れんげも咲いて春はそこ
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はじめチョロチョロ なかパッパ
ジュウジュウ時に 火を引いて
赤子 泣くとも 蓋とるな
電気炊飯器がなかったころのご飯の炊き方だったが、これがかなり難しかった。古川柳にも「新所帯(あらぜたい)こわめしに出来かゆに出来」とあるくらいだ。
水加減や火のたき方でメッコになったり、焦げたり、かゆになったりで、親が入院した(小学校6年)時に炊くご飯はクド(かまど)のそばから離れられなかったし、水分の多い薪がくすぶった時など煙のせいだけでなしに泣きたくなったものだった。
そして美味く炊けたときの嬉しさ、美味さは格別なものがある。ご飯の炊き方には藁がいいとか松葉がいいとかというところもあるそうだが、土地柄か自分たちのところは火力の強いナラとかブナなどのいわゆる堅木の乾燥したものを最上とし、炊き上がった後 ツト(藁の覆い)でつつんだお櫃に移したものは、今では夢の中だけのものになってしまった。
また、戦後の食糧難で米の配給が少ないころは、いろんなものを炊き込んで雑炊にし量を増やしたが、やはり米の多い部分を食べたいばかりに、釜の底をこそげて茶碗に入れるのだが、焦げ気味のところは米分が多く儲けたような気分にさせられたものだった。
そのせいか、いまでもパリパリ感のある焦げ飯は好物のひとつだし、なんと言ってもご飯は「銀シャリ」である。
米は大きく分けて、インディカ米とジャポニカ米があるといわれ、日本では前者を外米と呼んで評判が悪い。原因は粘り気による所が大きいようだ。
しかし、世界でみると米はインディカ米が主流で、ヨーロッパでは野菜扱いだという。仕事で行った南米ではかなり米を食べていたようだが、白いまま食べるのはブランコ デ アロスといって特殊な食べ方であり、自分たちがカルフォルニィアからわざわざ取り寄せた米は歯の裏につまって美味くないといった。
やはり、人の味覚とは育ちが大きくものを言うようだ。
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むかしむかしのその昔、10年ひと昔というから70年前の事件といえばそのくらい前になるか。
2,26事件という日本にとって大きな曲がり角になった事件があった。
その4年前にも5,15事件というものがあって、総理大臣が射殺された時、世の中の景気の悪さ、貧富の差が拡大し、政党政治の乱れなどから先行きの不安もあって、一部軍の行動をよしとする雰囲気があった。
そして、昭和11年の今日の事件は、軍内部の主導権争いもあって反乱軍は鎮圧されたものの、この事件を好機とした軍人により、軍に都合の良い政治体制にもっていかれ、世界を相手に闘いをし敗戦によって決着をするまで軍人による政治が続いた。
今の日本と比べるといろんな違いはあるものの、政治に対する不信感や貧富の差拡大、先行きの見通しの悪さなどから、暴発するかもしれない。
現にフイリピンは政権腐敗に便乗して軍に怪しい動きがあったと伝えられているほか、軍が政権をとっている国が多数あり、国民の自由が制限されている。
「自民党をぶっ壊す」といっただけで大量得票を取ったくらいだから、その成果がでなければ案外暴力的変革を支持するかもしれない。
歴史は繰り返すという、右傾化した考えを持つ中年以下の人が増えている中で「いつか来た道」を繰り返すことない様に祈る
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今朝がたから満天星になり、今日の上天気を約束していてくれた。
竜爪山に雪が三度来れば静岡は春が来るといわれているが、うっすらと白くなっている。どこの行くか迷いはなかった。
安倍川沿いに北に走るにしたがって気温は下がり、梅が島の駐車場に入れのは、午前8時で0度だった、まわりの山は予想通り綿帽子をかぶっている。
はやる気をおさえて、まずキジを打つ。支度して登り出したのが8時15分空気は澄んで気持ちの良い上りだしになる、植林帯上部の800m付近から杉の木の上に積もって凍った雪が日差しを受け少しの風で落ちだした。文字通り氷雨だなと思いながら高度を稼ぎ林道に出る。
ここからは一面白色の世界、20分ほどで旧道に入る沢づたいにゆるやかな登り道だが目印もなく踏み後もないので始めての人向きではない。最近歩いた人もいないのか10センチほど積もった雪はでこぼこもなく、3~7mの幅を持った沢をあちこちと渡り氷を踏み割って進む、さながらバージンロードといった感じで気持ちよく歩ける。
約1時間で安倍峠(1488m)の広場に着く、そこからバラの段に向かって急登する。雪が凍っているので靴がすべりロスが大きいのでアイゼンを装着し登る。途中から富士が落葉した木の間から顔を出す。周りは木の枝から2~5cmほどの鉢出しを持った樹氷で静岡ではあまり見られない風景になる。
10時20分、ようやく奮闘も終え頂上に到着、標高は1647m。この山がなぜ「バラの段」と呼ばれるのか字を含めて分からないが眺望もよくしっかりした独立の山である。
早飯を食べ一休みをしていると、同じくらいの年頃の男性が一人できた。話しているうちにここで引き返す予定であったが、大光山の手前から三河内に下ること変更する、降りてからの距離が近いのでと理屈付けしたが、これが後になって大変だった。
