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2005年9月30日 (金)

八幡城跡

P1010145 昨日の阪神優勝をうけて、その経済効果は、6~700億円になるという試算をテレビで経済学者がしていた。

今年の阪神は例年になく順調に勝ち星を挙げ、優勝間際の足踏みもなくあっけなく勝ったせいか、静岡のイト-ヨーカードーが優勝セールを始めたが、「レジにて20%値引きします」という紙が張ってあるだけの上、客の入りも普段と変わりない様子で拍子ぬけだった。

ということで、行ったついでに、そばにある八幡城跡に登ってみた。全国に八幡菩薩の名前に由来する城はかなりの数にのぼるが、静岡の八幡城は名前としては知られていない存在である。

小高い丘の上の城は、 南北に500mという小城であるが、今川から徳川にかけて太田道灌 伊勢新九郎(後の北条早雲)武田信玄 勝頼父子 徳川家康など錚々たる武将が使用したり、なんらかの関係があった城である。

地質的には、やわらかい泥質岩から出来ているのでごく新しい時代に隆起したことが分かり、高さも63mしかないが、周りが海抜10m程度の平坦地であるため、富士山を始め駅南の市街地を一望できる絶好の地にある。当時、薩摩土手もなく静岡南部に安倍川が暴れ回っていたことを考えると、駿府城に対する向い城としても支城としても重要な位置にあったようだ。

丘の上は、東西に二つの大きな、といっても縦横2~30mの二つの曲輪を瓢箪のように連ねたような広場があり、どちらが本丸としたのか、それとも砦みたいにどちらでも構わなかったのかもしれないが、大きな木も生えさながら、芭蕉の句にある「つわものどもが夢の跡」を表現している様に見えた。

道はゆるゆると北側から登る整備された方が搦め手で、南側の傾斜はきついが、八幡神社の方が大手門だったかと思う。見た感じだからほんとの所は分からないが、昔の人は方角をだいぶ気にしていた様子なので、そんな理由付けしながら歩いてみた。

富士山も、久し振りの澄んだ青空に映えて、くっきりと見え秋色次第に深まるの感大なり。

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2005年9月29日 (木)

先楽後憂

先天下之憂 而憂  天下の憂いに先んじて憂い

後天下之楽 而楽  天下の楽しみに後れて楽しむ

全国に後楽園と言う場所は、岡山の後楽園を筆頭に何箇所もある。語源は上の句によるものだが、何時の時代も口先ばかり,殿様の遊び場やお客さんの接待所のために作ったもので、詩文のような高尚な思想から出来たものではない。

天下のことは、さておいて好きな食べ物を先に食べるか後に残すか、というごくいやしい話から始まる。自分たちのように兄弟の多い家庭に育つと、銘銘盛りの皿でなく、大きな皿にドサッとでなく、チョビッと出て来ることが多かった。

「あ,と,で,」なんていっているまに無くなってしまうので、「美味いものは先に食え」が常識だった。

美味いものを残して「後楽」出来たのは、親元を離れて寮生活になってから、と言いたいがが、これもお定まりの給料が少ない、子育てが大変などで無理。結局は子離れした最近の話になる。

しかし、世の中上手く出来ていて、近年太りすぎ症候群。好きな物から食べないと、後になって体重計に乗りにくくなってしまうと言う悩みが出て、また「美味いものは先に、腹八分目」と言い聞かせなければならない時代に戻ってしまった。

先年水虫の治療中に、女の医者さんに「このごろ水を飲んでも太るんです」と言ったら、その医者さん真剣になって「絶対そんなことありません。いいですか、太るというのはですね、、、、、」としばらく真剣にお説教され、診察時間が長引いてしまったことがある。いやだね~冗談の通じない医者さんは、

結局のところ、わが人生は「先楽後憂」  先に腹一杯食べて、爪楊枝でチッチッとさせながら後悔するという図式の繰り返し。

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2005年9月28日 (水)

分からない人

人ごみの中で知らない人から挨拶をされた、それも飛びっきりの美女?に。

有名人ならいざしらず、名もない自分は、目顔で挨拶されるとある種のパニック状態になる。「どこかで知り会った人だろうか、もしかして、後ろの誰かがいて、その人にしているんだろうか、それとも、自分に似た人と間違えているんじゃないか」挨拶を返していいやら、無視していいやらと考えながら、頭を中途半端に動かし口をゆがめ挨拶のような挨拶でないようなふりをながら、あたりをうかがう。

一方、頭の中の引き出しをあちこち引っ張り出しては仕舞い次の引き出しを捜すうちにこんがらがってしまい、別れた後もそのことでしばらくは他のことに手が付かなくなる。

どこにでも、上手 達者はいるものですぐに名前 顔を覚える人、自動車のナンバーで運転する人を言い当てる人など何かコツがあると思うが、自分にはない、しかし、最近ではその上を行く人がいて安心している。

「ほれ、あの何とかって人。ほれ、最近女の人に騒がれている ほれ あの人よ わかんないの じれったいね~」じれったいのはコッチ

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2005年9月27日 (火)

書いては見たが

とりあえず国勢調査の記入をしている。

個人情報との絡みでどうしてこんなくだらない調査をしなければならないのか不思議である。

特に隠さなければならないものもない、ほとんど、市町村役場で把握しているものではないだろうか。

国政選挙ほどでもないだろうが、調査員が戸別訪問してやっていれば、かなりの出費になるはずである。そして、調査員が近所の人というのも気になる。

これだけ精密にやって、先日の百歳以上の老人の人口を確認できないまま発表し、50数人がいなかったり、40年ほど前から行方不明の人がいるとくると、各役所勝手にやっている、縦割り行政のきわみである。

また、ホームレスや孤独死をするような環境にある人の調査はどうなっているのだろうか。

一方、アメリカの場合。先日のカトリーナの被害で犠牲者が八千とか一万とかになる、遺体を入れる袋を二万も用意したとか、安置する大きなテントを張ったとか言っていたが、その後音沙汰がなくなった。

多分恥ずかしくていえないのだと勝手に想像する。たしか、かの国は面積では格段の差があるが、人口では3倍になっていないはず、なのにこの杜撰さどう考えればいいのだろうか。

ユピキタス社会を提唱し目指すはずの総務省が、まるで人海戦術を使うのもこれまた如何。

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2005年9月26日 (月)

稲のなみ

P1010123 船津太郎兵衛にみせたいもの~は

 盆のおどりと~ 稲の波

           え~稲のなみ~

ふるさとの盆踊り唄の一節。江戸時代 百姓一揆を起こした首謀者の一人として処刑された義民に送る言葉として今も唄われている。

今年は、夏の気候も良くて米も取れすぎる予想が立ち、政府もその対策の検討に入ったと言う。

昔なら”豊年じゃ~万作じゃ~”とて、堂島の商人以外は歌ってうかれ、祭り騒いだことと思う。

米と言えば、戦後の一時期、食糧難で配給制度が採られていたが、その配給たるや月のうち10日分ほどしかなく、その10日分も芋などの雑穀を含めての配給であった。必然食料を求めて自分たちの親は身の回りにある食べられるものを探し、農家へ買い出しに行かねばならない。

