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2006年7月31日 (月)

先が思いやられる

Img_0005 朝早くから沈丁花の木に油蝉が止まって、シャンシャンシャンとがなり立てている。

昨日、「関東、東海、甲信越地方が梅雨明けになったもよう」と気象庁が発表したと報じていた。そして、梅雨明けは平年より8日の遅れだとのこと。

こちらとしては、5~6日前から明けていると宣言しているので、そのころ発表すれば「ほんの少しの遅れで済んだのに」 なんて言っていたら、意地の悪いもので夜には雨が降り今日一日曇りで気温が低く、27度くらいにしかならなくて、夏はどこかへ行ってしまったようだ。

またしても昔話だが、「梅雨明け十日は雨知らず」なんていったものだ、おかげで梅干用の梅を土用干しにするには、またしばらく御預け。

そんなこんなで、日課の麻機沼周りを昨夜の名残り露(雨?)を蹴散らしながらの散歩に出かけたが、布袋葵(ホテイアオイ)が涼しげに咲きだしていた。

この花、金魚鉢用に売ってあるのは金魚につつかれてか、それとも狭い金魚鉢にあわせてかそんなに大きくなっていないが、沼に自生しているのは栄養がよいのか、はたまた環境があっているのか分からないが、ふてぶてしいくらい御立派。

水面に出ているだけでも、ゆうに30センチは越えている。先年、水鳥が多い大きな沼では、これが、大繁殖しかなりの部分をうめつくした。

そう、目通りで300m四方ぐらいに広がったように思う。

さすがに誰かが市に対策を求めたようで、秋にかき集めて捨てて以来ここには無くなったが、北側の一角 別の沼では、水面が見えないくらいに繁殖し、勢いをとどめている。

話が変わる、先日どこかの小学校で先生が料理した新じゃがを食べて77人が食中毒になった。という報道があった。

びっくりしたね、生まれてこの方じゃがいもで食中毒とは。たしかに、「春先の新芽は毒だよ」と聞いたことがある。でも、皮を充分に取らなかったせいだと書いてあったのを見て、あぜんとした。新ジャガの皮なんてごく薄いから、芋同士ぶつかっただけでもはがれるのに、そんなものが身体に悪いなんて、、、、。

だって、大好きな芋の煮っ転がしは、親指の先ぐらいまでの小芋を皮付きのまま食べるんだから、でないと芋が崩れてどうしようもないからね。

さすがに、春先を過ぎてひねのじゃがいもになる(じゃがいもは夏にしか採れない土地に育った者として)と皮が固くなるから、口の中で熱いやつをグチュグチュとして中身を出す、でも皺がよるくらいの方が美味いんでね。

そんな食べ方でまるごと腹に収めたけれど、いがらっぽいことはあっても中毒なんて、、、、。

やはり、体質が変わってきているのだろうか。

NHKの恐竜の放送なんか見ていると極端に発達した大型動物は、気候の変動などがあった場合、対応しきれなくなって絶滅すると言っていたが、人間もその部類に入ってきたらしい。

”何を食べても”とは言わないが、せめて、先祖が食べて安心だったもので中毒を起こすようじゃ、先が思いやられる、布袋葵じゃないがどこに行っても嫌われるくらい繁殖がないとね。と、もう子つくりができない人が言っていた。

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2006年7月30日 (日)

火遊びは寝小便のもと

Img_0118 ドンとなった花火だ

   きれいだな

   空いっぱいに

     ひろがった

    しだれ柳に 

      ひろがった

赤、青、緑、紫と色とりどりの星が一斉に飛び散り、夜空を染めるスターマインの華やかさ。

腹の底にずしんと響く音と共に、目の前いっぱいに広がる大玉花火。その中心を見ていると、まるで空に引き込まれるような感じがし、パチパチと音を立てて降り注ぐ橙色のしだれは夜空のカーテンか。

昨日の夕方、安倍川の川原で行なわれた「花火大会」に行ってきた。

招待券が4枚、手に入っていたので近所の夫婦と共に出かけた。噂では席の場所が決められていないので早い者勝ちだし、尻が濡れるかもしれないから、ということで、小さなシート持参で早めに向かった。

以前は、川原に足場を組んで桟敷を作っていたようだったが、今では河川敷の芝生の上にブルーシートが敷いてあり、招待者も思ったより少なめで座るに充分以上の広さが確保できた。

さすが、招待券の威力。周りの道路や土手は立ち見の人で、大げさすぎるかもしれないが「足の踏み場もない」状態なのに寝転がって空を仰ぎ見ることが出来る。

夜風も適当に吹いて、暑からず寒からず、思わず「こんなにいいのなら、親も連れてこれればよかった」なんて繰言も考えたが、こんな風になったのは最近のことらしいから、、、、、。

空も暗くなって、打ち上げが始まった。花火の世界も毎年進歩すると共に、流行があるようで、初めて見る形、色が次々と出てくる。

ひとつひとつを論評する隙も与えず、次々と打ち上げられる。論評するといっても、「うわ~」「こりゃいい」ぐらいだけど、、、、ね。

一時間半にわたって57万人(主催者発表)を魅了した花火が済むと、混雑を防ぐため、招待席は出口封鎖に会い、人が少し減ってからの開門となる。

なんだかだで、帰ってこれたのは花火が終了してから2時間余も後になってから。

午前様になって床に入ったが、むし暑さばかりでなく寝つきが悪かった。

むかし、「火遊びをすると寝小便をする」といって叱られたことがあるが、花火大会は、年をとって物に感動すると言うことが少なくなってしまったと思っていたが、心の中では興奮しているのかなと感じたしだいである。

