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2006年3月31日 (金)

おぬしもワルよのう

P1010013 今日は、上巳の節句 旧暦の雛まつり、桃の節句なのだが今年、こちらでは桃の花も散り急いでいる。

さて、報道によると昨日、日歯連の一億円献金事件で村岡謙造さんが無罪になったそうだ。判決文は新聞でしか知らないのだが、当然の判決だったと思う。

この事件、当初から不自然だった。当然と思われる人を始めから除外した捜査の仕方であり、判決文で裁判長が指摘した別の黒幕の方が起訴されるべきで、検察の無理がここに至った裁判だった。

そして、検察は上告すると言っているようだが、最終的に村岡さんが無罪となった時には、黒幕の方は時効成立となって高笑いをしているという構図が見え「越後屋、おぬしもワルよのう」と時代劇さながらの場面を再現する。

この事件ばかりではないが、世に冤罪と言われる裁判で一番迷惑を受けるのは被告である。国家権力で無理やり被告に仕立てあげられて、長期間の弁明に追われる。

無罪を勝ち取ったからといって、現状復帰するだけで、それまでの世間の批判や費やした労力、気苦労、裁判費用は完全に補償されるわけでなく、なんの得もない。まして、有罪にになったのではまさに「死んでも死に切れない」状態で化けてでもと、復讐を誓っても無理のないことだろう。

そして、運良く無罪になったとしても、それに関係した公権力には一切のお咎めがないうえ、賠償さえ関係のない市民の税金が使われる。

訓告や戒告というものはどの程度、係わった人に影響があるのだろうか、不思議に思うことが多々ある。

近い将来、民間の裁判員が判決に加わるというのも、エリートと言われる人や、一般社会から隔絶された人の感覚と一般人の世相の見方に乖離がありすぎたことの反省であり、今回の事件でも検察審議会が黒幕の不起訴不当としていたように、一般に対する説明がこれからもっと必要になるだろう。

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2006年3月30日 (木)

山葵の花

P1010015 山葵の花の一夜漬けを食べたいとて、有東木に向かった。

安倍川筋を約1時間、さくらだけと思っていたのに、山吹、ミツマタ 躑躅まで咲き出していた。道は次第に暗くなり行く手の山は雪雲につつまれている。

ラジオは、井川 水窪など北の地は雪が降っていると言っていたが、この調子では、ここも降ってくるだろうと予想して登ったらやはり降っていた、それも一時的ながらかなり激しく。

山葵の花。時期としてはもう遅いことを知っていたが、もしやもしやとて知人の家に寄ってみた。

案の定、もう残り花が少しあるだけ、それらのうち使えるものをかき集めていただいた。あすは、山葵の花でチクと一杯頂くのを楽しみに、、、

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2006年3月29日 (水)

夜景の綺麗な梶原山

P1010001 花冷えの一日となった。風も強く日本海側は時期遅れの雪景色となったようだ。さて今日は、きのうの帆掛山(一本松)からつづく。

P1010002 帆掛山から、取って返して少し下り、霊山寺のほうに降らず尾根伝いに南下すると25分で梶原山(279m)に到着する。僅かにアップダウンを繰り返す山道は、心地よく周辺の景色を垣間見ながら続き、時間以上に短く感じてしまう。(写真上は勢いのなくなったしだれ桜と梶原碑のある頂上、下は同じく頂上より、晴れていればこの方向に富士山あり)

梶原山は、名前にもあるように鎌倉時代の武将 梶原景時の一族33人が地元の武士に追いたてられ、この山の山頂で自刃したという伝説が残っているがとても鎌倉時代にここまで登ってこれたとは思えない高さと険しさがある。

ここは、最近公園として手を加えられ、帆掛山同様芝生が植えられ東屋が建てられている。そして、梶原景時の名を刻んだ大きな慰霊碑としだれ桜が植えられているが、今年は、しだれ桜の樹勢が悪く花がまばらにしか咲いていない上枝のかなりの部分が枯れていた。

山頂に一本だけ立つため冬の寒さをまともに受けたせいだろうか、どうも、それ以外に理由があるように見えた。

この山の、一番の特色は夜景にある。

いまは生憎の日中であり市街地は霞の中に沈んでいるが、夜ともなれば、眼下の両市街地を一望できる様になっている。この夜景はインターネットの梶原山を見ればよく分かるので、一度足を運ぶのもいいだろうと観光案内をしてみた。(夜は電気設備がないため懐中電灯が必須)

さて、ここまで来てはたと困った。下に降りてから駐車場までの距離が長いのだ。舗装道路は妙に疲れる瀬名 鳥坂とてくてく歩いてようやくたどり着いたのは出発してから3時間半後だった。

                 ああ しんど!

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2006年3月28日 (火)

山のお寺の鐘が鳴る

P1010107 夕焼け小焼けで 日が暮れて

山の お寺の  鐘が鳴る

この童謡にぴったりのお寺が、旧清水市大内にある。

昨年も丁度この時期に登ったことがある、霊山寺。麓の集落から見ると丁度いまが参道に咲いた桜により、桃色の一番上に本堂 鐘楼 仁王門が乗っかっているように見える。

集落の奥にある駐車場に車を止めて、枝垂れ桜や山桜 染井吉野などが植えられた、明るい参道を登りだすといくつもの木製の短冊が下がっており、それを読みながらすすむ。

今年は、全てを新しくしたらしく、昨年のものは見当たらないので一枚一枚読みながら仁王門まで約10分で到着。下から見ると結構高いのに、、、、意外と早く着く。

この時期は余計に多いのだろうが、上り下りに出会う人は10人ほどもいる。平日なのでいずれも年配者、ご婦人?の団体さくら見物客ばかり。

鐘楼からは、少し高くて軽い音の鐘を先客が点いているようで、早打ちに聞こえすぐそばではコジュケイが”チョットコイ 一寸来い”と誘ってくれている。

P1010103 P1010102 足元には早くもシャガが花を咲かせ、山人参のそれはそれは小さな花と草イチゴも落花した桜の花弁に負けまいと白い顔を見せて咲いていた。

仁王さんに挨拶をして本堂と庫裏の裏に咲く見事なしだれ桜を見ていたが、足が不足を言うので、裏から帆掛山に行くことにする。

登り道は一変する、それまでの花咲く明るい参道から静岡特有の植林帯をつづら折りにゆるやかな山道となり20分ほどすると、尾根に達しすぐに竜爪山から続く山頂に着く、標高は304m。芝生を張った見晴らしのよい山。

普段なら、ここから富士山と清水港 反対に静岡市の中心部がすっきりと見えるのだが、この季節特有の春霞、富士は見えずほかはぼんやりと霞の中に沈んでいる。

この山は、いつの頃か山頂に松ノ木が生えていて、清水近辺の海からは一本松として目印になっていたといい、その格好から帆掛山と言われていたようだが、いま、山頂に立っても松の痕跡はどこにもない。

ついで、梶原山に向かうが明日のブログで、、

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2006年3月27日 (月)

こうして こうすりゃ こうなると

こうして こうすりゃ こうなると

知りつつ こうして こうなった二人

むかし流行った「トンコ節」の一節。初めから分かっていてドツボに嵌ってしまうことがよくある。

マージャンなんかでも、ここで待っていると分かっていて、振り込むときはつい「予想が間違っていてくれ」と願ってしまう。

いま、イラクを始め世界ではかなりの単位で殺されている。なんと、命の値段の軽いことか、「人の命は地球より重い」なんてタワゴトは誰が言ったのか?

