流行とはかくも
昭和46年、それまで1ドルが360円の固定相場制から変動相場制に変わった年だった。
急激な円高がはじまって4年、1ドル300円前後で推移している時に、初めて仕事のため海外に出かけたが、帰ってくるときは日本人の常として、必ず土産に苦労した。
近しい人には、それこそ前もって調達したが、義理チョコならぬ、義理みやげは帰りの飛行機で買えるだけという方法をとり、一番手っ取り早いのがタバコだった。
当時、タバコを吸う人も多かったし、自動販売機はなく、海外のタバコ、いわゆる洋モクはほとんど手に入らなかったため、手ごろな買物だった。
他には、マリリンモンローで有名になったシャネルの5番、これは中南米では手に入らないため、二つほど買うのだが高かった。それとジョニーウオーカーの黒(略してジョニ黒)、それと自分用にナポレオンを1本、思い切って買い、乗り換えのメキシコで買ったソンブレロ5個を合わせて、羽田(当時成田はなかった)の入国出口から戦後の闇屋のようにして出てきたものである。
いま思えば、吹きだしてしまうほど異様な格好だったろう。
そして、当時のカタログを見ると、タバコはほとんど1箱100円、シャネルの5番は一瓶3,900円、ジョニ黒で1,800円、思い切って買ったナポレオンが6,000円だったが、これは免税価格であり、このころの国内で外国製品を買おうとすると、贅沢品ということで途方もない税金が上乗せさせられていた。
しかも、世間の給料が10万円のころでは、やはり高い買物で、こんな時でないと買えない代物だった。
それから20余年、バブル期の日本人は躁病患者のようにお金を沢山持って、世界のみやげ物店のカモに成り下がった。そのころ海外土産の主流はブランド物スカーフに変わった。
自分の目から見ると絹製とはいえ、チョッと派手な風呂敷にしか見えないものが2万円を越える値段で売られている。流行という言葉に弱いご婦人の機嫌を取り結ぶためだ。おかげで冬が比較的過ごしやすいと言われている国なのにスカーフが異常に多いという現象が起きた。
そしていま、ブランド物といえばバックなのだが、生産国では生活に余裕のある中高年を対象にするメーカーが、日本中に競って出店し若い人から高額なお金を引き出している。
実用より見栄、どんなにブランドで着飾っても品性が表に出てしまうと、バックまでよれよれに見えてしまう。外見を飾る前に内面を磨けと言いたい人ままある。
そんな我家にも20年以上前の古いスカーフが一枚あるがよる年波に勝てずしわしわになり、色落ちしている。
イタリアの北部コモ湖で、ガイドにうまくすかされて買ったのだが、ついでに2千円で買った風呂敷のような地味な絵柄のスカーフは母親に気に入られて、亡くなるまで使ってもらった。
いまつくづくとブランド名の入った派手なものを見るに、こんなものにあんな高いお金を出して、いまさら風呂敷にも出来やしない、と思う。
流行とはかくも無駄なことである。
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