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2006年7月29日 (土)

魔法にかかった少年(越前岳1,504m)

Img_0082 空、近来になく青く晴れ渡っている。

目覚めたのは六時少し前、これは寝すぎたとばかりにあわただしく支度をし、コンビニで弁当を整え、以前から「晴れたら行こう」と、ねらっていた”愛鷹山塊の最高峰”越前岳を目指すことにした。

富士サファリーパーク近くの十里木の駐車場についたのが七時二十分だった。

すでに先客の自動車は10台近くある、十里木から見る富士は、宝永火口をヒョットコのようにチョット斜めに向けてすねているように見える。

きょうは、後ろにすこし、雲のボカシを入れ、久し振りにすっきりとした輪郭の素顔を見せている。

「富士を背負って登る山」 富士の周りには幾つかあるが、このコースもその典型である。

木道の階段で整備された登り道で、早くもあごを出した先客を追い越し、上のベンチに到着すると、小学2年の男の子を連れた女性に出会う。

小学生(しんちゃんというらしい)半べそかいている。母親は「たぶん頂上は無理だと思う」と言い残して先にたつ。

しばらくして、岩の多いところで追いついたので、子どもを励まして追い越し、盛りの過ぎた山法師が富士を背景に綺麗に咲いている”馬の背”で一休みをしたころは、子供の気配は全然なくなっていた。

それから登りだすと、次第に雲の量が多くなり、霧もかかりはじめて来た。

しばらくすると、下のほうに子どもの気配がし、つかず離れずするうちに追いついてきたのは先ほどの”しんちゃん”ではないか、「坊や 魔法にでもかかったのかい?」と声をかけたが、、、後から追いかけて上がってきた母親は「本当にそうみたい、急に元気になってしまって、、、」と言い残して霧の山道に消えていった。

山頂には出発から1時間40分、母子とすれ違うようにして到着。早飯を済ますと霧も和らぎ富士、富士宮一帯がうっすらと見え、富士山も少し顔をのぞかせた後、ふたたびベールの彼方に消え去った。

山頂で三十分ほど過ごして下山にかかったが、すれ違う人の多いこと、40人は越えていたと思う。ひさしぶりに賑わいの山。早く登ってよかったを実感した。

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2006年7月28日 (金)

ふるいけや

Img_0055 本日は七十二候のひとつで「土 潤って 蒸し暑し」だという。

まさに、言葉どおりの気候だと感じ入っている。

散歩の途中、田んぼの向こう側に見慣れぬものがあったので、近道代わりにあぜ道を渡って行くことにした。

畦は狭く、久し振りに平均台を渡るような気持ちで手を広げ、柔らかい土の感触を足裏に感じながら、バランスを取って歩く。

以前なら、手を広げるまでもなく、スタスタと行けたような気がしたんだがと、思いながらゆっくりと歩く。

足元の草から小さな蛙が右に左に飛び交う。まるで、自分を先導するかのように無数の生ものが草をゆらす。

草を薙ぎ倒すようにふると、手の中に一匹、2センチに満たない土蛙が一匹入っている、無造作に取れるほどいる蛙もここまで成長するには、鷺や雷魚などいろいろな動物の餌になり、冬を越して卵を産むまでの生存率はどんなものだろうか、、、なあんて思ったかどうか、、、

古池や かわず飛び込む 水の音  

                        ばせう

古池ならぬ田んぼに波紋を作りながら、ようようにしてたどり着いた向こう岸。

そこには、どこからもってきたのか、赤い布を草にかけてあったというお粗末の一席。 

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2006年7月27日 (木)

