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2005年11月28日 (月)

土俵上でふらふらと

大相撲も朝青龍が数々の記録を更新して今年の大相撲は幕を閉じた。

前は、よくテレビで観戦したが最近はめったに見ていない。先日もチャンネルを回す間に2~3 取り組みを見たが、5時過ぎにもかかわらず画面の上のほうに空席が目立っていた。以前は「満員御礼」の垂れ幕がずーっと下がりっぱなしだったので、何時でも下げているのかと思ったらそうでもなかったようで、この日は見なかった。

自分たちの親世代は、テレビの前で力を込めて、力士と一緒になって気張っていた昭和30年代。ところどころにあるテレビを持っている家に押しかけて、力道山の空手チョップに拍手し、白黒テレビの流血を見て倒れた人がいたり、映画に行けばスクリーンの主役と一体化し、悪人が後ろに回ろうものなら一生懸命声をかけていた。

そんな時代の相撲はまさに国技であった。自分たちも学校でグラウンドに円を書いて取っ組んだものだったが、いまでは、たまに見かける土俵に人がいたことがないし、子どもが取っ組んだり喧嘩している様を見たことがない。

底辺が小さければ、競技も廃れていくのは目に見えている。日本人には外人力士に見られるようなハングリー精神もないし怪我を心配して親が取っ組み合いをさせない。そのため活躍する力士はどうしても外人になってしまう。

外人力士の活躍に恐れをなし、入門制限を始めたがサッカーを始めスケートなど世界に通用する力のない内だけにこもったスポーツにこれから先は望めない。

朝青龍が、横綱になった当時態度が悪いとか、品格に欠けるとか批判した審議会のおじいさん連中も、一人横綱の人気におんぶに抱っこでは、何にも言えないどころか、今日は賞賛していた。

相撲を見ていて感じるのは、朝青龍が強すぎるのか?。彼には相撲で言う心技体が確かに揃っているが、角番ばかりを繰り返す大関陣にも問題がある。もし、朝青龍がいなかったとしたら八百長まがいの無気力相撲が横行し人気はもっと下がっていたことと思う。

力士が感情を表に出して観衆にアッピールすることが何故悪いのか。礼とか道とかばかりを重んじて全てを押し殺された力士がインタビユーの時ハァハァフーフー言うだけの時代は終わった。自分の相撲を解析させたりして、他のスポーツのように自由に発言させたらどうだろう。

ひいきの力士が負けたからと言って何時から始まったのか知らないが、座布団をなげる観客を放っておくほうがよほど品格にかけている。

この一年全ての場所を制覇した横綱に、小泉首相は土俵上で讃えた「よくやった!(褒めてとらす)」とまでは殿様気分でよかったのだろうが、そのあと賞杯が重かったのか力がなかったのかふらふら担いでいたのが妙におかしかった。

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