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2005年11月23日 (水)

焚き火だ焚き火だ

P1010003 さざんかさざんか 咲いた道

焚き火だ焚き火だ 落ち葉焚き

あたろうよあたろうよ

                  しもやけ おててが もう痒い

この歌には当時実感がこもっていた。からからに乾いた落ち葉をほうきで集め、庭の片隅で火をつける。

薄い煙が勢いを増すと落ち葉の下のほうにサツマイモを濡れた新聞紙に包んで放り込み、次の落ち葉をかき集めてくる。

煙が風に吹かれて右左になびく中、我慢の限界に達してなみだ目で逃げ回る。手の甲は次第にかゆみを増し、こすり合わせ始めると後が怖いことを知りつつ、我慢できなくなってさらにこすり合わせる。

「もういいかな」「まだだよ」「新聞が焦げている」と取り出した芋を「あちち あちち」と取り出しポンポンと叩き、年長の権力で一番大きいやつをかじれば中はまだ固い、「外はこげているのになぁ」とまた放り込む。

小さな芋は、真っ黒けの炭のようになって芯だけがかろうじて食べられる。落ち葉焚きで、美味い焼き芋なんて出来たためしがないがそれでもなにか放り込まなきゃ気がすまない。

こんな時代が何時から出来なくなったのか、静岡に来た昭和53年、引越しの後始末に庭で焚き火をして苦情が来たのがはじまり、以来外での焚き火は川原でやるバーベキューの時ぐらいである。

火と言うものは、なにか妖しい魅力を持つものである。人間が始めて火をコントロールできた時の名残りだろうか、そのため焚き火の周りには大人が付き添い、ある程度の時間がたつと「あんまり、火を構っていると寝しょんべんををするから」と追っ払われたものだ。

時代はさらに世知辛さを増し、焚き火は二酸化炭素やダイオキシンを発生させる、燃えカスやすすが飛び散るといって農家のしか駄目だという、同じ落ち葉でも植木屋さんは産業廃棄物だといって、ごみ処理場で有料始末をしなければならないとこぼす。

今日は勤労感謝の日。むかし新嘗祭といってその年出来た穀物を神にささげ感謝する宮中行事の日だったが、戦後の時代に合わせて作られたのが働けることを感謝してとなった。いまでは、無事働けてその余禄で食べさせてもらっていることに感謝する日になってしまった。

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