言葉は世につれ 

P1010010 まさか夏休みのせいではないと思うが、最近当ブログを訪れる人が急増している、それも午前中に、、、。

嬉しい反面、もし中学生以下の子どもに見られているとしたら、書き方はもちろん、テーマーも余程慎重を期さなければならないと思っている。

おりしも、夏休みの宿題のようにして、文化庁の日本語調査なるものが発表された。

それによると、慣用句を間違って使用する例が随分と多いといい、ある言語学者は興奮して「美しい日本語が消えていく、世も末じゃ」みたいな発言をしていた。

文化庁としては、割合冷静に「普段あまり使わなかったせいで、本来の言い方が分からなかったのでは、、、」のコメントだった。

自分としては、「歌は世につれ、世は歌につれ」ではないが、仕様がないかといった感じである。

美しい日本語、正しい言葉の使い方、と言った場合、どこが基準になるのだろうか、なんでも昔がよかったわけではないだろう。

美しい言葉を源氏物語などの平安貴族文学にもとめたとしたら、万葉歌人は文句を言うと思う、言葉の崩れは出来たときからすでに始まっているのではないだろうか。

特にひどかったのは、明治の初め日本語を統一しようとして標準語という人造語を作り、全国の子どもを教育したときにあると思う。

これによって、日本中意思疎通が簡単になったものの、片方では方言をいやしい言葉、恥ずかしい言葉として撲滅に精を出し消してきた。

その結果。最近では逆に、地方文化を守ろう、方言を守ろうと言う運動さえしなければならなくなっているほど、衰えている。

昨年は、「やばい」「うざい」「ビミョー」が話題になったが、これら新造語もある程度続けば辞書にのって認知され、下手をするときれいな日本語の仲間入り。         

なんてことは絶対無いだろうが、、、

いま、フイリッピンや中南米などいくつかの国を見ると、元からの言語が消え去りかけている。言語が消えると言うことは、文化も消えると言うことを意味する。

その言語でなければ言い表せないものがあるからだ。たとえば”わび””さび”などのように、、、

しかし、ひょっとすると明治のころのように意思疎通を簡単にするため、世界の言語を英語に統一しようなんてことがおこりかねない。

そのむかし、エスペラント語で共通語を作ろうとした運動もあったが、英米、仏、中、の大国の拒否権にあって潰えさった(これは真っ赤な嘘かもしれない)が、今、日本で英語を必須科目にしようと叫んでいる人は、案外、世界語(英語)推進運動のオルグかもしれない。

きょうは、見てくれる人を意識して高尚なことを書いて見たが、書くうちに自分でもまとまりがつかなくなったので、この辺で打ち切るこにしよう。

明日からは、読む人無視で行こう。

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2006年7月26日 (水)

酒に別腸あり

P1010045 朝からの暑さに輪をかけるかのようにして油蝉がなきだした。

自分も耳の中に、一匹蝉を飼っていて、ときどき静かな夜などに啼きだすが、それとはよく似ているが抑揚がある鳴き方なので天然物に間違いない。

昨日、今年はじめての空蝉を見たばかりなのに、早速のご挨拶のようで「恐れいります」ってとこかな、しかし、暑さを倍加させるようで有難迷惑なんだけど、、、という一方で「今年は遅かったなぁ、これでやっと夏らしくなったわい」という気持ちもある。

天高くもくもくと舞い上がる入道雲はまだのようだが、九州地方を中心に梅雨明けらしいので、これからは、クマゼミ、ニイニイゼミと欅の幹に張り付いて競い合い、子どもはタモを持って追いかけ、喧しい夏、暑い夏劇場を演出するのも間近である。

やはり、季節が四つに区切られた日本では、季節には季節の音色 色彩が必要で、それが狂うと心乱れるものがある。

むかし、といっても今から2千年も前のことらしいが、中国で”周維岳”なる小柄で酒好きの御仁がいた。

この人の飲みっぷりがあまり良いので王様が「維岳よ、身体の割にはよく飲めるものだな」と訊ねたところ「酒に別腸あり、酒量は身体の大小にかかわりません」と答えたので、王様は「それでは、彼を別室に連れて行き、腹を割いて別腸とやらを確かめてみたい」と言ったとか。

その後本当に腹を割いたか、どうかは教科書に書いてなかったが、酒も過ぎるとつい気が大きくなり大口を叩くのは序の口で、後始末の付けかねるようなトラブルの元となることがあるので、ご用心のほどを。

先日、富士宮の風呂で一緒になった人が、たて一文字に切り傷があったので聞いてみたら、「大酒を飲んだあげくのことで、、、、」と苦笑していたが、思わず周維岳の生まれ変わりかと思ってしまった。

テレビの旅番組で、太目の女性タレントが二人の仲間を前にして、食事の後甘そうなデザートや水菓子を「これは別腹よね~」とスプーンですくって食べていたが、別腹と別腸は違うものだといいんだけど、ネ、、、、、

ちなみに、このタレントはダイエットの番組にも出ていたことがあったけど、別腹を増やしたり減らしたりして稼いでいるとしたら

        さすがにプロ御立派!です。

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2006年7月25日 (火)

無味 無臭

Img_0006 梅雨も明けたとは言わないが、夏空が広がった一日だった。

あついあつい、アスファルトの照り返しを入れると体温を軽く突破し蒸し風呂状態、少し足を延ばして麻機山 標高150mほど)の農業用道路を歩いてみたが、道半ば行かないうちにTシャツが汗でグッチャリ、こんなざまでは人様に嫌われる。

最近の若い人は、汗臭いは勿論、毛深いのさえ嫌われる材料になるといって、汗をかかないように、臑の毛や胸毛は剃ってしまうという。

おまけに、日焼けまで厭うらしく長手袋で自転車を運転している人もよく見受けられるようになった。つまり、無味無臭の世界に嵌っているらしい。

パロマのガス湯沸かし器で21人以上が亡くなっているという。

一酸化炭素ガス(以後COガスとする)の中毒。自分も軽いものを何回か経験しているが後遺症というか、予後というのかわからないが後が大変である。

頭がいつまでもモガモガと気持ち悪く、疲れがどっと出てくる感じである。

人によっては、重症の場合、死亡もしくは脳に影響がでて身体障害にもなるが、軽い場合でも頭痛、耳鳴り、めまい、吐き気がいつまでもするという。

むかし、コタツがあった家庭では、木炭による中毒もあったが、自分の場合は坑内で使う火薬の後ガスといわれるものに含まれているCOガスのせいだった。

COガスは、無味無臭であり、気付いたときには手足の関節というか筋肉に力が入らなくなっていて、現場を離れるさいに梯子を滑り落ちたり、階段を転げ落ちたという話を何度か聞いた。

