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2006年6月30日 (金)

夏越の祓え

Img_0165_1

みなつきの なごしのはらえ 

            するひとは

     ちとせの命 のぶという

(水無月の夏越祓いする人は 千歳の命 延ぶという)

早いもので、今日で今年の前半が終了する。ということで、各神社では夏越の祓えといって、茅の輪をくぐって今日までの穢れや悪行を祓い、後半を無事に過ごせるように願うおまつりをしている。

仕事をしている時は、新聞などでこんな行事をしたんだ。という程度にしか見ていなかったので、出かけてみたが この年になるまで実際をみたことがなかったのではじめて見た行事であった。

市内で一番大きいと思われる浅間神社では、直径4m以上はありそうな大きい茅の輪をつくり、神事の後三百人ほど集まった人が神主の後について8の字に三度茅の輪をめぐって”夏越の祓い”を行なった。

日ごろ信仰心のない自分も、司会(神主)の指示に従って、身体に紙をふりかけ、ひとがた(人形)を気になるところにすりつけたあと、三度行きを吹きかけて納めてきた。

そこで思い出したのは、百人一首に

風そよぐ 楢のおがわの 夕暮れは

       みそぎそ 夏のしるしなりけり

にある、みそぎとは今日のことであり、まさにこの時間 (夕方の7時)を歌った情景であると知った。

この歌に関しては、いままでなんの関心も無く聞いていたが、これから本格的にやってくる夏を前にして、梅雨の晴れ間のむし暑い情景。

それを打ち消す夕風を心待ちする、今の情景をたくみに読み込んでいるのかなと、好き勝手に想像して今日も暮れる。

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2006年6月29日 (木)

まだ 12歳?

P6110014 民放の旅番組といえば、温泉と名物の食べ歩き、と相場が決まっている。

名所旧跡も、案内役によってはあまり大げさすぎて嫌になることがたびたびある。どうして、あんなに声が裏返っているタレントばかりがでてくるのだろうか。

先日、ヨーロッパの観光案内番組をみていたが、淡々と落ち着いた解説の仕方に好感を持ち、文字入りながら最後まで見た。

戦後まもなくだったと思うが占領軍司令官ダグラス マッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」と言ったのを思い出してしまった。

食べ歩き番組においても、番組構成上仕方のないことかもしれないが、何を食べても「うまい」「まったりとしている」など決まりきった言葉を連発し、と目を瞑って首を振るだけのタレント。

もう少し節操が欲しいと願うのは自分ばかりではないと思う。

「名物にうまいものなし」とまでは言わないが、自分の周りでは誰一人評価しない(飛騨の)あるメーカーの中華ソバを、騒ぎ立てることしかできないタレントが絶賛してから、自分はその人全てが信用できなくなり、静岡の食べ物番組に出てくるとチャンネルを切り替えてしまうようになった。

いつも言うように、何かで当たれば何時までも 飽きるまで同じパターンを繰り返し、他局がやるから自分とこも式の放送をいいかげんに卒業できないものだろうか。

全然成長の兆しが見えない、放送内容、そして、それを良しとする視聴者。

マッカーサーが生きていたらやっぱり、12歳だというだろうな。

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2006年6月28日 (水)

卵のような松ボックリ

Img_0132 韓国の拉致家族が北朝鮮に出かけ、再会をしているそうだ。

長年、日本で拉致問題に取り組んできた人たちにとっては、かなり腹立たしいことと推察する。

幼いときからの教育や長年その国の社会体制の中で育ってきた感情から言って、日本では腹の奥に仕舞って冷静に判断するのがおとなという社会と、感情を激しく表わし、自己主張をしないと分かってもらえない社会の違いがでてきたものだろう。

日本から見れば、韓国の「太陽政策」をはじめ、これらの処置の仕方はみすみす北朝鮮の術中に嵌っているようでじれったいが、歴史はどう決着を付けてくれるのであろうか。

今日の静岡城北公園は、(朝鮮?)五葉松だろうか、見た目で8センチ以上はありそうな薄緑の卵のような松ボックリをいくつもつけている木に出会った。

丁度、松の間に生みつけられたようにかたまっている、これが卵だったらどんな鳥が殻を破るのやら、なんて考えていた。

池には睡蓮も咲きだし、夏本番はすぐそこにきている。

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2006年6月27日 (火)

文目(あやめ)も分かたぬ

Img_0127 七十二項では本日「菖蒲 花咲く」だという。今では菖蒲と花しょうぶとは品種が違うことになっているが、以前はあやめ、菖蒲、花しょうぶはごちゃ混ぜだったらしい。

この近辺では、あやめはとっくに済み花しょうぶも残り僅かとなった。

あやめは、花に細かい筋が沢山あってはっきりしない所から文目といい、そこからはっきりしないことを文目(あやめ)も付かないと言う語源になったとか(以上受け売り)

久し振りと言った感じで日が差しているが、このむし暑さはどうしたものか。

以前なにかで見たが、人間生まれてから3年ほど過ごした土地に慣れるため、汗をだす管の大きさが違ってきて、寒い地方の人は細くて暑い地方の人は大きいとあった。

その伝で言うと、自分は寒い地方の出だもんで、暑さには一言もない。

今日のような暑さと湿気には、身のおき何処がないのである。

仕方なく、田んぼの中に午後も飛び出した、草むらのムクドリは半分口をあけてあえいでいる。ケリの親子は随分と大きくなって体格ではほとんど差のない大きさになり、親も一時のように攻撃的ではなくなった。

そして、なによりのご馳走は20センチほどにも延びた稲を揺らして吹き渡る風である。

見ているだけで、気持ちが静まる。”文目分かたぬ風 いと冷し”

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2006年6月26日 (月)

引けてしまう

午前中激しく降った雨は、裏の川を急激に増水させ、その勢いで水草を大量に下流に押し流していた。

これが、海に入りプランクトンや小魚の餌になり、食用の魚を育てる元になっているのかな、なんてみていたら、プラスチックのゴミが後を追いかけるよう流れていく、もう何も言うことはない。

嫌な事件が世間を騒がせ、毎日のように人の命が奪われている。それも家族が一番親しいはずの身内をというものや、切れた挙句が関係のない人をというものなど、、、オチオチ寝ていられない。

”水と安全はただ”と言われたこの国で、その両方ともが神話になってきたようだ。

今年に入って裁判で死刑判決がいくつ出ていくつ確定したのか知らないが、争う余地のない凶悪犯にたいして、弁護側の言い分はまず「精神鑑定」であり「育った環境が劣悪だった」ので死刑を回避して欲しい、というものが多い。

精神に異常があったり、育った環境が悪ければ全てが赦されるのか、つかまった途端この方面を強調されると、思わず身を引いてしまうのが最近の実情である。

そんなことを言っていたら、自分たち世代は、戦争で肉親が殺されたもの、親からは叩かれ、先生から愛の鞭?でビンタを貰って成人したのだから、みんな凶悪な犯罪者になっていてもいいはずだ。

