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2006年1月31日 (火)

再度携帯を

今年に入ってから、H系の迷惑メールが一段と多く入ってくるようになった。

毎日毎日根気よく送ってくるので、こちらも根気よくすぐに消去している。ローマ法王ではないが毎日のコンクラーベは何時になったら白い煙?が立てられるのだろうか。

先日、再び携帯電話を購入した。65歳以上になると基本料金が千五百円でいいというので決めた。前のは仕事を辞めたら極端に通話回数が減り、月に2~3回しかかけなくなったので、一回あたりの電話が千円以上になるため返納していたが、最近山行きが多くなったりしてそこらを徘徊するものだから、「持っていなさい」とのこで購入することにした。

そこで、カタログを見せてもらい、説明を受けるとその複雑なこと、訳が分からなくなってしまう。デジカメ 音楽 ラジオ テレビなどが付いてさらに料金支払い機能が付いているとなると、電話の方が主だか付属だか分からなくなってしまう。

どうせ、パソコン同様使えない機能にお金を払っているような状態になる。

勿論当方は電話だけでよい。その機種を探していたら、「お若いのだからこちらの方が、、、」なんてお勧め上手なおねーサンが次から次と説明する。山行きにはGPS 機能をと思ったがまだこの方面にはいいものがないし、付いたところで圏外ではどうしょうもない。

結局、ラジオとテレビの音声が入るのにした。しかし、機能がいっぱい付いたのを使いこなす人はよほど賢いんだろうな。そして、何かの拍子に忘れたり落としたりしたら慌てまくるんだろうな、なんて想像したら笑えてきた。

今日は久し振り 雨模様の天気。傘を持って散歩に出かけたら途中から広げなければならないほどの降り方になってきた。

「春雨じゃ 濡れていこう」というには、流感に罹っていない身としては、冒険的気温であった。

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2006年1月30日 (月)

免れて恥なし

今日の天気は静岡流に言うと「ばかぬくとい」と言った所か。

一月のさなかにフエーン現象とはいえ20度を超した、一月にこんなに気温が上がったのは稀であろう。ここしばらくは冷え込んでいただけに身体の方がびっくりしていた。また明日からの低温についていけるのか。

道之以政 斉之以刑 民免無恥

これを導くに政を以ってし、これをととのうるに刑を以ってすれば、民免がれて恥なし

2千年も前の孔子様の言葉であるが、出てくるは出てくるは、さすがのテレビ局も出て来すぎて的を絞れないようだし、国会も次から次と法律を作ったり改正したりで泥縄式に対処しようとしているが追いつかないのが現状のようだ。

とにかく、金儲けのためなら法律限界のところを、グレーゾーンを探していたと思ったら、今度は「時速60Kのところを67~8Kで走ってもいいか」とのたまわった。

これは、完全に違反だ、しかし、これを責めるだけの政治体制か。先の耐震強度の偽装事件でも民間の一級建築士は8人の取り消し処分を受けているが、役所にはまだ何にもお咎めはない。これでは何時までたっても民は免れる所を探して儲け口をさぐる。

「ちょっと、そこの社長さん!いい儲け口があるんですがね、、、ちょっと見てやってくださいよっ、5千円ぽっきりで、、、ねえ~ったらよ」てね、また、今日みたいに暖かくなると魑魅魍魎がうごめきまわることだろう。

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2006年1月29日 (日)

新年好

本日は旧暦の1月1日ということで、中国を中心に太陰暦を利用している国は新年を祝っている。

日本も明治の初めまで太陰暦を使用し、農業や行事などの目安にしていたため、新だの旧だのと言って、季節と一致しないものがいくつもあり、お盆や雛祭り 鯉のぼりなどの行事が土地よってテンデバラバラに行なっている。

新年は何を基準に設けたものかは知らないが、太陰暦は多分太陽の一番短い季節が終わり、再び力を盛り上げる機運を知った新月の日だったものと思う、しからば、太陽暦の場合はどうか、冬至とは少しずれているし、クリスマスとも復活祭とも違う、ということはキリスト教の行事に関係ないのらしい。

世界的な暦の変わり目なのに根拠がはっきりしていない。ご存知の方のご意見を待つ。

ちなみに、中国では久し振りに爆竹が解禁になったそうで、「新年好」とともにけたたましい破裂音で祝っているそうだ。

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2006年1月28日 (土)

平冶の段(940m)

P1010074 平治の段 と言っても平治さんの話ではない。

清水の水源地 興津川の上流に中河内川の源流に当たる所に板井沢という集落があるがここの背戸にあたる場所にある山で、先月末に登った高ドッキョの尾根続きになる山である。

したがって、登り口は一緒である。1月に入って降った雪はその後の低温もあって、登り口にある荒れた山葵畠の付近からところどころに白いものを残している。

峠までの途中にある水のみ場は、相変わらずコンコンと塩ビ管から吐き出しているが、その周りはうっすらとした雪と氷が張り付いていた。ここで一休みして喉を潤し、地蔵様のある樽峠に着いたのは登りだして40分と予定通り。

樽峠から笹の生い茂った山道を行くが、山梨側からの雪で10~20センチの雪と踏みしめた道は固い霜柱が覆っている。

峠から小さなデフを越して下った後ロープを張った、直線状な登りに入る。ここも地面が霜柱を固く凍らせたようになっていて足場が悪い。

約20分、急登すると斜面はなだらかになり、道はさらに白さを増す。風もなく空には雲一つ見えない上天気ながら、雪は乾いてさらさらとし気温の低さを物語っている。

峠から40分ゆるい登りは終わる。特に頂上らしい雰囲気もなく、頂上を証明する標識もない。しかし、これで標高は940mあるのだ。

P1010071 頂上を少し過ぎたところに、東側を切り開いて富士山と愛鷹山を正面に左側に伊豆半島と清水港が少し霞んでひろがる。残念と言うかどこでもと言うか西側の安倍川沿いの山並み、さらにその奥に広がる南アルプスは見えない。(つまり木を切り払わないため展望が利かないのだ)

枯れ草を折りしいて例のごとく早昼にし、30分ほど休んで引き返す。帰りは予想したように地面が固く足がかりが悪いので、木をつかみながらトットコトーと駆け下りながらの下山になった。おかげで降りは15分で樽峠に到着、まわりの景色を見る余裕もなし。

下についてから、寄り道をして「かわせみの湯」につかり着替えし、さっぱりと帰宅。

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2006年1月27日 (金)