幸い、炭鉱のガス爆発のような事故が無かったので、悲惨な例は目の当たりにしていないが、階段を滑り落ちるような段階でも頭脳は明晰だったということも聞いていた。

となると、湯沸かし器で亡くなった人は、かなり遅くまで自分のおかれた状況を、身体が動かなくなってからも分かっていたのではないだろうか。

まったく悲惨なことである。

今でも仕事の現場では使われていると思うが、「ハインリッヒの法則」略して300事故の法則と呼ばれるものがある。

ひとつの重大事故のかげに、29の事故があり、さらに300の事故に至らない危ないことがあるというものだったと憶えている。

となると、パロマの場合、300以上の事故がさらに相当数の未然事故があったことになるが、会社幹部は本当に知らなかったのだろうかという疑念を持つ。

今年に入って、ナショナルの暖房機事故の対策を見るまでも無く、パロマがこの後の対策を誤ればいくら老舗とは言え、存続できなくなる可能性は充分にある。

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2006年7月24日 (月)

親の意見と、、、

Img_0152_1 親の意見と 

     なすびの花は

  千にひとつの 

           あだもなし

古くからこんなことわざがあった。

30歳前に父親を亡くし、あまり小言や意見をされた憶えは無い。

別に意見しなかったわけでなく、仕事から上げって来て、酒をちびちびと飲みながら女房子どもに何かと言ったが、自分はいつも後じさりしながら、機を見て逃げ出してしまったせいである。

飛騨に限らず、雪国は冬になるとすることが無く、家の中に閉じこもっての生活になるため、たまに集まって囲炉裏端や薪ストーブ、炬燵を囲んで飲みかつ話し始めると延々と続くため、いっぱしの理屈屋が出来上がってしまう。

もっとも、度が過ぎると「そこのゴテは螺子兵衛だで(貴方の家のご亭主はネジベェだから)」といって、きらわれる。

そんな自分でも親の意見を幾つかは憶えている。

そのひとつに「恥ずかしいというのは自分の気持ちだけで、他人は何とも思っていないものだ、自分さえ恥ずかしいという気持ちを持たなければ思わなければなんとも無いものだ」というものだった。

日本人は「恥の文化」だといったのは「菊と刀」という本のなかにも書かれていたが、恥ずかしいというのは、周りから浮き上ってしまうことを、恐れる感情であるという。

他の人が知っている常識みたいなことをひとり知らなかったり、周りが真面目な青年ばかりだったら不良は恥ずかしいことだろうし、ガングロの中では色白は恥ずかしいと思うはずである。

群れて行動することが美徳である日本では、少々の不満は我慢をして大同につくことが大人(おとな)だといわれる。

そのため、周りが今どうなのか、常にアンテナを張って聞き、その方向に向くことを第一にするなど、節操極まりない変身に終始する。

自民党の総裁選でも、有力議員が勝ち目がないと悟ったのか、いろいろな理屈をつけて辞退するらしいが、もともとは、落選した時を「恥」と捕らえる感覚からきているとしたら、思想信条も大したこと無かったんだといわれても仕様がない。

今日のあまりの蒸し暑さに、つい冷たいビールが進みすぎて、まともではない、つまり、”騎虎之勢”で書いているのが自分でもわかる。

”支離滅裂”は常のこと、そこでまた一言思い出した。 

  親の意見と冷酒(ひやざけ)は 後から効く~  

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2006年7月23日 (日)

あれもヨイヨイヨイ

Img_0390 今日は二十四節季のひとつ”大暑”である。

大暑といっても、太陽が出てこその日であろう。太陽が出ていればさぞかし暑い夏が実感できると思うが、今年は梅雨明けが遅くなる気候らしく、あちこちで集中豪雨の被害が飛び火のように勃発し、見ていても気の毒だ。

これでは、丑の日といってもオチオチうな重なんか食べていられない人が多いことだと思う。

そんな中で、我が家は娘夫婦の招待で御呼ばれをした。

寿司を食べさせてくれるというので、散歩も早めに済ませ、シャワーで汗を流し、いまや遅しと迎えを待つ。

定刻に婿だけが迎えに来たので、不思議に思って付いていくと、すし屋ではなく、孫二人が板前になって握ってくれるという趣向だった。

寿司ネタは娘らが調達したものだったが、玄関や部屋の中を飾り付けし、メニューまで作って注文を待っている。

さっそく、ビールで乾杯の後御呼ばれに入った。

手のひらを米粒だらけにした手で握ってくれる寿司は、大小ばらばら、箸でつまめば二つに割れて落ちるは、で修行の出来ていない職人芸をみせてくれたが、どれも結構な味で、楽しませてもらった。

ビールのせいばかりでない酔いが全身に回り、ほろほろと心地よい昼寝の後、夕方前に還御の御輿を挙げた。

たかい やまかぁら~ 谷底見ればよ~

うりやなす~びぃの はなざかりよ~

あれもよいヨイヨイヨイ これもよいヨイヨイヨイ   

(飛騨で神輿が還御する時に謡われる歌)

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2006年7月22日 (土)

みんな霧の中

Img_0364 陣馬の滝

陣馬の滝は、五斗目木川にかかる滝で、上流からの水の流れと、溶岩層のすき間から湧き出す水が滝をなしている。そのようすに、白糸の滝と同じように富士山麓の湧水の仕組みの一端を見ることができる。、、、、、、

