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2006年3月 2日 (木)

なつかしの山

P1010009 小中学校時代を海抜1,300mほどの山の中腹(800m)の大津山というところで過ごした。(池原さんの写真を拝借)

いまでいう、周りが自然だらけの土地であった。同級生は男女それぞれ11人程度の小さな学校で、小中併合の学校だった。

場所は、背戸の山が岐阜県と富山県の県境に当たる場所で冬になると雪が2~3m以上は積もる豪雪地帯で、昭和38年の雪は7mも積もったと聞いている。

この場所で生活したのは、この山が当時日本で有数の鉛 亜鉛を産出する鉱山で、父親が鉱山に勤めたからだった。学校は鉱山の社宅の上に位置し、後には公立になったものの、私立学校として発足した。つまり、鉱山の子弟を教育する場であったからだ。

自分は、この学校を昭和30年に卒業し以後ほとんど帰っていなかったので、よく分からなくなっていた、昭和50年だったと思うが従業員の要望や社会情勢によって社宅を麓の町に前面移転をして、100年ほど歴史を閉じこの場所は無人の山に帰った。

それから、30年あまり経つが、先日10年ほど後輩に当たる池原さん(とやま山歩記)から、ここへ行ってきたと連絡があり、CDにした写真を送ってきてくれた。

自分がここを離れて、半世紀、無人になって30年、自然の侵食は烈しいものがある。社宅のあった付近には面影がなくどこがどこやら状態である。でも、いったん尾根筋にあがると、撮影場所はわからないものの飛騨の山並みは変わらない。

葉を落とした落葉樹の下に降り積もった雪が北アルプスまで延々と続く、そして、この中に先祖代々の地”笈割”が含まれている。この地も過疎化の波に洗われて廃村になってしまった。

子供の頃兎を追って遊んだ(実際は食べるため)景色がかいまみえる。例年今頃から昼と夜の寒暖の差が激しくなり雪の表面が固くしまってごぼらなく(めりこむ)なると山の中を縦横に走り回れる。毎朝学校の上に登り、くま笹を知りにひいて滑り降りたことなどが次から次と浮かぶ、、、、、

こういう風景を見ていると、人間が作ったものは多寡が知れているということをまざなざと思い知らされる。そんなことを言いながら今日も営々と生きているさらに小さな自分がある。

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