「おさきに」と挨拶をして出かけたがこの道は初めてなので、距離も分からず空は霧につつまれだした、登り口には「この方面は危険です」という張り紙があったことを思い出したのは、歩き出してから相当たってから、三河内分岐まで1時間半近くかかって到着の後、尾根から降りだしてみて危険の原因が分かった。
急なくだりの上道幅が狭い、さらに両側が崩れていて下が見えない状態になっていた。
そのうえ、道の上に積もった雪が足の置き場を隠している。そうとう神経を使う降り道で大腿筋を酷使し、「安倍大滝」まで0.2kmと標識に書いてあり、木の間隠れに見えたのに、そこに行く気力も体力もなくてひたすらに下山してしまった。
もちろん、バス停留所一駅の距離も長かった。
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勝ったぁ 負けたぁ と騒ぐじゃないぜ
後の態度がぁ 大事だぜぇ~
水前寺清子「どうどうどっこのうた」の出だしである。
トリノオリンピックで花形種目の女子フィギュアーで荒川静香選手が金メダルを獲得した。日本人初であり待ち望んでいたものだったのでテレビは上へ下への大騒ぎ、まずはおめでとう。
一時は、確実だなんて騒いでいた種目も不振で、JOCの会長まで「報道陣の分析不足、はしゃぎ過ぎだ」といっていたが、これで「ほっ」としたことだろう。
しかし、いい成績を残したから言うのではないが、女子フィギュアーの選手育成については前にテレビ報道でみたが、まずスケートそのものは二の次にして、身体能力やダンスに対するセンスのいい子どもを育てることから始まっているようだ。
となると、他の種目もオリンピックなど国際競技で勝とうとするには、好きで入る人ではなく国際競技用の選手という育て方をしなければ、何時まで経っても鬱憤はたまる一方だろう。
異性には甘く、同性には厳しいのは世の常であり、自分もそうなんだろうが、今回のオリンピックを見ていて思ったのは、ハーフパイプで失敗した女子選手が雪を叩いて悔しがったシーン。カーリングの終了後目を真っ赤にしてインタビューに出ていた選手。スピードスケートの岡崎選手など負けてはいたが「よくやった」と声をかけたい選手が何人もいた。
そのなかで、体重が200グラム少なかったとへらへら笑いで答えていたベテラン選手の態度は、冒頭の歌の文句ではないが後の態度がなっていない。
この選手は、大会前の成績もよくなかったのに出場した経緯からいって、競技団体そのものにも問題があったのではないだろうか。かって”日の丸飛行隊”などと言われた、長野オリンピック以来沈下したままで、規則や道具など他所に責任を転嫁している。
とにかく、オリンピックに参加する以上次から次と新人選手が出やすくする体制が必要で、4年に一回のオリンピックに四回も五回も同じ選手を主力にし、新陳代謝が出来ないようでは、競技団体の資格なしではないだろうか。
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柳やなよなよ風しだい
山吹や浮気で 色ばっかし
ションガイナ
日本人のせっかち、 冷たい季節風の中 梅の開花も例年よりおくれて見たとたんに桜はまだかいなとせきたてる。
巴川の上流、麻機付近も日に日に春色がきわだってきた。田んぼのあぜ道にはホトケノザのあざやかな紫とオオイヌフグリのコバルトブルーの青が小さな花畑を作っているし、土手には辛子菜の花が黄色いじゅうたんを敷いたように広がっている、すぐ脇には第二東名の取り付け道路の工事が急ピッチではじまっており、政令指定都市となったここ静岡市も田んぼに宅地並み課税が実施されれば、のどかな田園風景もここ2~3年で様変わりするだろう。
三寒四温も本格的になり、一雨ごとに春めいてきてこれからが散歩にもっともいい季節に入る。
桜は、まだかいな。と催促する声は日増しに高くなるだろう。
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世の中「勝ち組だ」「負け組みだ」と騒ぎ、お金がすべてのようになっている中で貧富の差が固定化しそうな感じがする。
どんな世の中でも努力した人は報われるべきだというのは分かる、しかし、それも度を超すと、富は富裕層に加速度的に有利になり、前に書いた勝ち負けの両極端になり、中間層がいなくなる社会になってしまう。
戦後は、それをなくすような社会を目指したはずだが、最近の政治は、それを否定する感じで、教育費ひとつとっても貧乏人は高い学歴 知識を身に付けられない、後進国のようになってくるだろう。
そうした中、自分も負け組みの仲間になり後何年あるか分からない人生をまっとうできるかどうか分からないという不安がたびたびある。
所得税の確定申告に行ってきた。
年金だけの生活だから、サラリーマンと一緒で天引きされた税金をどれだけ取り返してくるかが仕事。去年は所得税 0だったので全て取り返してきたが、今年は老年者控除がなくなったので、取り返せなかった部分が出てきた。
人に言わせれば「所得税がかかるだけ年金を貰っているのだからいいよ」といわれてそんな気もするが、40数年掛けて老年者控除でようやく救われるぎりぎりの年金である。
上を見ればキリがないといわれるが、国会議員を始め公的機関にかかわった人に対する共済年金に比べれば微々たるものである。
とにかく、最近の政府税調の金持ちおじさんがボールペンのの先で思いついたことを書けばそれが通る世の中、弱いものいじめは極端で来年度はさらに厳しくなりそうだ。労働組合も弱いもの対策では頼りにならないし、選挙になれば強いものに寄り添っていく国民では、白馬の騎士はどこにいるのか出番がないみたい。
助けて~な