飛騨は山国、下下の国。むかしから自国の民をたべさせるだけの米が出来ない所だったので、この時期は隣の富山県へ行って、なけなしの着物などと交換してきたそうで、「まるで乞食みたい扱いを受けながら米をわけてもらった」と言う。

その米も、県境に警察が出ていて、闇米として摘発していたので、その目をくぐるため走っている汽車から飛び降りたりしたこともあったようだ。「摘発した米はどうなったんだろうね。交換した沢山の着物はどうしたんだろうね」が疑問として当時からあった。

そして、高校生になった時、富山県出身の同期生が「白い米の飯以外食べたことがない」と言った時はショックだったが、考えてみれば当然だよね。

それから半世紀、飽食の時代は食糧難を思い出させない。世界的に見れば食べるものもなく、餓死者を出す地域もあるというのに輸入した食糧のかなりの部分をゴミ箱に持っていって苦にしない国民になった。

でも「いつまでもあると思うな親と金」と言うことわざがあるように、いずれ、再び食糧難の時代はやってくる、これは、確信を持って言えることのひとつだ。

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2005年9月25日 (日)

愛知万博がすんで

P1010011 今日は、愛知万博の最終日そして、大相撲の千秋楽、ベルリンマラソンで野口みずきさんの日本記録と見させてもらった。

愛知万博は、ロシアの冷凍マンモスをはじめ日本のいくつかの大企業パビリオンに目玉が用意され、入場者も右肩上がりに増え、2200万人以上となって、利益が100億円以上も上がると言う予想が立ったら、もう、その配分でもうもめ始めているそうだ。

しかし、今回の万博のテーマーは環境にあるため、元の状態に戻すことを条件に土地をいじくっているので、「取らぬタヌキの皮算用」にならぬよう気をつけてね。 

自分も、6月に行ってきたが、人が多すぎるは、暑いはで、グルッと一回りで帰ってきた、最近の映像を見るとそれ以上の人出と暑さにもかかわらず、座り込んでまつ人や泊り込んで朝一番の入場をまつ人など「あんたはえらい」と賛辞をおくろう。

37年前、大阪の万博は6千4百万人と言われ、今思うと先の明るくなるような希望の万博だったように思う、会場にはいかにも外人と言う人が沢山いて、世界の博覧会という雰囲気があった。それに比べるとテーマーのせいか、時代のせいか、年のせいか、外国のパビリオンにおざなり的(自分の感じ)なところがあり、中国 韓国人は分からないが、その他の国の人の顔は極めて少ないように見受けられた。(追伸 9/27の新聞によれば中国朝鮮人を入れても5%にしかならず、予定の半分だったと言う)

テレビでも、リピーターが40%もいて、インタビューのなかで93回と言う小母さんまでいたことを考えると、これは内需の万博だったし、これらの人たちは万博の間、家のことを忘れて舞い上がっていたのだろうね。重畳 重畳

一方、大相撲の方は外人力士同士の優勝決定戦になり、朝青龍の六連覇という偉業になった,その精神力はすごいものがある。横綱の品格がどうのこうのと言った評論家もいたが、まず強くなければ意味がない。しかし、こんな調子ではこれから”国技”と言わないで他の呼び方をする必要があるね。たとえば柔術が柔道にかわったみたいに”撲道”とかさ、、、、。もみあう道ってのも艶かしいよ。

そして、野口さんおめでとう、ベルリンで 宇宙で エベレストの掃除で他の国の人に混じって成果を上げたのはたいしたものです。

一言余計な事ながら、今回の総選挙で小林さんは、謀反議員と 麻薬議員が出て味噌をつけたね。全国の小林さん、貴方以外の小林元議員ですから

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2005年9月24日 (土)

台風も様子見

どうも今日の天気のようにすっきりしない。

財務大臣がアメリカの財務長官と会談した際に「定率減税の撤廃につづき消費税のなどを見直すと言う課題がある」と述べ、むこうの長官は「日本の構造改革に強い期待感」を示しお墨付きを与えたそうだ。

選挙戦が始まったときには、政府税調の案は採らないといったはずだが、的を逸らすだけの口上だったのか。それにしても国会の始まる前に、本家の承諾を得る番頭みたいな卑屈な態度は何時になったら解消するのだろうか。

そして、今朝ほどのテレビ番組で民主党の前原新代表は「憲法9条の改憲を示し、さらに、労働団体に依存しない政策を取る」とも言っていた。これを聞いていて何か若さの暴走が始まるのではないかと言う予感がする。自民党が財界と言うがっちりした後ろ盾があるのに、それに擦り寄っていってどうなるの。

しかし、労働組合の幹部も総評時代に言われたように労働貴族化して、リストラ時など組合から説得されたと言う話を聞くくらい、会社のお先棒を担ぐ時代になり、組合員の支持をかなり失っているので無理ないか。(選挙で連合が支持しても票は伸びなかった)

最近では、日本もアメリカ同様、どちらの政党も同じようなことを言うようになって、庶民の立場に立つ政党(共産党や社民党を言っているわけではないが)や政治家が育たなくなってきた。代議士のほとんどがエリートでリッチな階層と言われるなか、一般庶民の暮らしぶりが分かる代議士がどれだけいるのか。

国民全てが中流意識を持つようになった結果だろうが、庶民も本当の中流とは何か考えても見ないうちにとんでもない世の中になっていくような気がして仕方がない。

おりしも、本家にハリケーン「リタ」が襲来し、分家にも台風17号がようすを伺っている、台風まで財務大臣のように、ペコペコして様子見をしなくても良いのにと思うのは考えすぎですかな。

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2005年9月23日 (金)

ぎゃ~てい ぎゃ~てい

P1010115 彼岸とは此岸に対しての言葉である。

此岸とは、迷いの多い我ら凡人の生きる世界をいい、彼岸、迷いのない向こう岸に行くにはご臨終を迎えて後のことらしい。

向こうへ行ったら帰って来れないんだから、迷ってても仕方ないもんね。しかし、今日がなぜ彼岸なのかは知らない。

彼岸は、春と秋にあり、昼と夜の時間が同じになる日、つまり、太陽に対して横っ面を見せる日だという。これからは、頭を上げあごッつらを見せることになる。

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、春と秋ではかなり温度差がある。春は20度に満たない日が多くあるのに秋は今日みたいに30度に近い、また、春に食べる餡ころ餅は牡丹餅であり、秋はおはぎと言う。餡をつぶす、漉す。米を丸殺し、半殺しなど土地によって違うが、基本的には同じと見る。

そして、今日9月23日は上の孫の中学の体育祭、走るのが得意なだけに喜んで招待に応じ、炎天下立ちっぱなしと砂埃りで疲れたが、此岸の楽しみを味わってきた。

そこで一言 

 ぎゃ~てい ぎゃ~てい はらぎゃ~てい 

  行こう     行こう     彼岸へ行こう

 はらそうぎゃ~てい ぼーじーそわかー 般若心経

全てを越えて彼岸に行こう 無上の目覚めに幸あれ   般若心経

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2005年9月22日 (木)