成人するまでの過程が免罪符になっていた感の多かった裁判も、最近は被害者家族の心情を汲み取ることで、極刑判決も多くなっているようにおもうが、法務大臣があんなでは刑の執行も先延ばしになり、何時になるかおぼつかない。

もっとも、死刑囚にしてみれば一種の拷問かもしれない。が、、

とにかく、世相は梅雨時の空とよく似てうっとうしい。

梅雨前線が北上してからっとして欲しい、でも梅雨が明ければ明けたでまた厳しい暑さが待っていると思うと、これまた引けてしまう。

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2006年6月25日 (日)

サラブレッド

○○界のサラブレッドといえば、人間の場合 由緒正しい家柄のお坊ちゃんをさす言葉にも用いられている。

サラブレッドは、1700年ころイギリス貴族の手により競馬用に作られた馬(玩具)で、生まれてから死ぬまでが全て人間の手により管理されているため、親子代々、親類に至るまで全てが分かるしくみになっている。同様に犬や猫の中にも血統書つきなんて玩具もいて、マニアの中では幅を利かせているらしい。

しかし人間の場合、最近の遺伝子学の発達する前は確認する術もなく、本当に親子かどうか分からない例がままある、下々の庶民はもとより高貴といわれる血統も疑問視される文献もあって、血統書(家系図)が付いていても定かではない。

血統書(家系図)は一応成功した人が欲しがるものらしく、戦国時代、社会が崩壊した後、成り上がり大名が競って家系図を作らせたと言う。もちろん、いいかげんのにせ物だが、、、、、

静岡に来た時、最初に就職した会社の社長が、うちの先祖は徳川さんに付いて静岡に来た武家であると自慢し、「あんたの家は?」と来た。

そこでカチンと来た自分は言ったね「我が家は先祖代々飛騨の山奥で生活してきた百姓であり、江戸時代何度も襲われた飢饉を切り抜けてきた人の子孫であるから、いい種を受け継いでいる」と。

江戸時代の武家と言うものは、家系図をどんなに立派に作ろうと戦国時代を遡れる家は少ない。そして、家を絶やさせないようにいろいろ(養子や武家株の売買)と体面を繕って、先祖の功績に頼ってきた人がほとんどで、生まれてから死ぬまでを管理をされたひ弱な人間だったのだ。

くれぐれも社会のサラブレッド(玩具)にならないように心しよう。

いや、心しても今からでは遅い、血統書(過去帳)はあっても、あまりにも雑種で何がなんだか分からないからである。

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2006年6月24日 (土)

観光路線にのせられて

Img_0114 先日来 米がすくなくなっていた。米びつがかなり空っぽだった。(色鮮やかな山紫陽花)

それで、妹の家から5月に貰って来ていた、もみ米30kgほどを精米にするため、山梨県は南部町に行った。

何で山梨か?。静岡には残念ながら籾を玄米や精米にするところがないのだ。農機具メーカーに「どこかにないの?」と聞いてみたところ、ほとんどの農家では、自家用の籾摺り機を持っていて、秋 玄米にしてしまい籾摺りの需要がないので、この手の機械はないとのこと。

農家にしてみても一度仕舞った機械を10kgや20kgのことで引き出すのは、頼むほうも言いにくい。そこで40km以上はなれたところまで、籾米をエッチラオッチラということになる。

さてここまで来たからには、何かないかいなぁと探したら、もう少し先の「うつぶな公園」で今日まで紫陽花祭りをやっているとの話しがあり、「きれいだよ」という地元の観光おばさんに勧められて向かった。

案内板にしたがって役場の支所にはいると、無料送迎バスが送ると言うので乗り込み、自分らを含めて7人が乗り込んだときに動き出した。

狭い山道を10分ほど、着いた駐車場で協力金として200円の入場料を払う、すると「この券を持っていくと”なんぶの湯”が200円割引になるよ」とのこと。

紫陽花は、今日で祭りがお仕舞いという割には満開とはいえなかった。蕾みもあるが咲きようが少ない、案内の人が「先週はもっと少なくて気の毒だった」といっていたが、前もって宣伝した人間の都合と気候が合致しなかったため、「お役所仕事は急旋回が難しい」の典型である。

Img_0117 しかし、その中で興味を引いたのが、山紫陽花の真っ赤な額を持つ品種と甘茶であった。どちらも今日が始めてのものであった、山紫陽花は園芸種と見誤るだろうし、甘茶は標示がなければ普通の山紫陽花と区別が付きかねるものものであった。(左 甘茶)

全体としての感想は、パンフレットの宣伝には及ばない展開であり、誇大広告であった。が頂からの眺めは南部町の市街地と富士川を一望できると共に手前の篠ノ井山とその後ろの十枚山など静岡県との境に連なる山が悠然と広がっている様は冬の時期などいいのではないかと思う。

もともと、紫陽花にはそんなに執心があるわけではないので降りて、入場料の元を取るべくというか、役場の路線に乗せられて”なんぶの湯”に入ったが、休憩所を利用する人は100円の割引です。とこれも僅かなことだが詐欺まがい。

午後4時過ぎ、全ての予定を終了して帰宅。

”なんぶの湯”の感想はまた後ほど、、、、、

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2006年6月23日 (金)

おこまがしいけどチョット

4時少し過ぎに目を覚まし、まだこの時間ならやっているんだろうな、とテレビのチャンネルを合わせてみると、以外や以外、日本が1-0で先行しているではないか。

この調子なら、後半にもう一点追加してなんて思っていたら、前半終了間際に反撃を受けて同点。後半は見るに見ておれなかったね。

実力の差以上に負けたような気がした。諦めがよすぎたのかな?

大体サッカーなる代物、自分は半世紀前に手を使わず、けったり、噛み付いたり、殴ったりしなければ何をしてもよいというルールで行なった雪上サッカーしか経験がないものだから、いまだにルールを知らないし、当時サッカーがこんなに人気競技になるなんて思っても見なかったものだから憶えようともしなかった。

それほど、ド素人の自分に戦術面について物申す資格は全然ないことは承知の助であるが、、、それ以外でおこまがしいことなんだけどチョッといいかな。

今度のチーム編成に当たって、静岡県出身者が5人もいるということから、まだまだマイナーな競技だなと感じている。

野球にしても陸上競技にしても、かなり長い歴史の上で選手は全国各地から満遍なく集まっているが、ことサッカーに関しては静岡の人がやたらに多い。

静岡の人が特別身体的にサッカーに適していると言うことはないはずだから、選手が全国から出てくるようになれば、日本のサッカーも一段と強くなるに違いないだろう。

とはいえ、日本でサッカーが今のように全国レベルで騒がれるようになったのはこれら選手の努力のたまものであろう。

一次リーグ敗退で帰ってくる選手や監督に暖かい拍手と励ましを献上しするとともに、地元から何人が選出とか高校レベルで地盤沈下なんて肝っ玉の小さいことにこだわらない競技に育て上げて生きたいものである