陣馬の滝近くにある富士宮市教育委員会の観光案内の書き出しである。

天気予報は、梅雨の間の一日だけの晴れ間だと報じていたが、空模様は低い雲に覆われていて、時間が立っても晴れるきざしがない。

富士宮に入るあたりから、さらに見通しが悪くなり150m程から先は、みんな霧の中といった状態になり、バイパスから降りて曲がりくねっている道は対向車が恐い。

出来れば、天子ヶ岳と思っていたのだが、急遽予定を変更して小田貫湿原から陣馬の滝を廻ることにした。

Img_0354 田貫湖北側の駐車場に車を止め、歩いて10分ほどの小田貫湿原に向かう、ここは、昨年8月末に来たことがあり、その時とは花の種類が違うだろうと歩いてみた。

花は端境期だったらしく、数は少ない、それでも空気は心地よく木道伝いに進む。花はオカトラノオとショウマを主体にし、あやめは少し遅く、ノカンゾウ オニユリには早い時期だった。

ただ、モリアオガエルがおたまじゃくしになる時期で、ときどき白い泡の下に波紋が広がるのが面白かった。

それから、陣馬の滝までが遠かった。「2.8km 一時間」という矢印看板があったものの、予定変更なので地図は無くと「陣馬の滝」は聞いてはいたものの行った事がないところだったので、見当がつかない。

森を抜け、水が流れている沈水橋過ぎると集落に入った、道を間違えたかと民家を訪ね、行く先を確かめて進む。

曲がりくねって、行きつ戻りつしてようやくたどり着いた「陣馬の滝」

ここも、うっすらと霧ごんでいるうえ先客は一人。滝なのに音もどこかに吸い込まれたような静かな雰囲気が漂っている。

落差は10mに満たないか、小さいながらも風格のある滝である。水汲みに来ていた人もいたので汚れてはいないのだろう。手にすくって飲んでみたがよい水である。

名物「太鼓石」中が空洞になった直径1mほどの石も見たあと、天母(あんも)の薬草野天風呂に浸かって帰路についた。

小田貫湿原といい、陣馬の滝といい、今日は霞む霧の中、幽玄の世界を堪能してきた。

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2006年7月21日 (金)

あしたっから夏休み

P1010029 ここしばらくテレビの日本地図には、赤い柱が入れ替わり立ち代わり立ち上がっている。

九州、日本海側、長野が今年の梅雨末期に豪雨にさらされているようだ。

アナウンサーが、「ここ2~3日で一ヶ月分の雨が降りました」なんていうと他人事ながら気の毒になる。

自分とこの、裏の川もときどき水位が上がり、道路に上がり時として床下浸水するものだから、水害というと実感として分かる。

また土地によっては久し振りの被害のせいか、場所によってはハザードマップなんて見たこともないとか、土石流があってから一時間余も遅れて避難勧告があったとか、警報が聞こえなかったなど、いつもの事ながら行政の手落ちが放送され、ますます、お役所仕事に不信感が沸いてくる。

近年、豪雨などの災害も極端になってきているようで、評論家氏も地球温暖化せいだ、とか、天竜川の濁流を見て「この水が海に流れ込むと海面が上がって、南の島が沈む」なんていうキャスターまでいて日本中パニクッているのかなと思った。

ただ、長野の土石流で杉の木を大量に押し流し積みあがっていたのは、また地中に根を下ろさない植林地帯が原因だなと感じている。

さて話は変わって、こちらでは今日で一学期が終了とか、「さあ、あしたっから山、海、川であそぼっと」に待ったをかけるこの天気。

どうやら、月末でないと太陽は顔を出さない様子、それまでに宿題を済ませてしまうのは特殊な子ども、一般には自分と同様嫌なことは先延ばしにしてしまう。

そして、昨日から入った土用も、うなぎの集団命日はいつなんだろうと暦を見ていたら、今年は石油の高騰でいつもより高かった去年を、さらに上まわる値段が付きそうだなので、どうしようかなとのこと、こちらは先延ばしというわけには行かない。

貧富の格差は先進国ではアメリカについで高くなってきているこのごろ、貧乏人は「さんまの蒲焼」缶詰で代用しておくしかないか。

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2006年7月20日 (木)

ジコチュウで行こう

P1010002 友がみな 我より

 えらく見える日は

  花を買いきて 

   妻と親しむ  啄木

我々世代には、”友がみな我より えらく見える日、、”といえば当然石川啄木であるが、最近では上原 隆だそうだ。

しかし、上原 隆の本は読んだことが無いので、ここはひとまず横においておく。

人は誰でも劣等感や疎外感に苛まれる日があったと思うが、そんなときはどうして過ごしたのだろう。

花を買いきて、、、なんて人はごく稀ではないだろうか、そんな悩みなど理解してもらえそうな人はまずいないし、いたら、相手ともども深みにはまり込んでいくに違いない。

酒を飲んで暴れまくったとか、布団の中でまっるくなって眠ったとか、、、、

飲んで~飲んで~飲まれて~飲んで~

泣いて~泣いて~ひとり泣いて~

やがて~静かに眠るのでしょう~

今のようにうっとうしいい時期にそんなことがあれば、抜け出すのは容易なことではない、まさにうつ病前夜である。

しかし、「自分以外はみんなバカ」の時代になるとそういうのは時代遅れになっているのである。

「自分の行動を理解しないのは相手が悪い」(靖国神社参拝を批判した外国に対して首相の言葉)「人生いろいろ」などと、居直るのが最近の流行である。

自分に甘く他人に厳しい。努力せずに成果が欲しい。すぐにイラツキ、キレル。悪いと思っても謝らない。などがこれからの主流だというが、これらは随分と昔から自分の心中にも住み付いている。

