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2005年10月10日 (月)

キューポラのある町

P1010012 作家 早船ちよさんが亡くなられたと新聞に小さく報じられていた。

いまは、飛騨市となったふるさと出身で昭和の作家は、江間修 江夏美好と早船ちよがいるが、いずれも故人になられた。先の二人は「山の民」「下下の女」に代表されるように地元の資料を丹念に集めて作った小説なので割合外部の人には知られていないが、早船ちよは、昭和37年に吉永小百合 浜田光男主演による映画「キューポラのある町」の作者として世に知られている。

小さな工場に勤める父親が失業したため、高校進学を働きながら通える夜間高校にし、家計を助けようとする少女と小さな町工場に勤める青年工員が、生きるための二人の純真な交流を中心に、ぐれかける弟や組合運動を手伝う青年をアカよばわりする父親など、当時の世相とマッチしてヒットした作品だった。

キューポラとは、鉄板で出来た鋳物工場の独特の煙突で、埼玉県川口市では、この頃鋳物産業が盛んで小さな町工場のあちこちで黒い煙をモクモクとあげ、町全体がすすで薄黒くくもっていたといいう。

いまなら、環境汚染で大騒動になるところだが、その頃はそんな風景が町の繁栄の象徴であり、一種の自慢でもあった。

全国の鉱山のほとんどが肥料(硫安)の元になる硫酸を作るため、国から社宅の援助をもらい、硫化鉱社宅を作った時代。精錬所の周りは排出する酸性の煙で立ち木が全て枯れ、表土が流され岩山だらけになっていたり、四日市ぜんそく、川崎病、水俣病など土地の名前を冠した病気まであるなかで人々は生活した。

そんな時代でありながら、映画の中とは言え未来に希望があったのはなぜだろう。ほとんどの人が自分自身の貧しさを自覚していたせいのような気がする。そういえば、オリンピックがあったのは、昭和39年だったよな、そのせいもあるのかな。

一億総中流化と言われるようになってから、貧しさを脱却したと思い”生きる”と言うことを考えなくなって来たように思うのは自分だけだろうか。貧富の差が拡大していることに気がつかないのか、怖くて目を向けないようにしているのか、聞いてみたい。

誰に?   ううんと分からんけどさ、   「あしたのジョー」の歌のように、”あしたはどっちた~”って目的感がない時代なんだもの。

 

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