ふるさとは
いうことなし
ふるさとの 山は
ありがたきかな 啄木
ひさしぶりに、ふるさとへ行ってきた。少し時間があったので、その名も「山の村」という集落にたちよった。
文字通り、周囲を山に囲まれどこから入るにしても峠を越えなければならない人里はなれた集落。標高千メートル程度の飛騨高原に三本の浅い川が扇状に広がるなだらかな土地であり古い時代から人が住み着き、自分の先祖もこの地の出である。自分自身は少し離れた別の土地で生まれたが、まさにこの地はまほろばの土地であろう。
この土地から少しはなれた市街地のはずれに住む従兄に、前もって一夜の宿を頼んでおいた。
彼岸には少し早いが親の墓掃除をし、花と線香を手向け、従兄の家に行く、従兄の家ではわらびやぎんばりのなどの山菜、ささげやじゃがいもの煮しめ、飛騨特産の菰豆腐にたけのこ(根曲がり竹)なんかを「これ なんにもないけど、懐かしいかと思ってな」と言って出してくれる。
「これが、ごっつおう(御馳走)なんやさ」といいながら、箸が進み、昔話に花が咲く。
今夜は十五夜、雲もほとんどない空に、まん丸な月が山の端から顔を出す「これ ちょっと寒いかも知れんけど、座敷を縁側に替えて飲みなおさんか」外はこおろぎの大合唱、すすきはわざわざ切ってくるまでもなくすぐ側にしだれている。
十五夜の宴なんてそれこそ久しぶり、顔はくずれっぱなしのうちにはや10時、山里の夜は早く虫の声以外に音のない世界に入り、無粋な笑い声を収めて床に入った。
ふるさとは、夢のうちにも あったかい
やまざとは すすきもおいでと まねいてる 山人
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