

言ってみると、すでに30人ほどもいて混雑状態。最上流の一角を、じぃじの腹の貫禄で譲り受け遊ばせる。

川には ハヤっ子、沢がに、をはじめカジカ モリアオガエルのおたまじゃくし、イモリなど格好な獲物がいる。最初は釣竿で大物を狙っていたお兄ちゃんも、タモをもって素もぐりをして、川底を掻き回す。

今日のじぃじは、管理人に徹するため水着は持たない。

指折り待ってた夏休みも、日一日となくなっていく。

この歓声も後いく日か、宿題を片付けたという子もいる一方で、一人だけ超然とぜーんぜんとすまし顔もいる、おなじ遺伝子を受けたのにこの違いはナンだろう。

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2005年8月17日 (水)

ウオーターボーイズ

P1010010 今日は孫全員が集合した。暑さももいよいよ佳境に入ったこの時期に、「部活が今週しか休めないので」という。

上は中学2年、一番下が小学1年、3男1女である。

さてどうするか、映画は別々に全て行ったというし、かくいう自分は耳が悪いくせにあんな大きい音はいやなので、これ幸いとばかり清水市営のプールに行くことにした。

ここは、設備がない代わり、150円と入場料が安いうえ、あまり込み合っていないので、もってこいの場所なのだ。ところが、目算が崩れたのは入ってすぐのことだった。

「じいじ じいじ」の声で、ウオーターボーイズの仲間に入り、はしゃぎ過ぎてしまった。泳ぎ もぐって 走っての二時間。これはいかんと思ったのは、プールを出て桟敷に座り込んでからもこと。

プールにいる間はよかったが、帰ってホッとしたのかそのまま三時間の長い昼寝。起きてはみたがボーッとしている、まさに「年寄りの冷や水」なのだ。 

夕方、今度は花火の火の番、めまぐるしい一日だった。子供たちも疲れたらしく草々に雑魚寝体制に入り、はや、夢の中らしく静かになった。

明日は、小魚とりという、リーダーに任せてただひたすら、誘惑に負けないよう自重しようと思う。

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2005年8月16日 (火)

花よりマンガ

夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを

  雲のいづくに 月やどるらむ  清原深養父

P1010018 昨夜ふたたび月下美人が咲いた、風ひとつなく蒸し暑い夕方。縁側を開け放って近所の人とビールを飲みながら徐々に開きゆくさまを眺め、よしなしごとを語って過ごした。しかし、一緒についてきたお嬢ちゃんたちには、花の咲くスピードがまだるっこしい、そこで、ビデオの漫画(今ではアニメ)をあてがえば。まさに、花よりマンガ。

今日は上弦11日 月も顔をだして、一緒に花見をしている、久しぶりに空が冴えている。上記の歌のように何時までも見ていたかったが、満開になってから一人去り二人去りして、12時すこし前には全て帰ってしまった。

空の雲は少なく、月のやどるところはないが、亭主はやどる時間になったらしく、まぶたが重くなる。そのときになって名案が浮かんだ。「そうだ、玄関に入れよう、さすれば家の中に香りを閉じ込め、朝起きたとき芳香が漂う家になるだろう」と、ごそごそと動き、鉢を持ち上げて引き入れ、、、    眠った。

作戦はみごと失敗。なぜなら、昨夜の夜更かしのせいでいつもより目覚めが遅れ、起きたときには日本特有の味噌汁の香りで花は形だけ。

曰く「気の効いたことしてたね、良く匂ってたよ」「どうして残しておかなかったんだ」「早起きは三文の得ってね、言ったでしょ/

そこでよめるうた

風鈴(すず)の音(ね)の やみて

        香り広がる 一夜花      山人

あれも来よ かれも来よ

        共に愛でよう 花に月に酒  山人           おそまつさま

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2005年8月15日 (月)

私も保守

いまから60年前の8月2日、自分たちの頭の上はるか高くB29の編隊が飛び去り、富山市を爆撃した。

どこから連絡が入ったのか、今日富山へB29がくると噂され、小さな集落の全員と思われる人が空を見上げていた。編隊はどれだけいたのか分からないが、無数の小さな光を点滅させながら夜空に爆音を響かせて飛んだ。

