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2006年3月31日 (金)

おぬしもワルよのう

P1010013 今日は、上巳の節句 旧暦の雛まつり、桃の節句なのだが今年、こちらでは桃の花も散り急いでいる。

さて、報道によると昨日、日歯連の一億円献金事件で村岡謙造さんが無罪になったそうだ。判決文は新聞でしか知らないのだが、当然の判決だったと思う。

この事件、当初から不自然だった。当然と思われる人を始めから除外した捜査の仕方であり、判決文で裁判長が指摘した別の黒幕の方が起訴されるべきで、検察の無理がここに至った裁判だった。

そして、検察は上告すると言っているようだが、最終的に村岡さんが無罪となった時には、黒幕の方は時効成立となって高笑いをしているという構図が見え「越後屋、おぬしもワルよのう」と時代劇さながらの場面を再現する。

この事件ばかりではないが、世に冤罪と言われる裁判で一番迷惑を受けるのは被告である。国家権力で無理やり被告に仕立てあげられて、長期間の弁明に追われる。

無罪を勝ち取ったからといって、現状復帰するだけで、それまでの世間の批判や費やした労力、気苦労、裁判費用は完全に補償されるわけでなく、なんの得もない。まして、有罪にになったのではまさに「死んでも死に切れない」状態で化けてでもと、復讐を誓っても無理のないことだろう。

そして、運良く無罪になったとしても、それに関係した公権力には一切のお咎めがないうえ、賠償さえ関係のない市民の税金が使われる。

訓告や戒告というものはどの程度、係わった人に影響があるのだろうか、不思議に思うことが多々ある。

近い将来、民間の裁判員が判決に加わるというのも、エリートと言われる人や、一般社会から隔絶された人の感覚と一般人の世相の見方に乖離がありすぎたことの反省であり、今回の事件でも検察審議会が黒幕の不起訴不当としていたように、一般に対する説明がこれからもっと必要になるだろう。

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