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2006年5月31日 (水)

心の評価

P1010057 5月も末になってよい天気が続いてきた。

本日は麻機山周辺を登ってみた。標高にして100m前後の山の尾根近くになるが、この辺はお茶摘み騒動も一段落したようで農家の車も少なくなっている。(写真は定家カズラ)

農道脇には、定家カズラや吸いカズラの白い花が石垣や木に絡まって咲いている。気温も30度近くになりすっかり夏気分となった。

江戸時代、人は士農工商という名の世襲身分制に縛られて、お互いの領分を自由に行き来しにくい制度があったという。

しかし、制度も中から次第に腐敗して行き、幕末には幕府の直参御家人の地位までが御家人株として、売り買いされていたし、かの有名な「新撰組」などは百姓町人を主体とした組織であり、それに頼らなければ京都の警備が出来ないくらいに武士道もすたれ弱体化してしまっていた。

いま、北朝鮮でも「成分」という名の身分制があり、独裁者に対する忠誠心は勿論、親子代々に渡って革命という名の下に協力した度合いが、食糧の配給や出世に大きくかかわってくるらしい。

成分という名称からして、自分の受ける印象は国民を人間扱いをしていないなぁ、と感じてしまうのだが、、、。

この忠誠心というものをどんな尺度で測っているのだろうか。テレビで見たように両手に旗を持ってさも嬉しそうに歓声を上げながら打ち振ることなのだろうか。耳に心地よく響く、歯の浮くようなおべんちゃらを述べることだろうか。

とにかく黙っていたのでは、査定する人には分からない。当然大げさな身振りや態度、口の聞きようが重大な要素になり、「あしたのおまんま」にも係わってくるとしたら、これに精力を注ぎ込まざるを得ない。

いま、日本でもいくつかの学校の通知表に愛国心が評価の対象になっているという。

前にも書いたように、人はその住む土地に対して、なんらかの誇りや愛する心を持っている、愛するということはこちらが自発的に行なう無償の行為であるはづのものである。

しかし、国が言う場合はともするとというより、ほとんどが現政府に対する忠誠心であり、現在 国の中枢にいる人を護れということにあり、先の大戦で叫ばれたのもそのことではなかったか

「愛国心」をどうやって評価するのだろうか。やはり、大げさな身振り、表情、おべんちゃらになるのだろうか。査定する人はホントに心の中を見抜き、評価できるのかな?

昭和20年8月15日を境に、民衆は戦時中の愛国心という言葉に嫌悪感を持った。本来の愛国心とは強制されるものものではない、大切な言葉であり誰でもが持っているはずなのに、それがいまだに抵抗感がある所以だろう。

自分はこの年になるまで、顔つきや態度 口調と心が全然違う人を沢山見て知っている。

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2006年5月30日 (火)

他愛のない自慢

P1010024_1 小学校のころ太陽を直接見たことが何度かある。真昼間の中天にある太陽は青い空に、細い輪郭しかなかったように思う。

20歳前後からだったと思うが、ビール瓶のの口金を歯で外したことが何度もある。斗酒とは行かなかったが、一升酒なお辞さずの時期もかなり長い間あった。

仕事柄、男しかいない社会は、酒自慢、力自慢に始まって風呂の熱さ自慢や食べ物に唐辛子を入れた辛さ自慢に至るまで他愛のない自慢や我慢ができる者が威張っていた。

これも、一種のマッチョだったか、鎌倉時代末期から室町時代にかけて流行した婆沙羅や江戸時代に入ってからの男伊達に通じるものがあるのか。そういえば、「たけのこ族」や「やまんば(山姥)」も同様なのかもしれない。

世の中平和になると、時流に乗りはぐれた人々が、その憂さ晴らしから奇抜な服装、行動に出る。そして、一過性のそれはいつのまにか跡形もなく消え去っていく。

自分たちも同じように仕事している間だけの自慢だったらしく、素浪人になるとからっきし意気地なしになる。

目は乱視が入って遠くのものが二重になり、歯は歯周病でガタガタになり固いせんべいは、用心をしながら口にしなければならない。

勿論、腕力は衰え鉄棒も逆上がりがやっとの状態。一番哀れなのは、酒の量が極端に落ちたことだろう。飲めなくなったのではない、飲みたいと思わなくなったのだ。

先日の健康診断では、最盛期に比べて身長が3センチも縮んでいた。

いよいよ、人生最後の支度にかかってしまったのか、いつもの散歩道の途中にある東屋(あづまや)のまわりに今日は中学生が、5~6人単位に分かれてきていた。

聞けば、「そうごう学習」だとのことで、あちこちを探検するのだそうだがどの組も何てことなしに群がっているだけ、「先生はどこにいるの?」と聞けば「さっきあそこにいた」というだけ。

この子達を見ていて、思わず50年前の自分にかさねてみた。50年前、この子らにすれば大昔のことになるんだろうな。想像外の世界なんだろうなと思い、昼の飯時間が迫ってきたのでその場を離れた。

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2006年5月29日 (月)

人の命は、、、

P1010041_1  昨日は午後から、今日は朝から曇り空ながら天気が良い。

静岡の田んぼにも、農業用水が引き入れられ、耕運機がバシャバシャとかき回し土を砕き均している。あれほど用心深いアマサギまでが黄色い頭を振りたててその後をついていく。

水面を走る風は、心地よくしばらく立ち止まって耕運機とその後ろにつきしたがっているサギやその間をチョコマカと走るセキレイなどを眺めていた。来週あたりには一面の早苗田になり、蛙が合唱し卵がおたまじゃくしになり、営々とした営みが今年も繰り返されることだろう。

それにしても、機械化されたためというか、若い人が田に入らなくなったというか。昔のように一家総出の農作業は大分前から見られなくなり、農村地帯の小学校さえ田植えは体験学習として学校田に入るだけとなった。

きのうも、運転を誤って畦に転げ込んでいる軽トラックを見たが、引き上げようと集まった周りの田にいた人は全ておじいさんおばあさんばかりで、手をこまねいていた。

五月15日、両足を失ったニュージランドの登山家が世界最高峰のチョモランマに登った際、酸素不足で倒れている人を見ながら登山を続けたことが話題になっていたが、その翌々日に日本人で70歳の人が最高齢登山を成功させたという記事があったり、他にもシェルパーが駄目だと診断し見捨てた人が、生還していたなど、旧名エベレストに関する話題が多い。

これらの記事からも、いま、世界最高峰は人、人、人であふれ返っているようで、17日は54人も登ったという。これでは、自分たちのすぐ傍にある竜爪山を人だかりの山といっていたが、それ以上の氾濫である。

よく人の命は地球より重いなんていう人がいるが、こんな光景を見たらどういうのだろうか。日本の場合は、山で遭難したとでもいうとヘリコプターをとばし、地元消防団や仲間が捜索に救助にと向かうが、世界では自己責任ということになり、瀕死の登山者の脇をよそ目も振らずぞろぞろと登っていくのだろうか。

そういえば、イラクでは連日のように人の命が無視され、昨日のインドネシア地震では、先のマレーシア地震の教訓は届いていないようだ。

我が家も、立ててから約40年。老朽化していて、主人以上にガタが来ているようだがなかなか地震対策は立てられない。

「東海地震は何時来ても不思議でない」と言われて30年、自分の命は地球よりはずっ~と軽いことを自覚しているので、東南アジアの人々はよそ事ではないと肝に銘じているが、自己責任論から言えば怪我をして苦しんでいるとき、傍をぞろぞろと無視して歩いて欲しくないと思っている。

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2006年5月28日 (日)

秋津島

P1010047 昨夜からの雨も午前中で上がり日が差してきた。(写真は今年始めて見た猩猩蜻蛉 麻機遊水地で)

途端に雨のためか、吹き込んでくる風のためかは分からないが、P1010022_1 湿気が強くなって、むし暑くなった。(写真はシオカラ蜻蛉の日向ぼこ)

そのため、いつもは午前中にする散歩を3時半過ぎまで延ばし、散歩コースもついでに変更して、流通センター北側の遊水地に向かった。

こちらは今年工事が行なわれていないため、草ぼうぼうになり、少々荒れ気味であるが虫や鳥 魚にとってはそのほうが良いらしく、ヨシキリがあちこちで大声のおしゃべりをし、蜻蛉も糸蜻蛉 シオカラ蜻蛉 猩猩蜻蛉らが飛び回っていた。