当時の子供の絵にあるように、日の丸をつけた日本の飛行機が立ち向かうことなく、富山の空に消え、やがて、谷あいの空が音も無く、赤黒く染まるのを見た。

こんな光景は当時どこかの都市で連日繰り広げられていた。抵抗力の無い都市を滅多打ちにして、大量殺戮をおこない、そうなってまでも国体(自分自身?)を守ろうとした軍隊というもの。

このとき、子供心にも「日本はだめだ」と思ったというのは、本当だったか、後になって刷り込まれた知識だったか定かでないが、8月15日、大人が聞きにくいラジオの前に集まって、ホッとした様子をひそかに盗み見してのは本当だった。

そう今日のように太陽が照りつけ暑い日だった。

この戦争は、はじめから勝ち目のない戦いだった、前にも書いたが日露戦争以来次第に権力を拡大した軍部とそれを支持し、世界情勢を知らなかった一部の指導者や報道に引きずられる所が大きい。

そして、国民に多大な犠牲をもたらした人には、やはり、それ相応の責任を取ってもらわなくてはならないだろう。「死んだら全て神や仏になる」では飢えで死んだ兵士、爆弾で死んだ市民に対していいのだろうか。

一昨日、元オリンピック選手の溝口紀子が、静岡新聞の「窓辺」というコラムに{「日本は戦争に巻き込まれてはいけない」という保守的な考え方が浸透していると思いますが、、、}と書いていた。

そうか、自分では思ってもいなかったが「そうです、私も保守です」といわなければならない時代なんだね。

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2005年8月14日 (日)

甘いは美味い

なまじっかの雨のため、湿気が増しじめじめと不快指数をあげている。

ひとっころ、砂糖の業者組合だったと思うがラジオのCMで「あまいはうまい」と流していたが、「うまいはあまい」ばかりでは決してない。

甘い味とは、ものの本によると、生まれつき人間に備わっている(余談ながら、猫はないとのこと)味覚だそうで、これの強い人は幼児性がいつまでも残っているという。(いえ、スイーツ好きの貴方では決してありませんから,念のため)

辛い、渋い、苦い、酸っぱいなどの味はその後の体験を通して憶え、この味が美味いと感じるようになるのは、後年になってからのこと。つまり、大人の味なんだろうね。

「美味い」というのはそれぞれに個人差があり、その個人差の大きな要因は、まわりの大人が作り出している。つまり、その子にとって信頼できる人が美味しそうに食べれば、先に美味しいという感覚ができ、この味は美味しい味だと頭に染み込むのではないだろうか。

うまいはそだち」というべきか?

自分の場合、関西系の雪国がキーワードだと思う。塩辛いもの、薄口醤油で素材の味や色を生かした「煮物」「つゆ」などを好み、静岡風の真っ黒いおでん、黒くて甘みのあるうどんつゆなどにはあまり食欲がわかない。

「そんなに甘いものが好きじゃないって言うけど、これで結構砂糖はつかっているんよ」「へえ~ なんに?」

「じゃがいもの煮っ転がしでしょ、身欠きにしんの焼いた時でしょ、一番使うのはあんたの好きなスキヤキですから、ざんねーん でした」

「それからね、ピーマン、人参 アボガドも美味いんですから、ぜひおたべ」

話は、とんでもないところに飛び火するので、今日は退散する。

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2005年8月13日 (土)

サンマタイム

諸君はサンマータイムをご存知か?

我輩幼少のみぎり、これを体験した。

あれは、小学校の夏に入ったとき、校長先生が全校生徒を集めて(といっても小中学校生合わせて200人弱)「明日からサンマータイムになります。今晩は寝る前に時計を1時間早くしておいてください」

純真無垢な小学生は、言われた通り時計を1時間早くして寝た。その前に姉がやはり早くしたのを知らず。おかげで、当家は前日にくらべて、2時間も早くサンマータイムに入り、誰もこない朝のラヂオ体操に出かけていた。

この文を書くにあたり、調べてみた所サンマータイムは昭和23年から5年続いたとある。たぶんGHQ(占領軍)あたりからの指示だったのだろう。よく「普通の時間にすると、、、、、」なんて言葉を聞いたことがあるから、完全に定着したものではなかったものと見受けられる。

最近になって、サマータイムと名を変えて、導入の話しもあるが、なかなか実施できないでいる。

一つには、実施している欧米などと事情が違うことにある。かの国では緯度の高い所にあるため、朝の5時頃から朝陽が顔を出し10時過ぎまで明るいので、真ん中を仕事に取られるよりなるべく早く仕事を片付けて、ということにあるらしいが、日本の場合この制度に熱心なのが大企業の上に立つ人たちで、経済効果がどうだとかでものを言っている。