小泉兜のもと

Tu cabesa casco no ma (ツ カベッサ カスコ ノ マ)

スペイン語で相手をののしるときの言葉の一つで「お前の頭は鉄兜(保安帽)を載せるだけだ」つまりノータリン(脳足りん)という意味である。

今回の衆議院議員選挙で自民党は予想以上の大勝をしてしまい、東京選挙区では比例名簿をすべて当選させ勢い余って社民党に1議席進呈しまった。

おかげで、本来議員になる筈もなかった人が晴天の霹靂状態で議員になってしまったものだからしゃべること喋ること、ついには口封じをされてしまったそうな。

この人たちを見て、ずいぶん悔しい思いの人もいると思うが、天命である以上仕方がないことか。

次の選挙にはこの人たちはどうなるのだろう、現職優先で今度は上位になるのだろうか、いずれにしろ勉強して実力が付かなければ「はい それまで~よ」になると思う。

当面は右向け右の状態だから、小泉兜の下、気楽に高給をいただくんでしょうな。

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2005年9月21日 (水)

男のためじゃない

P1010110 世界三大とくると、その下にはいろんなものがくっついている。山 川 名所 文明などときて終いにはガッカリやムダまで入っている。

しかし、男である以上、三大とくれば美女を論じないわけには行かない。となると、世間一般にはクレオパトラやヘレナがきて、日本だけであるが小野小町がはいる。お隣り中国では楊貴妃や虞美人などのようで、それぞれ伝説の美女だ。

伝説になった以上、どんな姿かたちをしていたかさだかでないが、中国の場合ふくよかな美女が多いようだ、それにならってか日本でもお多福さんが平安時代の美女だと言う人もいるが、豊かな黒髪は話題になっても顔や容貌についてかかれたものはすくないようだ。したがって、小町さんも同様である。

現代の美人がタイムスリップして平安時代に行ったらどうなるか考えると面白い、憧れの小顔、髪の毛を短くし金茶に染め、ダイエットに励んだ娘っ子は自らをおとしめていることになり、足の爪までマニュキュァしたりヤマンバ風の化粧をみたら大江山の鬼の仲間、膝をやぶいたジーパンをはいて路上に座り込み何かを食べている若者をみたらお乞ん食さまにしてしまうこと請け合い。

時代が変われば、美人の基準が変わるのは仕方ないことであるが、究極の美人を白色人種において、髪の毛を染め、体形を真似しようとしても無理が出てくる。

「男はみんなそんな女性が好みだと思うほうが間違っているよ」と言ったら、返ってきた返事が「化粧やダイエットは何も男のためにしてるんじゃない」だって。ということは同性に対してなのね。

ハハン、分かりました。恐れ入り谷の鬼子母神ってやつか。

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2005年9月20日 (火)

老人笑うな 行く道だもの

P1010124 子供叱るな 来た道だもの

   老人笑うな 行く道だもの

なにかの手ぬぐいだったかに印刷されていた文句だった。出所がどこかは知らない。

若いころ、少し立場が偉くなると一段高い所に上がって、まず「エヘン!」と咳払いをして挨拶する人に「ヘン なにを偉ぶって、、」と思い、食事の後につまようじでシーシーと歯をほじくる人、道端にたんを吹き飛ばす人などをみて、若い正義感みたいなものが燃えた思い出がある。

ところが、年をとってくるとそれをしなきゃならないようになってきた。道端の痰はは別にしても、しばらく、声を出さないでいて、いざ話し出そうとすると、喉に違和感がありおもわず咳払いをしないと、声の調子が分からなかったり、奥歯を抜くと歯が少しづつ奥に移動するらしく、前歯が隙歯(すきっぱ)になり食べかすが、詰まったまま悪臭を放つようになるし、つまようじを使うとすっきりするため手放せなくなる。

年をとると言うのは、こういうことかといまさら思い知らされる。

テレビの1場面で「ご長寿早押しクイズ」と言うものがあって三人の老人に問題を出して答えさせる番組があるが、その答えっぷりにはじめは、やらせでわざとヘンな答えを言うように仕向けているのかと思ったら、どうも、あの年頃の老人の平均的認識と差がないらしい。先日このテレビを見ながら同席していた85歳のおばあちゃんに「答えが分かる~」と聞いてみたが「質問が分からない」と言う返事だったのでいい加減の答えをしているのが当たり前なんだと実感した。 

我々にも、今の若い歌手や流行語を質問されたら、やはりトンチンカンな返事をして笑われるのと同様なのだ。

それにしてもこわいのは、その人の生き方が出てしまうことである。このくらいの年になると、いままで理性では、こんな場所でこんな言葉が不謹慎だと抑えていたことも開放されるのか、なんでもありの発言になっている。そして、自分を見ても、恥ずかしいとかカッコ悪いとか、外面をあまり気にしなくなって、完全に予備軍になっている。

これからの人生、もし長生きしてあの年頃になったら、なんとか、いいおじいちゃんと可愛がられるように、なりたいものだ。

老人笑うな 行く道だもの  を肝に銘じて、

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2005年9月19日 (月)

上高地散策

P1010014 朝 ブルッと身震いをして床を出る、気温は10度を下回っているか?すがすがしい冷気。それでも今年は例年より暖かいという。

外は快晴、上高地に30年近く行っていないので、こんな天気なら、と出かけることにする。約1時間で飛騨側の基地になる平湯温泉の駐車場につくと、すでに第1第2とも駐車場は満車になっている。ここから、乗鞍、上高地行きのバスがピストン運送をしている。排気ガス汚染などが理由でいずれも自家用車が通行禁止になったための処置であるが、初めての駐車場は不便な所だった。

バスは、ピストン運送だけにすぐに来た、平成9年に出来た平湯トンネルを過ぎ、これまた今年から使われることになった釜トンネルの曲がりくねった急勾配の坂道を40分ほどで通過し、上高地の大正池バス停で下車する。

安房峠は長野県側でバスのすれ違いがままならず渋滞を各所で起こし、釜トンネルも同様な状態だったのから見れば、まるでおなじ道かといいたくなるような立派な道路になった。

およそ50年前、夏休みの夏季鍛錬に始めてこの地でキャンプをしたときは、川に入って岩魚を捕まえたときの水の冷たさは、慣れるまでの1分ほど、足が痛くて凍みるのではないかと思わせたことを思い出し手を浸してみた。兎を捕まえカレー鍋に放り込んだこと、焼岳登山のこと、あの夏は霞のかなたに薄ぼんやりと残る。

国立公園とは言いながら、当時は岩魚を釣ることを商売にしている人もいて高校生の我らには良い遊び場であった。

雲は、少し出てきて奥穂や西穂にかかるが仕方ないか、しかし、久しぶりに見る大正池は小さくなり池に突っ立っていた枯れ木の数も激減している、焼岳も以前はもっと赤茶っぽく見えたと思ったが、緑の多い山になっている。