さすがに、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)といわれるだけもことがあると感心した。

日本では、古代国の名前にトンボを入れたぐらいだから、トンボの印象は良いのだが、西欧では不吉な虫に入れているそうだ。

さて、「日本は単一民族の国だから、、、」なんていう人をときどき見受ける。たしかに、同じ言葉を喋り文字を書き、文法も他の国と違うということから、西欧や中国インドネシアを初め多民族国家といわれる国から見るとそんな感じはする。

しかし、古代日本には南方系(?)の縄文人がいて、その後大陸系(?)の弥生人が入ってきたほか、アイヌの人を初め北方系の人が沢山いたようだ。

さらに、大和朝廷が出来てから、百済人がはいり、現在の日本人はガラガラポンを繰り返して今に至っている。まあ、上品に言えば混血であり、ざっくばらんに言えばモンゴル系を主体とした雑種である。

この雑種が、同じ言葉を手に入れたのはごく最近になってからで、たかだか120年ほど前のことだった。明治維新の後、国語を統一しようとしてからのことだから、そんなにたいしたものではない。江戸時代までは、通訳が要るくらい各地バラバラな方言で生活していたことはあまり知られていない。

すこしでも、髪の色、肌の色が違うだけで外人といって敬遠しているが、少子高齢化していく日本は、今後多民族国家にならざるを得ないのではないだろうか。

でも、「外人さん」と言って話しかけもようしない人は、わしら年代から上の高齢者だけなのだろうか。若い人はせっかくの黒髪を茶髪にし、ガングロ化粧で外人を真似ているのだから、あまり、敬遠しないと思うのだが「エツ、カッコだけなの、、」

「紫色に髪を染めている年よりはどうなんだって?」「あれはね、ここだけの話しだけど、黄泉のの国か地球外生物に憧れているんだから気ィつけなよ、だってあんな毛色の人間はいないよ」

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2006年5月27日 (土)

御法度

韓国に行ったことがないのにこんなことを書くのはなんなんだが、ウオーカーヒルというところに外国人専用のカジノがあるそうだ。

ウオーカーヒルなんて名前が韓国にあるのは、朝鮮戦争があったとき、ここで、アメリカのウオーカーという将軍が戦死した場所と記憶している。しかし、インターネットをみてもそんな記事は見当たらないくらい忘れ去られている。

その後、1967年というから、もう40年も前から外貨獲得のため、韓国は、その場所にカジノ(博打場、娯楽場)を造ったほか、同様な施設をあちこちに幾つか造ったらしいが、地上でのどんちゃん騒ぎ、乱痴気騒ぎに、ウオーカー将軍も「何のため命をかけて闘ったのか」と地下で地団駄を踏んでいるに違いない。

もし、日本にもこんな施設が傍にあったら「嫌だなあ~」と自分は思う。

その国の民が入れない施設が繁華街にデンとあるのは、どう考えても植民地みたいな気がしないかい。何処の国へ行ってもその国の人が入れない免税店はある、しかし、その国の人が入れない娯楽施設はあまり聞いたことがない。

韓国のカジノの最大のお客さんは日本人だとのこと。ざっとした計算でも、年間500億円の利益になるらしい。

博打とは、日本の競輪 競馬 競艇など見ても分かるように、お客さんさえ入れば胴元が儲かる仕組みになっている。

韓国も同様、ここに来る外国人、といっても日本人が大半であるが、「ねぎを背負った鴨」に見え、よだれを流して歓迎していることと思う。

これをみて、東京都知事を始めいくつかの県知事がカジノを開きたいとの要望しているそうだ。他国にまで行って落としてくる金を、空港に行く前に回収しておきたいということだろうが、競輪 競艇 サッカーくじと不振にあえいでいる中、はたして当たるのだろうか。

そして、日本での博打は江戸の昔から違法行為である。しかし、江戸時代は代官や町役人のお目こぼしで祭りの時など、特別な時にガス抜きを兼ねて慰み程度の範囲でやってきたものだが、公には御法度であった。

しかるに現在では「ただし」という抜け道を作っていくつかの博打を国が胴元になって許可し寺銭をかせいでいるのだが、それでは足りず、ほかに目新しいものがないかと探している。

「水戸黄門様、葵の御紋をどこで、どんなんして出しますか。」

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2006年5月26日 (金)

オイルショック!

P1010037 暦を見ていたら今日は「紅花栄う」と書いてあった。(写真は黄花コスモスと紋黄蝶、蜜吸いか保護色か)

はて、なんのことと思って調べてみると、旧暦卯月8日。72候のひとつだという。72項にはこのほか「みみず出る」とか「筍生ず」「麦秋至る」なんてものがあり、24節季の漢文調と違うなと思ったら、江戸時代になって日本の気候風土に合わせた方式に当てはめ、さらにひらがな入りにし俳句の季語などでも使用しているので、知らぬは無風流人である証拠のようだ。

さしずめ今なら、外来語をカタカナ文字に変換し、さらに、元の国では通じない使い方で通用させる日本文化のそのものなのかなと思ったが、こういう変換は心地よいものと感じるのはなぜだろうか。

さて昨日「テイッシュペーパー 25%値上げ」という見出しの記事があった。いろいろと事情もあったようだが、石油の値上がりもそのうちのひとつだという。

そして、その話はたいした話題になっていないようだが、石油にまつわる話しはそれなりに出てきているようだ。

たとえばいわしが一匹1150円になって高級魚(取れないこともあるが燃料代が高くて漁場に行けないという理由もある)の仲間になったとか、発泡スチロールが値上がりしたため、中身が少なくなったとかは聞く、しかし、日本がそれなりに情報化社会になったということなのか、たかが紙のことと見過ごしたのかパニック状態になったとは聞いていない。

いまから33年前、イスラエルとエジプトの間で始まった中東戦争を機に産油国が石油の輸出規制をし、そのために起きたオイルショックの時は、狂乱物価といわれた騒動が日本で起こりトイレットペーパーや合成洗剤をめぐって争奪戦が行なわれたことがあった。

後ほど、なんの根拠もない口コミによる品不足の予測から出たものとなったが、いろんな商品に群がる買い物客の映像は今でも憶えている。

その当時の我が家は、まだ従来のポットン便所だったので他人事と眺めていたが、石油の値上がりによる危機はその後何度かあり、生活が便利になるのに比例して影響は深刻になってきた。

自家用車を使うようになり、薪ストーブから石油ストーブになり、水洗便所になったりして、、、、、

むかし、モノカラーの外国映画で女優がテレビを見ながら傍らの箱から白い布のような紙を次から次と引っ張り出して、涙をぬぐい鼻をかんでいるのを見て、「もったいないなあ~」と思ったのと、外国にはなんと不思議なものがあるんだと感心したころは、いまになって思うと石油危機のない時代だったんだよな。

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2006年5月25日 (木)

武田流築城の丸子城

P1010034 丸子城に朝早く登った。

国道1号、安倍川の西3kmの所にあるこの城跡は、朝になると通勤渋滞を起こすため、それが始まる前に行こうと思い城のからめ手になる誓願寺の駐車場に7時少し過ぎに車を入れた。(写真左 城から見下ろした国道1号)

山門に近い駐車場は人影もなく、昨夜降った雨で、空気は涼しいくらいに冷えて気持ちよかった。

この城は、室町時代に今川氏により作れたが、その後甲斐の国から侵略してきた武田氏によりいまの形に改造され、徳川時代初めに廃城になってものであるが、武田流築城の面影を色濃く残しているとのことだった。

道は、工場の裏の私有地みたいな所に細く伸びていた、看板が無ければチョット入りにくい場所である。山すそについてからはきちんと整備されているが、およそ史跡に通じる道とはいえない。