日本の勤め人がどれだけ仕事を早く切り上げて、余暇を楽しみたいと思っているか知らないのだ。早く帰れば家でこき使われるし、飲み屋に行くには明るすぎるし、結局は会社に残ってサービス残業が落ちということを知っている。

それより、逢引(古いだろ)の時間を間違えて喧嘩したり、パソコンなどはどちらの時間をとるかで大仕事になる。また、一日が長くなるわけではない、次の日朝が早いのだ、毎晩毎晩騒いでいたら身体がもたんよ。

そうそう、こんなのもあった。近所のおばちゃんの井戸端会議で「あしたの朝から秋刀魚食べよって言ってるよ、食べてどうするの。ウッフッフッ~」

ミスターサマタイム 探さないで 

           あのころのわたしを

ミスターサマタイム あの夏の日、、、とくら~

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2005年8月12日 (金)

わしの場合

御巣鷹山に日航機が墜落して20年という。520人という数字は一航空機事故としてはいまだ最悪という。

最近、航空機関係のトラブルがまた目だって多くなっているのが気にかかる、そのほとんどが人為的ミスからきている、ということは、単にたるんでいるというよりも、人はあやまちを犯すものだ、ということを忘れていることにある。

あの夜、8時頃から行方不明になった飛行機の情報とともに搭乗者の氏名 住所 年齢が繰り返しテレビの画面に映し出され、アナウンサーは繰り返し読み上げた。

それに引き換え、今年JR西日本の事故では被災者の氏名が一切発表されなかった。それどころか、家族の安否を尋ねる人にさえ10の病院が拒んだといわれる。

これは、今年施行された「個人情報保護法」によるものだとされ、個人情報に関しては「振り込め詐欺」をはじめ事故の場合、被災者や遺族に群がる業者や関係の無い人、親切ごかしの似非宗教者によるさらなる被害を防ぐためのものと言われる。

官公庁や企業の情報公開と個人情報保護の中で相反する解釈がこれからもでてくることになるが、入院患者の情報を家族にまで拒んだというのはどういったらよいのか。がんなどの告知も直接本人でなければと言うのもあるそうだが、ショックの方はどう始末をつけるのだろう。

「わしの場合?う~んと、いまんのとこ隠さにゃならんもの、なぁんも無いような気ぃするけどな」  「ほんじゃ ブログに全部ぶちゃければ」

「おまえさんもバカだね~、隠してるからどんな男か楽しみだがね。全部分かったら、みんなはだしで逃げてくよ」

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2005年8月11日 (木)

今宵はほろ酔いにて候

「酒はぶどうにて作り申候、また麦にても作り候、麦酒をたべ申し候処、殊のほかあしきものにて、何のあぢわいも御座無候。名をビィルと申し候」

江戸時代、はじめてビールを飲んだ人の感想文である。

いまでこそ、あつい一日が済んでほっとした夕方、定番のひややっこや枝豆のつまみを前にして、キュッーと飲み干すビールの最初の一杯。これは、格別なものがあるが、日本の酒の仲間としては比較的新しい部類に入る。

以前は、夏だけの飲み物だったが、生活環境も変わり暖房が発達したせいか、年がら年中飲まれる軽い酒という、イメージがついた。

自分の場合、ビールの初のみに関しての記憶はないがウイスキーについて、江戸時代風に書くと次のようになる。

「その香りまことに芳醇にして強烈に候、色は黄金(こがね)にしてギャマンのうつわのに揺れる。友 物知り顔で薦め候も味を不知、小さきカップに入れ口に含めば、口中焼け、喉元から胃の腑にかけて熱湯駆け降るさま 目で見るが如し、思わずむせかえり候。これぞ火の酒なり、以後慎むべし」

勤めていた時を含めて、酒を飲めるやつが「偉い」みたいな職種だったので一時はかなりの量を飲んだ。職場の宴会はまず、一人当たり五合の酒から予算を立て、友達と二人でサントリーオールドを2本で足りなかったとか、二人で一升五合の酒を飲んだ後地区の運動会の選手リレーを走ったなど武勇伝作りに精を出した。

それが、今では0.5㍑のビールをもてあましている。つくづく「年だねー」

このほかにもいくつもの初物を食して今に至るが、この先、初物の御饗応に与れる機会があれば、身に余る光栄として、、エへッへッ~

今宵はほろ酔いにて御座候

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2005年8月10日 (水)

