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2006年4月30日 (日)

流行とはかくも

昭和46年、それまで1ドルが360円の固定相場制から変動相場制に変わった年だった。

急激な円高がはじまって4年、1ドル300円前後で推移している時に、初めて仕事のため海外に出かけたが、帰ってくるときは日本人の常として、必ず土産に苦労した。

近しい人には、それこそ前もって調達したが、義理チョコならぬ、義理みやげは帰りの飛行機で買えるだけという方法をとり、一番手っ取り早いのがタバコだった。

当時、タバコを吸う人も多かったし、自動販売機はなく、海外のタバコ、いわゆる洋モクはほとんど手に入らなかったため、手ごろな買物だった。

他には、マリリンモンローで有名になったシャネルの5番、これは中南米では手に入らないため、二つほど買うのだが高かった。それとジョニーウオーカーの黒(略してジョニ黒)、それと自分用にナポレオンを1本、思い切って買い、乗り換えのメキシコで買ったソンブレロ5個を合わせて、羽田(当時成田はなかった)の入国出口から戦後の闇屋のようにして出てきたものである

いま思えば、吹きだしてしまうほど異様な格好だったろう。

そして、当時のカタログを見ると、タバコはほとんど1箱100円、シャネルの5番は一瓶3,900円、ジョニ黒で1,800円、思い切って買ったナポレオンが6,000円だったが、これは免税価格であり、このころの国内で外国製品を買おうとすると、贅沢品ということで途方もない税金が上乗せさせられていた。

しかも、世間の給料が10万円のころでは、やはり高い買物で、こんな時でないと買えない代物だった。

それから20余年、バブル期の日本人は躁病患者のようにお金を沢山持って、世界のみやげ物店のカモに成り下がった。そのころ海外土産の主流はブランド物スカーフに変わった。

自分の目から見ると絹製とはいえ、チョッと派手な風呂敷にしか見えないものが2万円を越える値段で売られている。流行という言葉に弱いご婦人の機嫌を取り結ぶためだ。おかげで冬が比較的過ごしやすいと言われている国なのにスカーフが異常に多いという現象が起きた。

そしていま、ブランド物といえばバックなのだが、生産国では生活に余裕のある中高年を対象にするメーカーが、日本中に競って出店し若い人から高額なお金を引き出している。

実用より見栄、どんなにブランドで着飾っても品性が表に出てしまうと、バックまでよれよれに見えてしまう。外見を飾る前に内面を磨けと言いたい人ままある。

そんな我家にも20年以上前の古いスカーフが一枚あるがよる年波に勝てずしわしわになり、色落ちしている。

イタリアの北部コモ湖で、ガイドにうまくすかされて買ったのだが、ついでに2千円で買った風呂敷のような地味な絵柄のスカーフは母親に気に入られて、亡くなるまで使ってもらった。

いまつくづくとブランド名の入った派手なものを見るに、こんなものにあんな高いお金を出して、いまさら風呂敷にも出来やしない、と思う。

流行とはかくも無駄なことである。

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2006年4月29日 (土)

折り合いが付く

P1010077_1 春紫苑(ハルジオン)の花が田んぼや野道で急に目に付くようになった。

さすがに大正時代に園芸品種として輸入された花だけあって、近寄ってみれば楚々とした上品な花ではある。

この花を題材にした暗い小説を読んだ記憶があるが、作者も題名も覚えていない。

あやふやな記憶であるが、園芸品種で輸入された時は、もっと違う花のようであったが庭から逃げ出すとすぐに先祖がえりをしてしまうので、その手入れにが難しく、庭で育てていた家が没落して日本中に先祖がえりをした花を広げてしまった。というようなすじがきだったように憶えている。

この花の繁殖力はすざまじくて、植物学者の牧野富太郎博士も、この草はいけないと言ったという風に聞いている。一時期のブタクサ、ブラックバスなどのように外来種が日本中を席巻してしまうような勢いだったのかもしれない。

生物学的には、日本と言う島国はオーストラリアほどではなくても、他の大陸とは違う発達の仕方少ししていたみたいで、外来種に対して抵抗力が弱く、(人間もそのようで、外国人にいたって弱い)容易に猛繁殖させてしまう傾向にある。

そして、年数が経つと折り合いが付きもともと日本にあったような顔つきをして、「わしゃ知らん」とソッポを向いている。

代表的なものとして、米や梅そして、野辺にいま咲くシャガやオオイヌフグリなど植物図鑑をみれば外来種は数限りなくある。

何事も年数が経てば折り合いが付く、先日も久し振りに電車に乗ったが、年配のおばさんが席のすき間より明らかに大きい尻を上手にいれていた。

いれてみれば初めから入っていたように折り合いが付いていたし、おばさんも「わしゃ、はじめっからここに座っていたよ」って顔をしている。

「みなさん、何事も年数ですよ!」

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2006年4月28日 (金)

また赤い帽子が

P1010090 「あれ困ったよ、また赤い帽子が来たよ」

後ろの方で、女の先生たちの声が聞こえる。今日は賎機山(しずはたやま)を経由,浅間神社に下ってから城北公園に戻ってきたところ、子どもたちがいつもになく多くきていた。

最初の声は、引率の先生だろう。

公園は、学童と保育園など聞いただけで5校と2保育園の子どもたちが、春の陽気に誘われての遠足。先生たちは自分の担当の子どもたちを心配げに監視している。

目印は帽子の色らしいが、そこにまた同じ色の帽子のほかの学校の生徒が加わってテンヤワンヤらしい。そして、さらに同じ色が加わってきた時の声だった。

絶好の遠足日和に子どもたちは先生の心配を他所にいりみだれて、グラウンドやそれにつづく小山、池の周りと公園中をを入り乱れて走り回る。

P1010020 まさに、赤い帽子あり、黄色あり、白もいて、ごちゃ混ぜだ。公園には”ナンジャモンジャ”(ひとつばたご)の花も雪のように白い花を咲きだしツツジやシャガそして藤の花と子どもに負けじとごちゃ混ぜの咲かせていた。(写真はナンジャモンジャの白い花、公園内にかなりの数が固まって咲いている)

当方は、早々に帰ってきたが、子どもたちは迷子も出さずに帰るべきところの帰れたのだろうか、つい余計な心配をしてみた。

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2006年4月27日 (木)

まるいタイヤでハムレット

P1010078 履き潰そうかどうかと迷っていたスタッドレスタイヤを交換した。(写真は悩みのタイヤとホイール)

昨年の暮れ、雪のある山に登ることを理由に前から持っていた、スタッドレスタイヤに履き替えた。年に数回しか使わないタイヤなので、本当は予備としてホイール付きで欲しかった。

それで、3年ほど前から長野や静岡で頼んでいたが、中古のホイールがないという。

特殊な自動車ではない、あってもいい筈という自分に対して、最近は中古はすぐに海外へ出してしまう制度がしっかり出来ていて、なかなか市中に出回らないとのことだった。

今回、エンジンオイルの交換時期になっていたこと、やはりタイヤの騒音が大きいと言うこともあって交換することにしたが、この時期になって中古のホイールが出てきた。

それではと、聞いてみるとホイールのサイズが1インチ小さいので、来シーズンに使用したいときには、中古のホイールを使うならタイヤは新品を、今はづしたタイヤを使うなら履き替えになるが、どっちにする?だと言う。