打落水狗

 ”打落水狗”

水に落ちた犬は叩け という言葉の元になった中国語だという。

よほど古い言葉かと思っていたら、魯迅が言いだしっぺだというから、20世紀になってからの言葉になる。

それにしても、いつもの事ながらテレビの反応は集中豪雨的な叩き方をする、朝   昼 晩とスタッフを変えながら同じ内容を同じような切り口で面白おかしく繰り返す。もうすこし理論的冷静さを持った報道をして欲しいと思うが、視聴率を前にしてはムリなことらしい。

もともとは、中国にフエアプレイというものがあるかどうかの論争で”不”という字が先についていて「勝った者に、さらに何かをやることはない」という意味で魯迅が使ったと解説にはあった。そして、不が付かないで使うようになってから「相手が反撃する力がなくなったのを見て、強い方に味方する」という意味合いが強くなったようだ。

あるテレビ局が今朝の放送でアンケートをとったら、「先日まで持ち上げていたのに今のやり方はなんですか」という答えが多かったものだから、今までの放送の一部を取り上げて「そんなことはありません」と言っていたが、そんなことは編集すればどうにでもなることである。

先の総選挙では、どこのテレビ局も郵政民営化に絡んだ刺客ばかりをクローズアップし、政策論争に踏み込もうとしなかったことを棚に上げて反省した様子はさらにない。

 ”打死老虎”(老いた虎を打つ)阪神タイガースを打線で打ち勝つことではない。

弱いものを攻撃して 実力以上に見せかけることを言う、この世の中弱みを見せるとみんなして棍棒で打ちに来る。みなの衆 御用心しゃっされよ!

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2006年1月26日 (木)

アンデスの資源

P1010006 「資源大国ボリビア」という名の番組をNHK衛星で見ている。(写真はパイライトの結晶)

アンデス山脈は、むかしから資源の多い山でインカ帝国の金をはじめ、ポトスの銀は一時ヨーロッパ世界を潤した。そして、今また天然ガスが注目されている。

テレビは、ポトス銀山でスペインが先住民や黒人奴隷を使って搾取した話しに続いて、いま、アメリカ資本がその近くの村を民を追い出して(移転させて)、鉱山を開発しようとしている情況をリポーターが説明していた。

昨年末の選挙でボリビアに先住民初の大統領が誕生した。キャッチフレーズは反米主義であり、これで、中南米にブラジル ベネズエラと続いてボリビアがアメリカに異論を唱えることになった。

アメリカは、その強引な独りよがりな押し付けで批判を買う、今度の政変でも地域の安定に損なうと言うが国民の大半が支持した政府を批判する理由はない。

ひるがえって、インドネシアの副大統領が日本にきたさい、インドネシア人の集会で日本のODAを批判していたと報じていた。

お互い国同士が話し合って決めた借款に、政府高官が批判したなど、制度 習慣 国情 言葉などが違う国ではなかなか意思疎通は難しい。さらに、利益を優先する資本が絡んでは話しがさらにコン倉かってしまう。

自分も、むかし金属鉱業事業団の一番下っ端で出かけたこともあるが、やはり言葉や習慣人情などで違和感があった。今テレビを見ていてまた考えさせられることあり、、、、、、

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2006年1月25日 (水)

寒がり

人とチンパンジーの遺伝子の違いは2%もないそうだ。

チンパンジーなど、類人猿と言われるものは道具も使い、仲間内での意思疎通に彼らなりの言語や規則もあるという。では、人と類人猿の最大の違いは何かと言うとある人は眉毛だと書いていたが、自分としては体毛、つまり皮膚を覆う毛が少ないと言うか退化していることではないかと思っている。

人から体毛がなくなったのはどんな理由からだろうか。まさか、身体に毛皮などをまとったせいとは思えない。毛がなくなって寒くなったから身体にまとったものと思う。

こうした中で、本当に寒かったのだろうかという気もしてきた。理由としては、かなり寒く感じても顔はそれほど感じてはいない。身体は10度を切ると大抵の人は重ね着をするが、余ほどの事でないと目だし帽などをかぶって顔を覆うことはない。

つまり、原始人は顔と同様に全身ある程度の寒さに耐えられる皮膚感覚を持っていたのではないかと思う、それが毛皮などを身につけるようになったのは、氷河期のように極端に寒くなったせいか、はたまた、おしゃれなどと言う文化面だったのかせいで、遺伝子に変化をきたした(かなりムリか)。

つまり、一年中裸で入ればかなりの温度の変化に順応できるのではないだろうか。

昨日今日と散歩道の麻機沼は全面凍結。鴨鷺の類はめっきり数を減らし、残っているものは中の小島の枯れ草の上に集結していた。この沼が全面結氷することは珍しい、気温の低さもさることながら風がほとんど吹かずしんしんと冷えたせいだろう。

といって、鳥さんかわいそうなんていわないで、、、、彼らは暑くても寒くても常に鳥肌なんだから。

      さむ~!

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2006年1月24日 (火)

貧乏は宝

この年になると、人間 貧乏に育つことは宝だと思っている。

自分は、父親が給料取りになるのを嫌ったため収入の安定しない家に生まれ、兄弟は5人いる。この父親も戦後どうしょうもなくなって会社勤めに入ったが、5人の子どもと酒 道楽好きなどで、他の同級生に比べてもかなり貧乏な方だったと思う。

さらに加えて、戦後の何にもない時期なのだから、その生活程度は今の人に説明しても当時の情況は分かってもらえないだろう。

食べ物や着るものは、我慢するのではなく無いのだ。おかげで味の分かる年になってからその欲望が充たされた時の感激はひとしおである。

今でも憶えている食べ物のひとつに”支那そば”があるが、高校生になって始めての給料で食べた。匂いは以前から嗅いでいたがこんな美味いものが世の中にあったのかと本気で思った。当時一杯45円は非常に高価でありそうそう食べられるものではない。

また、成人式に間に合わせるために月賦で買ったスーツなど、自分の力でやったという充実感を味わったことをいまだに覚えている。

味覚と言うものは、ある程度年をとらないと完成しないものだと聞いた。それなのにバブル期以降に育った子どもの中に、幼児のころからウニ イクラ トロなど高級品を口にし、ブランド物で身を固めているものがかなりいる。