青田刈り青田買い

P1010001青田刈り」ひとっころ文化庁が、中高年ほどこの字を間違って使用していると発表し話題になった。

「青田刈り」は、もともとない言葉ではなく、辞書によると戦国時代相手国に侵入した武将が心理的な意味も兼ねて、食料になる前の田んぼの稲を刈り倒したことを意味し、「青田買い」は、江戸時代以降田んぼの稲の具合を見て出来る米の量を推定して先に代金を支払って、米を確保すること、とある。

そういう意味から、学生を卒業前に確保することをなぞらえているが、「青田刈り」の方も意味は違っても健在している。

正月のしめ縄などの材料にするため、今の時期稲を刈り取って路上に並べ急速乾燥により、青い色を残して藁にしている、食糧難を経験しているものにとって、もったいない風景である。

食料自給率40%といわれる中、減反政策で田を荒らし青田刈りをしている。狭い国土といわれながら、私権が邪魔をして集約化も出来ない。

「昨今、景気は良くなったというけれど、かなり高い所を吹いているようで、大きい会社にしか届かない、「青田買い」なんてほんの一部らしいですよ

「若いから、青田買いって言うんだろ。年取ったらなんていうのかな?「実る田買い」それとも「天下る買い」ってのは、どうだい」

「あんたは、そのどっちでもない、落穂田売り(おちこぼれどうり)だよ。誰も買わない /」

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2005年8月 9日 (火)

真夏の夜の夢

きのう下界に下りてきたら参院で郵政民営化法案が否決され、衆院が解散だって。先日来のドタバタ劇の末のこと、このくそ暑い中で、これから選挙だって、ほっといても当事者は加熱するね。

特定郵便局長にねじを巻かれた自民党一部議員と労働組合から圧力を受けた民主 共産 社民の各党は当初から反対。郵政が抱える問題を真剣に討議しようとする姿勢が見えない、首相の姿勢、答弁もさることながら、ただ、自分の地位のことしか考えていないような議員が多い。

公認されなきゃ新党かと思ったら、いまになってオタオタしている。先を見る目のない人ばかり、覚悟の出来ない人。こんな人が国会議員だって。

自民党が、分裂気味の選挙になるため、民主党は政権が取れそうとと言っているが、一般にはどっちもどっちと見ているように思うがどうだろう?

「真夏の夜の夢」となるか、「漁夫の利」を得るのか?

ほとほと愛想の尽きた人ばかりだが、選挙にはいつもどうり行くだろう。

「エッ どこを入れるかだって?」

「ウーン 多分、、、、言わないよ。でも今回は白票もあり」

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2005年8月 8日 (月)

ひとっ子一人いない

P1010066 池の平。日本各地によくある地名の一つだと思う。長野県だけでも自分の知る限りで3ヶ所ある。

今回登ったのは、長野県と群馬県の県境、浅間山の西側一帯につづく、湯の丸高原といわれる二千m前後の山が十座ある山塊の中にある。

池の平は、ざっとみたところ5~800mくらい旧火口が元になって出来た湿原で、高山植物の多い山として知られている。

朝4時、望月町の義妹夫婦の家を朝ご飯抜きで飛び出す。これも、どこにでもある地蔵峠という名前の駐車場に入ったのが5時少し前、下から見た時、霧ごんでいた山も峠に着いたときには晴れており、朝陽が霞み?のせいか眠そうな顔をして上がってきた。

早々に支度して歩き出す、いつものように少し早足になるので自分に言い聞かせるが、なかなかうまくいかない、「まあ一人歩きだからいいか」なんて自答しながら息がはずむまで山道をたどる。

他の時期なら池の平のそばを通り高峰高原まで自動車で行けるのだが、観光シーズンには閉鎖して、かわりにバスをピストン運送するそうだ。

しかし、今回は花見が目的なので、歩いたほうがゆっくり見えるし、バスは8時頃でないと動かないことを知っての上の行動。  朝早く出発したのは、自分だけだったようで、文字通り露払いをつとめる。歩くにつれて腰から下が露でぐっしょり、気温は駐車場で18度だったから、さらに下がっているのだろう、少し寒く感じる。