これが、30年だなと納得するしかないのか。池のふちに降りる、水のきれいさ冷たさは以前と同じに見えるが、野生の鴨が人ずれをしていて怖がらないどころか餌をねだっている。

川沿いの林の中、木道が田代池から河童橋までを何本かにわかれて開かれている、これも、以前は道がないため、ほとんど人の入らないところだった。が、今日は何十人もに挟まれてぞろぞろと歩く。

季節的には、まだ紅葉が始まっていないので、少ないはずのこの時期にこれだけの人が来るということは、他の時期はどんな風になるのか考えただけで恐ろしい光景になるんだろうな。

河童橋近くに、真っ赤なずみの実をつけた木が少し秋をつげていた。(写真は明神岳を背景にナナカマド)

めぐりきて すがたかたちに としつきの

    かわりをおぼえて 我老いぬ    山人

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2005年9月18日 (日)

ふるさとは

P1010074 ふるさとの 山に向かいて 

                          いうことなし

ふるさとの 山は 

                              ありがたきかな   啄木

ひさしぶりに、ふるさとへ行ってきた。少し時間があったので、その名も「山の村」という集落にたちよった。

文字通り、周囲を山に囲まれどこから入るにしても峠を越えなければならない人里はなれた集落。標高千メートル程度の飛騨高原に三本の浅い川が扇状に広がるなだらかな土地であり古い時代から人が住み着き、自分の先祖もこの地の出である。自分自身は少し離れた別の土地で生まれたが、まさにこの地はまほろばの土地であろう。

この土地から少しはなれた市街地のはずれに住む従兄に、前もって一夜の宿を頼んでおいた。

彼岸には少し早いが親の墓掃除をし、花と線香を手向け、従兄の家に行く、従兄の家ではわらびやぎんばりのなどの山菜、ささげやじゃがいもの煮しめ、飛騨特産の菰豆腐にたけのこ(根曲がり竹)なんかを「これ なんにもないけど、懐かしいかと思ってな」と言って出してくれる。

「これが、ごっつおう(御馳走)なんやさ」といいながら、箸が進み、昔話に花が咲く。

今夜は十五夜、雲もほとんどない空に、まん丸な月が山の端から顔を出す「これ ちょっと寒いかも知れんけど、座敷を縁側に替えて飲みなおさんか」外はこおろぎの大合唱、すすきはわざわざ切ってくるまでもなくすぐ側にしだれている。

十五夜の宴なんてそれこそ久しぶり、顔はくずれっぱなしのうちにはや10時、山里の夜は早く虫の声以外に音のない世界に入り、無粋な笑い声を収めて床に入った。

ふるさとは、夢のうちにも あったかい    

やまざとは すすきもおいでと まねいてる  山人

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2005年9月17日 (土)

赤い花なら

P9280015 赤い花なら 曼珠沙華

オランダ屋敷に 雨がふる

濡れてないてる ジャがタラお春

またまたでました古い歌、今どきこんな古い歌を知っている人もすくないだろうに。

曼珠沙華は、いわずと知れた彼岸花であるが、今年も時期をたがえずに咲き出した、暑さ寒さに関係なく咲き出すところを見ると昼夜の時間差を地面の下でじぃっと観察しているのだろうね。

夏の終わり突然茎が伸びてきて彼岸に花を咲かせ、花が消えてから葉が出てくる、花のあるときに葉がなく、葉のあるときに花がないことから朝鮮では相思花(サンチョ)というそうだ。

この花も古い昔に日本に来た外来植物だとのことだが、どんな理由があってのことだか分からないが、日本国中にざっと千種類もの名前が付けられているそうだが、曼珠沙華とは、天上の花を意味し仏典ではめでたい花の一つなのに、日本では根に毒があるせいかひどい名前が多い。

たとえば、シビトバナ ハカバナ カジバナ キツネバナ シタマガリ ヤクビョウグサ他、、、漢字で書けば縁起でもない名前ばかりが並ぶ。

しかし、この草は根に毒があるとはいえ飢饉の時には食用に供されたこともあったし、根に毒があるため堤防などに植えるとネズミなどが近寄らないため、穴が出来にくいなどありがたい植物なのである。

近年大群生地もつくられて観光にも利用され始めているが、この花に対して謝罪し,せめて悪い名前だけでも忘れて上げなければならないだろう。彼岸のいりも近づいた今日。

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2005年9月16日 (金)

三年に一度片頬を

「文句言ってても一日、にこにこしていても一日。だったら人当たりのいい一日のほうがいいんじゃないの」

っていうけれど、人当たりのいいおじいさんを演じるのはつらいんだよね。にこにこするような事があればいいんだよ。あんましないだろう。

っていうことは、面白くもないのにニコニコしてろってことだろ、いやだよ、折角リタイアして自由になれたのに、嘘笑いはストレスを溜め込むだけだよ。はた迷惑でも何でも、まず自分の健康。

「怒るのをやめちゃっちゃ、何のための年寄りだかわからないよ。怒ってなきゃ駄目だよ 年寄りはッ!」  一般人 名語録よりー

じじばば二人だけの生活にそんな面白いことがあると思うかい。新聞やテレビを相手に毒ずくのが一番、相手の顔を見てうっかり本音を漏らしたら、しばらく口きいてもらえないよ。

なんにもないのにニコニコしてたら、何いいこと考えているンよ、どうせいやらしいことばっかりでしょ!って、これまた揉め事の始まり。

昔から言うでしょ。男は三年に一度片頬をゆるめるんだって。馬鹿笑いしてちゃ年寄り失格よ。

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2005年9月15日 (木)

行く先はどっち

ブログも数えて150回を越してくると、以前に何を書いたか忘れてしまい同じことをくどくどと書かないか心配になる今日この頃。

よく側の人からは、「そんな話は前にも聞いたよ結末はこうなんでしょう」なんて言われたりすると、これは大丈夫かなと思いながら書いている日もある。そんな時があったら目をつむっていてよ。

またまた大昔の話、アンデス山中で仕事をしていた時のこと、新しく採用を決めた男がおもむろに「じつは、明日の生活費にも困っているので少しでいいから前借をさせてくれ」と切り出した。こちらにしては、まだ働いてもいない男だし、信用できかねるので、3日分を取り出し受け取りのサインをもらって払い出した。

彼は、大喜びで外に出た後我々の事務所の窓から見えるところで、乞食のような人に小銭を恵んでいた。金持ちはそれなりの施しをするものである。

また、大切なものはそれなりの管理をしなさい。泥棒する人より、盗みをしたくなるような環境を作る人のほうが悪い。そして、盗みをした人は、教会で懺悔し神に許しを請えばよい(盗まれた人への謝罪は二の次ぎ)。

人間の本来の性は善なのか悪なのか分かれるところだが、このような行動を見るに付け、宗教観(カトリック 植民地政策?)が風土に溶け込み、親から子へと受け継がれてきた結果、異邦人には奇異にも見え新鮮な驚きをあたえる。