ほしいものは特に無いで、育った子どもは感動すると言うことを知らないだろうと思う。

それと言うのも、我々戦後育った世代が子どもに自分と同じ思いをさせたくないと言う一念と、少子化でお金をかけることが出来るようになったせいではないだろうか。それが裏目に出てきたのだ。

ものに感動すると言うのは若い人の特権である。感動 感激というものは長年の望みがかなった時ほど大きい。子どもには我慢を憶えさせようぜ。

そのためには、世のじいじ ばあばのみなさん。孫の財布にはならないようにしようじゃないの、かわいい孫から感動という喜びを奪ってしまうことになる。

本日のブログは「季節の小箱」さんの1月15日”おしるこ”にヒントを得て書きました。

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2006年1月23日 (月)

ハハ ノンキダネ

成金と言う火事泥の 幻燈みせて

貧民学校の先生が 正直に働きゃ

みなこの通り 成功するんだと

教えてる ハハ ノンキダネ

明治生まれのシンガーソングライターと言われた添田唖蝉坊が歌った”ノンキ節”の一節である。日本が軍備拡張に走り戦時体制に入りつつあったとき、痛烈に世相を皮肉った反骨の歌い手であった。

今夜になってライブドアの社長や幹部が逮捕されたとの報道があった。前にも書いたが法律に引っかからなければ何をしても良いとか、お金を動かすだけで発足当時の600万円を何千億円にもして、時代の寵児になったのはつい先日だった。

しかし、この錬金術もひとつの咎めから綻びを見せだすと雪崩のように一気に下り坂に入った、連れもて行こうと群がった人を巻き込んで、まさに、「平家物語」の冒頭の部分を地で行く。

人間一生に一度その人の花開く時があるという。若いときにその世界で頂点に立った人は老後が大変だという。スポーツの世界でチャンピヨンになった人、宝くじに大当たりした人など後につまらない生活に陥った話しをよく聞いた。

それを評して”運を使い果たした”というらしいが、今回の関係者はいずれも若い、充分にやり直しの聞く年齢であるだけに、裁判になったらあまり長引かせることなく再興を図ったが良いと思うが、これは何の関係もなく、事情を知らない野次馬の感想である。

のんきなとうさん お馬にのれば、、、、、

わしは知らない お馬にきいとくれ

ハハ  ノンキダネ

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2006年1月22日 (日)

子生まれ温泉

本日は旧相良町の「子生まれ温泉」に近所の夫婦と出かける。

昨年末に改築市から第3セクター?に移管して営業を始めた温泉で、再発足してからの混雑も住んだことと思い出かけてみた。

「子生まれ温泉」の由来は近所に子生まれ石という円礫凝灰岩があって、岩から押し出されるように円礫が出てくることをいわれにした名前であり、他の温泉のように身体が温まって子どもが出来やすくなると言うものと趣が違っている。

建物は、正面に向かって円形になったモダ-ンなつくりであり、建物は新しい(当たり前)せいもあって感じが良かった。全国このような種類の温泉が数限りなくある中で、場所がわかりにくい、交通の便に少し問題がありそうなこの温泉、今後はサービスなどに特徴を出していく必要がありそうだ。

帰りは御前崎の「なぶら市場」を回り魚を少し買ってきたが、帰り道海越しの富士山が両脇に雲を従え白く光っていた。ここの海岸線は何回も走った経験があるのに富士山を見た覚えがないのに気がつき、珍しいことだと話し合った。

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2006年1月21日 (土)

オーチンチン

チンチンチンチンチン ヤーヤーヤ ヤ ヤ

子供の頃の雪の朝 白く積もった庭に出て

チンチンつまんで おしっこで雪に名前を書いたっけ

オーチンチン オーチンチン

あのちんぽこよどこ行った

雪にまつわる歌は数限りなくあるが、「オーチンチン」 この歌は自分たちが子供の頃よくやった行為のひとつであった。縮こまったチンチンを引っ張り出して道路わきの雪に黄色い字を書くのだが、かじかんでいたり出が悪いとなかな書けない、これで結構技術のいる仕事だった。

今日の雪は関東地方にはかなりの積雪であり(といったってたかが5~10センチ程度らしいが)けが人も百人を越えているらしい。ここ静岡では東の方に積もっただけで、大方の期待を裏切っているようだ。

静岡の人は、雪に異常なほど憧れを持っているようで、少しでも降ったりは勿論、積もりでもしょうものなら、朝早くから電話を掛け捲って起こす。

朝早くの電話に「すわっ 何事ぞ」と起きると「庭が白くなっている」と言うのだ。こちとら、飛騨でこれでもかという雪に悩まされてきただけにしらけてしまう。

先年も、金沢の知り合いに電話していたら、向うは「いま雪がしんしんと積もっています」というのに向かって「いいですね~」うらやましげに言ってひんしゅくを買っていたが、雪と言うとスキー かまくらを想像し屋根雪下ろしや通行止めなどに頭が回らないらしい。

そういえば、朝のテレビのコメンティターにもそんな女性がいた。

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2006年1月20日 (金)

大寒はコタツにストーブ

本日 暦の上では大寒である。節分の来る2月3日までが一年で一番寒い時期になるという。

そして、日本は今夜半から雪に変わりそうだと言う。静岡に雪が積もったのは9年ほど前になるからそろそろまた白くなる時期だろうか。さすれば、猫を含めた寒がり族は背中にストーブ前にコタツの冬ごもりを強いられる。友人はこれを称して「コタツムリ」といっているが、さもあらん。

そういえば、先日愛玩犬を飼っている人に聞いたんだけど、この種の犬は寒がりなんだそうだ。犬族はもともと北の方を生活圏にしていた、狼を先祖に持つとのことだから寒さに強いものと決めていたので、着物を着せた犬を見ると人迷惑?(犬迷惑とすべきか)で可哀想にと思っていたがそうではないようである。

近所の金物屋さんも福島の出であるが、静岡に慣れたらここしばらくは人並みに寒さを感じるようになってきたと言っていたから、全ては環境に慣れていくのだなと感じたしだい。

話は変わるが、先ほどのテレビでアメリカから輸入した牛肉に危険部位があったとかで、再度輸入をストップしたと報じていた。”やっぱりな”と言うのが自分の感想。

アメリカの食肉業者や肉処理作業員に日本の基準を理解させるのはまず無理な話しであると思っていた。世界的に見て日本の基準はかなり神経質なものである。

普通、肉食を食事の中心にしている人種の食べっぷりは自分たちの想像を超える。またしても、中南米の話になるが、肉を買いに来る人はバケツを提げてきていた。そこで、店の人は牛刀でぶっつぎりにして秤り、バケツに放り込んでいたが、少々骨が入っていようが何が入っていようが構わないと言う風情であった。そして、肉は腐る直前が一番美味いと来る。