コンクリート偽木で作った階段状の道の両側に、花ミョウガが赤いつぼみを無数につけて咲き出しを待っている。5分ほど直登すると矢竹の茂った尾根に到着。

ここから先いくつもの出曲輪といわれる階段状の防御施設跡を抜けたあと、標高136mの頂上に着く。

頂上は平に均され今川本丸跡といわれる広場とそれに連なる、三つの曲輪跡がぐるっと羽を広げたように東海道を見下ろすように配置されている。

そして、その斜面は急峻で、立ち木を切り払えば攻め上るのは至難のことであるのを思わせ、まことに地勢を利用した縄張りを持つ名城であることがわかる。

降りは、大手曲輪の方にまわって稲荷神社に降ってきたが、もう少し左側の「匠の宿」の付近に丸子館があって、城主らはふだんそこで生活していたことがうかがわれる。

P1010038_1 駐車場へは、そのまま山すその歩道を回りかえってきたが、せっかくここまできたので誓願寺の中庭にある「モリアオガエル」の卵を見せてもらってきた。

卵の入った泡袋はかなり熟しているようで、少し茶色をおびた泡の仲に白い卵を見せていたし、別の池には泡と小さなおたまじゃくしが浮いていたので、多分モリアオガエルの子どもとお見受けし写真にとって帰ってきた。

ぐるっとまわって、家に帰ってきたが時計はまだ九時半だった。

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2006年5月24日 (水)

天気にあわせダラダラと

P1010025 さすがにこの時期は雨が降りさえしなければ暑く感じるようになり、半そで姿で心地よい季節になった。

いつもの散歩道 麻機沼周辺も、水鳥とウグイスが姿を消し、変わってオオヨシキリが葦の間でグチュグチュジュルルと文句を言い、それに相槌をうつように食用蛙が間延びした声でブ~ゥ ブ~ゥと応えている。

代掻きのため、田んぼにも少しづつ水が入り始め、耕耘機に乗せる早苗が新緑のパッチ模様を他の片隅に広げ、田植えも近くなったことが分かる。

年々歳々花相似たり、とはいうもののきちんと義理堅く季節の彩りを次から次と繰り広げてくれる自然に感謝しつつ(ほんとかいな)、、、、。

天気は、高曇り、湿度が高くぼんやりと眠気を誘うような気候に合わせたのか、なにもする気もせずダラダラと過ごした一日であった。

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2006年5月23日 (火)

それは先生~

P1010072 ず~っと昔、自分は「インへ」と呼ばれていた時期があった。

正確にはスペイン語で inheniero(インへニェロ)であり、日本語に訳せば技師である。(背景にアンデスをおき、中央が自分の若かりしころ)

日本では一介のボーリングマンであり、せいぜいのところで技術者どまりであっただけに、インへの意味をはじめて知ったときには尻がむずがゆかったのを憶えている。

しかし、それもすぐに慣れてしまい、インへが当然の呼びかけであり、それ以外の呼びかけには反応しなくなった。今から考えると傲慢であり若気の至りであった。

人は、その環境が心地いいと判断すると、風呂のように全身を暖かい環境に浸らせて、出て行きにくいように出来ている。たとえ、無意味な言葉尻であっても、、、

今朝の新聞の時評にあった”「先生」と呼び合う先生たち”という題のコラムのなかに、学校や医者などでは学校を出たばかりの新任教員や新任医師を校長やベテラン医師が「先生」と呼ぶのは、プロとしての誇りを植えつける意味があるのだろうけど、実際はみんなから「先生」と呼ばれるうちに「おごり」がより多く芽生えてしまうのではなかろうか。

先生がた、一度お互いに先生と呼び合うのを止めてみませんか。そうすれば、先生がたの業界も一般社会にもっと近づくことができるし、、、とあった。

そういえば、先生と呼び合う社会は一般人というか大多数の国民より上に立っていると感覚が強いらしく、国会 県市町村議員をはじめ弁護士や会計士なども同様、特殊な社会を形成し、特権に浸り、心地よい風呂から出るのは嫌がる。あらゆる特権階級がそうであるように、中から壊すのは至難の業であろう。

若くて人格形成も出来ていない時期から「先生 先生」と周りから気を使われ、おだてられ、チヤホヤされても驕りのない人は余程の人格者であるに違いない。(自分も若い先生をさん付けだけで呼んだら、嫌な顔をされた経験がある)

今日も近くの市の学校の先生が、教え子に対する淫行で逮捕されていた。周りの人物評はいつもどおり良かったが、自分の成果品に手をつけるようじゃ「本当にそんな良い先生なのかいな?」といわざるを得ない。そして、最近こんな事件をよく聞くようになった。

「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という古川柳があるのをご存知だろうか?

こんな歌もあったけな「せんせい せんせい それは先生~」って、言われて調子に乗るんじゃね~よ

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2006年5月22日 (月)

達人

剣道の達人と言われる人の話に、「剣道はスポーツではない。勝ち負けを競ったり敵を倒すのが目的ではない、人間形成の道である」というのがあった。

その昔、剣術、柔術、槍術などといったころは、どうしたら相手を倒して生き残れるかが目的の鍛錬だったから、卑怯とか未練とかは関係ない、転んだ拍子につかんだ砂利を投げつけて目くらましをしたり、噛み付いてでも勝つ!、は生きるためには当然のことだった。

その後、世の中が平和になり儒教の影響を受けて「道」が付くようになると、礼儀だ、作法だとルールが作られてスポーツになったのかと思っていたら、「人間形成の道」だときた。

そのためか、横綱朝青龍や野球の新庄のちょっとした仕草が気になるお爺さんがでてくる。そして、「そうなんだろうな」と思うのは、剣道や柔道の全国大会では、五段とか六段の人が優勝してもそれより上の高段者が出てくることはまずない。

つまり、相手を倒すと言うことは人間形成が出来ていない人の争いだと言うことらしい。

自分も、高校生だったころ、授業の一環として柔道も剣道もやらされた、最低限のルールはあったが、およそ道などは何処を探しても見つからないものだった。

自分の過去を振り返ってみた場合「人には厳しく自分には甘い」「嫌なことからはなるべく逃げよ。三日たてば何とかなる」式のものが多く、自分に都合よく物事を解釈し、逃げの姿勢が強かったようだ。

道を極めた人は、肩を下げ姿勢を正すと横隔膜が下がり肛門がしまる。そうすると丹田に力が入って心身に気が満ち、充実感が全身に行きわたる。ということになるらしい。

そうなると、道を極められない凡人は心身薄弱、充実感が一生ないことになるが、なんとか大きな病気もせず人並み以上に健康で生きてこられた。

これって、先祖の賜物だと思っていたが、ひょっとして、嫌の事を遠ざけ、物事を優柔不断に先延ばしにしたことが良かったのか。となると自分はいままで生きる達人だったのかな。

先のことは分からないけど、とにかく、生きる達人は ”ケ セラ”(なるようになる)と過ごしていくことにあり。

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2006年5月21日 (日)

花なき山の人の顔(真富士山)

P1010005_1 昨日の天気予報は、「21日は全国的に大陸系高気圧につつまれ、すっきりとした晴れになるでしょう」とのことだった。(写真左 山頂展望地から見た竜爪山)

騙されても騙されても、権威に弱いおじいさんは山行きの構想を練った。最終的には、愛鷹山系の越前岳の愛鷹つつじか真富士山のイワカガミの花に搾られ、人で一杯予想される越前岳より真富士山と決めた。

真富士山は安倍川筋の平野からは3度登っているので、今度は少し手前の俵峰からにした。

朝8時、空は予想に反して雲が多くなる。俵峰水月院の駐車場を借り、お茶刈り真最中の茶畑の間からスタートする。いつもの通りくらい杉林の中を曲がりくねって引落峠に45分かけて到着。

この峠、名前の出所は分からないが、裏側の斜面が地滑りを起こし、大きな杉の木が何十本も引き倒されていた、このせいだとすればよくも言い切ったりである。

P1010001 ここから、道は滑りやすい土砂に付けられ、所々ロープを張った横道になり20分で大滝に着く。大滝は山の中にあって垂直に落ちる滝でなく、岩肌を滑り落ちるほうである。水量はあまり多くないものの、清涼感あふれた滝であった。

それから、道は急勾配になり、伐採後まで続いた後、再び横巻きになるがここからが長かった。横巻きを約30分、いい加減いやになった所で再び急峻をジグザグと登りさらに横巻きを繰り返して、平野側と合流する峠に到着した。

ここまでくれば、あとわずか、何度か来てとっくに承知の道を5分で頂上(1,343m)に到達。時刻は11時20分、3時間20分もかかった、この程度の山にしては奮闘のしすぎ。