アメリカが、イラクやアフガニスタンで嫌われ、軍事的政策が上手くいかないでいるひとつの背景には互いの身体に染み付いた強烈な宗教観的風土の違いを理解しあえない所にあり、日本人の五目飯的風土がアメリカの占領を容易にしたことと一緒に考えたところに間違いがあったものと思う。

一般に海外では大金持ちはそれなりの寄付や、施しをする社会的義務と言うか責任感(大リーガーなどこれが当たり前のように聞く)があるようだが、日本では「金持ちほどきたない」なんていわれるくらい社会に対する施しには協力の話は少ない。

やむなく、なにかと言えば「おねがいしま~す」と募金箱を持って街頭に立つ。「赤い羽根」「緑の羽根」も個人個人善意のはずなのに町内会費でまとめて買うし、その使い道もはっきりりしない。

仏教 儒教 神道をまぜこぜにし、高温多湿の気候を振りかけて作り上げた日本人の人情、確固たるバックボーンもなく右左を見て態度を決めるさまは、なんにでも柔軟に対処できる様に見える。この国の行く先はどっちだろう。

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2005年9月14日 (水)

転ぶなら里へ

P1010037 今日も暑くうだるような日が続く、頭は煮えたぎってただでさえ弱い思考能力を奪う。天気予報では、昨日で厚さも一段落と言っていたのに、どう始末を付けてくれるんかいの。

話はかわる、いま市町村再編地図と言うものを見ているが、平成の合併で三千二百を越えていた市町村が、来年3月には千八百程度にまで再編され、さらに、政府主導で合併が進められるようだ。いまの、首相の下では強引になされることは請け合い。

新しい市の名前を見ていて思うのは、いずれもかなり苦労をしているようだ、北海道の北斗市や大空町 山梨の北杜市や南アルプス市のようにどこにあるのか分からない市名。長野県の東御市や長和町のように旧の両市町名をくっつけたもの、岩手の奥州市 静岡の伊豆市に伊豆の国市 石川の白山市などもなんだか分かり難い、また、新潟市や浜松市 高山市などのように元の市に沢山の市町村がくっついた所では新潟市 浜松市のどこそこといわれても、北の方なのか東のほうなのか見当が付かない。

たしかに、自動車による移動が簡単になり、これだけ市町村が減ったと言うことは市町村長が減り、議員が減ったと言うことで行政コストが少なくなったのであるが、周辺部の人の意向が伝わりにくく、ますます不便になり、市街地に集まるしかない仕組みになっていくのは明らかである。

山の人の間では、むかしから「転ぶなら里に転べ」と言う話があったが、全てが里に転んだ後には郷土芸能など古くからあるものの伝統が絶え、方言 郷土色 土地柄と言ったものが消え、日本中どこを見ても東京と同じ、つまらない国になってしまうだろう、と考えるのはよみすぎかな。

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2005年9月13日 (火)

しあわせですか

むらの渡しの 船頭さんは 今年六十のおじいさん

としはとってもお舟はこぐ時は 

元気いっぱい  櫓がしなる 

それ ギッチラ ギッチラ ギッチラコ

この童謡を聴いた頃は、戦争で若者が沢山亡くなり、平均年齢が50いくつかと言われた時代だった。

会社勤めも55歳が停年(定年ではない)の時代であり、肉体をよく使い食べるものもろくに無かったせいもあって、55歳の人は、見るからにおじいさんであり、これ以上仕事は無理と子供心に思ったものだった。

そうしたなかで、歌の文句のようなおじいさんは見渡したところ、全然いなかったように思う。それが、いまでは60 70鼻ったれ小僧扱いにされてしまい、60代であの世に行くとはやかったね、と言われる。

そして、老人の日をまえに、厚労省が発表したところによると、百歳以上の人が二万五千六百人余御座るんだと、これが、40年ほど前は百六十人ほどだったというから、魂消てしまう。

まずは、長寿おめでとうございます。秘訣はなんでしょうか?とインタビューはいつも決まりきったことを聞く、しかし、答え辛いのでしていないんだと思うが「しあわせですか?」と聞いてみたい気がする。自分だったら、つらい思いをしてまで長生きしたくないのだが、実際その年まで生きたら、なんというのかな。

ながらえば またこのごろや しのばれむ

 うしとみしよぞ いまは恋しき  藤原清輔朝臣

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2005年9月12日 (月)

目をしらくら

地面の下をこね回してきたものとして、現場でよく聞かれた質問に、「ここに温泉は出ないか?」というものや「金の塊を掘り出したことがないか」と言うものに混じって化石とはなにか、と言うものが多かったので、今日は化石に絡んだものをひとつ。

一般に、化石と言うとよく評判になる恐竜の骨格などのでっかいものが知られているが、いちばん化石として残りやすいものは藻とかサンゴ、貝など海や池の底にに沈んだ後上から細かい泥が堆積し、圧縮を受けて出来たものが多く、普通の人は細かすぎて見過ごすことが多い。

地上にいたものは、バクテリアに分解されたり風化され、粉ごなになって消えてしまうものがほとんどで、ひとつでも化石が見つかると言うことは、その時代その場所にかなり沢山いたということである。

そして、広い意味で化石とは、動物の足跡はもちろんミイラや万博に展示されたマンモスなどもはいるのである。

以上前置きが長くなってしまったが、いままで、地球上にいろんな生物が交替に栄えてきたが、いずれも永遠であったものはない。もちろん、人間もその範疇から逃げられないものだろう。

とすると、人間の化石は残るのだろうか。たぶん、他の動物に比べると、死後火葬という手段を取る所が多いので、きわめてまれな存在になる。しかし、人間ほど地面をいじくり返した生物がいないので、これが後の世に化石として残り、何億年か後に、地球の表面ををめちゃくちゃにした生物として名を残すことになると思う。

よく、人は一代名は末代とか、芸術や文章は永遠だと言われるが、それは人間の歴史の上だけでのこと、三葉虫にしろ、アンモナイトにしろ、恐竜のように一時期世界に君臨した生物は、急激な環境の変化についていけなくなって絶滅し、切り抜けて後代に子孫を伝えた生物はその時代小さくて隠れ住んでいた生物(中生代はネズミやゴキブリ)だと言う。

ということは、人間もこの先に来る変化に対応できない種類に属している可能性が大きい。日本人の常識「湯水のごとく」やアメリカ人の石油の無駄遣いを反省しなければ、近い将来の人類絶滅はさらに早くなる。

仏教では、釈迦入滅後の56億年に阿弥陀様があらわれて、人を救ってくださるそうだが、出てこられた時には救うべき人どころか、地球がなくて「はて、わしは出どころをまちがえたのかな」と目をしらくら(静岡方言で白黒)されるにちがいない。(注 最後はいい加減なので目くじらを立てないでね)

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2005年9月11日 (日)