四角いダイヤで悩むのは大金持ち、まるいタイヤで悩むのは貧乏人。金無しハムレットはまだまだ先の冬に向けて、あっちにするべきか、こっちにするべきかかと迷い歩くだろう。

そのついで、この自動車屋さんが経営の多角化からか、最近建てた高齢者向けの賃貸住宅を見せてもらった。

その名は「ガーデニアガーデン南安倍」屋上にいくつかの貸し庭があるところから付けたらしい。

入居条件は、静岡市に住民登録が出来る60歳以上の人で、所得によっては国と市から家賃の補助が出るとのことであった。

売りは、耐震設計に優れている、セキュリテイ面、バリアフリー、オール電化などのほかいくつもあった。

今後、高齢者向けの施設が、その人の条件によりいろいろな形態で出来てくることと思うが、独立心が強く自活を希望する人にはマンションを買うよりかなり格安なのかなと思えるものであった。

自分も将来、どこでどうなるか分からないが、今のところバリアフリーやオール電化でもなくセキュリテイのない家を離れる気はない。

しかし、ハムレットが突然出てきて「さあ どっちにする」とせまられる日が来たらどうしよう。

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2006年4月26日 (水)

今夜は寝られるかも

今日も世間は騒がしいようだ。

大きなものは、耐震偽装でようやく逮捕者がでたことであるが、いずれも直接のことでの逮捕ではなさそうだ。

建築士は名義貸しだし、建設会社幹部は粉飾決算容疑、検査会社は公正証書不実が理由だととのこと。これって、いわゆる別件逮捕なの?

そして、これらの会社や個人はいづれも大もうけをしているようすはみえない。

それではなぜ、人様に多大な迷惑をかけることを承知で耐震偽装に手を染めたのだろうか。経理面で不安の会社がよくやる”赤字でも金がまわっていれば”式のせいだろうか。

少なくとも、建設業の端くれのいた自分でも、ここの現場は自分がやったと人に正々堂々と言えるよう心がけたつもりである。

それにしても、数日前から逮捕だ タイホだと新聞などマスコミに書きたてられていた当人たちの胸中、どんなんだったろうと思う。自分みたいな気の短い者なら「いい加減にして逮捕してくれ」といって警察に乗り込みかねないと思う。

さぞかし、眠れぬ夜を送ったことと思う。変な言葉になるかもしれないが、今夜は、連日の疲れからぐっすり眠れるのかもしれない、いや寝られたら大したものだが、どっちかな。

推理小説のように、巨悪がどこかに隠れているんだろうか。

これから、本丸に入るのならその結果に注目したいが、いままでに何回かあった、鍵を握っている下っ端が自殺してうやむやにするのだけやめてもらいたい。

でも、いつものように監督官庁や代議士に影響のないようにしようとて、蓋を開けたら「大山鳴動してネズミ一匹」となりかねないか。

昭和35年だったようだが、黒澤明監督の映画「悪いやつほどよく眠る」という映画の主題を思い出している。

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2006年4月25日 (火)

線を引く

P1010067_2 ケリ(ひだりの写真)が名前の通り”ケリッケリッ”と甲高い声で上空を旋回したり急降下を繰り返したりして、人間を威嚇している。

田起こしも済み、もうすぐ水が張られる田んぼの近くに巣があるのかもしれない。この鳥は結構、向っ気が強く自分の2倍以上、体重にしたら4倍もあるカラスにさえ立ち向かい追いかける。

それも、まるで安全保障条約があるように、近くのケリまで味方にして集団で勢力圏の外まで追いかけ、確認してから引き返している。まるでどこかに線が引いてあるように。

宇宙から見れば、海に線が引いてあるわけではない、陸には山川の襞はあるが万里の長城以外人工的な線は見えない。

国境はもちろん、赤道にも赤い線はないし、子午線も見えない。

しかし、何かの拍子に国というものが図面の上に定規を当てて線を引きここからこっちは俺ん所と決めると、人間はなかなかそこを越えられなくなってしまう。

この線は、昔から力ずくで引いたために、その線を境に家族が民族がわけられて行き来が出来なくなってしまう。この線を無視したいが力ずくの結果だから行き来するのは命がけのことになる。

いま、日本の周りを見ても、竹島があり、魚釣島があり、北方4島があり、沖ノ鳥島と東西南北で波が荒くなっている。

かって、中国とソ連が黒竜江の中州になっている「珍宝島」をめぐってドンパチの銃火を交えた時には、「珍宝をめぐる本妻と妾の争いだが、どちらが本妻なんだろう」と笑い話にしたことがあったが、ズーッと過去に遡ってどちらが正当かを争わなければならない。

その話になると、パレスチナとイスラエルの場合、神話にまでおよぶが、人間もっと仲良く共存出来ないのだろうか、といつも思う。

国の指導者と言われる人や一部特権階級、巨大資本の利益に絡んで、大人(だいじん)がわれわれ小人(しょうじん)みたいな争いをいつまでも解決できない。

今日の新聞にも韓国の大統領が竹島に関して物理的という言葉を使って戦争も辞さないような発言をしているが、何故国際機関や両国の話し合いで解決と言えないのか、線を引くとは不思議なものである。

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2006年4月24日 (月)

アスペルガー

暑くなった。午後2時の寒暖計はは29度を指す、上着どころか肌着だけになってしまった。

庭のツワブキも最近の気候で急成長をしていたが、そのつけが出てきてぐったりと横になってあえいでいたので水をぶっ掛けてやった。

夏日だね。

「アスペルガー症候群」という聞いたことのない病気をインターネットで調べプリントアウトしてくれ、という依頼があった。

いくつもの記事があり、見ると自閉症のひとつであるが、コミュニケーション障害が軽微である。

言語発達の遅れも少なく、知的には正常な人(なかにはIQ140なんてのもいるという)が多いが、生来の社会性に障害を持つ。また、興味に著しい偏りやファンタジーへの没頭が見られ、不器用な人が多いとのことで、子どもの時は「わがままな子」「ちょっと変わった子」としかいわれない子もいるようだ。

一人遊びが好き、思っていることを何でも言ってしまう、同じことを何度でも聞いてまわる、話し方が回りくどい、話が飛びやすいなどいくつもあげて、これらが特徴だと書いてあるが、そんな小学生はそこらに一杯いるし、かくいう自分もいくつか思い当たる節がないでもない。

となると、自分もアスペルガーなのか。

エジソンやアインシュタインなどを初め、新しいものを発明発見した人の幼少期は問題児だった人が多いようであるが、どこまでが異常でどこからが平常なのか線引きが出来ない。

何事につけ、集団からはじき出されることを恐れる国民性からいって、「おまえは変わっている」といわれることのないように、言いたいことや行動を自制すると今度はストレスがたまって、、、と病院通いになる。

医学の進歩もよいが、これ以上訳の分からない病気を作って国民すべてがなにかの病気持ちにするまでとどまることがないのだろうか。

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2006年4月23日 (日)