先客は一組いたので、少し挨拶を兼ねて話をしたところ、先客は昨年4時間かかりくだりを3時間といっていたので、帰りを思い少しうんざりとする。

ともあれ、食事、東側に開けた斜面は、下に清水の興津川上流、建設中の第二東名と、その先に清水港と竜爪山までが低い曇り空のした、かすかに見えるだけ、左側には高ドッキョから篠ノ井山か、富士山やその周りの山は雲の中に沈んで見えない。

目的の花、エンレイソウは時期が遅くて実をつけており、ツツジの類も花びらを地面に落とし、僅かしか見えない、肝心のイワカガミは疲れが強くてこの先へ行くのを脚が拒否している。花は虻蜂取らずの状態。

そうするうちにも、何組もの登山客が集まり、目的の花をほとんど見ない状態の中で人ばかり。「鳥なき里のこうもり」をもじって「花なき山の人の顔」

12時、帰りは鳥居の壊れた真富士神社に詣でて、元来た道をたどる。

俵峰には、2時30分と登りとあまり変わらない時間がかかる山登りであった。

注:どれだけ合わせても地図にある道と実際は違う。

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2006年5月20日 (土)

霜降り

メキシコから乗った帰りの飛行機(日航)で肉が出た。

チャチなナイフで切るといとも簡単に分けられる。「肉ってこんなんだったな~」と改めて感じたのは、少しの間固い肉ばかり食べされた後のせいだったが、遠い昔の話。

自分がはじめて食べた肉の記憶は、遠い南氷洋で捕鯨オリンピックとかいって、ニユース映画で母船式船団が白長須鯨を勇ましく取っている場面を映し出しているころであった。

獣は四つ足だといって、自分がとってきた山兎には目もくれず、食べなかった母親も、鯨は魚だといって月に一度買って来た。

白い筋だらけの肉は、噛んでも噛んでも噛み切れないしろものだった。が、それでもうまかった。

牛や豚はその後、随分経ってからでないと口に入らなかったが、いつの頃か覚えていない。その少し前後するが、度胸試しに犬や猫も闇汁に入っていたことがる。

闇汁とは、若い者がそれぞれに持ち寄った食べ物を、暗がりの鍋に放り込み、後で持ってきたものを明かす食事会?親睦会?度胸試し?のこと。

そのほか、ペルーではクイといってネズミかモルモットの親玉みたいなものもご馳走になったし、山羊や羊の独特の臭いのする肉も経験した。

そしていま、飽食の国日本では、脂身の強いマグロのトロを世界からかき集め。肉も、単なる牛や豚では飽き足りなくなって、ブランド物の霜降り肉に執念を燃やし、輸出国アメリカやオーストラリヤなどでも日本人向けに脂身の強い牛を育てているようだ。

霜降り肉は、神戸、松坂に始まって但馬、近江、飛騨、山形など全国に地名の付いた肉が出回っているようだが、この肉を作るについては、良い種牛を元に良い飼料管理で肥育された家畜でないと出来ないらしい。

そして良い飼料とは、牛本来の食べ物の牧草ではなく、とうもろこしなどを主体にした穀物のことであり、肉を1キロ作るのに8キロの穀物が必要であり、さらにその肉質を霜降りにするためにはもっと食べさせ、動物の筋肉細胞の表面に脂肪を付着させなければならないと、テレビで言っていた。

「これは、恐ろしいことですよ。食糧不足が深刻な国を尻目に、食の収奪を、、」と言い「歯ごたえの少ない食べ物は、あごの発達を衰えさせ、やがて民族の衰亡に至ると、、、」というらしいが、そうなる前に食べすぎで内臓脂肪が付きすぎたおじいさんは、霜降り以前に自滅しそう。

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2006年5月19日 (金)

どろどろ ぐちゃぐちゃ

P1010019 毎日天気のこと書くと書くことが無くなってしまうほど安定した曇り雨空が続く。

日本では普通、曇り空や雨降りを安定したとは書かないものだが、やはり、お国が違えば天気も違うようで、昔行ったペルーなどでは雨季と乾季がはっきり分かれていて、といってもこのどっちしかないようだった。

きょうも、台風1号の影響とかですっきりとしない。もっとも、大降りされると裏の川の水位が上がってにごった水が道路に上がり、縁の下を覗きそうになるので「タンマ タンマ」と言わなければならない。

街中の川は、地上がアスフアルトやコンクリートで地面に浸透しにくくなっているので、その影響はすぐに反応してしまう。

少し前(5/9)新聞にカードを盗んだ男が警察やカード会社を装って、盗まれた人に電話し本人確認と称して暗証番号を聞きだし、引き出すと言う事件を起こしたとして逮捕されたことが報じられていた。そして、その額は余罪を含めて1億円にもなろうかと予想されている。

問題は、この事件の容疑者が匿名であること。

個人情報保護法に上乗せした、「犯罪被害者等基本計画」によって、警察が実名発表を判断できるようにしたせいである。

以前は、逮捕されるとその後に前科何犯まで書かれ、いかにも容疑者が弁解の余地のない悪い人かを印象付けたが、次第に事件にかかわりのないことは伏せられるようになり、昨年12月から警察の判断が全てになってしまった。

こそ泥や無銭飲食が実名で、1億円の詐欺や窃盗がどうして匿名になるのか、その判断が一部の人が決めると言うのは誰が見てもおかしいはず。

このことは雨季乾季のはっきりした外国型はなじみにくく、空模様を反映した人情同様、どろどろぐちゃぐちゃで始末するのが日本流なのだろうか。

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2006年5月18日 (木)

五月乱れ(さみだれ)

P1010018 ”走り梅雨”だとか、庭の”番茉莉”(バンマツリ)も雨に打たれて青紫の花を艶っぽく咲かせている。

こんな日は、香りが余計に匂うのだと、テレビの中で言っていてが、その通りで厚化粧のエレベーター美人といった雰囲気がある。(失礼)

今年の5月は、この調子で行くと、例のごとく何処からかおっさんが現れて、何十年ぶりの異常気象です。とのたまうに違いない。そのくらい晴れた日が少なく「五月晴れ」はどこかへ行ってしまった。

5月は、他の月に比べて頭に月の名前をつける言葉が多い。

メーデーは外来語であるが、5日は五月人形。五月蝿(うるさい)は大きいカナブンみたいな蝿が「臭いトーさん」の周りをなんども飛び交うこと、追っても追ってもまつわりついて離れない、「だあれも傍に来ないのに」とぼやくしかない。

飛び交うと言えば、歌にもあるように「五月闇(さつきやみ) 蛍が飛び交い」の季節に入る。

五月闇は、湿気が多く、崩れそうな空の下、真っ暗なあぜ道をそろりそろりと踏み外さないように、蛍の出るのを箒で待ち構えた子供の頃を思いださせる言葉。

他にも、「五月雨」(さみだれ)というのもあるが、これは明らかに梅雨末期の大雨を思い浮かべるので旧暦だな。その原因はやはり芭蕉の句「さみだれを あつめてはやし もがみがわ」にあるように思う。

以上、雨に閉じ込めれた爺さんのあやしゅうこそ物思う五月乱れから。

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2006年5月17日 (水)

人口はデフレスパイラル

Pc130028 野生の動物は、人間に育てられると自然界に戻すことが非常に難しいと聞いたことがある。

さらに、運良く自然界に返せたとしても、その動物を繁殖させるのはさらに難しく、それも、高等(?)と言われるほど難しいと言う。

以前、テレビでツルだったかを育てる場面を見たが親に似せたデコイ(模型)を使って餌をはさんで渡していた、これは人間との接触を少しでも遠ざける配慮からだと説明されていた。

一方、動物園で飼われている動物の中には、子どもを産む段階までは持っていけても、親が育児放棄をして結局は係員が家に連れ帰り、寝食ともにしながら育てるのを美談のように放送している番組も見た。

動物が、子育て放棄するのは、終日監視されているストレスなどから来るものもあるが、親が子どもを見たことがなく、育て方を知らないというのが大きな原因のようだ。

小さいときに連れてこられ、周りに人間しかいないところで育った動物にしてみれば、産み育てると言うことは、経験したことのない状態であり、戸惑った挙句のことであろう。

いま、日本では平均出生率がここ2年1.29だと言い、昨年は生まれてくる子供より死亡する人のほうが多くなって、これから人口がデンデンムシノ殻のような曲線を描いて減っていくことが予想されている。