”ジコチュウ”(自己中心主義)は悪いといいながら、ジコチュウでない国はどこにあるのだろう、世界人類みなジコチュウの中でひとり劣等感に浸るのは贅沢というものである。

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2006年7月19日 (水)

毎日毎日朝日に読売

毎日、毎日、朝日に読売、朝日に毎日、毎日、読売、、、、、

中学のころだった、アルバイトで新聞配達をしたことがある。

山の中の小さな集落(鉱山社宅)なので新聞配達は各新聞配達店が、バスなどに託してまとめて届けてくれたところで、中学生が放課後配った。

それを配分して、自分が受け持った50軒ほどの家庭に配る順番が上記の新聞社の名前でいまだにどこがどの新聞を取っていたか口ずさむとができる。

アルバイトを止めてから50年余がたつ、いまではその集落は住む人もなく荒れ果てて自然に戻っている。

人の脳というものは、引き出しのようになっていて、必要に応じてファイル出てきて過去を思い出すものだと以前に習ったことがある。あまり、引き出しを開けないとさび付いて出てこなくなり、それが、”忘れる”ということだとも、、、、

しかし、どうして開ける必要の無い新聞配達の順序が錆び付きもせず思い出されるのだろう。昨日の食事さえ何を食べたか考えても思い出せなかったり、頼まれた伝言をどこかに置き忘れることもしょっちゅうなのに、、、

ボケ老人の特徴は、昔のことは覚えていても、、とよく言われるがその世界がいよいよまじかに迫ってきたのが実感できるようになった。

世紀末だった1,999年、恐怖の大王が天から舞い降りてくるなんて予言が流行り、不発だったようだが、近くに迫ったボケは恐怖は、この予言より確実性があるだけに恐い。

今日は朝から雨降り続き、家の中に閉じ込められて妄想にふけっての感想はこんなことくらい、明るく前向きを願っているのだが。

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2006年7月18日 (火)

サインはあられ

P1010006_1 朝から雨がこまめに続いている。

量としては、伝えられる日本海側ほどではなく、多少の多い少ないはあるものの、川の水位が上がるほどではない。

しかし、気温は先日と比べてかなり低いようで、さすがパンツ一丁というわけにはいかないようだ。

「世界の王監督」が胃の全摘手術を受けたそうだ。ストレスから来たものなのだろうか。他所ごとながら全快を祈っている。

野球以外でも監督業というものはいろいろと神経を使うものらしいのでこんな所にも症状が出てくるのだろうね。

なにしろ、選手としても監督としても超一流の記録を持つ人は、それなりの神経をつかっていただろうから、人柄だけの人気者とは違うと思う。

先日、麻機沼の東屋で会った人も胃の全摘出をしたと言っていたが、胃というものは取り去ると再び回復しないものだそうだ。

不思議なことに胃液は出るので消化はするそうだが、胃がないため常に少量づつ食べ物を取らなくてはならないとのこと、そのため、どこに行くにも食べ物持参だそうだ。

そして、この人が言うには、「若いときはがんの進行が早いので変にいじくれないし、年をとりすぎると体力が持たないので、5~60代が一番いい時期だ」と医者が言ってさっさと取り去ったとのこと。

そして、元気を回復したが、胃の全摘出は身体障害者とは認められない、心臓なんかは大したことのないものでも受けられるのにとぼやいていた。

王監督も自分よりひとつ年下だけに、一番いい時期だったのかと変に納得しながら聞いていた。そして、彼ぐらいの名士になると医者の方も超一流の先生だろうから安心していられるだろう。

王監督が再びベンチに戻った暁には、サインが変わってくることと思う。耳を触ったり、顎をなでたりでなく、ピーナッツを食べたらバント、ポテトチップスを食べたらヒットエンドラン、あられは、、、など、そうなるとまた変わった楽しみ方が出来るかな?

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2006年7月17日 (月)

安直な祝日

Img_0291 子供づれが街中を歩いていた、それもかなり多い。

今日は学校が休みなんだと気付くまでしばらくかかった。

海の日である。出来たてほやほやの祝日。

七月にも三連休ということで、何の日にしょうと考えた結果、夏だから海にしょうと安直に決めた法律らしい。

実際梅雨のさなか、夏らしい海で泳げるのは沖縄ぐらいか。

休みでさえあれば、何でもいいか。おかげで、近所のホームセンターに買物に行ったが混雑して駐車場に入りそこなって帰ってきた。

梅雨前線はいま日本を横切り、日本海側はかなりの雨量を記録しているとかで被害もでているようだ。

こちらは、その前線に影響されてかむし暑い気温と共にときどき小雨模様。

その隙をねらって、いつもの道を巡ってきたが、季節は確実に進んでいる。

先日まで、けたたましく啼いて人にまで攻撃をかけてきたケリは、いまや子離れをしたのか一羽さみしく畦でたたずみ、人が通りかかっても見向きもしない。

カルガモも、早いのは親とほとんど同じ大きさになり、家族なのか群れて飛んでいる。

もうすぐ、梅雨明け。アブラゼミがいまや遅しと待っているに違いない。次から次と役者は入れ替わる、政界も同様に九月に向けて脱皮をしようとしている人がいるのだろうがあまり勇ましい人、なんでもいいやと安直に決めてほしくないものだ。