チェルノブイリから

朝から小雨交じりの日曜日、とくれば一日のんびりとテレビをごろ寝しながら、ひねもすドタリドタリとトドのように寝返りを打っているのが普通人。

ところが、サンデー毎日の暇人は、普段と変わりなく6時に起きてうろうろと飯の催促をしている。「まるでイヌと変わりないんだから、、、」

昨日貰ったタケノコ、量が多すぎて県外へ宅急便で送ったのに、残りがまだ茹できらず朝早々に近所の知り合いはおろか、遠く金谷まで持って行くことになっている。

今年はタケノコの当たり年。

話は変わって今年は旧ソ連のチェルノブイリの原子力発電所が事故を起こしてから、20年になるという。

そして今もなお、半径30kmの範囲内が立ち入り禁止区域であり、一時は200kmの遠方まで放射能で汚染されたとある。

当時のソ連政府はこれを隠し通す予定であったが隠し切れなかった、その結果どれだけの人が被災したか分からないという

これはソ連と言う強権国家だったから、情報の公開をしなかったのかと言うと一概にそうは言い切れない。民主国家の代表と自負するアメリカにおいてさえ、今回のイラク戦争は政府にとって都合のよい情報しか流してこなかったことが少しづつ明らかにされていることからも分かる。

そういう目で見ると、原発の情報も公開度がどのくらいなのか疑問を持たざるを得ない。

さらに設置の許可を、大量にお金が注ぎ込まれる地元と言われる地域だけの判断に任せていいのだろうか。

静岡の浜岡発電所は、東海地震が起きたたら直下型といわれるほど震源に近い、もし、その影響で発電所に事故がおきたら放射性物質は短時間のうちに東に流される。

その時は、どこに逃げようか。地震の被害にばかり目を向けていると、悪魔の灰をかぶりかねない。

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2006年4月22日 (土)

ほくほくにんまりと 大山

P1010070 大山(986m)山頂からの眺めは非常によい。巨大鉄塔さえなければもっとよい。(キイチゴの花の彼方に鉄塔が、、)

焼津から静岡、日本平をはさんで清水までが一望の範囲にはいる。さらに位置をかえて、左に目を転じると富士と南アルプスが高曇りの空の下、水墨画のように連なっている。

大山は、藁科川の支流の支流ともいうべき坂本川という谷川の上流にあって、先月登った突先山の尾根続きに当たる山である。突先山は安倍川の方から登ったので同じ山塊であるが今度は反対側から登る。

この山、冒頭に述べたように見晴らしがよいため、山頂に2基少し降った尾根に2基と電波送信用の鉄塔が建っており、その建設のためもあって林道が山頂まで延びていてあまり登ってみたいという興が湧かない山である。

ただ、一番奥の集落のすぐ上で一般車通行止めの施設があり、入れないことになっているので今日は地元の人らしい車が2台登ってきただけだった。

したがって一般車両の自分は、最後の集落坂本の上の道路脇に車を止め、大きな歯止めの石をタイヤの下に置く。

支度して、ひたすら林道を歩くことになる。他の山と違うことは谷川やロープを張った難所もなく、舗装がしてあったりなかったりが不規則にあるだけのゆるやかな登り道であり、歩きやすい代わりに距離が非常に長く、折り返しを繰り返しながらの登山になる。

あまりの、退屈さに尾根に上がってから踏み跡も定かでない山道に入ってみたが、すぐ下の雑木の間には道路の存在を示す電柱と電線が見える。

2時間近くウグイスと駒鳥の美声に励まされ、カケスのガーシ ガーシという冷やかしに声に送られて頂上の鉄塔に到着する。朝の出掛けにはあれほど晴れていた空も一面の雲となっていた。

時間は10時半だったが例のごとく早弁のおにぎりを食す。コンビニおにぎりながら「美味い!」

前回は仕事だったので自動車に揺られての山道は、鳥の声も耳に入らなかったが、それから10年ぶりくらいの今回、木の芽が吹きかけた春山の少し肌寒い風も次第に汗をかき始めた身体には心地よい。

帰りは、芽生えたばかりの蓬と柔らかい蕗を少々つんでくる。

蓬は5月の節句に孫と餅か粽にして食べよう、そんなことを想像して、ほくほくにんまりと、、、、、

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2006年4月21日 (金)

旬の筍

P1010067_1 久方ぶりにすっきりとした顔で富士山がこちらを覗いていた。

それも真っ白に白粉を塗りたくって、昨日は雪がかなり降ったのだろうなぁ、、、、

テレビによるとバスが入れるようになった上高地も強い風に吹きさらされて、吹雪になり初の観光客がそうそうに帰っていったという。

と、いうわけで山登りに適しているかなと思ったが、肝心の足である自動車のエンジンオイル交換とスタッドレスタイヤの履きかえをを約束していたので遠出は出来ない、近所の谷津山めぐりでお茶を濁すことにした。

出かけてみると強い西風が吹いている。「こりゃ~高い山では大変な日になる、こちらが正解か」と言い聞かせる。

家から歩いて20分、今日は家康側室お万の方の供養塔がある三松の蓮永寺からとっついた。低い山だから瞬く間(15分) に尾根に付く、すぐ傍のピクニック公園には、小学生らしい子どもがきて、はしゃいでいる声がする。

子ども好きの年寄りだが、最近は近寄れない。付き添いの大人が警戒感をあらわにするからだ。いやな世の中だね。

あらためて、西の清水さん(観音様)のほうに向かう、登る時にも出会ったがいまは”たけのこ掘り”の真っ最中。あちこちで鍬を振るう人にであう。

”雨後のたけのこ”とはよくいったもので、あちこちで顔を出している。最近、静岡では孟宗竹の繁殖が激しく他の植物を圧倒し、高齢化した地主の手に負えなくなり、ボランテイァで刈り倒しをしなくてはならない所まで来ているようで、今朝の新聞でも募集していた

旬(しゅん)という字はたけのこ(筍)から草冠をとったくらいだから季節感、採る時機は限られている、孟宗竹は地面に顔を出すかどうかの時が美味いというので、たけのこの頭を足で感じて掘り出す。

したがって、背丈が30cmにもなったら、たけのこの勝ち。

たけのこは、竹林のふちを勢力拡大の先兵に見立てて、人海戦術のように大量の芽出しで人間に対抗する。採られても採られてもへこたれない。

不撓不屈の精神は、雨と気温を味方にし、人の目を掠めて写真のように成長する。

そんなこんなを考えて標高100m前後の尾根をトットコトーと3時間あまり。

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2006年4月20日 (木)

穀雨

P1010060 今日は、穀雨。

雨の降り方も太平洋側では多くなり、田畑が潤って、植物の発育が目覚しくなる時候だということだ。

今朝がたからの雨にうたれて、穂を出し始めた麦の穂にしずくが付き、まさに青春。その天気も昼を境に一変し雲ひとつ見えない青空になった。

そして、昨日までに降った黄砂を洗い流してくれたと思ったのに、再びかすみ空になった所を見ると、ここしばらくは黄砂との付き合いは続けていくしかないみたい。

P1010051 また、今日から静岡ではお茶の取引が行なわれるそうだ。毎年ご祝儀相場とかでびっくりするような金額(1kg 8万8千円だって)のお茶が出てくるが、こんなものはどこか他所の世界の話で、自分たちには係わり合いのないものである。

昨日も、麻機山に登ってみたが、このあたりはまだ少し早く、5月初めの八十八夜新茶に照準をあわせているかのようだった。

自分は、砂糖分の甘味が何時までも口に残るジュースなどドリンク系は苦手なので、いつも飲み心地がさっぱりするお茶か麦茶にしているが、体調や気分のせいもあってのことだろうが、本当に上手いと思ったお茶は数少ない。