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トリノオリンピックの大回転競技を見ていたが、ターンやジャンプのたびに力が入りすぎて疲れたので1回目で見るのを止めた。
1回目だけで、3分の1の選手が失敗しコースアウトしたのだから、画面に映るより余ほど難コースなのだと思う。
自分らも子供の頃は冬になるとゴム長靴にスキーか輪かんじきがどうしても必要な地域に育っただけに、どうしても力が入るのだ。
スキーといえば、子供の頃、親が作ってくれるものだった。ならとか樫の木の板を曲げて作るのだが素人の悲しさ左右の板の反り方が違ったり、長靴のを板に固定する金具が合わなかったりで大変だったが、他にないので仕方がない。
そんなスキーを履いて、山行き(スキーツアー)し豚汁を食べるのが楽しみだった。
ようやく、市販の者が変えたのは学校を卒業してから、働いたお金で「小賀坂」の単板で210cmのものを靴と合わせて買い揃えたのを今でも憶えている。
その後、合板になってエッジが付き、雪煙が立てやすくなり、必要もないところで立てて楽しんだ、そして、スチールになったが、以後は買った事がない。
最近では、さらに雪の上で楽しむ競技がふえ、スキーはいまや傍流だという。
それにしても、サーフボードのハーフパイプとかいうのはどうしてアンナにダブダブ上着なんだろう、何か効用があるのだろうか。
スピードスケートや水泳のように時間を争う競技はいかに抵抗を少なくするかに努力しているが、ダブダブの効果は分からない、いまどきの若者好みなんだろうか?不思議だね
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食材の三元素というと、香り 歯ざわり 味わいだというらしい。このほかにも見てくれ、色合いなどいろいろあるだろうが、三つに絞ったらこんなところなるのかな?
そして、日本の食事はヘルシーということで、欧米では見直されている言う話を聞くとなんだか嬉しくなるが、むかしからそんなに身体にいいと思って食べていたわけではない、これしかなかったのだ。
その食材の中で、野菜が今危機的な状況にあるというのだ。理由としては、昔のように栄養のある野菜がないということらしい。食品成分表によると、近年栄養価が落ちてきているという。理由として消費者が癖があるもの、匂いの強いものを嫌うので、生産者が味の薄いものや無いものを開発したこと、生産に手間がかからないなどを主眼としたためという。
そういえば、きゅうりやトマトを食べても昔の懐かしい味のあるものはないし、年がら年中スーパーに出回っていて季節感がない。外国人に言わせると、日本の野菜は甘くて最初からデザートを食べているというらしい。
何年か前まで砂糖工業会だったと思うが「甘いはうま~い」なんてコマーシャルを流していたが、甘いと美味いの区別が出来ない人が多くなったように思う。
今日は雨水、春の訪れにより雪や氷が解けて雨水になるじきだという。そこで近所の川合山からの稜線を歩き、山菜取りの始めとてふきのとうを採ってきた。
ふきのとうは味噌汚しが一番、細かく刻んで味噌とわずかな油を混ぜすり鉢でこね原形を分からなくする、隠し味に砂糖を少し入れる人もいるが自分の趣味ではない。
苦くて辛い味が口の中いっぱいに広がり食欲がいやがうえにも増し、ご飯を余計に食べすぎた。 「う~ん 腹がうい」
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ゆえあってここしばらくNHKの聴視料を銀行支払いを止めている。
そう、例の事件に対する前会長の不遜な態度と現会長のはっきりしない姿勢のせいである。そして、先日NHKから支払いの請求書が届いた。支払いをしていない期間を含めて、、、、、、
さっそく、NHKにメールを送った。
①いままで40年余り黙って支払ってきた者にたいして、ただ、請求書を送ってくるとはどういうことか?②今まで払ってきた者が止めたということに対して、理由が分かっているはずだから、まず謝った上で「済みませんが今回からでもお願いできないでしょうか」ぐらいあってもよかないかと、③また、自分に未納期間を納めよというなら、いままで納めたことのない人はどれだけ請求するのか。④長年納めた人に何か特典でも考える気になれないか。などと書いてみたが、すぐに返ってきた返事は、「意見要望は、受付番号Xでおうけしました。尚、頂いた意見要望には、お答えできないものもありますので、ご了承ください」とだけあった。
日ごろ温厚?な自分はさっそく「答えになっていない。そんな態度がきらいだ」と送り返した。会長がテレビで謝罪したといってもそんな番組誰が見ているか。
翌日、当地方の料金集受係?から電話が来たが、メール内容を話しまたのちほどということで打ち切った。折角そろそろ納めてもと思っていたが、NHKは相変わらずですぞ。
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いま、アメリカの下院でネット企業の中国事業の展開の仕方を非難しているそうだ。理由としては、中国政府の気に入るような偏った検索になっているからだという。
一方中国政府としては、この国で事業する以上この国に合わせた展開は当たり前という、ネット業者としてはこれからインターネットが急速に拡大する国でシェアーを確保するため仕様がないことなので困っているようだ。