ビール片手に選挙速報

今、ビールを片手に選挙速報を聞きながら、ブログを書いている。

どうやら、自民党が圧勝し、民主党がよもやの惨敗をしそうである。本来守りの与党が郵政で改革をとなえ、攻めなければならない野党が反対と言う変な構造となった。

民主党岡田さんの若さが出てしまったのか、小泉自民党のずるさが出たのか。投票する人が目先の改革に目くらましを受けたのか。いずれにしろ、ここまで議席数が開くと自民党と言うか首相の好き放題が出来そうな様相を見せてきた。

ひょっとすると、歴史の大きな転換点になるのか。

自分も8/9のブログで書いているが、この選挙で岡田さんは「千載の一隅」 政権を取れるような発言を繰り返していたが、そんなに上手く行くのだろうか、どっちもどっちと思っていた。

国民は、郵政に関していろいろと不満があった。予算審議もなく道路公団などに無駄金をつぎ込んだり、特定郵便局長の既得権など他にも沢山不満があるのを読みきれず。民主党は、後ろ盾になる全逓や、官公労などの組合擁護に走ったのを良しとしなっかったのだ。

今回、いわゆる郵政族といわれる人が謀反議員として孤立化され、自力のない人が政治生命を失っていくが、次の選挙から族議員と言われる人の力は、相当制限されることになるのではないだろうか、それはそれでいいことなのだが、権力が今度は官僚の手にゆだねられ、各県議会や市議会みたいに官僚の手でかかれたものを棒読みするだけの議員になると、これも怖いはなしだ。

いま、こちらは大雨注意報がでて、ときどき大粒の雨が落ち、雷も時おり聞く、なにかの始まりを予感させる。(ちょっと大げさか ならば、いいのだが)

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2005年9月10日 (土)

ネズミの心臓

いま「ゾウの時間 ネズミの時間」と言う本を読んでいる。発売されて10年余一時は評判になった本だが、このたび中古本で買ってきた。

もっと簡単な本のつもりだったが、変な公式なんかがあって結構難しい。そこで、いつも通り、あとがきをみると、作者曰く「動物が変われば時間も変わると言うことにショックを感じた。時間は唯一普遍なものと信じ込んでいた。、、、こんな、大事なことを教えてくれなかった今までの教育に怒りを感じてこの本を書いた」とある。

本を出す動機は人さまざまだなぁ、と言う感想。

哺乳類の寿命は、心臓の鼓動回数で見ると20億回打つといい、身体の大小に関係しない。ゾウがネズミに比べて長生きするのは、心臓の打つ回数が遅いからだとのこと、つまり、小さい動物では体内で起きるよろずの現象のテンポが速いのだから、物理的寿命が短いと言っても、一生を生ききった感覚は同じではないかと言う。

これを読んでおじいさんは思う、そう そんな一面もあるかもしれないが、そんな単純なもんかなと。他の動物はイザ知らず、例の麻機沼会談(爺さんの溜まり場)では、「このごろ月日の経つのが早くてね」と言う言葉がよく出る。

子供の頃、1年の歩みの遅かったこと、夏休みが永久に来ないのではないかと思ったもんだ。20代まではまだ早いとは言わなかった。が、それ以降次第に早くなる。まさに「光陰矢のごとし」が実感させられるようになった。

まだ、時間が早いと思わなかった頃、日向ぼっこをしている、人生の大先輩に「たいくつでしょう」ときいたら。「このごろ1日が短すぎてよわっとるのよ、な~んもせんうちに日がくれよる」

この辺の所はどんな説明がつくのだろうか。歯が衰え、体力が落ちても食べていける人間は、別な存在と言われるのか。

ネズミのように気の小さな心臓を持った自分は長生きしすぎているんじゃないの。

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2005年9月 9日 (金)

豊かさってなんだっけ

まえに、「幸せってなんだっけ なんだっけ」と書いたが、その続き?

昨日の新聞に、国連開発計画が各国の「豊かさ」度を発表、日本は去年より2ランク下げて11位になったとあった。

豊かさを計る基になったのは、寿命,就学率、一人当たりの国民総生産などらしいが、ヨーロッパの小さな国が上位を占め、なんでも世界一になりたがるアメリカが日本のひとつ上でしかなかった。

数字で比較するには、こんな方法しかないのかも知れないが、自分としては「豊かさ」と「しあわせ」とは、いくつかの点で重なりあうところがあり、ただ単に数字で表せるものではない様に思う。そんな意味からすれば、この報告書は、別の日本語訳にすべきだろう。

豊かさとは、物質的に恵まれているのは勿論ではあるが、安心して過ごせる世のなかであることが不可欠であり、この「安心して過ごせる世のなか」がしあわせの大きな要素とおもう。ただ単に長生きすればよい、総生産が多いことが良いことか、それも、ピンからキリまでの平均でだよ。

このことから、アメリカの場合、もっと下がること請け合いである。では、日本はどうか、あしたは良い(事故がないとして)にしても将来に不安を感じない人は、ごく少ない。

政治がぶれすぎて、この先どうなるか分からない。今の選挙にしても、解散前に郵政民営化反対を声高に主張していた議員が、棄権で公認をもらうために態度を一変させている。こんな政治家に日本の未来を展望する資質はない。

同じ日の一面に、消費者物価プラスに転換。デフレ脱却環境整う。原油高、景気回復。と喜ばしいことのように見出しが並ぶ。

たしかに、大企業を中心に最近大もうけをしているようだが、自分らの所には良い材料はなんにもない。おこぼれが届いてこないのだ。でも、最初の国民総生産を一人当たりに直すと、順位があがるんだろうな。

石油の値上がりにしても、サウジを始めとする産油国の王族とアメリカを中心とするメジャーや投資家ががっぽりもうけて、「豊かさ」を押し上げ、貧乏人を作る。

しからば、甲斐性のない自分としてはむかし聞いた

狭いながらも 楽しい我が家

愛の日かげの さすところ

恋しい家こそ わたしの青空  

って歌うしかないか、愛や恋では食べても腹持ちしないけどでね。

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2005年9月 8日 (木)

長者が岳(1,336m)

P1010035  台風一過、起きてみると窓の外は雲ひとつない快晴。

外に出て富士山をみると、真っ黒な台形が、竜爪山の右っかわにぼったってる。これは、出かけるべしとて、山歩きの支度をする。

行く先は、富士山の向い山「長者が岳(1,3336m)」 前から登ってみたい山の一つだった。ところが、清水を過ぎると雲行きが怪しくなり、田貫湖(約660m)に着いたときは空一面低い雲。「まいったな~、天気予報も良かったのに。しょうがないか偵察だけでも」と登り始めたのが9時過ぎ。

山道は、いままで登った道の中で、一番と言って良いくらい登りやすい。尾根筋に沿って広々とし、傾斜もほとんど一定に、そして直線的に登っていく。

実は、これが悪かった。甘いカクテルのように飲み口がいいのに度が強い酒、おさえて登ろうと頭が言うが、足のほうは調子に乗ってトットコト~と動く、空のほうも次第に雲が切れ、日差しがでてきたなと思っていたら富士山が見え出した。これは調子が良い、足も調子が良い。