そして、サッカーと言えどもたかがスポーツじゃないか、それが勝ったとか負けたとかで目くじらを立てるほどのものではない、適当に楽しんでおこうよ。

と、分け知らずのおじいさんが言っていた。

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2006年6月22日 (木)

高嶺の花

P1010068_1 「リッチなご婦人とのデートが仕事」という虚偽広告を出して、登録料や手数料を振り込ませたとして3人の男女が逮捕されたと新聞に出ていた。

そして、手口は組織的で巧妙だとも書いてあったが、これは、被害者には悪いけど「バッカ じゃなかろか」というのが、当方の感想である。

金持ちの御夫人が何処の誰とも素性の知れない者、話し相手になるとしたらそれにあわせた教養や知的レベル(決して高いとは言わないが)の分からない人を広告業者に頼むはずがない。

そんな人はもともとたかって来るだけの貧乏人なんか相手にしない、高嶺の花なんだよ!写真:高峰高原の花畑に移植されたコマクサ。一輪だけ咲く高値?の花)

いまの世の中こんな広告に引っかかるとは、それも新聞によると51歳にもなって、、、、、、情けない。いままでどうやって生きてきたのだろうか。ほかに引っかかった経験がないのか、しょっちゅう騙されているかのどちらなのだろうと推測する。

また、それに輪をかけた、損害保険業界の虚偽広告もひどい。

「一流会社なのだから虚偽広告なんて出しません」と言ってみたって、集めるだけ集めておいて、いざ支払いになると難癖をつけて支払わなければ立派な虚偽広告だろう。違うかね。

今回営業停止を受けた三井住友海上を含む保険業界は、前にも明治安田生命や損保ジャパンが同様のことをして営業停止などの処分を受けているので、どの保険会社も似たり寄ったりのことをしている可能性がある。

特に最近は、外資系のの参入もあってコマーシャルで有利性を競い、少ない掛け金でほんとうにそんなに払ってくれて会社が成り立つのかと心配させるものまである。(コマーシャル費用だけでもすごいものがある)

何時の世でも”甘い餌には気をつけろ”の例えもあるように、上手い話にはもう少し疑って見ることが必要ではないだろうか。

「あのゥ 結婚後がらっと態度が変わった相手も虚偽広告の中にはいりませんか?もしかして営業停止とか、、、」

「もうこの年になると時効というものですから諦めなさい。男や女としてはとっくに営業停止になっているじゃないですか」

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2006年6月21日 (水)

サルーデサルー

Img_0094 今日は夏至、北半球では日照時間が一番長い日である。しかし、うっとおしい梅雨空の下、日照時間の長さは感じるべくもない。

”夏至でげす”なんてお爺いギャグをもってしても寒さを感じないくらい。

しかし、ワールドカップが行なわれている、ドイツなどではこの季節、湿気もなく清清しい太陽の下10時過ぎまで暗くならない夏至を楽しんでいることと思う。

日本で思うジューンブライトとは全然違って、6月の花嫁はいちばん気候の良いときの結婚出来る幸せ者なのである。

あまりのむし暑さを田んぼの風で吹き飛ばそうと、日没後出かけてみたが夕凪に当たったのか風はそれほどでもない。

ただ、稲の苗が盛んに伸びだした田の水には早くもおたまじゃくしが泳いでいる。やっと先週まで田植えをしていた田に何時の間に卵を産んだのか、耕運機やトラクター、人の足が田の水をかき回していたはずなのに。

少し薄暗くなった田のなかに小さなこぶがいくつも見えるので、目を凝らしてみると親子の鴨がこちらの視線を避けるように固まっていた。

さらに、蓮の田で蠢くものがいた、こちらは前後を親鳥に挟まれた子鴨の群れだ、秋の親離れを控えて餌の見分け方、採り方。そして危険からの逃れ方。

これを習得しなければ、生き残れない大事な学習の最中である。それにしても日中は空を飛べる親鳥しか目に付かないのに、雛はこの暑さの中どこでどう潜んでいたものか。

そんなことを考えながら小1時間、涼風が吹いては来たものの下着は汗でじっとりと濡れ気持ち悪くなってきた。

シャワーを浴び、さっぱりした所でビールを一杯、”サルーデサルー”(スペイン語で健康に乾杯の意 決してお爺いギャグではない)と呪文を唱え          暑気払い

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2006年6月20日 (火)

ブーケのような紫陽花

P1010080_1 ここ2~3日天気もよく気温が高いため、身体の調節機能が追いつかないようでなんとなく疲れたような症状が出ている。

テレビではなんだか難しい漢字を並べていたが、人間ばかりでもなさそうで道端の草もぐったりしている、元気なのは水に足を突っ込んでいる稲ぐらいのものか。水面から頭を出し、先端に風を受けながらゆらゆらと揺らしていた。

さて、昨日は市県民税、今日は国民健康保険の通知が来た。いずれも、改正だの改定だのという言葉を使いながら負担を引き上げたうえ、来年度は緩和処置は完全になくします、定率控除もなくしますと弱いものいじめがさらに加速させるようだ。

この先、収入が増えるのならまだしも、年金に頼っているものにとって将来の予想が付かなくなってくる。

同様に若い人からも「果たして年金がもらえるのか」と心配する声をよく聞く。もう少し将来はこうなる、といった展望が示せないのだろうか。

最も示した所で、国の施策が信用できないのだからどうしようもないのだけど、、、、

よく「信用を得るのは長い年月がかかるが喪うのは一瞬である」といわれ、今年に入ってからでもいくつもの例が見受けられる。

もう少しすれば、本格的な梅雨に入り、じめじめとした天気が続くそうだが、こちらは時期が来ればからっとした夏空が待っている。

梅雨空の下に咲くブーケのような紫陽花みたいに、近い将来、明るく希望が持てる世の中にならないものだろうか。

願っているだけの他力本願ではいけないのだが、、、、、

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2006年6月19日 (月)

不動の滝

もともとあてにもしていなかったけど、昨日の「父の日」はみんな知らんぷりで言葉ひとつないままに済んだ。なぜ、他の日は騒ぐのに「父の日」は音沙汰なしか?