笹原 コメツガ カラマツ ダケカンバの樹林を交互にくりかえし、だらだら登りに高度を稼いで1時間少しで池の平駐車場に着く、ここまでにも、道脇にはヤナギラン オダマキ ナデシコ ノアザミなどを見、シャクナゲの枯れた花弁を沢山つけた大株にもであった。

P1010055 駐車場からは、整備された砂利道となり、標高で70mほど降ると目指す湿原に到着する。湿原の周りを木道がとりかこみ歩きやすく湿原に立ち入らないようにしてある。そして、小さな草花があちこちでなくびっしりと花を咲かせている。

ここまで、人っ子一人出会っていない、まるで、自分ひとりのために咲いているという、年がいもない感情に浸りながら、あちこちと歩き回る。  「朝起きは三文以上得をします」

次に目指すは、やはり高い所に登らないと気がすまない性格からして、最高点 見晴岳に向かう、20分くらい草花を愛で、写して登ると左手にフエンスが続いている、なにか危険なのかと覗くとそこは、コマクサの群生地 「長いことぶりでした」と思わずあいさつ。

乗り越えられそうな、フエンスで守られている所を見ると、マナーも良くなっているのだろうか。まもなく、見晴岳(2,095) 頂上の岩に腰掛けて食事をしていると、前方が霧ごんできた、背中に太陽を背負って、もしかして、ブロッケン現象かと期待して立ち上がって待つ、前方の霧に自分の影が、、、、、、しかし、期待はそこでおしまい。霧は後ろにも回る。我慢をして待つがますます濃くなるばかり。9時過ぎ下山を決める。

降り始めて、20分ほど初めて人に会うまで自分の山だった。

花の方は、少し、整理をしてケセラのマイフオトの方に載せます

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2005年8月 7日 (日)

蓼科山敗退記

ひさしぶりに蓼科山をめざした。

あさ 静岡を出て立科町女神湖を経由し大河原峠に着いたのが、午後1時になっていた。少し前まで暑さにうだっていたが,ここまでくるとときどき冷蔵庫を開けたときのように冷やっこいものがくる。

支度して少し登ったあたりから雨がちらついてきた、風をともなって「夕立でもくるんかいな、へたに雷にでもなると冗談ではすまなくなるぞ」と様子見しながら、それでも足は上へ行きたがる。

前回はやはり午後からの登りで途中、山小屋泊まり、翌朝頂上でカーテンを引くように霧が一瞬で吹き飛ばされ南北アルプス 富士山が快晴のそらに映えた経験があるので、今度もなんとかという思いがあってのこと。

しかし、どうも今回は様子が違うような気がしてならない{蓼科で老人遭難}なんて見出しの記事がちらついてはもうだめ、きびすを返してもと来た道をひきかえした。

駐車場から春日林道を下り望月町へ、ここは、標高が600mほどの町だがそれでも、気温は30度を越している、静岡に比べれば湿気のないだけでもいいが思わず  「ヤレヤレ」 

蓼科はいまも雲の中 振った気まずさで顔も見られず   

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2005年8月 6日 (土)

原爆被災60年に

広島で被爆し、救護に携わったドイツ人神父がその年の秋にアメリカのマンハッタン計画の責任者に送った手記がある。それには「たとえ目的が正しくても、今日のような総力戦が正当化できるのか」という問いかけで締めくくっていたとある。

いま、世界はテロに怯えている。その人の思想 信条に関係なく誰でもが被害者になる可能性がある。原因としてはそれぞれいくつかあるが、一番大きな原因はアメリカという国の独善主義、過剰な国益主義、ブッシュたちの倫理観がパンドラの箱を開けたと見て間違いないし、そのことをアメリカ人の多数が自覚していないようだ。

先日NHKの、「アフリカ 0年」という番組の中でアフリカの石油 地下資源をめぐってアメリカを含む西欧各国が権益を広げるため手先のアフリカ人に武器を与え内戦状態にしていることが、アフリカの発展 成長を妨げていると紹介していて、見ていても嫌になった。これらの国はアフリカの安定は望んでいないようだ。

20世紀は、戦争という名目で各国が無辜の民を大量殺戮し、21世紀は、テロとその報復としてやはり弱者が殺されている。(ひとり殺せば殺人者、戦争の名を借りて沢山殺せば英雄は、いまも健在)

まえに、海外ツアーに参加したとき、広島から来ている人と親しくなり話をしていると、しばらくして「実は私は原爆被災者でして、、、」とまるで伝染病患者みたいな話し方をされて驚いたことがある。その人によると原爆に被災した人には少なからず差別があるという、子供の縁談をふくめていろいろと、、、。