つまり、人口がデフレスパイラルの時と同じ状態になってきたことを意味し、厚生省あたりが年金維持にも何とか出生率を1.39ぐらいまで回復したいといっていたが、これでも将来の人口減は止まらないはずで、これといった特効薬を持ち合わせている様子はない。

自分たちが子供の頃は、周りは5人兄弟が普通で、何をしても5等分されることから、兄弟が疎ましく、たまに、1~2人の子供しかいない家があると、とても、うらやましかったものだ。

それが、最近では核家族化し、赤ん坊や老人と同居した経験のない人が多くなり、新所帯は動物園の動物のように何事も未経験から出発する。

子育てを見たことのない人が、子どもを作ると「大変だ」「困った」の前に何していいか分からないのがのが実情で、育児放棄をしたくなるのは容易に想像できるし、老人と同居したことない人は介護を人任せにせざるを得ない。

プロレスラー、ジャガー横田が先日ハワイ旅行を前にしたインタビューで「目的は子作りです」と言い、隣で旦那がこけていたが、みごと目的を達成し、上手くいくと有名人女性の高齢出産になるらしいが、、、、一人っ子では人口減の歯止めにはならない。

老人介護にしても、人任せが横行すれば負担がさらに大きくなり、、、、、

お先真っ暗ってカンジ~      

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2006年5月16日 (火)

鳥の囀る山 八丁段(1,562m)

P1010086 5月15日、大札山駐車場に取って返したものの、まだ10時を過ぎたばかり、この調子なら先ほど山の頂上から見た向い山、板取山を目指して見ようとて車を山犬の段に向けて走らせる。(写真左はホーキ薙の地すべり)

走らせるとは言うものの、道は舗装されていない石ころガラガラの林道。とくに蕎麦粒山のすそを巻く部分がひどい、タイヤを気遣いながらゆっくりと進めた。

約5km行った終着点に山犬の段駐車場があり、先着5台。非難小屋を掃除に来ていたシルバーセンター派遣のおじさんに「いってらっしゃい」と見送られて、散り初めた小桜のの下をくぐって八丁段に足を向ける。

くもの巣が顔にかかるところを見ると、先着組みはすべて蕎麦粒山方面にむかったらしい。例によって、また一人山歩きを楽しめそうだ。

なだらかな道を15分ほどで分かれ道、ここから傾斜が変わり山頂を目指すことになる。この山は大札山が花の山だったとすれば、鳥の囀る山というべきか。

P1010006 花はヤブデマリと銀嶺草ぐらいしか見えないが、ウグイス、駒鳥を主体にしてルリ、シジュウカラ、ヤマガラ、コノハヅクが遠く近くで入れ替わりに啼きたて姿を見せる。さらに、リスの追いかけっこまで見せて山道の舞台を盛り上げてくれ、それを楽しんでいるうちに、山頂近くの展望地に来てしまった。

八丁段の山頂(1,562m)は展望が利かないため、少し下った東側斜面でに開けた場所が作ってあり、足元の天竜川沿いと太平洋側を見下ろす休憩場である。

なだらかな山頂、はっきりとした三角点も見出せないまま、くだりに入る。まもなく”ホーキ薙”とよばれる、がけ崩れの脇を通る。

ホーキとはなんなのか、がけ崩れをどうして薙ぎというのかは不明だが、このあたり一帯は赤石山系の砂岩泥岩で出来ていて岩盤が脆弱な上、地層の傾斜で滑りやすい斜面を形成しているため、あちこちで地滑りを起こしている。

この山道も、すぐ脇に亀裂が入り近い将来の崩壊を予想させている。

15分ほどの、難所を抜け山腹周りの道と合わさってまもなく最低鞍部広川原峠(1,386m)につく、ここから、少し傾斜の急な山道を5分も登るとあとは散歩気分のゆるやかな山道にかかる。

約20分西側に大きく開けた頂上(1,513m)に到着。ここでも塩見岳小河内岳を中心に大無間山など南アルプスとその前衛が威張ってつったっている。

ここで11時半、昼の食事を取るが、汗をかいた身体には少し寒さがきつい、空は登り初めから曇って日も差していないので、20分ほどで我慢できず下山に向かう。

広川原峠傍から、山腹コースを使っての帰り道を取るが、この道意外と長くきびしい。結局は山越え以上に時間がかかると言うことは、それだけ大回りしていると言うことであり、進められない道のひとつであろう。

駐車場に戻ってみると、残された車は2台のみ、皆さん早々の退場らしい。

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2006年5月15日 (月)

名札をつけた木(大札山)

P1010016_1 昨日の夕焼けは久し振りに綺麗だった。今日の晴天は天気予報でも保障してくれたが、残念なことには午前中だけとのこと。

朝、6時半に家を出る、目的地は写真の大札山(1,374m)に狙いを定めている。山の北側に伸びる尾根の赤白ヤシオの様子が見たいためだ。

この山は、中川根町の上に群れている山の中では、あまり高いほうではないが、その奥にある”山犬の段”手前から見ると、形よく尖った端正な独立峰の感じを出している。

街中から13kmほど舗装道路を登ると、大札山登山口の駐車場がある。ここは以前に皇室関係者がここを登った時に整備した山で、今でも木の幹に大きな名前を書いた札を何枚も付けられている所がある。

話しはそれるが最近、これを真似してか、名札をつけた人を会議場で見るほか、セールスマンもつけて来てさも信用がある会社といって見せびらかすが、写真以外の肩書きは確かめようもない。

駐車場が、かなり高い所にあるせいで、頂上までは約40分で着いてしまう。

頂上はウイークデーのため人影もなく、見晴らしもよい、富士山を初め、海のほうは伊豆から浜名湖までを一望にできるが、本日は無理。変わって南アルプス塩見岳がまだ白い姿を見せていた。

目的の赤ヤシオは、最近の雨がちの天気のせいか、咲いてはいるものの、下に落ちた花もおおくあって、峠の案内板ほどの群生はみられない。昨年に比べると今ひとつ物足りない風情があった。

P1010080 白ヤシオはこれからという感じはするが、やはり、花芽は少なさそう。変わって、道から少し離れているがコイワカガミが面積的には小さいものの群生している場所があった。

北尾根を上り下りしながらつたい歩き、40分かけて林道まで下る。山は丁度木の芽時と重なり、柔らかい黄緑の葉を広げている。きっと山全体に芳香が漂っているに違いないが、その中につつまれていると感じない。もったいないことだ。

林道を1.5km、歩いて駐車場に戻ったが、まだ10時を少し過ぎたところなので、ついでとばかり山犬の段から八丁段、その先板取山を目指してみようと、舗装してない岩だらけの道を行く。続きは明日、、、、

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2006年5月14日 (日)

母のン気だね

P1010065 天気予報を見て、明日こそ久し振りにと思って寝たが、やっぱりの曇り空。(写真はガクウツギ、母の日や和みの湯とは関係ない。ただ、今を盛りに咲いているので、、)

小雨交じりの夜明けでは、山登りも断念するほかなし。

生憎と「母の日」でもあり、、、、、とはいうもののこの年になると母親を持っているのはごく僅か、自分も喪って10年になるので、祝ってやる人はいない。ので、家族慰安の日帰り温泉に切り替えた。

行く先は、少し遠かったが、袋井の「和(なごみ)の湯」にした。

行ってみると、日曜日にも拘らず、駐車場が空き、入場者も普段より少なめだという、訳はどうやら爺ッチャも婆ッチャも、お茶摘みに駆り出されて温泉どころではないらしい。

場所は、袋井の駅の裏手といってもよいところだが、開発が進んでいないため、茶畑の中の温泉といった感じで、泉質は弱アルカリのナトリウム塩化物温泉、つまり、塩ッ気のある温泉だな、これが。

最近の情報表示にしたがって、パンフレットには、井戸水をたし、加熱し、循環していると説明がしてあるのはかえって好印象を与えるし、食事も結構いけるものがある。

何よりも自分にとって良いと思ったのは、入り口にはっきりと「入れ墨をした人、泥酔した人の入浴をことわります」と書いてあったことである。

相良の「子育て温泉」にも同様に書いてあったが、静岡市が運営する梅が島温泉の「黄金の湯」は、暴力団関係の人はお断りと書いてはあったものの、全身に入れ墨した人が入っていたので、聞いてみた所「入れ墨は暴力団と関係ありません」というので、「じゃ、私は暴力団と申告するのか」といったら、市の観光課がそういっているとのことだった。