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2006年7月16日 (日)

トンチャン

Img_0315 トンチャン。飛騨神岡に住んだことのあるものにとって”懐かしい”と感じる味のひとつであろう。

そして、この味は彼の地独特のものらしく、いまだ他の土地では味わったことがない。

トンチャンとは、どう書くのかは知らない、多分朝鮮言葉で間違いないだろう、自分では「豚腸」と書くのではないかと想像しているが、確かなことは分からない。

トンチャンというのは、戦後食料難のころでも日本では食べる習慣がなく、腐敗が早いため屠殺場で処分に困っていた動物の内臓を、戦争中日本に連れて来られていた朝鮮の人が、味噌を主体にニンニク、唐辛子などでたれを作り、ぶつ切りにした内蔵を焼いて食べたのが始まりと思う。

そのころのトンチャンといえば、薄暗い店(飲み屋?)の土間に長い腰掛があり、火をおこした七輪の上に金網を置きその上にセメントの袋を置いて、たれをつけた内臓のぶつ切りを入れて焼くといったふうで、衛生もなにもなかった。

鉱山の城下町であった神岡は、飛騨でも特殊な存在であった。

町内に住む人の過半数は、他所から入ってきた人、特に戦後の一時期は公職追放を受けた人、その後にレッドパージーに関係した人などそれぞれに一家言を持った弁舌巧みな人が沢山居て、この人たちの高言を聞きながら、トンチャンをつつき、長じては自分たちもトンチャンを前にして、口角泡を飛ばして相手をねじ伏せあったものである。

自分が今”懐かしの味”というのは、味覚だけでなく食べ物を前にして、議論したことも合わせて思い出すからである。

きょう、姉からトンチャンの冷凍したものが送られてきたので、早速解凍して食べてみた。

その味、舌触りは懐かしさを呼び起こしおもわず「うまい!」、さらに最後の仕上げにうどんを放り込み、鍋のそこまで野菜でかき混ぜ食べつくす。

動物性脂肪といい、塩分濃度といい、酒の進み具合といい、腹八分をかなり通り越して健康的には具合が悪いのは承知のこと。

しかし、向かいの人を相手に議論は感情論になりそうなので控えてしまう、すると、折角の味も約七分に下がってしまう。

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2006年7月15日 (土)

神様トンボ

  Img_0309

しばらく前から庭の片隅にハグロトンボが住み着いている。

何時からいるのかは分からない。

始めは、雌らしく地味なイトトンボの大きな奴が、羽をゆっくり開いたり閉じたりして、人間がそばに行っても少し飛ぶだけでそこらから離れない。

そうこうする内に、今度はしっぽ?がエメラルド色の光沢の持った雄らしきトンボと付かず離れずにいたが、昨日あたりから綺麗なほうだけとなった。

ハグロトンボ、名前を感じにすれば羽が黒いなんだろうけど、人によってはお歯黒から来ているという人もいるそうだ。

その飛び方などから別名「神様蜻蛉」ともいうそうで、日影の所を好み、あまりあちこちと動き回らない所が、珍しいと思う。

今日も、暑いさなかゆっくりパタリパタリと、羽を動かし水撒きのときは撒き終わったほうに行っていたが、済むと定位置に戻っていた。

まさに神様のトンボ。手を合わせて拝むとするか「どうぞ何時までもいて、好いことを運んできてください」と

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2006年7月14日 (金)

苦労の種は尽きまじ

Img_0314 朝っぱらからむし暑い天気が続き、10時過ぎに気温は30度を軽く突破し、午後に焦熱地獄が続くかと思っていたら、夕立がさぁっときた。(写真 一般にミソハギと呼ばれているお盆の供え花)

一人前に雷を連れて格好をつけて来たが、どうも雷さんの如雨露の中が一杯でなかったらしく、見せ掛けだけの水撒きですんでしまった。

おかげで、雨上がりの冷風を期待したが、なぁ~んもなかったようだ。

昨日は、お盆の迎え火を焚いて両親がいま仏壇に居ることになっているが、格別なもてなしもしていないので、へそをまげての夕立か。

しかし、お盆と言うものは人間、特に日本人が、自分に都合よく作ったものであちらの都合は全然無視している。

静岡でも、七月十五日にする所と八月九日ごろ、十五日の三つがあるようだ。

もともとは、旧暦の七月十五日がお盆の行事だったようだが、新暦になっても日にちを変えなかったところ、八月九日は旧暦の七月十五日ころで、その近くと言うことで八月十五日を新暦の盆としたためらしい。

おかげで、あの世から長い時間をかけてきたのに、まだ先の話だったり、済んでしまっていたりで亡者になっても苦労の種は尽きない。

さて、いま速水敏彦というひとの「他人を見下す若者たち」という本を見ているが全然先に進まない、読んでいて腹立たしくなってしまうからだ。

最近この手の本や書き物が多い。バカの壁?や国の品格などもそうだが、書いている本人が自分をどう思っているのか、若者だけでなく全てが他人を見下しあっているのではないだろうか。