とくに、荒茶は当たりはずれが大きく、よい農家と知り合いになれたらと思いながら果たせないでいる。

いつもの麻機沼会談では「お茶は値段だよ」と農家にいわれたと言っていた人がいたが、素人は見ただけでは分からない。

願わくば、色はとにかく、味の濃い甘く感じるお茶が欲しいものである。

勿論値段は安いに越したことはない。それだけで、儲けたような味がするから、、、、、

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2006年4月19日 (水)

黄土台地のはてから

P1010050 松原遠く 消ゆる所

白帆の影は うかぶ

日本にいれば、海岸間際まで松原があり、緑はその後ろから山の上にまで続くのは当たり前の景色だと思われているが、世界的には珍しい光景である。

自分が実際に目にした光景のひとつに、ロス.アンジェルスからメキシコを経てペルーに至る海岸を飛行機の窓から見るとそれこそ、見える限り赤茶けた岩と土しか見えなかった。

実際に、ペルーの海岸端から見ると海から山の天辺、アンデスの山頂(3000m以上)まで全然植物らしいもののない所が多くあれば、決まって人工的に作られたものだった。

今日も激しく黄砂が舞っている。距離にして3~4km先のビル街が霞の中にうっすらと浮かぶ。

先日北京に30万トン降ったといわれている黄砂に一部が日本に到達したのだろうが、そうなると総量でどれだけの土が舞い上がったのだろうか。

黄砂は、中国内陸部の黄土台地から飛んできたものだというが、このあたりは黄河文明が発祥した地域でもあり、そのころは、木や草も茂って農耕に適した土地だったようだ。

その後、気象が変わったのは何のせいだったか、今ではむき出しの土が延々と続く土地を写真で見、日本からも苗木を植えるボランテイァが行っていると聞いた。

しかし、こんなに土が吹き飛ばされるようじゃ、石ころ砂漠に変身しゴビ砂漠の拡大になってしまいかねない。

日本は幸いにして、温暖湿潤気候で植物の生育に適しているので、砂漠化とは、「月の砂漠をはる~ばると、、、」というイメージしか湧かないが、無駄使いをして、砂漠になってからでは大変なことになる。と黄砂を見ながら極めて当たり前の感慨にふけった一日だった。

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2006年4月18日 (火)

たばこやめたら

P1010045 たばこ、その害はいまさら言うまでもない。

唯一、効果として言われていた、気分が落ち着くとか癒されるというのもニコチン中毒による禁断症状だと一蹴されれば、完全無欠の害でしかなくなる。

コロンブス(?)に始まるヨーロッパ人が、アメリカ大陸から持ち帰り世界に広めたものは、トマト、じゃがいも、さつまいも、とうもろこし、唐辛子などがあり、これらは環境の悪い土地や気候にも耐えて収穫できることから、人類はかなり飢餓からまぬがれて、人口増加の一因になったと言われいる。

65億人と膨れ上がった人は環境を破壊し、いまに、地球を食いつぶしてしまう。皮相的にみれば、これも害のひとつと言えなくもない。

今年から厚生労働省は、禁煙の治療に健康保険を適用できるようにした。と言うことで街角の賛否両論をマスコミは報じていた。

厚労省は、禁煙が進めば肺がんなどタバコが原因と見られる病気の治療費が減るので長期的に見れば1800億円の効果があるといっているそうで、キャスターも納得顔でパネルを見せていた。が、チョット待てその理屈はおかしいよ。

な~んでか。人間はいつかは死ななきゃならんのよ。タバコを止めたら「不老不死」になるわけではない。タバコを止めて死ぬのを止めたら、さらに、高齢化社会、年寄りばっかりになってしまい、若者はその負担に絶望してしまう。

と、タバコを20歳でやめた高齢者はしたり顔で言う。

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2006年4月17日 (月)

けなげな一輪 竜爪山

P1010028 駐車場に車を入れ、エンジンを止めた途端に聞こえてきたとがすこぶるつきの美声。

ミソサザイが、歓迎の唄を高く長く歌ってくれた。ミソサザイの姿はお世辞にも綺麗とはいえない、茶黒い小鳥,その中でも一際小さく(全長10センチはない)目立たない存在だが、天は彼に美しい歌声を与えた。これはウグイスも同様だがあの小さな身体からよくあんな大きな啼き声が出るもんだといつも感心させられる。

今朝、起きてみたら久し振りに空が明るい。天気予報でも「穏やかな一日です」とのこと、里ではほとんどめぼしい場所での桜は散り、山に駆け上っている時期なので、どの辺まで春が行っているのか見ようと竜爪山(1061m)に登ることにした。

同じ登るならと長い間行ったことのない、長尾川支流の則沢川沿いに上がり、林道の終点の駐車場で支度をした。

標高350mほどか、丁度このあたりが道の両側に植えた大島桜と山桜に近い桜が満開を迎えていた。

ミソサザイの声援に送られて登りだした杉林は、最近になく手入れが行き届いていて下枝がきれいに刈られ、気持ちがよい。こうでなくては林業家とは言えない。しかし、その綺麗さがたたってか、山登りした人たちがそこらを勝手に歩き、踏み後が幾筋にも付けられている。こまったもんだ。

足元の春を探しながら高度を稼ぐ、まず、スミレが、ついでミツマタの白い花が点々と続いた後、数が少ないものの、お目当てのミツバツツジが明紫色で山桜と共にお迎えをしてくれた。

なにしろ、全体が杉林の中なので、花をつける草木が少ない、それでもこのミツバツツジは標高800m付近に咲いていたところを見ると、この辺が春の限界か。

登りだして、50分ようやく見慣れた山頂に到着。ここの桜は若いせいか花はなく若芽も少し膨らんだ程度だった。

P1010024 一休みした後、荷物をここにデポし隣の薬師岳行ってくることにした。この山頂はそれこそ杉の木に覆われ期待した春はどこに?状態だったが帰りに一輪だけけなげに咲いた紫エンレイソウを見つけ写真にして帰った。

本日はウイークデイ、いつもは賑うこの山も追い越し一人とすれ違い一人の静かな山行きであった。

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2006年4月16日 (日)

どんでん返し

借りる時は仏顔 返す時の閻魔顔

これが、昔から高利貸しに付けられた借主の実感だった。

「どうする? アイフル」こんな見出しで貸し金業アイフルが営業停止になったのを扱っている報道番組があちこちであった。

取立ての仕方が脅迫まがいであったり、会社にまで電話をかけたりなどがあって、弁護士が被害者と言われる人を集めて訴訟騒ぎにになっているそうだ。

貸し金業の取立てについては、前にも「武富士」が問題になったことがあったが、昔から高利貸しの取りたては厳しいものである。が、それだけしないと返さなかったり、はじめから返す気の無い人がいたりする。

高利貸しではないが、ず~っと昔に小さな家を建てるため、住宅金融公庫から年利5.5%で借り入れ18年返済にした時、最初のうちは、返済金額と利子がほとんど同じだったことに驚いたものだった。

5.5%でこんなになるのだから、貸し金業の29%あまりの利子はそれこそ大変な金額になるのは予想される。

今回の問題については、どちらが本当の被害者だろうか、という問題を含めて考えなければならない。報道だけ見ればお金を借りた人が被害者のように見えるが、もともとは貸した人が被害者だったはずである。