そこで、市に聞いてみた所同様の返事。

そんなこんなを思い出させた標識を見、帰りに森町へより、評判の森のお茶をすこしかってかえって来た。

今日はくどいようだが「母の日」それにちなんで親父ギャグを一発。ハハノンキダネとくらぁ~

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2006年5月13日 (土)

メイストーム

P1010067 またしても雨降りの一日となった。

お茶摘み農家は天を仰いで嘆いているに違いない。

むかし、平清盛は、扇を上げてお日様を呼び返したといわれているが、いまの世の中雲を吹き払ってくれる人などはありゃしない。

今日は、「メイストームの日」だと暦に書いてある。メイストームとは、4月末から5月にかけて吹き荒れる風の日のことだが、それと関係なく記念日みたいに日にちを固定化しているのはどういうことだろう。

そして、この日は「バレンタインデー」から八十八日に当たることから、5月2日の「八十八夜の別れ霜」と言う言葉があるのにちなんで、「別れ話を切り出す日」なんだとか。

いかにも現代っ子らしく、八十八日前に愛を告白したけれど、もう飽きちゃったからと言うのだろうか、アッケラカランと言われた男の子はどんな顔をしているやら。

それとも、配った義理チョコを本命チョコと勘違いして付きまとってくる男の子に、もうこれ以上は付き合ってはいられないと、最後の引導を渡す日なのか。

いずれにしろ、プライドを傷つけないよう、上手に断って欲しいものだ。

こういう話は、切り出す時と違って余程難しいものがある。どんなに話術に長けていても誤解を招き、切れやすい人は何をするか分からないし、執念深い人はストーカーに変身し、後が長引く。

別れの日だと安易に行動しないこと、それにしても、バレンタインの日にチョコレートを送るように、別れの日にも、なにか暗示するような贈り物があるといいんだけどな。

でもそんなことをすると、鈍い男はますます想いに火をつけることになりかねないか。

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2006年5月12日 (金)

鳥の聞きなし

P1010071  5月10日からバードウイークである。

以前は、野鳥の観察会や巣箱を木に取り付けるなどの行事があって、新聞種にもなっていたが、最近では音沙汰がない。

野鳥観察は、相手が自由自在に飛び回るだけに、大勢で押しかけてもこの時期姿を見せないことが多く、説明する人が「変ですね。いつもはもっといるんでけどが、、、」なんてぼやく場面がままある。

また、巣箱にしてもすでに繁殖期に入っている小鳥にしてみればいまさらの感もあって、ほとんど利用されたのを見たことがない。

「じいじ、こっちのカラスの鳴き声は変わってるね」「どうして」「だって、アラ~ アラ~って鳴いてるじゃん」「そうだね、聞き様によってはそう聞こえるね」

鳥にかぎらず、動物の声をその国の言葉に言い換えるのを”聞きなし”というが、カラスの鳴き声をアホーと聞きなすのは以前は関東の方だけと聞いたことがある。

このほかに、日本語を当てはめるのは、ウグイスの「法 法華経」やコジュケイの「チョットコイ 一寸来い」ツバメの「土食って渋~い 虫食って渋~い」それに不如帰の「ホト トギス」は名前の由来になっている。

変わったものとしては、コノハズクの鳴き声が「仏法僧(ブッポウソウ)」と聞こえたのに姿が見えなかったことから、他の鳥にブッポウソウと名付け、最近になってようやく声と鳥が別のものであると分かったことなどがある。

そのなかで、一番好きな聞きなしはなんと言ってもホオジロである。

丘の上などで青空に向かって「一筆啓上 つかまつりそうろう」なんていうのは風雅というか思わずこちらもあわせて口づさんでしまう。ところが、最近これを「札幌ラーメン 味噌ラーメン」と聞きなす輩が出てきた。

コマーシャルではあるまいになんと無粋な聞きようか。なんて息巻いていたら「カラスの勝手でしょう」と、これまたほざく。

じいじの怒りは何処にぶっつけたらいいんだろう。

くれぐれも血圧が上がらないよう、気をつけてなよ。

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2006年5月11日 (木)

かびが増殖する

P1010056 今朝もはよからシトシト雨が降っている。

こういう雨は、心を腐らせる。腐ったものにはかびが湧く。

高松塚古墳の壁画にもかびのようなしみが出ていたと報じられていた。

かびとはいえ生物なのだから、何かを食べて成長している、それは何なのだろうか、発見されるまでの長い年月になかったものが持ち込まれたためでなかろうか。

リタイアーしてから世間を斜交いに見ているのに、「ジニ係数」という言葉を最近になって知った。

民主党の先の代表が、日本はこの係数が0,5に近づいていると国会で質問したそうだが、当時は知らなかった。

0.5という数字は、所得上位25%の人が全所得の75%を占めるという意味で、貧富の差が大きくなり、世の中一部の大金持ちと多数の貧乏人に分けられることを言い、その典型がアメリカ型社会である。

首相は「格差が出ることは悪いことではない」とも「(金持ちを)ねたむような風潮を作ってはいけない」とも言っていたが、いかにも勝ち組にいるお坊ちゃん的発言だと聞いた。

また、子供の頃の話になるが、なにかあるとよく「あの家はお大尽(金持ち大地主など裕福層)だから」という言葉を聞いたことがあるが、金持ちがさらに金持ちに、貧乏人はどんなに努力しても浮かばれない世の中。テレビドラマ「おしん」のような時代が再びやってくるのだろうか。

昨年、アメリカを襲ったハリケーン報道の映像でも、それに便乗した強奪や襲撃が見られたが、このままの政策が続けば日本も近い将来同じような閉塞社会に陥ると、心の中のかびが増殖していきながらせせら笑っている。

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2006年5月10日 (水)

刈っても 刈っても

P1010061_1 本来ならこの時期、五月晴れの空の下どこかに出かけたくてうずうずするはずなんだけど、どう間違ったのか、梅雨のような天気が続いている。

しかし、季節は着実に進んでいるらしく、シオカラトンボも出てきたし、裏の小さい畠の麦も黄色く色づき「麦秋」の候となった。

この麦は、食べるものでなく花に使うようなので、もうすぐ刈り取る取るとか、、。

刈り取ると言えば「さがりおろう、この印籠が目に入らぬか」とテレビで黄門様が刈り取った悪人は何人になるのだろうか、刈っても刈っても悪の芽は絶えないようだが、黄門様は飽きもせずに毎週どころか、リバイバルを入れると毎日出てくる。

テレビの人気番組「水戸黄門」は、昭和44年8月に始まって約37年間に1,050回を越えているとのこと、その量たるや他の番組ではチョッと及びもつかない数であり、毎回のように悪代官と小判をそうっと差し出す利権商人が退治されていく。

筋書きは、いたって単純、マンネリ化しているにもかかわらず人気がある。

作者側もいろいろと工夫しているのだろうが、日本各地の風情と悪人をやっつけなくてはならないという制限があり、さらには、どこからか悪人を殺してはならないようにな仕組みも付けられるなど、ますます制作範囲が狭められている。

見る側にとって、黄門様が諸国漫遊したことがないのは知っている。ただ、平素の社会で不正が横行し、役所で威張っている奴、悪事を働いている奴が退治されないとことにたいするうっぷんを少しでも払っているのだろうか、だとすると現世の悪者たちにとって都合の好いガス抜きドラマである。(大岡越前も同様)

儒教の国 中国では、昔から官僚が賄賂を取り蓄財に励むという習慣が深く根付き、科挙の試験に合格すると何もしない方が出世し、その子孫3代にわたって、生活に困らなかったと言う話が残っている。

性善説にもとづいて治められたこの国では、賄賂の横行は止める手立てがなかったようで、社会主義の国になっても官僚の腐敗 汚職を止めるのは難しいとのことだ。

その影響を受けた日本でも、江戸時代はかなりあからさまに、賄賂が行なわれた節があり。戦後、天皇から民に仕える公僕になったにも拘らず、悪代官の悪さはおさまらなず新聞をにぎわしている。

この調子では、”百年経っても河は澄まない”