過去の歴史の中で、永遠の繁栄を続けた国はない。ローマにしろ、スペインにしろ、大英帝国にしろ、中国でも栄枯盛衰はくりかえした。アメリカも未来永劫ではないはず、しかし、人生80年としてもアメリカの衰退を見ることは自分の人生から言って難しそうなことが、残念である。

敗戦から60年、戦争を知らない人はますます増え、若者は保守化し憲法を変えようという動きが強まっている。しかも、その内容も為政者に都合のよくなるように、と、衣に隠して。

いかんいかん はなしがむつかしくなる。 

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2005年8月 5日 (金)

運がいいとか悪いとか

PA290020 賎機山(シズハタヤマ)の細い農道でおばあさんが草刈をしていた。そう、年のころ80歳前後に見受けた。

風もなく刈り取った草の匂いが、暑い太陽にさらされてそこら一面に広がる。こちらも一汗かいた所なのでそばの小さな木陰にはいって一緒に休む。

おばあさんいわく「うちは、運がわるうてな、バイパスが出来るとき2~3mで買ってもらえなんだ、この上の山も畑も全然関係ないけんが、隣のうちでは、バイパスに何枚も田んぼを買ってもらい、その金で麻機のほうに田を買ったら、こんだ第二東名の取り付け道路でまた買い上げになった。」隣の人は「なんでうちはこんなに毎年金が入るんかナ」いうとった、と延々と語る。

確かに、運というものは偏っていて均等に与えられるものではないし、努力したからといってかなえられるものではない。神様は不公平を楽しんでござる。

そして、ついていない世代というと昭和十年代がそれに当たるような気がする。つまり、自分と同世代の人。こんなことを書くとそれぞれの世代から「いや自分の世代こそ、、」という声が聞こえてくるが無視する。

わが世代の運のなさ、育ち盛りに食べるものがなく、ひもじい思いをした。

バブルの最中に無理をして土地を買い自宅を建てたら、バブルがはじけ以来今日まで、土地の価格は下がりっ放し。借りたお金はどぶにすてたようなもの。

そして、いつまでも老人の特典にあずかれない。つまり、バブルの頃は60歳から厚生年金 医療費やお祝い、バス券 など敬老の特典が近づくと65歳からとなり、また近づくと70歳からと逃げていく。

そんななかで、自分個人で言うとまあまあの方と言えそうだ。なんとか年金暮らしにたどりつき、細々ながらやっていくしかないが、一番は親 先祖にもらった健康である。これには感謝感謝j外に言葉なし。

今年の夏は、まわりに身体の不調を言う人が幾人もいる。みな老いた、自分の健康神話も何時までのものか分からないが、またそれも心配事。

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2005年8月 4日 (木)

ええいッ面倒くさい/解散だ/

  朝辞白帝彩雲間   千里江陵一日還

  両岸猿声啼不住   軽舟巳過万重山  李白

P1010108 中国 揚子江にダムが出来て水位が140mも上がり、漢詩の世界がなくなると聞いて、揚子江ツアーに参加したのは、もう10年以上前の話になった。

7/30のブログに書いたが、父親が武漢の少し手前で、負傷して帰ってきたのが昭和13年。その付近も見たかったのが参加の一因だった。

上海で乗り継ぎ、重慶に着いたのが夜になってからだったので、揚子江を見たのは夜が明けてからのこと、思っていた以上に川が汚れていたことと川幅が想像していたより狭いというのが印象だった。汚いというのは、泥水でなく工場廃水や下水設備の不備によるもので、そんな状態のなか、大小の船がひしめき合っていた。

河は市街地から30mくらい下がっており、荷物の上げ下ろしは人力が主になっているため沢山の人で賑っており、さすが、人海戦術の国と思った。

P1010113 大きな客船で、一日降った翌日、小三峡という支流を観光することになり、12~3人乗りの小船に乗り換えて二千年以上前の遺跡を見、さらに小船に乗り換えて竿と綱による人力の笹船で上流に向かう。

こういうやり方は昔日本でもあったようだが、はだかの肩にロープを食い込ませ、汗みどろにになって船を引く人を見ると、なんとも座っているのが居心地が悪くてしょうがない。

