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2005年8月 7日 (日)

蓼科山敗退記

ひさしぶりに蓼科山をめざした。

あさ 静岡を出て立科町女神湖を経由し大河原峠に着いたのが、午後1時になっていた。少し前まで暑さにうだっていたが,ここまでくるとときどき冷蔵庫を開けたときのように冷やっこいものがくる。

支度して少し登ったあたりから雨がちらついてきた、風をともなって「夕立でもくるんかいな、へたに雷にでもなると冗談ではすまなくなるぞ」と様子見しながら、それでも足は上へ行きたがる。

前回はやはり午後からの登りで途中、山小屋泊まり、翌朝頂上でカーテンを引くように霧が一瞬で吹き飛ばされ南北アルプス 富士山が快晴のそらに映えた経験があるので、今度もなんとかという思いがあってのこと。

しかし、どうも今回は様子が違うような気がしてならない{蓼科で老人遭難}なんて見出しの記事がちらついてはもうだめ、きびすを返してもと来た道をひきかえした。

駐車場から春日林道を下り望月町へ、ここは、標高が600mほどの町だがそれでも、気温は30度を越している、静岡に比べれば湿気のないだけでもいいが思わず  「ヤレヤレ」 

蓼科はいまも雲の中 振った気まずさで顔も見られず   

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