そのことを、世界一情報網を持ったといわれるアメリカが、実は石油欲しさから、こじつけで戦争を始め、ベトナム戦争のように泥沼に嵌ってしまったようだ。そして、それに無批判で従った日本やイギリスの指導者は、大量殺人に対してどう責任をとるのだろうか。

ドツボに嵌った以上、ここから抜け出さなくてはならないのだが、さて、どんな顔をして這い出すのか、「そんことあったのか」とするか。あたまをかきかき苦笑いでごまかすか工夫しているに違いなのだ。

しかし、汚れた服はいつまでも臭いことだろうし、掘っておけば身体に染込んでしまう。

旧ユーゴスラビアの内戦に際して辣腕を振るったミシロビッチは裁判にかけられ、古くは敗戦国日本やドイツの指導者も裁判で民主的?に裁かれた。

昔から”勝てば官軍”という言い方があるように、うやむやのうちに済んでしまうのだろうが、「こうして こうすりゃ こうなると」先が読めない指導者に引きずられるのも災難だね。

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2006年3月26日 (日)

相撲を地球儀(技)に

あちこちから、さくらの開花情報が聞かれ、山の桃色も急速に登りだし、ポツポツとしたピンクが次第に面積を増やし始めてきた。

緋寒桜の濃い赤色に飽きてきた身にとって、淡い、それこそ桜色した染井の吉野さんや楚々とした山の桜子さんはまた新鮮に見える。

近隣の桜の名所と言われる、身延山の枝垂れ桜さんも咲きだしたというので偵察を試みたが、はやあちこちの道路に人が立ち、交通規制をかけていた。

P1010023 52号沿いのお寺の桜もほとんど満開になっていたところを見ると、標高差200mほど上の桜も咲きだしているのは間違いない。

さて、大相撲が意外な形で朝青龍の優勝になった。というのは、いわゆる”めでためでた”の臭い結末があったことである。

ひとつには、魁皇の大関残留にはじまった、②白鵬が優勝相手と同じ勝ち星で大関を確実にした、③横綱が同じ相手に二度負けなかった④大関栃東は横綱を倒し優勝に次ぐ成績を上げ来場所に望みを残したなど、世の中をはすかいに見るものとして感じたことだったが、、、、、「いけない いけない、確実な証拠もなしにものを言うと国会に呼び出されて証人喚問をうけそうだ」

今場所の特徴は、モンゴル勢の活躍が目立ったことにある。優勝はもちろん三賞すべてがモンゴルの人であり、9人いるという十両以上の力士全てが勝ち越した。

これでは、大相撲を日本の国技だなんて小さなことを言わずに”地球儀(技)”としてルールを作れば、野球以上の競技になるのではないだろうか。なにしろ、格闘技は世界中にあるのだから、、、

そして、君が代斉唱なんてやめて、オリンピックみたいに優勝した国の国歌を歌えばまた違った雰囲気になるに違いない。「相撲の発展を望むなら柔道同様、すでにくずれた「日本の国技」にこだわらないで、世界中から優秀な人材を集めてこそ大相撲ではないか。そうでないとお坊ちゃん育ちで根性無しのへなちょこ国民だけの大会になってしまう」と同じく 根情無しのへなちょこが提案する。

一方、世間的には全然関心を引かない所だろうが、静岡出身の潮丸関と片山関が最近シーソーのように、交互に幕内と十両を行ったり来たりしているのも面白い。

関係者なり、相撲好きならいろいろと気を揉むのだろうが、相撲のダイジェスト版や翌日の新聞で知る程度の外野席は、ただ面白いと評するのみである。

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2006年3月25日 (土)

最高の市と最低の県

今朝の新聞に、全国市民オンブズマン連絡会が発表した情報公開度ランキングというものがあった。

こんなことを言って悪いのかもしれないが面白かったのは、静岡県がこの調査では最下位になったのに、県都の静岡市が政令指定都市の中では一番公開度が高かったことである。

県が最低になった理由として、知事の交際費や公安委員会の議事録開示、政務調査費の報告開示が足を引っ張ったようだが、もともと県には裏金問題に対する処理の仕方など以前から問題はあったのだから、いまさらの感がある。

一方、静岡市の場合、どうしてこんなに良かったのか?一市民としてみた時、「へ~ぇ」と驚きを隠せない。こういう問題はやはり設問の仕方でかなりあちこちに移動する性質のものだろうか。

そして、香川県と東京都が失格と言うどんな理由か。よく、国のやり方を批判する都知事がいるにしてはねぇ~。そして、これを国に当てはめるとどの辺にランクされるか知りたいものである。

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2006年3月24日 (金)

セントレア

P1010087 3月22日 常滑の”やきものの散歩道”を見終わって伊勢湾海上に浮かぶセントレアに向かった。

独特の形をした斜長橋のはりが美しい、私鉄の橋と平行してかかっているようだが、アクセスはこのほかに船便があるだけで、何にでも首を突っ込むJRが入っていない。

昨年の愛知万博に合わせて作られたこの空港は、開港当時は押すな押すなの盛況だったと言う報道に、田舎者で人ごみを嫌う自分には向いていないと敬遠していた場所であった。

もう ほとぼりも冷めただろう、と行く気になったセントレアだったが、来て見ての第一印象は、警備が成田などに比べて少ないことと、駐車場がでかくて分かりにくいことだった。

警備の少ない?という印象はたまにしか来ない者にとっては、他の空港のように威圧感もなく非常に嬉しいこと、そして、駐車場の大きさは自動車のトヨタが控えている以上しかたがないことか。

