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2006年5月22日 (月)

達人

剣道の達人と言われる人の話に、「剣道はスポーツではない。勝ち負けを競ったり敵を倒すのが目的ではない、人間形成の道である」というのがあった。

その昔、剣術、柔術、槍術などといったころは、どうしたら相手を倒して生き残れるかが目的の鍛錬だったから、卑怯とか未練とかは関係ない、転んだ拍子につかんだ砂利を投げつけて目くらましをしたり、噛み付いてでも勝つ!、は生きるためには当然のことだった。

その後、世の中が平和になり儒教の影響を受けて「道」が付くようになると、礼儀だ、作法だとルールが作られてスポーツになったのかと思っていたら、「人間形成の道」だときた。

そのためか、横綱朝青龍や野球の新庄のちょっとした仕草が気になるお爺さんがでてくる。そして、「そうなんだろうな」と思うのは、剣道や柔道の全国大会では、五段とか六段の人が優勝してもそれより上の高段者が出てくることはまずない。

つまり、相手を倒すと言うことは人間形成が出来ていない人の争いだと言うことらしい。

自分も、高校生だったころ、授業の一環として柔道も剣道もやらされた、最低限のルールはあったが、およそ道などは何処を探しても見つからないものだった。

自分の過去を振り返ってみた場合「人には厳しく自分には甘い」「嫌なことからはなるべく逃げよ。三日たてば何とかなる」式のものが多く、自分に都合よく物事を解釈し、逃げの姿勢が強かったようだ。

道を極めた人は、肩を下げ姿勢を正すと横隔膜が下がり肛門がしまる。そうすると丹田に力が入って心身に気が満ち、充実感が全身に行きわたる。ということになるらしい。

そうなると、道を極められない凡人は心身薄弱、充実感が一生ないことになるが、なんとか大きな病気もせず人並み以上に健康で生きてこられた。

これって、先祖の賜物だと思っていたが、ひょっとして、嫌の事を遠ざけ、物事を優柔不断に先延ばしにしたことが良かったのか。となると自分はいままで生きる達人だったのかな。

先のことは分からないけど、とにかく、生きる達人は ”ケ セラ”(なるようになる)と過ごしていくことにあり。

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