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2006年5月 9日 (火)

四六の蝦蟇

何年も前のことだった、小さな診療所の女医さんに「このごろ水を飲んでも肥るんです」と言ったところ、女医さんは真剣(親身?)になって「水だけでは絶対肥りません、ほかに原因があるのです」とこんこんとお説教をいただいたことがあった。

”そんなこと、百も承知の上だけど、あまりの真剣さに思わず頭をたれて聞きいった。”

今朝の新聞によると、厚生労働省がまたまたお節介な調査を発表している。

40~70歳の男性の半数が、病気持ちかその予備軍だと言う。

それは当然でしょう、人間を長いことやっていればどこかここか悪い所がひとつや二つあり、平均寿命に近くなれば、女性より早くお迎えが来るんだから。と思っていたら原因は肥りすぎのためだと言う。

へそ周りが「男性85cm 女性90㎝」の基準値以上で、脂血、血圧、血糖の病気を持っている人と(勝手に)定義した場合とある。

不思議なのは、女性の方が平均身長が低いと思われるのに、へそ周りは男より大きくて良いとした基準値だ。よほど、女性は脂を溜め込んでもよい体質なのか。(ついでにへそくりも)

まだ、健康診断前なので、今年はどんな数値が出てくるか分からないが、ひとつ位該当しそうなので、自分も悪い方に籍を置きそうである。

これの調査と言うのは、ただ単純に結果だけでなく、今までの例から言って何か裏が隠されているように思えてならない、たとえば予算を取る道具にするとか、、、。ひがみ根性が極端なせいなのか素直に受け取れない。

しかし、こんな記事にすぐ飛びつくようでは、普段から肥満を余程気にしているんだね。事実街中を歩いているときなど、ウインドーに映る己が姿を見て、これは違う人か、ウインドーが曲がっているに違いないと思うことにしている。

ある種、筑波山に住むという四六の蝦蟇みたいな心境である。

ここしばらく、散歩を日課にし山登りは機会を見て行なっているが、生来の胃腸が丈夫なせいか、はたまた、食べ物にいやしいのか、腹八分目は難しく。

気がついたときには「充分に頂きました」となり、ただひたすら布袋様を目指しているようで恐ろしくなるこのごろである。

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2006年5月 8日 (月)

山登り

P1010011 今日の表題をよした方がいいのではないかとか迷っている。

最近、空の具合と自分の都合が合わず、山から遠ざかっている。

今日の霧雨もだが、5月2日も朝の天気を見てとりやめた。案の定霧ごんでいた安倍川筋の山は雨になったようだった。

自分は、登山と山登りを自分なりに定義し、登山はしないことにしている。

先日、旧春野町の岩岳山の遭難騒ぎは、翌日全員が無事救助されたものの、ここ数年ブームになっている中高年グループによる山登りであり、一般には「またか」という感想をしかないのかと思う。

昭和30年代、ようやく生活にゆとりも出来始め夏山が若い人の遊び場として、我も我もと登りだしたころであり、その後の結婚、子育て、会社人間から解放された人が、さて何をするかと考えた時、昔取った杵柄で登山を思い出し、体力の衰えも省みず登りだしたことが原因だと思う。

その証拠に、山道を歩くとほとんどが中高年。自分もその中の一人であり、人のことを言える立場ではないが、それだからこそ安全に気を配っているつもりである。

「雨や嵐の後の風景は格別なものがある、困難に挑んで成功した時の充実感は、退職後久しく味わっていないだけに癖になりそう」というのは分かるが、気持ちだけでは追いついていかない。

昨年、ある山で出会った女性グループは、へばっている人に、もう一人が「折角ここまで来たのだから是非登ろうよう」と、励ましていたが、グループ登山もこうなると難しく、勇気を持って撤退と言うのは難しいようだ。

また、笠が岳の雪崩事故も、ここがこの時期、雪崩の常襲地帯であり、過去の何十人も呑まれていることを知ってのことだったのだろうか。

中途半端な書き方になったのは、自分もいつなんどき同じことをしかねないという気がするからであるが、迷ったら元の道まで戻って確かめる、谷には降らない、自分の体力は自分が思うよりずっと衰えている。を原則にボツボツ登ろうと思う。

なにせ、暇人。足腰や健康から言って「時間はまだ充分だ」、とは言えなくても「登れなくてもどうあらずよ」の気持ちが大切。

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2006年5月 7日 (日)

いずれがあやめか

P1010054 いずれがあやめかかきつばた

甲乙付けがたいときにつかう言葉である。よく似た言葉に「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」というのがあるが、これはもっぱら美人を褒め称えるか、理想の人を指す言葉として使っているので細かいことを言うと違う。

いま、あやめが真っ盛り。久し振りの雨に打たれてなお艶かしさを感じさせている。

どの花についてもそうだが、雨露に打たれている花には風情があると感じるのは自分だけなのだろうか。

最近の雨は硫黄酸化物を含んでいるためもあって、雨に打たれたあと、色あせしたり、斑になったりして、牡丹のように傘を差してやらなければ可愛そうなことも起きる。

辞書を見ていたら、あやめを漢字でかくと「菖蒲」となるらしい。この漢字はどう読んでも「ショウブ」にしか読めないし、菖蒲というと5月の節句に使う「菖蒲湯」の菖蒲とも違う

あやめとかきつばた、よく似ていて昔から区別がつきにくい花だったようで、もちろん、自分にも立て札に書いてなければ区別が出来ない。かろうじて、水辺が好きなのは「かきつばた」だと言うことくらいか。

おまけに、まったく科の違うのに、葉と花があやめに似ているだけの「花しょうぶ」もあって、とにかくぐちゃぐちゃ状態になっている。

「いずれがあやめかかきつばた」細かいことはどうでもいい。花は美しければ、、、、、。

いや、それは、人から見た印象だけのこと、花は人に喜ばれるためにあるのではない、植物がいかに自分をアッピールするか苦心しただけである。

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2006年5月 6日 (土)

立夏をたずねて

P1010026 今日は立夏だと言う。

長いように感じたゴールデンウイークも後一日、ずーっと晴天続きで今年は、休みを利用して出かけた人には「ラッキー!」な一週間であったことだろう。

それとも、子どもの後ろをついて歩いたり、渋滞や駐車場探しで地獄の一週間だったのかも、とするとご同情を申し上げなきゃならないが、これまた順送り、貴方の親も同様に過ごしてきたのだから、辛抱しなさい。

明日の天気予報は一日雨だ、とかいうのも、疲れ休みには丁度よいのではないかと思う。

当方のように、毎日が休みのものにとっては、自分が出かけてさらに渋滞に拍車をかけてもしょうがないと我慢していたが、やはり、浮かれまわるような空の状態にあっては、少しくらいしょうがないかと、出かけてみたが、ここしばらくの気温に身体が付いていかないのか、なんとなく「だるい」

さて、立夏と言うからには、夏のはしりを見つけんものと出かけてみたが、これがまたさっぱり。

散歩道の田んぼの畦は、田起こしと共に除草剤を撒いたとみえ、雑草が赤茶けて枯れている。

池の端に来てようやく見つけた今年の立夏。連日20度を越す気温にようやく水がぬるんだか、くさ亀が甲羅干しをしていた。

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2006年5月 5日 (金)

鯉のぼり

P1010002 屋根より高い鯉のぼり

大きい真鯉は お父さん

、、、、、、、

こどもの日に鯉のぼりをあげるようになったのはいつのころからだろうか。

今日は、こどもの日。あちこちに日本男児ここにありと見せびらかすように大きい鯉のぼりや、集合住宅のベランダから小さい鯉のぼりをそっと差し出しているなど様々ではあるが、少子化などといわれる昨今ではぐっとその数を減らしているのだろう。

さて昨日の行った御殿場の秩父宮記念公園は、最近になって市に寄贈されたため公開されることになった公園であるが、その庭に咲く様々な花を見たさに始めてよってみた。

公園の面積はいかほどなのか、秩父宮についてもほとんど知ってはいないが、連休中で混雑している中では静まりかえっているという雰囲気があった。

手入れされた杉木立の先に、山野草を含めてかなり多種の花が咲いていた。

いまは、桜 椿などが散って、クリスマスローズと黄色カタクリが多く、イカリソウ 黒百合、タイツリソウ、シャクナゲなどが最盛期に見えた。

一通り見てまわるには、1時間は必要であろう公園ではあった。

ついで、芦ノ湖スカイラインから、芦ノ湖を見わたし、熱海姫の沢公園と公園めぐりの一日を過ごして、今年のゴールデンウイークも打ち止めにした。

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2006年5月 4日 (木)

