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2006年5月31日 (水)

心の評価

P1010057 5月も末になってよい天気が続いてきた。

本日は麻機山周辺を登ってみた。標高にして100m前後の山の尾根近くになるが、この辺はお茶摘み騒動も一段落したようで農家の車も少なくなっている。(写真は定家カズラ)

農道脇には、定家カズラや吸いカズラの白い花が石垣や木に絡まって咲いている。気温も30度近くになりすっかり夏気分となった。

江戸時代、人は士農工商という名の世襲身分制に縛られて、お互いの領分を自由に行き来しにくい制度があったという。

しかし、制度も中から次第に腐敗して行き、幕末には幕府の直参御家人の地位までが御家人株として、売り買いされていたし、かの有名な「新撰組」などは百姓町人を主体とした組織であり、それに頼らなければ京都の警備が出来ないくらいに武士道もすたれ弱体化してしまっていた。

いま、北朝鮮でも「成分」という名の身分制があり、独裁者に対する忠誠心は勿論、親子代々に渡って革命という名の下に協力した度合いが、食糧の配給や出世に大きくかかわってくるらしい。

成分という名称からして、自分の受ける印象は国民を人間扱いをしていないなぁ、と感じてしまうのだが、、、。

この忠誠心というものをどんな尺度で測っているのだろうか。テレビで見たように両手に旗を持ってさも嬉しそうに歓声を上げながら打ち振ることなのだろうか。耳に心地よく響く、歯の浮くようなおべんちゃらを述べることだろうか。

とにかく黙っていたのでは、査定する人には分からない。当然大げさな身振りや態度、口の聞きようが重大な要素になり、「あしたのおまんま」にも係わってくるとしたら、これに精力を注ぎ込まざるを得ない。

いま、日本でもいくつかの学校の通知表に愛国心が評価の対象になっているという。

前にも書いたように、人はその住む土地に対して、なんらかの誇りや愛する心を持っている、愛するということはこちらが自発的に行なう無償の行為であるはづのものである。

しかし、国が言う場合はともするとというより、ほとんどが現政府に対する忠誠心であり、現在 国の中枢にいる人を護れということにあり、先の大戦で叫ばれたのもそのことではなかったか

「愛国心」をどうやって評価するのだろうか。やはり、大げさな身振り、表情、おべんちゃらになるのだろうか。査定する人はホントに心の中を見抜き、評価できるのかな?

昭和20年8月15日を境に、民衆は戦時中の愛国心という言葉に嫌悪感を持った。本来の愛国心とは強制されるものものではない、大切な言葉であり誰でもが持っているはずなのに、それがいまだに抵抗感がある所以だろう。

自分はこの年になるまで、顔つきや態度 口調と心が全然違う人を沢山見て知っている。

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