飛行場を一望できる最上階のスカイデッキは、風も海の春風で心地よく、300㍍あるといわれる展望台まで散歩気分で歩く、とその先は4000mの滑走路が横たわり、飛行機が爆音をあげて離発着しているのが間近に見える。右が国内線 左が国際線と説明された。

デッキ上には、人影もあまりなく百人をかなり下回っていたので、お昼を中で取ろうと戻ってきた所、どこにいたのというくらいの人が、各店の前に並んでいた。

この空港は、昨年開港されたばかりのせいか、予想を超える収益があり乗客の満足度も高く賞を受けたという。また、風呂好きの日本人に合わせて世界初といわれる展望風呂もあり、利用客の評判も良かったようである。

そして、静岡県人としては、またしても工事中の静岡空港をと比較して、アクセスや滑走路の長さ 騒音対策などいろんな面で劣る空港が、他の県施設同様採算無視の運営になることをを予想してしまった。

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2006年3月23日 (木)

その名は土管坂

P1010079 年よりは朝が早い、用もないのに6時頃から散歩と称して歩き朝ご飯の催促をする。(写真は土管坂を下から見て)

「午後は雨になりそうだから降る前に常滑へ入ってその後セントレアを廻って来よう」ということで、伊勢湾岸道路と知多半島道路を乗り継いで常滑の”やきもの散歩道”の入り口陶磁器会館に着いたのが10時ころ。

土岐 瑞浪 多治見の美濃焼き、瀬戸 常滑と三重の万古とこの付近は土が良いのかやきものの産地が多い。そのうちのひとつ常滑焼きの特徴は朱泥を使った急須と土管や壷など大物の焼き物が多かったそうで最盛期には各所の釜空上がる煙でスズメまで黒ずみ、この地方の子どもが他所のスズメを見てびっくりしたと言う笑い話が残っている。

この町を散策する2コースがあり、勿論我々は短い方のAコース(45分)を選び地図に従ってたどった。が、この日は各店の休日に当たっていたため、どこもいたって閑散としている。(朝早すぎたのもあるらしい)

いたる所、失敗したらしい土管や焼酎甕(?)を積み上げて石垣代わりにしたり、埋め込んで道路の敷石代わりに使っていて、その名も土管坂 テンテン坂という所もあった。

P1010085 今は使われていないが、巨大な登り窯もあって、ここの薪を放り込んで焼いていた当時を想像すると、いまでは「とてもとても、、、、」と言わざるを得ない雰囲気だったことを思い浮かばせた。(今は使われなくなった煙突)

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2006年3月22日 (水)

寝た子のカタクリ

P1010066 21日、阿智町のザゼンソウを雨のため中止して中央道を走ったため、予定外に早くこの日の目的地豊田に到着する。(日も沈み眠りに入ったカタクリとイチリン草)

一休みして弟夫婦と話しをしているうちに、香嵐渓のカタクリが咲き出しているという話しが出てきたため、「それじゃ これから出かけてみようか」ということになり、これも最近豊田市と合併した足助町に向かう。約30分。

香嵐渓は、秋の紅葉で有名な所であり、その時期になると押すな押すなの大渋滞になるため、前も時期を外して出かけたことがあるが、常に何か見ものを作っている観光地である。

今回も、公園に入り口の上に僅かに咲いていたカタクリを、斜面全体(5,000㎡)に広げ紅葉の木の下に一輪草と共に咲かせていた。

ところが大誤算、出かける前 紅葉の時期のことを思って「夜間照明があるから少し遅いけど大丈夫だよ」なんて気軽に出かけてみたが公園に着いたのが日ぐれ真近の5時ころ、駐車場の料金所に誰も居ない、不思議に思いつつ斜面を登ると一面のカタクリ群生地に開いている花が僅かしかない。

そこでやっと気がついた。「カタクリは夜になると花をたたんで寝るんだわ、忘れとったよ」と大声。

この植物、以前は片栗粉を取るため根の部分を掘って作ったものだし、戦後の食糧難の時代には葉を取っておひたしなどに使ったころは、どこにでもある雑草のひとつと思っていたものだが、今では、観光の目玉として各地で護り育てられている。

乱獲のせいだろうか?どうも自分が思うにカタクリの育つ場所が、悪かったように思う。南向きに日当たりの良い斜面は、家を建てるに都合が良かったせいで乱開発したのではなかっただろうか。

P1010091 紫の花を上品に反り返らせて咲く、小さな花は群生するとさながら絨毯のように斜面を彩る。ふたたび、春の雑草として見られるようになるのは何時の日か。

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2006年3月21日 (火)

佐久古城の朝

P1010055 長野県望月町、今では隣接する佐久市と合併をして佐久市になってしまったが、 北に浅間山と千曲川、南に蓼科山を背負った一帯にあり、昨夜はここで一夜を過ごした。

通称佐久平と言われる一角にある望月町は、古くは佐久の牧で有名な土地であり、江戸時代は中山道 望月の宿として栄え、静岡に沢山居る「望月」さん発祥の地と言われている町である。

その真偽はともかく、彼岸の中日とは言いながらまだこの地は冬から春にさしかかったところ。

真冬なら盆地霧で佐久地方全体が霧の下に埋(うず)もれる、つまり、高い山に登れば雲海の下になっているのであるが、ふきのとうがやっと姿を見せて小さな声で「はるだよ~」とささやくと、霧がかからなくなる。しかし、まだ寝たりないのか、うすいもやのベールを浅間山も蓼科山もしっかりと離さない

朝、日の出前に散歩に出かける。冷たい空気が重く澱んでいる町並みを抜け高みに登ると、望月城が正面に見えその下には宿場町の名残りが残る町並みが広がっている。

城跡は、中世のもので壕や城郭 馬場跡といわれる凹凸を残して自然に帰っている。楢やクヌギ 欅などの落葉樹が葉を落としほうきを逆さにしたように立ち並んでいる。そこからの日の出が見たくてやってきた。

7時少し前に、あたりの霧を払いながら眠そうな太陽が古城の林の間から登りだした。「おはようさん きょうもよろしく」しだいに力強さを増し、まともにみられなくなった。

午前中に、予定の行事を済ませ、阿智村に咲くというザゼンソウを目指して中央道を下るが、飯田市近辺から雨が振り出したので中止して、土岐ジャンクションから始めて走る東海環状線で豊田市に走る。

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2006年3月20日 (月)

墓参り

きょうは、これから長野県から愛知県をまわってくる予定で居る。

彼岸に入り、昨年亡くなった義弟の妻の墓参りを含めて、飛騨の両親の墓に寄り、一寸ばかり願掛けをしてこようと思っていたのだが、飛騨の方に電話で確かめたら「気をつけてみていないけど、あのへんはまんだ墓の頭が少し見えるだけやぞ」とのこと。

