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2005年9月15日 (木)

行く先はどっち

ブログも数えて150回を越してくると、以前に何を書いたか忘れてしまい同じことをくどくどと書かないか心配になる今日この頃。

よく側の人からは、「そんな話は前にも聞いたよ結末はこうなんでしょう」なんて言われたりすると、これは大丈夫かなと思いながら書いている日もある。そんな時があったら目をつむっていてよ。

またまた大昔の話、アンデス山中で仕事をしていた時のこと、新しく採用を決めた男がおもむろに「じつは、明日の生活費にも困っているので少しでいいから前借をさせてくれ」と切り出した。こちらにしては、まだ働いてもいない男だし、信用できかねるので、3日分を取り出し受け取りのサインをもらって払い出した。

彼は、大喜びで外に出た後我々の事務所の窓から見えるところで、乞食のような人に小銭を恵んでいた。金持ちはそれなりの施しをするものである。

また、大切なものはそれなりの管理をしなさい。泥棒する人より、盗みをしたくなるような環境を作る人のほうが悪い。そして、盗みをした人は、教会で懺悔し神に許しを請えばよい(盗まれた人への謝罪は二の次ぎ)。

人間の本来の性は善なのか悪なのか分かれるところだが、このような行動を見るに付け、宗教観(カトリック 植民地政策?)が風土に溶け込み、親から子へと受け継がれてきた結果、異邦人には奇異にも見え新鮮な驚きをあたえる。

アメリカが、イラクやアフガニスタンで嫌われ、軍事的政策が上手くいかないでいるひとつの背景には互いの身体に染み付いた強烈な宗教観的風土の違いを理解しあえない所にあり、日本人の五目飯的風土がアメリカの占領を容易にしたことと一緒に考えたところに間違いがあったものと思う。

一般に海外では大金持ちはそれなりの寄付や、施しをする社会的義務と言うか責任感(大リーガーなどこれが当たり前のように聞く)があるようだが、日本では「金持ちほどきたない」なんていわれるくらい社会に対する施しには協力の話は少ない。

やむなく、なにかと言えば「おねがいしま~す」と募金箱を持って街頭に立つ。「赤い羽根」「緑の羽根」も個人個人善意のはずなのに町内会費でまとめて買うし、その使い道もはっきりりしない。

仏教 儒教 神道をまぜこぜにし、高温多湿の気候を振りかけて作り上げた日本人の人情、確固たるバックボーンもなく右左を見て態度を決めるさまは、なんにでも柔軟に対処できる様に見える。この国の行く先はどっちだろう。

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コメント

前借をしたお金をすぐにあげている場面、強烈です。
人は善でも悪でもなく、野生だと思います。
野生から遠ざけ、上品といわれるものにどれだけ近づけられるかが、宗教や教育の存在価値だと思います。

投稿: こうじ@季節の小箱 | 2005年9月16日 (金) 05時46分

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