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2006年2月27日 (月)

御飯は銀シャリ

はじめチョロチョロ  なかパッパ

ジュウジュウ時に 火を引いて

赤子 泣くとも 蓋とるな

電気炊飯器がなかったころのご飯の炊き方だったが、これがかなり難しかった。古川柳にも「新所帯(あらぜたい)こわめしに出来かゆに出来」とあるくらいだ。

水加減や火のたき方でメッコになったり、焦げたり、かゆになったりで、親が入院した(小学校6年)時に炊くご飯はクド(かまど)のそばから離れられなかったし、水分の多い薪がくすぶった時など煙のせいだけでなしに泣きたくなったものだった。

そして美味く炊けたときの嬉しさ、美味さは格別なものがある。ご飯の炊き方には藁がいいとか松葉がいいとかというところもあるそうだが、土地柄か自分たちのところは火力の強いナラとかブナなどのいわゆる堅木の乾燥したものを最上とし、炊き上がった後 ツト(藁の覆い)でつつんだお櫃に移したものは、今では夢の中だけのものになってしまった。

また、戦後の食糧難で米の配給が少ないころは、いろんなものを炊き込んで雑炊にし量を増やしたが、やはり米の多い部分を食べたいばかりに、釜の底をこそげて茶碗に入れるのだが、焦げ気味のところは米分が多く儲けたような気分にさせられたものだった。

そのせいか、いまでもパリパリ感のある焦げ飯は好物のひとつだし、なんと言ってもご飯は「銀シャリ」である。

米は大きく分けて、インディカ米とジャポニカ米があるといわれ、日本では前者を外米と呼んで評判が悪い。原因は粘り気による所が大きいようだ。

しかし、世界でみると米はインディカ米が主流で、ヨーロッパでは野菜扱いだという。仕事で行った南米ではかなり米を食べていたようだが、白いまま食べるのはブランコ デ アロスといって特殊な食べ方であり、自分たちがカルフォルニィアからわざわざ取り寄せた米は歯の裏につまって美味くないといった。

やはり、人の味覚とは育ちが大きくものを言うようだ。

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