法律の範囲内の利子で金を借りた人が、取り決めに従って返していれば問題は無かった筈。貸し金業もそれで会社を経営しているはずなのだから丸く収まっていたのではないかと、幸いにも貸し金業に世話になったことのなく、事情の知らない自分は思う。

いじめを受けていた者が、なにかの弾みや日ごろの恨みで相手を刺したりする、そのとたん、どんでん返しが待っていて、被害者と加害者の立場が逆転することがままあるが、もともとは刺された人が原因であってもなんだけどなぁ、、、、、

どんな場合も被害者といわれる人が善人で加害者といわれる人が悪人と言う図式はなりたたないことがあり、簡単に一方の肩入れは報道の中立をいう、マスコミは謹まなければならない。

金は天下の回りもの 

お天道様と 米の飯は

いつでま付いて廻るという

それは昔の 作り事

なんて無責任で脳天気な借金はいつまでも続かない

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2006年4月15日 (土)

アモーレ ミオ

アモーレ アモーレ アモーレ

           アモレ ミオ

昭和30年代初めにイタリアの「刑事」という映画の主題歌の出だしで、その後長い間親しまれた曲なので知っている人もいることと思う。

自分も当時みているはずだがストーリーの記憶はなくなっていた。

記憶がないのに、何故見たといえるかというと、小さな手帳に最後の部分がよかったと書いているからである。

スペイン語の親戚のイタリア語なので、多分間違いはないと思うが、”愛してる愛してる  私は貴方を”という意味である。

いま、与党は教育基本法を改定しょうとしている。

内容はよく知らないが、一番問題になっているのは、「国を愛する」という文言をいれるかどうかということらしい。

人間は、誰しも家族を愛し、町を愛し、郷土を愛していると思う。その延長に国を愛しているはずである。

愛とは、こちらが相手から代価を貰うということを考えずにつくすことが、重要な行為のひとつである。そして、愛すると言うことは、強制するものでも、されるものでもないはずである。

それを、ことさら教科書で愛する心を持てというのは、なにか切羽詰ったものがあるのだろうか。

この文言が焦点になるのは、やはり、日本が暗い時代に強制したことに原因があるためと思われる。ならば、それだけ慎重な扱いが要求されるはずではないだろうか。

それを、与党内の話し合いだけで簡単に決めようとするのは、国旗 国歌の時と同じように感じてしまう。

おりしも、防衛庁を防衛省に昇格しようと言う動きもあるそうだが、これは、なにか、裏の深いところで連動していると見て過言ではない。

このあと徴兵制が布かれ、国がどこかへ再び連れて行かれたとき、子どもになんと言って釈明するのだろうか。「私はこんなことにはなると思はなんだ」だけではすまないよ。

スペイン語の決まり文句という本の中でこんな言葉があった。

(ウナ コケタ) アメ トゥ アメ ウステ アメン ウステデス

(浮気女) あんた 愛して 貴方 愛して 誰でもいいから 愛して頂戴

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2006年4月14日 (金)

ガス抜き

「ガス抜き」という言葉をはじめて聞いたのは、随分昔にことだった。

炭坑などで地層に含まれるガスがある程度の濃度になると、少しの火にも反応して爆発することから、ガス濃度をあげないように排出することをいうと習った。

当時は、国内にも炭鉱が沢山あり、ガス突出による事故が多くあった。

その炭鉱も採算性が悪くなり国内から消滅し、ガス抜きといえば体内にたまっているガス(おなら)を抜いてすっきり、ついでに雲古もだしてしまおうと言う「ガス抜き体操」のことだと女性は言う。(いいですね~平和のきわみ)

話は変わって、沖縄の米軍基地を海外に一部移設するについて、アメリカはその移設費の75%を出せと言っていると報じていた。そして、外務大臣は50%以下にしたいと言っている。

移設費については、はっきりとこれこれだから、これだけいるというものではないらしい。もともとは米軍の軍再編計画にもとづいての移設なのだが、先日、米政府関係者の話では日本の要請に基づいて移設するのだから75%は当然だと言っていた。

外交上手な国は、洋の東西を問わずどこにでも理屈を付けるのが上手いと感心するばかり。

問題はこのことではない、はじめに結論ありきの交渉事になっていることであろう。

国や県自治体、労使交渉などでは、最初にとんでもない額や条件が示されたあと、こちら側の代理人が「とんでもないことをいう」と引き取り、その中ほどで仕方がないと手を打つ脚本が初めからある芝居に大衆がころっと騙されていることである。

小泉改革なども、よく見ていると最初から落としどころを決めて、双方が遣り合っているに過ぎない。

つまり、大衆の怒りがあまりたまらないように、少しここらでガスを抜いて圧力を低くするバルブ操作に操られている。

小泉退陣のあと、消費税が問題になってくることと思うが、どんな芝居が展開されるのだろう。

芝居のキがチョンと打たれるのを今や遅しと待っている役者が幕の袖にいる。

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2006年4月13日 (木)

結構古いんで

P1010016 おれおれから、振り込めに名前を変えた詐欺も一向に納まる気配がない。(写真 片仮名で書けば一緒だが、あっしゃ 人にはかかわりたくござんせんと、そっぽをむくアオサギ)

その額も年間300億円に近いというから驚きだ。いや、ひょっとすると世間体ということもあって言わない人を入れると、とっくのとんまにもっと巨大化している可能性がある。

先日も、小泉チルドレン大塚拓衆議院議員が、「母親が騙された」といきまいていたが、自分の身近に被害があって始めて知ったように見えて、笑ってしまったね。

これらの犯罪をまとめて、被害を受けやすい人と言うのを発表したそうだが、

①警察とか公権力だと言われるとと動揺してしまう人。

②どうしたらよいか自分の方から聞いてしまう人

③「なんとかしてやります」とか、「面倒を見てやりたい」など日ごろから親切な人

④自分の方から、息子など被害者の関係者の名を呼びかける人

など従来の日本人の典型が狙われているらしい。

応対に出た人がこんな人だと「これはしめた」とばかりに考える余裕のない攻め方をしてお金を振り込ませるようである。

前にも、自分の聞いた話として、「外国では泥棒より、物を盗みたくなるような雰囲気を作る人のほうが悪い。大事な物ならそのような保管の仕方をするものだ」と書いたことがあるが、開口 健という小説家も”開口閉口”という小説のなかで、「騙すより 騙される人が悪い」と、イタリアでもベトナムでも聞いたと書いている。

日本もこのところ犯罪の国際化が進んで、外国人はもとより日本人の犯罪者もいろんな面で海外のやり口を真似する。ひとり被害者だけがいままで通りでは釣り合いが取れないので、騙される方も勉強しなければならない。

となると日本の精神基盤である義理人情は紙のように空に舞い散るのみになるが、それにどっぷりと浸かった身にとって味気ない世界が始まる前兆である。

と言いながら、実際自分が詐欺団から電話を受けた時はどうなんだろう。舞い上がってしまわないという保障は全然ない。

考えてみれば、自分も年相応に結構古いんで、、、、、

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2006年4月12日 (水)