浅間の疲れか、運転疲れか、サッカーのワールドカップの馬鹿騒ぎも気にならず、早寝を決め込んだのに今朝はすっきりしない。

Img_0091 梅雨の中休みとかで、最近にない良い天気とくれば気温もずんずんと上がっている様子。

長野へ行っているあいだ中、親しくしてもらっているイチゴ農家から何度も電話があった。「今年もこれで最後にするから残り物でよかったら採りにおいで、ジャムに丁度いいと思うよ」とのことだった。

行ってみると出荷は昨日でお終いにし、引き抜きにかかっているところだったのでまだ手をつけていないハウスに行ってみるともったいないような苺が沢山残っている。畝の間を発泡スチロールの入れ物を持って順に巡り歩く。

取り放題に取らせてもらったのあと、賎機中学の2kmほど裏の山にある不動の滝を見に登っていった。

車を誰もいない駐車場に入れ川沿いの杉の木の間を500mほど行くと、薄暗い木立の奥から音がし始め、滝の周りだけが青葉の光を透かして浮かび上がってきた。

不動の滝というからには、すぐ脇のお堂は不動様に違いないと思うが何も書いてない、高さにして15mくらいの小さなものだが叩きつけられた水は霧のように漂っている気分はすっきり。

しかし、帰ってくればまたむし暑さにぐったり、今日はジャム作りの匂いを嗅ぎながらぐだぐだと過ごすことにしよう。

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2006年6月18日 (日)

浅間山外周をまわる

Img_0067_1 人の気持ちというものは、つくづく弱いものだと思う。(仙人岳から見る前掛山と浅間の噴煙)

前掛山の中腹で座り込みおにぎりを食べているうちにすっかり気が萎えてしまった、と同時に膝のガクガク感がいっそう強くなり、湯ノ平高原の一番奥のJバンドの下に来たころはかなり疲労感が強くなってしまい、足元に群落する岩鏡や栂桜に目移す余裕もない。

落差が300mほどの岩だらけの火口壁をやっとかっとの思いで上りきったときには疲労の絶頂だった。

ここで大休憩、約30分ほど横になって眠ってしまった。とはいえ人通りの多いところ、遭難と間違えられても困るので、汗だらけになったシャツを乾かしている体を装って、、、、

Img_0060  ちなみにJバンドとは、チョモランマの8,000m付近にある黄色い石灰岩の層をイエローバンドと言うように、この崖には旧浅間山が出来たときに積み重なった溶岩や火山礫の層が交互にあり、多分爆裂で吹き飛んだ際残された山腹にその層が見え、下から数えて10番目の所にある峠という意味である。(写真はJバンドの断崖)

一休みでいくぶん生気を取り戻した後、鋸岳(2,254m)仙人岳(2,319m)蛇骨岳(2,366m)と名前も立派な外周の山の尾根をまわり、裏コースと呼ばれるルートで駐車場へ降ることにした。

外周の山から見る前掛山は、この山の特徴である縦縞を何本もスカートのひだのように直線で書きこみ、先ほど自分が歩いた道をアクセントのように斜めにいれ、その後ろの白っぽい噴煙を上げている釜山を隠している。まるで自分が噴火しているように、、

尾根筋を約1時間歩き、裏コースに入ったが将に裏コースだった、降り始めると石楠花やシラビソ 米栂のひくい木が道をふさぐようにして枝を出している、それをこき分けるようにして降るなだが、これは失敗だったかなと思って20分ほど下ったときようやく道が開けてきた。

傾斜がゆるくてと言う意味の裏には道のりが長いということが当然含まれており、高峰の駐車場まで約90分の道のりになってしまい。登りとほとんど同じ時間を要したことになった。

というわけで、浅間山はやり残しの宿題を作ったような結果になったので、再チャレンジは天狗温泉側からやってみようと言うのが今回の結論である。

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2006年6月17日 (土)

浅間山(2,568m)に挑戦

Img_0055_1 朝5時に出発する。空には一面の低い雲に覆われているが、昨日の夕焼けを信じて、、、、、。

小諸から高峰高原に登りだすと雲は霧になり、道路わきの木々を包む、1,500m過ぎくらいでその霧を突きぬけ、青空の多い空の下に出る、すると道路のうえしたに蓮華躑躅(レンゲツツジ)が明るく濃い橙色で出迎えてくれている。

高峰高原の駐車場で支度し、表コースから登りだす。ゆるい上り坂には岩鏡があちこちに咲き集落を作っている。その間に白山イチゲの白い花、少し登ると咲き遅れの石楠花や小桜が点々と木の間隠れで、恥ずかしそうにこちらを覗いている。

さらに登ると、足元の岩陰に栂桜(ツガサクラ)やタチツボスミレなどが花を付けだし、そろそろ夏まじかの準備をしているようだ。

7時45分鉄製の避難壕をを越えた所にある最初のピーク”槍の鞘”に到着、先客がいて朝食を取っていた。

下を見ると、小諸を含む佐久平はまだ雲海の下。西の肩を見れば薄ぼんやりとだが乗鞍岳から穂高 槍ヶ岳付近までが見える、先客と少し話をした後、岩場を巻いて”湯の平”に降るこの降りは”草すべり”と言ってかなり急斜面をジグザグに降る。約30分降ってみるとこの地形は爆裂火口の口底であり、槍の鞘から連なる2,300~2,400mの尾根はその時残った山のふちであることがよく分かる。

Img_0033 この降りでは、桜草や黄色のスミレが印象的だった。湯の平口で天狗温泉からの道と合流し、8時半に外輪山の一番北側のJバンドの登り口といま噴煙を上げている釜山のすぐ近くにある前掛山(2,524m)に登る道との分岐に到着する。

この分岐には、ロープがはってあり、ここから先は釜山が落ち着いてはいるので禁止はしないが、自己責任で登るようにと看板が立ててあった。

そのロープをくぐって登り出した。道は富士山ほどではないが小さめの石ころだらけの斜面に斜めに切ってあり、ザクザクとして歩きにくい。

ここを登りだしてからどうも足の調子が悪くなってきた、股関節と膝に違和感あり少し不安だったので上りだして1時間、避難壕が見え、もう少しと思ったが、駐車場に帰るには、一度下った後外輪山を再度登らなければならないので、ここが引き時と思い、座り込んでおにぎりをひとつ食べ、再度足に聞いた結果ひきかえすことにした。

以下は明日

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2006年6月16日 (金)

梅の実黄ばむ

P1010077 本日は七十二候の”梅の実黄ばむ”頃とあるが、今どき黄ばむほど熟した梅は見かけることがない。

昨夜来の大雨も午前中に収まったが、かわりに黴の生えそうな湿気が充満して少し歩いただけで、背中が汗まみれになった。

水没していたとの水も引き、ゆうべは何処で雨宿りをしていたか、アマサギが群れを成して田んぼを走り回っている。あの調子だと蛙でも追っかけまわしているのか、警戒心がやたらと強い性格からして、人が通りかかると次の田次の田へと餌場を移動している。

きょうは、これから長野は佐久市まで出かける、距離にして丁度200km。

先日の飛騨まで行くのに比べると格段に近いが、ちょっと家を空けすぎるかな。

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2006年6月15日 (木)