山の斜面を階段状にしたところにある墓では、雪かきしようにも捨てる場所がない。結局は雪解けを待って行って見ることにしよう。

春5月若葉の芽吹き時、先祖代々が住んだ廃村の祭りまで、、、、

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2006年3月19日 (日)

貧富の格差

”いま一番輝いているのは、派遣社員の○子ちゃん~なんてコマーシャルがあるが、となると、一般社員はしぼんでいる会社かね。こんな会社があったらそう長くはないね。

「国民の87%が、貧富の格差が拡大していると感じている」共同通信の世論調査は集計した。

その理由として、正社員より給与水準が低い派遣社員やパート アルバイトが増えているからだと考えている人が多い。

昔から、パートアルバイトはあったが、しっかり働けば正社員への道はあった。しかし、バブル以降になると、人件費削減を理由として社員を切ったばかりか、非社員は何時まで経っても正社員になれなくなり、就職態様が二分化されてしまい、それが「勝ち組 負け組」となり、一度負け組みになると這い上がれないと言う閉塞感をもたらしている。

また、自分の若いころの話しになってしまうが、「同一労働 同一賃金」「働かざる者食うべからず」を掲げて労働組合が闘っていた時は、希望が見えていた。親はすねを齧らせてくれないし、それを言うのは恥ずかしいと思う時代の雰囲気があった。

額に汗して頑張った人が、それなりの収入を得るのはかまわない。人にはいろいろな能力があるのだからその能力で、得意の分野で活躍し、その才能で収入を得るのも良しとしよう。しかし、訳の分からない方法で多額の資金を作り、それを振りかざして人を惑わすのは納得できない。

お金を持っている人が偉い。かねかねかねと銭金の亡者ができたり、どんなに頑張ってもその見返りがない社会は腐ったりんごと同様、いずれ崩壊するだろう。

今、フランスでは、就職しても2年以内なら会社の都合だけで首を切っても良いなどという資本家にとって都合の良い法律が出来ようとしている。

バブル崩壊後の日本も企業が潰れたら大変、と手厚い保護を銀行を始めとした大企業に差し伸べてきた。

その大企業が空前の増収増益になってきた現在、それ相応の負担を大企業にしてもらい。弱いものいじめの税制を改めて欲しいものだと、貧乏人の小額納税者は思う。

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2006年3月18日 (土)

まっすぐな道

P1010114 今日は、彼岸の入り向こう岸に行った人が久し振りに此岸に里帰りする日だと言う。此方から向うに行って無事帰ってきた人はいないから、この河はかなり広い河のようである。

したがって、せめて命のある間はこちら岸であちこちといろんな道を歩いてみたいものである。 

まっすぐな道で さびしい   山頭火

A「公園のD51に吹き付けられていたアスベスト やっと剥ぎ取ることになったんだって」 B「予算が付いたのかな、長い間ロープで立ち入り禁止にしてたもんな」

Z「あれは、抑えている材料が含まれているから絶対大丈夫なんだ」O「そんじゃぁ なんで立ち入り禁止にしたの?」 

B「麻機沼の周りの廃棄自動車なかなか片付かないね」O「紙が張ってあるけど持ち主に持って帰ってというだけだものな、手ぬるいね」 Z「ぼくらこの関係の仕事を30年もしたけど、絶対に持ち主が分からないよ」O「あんたなにかにつけて絶対を連発するけど、どんな仕事をしていたの?」 Z「それは言えない」 B「泥棒かね スパイかね?」

こんな話しを、先月病院を抜け出して散歩している人が自分たちの溜まり場に来て話に加わった。名前はZとする。(聞いていないので分からないのだ)

話しの関係から、お役所仕事だけで通してきた 偉いサンらしいがこんな人の下に付いたら災難、と思われるほどの変人だった。

沼の周りに捨ててあったバスの1台が何十年も前に県が使っていた物とテレビで放送したら、早速一次下取り業者が道義的責任といって撤去したそうだが、いままで放っておいてなんだろね。中に入っていたゴミを偉いサンが清掃公社に電話して片付けさせたと自慢していた。

そのお偉いサンもよくなったのか退院してこのごろ顔を見せないので、からかえなくなり寂しくなった。

よく、”生涯現職”などと言ってひとつ仕事を頑張っている人を見かけるが、大したものだと思う反面、一面的なものの見方しか出来ない偏屈な人を見るとこの人の人生とは何だったのだろうと思わないでもない。

先日も、国会議員の年金廃止法案?の審議している状況を放送していたが、議員のなかに自分たちは特別な仕事をしているのだからとか、辞めた後の付き合いが一般の人より大きいので今の基準をなくするのは反対。などと言っていたが。国家公務員の上級職なども含めて若いときから「あんたは偉い!」と周囲から持ち上げられると人格がいびつになるものである。

間違っているかもしれないが、親鸞上人が人は「遊びやせんとて むまれけむ(生まれ)たわぶれ(戯れ)せんとてむまれけむ」と言わしゃったそうだ。人生を全うするためには仕事を離れたら全然違ったことをするなど寄り道をしないとこの世に名残りが出来、成仏することができないものだ。

生涯現役は人間性の面から言って反対!と遊び人は言う。だけんど始めから現役を持たないのはもっと反対。

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2006年3月17日 (金)

花もあらしも

P1010045 昨夜の悪天候も夜明けと共に去っていった。

道端の梅や早咲きのさくら ももの花も揺さぶられてか花を散らしていた。一方で昨日待たされた染井吉野(さくら)さんのお披露目宣言も出され、花見酒の準備がととのった。

まさに、今日は散る花咲く花の交替日、木の下は落花狼藉。”花もあらしも踏み越え~て ゆくがぁ男の生き~る道”とくらぁ  飲む前からもう酔っ払っている。

さて 今日で当ブログも1年を迎えた。

当初は週1ぐらいのペースで行こうと思っていたが、案外書くことがあり結局は、360回とほとんど毎日書いたことになる。

中にはかなり不出来なものがあって、自己嫌悪を催すものもあったが、何時でも消せるものだからと残している。

また、自分勝手な言い分をどれだけの人が見てくれるのか分からないのにとも思っていたが、ありがたいことに予想外の人が訪れてくれ、1万回を越えることが出来た。

いろいろな意見を寄せていただき、自分だけの頭で考えた一面的な見方を訂正してくれたが、”ホリエモンを虚業”と書いたときかなりの批判があって、今の若い人と随分考えが違うことを思い知らされたことが、印象として一番残っている。

そのほかにも、食べ物や海外勤務の思い出、山登りなどに意見を寄せていただいた人とメール交換をするなど交際範囲の広がりや、花などの写真を写すことにより図鑑を調べたりメールで調べたりなどして、かなりの名前を覚え、小さな変化を含めて季節に敏感になるほか、山歩き 散歩を含めて足腰が鍛えられるなど、これからのボケ防止に役立つことと思っている。

どうかこれからも、呆けないよう 叱咤激励をお願いしたいものだ。

    そこんとこ 含めて 以後 よろしく !