また、パチャマンカという食事もあったが、たき火の中に豚を丸ごと放り込み、焼けたところをナイフで削って食べるのだが、その豚は生きているとき便所の下に入って人糞を食べていたのだから、日本の感覚ではとても食べられるものではない。

そして、日本でも近所にいた朝鮮人が”トンチャン”といって豚の内臓に味噌とにんにくを主体にした味付けをして食べさせてくれたが、内臓をあまり綺麗に洗うとまずくなると言っていたことなど、を考え合わせるとアメリカの食肉業者は日本の基準に何故?と首をひねり、アメリカ政府に圧力をかけるようロビー活動をするに違いない。そのとき日本政府はどうするか。

大寒の今日のように縮篭って風をやりすごすか。東からのつむじ風に吹き飛ばされるのか。さて、月曜日以降の厚労省と農水省に外務省が相談して対策を求めるというが。アメリカと交渉する前にここで一揉めがあると思うよ。

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2006年1月19日 (木)

卵か玉子か

たまごの親じゃ ピヨコちゃんじゃ

ピー ピー ピヨコちゃんじゃ

あひるじゃ ガー ガー

その昔 獅子テンヤワンヤという漫才コンビがあってなにかの折には、こんなことを言いながら舞台を勤めていた。

スーパーなどに行くとたまご売り場には「玉子」と書いた紙が添えられている。はて?「卵」じゃなかったのかな、といつも不思議に思っていた。

そして、全国に玉子さんという名の女性は数多くいるはずだから「玉子 200円」は格好のからかい材料になるんではなんて想像させる。

「玉子」は、女なの人独特というか、売り場責任者の考えでこうなっているんだろう。目方売りの商品にグラム300円なんて紙もあるくらいなんだからと思って、辞書を引いたら「玉子は加工した食品で卵は産まれたままのもの」となっていた。

それみろ、店でパックにはいっている間は卵なんだろう。と小さな喜びに浸っていた。しかし、何故書き方が違うのか、またまた調べると「たまご」は大和言葉で、もともと日本の言葉、まぁるい物をさして言うのだとあり「玉子」は当て字だとしていた。一方「卵」は中国から入ってきた文字だからどちらが間違っているとは言えないと言う。

ふ~ん、となると、今様で言うアルファベットで書いたものとカタカナで書いたぐらいの違いだか。

それにしても、時代は早く進んでいるらしく一世を風靡した人気漫才コンビも、インターネットではすっかり忘れられた存在らしく、検索の網にはかからなかった。昭和も遠くなりにけり、本日のブログも重箱の隅になりにけり、と。

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2006年1月18日 (水)

閨のひま

夜もすがら もの思ふころは 明けやらで

      閨のひまさへ つれなかりけれ

                   俊恵法師

閨のひまと言ったってそんな艶かしいものではない、ただ寝床でもぞもぞしていただけの話しに過ぎない、実は昨夜 9時過ぎに眠くなりついうたた寝をしてしまった。

ほんの少しのつもりだったが、ふと目を覚ますと午前3時ころ「いや しまった」と思ったが後の祭り、それからの3時間ほどの長かったこと、まだ早いのだから寝ようと思っても、一旦目が覚めるとなかなか寝付けない。

まさに、なんにもすることもない、こんな時に限ってなかなか時間がたたないし、あれこれと余計なことを妄念としてしでてくる。文庫本を引っ張り出してきたものの読もうとすると眠気があって集中できない。

寝るということも体力がいることだと聞いたが、本当だ。最近は一気に寝ても6時間ほどが限度のような気がする。若いときのように半日以上寝たことがあるとか、気がついたら一日寝てていたなんてことはあり得なくなった。

そして6時近くになってまた寝たらしい。おかげで今日一日調子が狂ったままの一日になってしまった。

調子が狂ったと言えば、証券市場もライブドア騒動の影響を受けて、かなり変動をしたらしい。午後にはついに売り買いも出来なくなるほど殺到したとか、テレビの解説でも多くの個人株主が、当面の利益を求めて大量に売り出したせいだと言っていた。

自分は株に関してはまったくの無知であるので、手がけたのは一回しかないが、その一回で懲りている。

むかしのやくざ映画のせりふに「素人衆をなかせちゃ いけねえよ」というのがあったが、素人衆が首を突っ込んでいったのが悪いのか、参加を求めてあおったのが悪いのか、ここしばらくの株価急騰には何かあやういものを自分は感じていた。

そんなに株が急騰するほど日本の景気は回復しているんだろうか?また誰かに踊かされているんではないのかねえ~

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2006年1月17日 (火)

メモリアルディ

今日 1月17日は「寒の土用の入り」とカレンダーに書いてある。夏の土用はウナギだなんだと騒ぐが寒は何も言わない。平賀源内先生もそこまでは考え付かなかったか、甘酒屋などに知り合いがなかったか、何か温まるものを考え付かなかったのだろうか。

思いつけば、何か暖かい食べものを出す店が喜んだのに、ざんねん

今日をアメリカ流に言うと”メモリアルディ”にする人は全国沢山いると思うが、いずれも楽しいことでの記念日という人は少ないことと思う。

まず、阪神大震災を筆頭に幼児連続誘拐殺人事件の宮崎被告に死刑が確定し、ホリエモンの会社と自宅に家宅捜査が入り、午後からはヒューザーの小島社長が証人喚問で「刑事訴追の恐れがあって、、、」連発、といずれも関係者にとって嫌な思い出になる一日になったことだろう。

そのひとつひとつに意見はあるがどれをとっても良かったといえるものがないことが今日の得異日たる由縁か。

そういえば、先日本を読んでいて知ったことだが、「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ、、、、(キコキーコ)バイオリンのつもり」で有名な熱海で貫一が別れ話をきりだし「今月今夜のこの月をきっと俺の涙で曇らせて見せる」といったのが1月17日だったそうだ。

金色夜叉を正式に読んだことがないので知らなかったが、今頃の時期 熱海の海岸は寒かっただろう。それで、海岸にある像はマントをつけていたのか、それにしてはお宮さんの方はコートを着ていなかったような気がする。今どき女の人を足蹴にする像なんて他にはないだろう、とちょくちょく見ていたのに印象のない像を一生懸命思い出している。