おふくろの味

食べ物の好き嫌いは、離乳食以降の周りの大人によって決まるものらしい。

周りの人がおいしそうに食べる顔を見て、これがおいしいものだと舌や歯そして鼻が覚えてくるものだと思う。

それでなければ、くさや、鮒寿司、なまこ、納豆などを経験なしに食べるのはよほどに勇気がいるし、食欲なんかは出てこないだろう。

このほかにも、果物のドリアンや椅子以外の四足は全て食べると豪語する中国料理や各国の下手物料理はよほど腹が減らないと手を出す気にはなれない。

かく言う自分も、母親がかなりの偏食というか食わず嫌いだったため、親元にいた頃は食べられないもが数多くあった。しかし、寮生活や海外勤務で分かったのは三日飢えれば何でも食べられるようになると言うことだった。

しかし、食べられると好物とは違うものであり、男の大半は母親の料理で育ったため、いわゆる”おふくろの味”が究極の食べ物になる。

おふくろの味以外に、面白いと思ったのは、仕方なしに食べていたものがある時から好物になったり嫌いになったりすることである。好物になったものとしては納豆、オリーブオイルと唐辛子のよく効いた料理(とくにソパデクリオージャと言う田舎風スープが好き)などがあり、嫌いになったものの代表として鶏肉がある。

いったいに、南米料理に使用されるオリーブオイルは、濃い茶色をしている上強烈なにおいのするものが多く、紙幣にまで染込んでいる。とくに、ペルーなどでは、飛行場に降りた途端その臭いが鼻につく。丁度日本に来た人が味噌醤油の臭いを感じ取る以上に、、、

それ以降、日本でのオリーブオイルは味もそっけもなく、偽物のような気がして仕様がない。また、鶏肉が嫌いになった原因としては、同じ時に朝昼晩と毎日出されたことによると思う。ではなぜ、日本で三食出された御飯や味噌汁があきが来たり嫌にならないかであるが、これは、冒頭に上げた周りの人が上手そうに食べたのが刷り込まれているせいなのだろう。

おふくろの味とは、味噌醤油の使い方、だしのとり方、素材の鮮度などその土地の料理にその家その家のアレンジを含めて作り出されたもので、決してコンビニ弁当のように何処で食べても同じ味というわけはない。

今回の帰郷でも、山菜や海産物など郷土の味の素材に、なけなしの財布をはたく勢いで買出しをし、ここしばらくの食べすぎ状態が続くものと思う。

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2006年6月14日 (水)

葦切りの井戸端会議

P1010073 今日の散歩はおなじ遊水地の中でもすこし東側、流通センター北側を歩いてみた。

こちらは、湿地の葦と水域には蓮が繁茂している。人の訪れは釣りをする人を除けばごく少なく、鳥たちが気ままに遊べる所であるが、この時期数が少ない。その中で一番多いのが大葦切(オオヨシキリ)だろう。

あちこちの葦の中に潜んで、グチュッグチュッ ジュルルルルーとまるで愚痴の言い合いみたいに低い声で啼き交わしている。

写真に収めたいと近づくと、ひと声大きくキタキタって感じで鳴りを潜めてしまう。

まるで、井戸端会議をしている所へ噂の主が来たので、「来た来た、あの人が、、、」と言って話をほかにそらしてしまうようで真に不愉快である。

おりしも、国会で”医療制度改革法”が与党の賛成多数で可決され、秋から高齢者の医療費負担がまた増えるそうだ。この調子で行くと医療費に苦労する高齢者は我慢できなくなるまで医者に掛かることが出来なくなり、手遅れ状態になってやっと病院に行くことになりそうだ。

まあ、簡単に言えば貧乏な年寄りは早く死んでもらって、高齢者比率を下げることを目論んでいるんだろうな。それにしても悔しいのは、もう少しもう少しと高齢者の仲間入りをしようとする先から、高齢者の恩典が先送りにされ逃げて行くことである。

こうなると、葦切をまねて人の目の届かない所でグジュグジュというしかないのか、「福祉の党 平和の党」は連立して政権にしがみ付くための嘘っぱちだったことになる。

次の選挙には少しばかりだけど仕返ししてあげるからね。

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2006年6月13日 (火)

雛 巣立つ

P1010014 早いものでこの間巣を作っていたのにもう燕が巣立っていった。

畠の中に打ち込んだ木の上で雛鳥が親を待ち、親が近づくと一斉に口をあけて餌をねだっている。

そばで見ている自分には親がどこにいるのか分からないうちから騒ぎ出す、目がいいのか、気配で分かるのか生きると言うことはこういうことかと感心した。

昨夜のサッカーは49%の視聴率とか、真夜中を考えると驚異的数字である。

今朝は随分と眠い人が多いことだろう、くれぐれも仕事場で事故の無いように願う。試合はこの二日間の疲れで見ていなかった自分が解説するまでもなく負けているが、これから先さらに強敵を迎えることになるだけに心配である。

しかし、サッカーには番狂わせがしょっちゅうあるのだから、まあ精一杯選手が頑張れるような応援をしてあげたいものだ。

サッカーが盛んなここ静岡では、さっそく采配の振り方について疑問の声を上げている、いわゆる評論家もいたが、丁と出るか半とでるかはやる前には分からないはず、結果論は誰にでもできる。

とにかく一次予選でさえが運良く勝ち取ったのだから、期待をかけすぎてガチガチに固まらせるのだけはよしにしようぜ。

選手のほうも、ジーコ監督の雛鳥になって、気配を事前に感じ取るだけの余裕をもち、後は天佑神助をまつだけだね。

もし、結果がでなくても勝負は時の運”何てこと非ずよ!”の気持ちで、、、、、

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2006年6月12日 (月)

ジーコ ジーコ ジーと

きのう笈破で聞いた春蝉の鳴き声が微妙に耳に残っている。

ジーコ ジーコ ジー   と    

今日は、ドイツでサッカーのワールドカップ大会で日本が出場する日である、新聞記事もかなりの紙面を割いている。

朝8時過ぎ、笈破の今の当主である従兄の家を辞し、街中でいつもの懐かしの食べ物(老田屋の即席麺、黒作り、かまぼこ、似ギスの一夜干しなど)と若干のみやげを買い込み出発する。

奥飛騨温泉郷を抜け、平湯から安房トンネルを抜けて松本から自動車道で静岡に向かうコースを取ることにした。

山道で何台も引きづって走る先頭車の、のろのろ運転にいらいらさせら「走れない 譲れないならこんな所へくるな」と毒づきながら、、、

それでも、中央道小淵沢インター付近を昼ごろ通過しそうなので、まだ行ったことのない白州のサントリー蒸留所によってみようということになった。

ここは、ウイスキーの全ての工程が見られるのと、森の中の工場なのでバードウオッチングエリアーがあるので前から一度と思いながら行けなかった場所であった。

P1010047_2 受付を通ってまづは工場見学に引率されて入ったが、最初に入った蒸留所で麦汁を蒸留する甘い匂いに深呼吸し、貯蔵庫の樽のなかでウイスキー原種の濃い匂いに思わず喉がなる現象に襲われた。

