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2006年2月12日 (日)

ドッコイショ

六根清浄 六根清浄

お山は快晴 守らせたまえ

白装束に地下足袋の山伏風先達に率いられた集団とすれちがった。いずれも高年齢の人たちばかり、いかにも山歩きに慣れていない人に見えるが先達の大きな掛け声に和してゆっくりと登っていく。

こんな光景はもうしばらく見ていない。むかしは霊山と呼ばれた富士山を始め白山 御岳山 立山に列を成して登り、各山の小屋などに富士講 御岳講などと書いた札や旗が見えるところにあった。

はじめて、山登りをした昭和30年代の山はそんな面影を残しながらも、若者のレジャー登山の場となり信仰のための講登山は次第に消えていくと共に山は汚くなった。

山頂やテントを張る場所は這い松が切られ、糞便や空き缶などのごみ塗れになり、それを避けてテント場を移動していた。そして、上高地の梓川も大腸菌が検出されたなどと言われた。

昭和も終わるころから、環境意識の向上もあってか どの山も見違えるようになり最近は自分が登る山の山頂付近はごみもほとんど目に付かなくなった。しかし、富士山は登山客の多さもあってなかなか綺麗にはならない。

その汚さは世界的に有名だと登山家の野口さんという人がいっていたが、その有名さのため世界自然遺産の登録から漏れたと聞く、そしていま、世界文化遺産に登録しようということになったが、信仰の山と言うには熊野とは大きな差があって難しいのではないかと思う。これから付け焼刃的な処置で通るほど甘いものではないだろう。

ちなみに、六根清浄とは、眼 耳 鼻 舌 身 意の六根の執着を断ち切り清浄にすることを言うそうで、「ドッコイショ」はそれがなまったものという説がある。

何かするときドッコイショというのは年をとった証拠ともいわれ、年をとるということは六根が綺麗になることとだといいのだけれど、いろいろなしがらみを断ち切るために唱えているとしたら「ドッコイショ」の声は死ぬまで唱えるのは、当然のことだろう。        おそまつさま

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