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2006年3月16日 (木)

腰曲がりの建物

P1010018 春の嵐とかで、低気圧がいまこのあたりを通過中らしい。

おかげで、風は冷たくはないものの、強く最近にない降りかたをしている。天気予報の中で今日にもさくらの開花宣言が出されるようなことを言っていたが、今のところテレビも何も言わないので少し遅れたか、それにしても、冬の寒さがきつかった割には例年より早いのだなと不思議に思った。

しかし、桜の開花宣言は何故「染井吉野」というさくらになったのか、由比のサッタ峠の桜は2月から咲いているし、河津さくらは遅れたとはいえ、もう散っている。近所にもえんじ色した緋桜がかなり前から咲いている。

きょうは、孫二人が小学校の卒業式を別々の学校で迎えている。生まれた時から何かと手をかけているのでので行ってみたかったが、生憎と玄関のドアの工事をする日に当たっていたので残念ながら中止する。

そのドアも、外枠の寸法を測って作ったのを持ってきたが、ドアそのものは既製のものなのでみると、今までのより10センチあまり高い、「最近の人は背が高くなったからね」というのが大工さんの言い分。「これも明るくてすっきりするね」と負け惜しみ。

家のほうが建ててから40数年という年古びた建物のため少し傾いていることが分かり、予定以上の手当てをしなければ納まらなかった。

新しい酒は新しい皮袋にというが、建物も古びてくれば腰が曲がるのだ。

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2006年3月15日 (水)

人生ドラマというけれど

今度はトリノでパラリンピックを行なっている。

日本はこの大会に40人の選手団をおくって、金メダル1コで終わった冬季オリンピック以上の成績を上げているが、マスコミの取り上げ方は極端に少ない。その裏にはなんだかあるようだが、素直に喜んであげたいものだ。

パラリンピックは、当然のことながら身体のどこかに障害がある人の大会だが、選手の中にかなりの人が生まれつきの障害でなかった人が占めているようである。

人生の途中で身体が不自由になり、そこから這い上がってきただけに、それぞれが壮絶なドラマを持っているようで解説者から経歴を聞くたびに、「人生はその人その人のドラマの集大成というけれど、おれには出来ないことだ」とその精神力、不屈の闘志にに感心するばかり。

その一方で、この大会に参加するには、国なり周りの体勢が調っている事が必要であるため、先進国に限られ全体の参加者も少ない。

願わくば、全世界から参加できるようになればと、本日は真面目に話す。

一方、いまアメリカでは国別対抗野球が行なわれている、誤審(?)さえなかったら、野球発祥の国アメリカはすでに二敗を喫していることになり、面目はまるつぶれになっていたはず。

野球のことは知らないので、アメリカチームの選手がどの程度のクラスかは分からないのだが、誤審?した主審のクラスからしてあまりこの大会に関心がないらしい。

しかし、関心がないからといって、国技とも言うべき競技の国際大会をを軽視し、唯我独尊になっている国のスポーツは、オリンピックはもとより国際競技としての資格はないだろう。

それとも、大したことのないレベルの野球にシャカリキになっている国のほうがおかしいのかな。

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2006年3月14日 (火)

とっさきのカモシカ

P1010021 満天星のまま夜が明けた、天気予報ではくもりか雨の予想だったのに、、、、(写真は真富士山ごしの富士山、さてどちらが本当の富士山でしょう)

外に出てみると、見える限り雲はなく富士山も白く化粧をして「おいでおいで」と手招きをしている。こういう状況に弱いのは男の常、尻がむずむずして我慢が出来ない。

御飯もそうそうに支度をしながら「さてどこに行こうか」と地図を引っ張り出す。自動車の燃料があまりないはずだから近場にしようと決めたのが突先山(1,022m)丁度、三年前の3月に行ったきりだから、久し振りに行ってみよう。

朝の出勤時間の少しで前にと思ったが8時過ぎにようやく出発となり、最悪の渋滞。それでも、足久保川沿いの一番奥 長島の駐車場?についたのが9時だった。

先日、ふきのとうを取りにきてからあまり間がないのに、このあたりも春が押し寄せており、やぶ椿は花ごと落花しておりキブシも薄みどりの花房をたらしていた、しかし、何よりものご馳走はウグイスの初啼きが聞けたことだった。

ウグイスは、先日来あちこちで聞いたという話を聞いていたので悔しい思いをしていたが、これで納得!。

山登りは前回と同じルートでまわることにした。まず、登りは谷沿いに登り、二の滝 おお滝をめぐり山腹ルートと合流して釜石峠に向かうここまで下から一時間ほど、順調に登り、峠で汗をかいた下着を一枚ぬぐ予定だったが、峠にた途端冷たい北風がかなりの強さで吹きすさび、とてもじゃないが脱げなくなった。

尾根沿いの道は3年前にも歩いていたのにほとんど憶えていなくて「こんなとこあったかな?」いいながら登る。

名前の通り階段状に緩急をつけながらとんがった山頂を目指す。30分ほどで頂上に到着。ほとんどが杉の植林地帯だけに見晴らしもなくこの時期以外は薄暗い感じの山である。

見晴らしは頂上の東側だけ真富士山の上に富士が6合目あたりから上を出していた、こちらは雲がないが後ろの南アルプスあたりから雲が押し寄せて来はじめて、風花が舞ってきた。頂上にある寒暖計は零下8度、風が強いので体感温度はもっと低く感じる。さすがに寒さには強いと自認する自分でも長居は無用と10分ほどの滞在で下ることにする。

P1010031 帰りは、釜石峠の先の山腹ルートに回り、水場で早飯を食べることにして座り込んででいたら何かが近づいてきた。犬にしては大きいなと思ったらカモシカ。むこうもびっくりしたらしく立ち止まって固まっている。

距離は約5mない。こんなに間近で見るのは初めて、驚かさないように、カメラを向けシャッターを切る約3分ほどか、のそのそとご退散。突先山だけにとっさの出会いをありがとう。