そのとき、ガイドの説明によるとこの人たちの日当は一日200円程だが、この辺ではいい賃金だそうで、やりたい人が沢山いるとのことだった。

これには、驚いた。上海で入った店のコーヒーは1杯400円もし、中国にしては高いと思ったが、中国人もかなり入っていた。しかし、この船を引く人があのコーヒーを見たら何というだろう。

江戸時代、飛騨は山高く寒冷な地のため、米を作る土地もなく人々は非常に困難な生活を強いられ、何度もの飢饉で餓死者が沢山でた土地柄だった。(餓死者のことをガッシンと呼び、いまでも自分の友達は大事に守っている)

こうしたなかで、大名にお金を貸すだけの余裕がある裕福な商人が何人かいた。当然飢饉や百姓一揆の時などは、日ごろのうらみつらみが出てしばしば打ち壊しの対称になるため、何かあれば寄付などをして、うらみを和らげようとし、その結果が高山や古川の絢爛豪華な屋台となっていまに残っている。

一つの国や町の中で貧富の差が大きすぎることは、怨念を生む。中国はその差がさらに拡大しているようだ。

先日も中国国内で対外試合に観客が暴徒化している。新聞などでは観客のマナーの悪さにしている。国民性もありまったくそうではないと言わないが、本質は日ごろの鬱憤にあるとに思うのは、自分だけか。

アメリカでもそうだが、内政に行き詰ると外交問題(イラン イラク 北朝鮮)をアピールして、国民の目を逸らせようとする、北朝鮮しかり。

日本も国会のゴタゴタや官僚の不祥事があまり出すぎると、外交問題?としたいが。北朝鮮による拉致も国連の常任理事国も全てアメリカ頼み。で、進展しそうもない。

「どうしょう どうしょう ええい/面倒くさい解散だ/」

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2005年8月 3日 (水)

ロダン

読売のホームページに「大手小町」という項目があり、昨年11/15「じいじとばあばの暴走」という書き込みを、興味深くよんだ。

その内容は、孫のため高価な贈り物をふんだんに与える祖父母のオンパレードである、それも、ほとんどが先の都合も聞かず独断でするというもの。

少子高齢化により、孫を待ち望んでいた高齢の老夫婦、経済的余裕のある彼らは、団地住まいの孫に6畳間いっぱいの滑り台とか、各お祝いは父方母方別々に行い、孫のため50万円もするテレビを買った、極めつけは、近所の中古住宅を買い、リフォームしてよびよせようとするなどの暴走?をしている例があちこちから寄せられていた。

閑話休題、「アルタイの至宝展」は特別展示であり、静岡県立美術館の目玉といえばオギュストロダンのブロンズ像である。その数32点。

P1010103 ロダンの「考える人」 「カレーの市民」6体 超大作「地獄の門」などいずれも教科書で見たことのある像が集められている。

ブロンズは、一つの鋳型からいくつも鋳造できるため、いずれも本物である。ロダンの作品は、写実的ににできているため、自分のように美術に関してうといものには分かりやすい作品ばかりで、顔や手足の表現はもとより衣類のしわ一つにいたるまで描写が細かい。

ひとつひとつの感想を言っているときりがないが、新しい発見(自分だけ)は、「考える人」が地獄門の上のほうで、下の地獄図を覗いている人と大きさは違うが一緒だということであった。こうなると「考える人」ではなく「覗きをする人」と改名してもらわなければなるまいて。

会場の入り口に「作品に触らないでください」「携帯で撮影しないでください」と言う掲示があり、女性の係員があちこちに配置されていた。

各展示品は柵もなく、間近で鑑賞できるようにしてあるが、一人の小学校低学年の子供をつれた老夫婦がいた。この子供が係員の目を盗んではブロンズに触る、目を盗んでいる所を見ると、本人も悪いことをしている自覚はあるようだ。

子供に直接言うよりもと思い、老人に「注意したら」と言うと「孫が言うことを聞かないので」となんにもしない。自分もカッとなって「しつけがなってないね、自分の孫なら張り倒してでも止めさせるよ」と言ったところで係員が寄ってきたので任せて次の展示に移る。

これは、じいじとばあばのいたらなさ、こんな育てられ方した子供の将来は?