日本でよく聞かれることのひとつとして、報道は中立公平でなければならないと聞く、この公平中立が曲者でテレビなどを見ていて思うのは、どのテレビ局も同じ問題を同じ切り口で取り上げている。
つまりこれでは、放送局がこんなに要らないことにならないだろうか、アメリカやイギリスでは編集の方針が各報道会社で決まっていて、あれは右系これは左系と始めから決まっていて読者はそれを承知で買っている。
同じことでもあちこち見る角度があって、各個人の判断材料となるはず。日本の場合、中立公平という名に借りて報道規制をしているといって過言ではない。
先日も、違う見方をした報道機関を袋叩きにしていたが、自由にものを言わせて判断するだけの度量が欲しいものだが、この国、この社会ではムリなのか。とすれば、中国を不自由な国と笑って入られないことになる。
国民の判断材料が一様で、意見が一致すればこれを誘導する側(為政者)にとってこんなありがたい事はないとしるべし。
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今日は久し振りの雨、しっとりとした潤いがが昨日までの乾燥を和らげている。
三寒四温 陽気に誘われて開き始めた、ねこねこおんぼに水滴がつきもうすぐ啓蟄。
月からとは言わずとも、たった200km上空まで上がると万里の長城やナイル 揚子江 アマゾンなど巨大なもの、大都市の夜の電灯の帯を除いて識別は出来ないそうだ。
そこでは、人間の存在などばい菌並みになり、ばい菌同士の戦争も国境も分からない。勿論地球儀の上にある赤道 子午線はない。
このばい菌がりんごを腐らすように今地球を食いつぶそうとしている。少し高い山の上から見ても住宅街と道路がひたひたと山すそを覆っている様や工場の煙突から吐き出される煙で上空が霞んでいるのは目に見えて分かる。
地球の人口も60億を越したようだが、この数は哺乳類といわれる生物の中では最高の数だろう。そして、エネルギーの消費量でもダントツである。
過去地球の歴史を見ても幾度かの生物絶滅の経験があるが、それはいずれも外的な要因で滅んだものとされているので、もし人類が滅ぶとしたら初の自家中毒絶滅になるのだろうと思う。ちょうど、ばい菌が人間の身体に取り付いて自分の栄養素を食い尽くして自分も死ぬように。
その時期は、バブル崩壊に似て絶頂期に突然訪れるのだと思う。何時がその時期か知らないが今の調子だとあまり先の話しでないような気がする。おりしも、グリーンランドの氷河がかなりの速度で消えているとの報告もあった。
ニーチェは「地球は皮膚を持っている。その皮膚はさまざまな病気をを持っている、その病気の一つは人間である」と1800年代からすでに心配しているが。
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人は悲しみに耐えられなくなって泣くのではなく、泣くから悲しみが切なくなるのであり、おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしさが際限もなくなる。怒りによって怒鳴るのではなく、怒鳴りたてるから激怒する。という説があると海音寺潮五郎は小説”天と地”の中で紹介している。
そう言われればそんな気がしないでもないが、遊園地のジエットコースターなんぞの側にいると轟音と共に「キャーッ~」という悲鳴がよく聞こえる。自分もむかし子どもや姪っ子にせがまれ簡単なものに乗ったことがあるが、悲鳴は女性の特権かも知れないなと感じていた。
こういう乗り物は、男同士というのはまず見当たらない。男は本質的には恐がりであり、自ら進んで乗りたいという人は少ない。
大抵は誘われて仕方なしというところ、そして、乗り込むと男はひたすら前にあるバーにしがみ付いてコチコチになり声を出す余裕なぞない、ひきかえて女の人のはしゃぎようは凄いものがある。
この場合、前の言葉に従えば、恐いから声を出すのではなく、声を出すから恐いのだということになると、女の人は恐さををもとめているのだろうか,案外恐いもの好きだから、出産子育てを絶叫で乗り越えられるのか。
今日はStバレンタインデーだという。いつのころから女性が男性に愛を告げる日になったのか知らないが、これも、いとしいと思うから送るのではなく、送ったということで自分の恋心を燃えあがらせるとしたら大事なものですぞ。
今年は例年になく高級なチョコが売れているとテレビで報じていた。いったい何千円もするチョコの味とはどんなものなんだろう。だけんど、お返しがまた大変だからこんな風習は自分の周りで定着しないで欲しいものだ。と言ったら
「義理チョコさえ貰えない者の言うことではないよ」だって
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厚生労働省はがん予防の効果があるといわれているキノコの一種”アガリスク”を使用した健康食品に動物実験でがんを促進する作用が認められたとして、販売会社のキリンウエルフーズに自主回収と販売停止を要請したと発表した。
「おいおい がんを予防する健康食品でがんになるのかよ!」
こういう実験はかなり時間をかけて取り組むはずから、大分以前から問題視されていた、となると、かなりの人が服用していたことになる。そして、回収の要請とはこれいかに? なぜ命令と出来ないのだろうか。
業種は違うが松下電器が随分前の石油ストーブで死亡事故が発覚してからの対策と同じことを指示してもいいはずではないだろうか。
それにしても、健康食品が多すぎる、そんなに自分の食事に自信がないのだろうか。普通に取っていれば充分ではないのか?