今夜曇って月が出ないと”貫一曇り”と言うそうだが、この時期 太平洋側は晴れた日が多いので確率はどんなものだろう。そして、残念ながら貫一は今日の月も隠せなかったようだ、さぞかし、あの世で地団駄を踏んでくもをかき回していることだろうが、どんなにかき回してもすき間だらけでは隠しようがないね。

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2006年1月16日 (月)

梅一輪

"梅一輪 一厘ほどの暖かさ"とか言うけれど春は少しずつ来るものではなく引き潮満ち潮のようにどっと来てまた引くを繰り返しながら次第に潮が変化していく。

ここ2~3日のポカポカ陽気にまどわされてか、今日の散歩道の途中で早咲きの梅を見つけた。このまま暖かくなれば問題ないだろうが、少し速すぎやしないかい、先が思いやられる。

下を見れば、西洋タンポポ、ホトケノザ、オオイヌフグリと早咲きの春が花ひらいていた。大寒はまだこれからだけど頑張って乗り越えられることを祈る。

P1010009 P1010065

一方で、毎年庭に来て餌をねだるメジロとけたたましいヒヨドリがまだ来ていない、山に餌が豊富にあるのか環境の変化でもあったのかと思いながら、みかんやりんごの切れ端を木にくくりつけて待っているが、、、、こちらはまだ本格的ではないのかと疑っている。

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2006年1月15日 (日)

ぐだぐだと一日

P1010002 正月も七日までは松の内といい、大体今日十五日の小正月を持って平常な生活に戻る。

暖かい一日だった、気温は15度にもなり自動車の窓を開けて走っても寒くなかった。しかし、富士山はこれでもかというほどの雪だったらしく今冬一番の化粧をしていた。

こんなに晴れると分かっていたら、、、、と思ったが出そびれてあとの祭り。

一日ぐだぐだと本を読んだり、テレビの女子駅伝を見ていたが、いずれも根気がなくて長続きしない、とくに、駅伝はトップの京都のアンカーが福士選手と聞いて見るのを止めた。

彼女の走り方は凄い、好きな選手の一人である。しかし、彼女の真骨頂は後ろから来てぐんぐんと順位を上げていくところに魅力があるのであって、1分以上の差があってのトップでは面白みがない。

駅伝とは不思議なもので、田舎駅伝に出場した経験で言うと、走り出してから体調が分かる所があって、ひとりでも追いつくと調子に乗って普段以上の力がでることもある一方で、逆の場合は力が萎える。かなりメンタルに影響される種目である。

同じスタートで走る中長距離とはまた違った面があり、走り出したら個人の判断で止めるに止められないことになり、正月の箱根駅伝で、有力な選手が惨敗する所をたびたび見る。

柔道 競輪など日本発の特殊な種目が国際的に認知された珍しい種目の一つだが、何時までも本家だと言わずにさらなる発展を祈る。

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2006年1月14日 (土)

むつかしい雪国

P1010069 久し振りの雨、午前中だけで50ミリほど降ったらしい。

気温も最近になく上がったようで梅だのロウバイだの水仙の話題も聞かれるようになった。

しかし、冬はこれからが本格的なはず、雪国ではまだ気を緩めるわけには行かない。今日も、灯油がなくなったのでスタンドまで行ってきたがやはりかなり高い。

雪に閉じ込められた新潟県の山間部では、どうにか道を明けて時間制限つきで買出しに出かけたと報じていたが、聞いてみると今ではほとんどが灯油を燃料にしているらしい。

むかし、この地方もそうだったと思うが飛騨の雪の多い町村は冬の間交通が麻痺することが当たり前だったせいで、自動車税が冬季免除されていたことを思い出した。

あのころは、各家庭の燃料は薪ストーブと木炭だったし、学校へはスキーで行くか踏み固めた雪道を歩いた。ブルドーザーが普及して道路の除雪がされるようになると、税の免除もなくなり、雪の上はスキー場だけになったが、今年のような状態になると昔を忘れた雪国はお手上げになる。

ストーブがなくなって、間伐材や杉の葉の始末が出来なくなって山が荒れ、除雪費が膨大なものになる。

便利と引き換えに失ったものだが、いまさら薪切りや雪またじなど年寄りが出来ないし、雪国だけが不便をしろともいえない難しい問題である。

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2006年1月13日 (金)

期待をこめて

今はどうあれ、一旦職についた以上は定年まで働きたいと言うのが大方の希望であった。しかし、長い人生あれこれと波風が立ち、自分の判断で職を辞した人、やむを得ずの人。中にはリストラの名を借りて放り出された人それぞれにドラマができる。

自分の場合は、自分の判断が多分70%くらいで転社 独立 廃業を決断し今に至っている。しかし、緻密に計算した上での判断ではないので家族には大変迷惑至極の話しであったと反省している。(あまり反省しているようには見えないかもしれないが、、、

今日の夕刊によると、北海道では今後10年間で知事部局の職員を30% 6千人を減らすと載っていた。財政上どうしょうもないらしい。

これだけの削減となると、定年待ちだけで減らせるのか。出来なければ大鉈になるのだが、、、、。

最近は公務員の仕事ぶりや民間では当然の仕事に手当てがついたり、裏給料があったりで風当たりが強いが、これも馴れ合いとはいえ議会の承認を得て決められた処置であり、これを認めた議会にもかなり問題があったといわざるを得ない。

しなくてもいい工事や補助金、箱物(建物)で大赤字を作った挙句、人員削減で処置しようとすれば、将来きめの細かい住民対策は出来なくなる可能性があるし、採用を控えれば何時までも一番下っ端はそのままで士気が上がらなくなってしまう。

このほど、静岡市では市会議員の政務調査費を月15万円から25万円に引き上げられる答申案がでたそうだ、詳しいことは分からないが新聞によると「議員活動に期待を込めて引き上げる」市長など三役についても事態を見て、、と含みを持たせている。

しかし、一般職が減額されている中では三役まで出来ないというのが、この答申であるが、実際はほかの政令都市と比べてと言うことらしい。

人口70万 お情けで政令指定都市になった途端、他の都市と給料だけは一緒というのは世間の常識からかなりずれている、成果を見てこれはあげなきゃと言うのが常識のはず、それを、何もしないうちから期待を込めてとは、、、、、、

「まず隗より始めよ」「先憂後楽」は政治の基本のはず。出来ればわしらに期待を込めてからにして欲しいものだが、、、、、、、

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2006年1月12日 (木)