今日はホワイトデー。前にも書いたように義理チョコもない自分にはお返しする相手もいないので、取って置きのバランタイン12年物の封を切って、憂さを晴らすことにしよう。

「エッ バランタインって何か?ですか」って。スコッチウイスキーの上物ですよ

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2006年3月13日 (月)

鵜鷺の交わり

P1010074 今日は一転して冷たい北風が吹いてきた。

三寒四温、寒の戻りだから当然のことであるが、ここしばらく暖かい日が続いただけに余計に寒さが身にしみたようだ。

しかし、自然は春を目掛けて一直線。昨日の猫ではないが、田んぼにいる足の長いケリも気が荒くなり、縄張りに入ってきたカラスに攻撃をかけていた。

大きさは鳩をひとまわり大きくした程度だから、カラスとの体重差は3~4倍も違う様に見られるが、果敢に上から攻撃をするものだからカラスが逃げ惑っている。

碁の世界ではないが、まさに白い鳥と黒い鳥の闘いが始まっている。もう少しして、ケリに子供が生まれれば見境がなくななり歩いている人にまで夫婦で交互に向かってくるようになるだろう。

また、麻機遊水地では産卵期にはまだ間があるのか、鵜と鷺が混在してのんびりと過ごしている。ここでは鵜鷺の闘いはないようだ。

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2006年3月12日 (日)

Oh my Gato

P1010012 花のいろは うつりなけりな

             いたづらに

我が身よにふる ながめせしまに

                         小野小町

早いもので長い間主役の座を占めていた梅の花も散りいそぎ、さくら、ももの季節に代替わりをしようとしている。里の春は早足に駆けている。

今日、12日は東大寺二月堂のお水取り。春がこれから本格的になるという。40年くらい前に行ったきりなので、毎年この時期になると再度行きたいものと思っているが果たせないでいる。

P1010093 散歩道の脇にには、ミモザがまっ黄色に木をつつみ、別の場所ではレンギョ 椿 桃が三色に染め分け、こき混ぜている。

昨夜は、夜通し猫が恋の歌をうたって眠らせてくれなかった。

楚々とした少女のような猫か、カルメンのように妖艶な猫かは知らないが。近所の猫仲間で評判の猫らしく、甲高いのからうなり声に近いのまで幾つかいて、終いには恋のさや当ての痴話喧嘩にまで発展していた。

さしづめ、甲高いのは若くて敏捷な猫か。うなり声は貫禄のある肥ったボス猫か。俳句 短歌のように短いものは少なく、長唄 端唄 オペラのようなものをこき混ぜて人間を悩ませる。

動物で、寿命というものを知っているのは人間ぐらいだと聞いたことがある。まして、恥とか外聞が悪いというのは集団で社会生活を始めるため人間が作り出した考えだから猫には関係のないこと、毎年 この季節になると猫族は内なる衝動に耐え切れなくて、老いも若きも行動するのだろう。

ひるがえって人間の場合、季節感がなくなって一年中発情するようになったのはいつの頃からか、若いころの自分を振り返ってみて猫を笑えないこともあったが、最近では暗いところ、公園などではなく、道路上や電車の中など公共の場所で動物のように、人目も気にしないでいちゃついている。

これは案外、見せびらかして本人たちも楽しんでいるんだろうか。そうなると、お客さんである自分としては、もっと見栄えのする良い役者に換えてくれと注文したくなるような配役が多すぎる。

ちなみに、スペイン語で猫のことをGato(ガト)というが、こんな光景を見るとOh my Gatoといっておこう

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2006年3月11日 (土)

イナバー

公園で小学生の低学年と思われる子がイナバーといってそっくり返って走っていた。トリノオリンピックで荒川選手がしなやかに反り返って円を書いているのを見ての仕草だろうが、印象的な滑り方は見ていてもいいものだった。

フィギュアーのことは全然分からない自分たちに、解説は採点の対象外だという。その時はどうしてなのか、それ以上の説明がなかったが、後ほどイナバウアーとは、この技術をはじめて使った選手の名前から来たものであり、両足を前後逆に平行して滑る滑り方の方法をいうとのことだった。

そうすると、反り返りはしないものの背中を円の中心に向けて滑るのがイナバウアーであり、競技の中ではどの選手も使っている光景である。

昨日、日銀が量的金融緩和を解除するとした。金融緩和については政府内部にさえ意見の一致は見てないのだから、ズブの素人にはまったく分からないが、日銀の試算によるとバブル後の金融緩和で家計が受け取りそこなった利子収入は304兆円に達するという。

これほどまでにして、銀行不動産業を始め大企業を助けてきた結果、大企業を中心に”いざなぎ景気”をうわまわる長期の好景気に沸いて、貧富の格差がひらいているという。

そろそろ銀行が本来の預金者からお金を預かりその利子を預金者に還元するという路線に戻らなければならないはずだ。

しかし、ゼロ金利はしばらく続けるというが、預金金利はゼロのまま貸出金利だけが上がるという金融イナバウアーが起きる可能性が非常に高いことは、今までの政治のやり方やしたたかな銀行から見て垣間見えてくる。

P1010091 今日の天気予報では、午後になると晴れるとのことだったので清水は西里の里山を孫たちに連れられて散歩する。

水溜りから赤蛙のグウグウという声と共に卵がありもうすぐ孵りそうな雰囲気だったり、スミレの花 ふきのとう せり クレソンを摘み歩き、春近しを満喫してきた。

そして、一輪だけだったがカタクリの花を見た。こんな場所でと思いながら写真に収めてきたので公開するが場所は教えない。

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2006年3月10日 (金)

ハックション コンチクショ!