健康食品は、薬事法により効能効果がはっきりしていないため、記述することは認められていない、そのため、関係しない本や人伝て 又聞きなどで効能を想像して購入する。いわゆる宣伝上手にかかっている商品であり、人の不安につけ込む商品であると思っている。
以前、大はやりした”紅茶キノコ”をみるまでもなく消え去った健康食品はかなりある、最近では金属のゲルマニュ-ムやトルマリンがいいと宣伝しているが、あれは本当に効くんだろうか。気分の問題でないかと思うが気休めにしては高い商品だと健康グッズ嫌いの自分はおもっている。
今夜の外は十六夜(いざよい)の名月がひときわ涼しげにかがやいている。薬はこうありたいもんだと思うのは懐疑主義の自分だけだろうか。
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六根清浄 六根清浄
お山は快晴 守らせたまえ
白装束に地下足袋の山伏風先達に率いられた集団とすれちがった。いずれも高年齢の人たちばかり、いかにも山歩きに慣れていない人に見えるが先達の大きな掛け声に和してゆっくりと登っていく。
こんな光景はもうしばらく見ていない。むかしは霊山と呼ばれた富士山を始め白山 御岳山 立山に列を成して登り、各山の小屋などに富士講 御岳講などと書いた札や旗が見えるところにあった。
はじめて、山登りをした昭和30年代の山はそんな面影を残しながらも、若者のレジャー登山の場となり信仰のための講登山は次第に消えていくと共に山は汚くなった。
山頂やテントを張る場所は這い松が切られ、糞便や空き缶などのごみ塗れになり、それを避けてテント場を移動していた。そして、上高地の梓川も大腸菌が検出されたなどと言われた。
昭和も終わるころから、環境意識の向上もあってか どの山も見違えるようになり最近は自分が登る山の山頂付近はごみもほとんど目に付かなくなった。しかし、富士山は登山客の多さもあってなかなか綺麗にはならない。
その汚さは世界的に有名だと登山家の野口さんという人がいっていたが、その有名さのため世界自然遺産の登録から漏れたと聞く、そしていま、世界文化遺産に登録しようということになったが、信仰の山と言うには熊野とは大きな差があって難しいのではないかと思う。これから付け焼刃的な処置で通るほど甘いものではないだろう。
ちなみに、六根清浄とは、眼 耳 鼻 舌 身 意の六根の執着を断ち切り清浄にすることを言うそうで、「ドッコイショ」はそれがなまったものという説がある。
何かするときドッコイショというのは年をとった証拠ともいわれ、年をとるということは六根が綺麗になることとだといいのだけれど、いろいろなしがらみを断ち切るために唱えているとしたら「ドッコイショ」の声は死ぬまで唱えるのは、当然のことだろう。 おそまつさま
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「日本で一番高い駅はどこだ~」ず~っと前子どもに出されたなぞなぞのひとつだった。答えは東京、国鉄の時刻表では東京駅に向かって走る列車はすべて上りである、という理由からだった。
しかし、江戸時代まで京都がその位置を占め、京から江戸へ行くことを東くだりといった。
そこで本日は、興津駅からサッタ峠を越えて由比駅まで歩いて東くだりをしてみた。理由としては、サッタ峠の緋寒桜をみるためである。
今年は例年に比べて寒さが厳しかったようで、あちこちで花の咲くのが10日ほど遅れているという便りも聞いているので、こちらも遅いのかなと心配しながらのハイキングだったが、興津川を渡り峠まで来て見ると満開にもう少しというほどの開きようであった。
天気もよく風も雲もなし、花にはメジロが群がり蜜をあさったいた。途中の水仙も盛りで甘い香りが鼻をくすぐる。ポカポカとした陽気はまさに春~!ッて言う雰囲気。途中で買った一袋100円のみかんを食べながら富士 愛鷹山 波ひとつない駿河湾をを眺める。
しばらく花の下で春を吸い込んで降りにかかる。駅まで約3k半といったところか、倉沢の宿に降りて東海道の名残りが僅かに残る道筋をぶらぶらと眺めて歩く、望嶽亭や本陣 脇本陣、名主の小池邸の釣り雛飾りを見て、由比駅まで総延長で10kほどか、昔の難所も今は名所となってこれから一ヶ月ほどお客の接待に忙しいかろうと思う。
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いよいよ明日からイタリアはトリノで冬季オリンピックが開催される。
4年に一度の大会に出場選手は興奮していることと思う。日本の選手もかなり上位に入れそうな人が何人もいるようだが、マスコミはこの人もこの人も入賞しそうだと言っている、しかし、いつもの事ながら期待をしすぎているのではと思ってしまう。
一方選手の方も、昔と違って晴れの舞台で実力が出せない人は少なくなったようで、一様に「がんばります」でなく「楽しんできます」と言っているから、そう外野が心配することもないか。
オリンピックがどうして4年に一度になったかは知らないが、選手の年齢や政治が絡んでのボイコット、はては競技団体の選考に不明朗なことがあったりして、微妙な影響があり、どうしても運のいい人悪い人がでてくる。
古くは、水泳の古橋 橋爪が世界記録を連発している時期に出してもらえなかったこと、モスクワオリンピックのボイコットで何人もの選手がつぎの大会には出れなかったり、今回も有望な選手が年齢が足りなかったり、過去の成績が良いだけで不振続きの選手が5回目の出場を果たしているなど数え上げればきりがない。
さらに、冬季の大会は雪のない国にとっては厳しいものがあり、一部の地域だけと言うことから関心はどうしても低くなる。
むかし、ギリシャでオリンピックが行なわれていた当時は、戦争を一時中断して競技が行なわれたというが、最近では人の集まるところテロありとかで、ものものしい雰囲気の中で行なわれる大会。