さかなさかな

世界で一番魚を食べる民族。

日本は周りを海で囲まれているため、わざわざ狭い国土の中で家畜を育てて食べなくても、無尽蔵と思われた魚でたんぱく質を得てきた。

そのためもあってか、外の教義に比べ仏教で肉食を禁じてきた思想を、一番簡単に受け入れらた国であろう。

そして、まわりの魚資源が豊富であったため、土地によって好みの魚が数多くある。たとえば、東北 北海道などの鮭 ニシン 蟹。北陸を始め日本海側のブリ タラ 蟹など。太平洋側は鰹 マグロ 秋刀魚 鰯などか。このほかにもハタハタなどのようにさらに地域を限定される魚もいる。

自分は、飛騨で生まれ育ったため海には縁のない土地だったが、富山湾に近いせいで、美味い魚にありついていた。そして何かにつけてよく出た魚、憧れの魚はブリだった。そのためか、太平洋側の人のように鰹 マグロに対してはそんなに執着心がなく、とくに、鰹はまずい魚だから生ではなかなか食べられず、たたきなど一工夫しなければ食べられないものと思っている(自分の独断と偏見ですからご容赦を)

そのことを言ったら、知り合いの人が「一度おいしい鰹を食べに行きましょう」と言ってくれたがいまだに実行はされていない。(これを見たら一度実行してね

話しは横道にそれてしまったが、今、マグロの畜養が世界的な問題になっているという。マグロを小魚のうちに捕らえて養殖をし脂の乗り切ったところで日本に輸出するため、産卵できるマグロの数が激減しこのままでは絶滅しかねないと言うのだ。

なにしろ、世界のマグロの六割を日本が消化しているというから、絶滅危惧種にでも入れられたら、さしずめ日本のせいと言われかねない、鯨や北海道のにしんなどのように本当に日本だけのせいかどうか分からないのに槍玉に挙げられているのと違って、世界の六割は説得力がありすぎる。

ひとつのものに過剰に反応する文化、魚だけでなしに考える必要がありはしないか。

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2006年1月11日 (水)

初登りは満観峰

P1010028 今年の初登りは、その名もめでたい満観峰になった。

満観峰は昨年3月以来の山でしばらく登っていないため足試しには丁度いい高さの山である。そして、今日は山の神が同伴することになった。

この山は、静岡市内の南西部にあり、あちこちに登山口があるため何時登っても人に出会わないことはない山である。

本日は、自分が最も使う小坂からの山登りにした。暮れには取り尽くされたみかん畑を通り、農道をただひたすらに歩き20分ほどで東登山道と書れたところから山に分け入る。

青木の実もまだ色付いていない、他の草も霜にやられて今に時期が一番味気ないなか。ただひたすらに高度を稼ぎ、15分ほどで尾根に着き一休みしていると少しはなれたハゼの木に青い鳥が5羽ほどいる、始めてみる鳥だ。今時分ルリは居ないはずだしカワセミもこんな所でしかも群れを作らないはずなので、とにかくわからない。

カメラを構えてみたが遠すぎる。そのうち尾根を越えてどこかへ行ってしまった。この後すこし急傾斜をしばらく登って頂上に到着。

頂上は公園化されて芝が張ってあり、静岡市街地とその奥に富士山が展望できる。右は少し見えにくいが南アルプスの白い尾根、左は駿河湾とその奥に伊豆半島が、後ろは高草山にさえぎられているが焼津の港が見える。

生憎と今日は霞がかかり、遠景は薄ぼんやりとしか見えないが風も弱く春近しを感じさせる風景となった。すぐに2組の登山者が来たので少し話をした後、日本坂に向けて降る。

小坂の駐車場に着いたのは、出発してから3時間に少し切れる時間、行き逢った人は5組13人、やっぱり満観峰は人の山である。

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2006年1月10日 (火)

左義長

P1010040 光陰矢の如しとか、先日の正月騒ぎもすでに10日たち、世間も普段の平静さを取り戻してきた。

以前だと15日の小正月まで正月気分であったが時の流れが速くなったのか、行き交う人に正月の挨拶も絶えた。

そういえば、小正月の行事として成人式もあったが、思い出としては”左義長”がある、土地によってはいろいろな呼び方をされるが、”どんど焼き”などのほうが今では一般化している。のかな

子供の頃 青年団のおじさん(子どもから見れば立派な大人)が山に入って高さ5~6mの杉の木を切り倒してきて広場に立てると、子どもが赤や金銀の紙が張られた書初めと餅それを突き刺す竹を持って集まる。大人は神棚まわりの注連飾りや藁などを積み重ねて準備をし日が暮れてから火をつけ神送りをする。

赤い紙しか張られたことのない自分の書初めを少しでも高く舞い上げたいと火が強くなるのを待っている子ども、ほっぺたを熱い火の輻射熱で焼きながら我慢をしてタイミングを計る。

上がったと言っては喜び、上がらなかったといって竹でつついて舞い上がらせようと火の回りは騒然となる。それもひとしきり立てた杉も倒れて炭火のようになる頃、用意した餅を差し出すのだが、待ちきれず差し出した者は、中が焼けていないのに外は真っ黒けの状態でかじるしかない。

「子どもは帰りな」と言われる頃は手や口を黒くして雪をふんで家に走って帰る。

今日はこのあたりのごみ収集日、食品の残りごみと共に正月飾りらしいものが入ったゴミ袋を見たが、これも左義長をする風習がすたれたせいか、家の側で焼却することができないせいか。

し~らんぞ し~らんぞ 神様がおこっても し~らんぞ

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2006年1月 9日 (月)

成人の日に

成人の日、街中を晴れ着で着飾った女の子が飛び交っていることと思う。(成人したのだから女の子はないか)

6年前にハッピーマンデー法とやらで、祝日があっちこっちと飛び回るようになったため、晴れ着を見て「ああ 成人の日だったんだ」と気付く始末。

近年、大騒ぎをしてひんしゅくを買った自治体主催の成人式も今年はテレビで見ている限りでは聞いていない。

どんな理由で、あの馬鹿騒ぎをしていた若者を押さえこむことができたのだろうか。1年やそこらで若者の気質が変わるとは思えないから、何らかの対策を講じたのだろうが、ああいうことでしか自己主張をできない人を哀れむと共に憂さを晴らせないものを押さえ込むだけで済ませている社会もいまに無気力層増大と言うしっぺ返しを受けることにならないか。