人に知れつつ

P6030004 春の野に あるるきぎす(雉)の

       妻恋は

         そがあたりを 人に知れつつ

                                          大伴家持

昨夜来の大雨で沼(遊水地)の水位が1メートルほど上がり、水鳥の安全領域が広がったせいか、いつもより多めに集まって騒いでいた。

そして、今日は雉のデビュー日だったらしく、鳴き声と共に絢爛豪華な衣装を見せ見せびらかしにきてくれた。

マイクの並んだ長テーブルを前に白髪頭や毛の薄い年配者が揃って立ち上がり「まことに申し訳ありませんでした」といって、頭を下げている放送をいままで何度見てきたことか、そこには、とにかく頭を下げておけ、という姿勢が見え見えであり本当に悪いことをしましたと言う気持ちが全然見えない。

こんな会見を今年に入ってからでもかなりあり、どれがどれだか分からなくなった。

先日、欧州連合は、安全でない航空会社の名前を95社を公表し、そのうち92社に域内の離発着はおろか上空の飛行を禁止したとあった。

最近、日本の代表的航空会社である日航を中心に空の安全性を疑わせるトラブルが続出しているが、前の95社のなかに入っていないとなると、よほど空の安全というものはいい加減なものらしい。

<くわばら くわばら>もとへ、これは地震のおまじない,とすると、空のおまじないは何?<のらない のらない>かな

11日の国土交通委員会での、スカイマーク社長の発言の中に、「整備士個人の技量に頼っていた、組織が完全でなかった」「指示してもきちんと行なわれたか分からないのが2年前の状況だった。いまも完了していない」とまるで他人事のように答弁していたのには驚いた。

「おいおい、それが会社を経営する人の仕事だろう」と、2年間もそれが出来ないのなら責任を取って退職しなければ不味いんじゃないかい。と思ったが、この人 IT企業のはしりの人でホリエモン同様に「カネさえあれば」と、人使いが下手らしいうえ、株も沢山持っていて筆頭株主だからなかなか辞めない人だとのこと。

こんな発言の中に、社長の人格が現れ”そがあたりを人に知れつつ”となる。

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2006年4月11日 (火)

 犬 イヌ いぬ

P1010010 昨夕から降り出した雨、午前中はまだシトシト段階であったが、天気予報は東海地方は今夜にかけて大降りになるといっている。

それでは、小雨のうちにと出かけてみると水面近くを低く燕が幾羽もとんでいた。「燕?、そういえば来てて当然の時期だよな、今日が初めてなのか見てても気付かなかったのだろうか」  そのときなにかをグニャッと踏みつけた。

よそ見して歩いていたのが悪かったのだが、見なくても分かっている、この感触は犬の糞。それも大型犬らしくでかい。冗談にも”うんが付いてよかった”とは言わない。

ヨーロッパ中部のオーストリアのウイーンでは、犬の飼い主は免許がいるようになったそうだ。どこの国でも犬の公害は問題になっているようでパリでも糞に対する条例がある。

ウイーンでの免許は犬の飼いかたやしつけについて、筆記試験と実技を受け免許税を払って手に入れるそうだ。ヨーロッパの犬はテレビなどの紹介を見ていると、人に社会的精神の強い気風もあってきちんとしつけられているように見えたが、こんな、法律か条令が出来るようではかなり問題があったというべきなんだろう。

一方、わが国では「猫っ可愛がり」という言葉に代表されるように、一部を除いて動物に対するしつけが出来ない国民性らしい。(当然自分の子どもに対してもだが)放し飼いや予防注射などの条例があるが処罰されたとは聞いたことがない。

義理人情の世界が動物に対する感情にも入って、ある政治家はテレビの中で「動物は裏切らない」なんていっていたが、よほど、人間には裏切られていたことを感じさせた。しかし、昔からのことわざに「飼いいぬに手をかまれる」という言葉があることを知らないんだろうね。

犬を飼っている人の最大の間違いは、世の中の全ての人がイヌ好きだと思っているところにある。

うちのイヌに限ってと、ハーネスも着けずに散歩する、公園のベンチやテーブルの上にのせる、毛にブラシをかけて抜け毛をほったらかし、あげくは糞の始末が出来ない、無駄鳴きで近所迷惑、など数え上げたらきりがない。

たしかに、人間関係が疎遠になりつつある現代の社会構造から言って犬は番犬から話し相手や玩具に変化し、癒し効果が主となった。しかし、年間40万匹と言う犬が処分さるなかで中で、40万円などというイヌがいたり、イヌを抱いて散歩というご婦人がいたりして、何かがおかしいと感じさせる。

今日は、糞をふんづけた不快感と怒りで、あえて八つ当たり的にイヌの飼い主批判をさせてもらう。

イヌの飼い主は大人の人間であれ!

注(犬全体をさす場合を犬。玩具のように変化させらた犬をイヌとしてみた。いぬはなんだろう)

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2006年4月10日 (月)

正夢 逆夢

P1010075 今朝がたいやな夢を見た。

朝早く四時前に一度起きたもののまだ早いと思い、二度寝に入ったところ、夢の中で電話があり、はっきりしないが、いやな知らせを思わせる話し方だった。

まったく心当たりがないわけでないだけに、目が覚めてしまい時間を見ると寝付いて間もない時間だったようだ。

夢というものは、その人の心理状態から来るものとは聞いていたが、この夢は”正夢”だろうか”逆夢”だろうか。出来れば逆夢であって欲しいものと願う。

夢は人に話すと壊れると言うが、それは、よい夢のことであろうし、悪い夢も人に話せば壊れるのかも知れないが話したくないし話せない、あとで「正夢だった」なんて言われたり感じたりしても困る。

フロイトの分析は性的に偏りすぎていて参考にならない。まして、雑誌の夢占いはいい加減すぎる。悪い夢は獏に食わせてしまえと言うが、この場合の獏は想像上の動物にすぎない。となると、不安を紛らわすには神頼み仏頼みしかなく、平素かまけている仏壇や神棚に灯明をあげたり手を合わせる。

悶々としていたら、午後になって本人から明るい声で電話が来た、「病院は退屈で退屈で」という、よかったよかった逆夢で。

考えてみれば、確証もない夢に心を乱しオタオタするようではまだ若い。

願わくば、次はわくわくするようなよい夢を見、それが実現するように「黙っていようね!」と自分に言い聞かせるような正夢に出会いたいものだ。さて

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2006年4月 9日 (日)

ジグザク紀行

松風騒ぐ丘の上

古城よ ひとりなに思う

P1010087 時は戦国時代。武田方に取られた高天神城を取り返すべく、徳川方は周りにいくつかの城を作って足がかりとした。

徳川方としては、衰えたとはいえ、武田の強さは身にしみているので、短兵急に攻めるわけには行かない。それで、包囲作戦を取ることにし、遠州横須賀にも低いながら要所と見て城をかまえた。

当時は名前の通り城のすぐ傍まで海が入り江状に入り港を作っていただろうし、海側から浜松に兵を進めるのを妨げるのが目的であったようだ。

行って見ると、綺麗に整備され大手門の周りに詰まれた丸い川原石はちょっと他所では見たことがない異色な景観をみせていた。

実際に闘いの場になったことはないらしいが、鎧をつけた武者があわただしく往来した時期もあったであろう。ここに大手門 天守閣 御殿などが再建されたら、また、違った趣を見せるだろうが、変に美化されるくらいならないほうがいい。