自分としては、審判員の点数で争われる競技はえこひいきがあって素人目には分からないので、スキー大回転やラージヒルのジャンプを是非見たいと思っている。
残念なのは、この種目で日本人の活躍が望めないことであろう。
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おもえば元暦 源平のしのぎをけずる合戦に
敵と味方のときの声 松吹く嵐 波の声 入り乱れつつ騒だちつ
坂東一の旗頭 熊谷直実 敦盛を扇をあげて呼び返し 涙と共に打ちにけん
おそらく小学校に入る前の歌で、脳裏にしみこんだ歌詞のひとつである。この唄はを知っている人はいるだろうか、それとも田舎歌舞伎の挿入歌で、世間一般のものではなかったのかも分からない。(もし心当たりがありましたら教えてください)
話は変わる、今日ようやく佐藤賢一の「双頭の鷲」という本を読み終えた。上巻を読み始めたのが昨年末だから一ヵ月半かかったことになる。文庫本ながら千ページを超えているせいもあるが、根気がなくなったことが大きい。
彼の本は長い、前に読んだ「傭兵隊長ピエール」もそのくらいあった。いずれもフランスとイギリスの百年戦争を題材に取ったもので、傭兵隊長ピエールはジャンヌダルクを絡ませ、双頭の鷲はフランスを危機から救ったゲクラン元帥を主人公にしたものである。
詳しい内容を説明すると長くなってしまうし、脚色が多くて歴史的価値でなく騎士道物語的な小説なので面白おかしく読むに飽きの来ない小説である。
この中ばかりではないが、この時代の闘いは抵抗を止めれば、身代金目当ての捕虜になりその間敵地で厚遇を受けることができると言うことである。
もっとも、身代金も払えない雑兵はどうなのか分からないが、サラセンと戦った十字軍にもそんなことがあったそうだから、上下をあげてよく闘ったとして不名誉なことではなかったようだ。
一方、日本では最後まで華々しく闘って切り死にすることが美学であったようで、熊谷直実も西洋式考えが日本にもあれば、敦盛を捕虜にして身代金を取れたのに、年端も行かない少年の首を切らなければならず、それを悔いて坊さんになってしまった。
騎士道とは、幾たび負けてもチャンスを生かしてチャレンジすることにあり、武士道とは「死ぬことと見つけたり」という言葉にもあるように命を軽く扱ってきた。
この思想が、先の大戦で「生きて虜囚の恥かしめを受けず」という戦陣訓にまでなり、ガダルカナル ミッドウエイ イラワジ川 沖縄などで死ななくても良い命を大勢なくしてしまった。
(そして、作った人たちはおめおめと生き残り、死刑の後、靖国神社に祭られ、また隣国と摩擦を起こしている罪深い人たちだ。)
騎士道物語が西洋一般の思想に影響を与えているとすれば、武士道も日本に影響を与えてきた、教育や宗教と言うものはこんな所からも大切なものである。
今、ヨーロッパでイスラムを風刺した絵が騒ぎの元なっているが、これも思想の違いが地球規模になればと思うが道はなかなか遠い所にある。
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聞き分けのない 女の頬を、、、、
ボーギーボーギー あんたの時代は良かった(ょ)
男がピカピカの 気障でいられた~
今ではご存じない方も随分いるらしい澤田研二の「カサブランカダンディ」の一節である。
一昨日は映画「カサブランカ」昨夜は「第三の男」と古い映画を見た。
カサブランカの方は、戦争中に戦意高揚を目指して作られたそうだが、自分が見たのは戦争も済んだ、昭和26年過ぎだったように思う。そして、第三の男はもう少し後だったか、いずれもモノカラーの映画だったが、今見ても影の使い方に素晴らしいものがある。このころの名画に欠かせないバックグラウンドミュジックが今でも残っているし、いずれも最後の場面が印象的なことで憶えている。
また、カサブランカでは主演のハンフリーボガード、愛称をボギーといい、頭書の”カサブランカダンデイ”はここから取ったものと思っているが、この時代でもピカピカのきざはいられなかったことだろう。(ピカピカの気障は男の夢の中だけにしまっておくもの)
そして、第三の男はオーソンウエルズが主演であり、どちらも美男ではないが個性豊かな演技をしていて、当時娯楽がなかったせいか、何十年経った今でも名前と顔が一致する。
最近は見たい映画もないので行っていない。(かろうじて孫と行くアニメのみ)評判の韓国映画や何とかデニーロのように男がいいだけの映画は、美男コンプレックスには拒絶反応?がさきにたってしまう。
とにかく、大人の演技が出来る役者が減って、おばちゃん連中の言う「かわいい~」ばっかりの役者が幅を利かすようになったら映画もお終いだろうな。
余談ながら、おとなり韓国では、自国の映画を減らしても良いとする法律に映画関係者を中心に反対しているそうだが、法律で娯楽を守るというのもおかしい話ではないだろうか。
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有東木は、安倍川沿いを北に走って20kmほどの所から左岸に登っていった所で、青笹山などに登る時によく利用する通り道にある集落であり、山葵(わさび)を一番最初に栽培始めた所だと言う。
ここに、市の援助出来た建物と、近所の主婦が地元で取れた産物を始め、蕎麦などを手作りで作って食べさせている所があり、年に数回は行って食べてくる。
その名も「うつろぎ」という、背戸の山の名前から取ったらしいが、有東木のもともとの名前だったのかも知れない。
ここで、いつも決まって注文するのは”天盛り蕎麦”温かくても寒くてもこればっかり。