それとも、馬鹿騒ぎをしている若者はすでに今で言う”負け組み"確定者なのか。

久し振りに四十数年まえの自分の成人式の集合写真を見た。小さな企業城下町での成人式は、全てがその会社と何らかのかかわりを持っていてさしずめ企業内成人式であり、出席者全てが何らかの職についていた。

それぞれが着慣れない一張羅のスーツを着込んで並んでいるが、和装は女の人全然いない簡素なものである。多分高すぎて自分の給料では手が届かなかったか? とにかく、親の手を煩わさないのが当時の若者気質であったように思う。

自分もこの日のため、一ヶ月分の給料を上回る羊毛のスーツ(当時は高かった)をオーダーメードで作ったのを憶えている。(その重い服は今でもナフタリンまみれで箱に入っている)

時は60年安保を前にして騒然としていた。

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2006年1月 8日 (日)

夜目 遠目 傘の内

P1010016 ことわざに「夜目 遠目 傘の内」というのがあり、全てがはっきりと見えない女性は想像をかきたててくれるため、男性はいろいろと想像のなかに美人をつくりあげてしまうことを言う。

一方で美人をあまり近くで見てしまうといろいろとあらがでてくるものである。丁度空気が澄み切った今の富士山のように、、、、、、

豪雪地帯には申し訳ないような上天気が昨日今日と続いている。

昨年秋から頻繁に登った山行きの咎めが出て、今日は近所の夫婦と日帰り温泉に出かけ、家庭内融和に努めた。

出かけたのは9時過ぎ富士宮も白糸の滝あたりから上は道路が凍っていてスリップした車を2台3台と見た、こちらはスタッドレスタイヤを履いているとはいえ「君子危やうきには近寄らず」の言葉に従い急遽行く先を”天母(アンモ)の湯”に変更。

この湯は、富士宮のごみ処理場の余熱で沸かした湯なので普通の銭湯と違いがないが、野天風呂が薬草の湯になっているのと、眼下に富士宮市街地が広がり夜景が綺麗なことが売りになっている。

薬草風呂の効果は抜群でかなり長い間身体がほってていた。

ここで男どもは湯上りに愚痴を聞かされないようサービスに相つとめ、食事が済んだところで早々に昼寝に入る。

道路状況が悪いせいか、はたまた正月に遊びすぎたせいか客は少ない。昼寝のため横になる場所にことかかない、ありがたい休日だった。

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2006年1月 7日 (土)

七草摘み

君がため 春の野にいで 若菜摘む

  わが衣手に  雪は降りつつ

                光孝天皇

今日1月7日は七草粥の日、正月に食っちゃ寝 食っちゃ寝で腹にたまったものを消化し、整えるためにする行事だとのこと。

昔は天皇さんも若菜摘みに出かけたのだろうか、衣に雪が降るというのは今の時期のことだと思うが、この時代のほうが自由が利いて動き回れたのだろうかなどと想像した。

そして、現代になると家の周りから七草の材料になる野草がなくなり、スーパーでかって来る時代になってしまった。そして、七草どころか独活やたらの芽を始めかなりの野草が栽培の対称になっている。

自分も今朝ほどから周りを歩いてみたが、大根 かぶは畠にあるものの、後はセリ ナズナ ハコベまでしか見つけられなかった。

昨年、ど根性野菜が評判になったが、身近の草が次第に遠くなっていくのが寂しい限りだ

P1010021 P1010017

P1010024

P1010053 上左からナズナ スズシロ セリ 下はホトケノザ 

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2006年1月 5日 (木)

寒の入り

本日は24節季のひとつ小寒、いわゆる"寒の入り”である。

これから寒さも本格的になるというがこの冬は早くから寒くなり12月は各地で寒さの新記録だと言う。というわけで今の寒さは”小寒”どころか”大寒”といっても良いくらいだが、ひょっとすると大寒がもっと寒くなるかも知れない、すると、やはりあの時は小寒だったと後で言うのだろう。

ぐだぐだ言っているうちに、静岡でも近いところの山が白くなり、東名も清水から東が通行止めになっていたのには驚いた、でも、午後の僅かな日差しで消える根情なしの雪で、いま、北陸などに降っておる雪から見ればなんてこたぁないものだが、暖かい土地の常としてほんの少しの雪にも弱い。

それにしても、最近の天気予報の当たらないことおびただしい。長期的は勿論 短期的にもあやしい、衛星から画像が送られ各地に観測網が張られて以前より正確になるはずなのに、これもコンピューターに頼りきって職人芸の予報官がいなくなったせいだろうか。

余談ながら、暮れに従兄弟に出した年賀状が今日一枚戻ってきた、宛先不明と言う赤いスタンプにはんこが二つも押してあった。よく見ると公団住宅の階数を間違えていたのだが、東京と言う所は同じ建物であるのにこのくらいのことが分からないのだろうか、これも、コンピューターがないという判断に人様がその通りとろくに調べもせずにはんこを押したのだろうか。

むかし、自分のところに来た手紙は人口2万人の町までしか書いてないのに来た、と自慢していたら、知り合いが「飛騨の国 渡辺ハナ」できたといったのにはぐうの音もでなかったが、それから何十年コンピューターが導入され 効率がよくなったが階数間違いに対処するだけの融通ができないでいる。

文明とはやっかいなもの、融通の利かないものと見つけたり。

いずれにしろ、暖かい春が待たれる今日この頃、寒さを手加減してもらうにはどっちのコンピューターに向かってお願いしたらよいのだろうか。

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2006年1月 4日 (水)

福袋

いまではちょっとした店に行くと、店先に必ずと言っていいほど売れ残りの福袋が積み上げてある。

福袋はいつの頃から流行ったのか知らない、我々がご幼少のみぎりには全然見たことがないのだから、そんなに古いものではないと思う。種類や中身も多種多様になっているが、一番ポピュラーなのが、紙袋の外側に大きく福と印刷された字が書いてある。

これを目掛けて新年初日に”おばさん”が群がる、有名なデパートなんかは前日から並んでいると言う。値段の割りに中身が多いため、得をしたという感覚が受けるのだろうが、あの雰囲気はとても近寄りがたいものを感じる。

男の人も何人かは並んでいるが、あの行列に並ぶのは相当の勇気があるか、好きなんだろうね。ストレス発散にしては高価な(本当に必要なものなら別)買物だし、階段の隅で中身を確かめている図はみっともないの一語。