酒好きにはたまらんところである。女性陣はリチャー場といって、樽の中を火で焼いて古樽を再生するシーンがダイナミックなようで印象的だったと話しているのが聞こえた。

最後は”バー白州”での無料試飲会であったが運転手は、ワッペンを貼られているのでジュースか白州の水しかあたらないため、恨みの試飲会であった。

その後、バードサンクチュアリーと言うことで森の中を見てまわったが、鳥どもは新緑の中に隠れて見えず声もほとんど聞こえない。

ただひとつ、郭公がカッコー カッコーと時計を刻むように遠くで啼いている聖域(声域?)であった。

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2006年6月11日 (日)

カーナビは地名だけ

P1010018_1 兎追いし かの山 

岩魚 釣りし かの川

夢は いまも廻りて 

思いいずる ふるさと

朝8時にいまでは飛騨市役所神岡支所となった、集合場所に集まった人は50人を越えていた。

僅か7軒の小さな集落、無人となってはや25年、住む人のないふるさとの祭りに向かう人々は、いずれもいくぶん興奮気味に一年ぶりの挨拶を交わしている。

十余台の自動車に分乗して富山県との県境にある山の村 伊西地区を目指して約30分山道を登る。ここまでは舗装された道路なので自分もここまで入るがこの先のダートコースは、ジープ型の4輪駆動車でないと無理だとのことで乗り換える。

ジープは右に左にハンドルを切り返し車内の人を揉みたくる、約40分の格闘の末ようやく目的地の傍に到着、車を道脇に少しづつばら撒くようにして駐車させる。

「ここが、家のあったところだよ。水車小屋はあそこ、納屋はこっち」と言われても思い出と現実は合致しない。どの家も壊す前に雪で押しつぶされたとのこと、尺角の大黒柱を中心に50センチ以上のウシ、7センチの垂木がいとも簡単に折られ倒される。家は人が護らないとたちまち駄目になってしまう。自然の圧力の強さを改めて思い知らされた。

P1010024_2 草刈場だったところに目通り3~40センチの木が立って森になっていたり、田んぼだった所にも杉が植えてあり、いたるところにコゴミ(草蘇鉄 山菜)がほうけた葉っぱを広げている。

自分が覚えているのは、綺麗に整備された田んぼとあちらの隅、こちらの山すそに一軒 一軒と散らばって、峠に上ると標高千メートル盆地に谷川が二股に分かれて流れ、さながら桃源郷のような広がりが見通せ、いまの時期、沢山飛び交う蛍を、木の枝でかき分けるようにして遊んだのを覚えている。

年に何回かだが訪れた、父親の在所であり先祖たちが何十代以上(もしかしてそれ以上前)にわたって築き上げた集落は、今は夢の中にしかなくなった。

祭りは、やはり取り片付けられた社の跡に石屋にたのみ作った石造りの小さなお宮さんで、行なわれた。杉木立に囲まれた野天での祝詞は、どこかに吸い込まれてしまうようにか細い。

懇親会の後、山菜採りなどして帰途に着いたが、レンタカーのカーナビは真っ白の中に矢印と「笈破」という消えた集落の名前だけが書かれていた。

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2006年6月10日 (土)

さあ 先祖の地は

P1010066 日は時の記念日。

ふるさとの飛騨をめざしてこれから出発する。

先祖代々過ごしてきた廃村の最後になるかもしれない祭りに招待されての古里帰りである。

先祖代々、文書になって残っているだけで四百年、それ以前も、ひょっとすると古墳や弥生時代にまで遡るかもしれない時代から住み着いていただろう先祖の地も人が住まなくなって早25年ほど。

自分が最後に訪れたのは約30年前。「荒れ果てて当時の面影はないよ」という電話。

時はどんな変化をもたらしたか、多分もう行くことのないと思う土地を目に刻んでこようと思う。

朝からすっきりとした上天気、静岡名物?苺を土産にさあでかけよう。

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2006年6月 9日 (金)

藪虱(ヤブジラミ)

P1010009 きれいな花、名前の知らないは名を見つけ写真に収めようと近づくとズボンのすそに藪虱(ヤブジラミ 写真)がびっしりとくっついている。

秋のオナモミやイノコヅチなどのように動物の身体を利用するため道筋に沿って繁殖していく植物である。

藪虱は、この時期すでに葉を落とし細毛のついた種をどこかに運んでもらおうと、他の草の陰に潜んで機会をうかがっている。

今日ついに来た、「訴状受理通達書」なるものが。

新聞なんかでよく聞いていたが、どこでどう住所と名前を知ったのか自分宛に届いた。民事執行管理事務局という名前の所からきている。

中身は脅かし文句をくどくどと書いて、土日を除く二日以内に連絡を、と金曜日の午後に届くように出している。

何とか懲らしめる方法はないものかと、交番で聞いてみたが住所はでたらめだし、電話番号も中継になっているだけで難しいという。

「振り込め詐欺」も同様だが100件にひとつでもヒットすれば儲けになると、セッセと葉書を出し電話をしているに違いない、まったく社会の裏側で身をひそめ、機会をうかがっているひっつき虫は何時になったら消え去るのか。

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2006年6月 8日 (木)

我田引水

P1010026_1 ここしばらく雨も降らないのに、静岡市北部の麻機(アサハタ)近辺の農業用用水路は水があふれかえっている。

山向うの安倍川と中心を流れる巴川からポンプでくみ上げた水が潤沢にあるせいだ。

P1010028_1 こちらでも、半分以上が田植えを済ませまだの田んぼも合わせて水が満々と張られ、水鳥やかえるも久し振りに生活範囲が広がったのを歓迎しているようだ。(自分の姿を水鏡に映しダンデイぶりを楽しんでいる青鷺)

むかし、自分さえよければの代名詞として使われた「我田引水」は死語になったか、いや別の世界では健在である。

おりしも、今日は東海地方から西の太平洋側は梅雨に入ったらしいと気象庁は自信なさそうに発表した。

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2006年6月 7日 (水)

じじばかチャンリン傘もって

午後から雷が鳴り出して2時過ぎから雨になってきた。

学校から孫の家までそんなに距離があるわけでもないが、じじばかチャンリン、傘を持って迎えに行く。

あめあめふれふれ 母さんが

蛇の目でお迎え うれしいな

には程遠いことながら、他の子どもの母親にまじって、ごましお頭のじいじが並んで下足入れのところで待つ。

夕立ちのように一過性のものらしかったようで、4時すぎには陽も差してきた。

よく、子供の頃夕立が降りだすとしばらくは軒を借りているが、いつも、もう少しが我慢できず、飛び出してずぶぬれになった経験が何度かある。

ああいうときの我慢というものは、なかなかむつかしいものである。

もう15年ほど昔になるが、ツアーでフランスに行きパリ南部モンパルナスの小さなホテルに泊まったときのこと、着いてすぐ部屋に荷物を置き、ひとまわり外を見てこようとしてエレベーターに乗り、下の階のボタンを押して下がりかけた時、突然止まってしまった。