頭を雲の上に出し

P1010027 富士宮市外に入ったら富士は雲にさえぎられ、何にも見えなくなった。

「何とかもたせようと早出したけど、いまの気候ではやっぱり無理だったようだな。でも、念のため富士スカイライン 水が塚公園まで行ってみようか」と登りはじめた。

雲は次第に低くなり、標高1,000m台の5合目登山口との分岐まで来た時には、霧となってただよっていた。しかし風もなく、ゆるやかに漂っていたのでこれは行けるかもしれないと急遽方針を変更して、5合目に向かうことにした。

10分ほど登ったか、突然雲が切れ上空は雲ひとつない青空が、すぐ傍の高林駐車場に車を入れて、富士を仰ぎ見る。まさにピーカンの空を背景に真っ白な富士が浮かんでいた。さっそく客は記念撮影。

5合目駐車場は、各県ナンバーの車が入り乱れている、駐車位置を少しでも近いところにしたいためだろう、入り口で渋滞を起こしていて進まない、客を降ろして辛抱強く渋滞に従う。

5合目は、森林境界線にあり、ここから上は雪の量も多く雪の境界線でもあるようだ、足元の悪い人は駐車場で断念している、客は「もう二度と来ないかも知れない」なんていうものだから「飛騨で雪慣れしているから大丈夫だよ」と上の案内板まで案内し、ここでも記念写真をとるが、富士山頂は近すぎて何処が頂上だか分からなくなって赤紫の溶岩と雪を交えてだだっ広く上空をおおっていた。

下は、雲に隠れて一面の雲海、遠くに南アルプスの南端がやはり青空の下にくっきりと見える。まさに頭を雲の上に出しの状態、今日の上空は空気が澄んでいて心地よい。

次の目的地、御殿場の秩父宮記念公園に着いたのはそれから二時間ほどあと途中、水が塚公園で雲の切れ間から僅かに見える富士を見ながらコーヒータイムを取って下ったためである。

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2006年5月 3日 (水)

例外の保障はない

P1010022 渋滞の東名を掛川まで行ってきた。(写真 朱に交われば赤くなる?掛川花鳥園で)

姉夫婦が遊びに来たいとのことだったので、途中まで出迎えに行くと言って掛川で落ち合うことにした。

初めは国道1号で西進する予定だったが、道路事情が思ったより悪く途中から東名に乗り換えたもののこれまた大変だった。

散々渋滞に翻弄された挙句、普段の2倍の時間をかけてようやく落ち合うことが出来た。

おかげで、掛川では花鳥園の見物だけで、話題の掛川城は遠巻きに天守閣だけを拝んで帰ってきた。

さて、今日は憲法発布記念日、この記念日もゴールデンウイークと言う浮かれ休みの中に埋もれてしまい、いまのままでは早晩に消え去る運命なのか。

自民党を中心に憲法改正論が進んでいる上、共謀罪や愛国心の強制につながる昔の日本に回帰したい人々が米軍再編にまるでポチのように言いなりに税金をつかみ出そうとしている

この調子で、憲法が改正されたら、いままで少なくとも日影の身であった軍に力を与え、近い将来不足する自衛軍(?)を補充するため徴兵制に移ることは確実であろう。

もっと憲法の重要性を認識して、一般の論議を経た上でないとあとで臍をかむのは若い世代であろう。

わかものよ、あなただけが例外にならない保障はない。

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2006年5月 2日 (火)

おいおい 去年のかよ

P1010079 夏も近づく 八十八夜 トントン

野にも山にも 若葉がしげる トントン

あれに見えるは 茶摘じゃないか

茜だすきに 菅の笠                  トントン

今日は、八十八夜。昨日の突拍子もない暑さも一段落し、空は一面の雲につつまれている。

周りの低い山の端も、次第にそのてっぺんに雲をまとい付かせ、今にも一雨来そうな構えを見せながら、ほんの少々の見せがねみたいな降り方でじらせている。

おかげで、中川根の山々の様子を見、あわよくばよいお茶をと思っていたのを止しにしてしまった。

八十八夜、といえば「お茶」しか思い浮かばないのはなぜだろう。お茶のための日付なのだろうか。

もうすぐ、立夏という季節の区切りがある。ただの語呂あわせに過ぎない縁起物なのだろうか。

お茶どころ静岡だけに、こちらの新聞には毎日の市況とその解説が載っている。今年のお茶の取引が始まる前日に、問屋が大量の在庫をかかえていて、新茶に影響を及ぼしそうだと書いてあった。

新茶と言うだけで、高いお茶を買わされる身にとって「おいおい 去年のお茶かよ」と思わず言いかねない。

保存技術が向上してる現在、素人が判断できないとなると、製茶業者が去年のお茶に「新茶」のラベルを貼ったり、混ぜたりすれば分からなくなってしまうし、買い控えをしたとするとその可能性が大きい。

原料の原産地表示が義務化されても、生産年(採取)表示がなければ、消費者をバカにしていることになり、しっぺ返しを受けかねない。

とはいえ、もともと薬草としてもたらされた高価なお茶も、広く普及され我々庶民の口に入るよう値段や品質が改良され、味、香り、色と3拍子揃ったものに出会えた時のうれしさはかわらない。

そうしたなかで、体調もあったのか、県西部の引佐町渋川の農家で、仕事のあいまに縁先に腰掛け、ウグイスのこえを間近かに聞きながらよばれたお茶が今までの最高だったと思う。

旅行けば 駿河の国に 茶の香り、、、と広沢の虎らさんがうなっていたのは今では遠い昔だが、市内の茶町や安西の茶問屋が多くあるあたりを歩けば香りを実感することが出来る。

いま、知り合いの農家からもらったほんの少しの新茶から香りとほのかな甘味を、ゆっくりと味わっている。おすそ分けは本格的に出荷した後になりそう。

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2006年5月 1日 (月)

メーデー

P1010091 5月1日はメーデー。フエーン現象とかで静岡も30度を軽く越えてしまうほどの暑さになった。

晴れた 5月の青空に。。。と歌って行進したのはもう何年前のことだったか、人口2万程度の小さな鉱山城下町で、赤旗やプラカードをもった2千人を上回る行進は、参加を強制されていなかったにもかかわらず7割以上の労働者が参加した。これから見ても当時の世相がいまの人には理解できないこととおもう。

当時勤めていた鉱山は、4月29日は休まなかったが、5月1日は休みだった。

小さな鉱山町では、4月に賃上げの春闘があってストライキをやり、ほぼ同じ時期に町内各所のお宮さんで春祭りがあって、やはりほとんどがどこかの氏子として笛を吹き 神輿を担ぎ、旗を持つなどなにかをしていた。

春闘の結果は、要求が希望額であっただけに、ほとんどが「不満ながらの妥結」という結果で終ったが、組合幹部が期待を持たせただけにその差の大きさからくる失望が、すぐ後のデモ行進に反映した。

街中をジグザグデモを繰り返しながら、解散は大津神社という、その町の一番大きいお宮さんの境内を駆け上がったところだった。

メーデーの価値はそのあとだった。各職場ごとに「山行き」と称して新緑の下で行なう飲み会であり、職場役員はその場所取りと酒やつまみの準備に走り回ったものだった。(会費は割り勘だった)

今日も、昨年に続いて、駿府公園にでかけてみた。人の集まりや内容は去年見ているのと同じ規模であり、予想通りだったので、特に感想はないが、労働組合がひとつになって働く者や弱い立場の者の意思を示せないのが残念である。

そして、これも社会が保守化し、無気力無関心化した世相のせいなんだろうが、労働組合に人をまとめる力がなくなってしまったことにある

公園の片隅でささやかにやっている集会をよそに、それを上回る小学生が遠足の場にしており、そこここの木陰は小さなリュックサックの山が出来、早くも汗をかいて走り回っている。

集会はこの後、暑さで焼けた市街の舗装道路を行進することになるのだろうが、なんだか見ていられないような気がして、座をはずすことにした。

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