P1010010 うらうらとのどけき春、草木も一斉に芽を吹き出し人の心も浮き立つ季節に背を向けている人が20%にもなるという。

静岡に来て感心したことのひとつに、冬になっても見る限りの山が天辺まで濃い緑をしていることだった。

もちろん、椎樫類の常緑樹が多いこと、みかんお茶がかなりの部分を占めてはいるが、杉檜の植林が半端でないためである。ふるさと飛騨は冬になると落葉樹が多いためめ雪の積もった山は遠くから見ると五分刈りの頭のようになり、中に入ると広々とした明るい高原になる。

戦後の国策に素直に従ったせいでもあろうが、木材価格が下がった結果、木の手入れがされていない山は常に日の光が地表に当たらず暗い藪と化し、腐植土はおろか表土まで流されて保水力がなくなった。

さらに、蜜植された杉は花粉の量を増して、抵抗力の薄い人を襲う。

花粉症といえば「くしゃみ」。日本では古来くしゃみをすると、「くさめ くさめ」と呪文を唱えたそうだ。「くさめ」とは「休息万病(くそくまんびょう)」から来たという説があり、「休息万病」は長寿を意味するとあった。つまり、風邪と同様万病の元という感覚からの呪文らしい。

米英では、ゴッドブレス ユーといい、貴方に神のご加護をといい。イタリアではサルーテ(健康を)ドイツやトルコでも健康を祈る言葉をいう。

スペイン語では、一回目にはイエス様、二回目にはマリア様、三回目にはサルー(健康を)というと聞いた。

それ以上に、涙ボロボロと赤目になり、鼻グズグズ ダラダラは見ていても気の毒の限り。

エッ 私? お陰さまで、、、、「ハックション コンチクショ!」の一言ですんでいます。

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2006年3月 8日 (水)

ひねもす のたり

P1010062 春の海 ひねもす のたりのたりかな

                 与謝蕪村

昨日 今日とて穏やかで暖かい一日になった。

静岡は用宗漁港の西側にある広野海浜公園でしばし春を満喫してきた。

春霞におおわれて、伊豆半島は見えず焼津との境にあるホテルがかろうじて見えるだけ。

ぽかぽかと気温は上がり24度、5mほど下の海は波もなく、テトラポットに僅か白い波ををからませているだけで音はない。

P1010059 上の広場では幼児のはしゃぐ声はするものの、耳をくすぐるだけ。

こんな日の常として集中力もなくなりぼんやりとしていると、次第にまぶたが重くなり、あちらの世界に引き込まれようとする。

贅沢この上もない世界に身を任せて、このまま果てても悔いがない気分にさせられるひと時。

今この時間額に汗している人に申し訳ない。遠い外国で銃を握って殺しあっている人から見ると、にのんびりとだらけていて、自分だけの法悦にひたっている。

すべて世はこともなし!で過ごすのはちと不謹慎かもしれないが 極楽極楽!

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2006年3月 6日 (月)

豹変する

P1010024 今日が啓蟄、土の中に冬眠していた虫たちが穴からもぞもぞと出てくる季節になったということだ。

先日来てんとう虫やモンシロチョウも見かけていたので、今日の材料にしようと雨の晴れ間を縫って出かけてみたが、出て来たばかりで体力がないせいか葉うらに隠れて居もしない、仕方ないので昨日の写真。

かなりむかしガッコで「綸言汗の如し」という言葉を聞いた。天子の位にある人は一度かいた汗が戻らないように、話した言葉を翻すことはないもんだ、とのこと随分窮屈なことだな、それで、昭和天皇はああいう話し方をするんだと感心したものだった。

一方で「君子は豹変する」なんてのもあるから、ことわざや格言などは裏表どっちにも都合の良い言い方があるもんだと白けたところがあったのを憶えている。

このほど、国会では偽メール問題で野党ががたがたになってしまった、本来国会議員たるもの喋るのが本業のはず、その喋りがいい加減なばかりに四点セットとかで攻めなければならないことまで吹き飛んでしまった感がある。

国会議員は天子ではないから言葉の修正や削除をしても良いというものではない。喋ることで代価(給料)を得ているなら喋りのプロのはずではないか。

プロならプロの対処の仕方があるもの、党首ぐるみ失敗の反省は居直りではないはず。(自分としては、与党と同じような考えを持っているといわれる党首には批判的だったので余計にその感が強い。)

そう非難しておきながら自分はとみると、「他人に厳しく自分には甘い世の常として」 当ブログを翌日に書き直し口をぬぐっていることがしょっちゅうあり、批判されたりするとたちまち豹変する所を見ると多分「君子」なのかなと自認している。

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2006年3月 5日 (日)

どうも

P1010039 「それじゃぁ いいです」といって電話を切ったのを見て、「どこから」と聞くと「なにかのセールスらしいけど、いらないから」と言った。

「そういう返事や電話の切り方はトラブルの元になるから、はっきりといらないものはいらないと言わなければだめだ」「でも後何かあると恐いし、いままでこれでよかったから」という。

「どうも どうも」を連発して有名になったNHKの元アナウンサーは国会議員にまでなった。最近ではなんにでも「カワイイ~」を連発する才能のないタレントなど、日本語には、このほか「いやぁ~」」「まあまあ」「ジャぁ~」など相手に推慮させて、どうとも取れるあいまいな言葉が数多くあり、それを自分も利用してきた。

しかし、国際的に見た場合あいまい語は認知されていないし翻訳者泣かせの言葉である。国内のみで通用するということは長い間他国との接触を絶ってきたせいで日本独自の文化なのだろうが、交流する上での壁にもなっている。

今日の新聞の書評の一部に、この国では「性格が悪い」というのは「自分の頭で考える」ことと同義語。「考え抜いて発言や行動すれば、角が立つ国ゆえ、 他人に迷惑をかけることをするな」とは、多数派によるマイノリティーを切り捨てる言葉だという本が出版されているとあった。早速読んでみたいと思っている。

きょうも暖かく春らしい一日になり水面もぬるんで、映る影にも緑がうすらと入り、あいまい色になった。

へらぶなをねらう釣り人ものんびりとひねもす糸をたれていた。季節の変わり目、特に春は眠気を誘う風が吹く、ちょっと一眠りしようじゃないか。

浮世のうさをしばし忘れて

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2006年3月 4日 (土)

パノラマ台(1,328m)

P1010026 本栖湖の入り口を過ぎたらいきなり通行止めだという。

わけを聞くと、ず~っと先だががけ崩れがあってとのことだったので、すぐそこからパノラマ台に登るからといって通してもらう。今日は本栖湖湖畔からパノラマ台を目ざした。

最初の小さなトンネルのわきから山道にしては広い道がいきなり山に向かってジッグザッグと折れ曲がってつづく。水楢をを主体にした落葉樹の木立は明るく落ち葉を踏みしめて快調に高度を稼ぐ。若芽の時を想像すると楽しくなる光景である。

10分もすると、下には本栖湖が藍色に近い色で静まり返っている。山に向かって右に上ると木の間隠れながら富士山が間じかに見え、折り返して左すれば南アルプスのひときわ白い尾根が続いている。

空は真っ青に晴れ、足元には5センチにもなろうかという霜柱が枯葉のないところに集合している。

歩き出して40分、頂上にアンテナのある烏帽子岳(1,257m)に到着、ここに先客ありカップ麺らしきものを食していた。挨拶をして頂上での眺めを探したが、例のごとく富士山側は木を切り払ってあるものの南アルプス側は木の間越しにしか見えない、赤石から塩見岳にかけて綺麗に見えるのだが枝が邪魔をする、小休止をしてパノラマ台側へ下る。