冬以外は、外に出て谷川の轟音を聞きながら食す。小さな谷ながら急傾斜を流れ降る音はせせらぎを通り越してやかましいが、それもまた、それぞれの季節のふんいきを感じさせるものがある。
つゆの味は、砂糖が入っていないらしく自分好みであるし、蕎麦の腰もよく入っている。さらに、山葵の葉と季節の山菜の天ぷらが好きなことからいつも同じ注文になってしまう。(腹にはいってしまえば同じ事ながら、蕎麦と天ぷらは別の方が好きなので、、、)
昨日から今朝にかけて降った雪も昼近くには気温があがり、道路には全然ないが、まわりの茶畑などには5センチ以上は積もっていて久し振りの雪景色。おかげで客もほかに一組いただけで閑散としている。
食後、集落の一番上に上がってみたが小雨交じりの空模様では山登りをしたい雰囲気でもなく、静かに引き返してきた。
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歴史的建造物はもとより、ふるい町並みを保存している所は全国各地にあり、いまや、観光の目玉として活躍している。
その一方で、50年以上前の鉄筋コンクリートの頑丈だったと言われる建物は見かけないように思う。
建築基準法に、耐震構造が言われたのは、たしか昭和56年だったかと聞いているが、その後、再度強化されて今では平成3年の新しい基準でないと危ないとのことで、各自治体では補助金を出して補強するようにうながしている。
となると、前に述べた何百年前の建物は、運が良かっただけなんだろうか、それとも耐えるだけの設計がなされていたのだろうか。後者だとするとその伝統を受け継いだ和式の建物は基準法とは別の考え方をしているとみなしても良いのでは、なんて素人考えをしてしまう。
ほかならぬ、我が家も建築して50年近くになり、耐震診断をして補強せよと言う人がいるが、とてもじゃないがそんな費用は出てこない、いわく「地震が来て、家がつぶれ、生きていたらその時は仕様がないから立て直しましょう」と開き直ったようなことを言う。
じっさい、最近の耐震偽装問題を見ると、あの人だけで後は真面目な設計士ばかりだったと保障ができるのか、案外 うちは絶対大丈夫だと言い切れるのだろうか。
ある建築関係者に聞いたところ、住宅メーカーの中には地震が来なくても30年ほどしかもたない家もあると聞いたし、神戸の地震ではやはりあるメーカーの家が弱かったとテレビで言っていた。
家の丈夫さは、地震が来て見なければ分からない。地震はコマーシャルによれば神様でも分からないと言う。
自分はもっぱら唱える。くわばら くわばら と
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午後、自動車の燃料補給と灯油を買って帰ってくる途中、三叉路から一時停止もせずに飛び出してきた自動車が平然と曲がっていった。
中には、70代と思われる人が何事もなかったように平然と前を向いたままででいる。直進していたこちらは、急ブレーキのため灯油タンクは転がるは、後部座席の荷物は崩れるはで、おおわらわ。
2~3日前の新聞に、65歳以上で運転免許を持っている人が、いま1千万人ほどいるという。その中で認知症の疑いがある人が30万人、機能が低下している人は2~3割ほど。と警察庁が発表しているらしい。
最近、自動車道で逆走した人などもこのくちらしいが、貰い事故をした人は泣くに泣けないだろう。裁判になっても相手は心神喪失ではどうなるのかな。
もちろん、全ての人が一様ではなく程度の差があるのだけれど、昨年 NHKの”クローズアップ現代”だったと思うが認知症の老人から運転できないように免許証や車のキー、自動車を隠し、使えないようにすることの難しさをその家族があげていた。
本人に自覚がないだけに返上はおろか探し回った末にないと、周りを泥棒呼ばわりをして騒ぐと言うのだ。
また、交通の便が悪い所では機能が低下していることが分かっていてもなかなか手放せないだろう。
昨年の半ばだったが「じいじは、何時まで運転する気?」と娘が言っていたが、さて、自分の場合はどうなんだろう。今のところ他人事のようにしているが、自覚した時には相当悪いのだろうな。
見るに見かねて言われた時には素直に耳を傾けることが出来るやら、、、、
例によって孔子様曰く
六十にして耳順(みみしたがう)、七十にして心の欲するところに従って、矩をこえず。と
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春は名のみの風の寒さや
今日は立春、古来この日を年の始めとする風習があり、いまでも八十八夜とか二百十日はこの日から数えている。
それにしても、今朝はこの冬一番の寒気が入ったとかで市内で1度。そして、山登りの駐車場にした富士宮市の根原は零下7度だった。
温度自体はふるさとの飛騨ではしょっちゅうあった寒さだったが、風が強く 体感温度はもっと低く感じられた。
今日は富士山の西側にある毛無山塊の最北端で本栖湖の接している竜ヶ岳(1,465M)を目指した。先日、富士山次郎さんのブログの写真を見て行って見たいと思っていたが、生憎の天気で雪が解けてしまっているのではないかと思い、遅らせていたのだが、その後の雨で富士がまた白くなったように感じられ出かけてみることにした。
ところが、あにはからんや、先日の雨はこの山でも雨だったらしく軒並み厚化粧を落とした女性のような風情で、、、、後は書けない。
しかし、ここまで来たからには後に引けないので支度をして登り出した。帆足峠まではいつものように40分ほど、さすがに木が植わっている所は風がない、植林帯を抜けて明るい木立にのなかをゆっくりと登る。
峠からは、本栖湖や登る時脇を通ったA沢貯水池を見下ろして、最低鞍部に着く、それからいよいよ本体に登りだす、道は2千年辰年をを記念して山梨県が整備したとかで笹原を直線状に切り開き階段上の登山道にしてある。思わず四国の金毘羅山を思い出したね、”コンピラフネフネ オイテニホカケテ シュラシュシュシュ”と