普段はどうなのか知らないが、少し離れた街中は祭りの屋台と人出でこんざつしている、その喧騒からはなれて静かなたたずまいはまた格別な思いがする。

本日ここに行ったのは、昨日にひきつづいてのよい天気。

しかし、風は納まったが相変わらずの黄砂で近くの景色まで霞んで見える。

報道によると今日の静岡は西部の方が賑やかだと言うので、裏のバイパスを使って西に向かった。金谷では茶祭りとかで朝早くから、茜だすきのおねーさんがいたが、自分よりどう見ても片手以上年上のご婦人(どこも高齢化社会だ)を見たので駐車場から敬遠し、牧の原台地にを回って今は掛川市になった、遠州横須賀の祭りを見ようと行き先を変更した。

途中、毎年のようにわらび ぜんまい うどなどを採る場所の近くに差し掛かったので方向変換して、レジ袋2杯分を採取する。

ここで時間を食ったのが悪かったらしく、横須賀に着いたものの駐車場がなく、城見物だけのジグザグ紀行となった。

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2006年4月 8日 (土)

かっぽれ かっぽれ

P1010048 かっぽれ かっぽれ

甘茶でかっぽれ ヨーイトナ

今日は花祭り、仏教の開祖お釈迦様の誕生日である。子供の頃、造花の下の小さな仏像に上から甘茶?をかけ、おがむと餅を二つを貰ったように思うがさだかでない。

絵本かなにかで、お釈迦様は母親のわき腹から生まれとか、生まれてすぐに三歩あるいて「天上天下唯我独尊」と言われたとか聞いた時には、これは化け物か、恐ろしい者だとおもったことがある。

しかし、現代の宗教の中では、とくに八百万の神の国、日本に来てからその風土に溶け込み一番平和的なやさしい宗教になったのではないかと思う。

キリスト教やイスラム教のように唯一絶対神ではないため、他の宗教を認めるところがあるのではないだろうか。発祥地インドにおいてはヒンズー教の迫害を受け、その中のひとつの神にされても従っているところがある。

生半可な知識しか持っていない自分であるが、キリストより500年ほど前の宗教でありながら、その新鮮さ、教義は他の宗教に劣らないし、大筋では他を圧迫しない所が好きである。

さて、話は変わって、昼ごろから黄砂をともなった突風が吹きすさんでいる。

霞と違って割合と近いところまでかすんでいる上、始末の悪いのは自動車に白い汚れが点々が付いていることである。

はるか遠く中国の黄土台地から飛んで来たと思えば、その距離、その速さからいってあだやおろそかには出来ないような気もするが、最近の中国の情勢を見るに硫黄酸化物が混じっているんではないかとか、ほかの有毒な物質を含んでいるのではないかと考えてしまい、目がシバシバとするような感じに襲われる。

どうか、中国も思想や軍事のほか、大気汚染などで他を圧迫しない国になって欲しいものである。

(写真は鎌倉大仏、本当は阿弥陀様であるが、与謝野晶子も”かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす、、、”としたのだから、いいことにして~な)

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2006年4月 7日 (金)

基本的にはじらし

P1010013 久し振りに普段の散歩道、麻機沼めぐりに行き、ご常連と話してきた。

ここ一週間ほど、なんだかんだで行きそびれていたので、周辺の緑が一段と色濃くなっているのが、少し寒い風を加えて爽やかだった。

3月半ばから、池の中ほどにある葦のあいだで二羽以上のウグイスが競争するように囀っていたが、それからかなり練習をつんだため、途切れなくスムースに”ホーホケキョ”と恋の歌を歌えるようになっていた。

ここで愛の巣を構えるとしたらもうすぐ縄張り宣言の”ケキョ ケキョ ケキョ”という谷渡りの鳴き声に変わることだろうが、さて花嫁さんが来るのかどうか、結末が付くのは間近いことだろう。

池のなかも騒がしい、ここの水鳥(鷺類やカルガモ、ヒドリガモ、バン 鵜など)は大半が北に帰る鳥ではないため、この時期もあまり数を減らしていない。

それぞれにつがいをつくりおっかけっこなどで水面を走り回っている一方で、水中でも二尺に余る鯉の雌が数匹の雄をひきつれて、散歩する人間などまったく眼中にないそぶりで、入り乱れはしゃぎまわっている。

これらを見ていると、動物の雌というものは基本的には、相手をじらしながら冷静に観察し、選んでいるのにたいして、雄は一時的感情だけで、やみくもに振り回されているというのがよく分かる。

先天的にこうした遺伝子が受け継がれ人間にまで至っているとしたら、「げに 恐ろしきは おなごかな」と言いながら男にも同様の遺伝子が伝わっているんじゃ 仕様がないことか!本日はまとまりのない話しで、どうもお粗末様

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2006年4月 6日 (木)

とにかくおめでたいのだから

P1010076 久し振り、街中にランドセルを背負った小学生が三三五五かたまっての集団登校をしている姿が目に付いた。

今日は、静岡市内の中学校の入学式があった。自分の孫も二人が該当したため、男の子の方に行って来た。卒業式のときカメラがないので写真は人に写してもらった物しかないとのことだったので、

あまり背が高くない男の子、この方面に親の期待が大きいかったせいか、少しダブダブとした学生服の中に埋まっていた。

しかし、制服を着ただけで一段としっかりとした顔つきになり(爺馬鹿チャンリン)「馬子にも衣装」とはこのこと、と思わず口走ってしまったあと、親の顔を盗み見してしまった。

桜の花も、咲き出してもう10日以上、役目も終えて疲れましたといった風情で散り急いでいる。

P1010081 少しの風にも反応してハラハラと花吹雪。浅間神社の池の水面に散り敷いている。

今夜は、両方の親ともども招いてご馳走をしてあげよう。校長先生は挨拶の中に命の大切さを諄々と説いていたが、最近の世の中は危険が一杯、その中で生活し学習している。

しかし、爺婆は余計な心配はしない、ここは、素直に単純に喜んであげよう。

とにかく おめでたいのだから (どこが?ってたってお年寄りだからだよ)

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2006年4月 5日 (水)

ひとくくり

P1010024_2 今日は24節季のひとつ清明である。万物が清浄明潔(草木の芽がはっきりすること)となることという。

その元になる雨が朝からシトシトと降って、咲き出したスズランに重そうな水滴を載せしっとりとした春を味わあせてくれている。

今年の新入社員は「ブログ型」だと社会経済生産性本部が発表した。これから目鼻(芽花)のつく若い生命(清明)に、おじんが勝手に型嵌めをしている。

「ブログ型」とはどんな人間か?。表面上は従順だが日記を通じて大胆な自己主張をする。寂しがり屋でつながりたがり屋、認めてもらいたいという欲求が強い。などという。

ブログをしている者からすると、これは何もブログだけでなく人間全てに大なり小なりあることで、八卦見や星座占い、生まれ年など一連の占いのように、誰にでも当てはまるようなことを言って”当たった当たった”と喜んでいるのと一緒である。

とくに、「ブログ型」としたのは最近話題になっているからつけたいい加減な命名ではなかろうか。

この新入社員は、何型と発表し始めたのは現代コミニュケーションセンター所長の坂川さんという人が30年ほど前から始めていたが若者が多様化し、一言ではまとめられなくなった。と2002年に止めたのに、あとを生産性本部なるお堅い団体が引き受け続けているものである。