他山の石にしては、あまりにもなさけない。

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2005年8月 2日 (火)

アルタイ

P1010098 駐車場から美術館までだらだら坂を5分ほどで美術館。プロムナードは欅を主体としたブロック敷きの歩きやすい道がゆるやかにカーブをえがきながら続く、道の両側ではいまを盛りと蝉がわめきたて、虫かごと網を持った子供たちの白い服があちこちの木の間に見える。

7/13のブログに書いた宮脇 昭さんの言葉を思い出した、そう、この森もにせものなんだな、と。

今日は静岡県立美術館に来た、先月末から「アルタイの至宝展」というものをやっているので、遊び人はウイークデイに混雑をさけようと出かける。思惑は当たり来館者はまばら。

入って一番奥まった所にマンモスの全身骨格がある。「江戸の敵を長崎で」じゃないが、万博ではマンモスは一切見られなかったので、じっくり眺める。

これにころもを着せるとどうなるのか分からないのでいろいろと想像したが、鼻のないだけに牙がよほどおおきくかんじられた。

この展示品を出した、アルタイとは、現在のロシアに位置するがもともとはロシア  カザフスタン モンゴル 中国の四カ国が交わる所一帯を言い、BC2~3千年前からの文化があるところという。

最初の部屋をすぎて、薄暗い次の間に目当てのミイラがあった。永久凍土に埋もれていたというが、きれいなものだった。東洋系で身長160センチほどというから今なら小柄な男性だが当時としてはどうだったのか。

おそらく、出土したときに衣類を剥ぎ取られたのだろう、裸で横たわっているが左側の文身の綺麗さは、どうして?と思わせるものがある。肉の付き方をはじめ2,500年をまるで感じさせないものがある。

そのほか、きぬの上着 毛皮のコート ズボン スカートなどの出土品があるが、これらを見て思ったのは、永久凍土というものは、一種のタイムカプセルなんだということだった。

しかし、かの国の歴史を知らない自分にとって、年代順なしで、十九世紀の衣装まで並べられるとかなりむつかしい展示方法をとっているという印象を持った。

明日は、久しぶりに行った「ロダン」のコーナについて、、、、

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2005年8月 1日 (月)

きいてないよ

久しぶりに雨が降った。ときどき屋根を激しく叩き、木の葉が揺れる。暑さも一休み、かとおもったが日中は30度にもなり期待はずれ。

梅雨時よりねっちゃりとした気味の悪い暑さで、不快ここにきわまれリ「自然現象ゆえ仕様がないか」と、簡単に言えるかどうか。何かといえば、地球温暖化にむすびつけたがる今日このごろ、不快ついでに今日は生命保険について、、、、

「外資系生命保険は、どうしてあんなに安く出来るの?」「さぁ どうしてかな。短期に成績を上げなきゃならん外資の経営方針もあるけど、採算が取れるよう計算してあるんじゃないかな。最近政府も支払い能力について問い合わせているらしいけど、日本の共済型保険も同じような方法をとっているだろ」

従来の生保のおばちゃんがかけずり廻って集めた生命保険の評判が悪い。あるアンケートによると、「しっつこい」「うるさい」「こわい」「強引」と言う評価をしている人が多かった。

日本人の95%が生命保険に入っているという。生命保険好きの国民と言う評価があるが、いわゆる、歩合制 ノルマ制の給与により、おばちゃんがかなり強引に勧誘していたようだ、「なだめすかし」や「泣きおとし」「医者の審査もなんとかするから、、」といって、、、、、

その結果、告知義務違反で支払い拒否や当然支払わなければならないのに払いしぶりが明治安田生命だけで千件を超えるという。営業停止を受け今年は前年の60%にまで減ったという。社長もみじめったらしくしがみついたが、世論 営業成績の前には退陣するしかなかった。

これは、はたして明治安田生命だけなんだろうか。よく言われるのは、保険に入るに際して説明書の字をわざと小さく、難しくしてわからないようにし、おばちゃんの言葉が唯一の説明になるため、あとでここに書いてある条文により支払えません、とトラブってしまう。そこできいてないよ~ それぁとなる。

もうひとつ、明治生命出身の金子社長だが、明治生命といえば三菱系の会社である。ここ一連の三菱系といえば、三菱自動車(バストラック)のリコール問題 三菱地所の土壌汚染を知りながら対策もとらずにマンションを建てて売り出すなど、お客様に対する応対が出来ていない事例が多い。こう同じようなことが重なると三菱の体質なんだろうね。

会社 組織を一番に考え、自分の出世ばかりに目の向く官僚会社は、早いうちに退場してもらわないと、被害は契約者にすべてかかり、やらずぶったくりの暴力バー並みになってしまう。

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