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2005年11月27日 (日)

見殺しの城 高天神城

P1010089 穏やかな小春日和の中ではあるが、遠州海岸には寒くはないが結構強い風が吹いていた。先ごろから発掘調査が行われているという高天神城を見てきた。

(この小さな城を前にして、2万にも及ぶ武者が集まって、雄たけびを上げたのだろうか)

静岡県内で実際に凄惨な戦闘が行なわれた城と言うのは数少ないが、その中で他の地域まで知られた城を廻る攻防戦が行はれたのは、三島の山中城と今は掛川の高天神城であろう。

城は、何時ごろ造られたかは分からないそうだが、固い円礫岩が周囲の侵食から取り残されらしく、急峻な崖を持つ山城でいかにも難攻不落を想像させ高天神城を制するものが遠州を制すると言われたそうで、本丸からの眺望を見てもうなずける。いわゆる臍的存在。

高天神城は、大きく分けて徳川方の城を武田勝頼が落としたときと、その城を取り返すため、徳川家康が落としたとき二度にわたって大きな闘いが繰り広げられ、その詳細?は昔から軍記物語で有名である。

詳細について、?マークをつけたのは自分が軍記物語をあまり信用していないためである。

しかし、この城はかなり守るに適した城であることはたしかで、いつも千に満たない城兵をもって、二万人?とかの寄せ手を引き付け長期間持ちこたえている事からも分かる。

そして、落城した二度とも援軍が来ないで見殺しにされ、同じ場所から攻め落とされたという共通点がある。

最初は、強大な武田軍に対して家康が一人で立ち向かう実力がなく織田信長に援軍を求めたが断られたためであり、次は、長篠の戦いで大敗した武田方に援軍を送る余裕のない事情があったためであろう。

それぞれの事情から、部下を見殺しにするという選択は、指導者にとってつらいことだと言うが、本当につらく感じているのだろうか。

たとえば、アメリカの大統領がイラクで国民を二千百人も死なせ、その何十倍ものイラク人が死んでいるが、心からつらく感じているかとなると、やはり?マークをつけざるを得ない。

よく、会社を大きくする人は、借金を平気で出来、平気で踏み倒せるぐらいに面(つら)の皮が厚くないとだめだと言われ、「ニコニコ笑って現金払い」は小心者で、何時までたっても個人事業者にしかなれないと聞いたことがあり、自分の経験からその通りだと思った。

「一将功成って 万骨枯れる」とか、戦のたびにムダに命を失った人々は「命は地球より重い」「世界が平和でありますように」なんて言葉をどう聴けばよいのか。

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