途中、休み場が二箇所ある、上の休み場当たりからつけが出てきた。心臓が蒸気機関車なみに「お山の中行く汽車ぽっぽ なんだ坂こんな坂、、」状態になってきた。もう、周りの植物など見て歩く余裕もない。休む回数を増やしながら、ようやく頂上についたのが、11時。なんと2時間の苦闘であった。

ところが、頂上について5分経つか経たないうちに、突然また霧が降りだしただした。まるで芝居の最終場面のように、千両役者が大見得を切ったところで、チョーンと拍子木が入って幕が閉じるように、富士山をはじめミーンナ姿を消したた。

P1010049 「なに また晴れるさ」と高をくくって昼弁当にし、腰掛で30分ほど昼寝をして、おきてみたら、こわいかに湿ってはいないが霧が渦巻いている。山の神の機嫌を損ねたかな。登る時、ついでに天子が岳も廻ってと思っていたが、初めての山、ここは、ひとまず退散とて降る。

本日は、登り降り合わせて3時間半余、季節の変わり目か,めぼしい花もなく行き交う人も全然ない、貸切状態の山行きであった。

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2005年9月 7日 (水)

白露

秋の野に おく白露は たまなれや

  貫きかくる くもの糸すぢ    古今 秋上

P1010039 今日は「白露」 二十四節気のひとつで、陽気に変わって陰気が強くなり始め、朝、草木に白露がつき始める時期という。

陽気とは、万物が動き、生じようとする気だという、生物も今まで受けた陽気を充実させ、果実に貯める。果物の上手い季節、秋刀魚 かつをに油が乗る季節。それを受けて、熊や自分の腹がふくらむ季節。 陰気万歳!と言ってよいのか?

話は変わるが、いやいや驚いた。

今、洗礼名事典を見ていて気がついたのだが、アメリカを襲ったハリケーン、Catalina(カトリーナ)は、スペイン語でCatherrine(カタリーナ)といい、この文字を英語読みにするとキャサリンとなり、昭和23年1200人以上の死者を出した台風と同じ名前になる。

陰陽師か細木某さんにでも依頼して、この名前、お祓いをしてもらわなければならないね。いや、彼の国のことだから、十字架を突きつけ、にんにくを腰にぶら下げた悪魔祓いの儀式でないと効果はないか。

ちなみに、スペイン語に対する英語の洗礼名を2~3取り上げると

デイエゴはジエームス  アニータはアンネット

カルロスはチャールス    イサベルはエリザベス

ホアンはジョン マルコスはマーク アリーシァはアリス

そして、アレハンドロはアレクサンダーといい多分ギリシャ語だと思うがイスカンダールと言うそうで、宇宙戦艦が目指したのは、案外エジプトだったりしてなんて思うと面白いんでないかい。

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2005年9月 6日 (火)

カトリーナは猛女

P1010008 8月25日の当ブログで台風にわらじのぬぎ先を紹介した。

「早速のお控えありがとうござんす。次のわらじは土佐の早明浦一家(ダム)へつなぎを出します。どうか、お手柔らかに願えればと、恐惶謹厳おたのもうします」と仁義を切ったのを受けて今回の台風14号になったらしい。

しかし、この客人は長逗留したいのか、大名旅行のように九州をゆっくりと北上して、所によっては千ミリ以上も雨を降らせていると言う。ちぃッたぁ 加減と言うものを弁えて貰いたいもんだ。

戦後の一時期、占領アメリカ軍に気象観測を頼っていた頃、台風の名前は全てアメリカ女性の名前であった。なかでもジエーン キャスリ-ン キテイなどは猛女だったらしく、何百人という死者がでた。後にこの名前のひとつを持った女性に会ったときは名前だけで猛女かなと怖気づいたもんだ。

先日、アメリカ南部を襲ったカトリーナさんも、歴史に残る悪女として記憶されることだろうが、同名の女性も同様に扱わされそうで気の毒の限り。

もっとも、カトリーヌ ドメジチという女傑がすでに居るので、仕様がないのか。

報道で見る限りでは、カトリーナさんの行状もさることながら、アメリカの防災対策や治安問題、道徳観においてかなりの違和感を感じるのは自分だけだろうか。戦後の食糧難の時代でも田舎町のせいか、あんな略奪やまして武器を以って軍隊が出てくる場面はなかった。

ジャズ発祥の地が、海抜0㍍地帯。石油の採掘でさらに下がっていたとは知らなかった。貧富の差が激しく自動車などが持てず脱出できなかった人が何万人も居て、死者が数千人になりそうだという。

日本同様、お役所が複雑に作用して連邦政府が、州政府が、市が、町がと主権争いもあるという。テレビに向かって「税金を納めているのに、、、、」が印象的だった。

このへんは、わが国も同様でげしような。

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2005年9月 5日 (月)

法定外の森林税

P5160049 今日本では、全国的に山が荒れているという。

木材価格の低迷で採算が取れず、放置された森の面積がかなりのものとなり、その影響で大雨や台風時にがけ崩れなどの災害の原因ともなるし、保水性の悪い山では水の確保が難しく、26の道府県で森林税なるものを、検討している。

確かに森林は、国民にとって重要な財産である。しかし、そのほとんどが私有の財産に、法廷外目的税という税金を徴収し、投じるのは、どうなんだろうか。

同じようなことは、大手の銀行に行なってきた経緯があるから仕様がないのかとも想うが、といって、まったく疑問がないわけでもない。

どこも、まだ構想段階であり、徴収の仕方、使い方、手入れの仕方などばらばらだが、前にも書いたように、日本一木を植えた宮脇さんの説からすると、杉林を常緑広葉樹林にしないと意味ないらしい。

となると、山林所有者が納得するのか、中途半端な手入れでは税金の無駄遣いになる。

また森林の手入れに、みんなが関心を持ってもらうためと称して、ボランテイァでやりたいと言うところもあるが、森林の手入れはそんな生チョッロイことで出来るはずがない。

とはいえ、山歩きの好きな自分としては、日も当たらずガラガラとした岩だらけの荒れた山を歩くより、ぶなや楢の多いすがすがしい落葉樹林を歩きたい。そのためには、山林所有者の譲歩というか、私権の制限が欲しいものだが。

果たしてどう決着をつけるかな。

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2005年9月 4日 (日)

悪友

下駄を鳴らして奴が来る 腰に手拭いぶら下げて  

学生服に染み込んだ 男の臭いがやってくる  

あ~夢よよき友よ おまえ今頃どの星のしたで 

俺とおんなじ あの星みつめて 何想う

歌は世につれ 世は歌につれなんて亡くなったコロンビアトップや玉置宏あたりがよく言うが、自分はこの歌でT,Tを思い浮かべる。

この歌のレコードは、昭和50年の発売だそうだから、自分たちが卒業したあと15年以上経ってからの歌にもかかわらず、学校時代を思い出させるのは、二番の歌詞に「俺は今でもこの町に住んで 女房子供に手を焼きながら 生きて~居る」とあり、当時の自分にかなり当てはまっていると想った。

