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2005年12月18日 (日)

六十は耳したがう?

むかし孔子さまという非常に理屈をこねるのが上手なお人がいた。

その人は自分の一生の節目を次のように述べている。

吾れ十有五にして学に志、三十にして立ち、四十にして不惑(まどわず)、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたがう)、、、、、、、と。

これを見ると寿命の短い時代にしては、気の長い話しに見える。自分を当てはめてみると好んではいなかったが6歳から学校に行かされ、30歳を遡ることかなり前に立つことを知ったが、40、50を過ぎても惑うし、天命も分からないままできた。

したがって、60歳をかなり前に通過したにもかかわらず人の言うことが素直に聞けない、この辺が孔子さまの偉い所か。逆に「忠言 耳にさからう」の状態で何時になったら耳順になることやら。

しかし、自分たちへなちょこの場合、社会に与える影響は高が知れているが、一国の総理大臣ともなるとその影響は大きい。

「靖国参拝」に関して「理解できない」として余計な摩擦を引き起こしているが、自分から見ると「理解したくない」のであって、60歳をかなり前に過ぎた宰相も孔子さまから見れば「まんだ 吾の領域には届いていない」と優越感に浸っていることと思う。

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