あの時はまったく慌ててしまった。少し下がっただけなので、最初はドアに手をかけて広げようとしたが、少し動くだけで開かない。廊下を通る人もいないしフランス語は勿論、慌ててしまうと英語さえ全然出て来ない。

もし、ドアが開いたとして、出ようとした時に突然動き出せばどうなるのか?先だって東京の公団住宅で高校生が亡くなった事故と同じ結果になりかねなかったが、あのように予期せぬ事故の場合慌ててしまう自分が後で恥ずかしく思ったものである。

くれぐれも我慢をし、考えて行動をすると言うことは難しいものである。

ようやく、エレベーター内の電話が各部屋にかかることを思い出して連絡、30分ほどたって救出されたが、その時電話機の上にシンドラーの名を見たのを覚えている。

そして、パリでの事故では、関係者の誰からも一切の謝罪がなかった。人が怪我をしたわけでもなくホテル側の対策が迅速に行なわれたことは自慢でこそあれ謝る筋合いのないものというのがあちらの考えらしかった。日本ではちょっと考えられないことであるが、、、。それに謝ればどれだけ慰謝料を取られるか分からないから、責任はほかに転嫁しておくのがあちらの常識である。

日本での今回の事故も、あちら流のやり方で処理しようとしているようで、住民説明会に製造会社が出席をし、言質を取られることを恐れ拒否しているとのことだが、「世界の常識は日本の非常識」あることを思い知らせ、きっちり責任を取ってもらう必要がある。

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2006年6月 6日 (火)

芒種 種亡

P1010055 そろた出そろた 早苗がそろた

植えよ 植えましょ 御国のために

米は宝だ たからの草を

         植えりゃ こがねの花が咲く

今日は芒種。稲などの穀物を植えつける時期を示す日である。

むかし、田起しから代掻き、田植え、草取り、稲刈り、合間の水管理までを全て人力で行なっていたころ、農村の学校では田植えと稲刈りの時期は学校が臨時休校し、子どもは苗運びや子守に駆り出され、大人の仕事振りを見、昼は隣近所の人に混じって土手や茣蓙の上に座っておにぎりを食べたものだった。

しかし、今どの田んぼを見ても子どもの影など何処にもない。いるのは五十代から上のじじばばがほとんどである。

先日法事で集まったときに、坊さんから「今の子どもの躾がなっていないのは五十代から上の人が子どもを甘やかしたせいだ」という趣旨の説教があったと聞いた。

たしかにこの言い方は一理あるように思う。では何故そうなったのか?

今の60~70代の人たちは育ち盛りのころ、「欲しがりません勝つまでは」の時代を経て飢餓の境をすり抜けてきた人であり、そのすぐ下の世代も欲しい物が手に入らない時代を過ごしてきた。

そのため、特に女性に多いと思うが子どもに対して自分がしたかったことをしてあげるのが幸せだと思い、当時の世間の風潮もあって自由気ままなお譲ちゃんお坊ちゃんを育てあげ、その成果の子どもたちである。

その世代が悪いというなら、戦争でその世代をそんな気持ちにさせたその前の世代にも責任があり、さらに国際情勢音痴の国民にした、その先の世代へと行くということになりはしないだろうか。

芒種、日本の出生率はさらに下がって1.25とか、自殺は8年連続で3万人を超えるとか先が見えず明るい見通しが少ない中で日本人は種亡とならないように願う。

半日は明るいはずの田植えから始まったのに、終わりが暗くなってゴメン

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2006年6月 5日 (月)

はい、サヨナラ と

今日も不愉快なニュースが連発し新聞種は尽きないが、あちら見てもこちら見ても同じような切り口でコメンテーターという輩が深刻そうな顔つきで話している。

あまりばかばかしいので午後のテレビは見ないことにした。新聞も同様だったが馬鹿ばかしついでに面白いと思ったのは、芸術選奨の取り消しだった。

これまで、一旦授与したものを取り消したのはなかったとのことだから、文化庁も大慌てしたに違いない。委員7人のうち3人しか来ないで結論を出したというが、こうなると例のごとく初めに結論あり、だったに違いない。

委員会の権威も地に落ちたものだ、もっとも投書があったのを無視して、杜撰な推薦をする段階で落ちていたのだから仕様がないか。

テレビの報道を画像を見ていると、絵のことが詳しくない自分らはよく似ていると思う。いやまったくの丸写しにしか見えない。

受賞者もオリジナルだと強弁せずに、習作だ、模写だと言えば絵画の世界にはよくあることだし必要なことらしいので赦されたのだろうけど、芸術選奨までいくとそうはならないんだろうね。

今日も、別の番組で別の人が言っていたよ「プロ中のプロにあるまじき失敗」だって。

ついでに付け加えさせてもらえば、「さんざんいい目をして、後顧の憂いはないから、ここらで退場しましようか。はいサヨナラ」と

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2006年6月 4日 (日)

気晴らしの山 矢倉山

P1010096_1 観光案内を見ていたら近所の川で6月3日に「蛍狩り」をやるとのことなので、その前日に見に行こうかと相談したら、孫いわく「3日に放すのでその前に行ってもいないよ」とのこと、しらけちゃったね。

早くからこの日に「蛍狩り」を決めた理由が分かった。蛍なんてものは、気候によって早かったり遅かったりするものである。それが、、、、、そんなに計画通り行くわけないよな。

毎年その場所で蛍狩りをやっていたので、自然発生のものと思っていたが、理由を聞いてガッカリし行く気がしなくなってしまった。

そして、今日は梅を貰いに島田の伊太に行ってきた。こちらは季節どおり順調に仕上がっていて、枝もたわわに実っていた。

丁度農家の庭先のところを収穫していたので、取りたてのところを分けてもらった。

籠から、選別機に移し、大中小に分けるのだが、籠を開けた途端なんともいえない爽やかな香りがひろがる。梅酒用に5キロ、梅干用に5キロと果肉ジュース用に少し貰う。

10年余も毎年来ている所だが、今年は少し時間があるのでこの後、矢倉山(311m)に登ってみることにした。

矢倉山、島田市街の北、伊太の里から見上げると標高は低いながら覆いかぶさるように突っ立っている。大井川を見下ろしたり対岸牧の原を展望できることから、その昔見張り櫓くらいはあってその名残りが山の名になっているかと想像できるが資料はないようだ。

この山もほんとに久し振り。最初はこの麓で地すべり防止の工事をしていた時であり、前回登ってから8年ぶりぐらいになるか。

登る人はその後もかなりいるようで、道はかなり整備されハイキング気分で登れるようになっている。道脇には花茗荷が今を盛りに桃色がかった小さな花を咲かせ、足元には竹の葉がかなり分厚く積もって道をふさぎ滑りやすくしている。

20分くらい登ると道は二股に分かれ、急登コースと迂回路コースに分かれるがいつもどおり急登コースを選ぶ、ジグザグと登ること15分ほどで合流しさらに10分で山頂に着く。