自分たちが26歳で結婚するまでの少しの間、よくあちこちへグループで出かけた、まだ、国道1号でさえがが完全舗装されていなかった時代に、彼がその当時珍しく自動車の免許を取り、中古車を買い、飛騨から伊豆箱根に4人で行ったとき、最後の宿で食べた何かに当たり、各駅ごとに自動車を止めトイレを使いながら帰ってきたことや、北アルプスを二人で歩き回ったこと、独身寮の自分の部屋で何か覚えていないが語ったことなどが、映像のように思い出される歌である。

それから、約50年 久しぶりに同級会が開けるようになって2年に1回、顔を会わせるようなったが、他の同級生にもいろいろ積もる話しがあり、二人でという機会はない。

いまは、ときどきのメールで早く仕事を辞めるように薦める悪友をに徹していて、

古き時代と人がいう 今も昔と俺はいう

、、、、、夢を抱えて 旅でもしないか あのころに

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2005年9月 3日 (土)

精進料理

精進料理というものを若いとき一度だけ食べたことがある。

女友達の手前、見栄を張ってその地方では有名な店に入った。若い者には場違いな所というのはすぐに分かったが、入った以上は仕方がない。

さて、精進料理の発祥は、生臭もの、命あるものを殺傷して食べない。ということにあるそうだが、豆腐 麦 山芋などを使って、肉や魚 鳥らしく見せかけてたべさせることでもあった。

ということは、見せ掛けでもいいから肉 魚 鳥を食べたいという欲望が抑えられない坊さんが考え出し、豆 麦 山芋は命のないものとして小細工をしたものであろう。

自分としては、目で見たものを口に入れて、全然違った味であることに不快を感じた。まだ、見たこともない格好で出された方がましだと思った。

もうひとつ、ちまちまとした器に少しづつ料理を入れてきて、食事をするそばで年増で上品そうな女の人が、これは何でどう作ったか、ついでに器がいかによいものかまで説明する。

そちらを見て相槌をいちいち打たなければならない。なんと面倒くさいものか。そして、仕上げはこの料理法を始めた坊さんの賛辞でしめくくられた。

自分がこの中で何よりも違和感を持ったのが、アメリカ人が牛や豚はいいが、鯨は駄目というところに似ている論法だったことである。

人間が生きていくためには、他の生物を殺して食べなければならない。これを仕様がないとすれば、きれいに食べつくすことが殺す量を減らすことになる。刺身のつまのようにほとんど食べることを想定しない食べ物をなくすることが、究極の精進料理と思うが、  是如何。

以来、40数年本格的精進料理は食べたことがない。

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2005年9月 2日 (金)

成金趣味

P1010035 久能山 東照宮

もともとは、ここにはお寺があったようだが、16世紀になって武田信玄が山城に改修。その後、徳川家康が駿府で死去したあと、日光に移すまでの臨時の墓所としてここに葬られた。という。

イチゴの季節からはずれたウイークデイは、参道両側のみやげ物店もほとんどが休業らしく戸を閉めて閑散としている。最近とみに足腰のよわった観光客は、日本平からロープウエイで訪れるため、行事でもない限り参道を登る人は少ないようだ。

一の鳥居をくぐり、雑多な石を敷き詰めた参道は、椎や樫 くぬぎなどの常緑広葉樹を主体とするいわゆる本物の森(宮脇 昭先生)をかたち作っている。ここにかかるとひんやりとした木陰が気持ちいい。そしてくま蝉 あぶら蝉がまだ盛んに鳴いていた   「お前さんたちこんな所に来ていたのかい」

今日も天気がよく、かすみのため遠望が利かないが、海風が適当に吹き気持ちがよい、誰が数えたか千百余段という石段を登る。この石段、面白いのは石の種類の多さである。

円礫 角礫 切石、堆積岩から火成岩まで、そして、なにかの廃材と思うが四角い穴のある石、石積みの仕方など、見ていて飽きないものがある。

さて、拝観料を払って、境内に入ると日光東照宮の元になったと言われる「権現造」の本殿は、厚い総漆の上に極彩色の施しと金具、つい最近本格的改修で創建当時の桃山時代のはではでしさを取り戻したという。

これはこれで良いのだろうが、一時代前の銀閣寺や利休好みの茶室などと比較してみるといかにも成金趣味に通じるものがあるのではないだろうか。見た目は綺麗だが奥深さは感じられない。ともあれ国の重要文化財に敬意を表して。と

帰り道、同年輩の人に合う。聞けば40年間航空関係でアメリカを主にして海外生活をしてきて、リタイアを期に静岡に住んでいるという。話ははずむ、つい小一時間の立ち話になった。

しかし、営業職を続けた人と現場で身体を動かしてきたものの話は、違和感がある上、お互い年寄りの頑固さが邪魔をして、どこかですれ違う。

彼は、アメリカが世界一すばらしい国だ、政治に対しても小泉自民党が好きだという。この辺の溝がひっかかり、どうしても埋まらないのでもう少しというのを切り上げてわかれる。

年に2~3回は通る海岸通り、今度来る時は、イチゴね~チャンがいちごの風船をくるくる回している頃だろうな。

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2005年9月 1日 (木)

浮いたかひょうたん

P1010031浮いたかひょうたん 軽そに流れる

行先やぁ知らねど あの身になりたい

今日は立春から数えて二百十日、越中八尾では風の盆とて、三日間終夜踊り明かす。

先年、町内福島に住む従妹を訪ねて、ほんとに久し振りの盆踊りを見たが、まあ近頃の「風の盆」の人出の多いことといったら、ラッシュアワーの電車並 ,人垣をこざいて歩くのに疲れ、早々に寝てしまった、「翌日町流しもろくに見んとって」と笑われてしまったが、寝床に入って格子戸ひとつ外で、ゆるやかな胡弓の音と人々のそぞろ歩く足音を、聞きながら寝入るのはまさに極楽ごくらく

いま、自分は上記のように浮いたかひょうたんの身となり、どこにでも行きたい日に行ける身分となったが、先立つものに不自由している。病気の人には、足腰の丈夫なうちに何でもやっておくもんだと言われたが、なかなかね、、、。

うたわれよう わしゃ 囃す 

結局、浮いたかひょうたんは、願望であってなかなか出来ないことをいうのかな。仕方がないのでわしゃ、人の言うたことの尻馬に乗っかって「ああでもないこうでもない」と囃し立てる側になりましょう。

越中で立山 加賀では白山 

       駿河の富士山 三国一だよ

そして今、神のやどる山の近みに住まいして、二山は登拝したが白山はいまだ登れずにいる。とりあえず霊山は御岳で穴埋めしておこう

見送りしましょか 峠の茶屋まで 人目がなければ、、、、

従妹は今頃、別のお客の世話に忙しいことと思う。だけど、娘も嫁に行って、踊り手を離れ、ホッとするやら淋しいやら、、、、

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