« 十六夜の月を見て | トップページ | 百舌も恋をしてた »

2006年2月14日 (火)

義理チョコもない

人は悲しみに耐えられなくなって泣くのではなく、泣くから悲しみが切なくなるのであり、おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしさが際限もなくなる。怒りによって怒鳴るのではなく、怒鳴りたてるから激怒する。という説があると海音寺潮五郎は小説”天と地”の中で紹介している。

そう言われればそんな気がしないでもないが、遊園地のジエットコースターなんぞの側にいると轟音と共に「キャーッ~」という悲鳴がよく聞こえる。自分もむかし子どもや姪っ子にせがまれ簡単なものに乗ったことがあるが、悲鳴は女性の特権かも知れないなと感じていた。

こういう乗り物は、男同士というのはまず見当たらない。男は本質的には恐がりであり、自ら進んで乗りたいという人は少ない。

大抵は誘われて仕方なしというところ、そして、乗り込むと男はひたすら前にあるバーにしがみ付いてコチコチになり声を出す余裕なぞない、ひきかえて女の人のはしゃぎようは凄いものがある。

この場合、前の言葉に従えば、恐いから声を出すのではなく、声を出すから恐いのだということになると、女の人は恐さををもとめているのだろうか,案外恐いもの好きだから、出産子育てを絶叫で乗り越えられるのか。

今日はStバレンタインデーだという。いつのころから女性が男性に愛を告げる日になったのか知らないが、これも、いとしいと思うから送るのではなく、送ったということで自分の恋心を燃えあがらせるとしたら大事なものですぞ。

今年は例年になく高級なチョコが売れているとテレビで報じていた。いったい何千円もするチョコの味とはどんなものなんだろう。だけんど、お返しがまた大変だからこんな風習は自分の周りで定着しないで欲しいものだ。と言ったら

「義理チョコさえ貰えない者の言うことではないよ」だって

|

« 十六夜の月を見て | トップページ | 百舌も恋をしてた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/8657577

この記事へのトラックバック一覧です: 義理チョコもない:

« 十六夜の月を見て | トップページ | 百舌も恋をしてた »