ここは、木が茂っていて頂上の標識はあるものの何の変哲もない尾根の一部にしか見えない。そのため、南側斜面をすこし下ったところに断崖がありその頭から島田市を一望できる所がしつらえてある。

P1010090_1 ここからは、丁度真下をトンネルで貫通し、いま建設中の第二東名が見えその先の牧の原台地や島田市の中心街が少し薄呆けてみえる。風は下から吹き上げて汗をかいた肌に心地よい。

おさまるのをまって、再び頂上に戻り下山する。もちろんゆるやかな迂回コースを使って。

登り50分 降り35分持ち物は何も持たず散歩コースとしては、気晴らしになる山登りであった。

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2006年6月 3日 (土)

昼の蚊の

P1010004_1 昼の蚊の 刺すや 手をかえ品をかえ 

という古川柳がある。

庭の草むしりを始めると何処からともなく寄ってきて、気がついたときには脚 すね 腕の所嫌わずに赤くはれ上がっている。

夜 耳元でプ~ンとうなられるのも嫌だが、これもいや。梅雨を間近に控えてそんな気節になってきた。

それにつられた訳でもないが、今度は「村上ファンド」が標的になったようだ。随分と派手に暴れまわったものなぁ。

ライブドアとともにお金にあかせて大企業の株を玩具にし、自分たちが一生どころか何世代かかっても動かせない金を操って我が世の春を謳歌した人たちである。

このことに対して、世間は、とくに下流社会の人は反感をもった。マスコミに踊らされた面もあるが、あそこがここの株を買い占めているという噂でお先棒を担ぎ、おこぼれに与かろうとして損をした面々も沢山いる。

ここからは、何も知らない野次馬の想像である。

ライブドアや村上ファンドに対する手入れは、旧来の企業経営者による反撃ではないかと思う。彼らが行なったことに対して一番恐怖を感じたのはほかならぬ、一部上場会社の経営者であろう。

いわゆる老舗の経営者に同僚を蹴落としようやく成り上がり、これから自由気ままにやって行こうという時になって、突然外部からいちゃもんを付けられ、配当金を増やせの、あの資産を売れの、取締役をいくつか寄こせなどは受け入れられないことだったろう。

そこで、正面切っての反撃は難しいので、マスコミを上手に操ってあおらせ、世論を味方につけ、さらに裏に手を回して昔ながらの「お代官様、何とかし潰してもれませんか、、」とやったのではないだろうか。

大企業は何れも叩けばほこりが一つや二つ出るものである。談合問題など必ずからんでくる常連企業もあるが、ライブドアのように半身不随にまで追い込まれたのはない。(ライブドアの裁判もどのくらいの刑になるのか興味がある、おそらくびっくりすほど軽いと思う)

村上ファンドも今年になってそこに気付き、海外へ本社機能を移転しようとしたのが、今回の事情聴取の発端と見る。関係のない外部から見るとさながら将棋などのゲームを傍から見る。「傍目八目」的なところがあり、この先どうなるのか「興味津々」である。

もうひとつついでに、楽天やソフトバンクなどの新興企業ははセーフなのだろうか。

 昼の蚊の 夢や一筋 芋の蔓  也有

話題の人を小さな虫けらに例えてごめん。でも江戸時代に百姓一揆で倒れた人を供養する場合、飛騨では公式に出来なかったため、殺した田んぼの虫を供養すると言う名目で「虫供養」を今でも行ない、先人の威徳をたたえている。

今日静岡は各所の小学校で運動会があったらしく、あちこちで運動着姿の小学生を見た、不肖じいじも、2年生の孫の応援と昼ごはんをよばれに行き薄日ながら心地よい一日を過ごしてきた。

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2006年6月 2日 (金)

ノハカタノカラクサ

P1010095 ノハカタノカラクサ。これがなんだか分かる人は10人中何人いるのだろう。

漢字で書くと「野博多唐草」となるが、植物か唐草模様の一種かまではわからない。

そこで、写真を見てようやく露草に似た花を持つ植物なのだということがようやく分かるという仕組みである。最近は分類学上ということで植物や鳥をカタカナ表記する様になったが、自分としてはかなり違和感がある。

といって、まったく漢字で書かれるといろいろな読み方があったりして、恥をかくこともあるのだが、同じ植物や鳥でも地方によっては呼び方が違ったり、誰がつけたか意味の分からないものや、ひどいものもあるが、総じて漢字のほうが意味が取りやすいことは間違いない。

しかし、この植物も例によって南アメリカからの帰化植物だ、とのことだが、この名前からはそんなこを全然想像できないし、今 野山でかなりの勢力を誇り、咲き乱れている。

「博多唐草」は紫色の花のようだがとんと見かけないし、この花がもともと日本の花かどうかも、植物学者でもない自分には分からないが、今後とも、分類学に逆らって漢字表記を優先したいと思っている。

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2006年6月 1日 (木)

うっかりカメラも向けられない

P6110006 今日は「衣替えの日」ということで、学校や官庁ではいっせいに夏服になる日である。ここしばらく気温の高い日が続いたので今や遅しの感がある。(6月を代表する花 花菖蒲)

昨年からのクールビズとやらで、今年は特に拍車がかかることだろうが、それにしても夏服支給の公務員はいいよな。

ということで早速、ブログに使用せんものと街中に出て白の制服に着替えた学生を写真に取りたかったが、最近の風潮から言って、街中でカメラを知らない女の子に向けでもしたら、胡乱臭い人不審人物だと通報されそうで、うかつな行動を取れない。

これから、街中でカメラを取り出してせいせいと写せるのは、今日から始まるという駐車違反取り締まり者だけにになるかもしれない。

こちらの方は、一応歓迎する。最近ほんの少しの距離でも自動車で移動し、所構わず車を止めている人が多すぎる。いちいち腹を立てていたらきりがないので我慢しているが、交通法規の試験に合格したにしてはなっていない、また交通法規になくても思いやりということを考えれば当然のことが出来ていない。

このところ、ガソリンの高騰や健康のため歩いたり自転車に切り替えている自分としては、ビシビシと取り締まっても良いと思うが、くれぐれも公平にと願いたいものである、ともすると、みなし公務員をエライ人と錯覚したり、企業収益を重要視したりすることのないように。

また、新しいものにすぐ飛びつく静岡気質としては、長続きさせる努力をして欲しい。前にも運転中の携帯電話禁止や自転車に法規違反に切符を切るのが一番多かったなどスタートダッシュはいいのだが、その後音沙汰がなくなったように。

あわせて、「気象記念日」でもあるというが、こちらはあまり当たらないので影が薄い。気象衛星などで精度が上がっていいはずなのに、そう感じないのはどうしたことか。

「当たらない」の代表として宝くじを交通事故よけにもっているというのを聞いたが、これに類する仲間にならないことを祈る。

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