自分はまだ一度も福袋を買ったことがない、なぜなら中身が分からないからで、たとえ分かってもサイズや色、肌触り、使い勝手を確かめないで買う気がしないからである。普段店で試着して買ったものでも、気に入らなくて使わないものがある。同じことはインターネットでの買物にもいえる。

”福”とはなんぞや、辞書によると「幸い しあわせ 幸運」などとあるが一般にはお金や財産が手に入ることを意味するらしく、お金さえあれば勝ち組という今の世の中にマッチしている。

正月に宝船に乗ってくる七福神に代表される言葉ではないだろうか。

「どうか 苦労しないで財産を増やしてください」と虫のいい頼みをお宮さんやお寺さんで庶民が手を打ち鳴らしたり合わせたりしてお願いする。家内安全 学業と並んで三大お願いになっている。神様たちも「またかいな」と聞き流しているに違いない。その証拠に願いはあまり聞き届けられていないだろ。

年末ジャンボが当たらなかったので特に声を大きくして言おう。

福袋だって同様。どんなに割安感を持っても、売り手は損をしてまでやっていない。裏事情は分からないが「この際売れ残りを原価で処分してしまえ」とか「福袋用商品」なんてあるのではないかぐらい考えろよ。       「おいっ!」

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2006年1月 3日 (火)

文庫本をやっと一冊

孫台風が帰り、ある種の脱力感がただよう。

さすが、男3人となると迫力がある。一番上が面倒見が良くて助かるが久し振りに会った一番下が興奮して付いて歩いているのを見ると、自分もあんなときがあったのかなとほっぺたが緩んでしまう。

さて、年末に古本屋さんで3冊ほど仕入れてきて正月は読書と思っていたが、上記のような理由で読む閑もなく、文庫本一冊がやっと先ほど完読。最近では根気がなくなり長編は何時になるか分からないので、エッセーなど短編集ばかりになった。

自分はどちらかというと作家で本を選ぶ傾向があり、推理小説や空想小説 恋愛小説 たられば系は始めから除外しているため偏ってしまう。

今回のものは、向田邦子の「霊長類ヒト科動物図鑑」というものであるが、ここに出てくる彼女の父親像は自分たち世代以前の父親をよく見ていると思う。

ちなみにテレビドラマだった「寺内貫太郎一家」はその父をよくして描いたものと言われている。

自分なんかは早くから父親に対して反抗期に入り親が死ぬまで尖ったイガが突きあうようにして過ごしてきたが、女の子どもはまた違った冷静な眼で見ていたんだなと思い知らされることが多々あった。

もっとも彼女が後に作家になるような女性だったせいかも知れないが。

この短編の中に”ヒコーキ”という項目のがあり、飛行機をよく利用するようになっていながらこんな重いものが何故空を飛ぶのかと気を赦していない。飛行機に乗る前に部屋を綺麗にしてから乗ろうと思うのだが、あんまり綺麗にすると万一の時「虫が知らせた」と言われそうなので、縁起を担いでわざと汚いまま旅に出ることにしていると書いている。

この点は同感で、自分なんかも旅行の前と言うと、整理しょうかどうしょうかと迷うことがあり、彼女のようになるたけ整理をしないようにしている。

この後、昭和56年に飛行機事故で死去するのだが、このときはどうだったんだろう。そして、この単行本の発売日が昭和56年9月となっていて、事故のすぐ後に出版したものだった。

人は自分の最後について予言することがよくある。これについてはさらに書きたいことが随分とあるがまたいずれ機会を見てにする

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2006年1月 2日 (月)

久し振りのあしめり

P1010001 いやぁ~、久し振りにいい正月です。

朝から、適当なおしめりがあって、、、、、、、静岡はそれこそ1ヶ月以上も雨が降っていないそうだから、まさに干天に慈雨ってやつでしよう。

「もう少し降ってくれれば野菜の値段にも影響するのに」と隣の人がいっていた。

当方も孫が泊まりに来ているので、この天気の方が都合が良い。

これで、もしピーカンだったら、どこかへ行きたいという腹の虫が騒ぎ出し、機嫌が悪くなる所だけれど雨降りではどうしようもない。それでも、傘を持っていつもの散歩道につれだし、鴨にパンくずを与えに行く。鴨の方も今日は餌を持ってきてくれる人が少ないせいか、餌の奪い合いが普段に増して激しい。

食っちゃ寝~食っちゃ寝~の正月に刺激がなくては、激肥りの心配をしなければならないからね。

P1010007 雨にうたれての帰り道、蝋梅の花が早くも咲きだし、雨粒を花弁に蓄えていた。春はそこまできているよ、と

さて、余談ながら今年も早々に届いた年賀状は、出したうちの3分の2ほどだった、以前は会社などの社交辞令的なもの多かったが、最近ではほんの数通になり、友人親戚関係が主体となったせいか。

親しい人の賀状にはいずれも近況が端書にあり、懐かしく読ませてもらいその人のなりわいを想像している。さすがにこの年になると健康と同級会が話題になってくる。ただ、残念なのは差出人の手がかりがまったくないものが2通あり頭を悩ましている、もし心当たりがあるなら教えてほしいものだが、、、、

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2006年1月 1日 (日)

ヌエボ デ アニョス

P1010005 フェリス ヌエボ デ アニョス(スペイン語で新年おめでとう)

朝 新聞受けに入りきらない新聞と広告を引き出して空を見る。予報通り雲が空いっぱいに広がり今年の初日の出がまづは見えていなかったことを示している。

寒さも一段落してか、鈍い中にも昨日と違った印象がある。気持ちの問題だけであるが。まづはおめでとう御座います。

孫が午後から来るというので、午前中に浅間神社に行ってきた。それも歩いて今まではバスで一番近い停留所まで乗っていたが今年は足腰を鍛えてきたのでその成果を示してみた。

午後になると、中二をかしらに男の子ばかり3人が集まり、次第に騒がしくなる。一番下が我が家に来る回数が多いせいか、まるで自分の家のように指図する、そして、夕飯の食べっぷりがまた豪勢、普段の2合ほどを一日がかりなのに、一食で5合がなくなった。

これだけ騒々しいと、今年はどんな年になるかとか、何か目標を立てようとか、いわゆる「1年の計は元旦にあり」なんてどうでもいいことなる。

ということで、ただ単に”芽出たいな 楽しいな」のスタートになった。

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