ジグザク紀行
松風騒ぐ丘の上
古城よ ひとりなに思う
時は戦国時代。武田方に取られた高天神城を取り返すべく、徳川方は周りにいくつかの城を作って足がかりとした。
徳川方としては、衰えたとはいえ、武田の強さは身にしみているので、短兵急に攻めるわけには行かない。それで、包囲作戦を取ることにし、遠州横須賀にも低いながら要所と見て城をかまえた。
当時は名前の通り城のすぐ傍まで海が入り江状に入り港を作っていただろうし、海側から浜松に兵を進めるのを妨げるのが目的であったようだ。
行って見ると、綺麗に整備され大手門の周りに詰まれた丸い川原石はちょっと他所では見たことがない異色な景観をみせていた。
実際に闘いの場になったことはないらしいが、鎧をつけた武者があわただしく往来した時期もあったであろう。ここに大手門 天守閣 御殿などが再建されたら、また、違った趣を見せるだろうが、変に美化されるくらいならないほうがいい。
普段はどうなのか知らないが、少し離れた街中は祭りの屋台と人出でこんざつしている、その喧騒からはなれて静かなたたずまいはまた格別な思いがする。
本日ここに行ったのは、昨日にひきつづいてのよい天気。
しかし、風は納まったが相変わらずの黄砂で近くの景色まで霞んで見える。
報道によると今日の静岡は西部の方が賑やかだと言うので、裏のバイパスを使って西に向かった。金谷では茶祭りとかで朝早くから、茜だすきのおねーさんがいたが、自分よりどう見ても片手以上年上のご婦人(どこも高齢化社会だ)を見たので駐車場から敬遠し、牧の原台地にを回って今は掛川市になった、遠州横須賀の祭りを見ようと行き先を変更した。
途中、毎年のようにわらび ぜんまい うどなどを採る場所の近くに差し掛かったので方向変換して、レジ袋2杯分を採取する。
ここで時間を食ったのが悪かったらしく、横須賀に着いたものの駐車場がなく、城見物だけのジグザグ紀行となった。
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