高度差にして150mほどか、そこを過ぎるとなだらかな傾斜になり右に逆光気味の富士が光線の当たる部分をギラギラさせて黒く見える。多分雪が凍っているんだろう、左には南アルプスの連山と八ヶ岳が真っ白に遠望できる。このあたりの山では珍しい光景だ、(他の山では富士山側だけが開けている)これも、笹原のおかげか。
ズーッと一人の山登り、周りには音のするものは自分の靴が霜や氷を踏みしめる時だけでなんにもなく、さながら無音室か聴覚検査と時のように耳が深深とする。
頂上は、芝を敷いた半径50m近くもある広場にベンチ付きのテーブル二個。見晴らしはこれまた抜群。例のごとく早飯のあと帰りに付く。
峠近くにコガラが3羽道案内をするかのように少しづつ前でえさをついばんでいる、まだ、恋の季節には間があるので地ずりだけだが懐かしい声を響かせるていた。
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「福は内!」という声と共に前列のお年寄り数人が倒れこんだ。後ろからの圧力がもろにかかったみたい。
それでも、倒れこんだまま豆拾いにかかっている、自分はこれ以上圧力がかからないように支えているのも知らないのか上に向かって手を広げている。(潮丸関もフクハウチ)
それを見て、地獄の亡者もこんなのカナと思ったら急に熱が冷めてくるのが分かった。この豆まきのため40分くらい前からこの位置に立っていたのだが、次から次と豆をまくきざはしの下に群がって次第に後ろに下がるような格好になった挙句が、押されて転んでいる。
上で豆を蒔いている年男たちはどんな気分だろう。少しづつ後ろに下がり豆の届かない所に下がって結局は最初の意気込みと違って空中でキャッチした餅だけで帰ってきた。
今日は節分、季節の節目を祝って豆を蒔く行事が定着したものだというが、「福は内鬼は外」の元気な声は今年も我が家はおろか近所でも聞こえない。
こどもの頃、部屋や外にまく豆のほかに父親が台所に行ってフライパンに豆を入れ適当に炒ったあと砂糖をまぶして飴でくるんだようにしてくれた。あのころはどこの家も子どもが4~5人は普通だったので、何の行事にも子どもの声がしないことはなかった。
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”君死に給うことなかれ”
与謝野晶子が雑誌”明星”に掲載したのは、日本とロシアが中国で戦争している真っ最中だった。
当然、この歌を批判する人もいて大きな騒ぎになったようだ。徴兵制も布かれてだれかれなしに戦地に連れ出された人の家族の気持ちはわかる。
しかし、民主主義の国であるはずのアメリカでさえが9.11のあと、ビートルズの”イマジン”を止めたり、ブッシュに反対するする人を非国民扱いにするくらいだから、当時の日本では考えられないことであったことと思う。
いま、防衛施設庁が長年の汚職でゆれ、防衛省に昇格する話しも一時沙汰止みになるようだ。
防衛省のつぎは徴兵制などとエスカレートし、近隣の国と対立ばかりをかきたてる、最近のタカ派的発言を繰り出す若い政治家を見ていると、なんだか季節のせいばかりでなしに薄ら寒い気がしていた。
よく、国会議員になったからには大臣になりたいという欲望は捨てきれないようで能力もないくせに順送りや派閥の親分に期待することしきりらしい。
そうした中で、大臣のいすが多いほど良いことになることから期待している議員もいる。しかし、よく思うのは大臣と言う名前を一向に変更しようという動きがないことである、この名前は奈良時代に天皇に仕える重臣の名称であり、人民に対する者ではなかったはず。
となれば、民主主義のいま、公僕の長になったのだから、省長や長官でいいはずではなかろうか。そんな、名前ではいやだと言う人がいればそれだけでも「大臣病」は減ることになる。
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雨が降ります 雨がふる
遊びに行きたし 傘はなし、、、
てなわけで、今日一日降り込められていた。午後になって「午後のロードショー」というのでキャサリンヘップバーンの”旅情”をやっていたので見て過ごした。
キャサリン・ヘップバーンは、もう一人のヘップバーンに比べると当時でもかなりのおばさんであったし、美人と言う部類には入らなかったから、演技力で活躍した俳優だった。
この映画は、昭和31年ころ見ているはずなので、それこそ半世紀振りということになる映画の筋書きは忘れてしまっていたが、イタリアはベニスの光景をいろいろな角度から写していて、その後40年以上経ってからベニスに行ったときここも映っていた、あそこもと思い出させてくれたほど印象に残っていたことを思い出した。(40年ほどあとに見たベニスの運河)
特に、サンマルコ広場や最後のシーンにでてきた海の上を列車が走るところ、ゴンドラの艪の動きが日本の和船の艪と似ていることなどは、懐かしいと言うばかり、、、、、、。
またこの映画のバックグラウンドに流れる曲は今でもときどき聞くことがあるくらいだから名曲なんだと思う。しかし、時代の流れと言うか、映画そのものはこんな程度だったのかとがっかりした。
その当時インパクトがあった映画も、ほとんどが年を経てみると感じる距離感と言うか、どこに感動したのか分からなくなってしまうのに対して、音楽というものは不思議なもので何時までも色あせないように思う。
よく「昔の音楽(歌)は良かった」と言う人がいるが、良かったから残っているので、消えた音楽も数知れずある。そのなかで50年経ったいま、演奏される曲はそれこそ宝物なのなんだと思う。
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