発表したのは3月末だから、まだ入って来もしない若者に、今年の君たちは「○○型」だと命名する生産性本部の馬鹿さ加減。エイプリルフールを気取ってんじゃないよ、と言ってやりな。

先日の夜、懐かしのメロディ「昭和の歌」なんてのをやっていたが、どの歌も歌詞なしで付いて行けるのが楽しく、その歌はこんな時のことだったと思い出がよみがえる。しかし、この歌も30年代以降のものばかりになった。

一方で、各地にある昭和の展示室などでは、これがなつかしの昭和です。というコーナーには決まって30年代の品物が飾ってある。いまの人にはそれ以前のものを見せても実感が湧かないかも知れないのでそんな展示方法になっているのだろうが、一部分だけを強調して見せてこれがそれですと言うのは「○○型」と同じではないだろうか。

昭和をひとことで言うには、長すぎるし多様である。と同時に明治以降の現代史?に力を入れてこなかった教育からすると、昭和30年以前はいきなりちょんまげの世界だったなんて思っているのではないかと余計な心配をしてしまう。

世界的にも、現代史が試験問題に出ないからと言って手抜きしている国はめづらしく、そのため近隣の国とトラブルの原因になっているとしたら、何でもかんでもひとくくりにするのは、考え物である。

そういえば、「近頃の若いもんは、、、」もひとくくりになるんだよな、反省

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2006年4月 4日 (火)

酒なくて、、、

P1010056 酒なくて なんの 

おのれが さくらかな

桜の花の下にござを敷いて花見酒に酔いしれるのは、日本人だけらしい。(今どきござもないか)

高歌放吟。周りの迷惑も集団になれば騎虎の勢とでも言うか、やりたい放題、喧嘩、酔いつぶれそして最後は塵の山。今だにあちこちにあるようでテレビで放送していた。

こんな風景が嫌でなるべく近寄らないように花見見物の場所を選定して出かけているが、桜の名所ともなると人が押し寄せ、「立ち止まらないでください」なんて無粋なハンドマイクに追い立てられて動くそうだから、これまた避けなくてはならない。

有名でなくていい枝振りの見事な木、これでもかというほどの花をつけた桜の下で、心行くまでゆっくりと眺めていたい。

仰向けに寝転んで花を見上げる、薄い灰色がかった花びらの間から真っ青な空がチラッと見える、身体が浮き上がっていくような浮揚感が一瞬する。これが法悦というものかも知れない。

西行法師が、”願わくば 花のもとにて 春死なん、、、”と歌ったそうだがこんな状況を読んだのではないかと想像した。

酒は、結構強かったと自分でも思っていたが、最近では”花より団子”派になったようで、美味いもの探しに目がない。

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2006年4月 3日 (月)

静岡富士見めぐり

P1010050_1 今日は、朝からうらうらとした温かい陽気になった。

昨夜の雨が霞を溶かして流したらしく、すっきりとした富士をテレビ画面に見て、急に梶原山山頂へ行くことを思い立ち8時前に家   をでた。(梶原山から見た市街地)

梶原山山頂に登ると久し振りと言った感じの、くっきりとした斜面を持つ富士が雲ひとつない青空をバックに姿を現していた。山頂の枝垂桜は昨夜の嵐のせいか、ほとんど花を吹き散らし新芽が目立つ存在になっている。

市街地や遠く伊豆半島もいつもの影絵状の衣を脱いで素肌を見せている。市街地を隔てた日本平を見ているうちに「そうだ、あそこも桜が綺麗なはず。あそこからの富士もいいから行ってみようか」ということになり、通勤の邪魔をしながら日本平に向かう。

ここも、かなり花びらが舞い散っているものの、道の両側は花街道。

P1010063 山頂からの富士、清水側の茶畑からの富士、桜の花 菜の花越しの富士を見せた後、ついでに、三保の松原にもと足を伸ばした。(今どき珍しい菜の花越しの富士)

穏やかな陽気につつまれて、波打ち際を散歩し松原の落ち葉を踏んでの帰り道。ゆったりと時を過ごして海岸沿いに帰宅したら、早いものでお昼になっていた。

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2006年4月 2日 (日)

近くばよっては目にも見よ

P1010034 きょうは鎌倉。しばらく行っていないので、客人と「どんなんして行く?」と相談していたが、やはり、鎌倉時代の武士ではないが「近くば寄っては目にも見よ」というから出かけて、最近の鎌倉を目にしょうとて、雨に降られるのを覚悟しながら出かけることにした。

街中の様子をよく知らないのと、たまには気兼ね無しにアルコールをいれての物見遊山をしたくて電車。

まったくの下調べもしない行き当たりばったりの旅も好いなんて気取って出かけてみたが、鎌倉までこんなに時間がかかるものとは知らなんだ。

西湘バイパスを使って仕事に行ったときは、もっと近いと思っていたのに、、、、、乗り換え乗換えで3時間余もかけ、着いたときはすでに昼時。「腹が減ってはいくさは出来ぬ」とばかりに、最初にしたのが食事であった。

食事の後、とりあえずは若宮大路のひとつ裏の商店街を人ごみかき分けて向かう。ようやくたどり着いた八幡宮は舞台の改修とかで大きなシートがかかって景色が台無し。

気を取り直して参道を進み門に向かう、左手に公暁が隠れて実朝を討ったという公孫樹の巨木があったが、本当にそんなことが出来たのか、疑問を感じながら参拝してきた。二拍二礼を知らない若者がかなりいて、両手を合わせていたが、「はて?八幡大菩薩というからには、間違いはどちらなんだろう、、、まぁ そんなことどっちでもいいか」と言いながらの帰途となった。

P1010049 つづいて、長谷の大仏。小雨振り出す中日本人以外の観光客の多さにびっくりする、どうしてここがそんなに多いのか?大仏さんは頭をたれて返事せづ。考案。

雨脚も次第に多くなり、他の寺はこの次と言うことで藤沢に向かう。

以後、沼津過ぎまで雷を伴った豪雨が続き追い立てられるように帰宅する。

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2006年4月 1日 (土)

かすみかくもか

P1010028 身延山のしだれ桜を見に行ってきた。

これで何回目になるか、昨夜来の客と共に向かったが、先日の偵察で上の駐車場までは上がれないということが分かっていたため、本堂と同じレベルながら離れた墓地の駐車場にいれた。

駐車場はすでに満杯、整理の人に聞くとカーナビに指示されて入ってくる人が多いとのこと、困ったもんだ。

さくらは、最近の低温のせいか、満開のなかにまだ”つぼみかたし”なども点在し今年の春は長いようだ。

境内のには、かなりのひとがいて、霞みか雲かに混じって砂埃も僅かに舞っていて騒々しいのだが、自分もその騒々しさに輪をかけている一人なのだ。

一渡り、あちこちを回った後、ロープウエイで山頂に向かったがこれが1時間待ち、放送では普段30分おきに動かしているゴンドラを今日は7分間隔と「いつもより多めに回しています」というのになかなか順番が来ない。

ようやく、山頂に着いたが肝心の富士山と南アルプスは霞のかなたに沈み、かろうじて分かる程度、吹く風も冷たく早々に降る。

昼御飯は、少し遅くなったものの身延町最北端のクラフトパークの芝生で済ませ、「南部の湯」に浸かって帰る。

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