こちらは、日影になっているせいか雪がうっすらと積もり滑りやすい状況なので慎重に降り再び登りに入る25分で頂上(1,328m)に到着。出発点からは1時間20分くらいか。今日は誰もいないが登山客が多いせいかかなり踏み荒らされ土がむき出しになっている。

P1010024 ここも、主食は富士山で背中の南アルプスにはほとんどの配慮がない。パノラマ台なんて器用な名前の割りには西側の木がここでも邪魔をして全周が見れない、南アルプスもへそを曲げてか雲を目深にかぶって不貞寝を始めた。(写真左上)ここから精進湖に降りたいのはやまやまだけれど、自動車を持ってきていると降りてから駐車場への道がこたえるので再び元の道を引き返す。

こんな山にも春がしのびよっているようで、四十雀もいままでの地ずりをやめ、恋の歌を歌いだしていた

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2006年3月 3日 (金)

耳の日

P1010015 3月3日は上巳の節句。(蕾みも膨らんで桃の花)

古代の日本では、川に入って身を清めて不浄を祓うという習慣があったそうな。もちろん、旧暦の行事だから寒さも一段と柔らかくはなっているだろうけど、水に身を浸すにはまだ厳しいものがあり、身が引き締まったことと思う。

当時のことだからこれくらいで不浄も祓えただろうが、最近ではとてもとてもこの位では祓いようがなくなった。

そして今日は、語呂合わせで「耳の日」だという。

六朝時代というから、かなり昔のことになるが孫楚という人が「枕石漱流」というべきところを「漱石枕流」といって咎められたとき、「石で歯を磨き流れで耳を洗う」といったことで有名な文句になったと遠い昔学校で聞いた。

耳鼻科では耳を洗うということは、基本中の基本だと聞くが、耳を洗うことで嫌な話や音が消せるものなら、是非お願いをしたいところである。

職業性難聴は耳の奥で常にうなっているし、テレビではキャスターが分かったような口ぶりで、不祥事を面白おかしく騒ぎ立てている。

仙人は世俗を離れて身を清め、山奥で過ごしたそうだが意志薄弱な自分は世俗の隅から離れられない。といって「目をふさぎ、口をつぐんで、耳を覆う」日光の猿にもなれない身には耳鼻舌身など六根清浄とは言わないけれど、せめて耳だけでも清めたまえと祈るばかり。

耳の日に取りとめもなくしるす

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2006年3月 2日 (木)

なつかしの山

P1010009 小中学校時代を海抜1,300mほどの山の中腹(800m)の大津山というところで過ごした。(池原さんの写真を拝借)

いまでいう、周りが自然だらけの土地であった。同級生は男女それぞれ11人程度の小さな学校で、小中併合の学校だった。

場所は、背戸の山が岐阜県と富山県の県境に当たる場所で冬になると雪が2~3m以上は積もる豪雪地帯で、昭和38年の雪は7mも積もったと聞いている。

この場所で生活したのは、この山が当時日本で有数の鉛 亜鉛を産出する鉱山で、父親が鉱山に勤めたからだった。学校は鉱山の社宅の上に位置し、後には公立になったものの、私立学校として発足した。つまり、鉱山の子弟を教育する場であったからだ。

自分は、この学校を昭和30年に卒業し以後ほとんど帰っていなかったので、よく分からなくなっていた、昭和50年だったと思うが従業員の要望や社会情勢によって社宅を麓の町に前面移転をして、100年ほど歴史を閉じこの場所は無人の山に帰った。

それから、30年あまり経つが、先日10年ほど後輩に当たる池原さん(とやま山歩記)から、ここへ行ってきたと連絡があり、CDにした写真を送ってきてくれた。

自分がここを離れて、半世紀、無人になって30年、自然の侵食は烈しいものがある。社宅のあった付近には面影がなくどこがどこやら状態である。でも、いったん尾根筋にあがると、撮影場所はわからないものの飛騨の山並みは変わらない。

葉を落とした落葉樹の下に降り積もった雪が北アルプスまで延々と続く、そして、この中に先祖代々の地”笈割”が含まれている。この地も過疎化の波に洗われて廃村になってしまった。

子供の頃兎を追って遊んだ(実際は食べるため)景色がかいまみえる。例年今頃から昼と夜の寒暖の差が激しくなり雪の表面が固くしまってごぼらなく(めりこむ)なると山の中を縦横に走り回れる。毎朝学校の上に登り、くま笹を知りにひいて滑り降りたことなどが次から次と浮かぶ、、、、、

こういう風景を見ていると、人間が作ったものは多寡が知れているということをまざなざと思い知らされる。そんなことを言いながら今日も営々と生きているさらに小さな自分がある。

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2006年3月 1日 (水)

明かりをつけましょ

P1010033 明かりをつけましょ ぼんぼりに

お花をあげましょ もものはな

弥生三月に入り、桃の節句も近づいてきた。

雛人形のチラシも一段落し、セールスの方は、五月人形に移行してきたが雛祭りはこれからだ。

以前は「早くから出して飾るのはいいが、早くしまわないと娘が嫁に行くのに遅れる」なんて言われていたが、嫁に行かせたくないなんて公言するタレントがいたりして、父親の子離れが難しくなったせいか、遅くまでしまわない家庭も増えているらしい。

この雛人形も、先日古い家の由緒あるものというものを見せてもらったが、やはり教養のない自分にはいけない。古色蒼然とした人形にも魂が宿るのか、不気味さを感じてしまって、どう褒めていいのか言葉を失ってしまった。

雛人形はもともと自分にかかる災難を人形(ひとがた)に移して川に流すという風習から来ていると聞く、今の内裏雛形式は江戸時代になってからのことらしいが、やはり、昔の風習に従って流せるくらいのものが良いのではないだろうか。

ここ、静岡では最近つるし雛がはやってきているようだ。以前は伊豆東海岸だけというように聞いていたが、賑やかで評判が良かったせいかあちこちで手作りのものが工夫して下げられている。

ちなみに、我が家ではかって二人の姫がいたが、段飾りの雛人形はない。姫の祖父母が買うだけの資力がなかったのか、親がそんなものに多大なお金を使う気がなかったのか、今になってみれば定かではない。

しかし、めったに、いや全然出されることのない箱の中には姫たちが保育園時代に作った紙製の雛人形がたたみこまれているのは確かである。

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