ろくに読んでもいないのに、こんなことをかく自分も、自分では丸っきりのバカだとは自覚していないから書いているのだが、傍から見れば、さぞおかしいことに見えるだろう。

テレビを見ていて、儲け話にひっかかって、泣き言を行っている人に「そんな上手い話あるわけないよ」といったり「高級婦人のお相手が仕事」といういつもの手口に引っかかってお金を騙し取られたひとに「オ.マ.エ.ハ.バ.カ.カ.」とほざいている。(ちょっと言いすぎでしたらご勘弁のほどを、、、)

そして、騙される人は、向うに名簿があるらしく二度三度と被害に会うらしい。「いい人」ではこの世は住みにくい。

他所の国では、泥棒をする人より、人の物を取るような気分にさせる人のほうが悪い、という話しがある。と書いたことがあるが、この伝でいうと、騙ます人より騙されやすい人のほうが悪いと言いかねられない。

石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に泥棒の 種は尽きまじ”をもじって”世に苦労の種は尽きまじ”というか。

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2006年7月13日 (木)

ひさびさのブログ

Img_0303 久々にブログを再開することが出来た。

最近、作成するのに画面表示に時間がかかりすぎ、こちらの荷が重くなりすぎたのか、パソコンの調子が悪いのかなどと考えていたが、そうではなかったようで3日間のメンテナンスで、通常に戻ったようである。

ほかとの競合もあるようだが、もうすこしお客を大事してもらいたいものだ。いずれにしろ、当方の病気とかの事故ではないので、他人事ながらご安心のほどをお願いしたい。

さて、三日も休むと書きたいことが溜まりにたまって、の状態になるかと思ったがそうではなかった。やはり、いざキーを打ち出さないとそうならないのかな。

今日の天気予報を見ると梅雨前線が随分と北に上がり、梅雨明けのように見えるが、雲が相変わらずどんよりかかり、湿気が強い。

午前中の散歩から帰ってきて、汗まみれの身体を水のシャワーで流すのが心地よい、気温も30度超すと子どもみたいにプールが恋しくなるもんだ。

飛騨は山国、海は遠い。軽便鉄道(通称ロコ)と蒸気の汽車、電車と乗り継いだ先にあった。

真夏の暑い季節、とくに、富山から海水浴場がある岩瀬浜まで満員の電車は小さな子どもには地獄だった。

どこを見ても大人の尻の間に挟まれ、風景を見るどころか呼吸さえやっとという状態、それでも海へ行けると期待感でいっぱいだった。”富山の海”行けたのは年に一回、それも、小学校5年生くらいから2~3年?

中学では、陸上競技の練習で身体がなまるから水に入っては駄目。水を飲んでは駄目。うさぎ跳びで足腰を鍛えよなど、今の運動学とは反対の鍛え方をした。

初めて泳げたのは小学校に入ったばかりだったか?

槍ヶ岳、乗鞍岳を源にした高原川へ、上級生に手と足を捕まえられ「せいのッ」と深みに放り込まれむちゃくちゃにもがいた結果だった。

今の親がこんな光景を見たら、なんと言うだろう。さっそく警察か学校へ飛び込んでいることだろう。でも、こうしたことで恨みを持つと言うこともなく、翌日にはまた同じ所へ出かけて上級生と遊んでいた。

なぜなら、ヤスを持って岩陰の山女やウグイ(稀には鮎やうなぎもいて採ろうものなら大騒ぎだった)を取るのを教えてもらい、小学生の手に負えるチンカブ(かじか)を借りたヤスで追いかける楽しみがあった。

冷たい水に震え上がり、暑い岩に腹を押し付け、ひと夏に何回背中の皮を剥くか、そばの川に冷やしておいたトマトやきゅうり、独特の臭いと味。あれはどこに行ったのだろう。

そんなことを考えながら、扇風機にあたっている。

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2006年7月10日 (月)

出来の悪い子

北朝鮮のミサイル発射問題の報道で煮えたぎっている。

北朝鮮。  金日成 正日親子2代にわたる独裁国家で情報制限がなされ、先軍体制とやらで軍事優先の社会は60数年前の日本がそのまま映っているように見える。

しかし、これを笑っていいのだろうか?

今の自分たちには情報が無制限にあり、世界を公平な目で見ているように思っているが本当だろうか。その情報が一部権力者の都合の良いものしか流れていないのではないかと疑ってみる必要がある。

世界一の民主主義国家を標榜し、他の国にも民主主義を押し売りしているアメリカ合衆国でも、イラクやベトナムをはじめ戦争を始める時には、情報を細切れに出し、それに乗っかるマスコミを動員、国民を一種のヒステリー状態にして、異論を唱えるものを村八分にしかねない状況を作り出してきた。

あとになって、ほころびがでてきた時には、無数の罪のない人々が何故殺されたか分からないまま横たわっている。それが、自分である可能性はこれから充分にありそうだ。

一将 功なって 万骨枯れる と昔から言われている。権力者には全然傷が付かなく、利益だけが転がり込む。

いま、マスコミは北朝鮮で国民をあおっている、日清 日露の昔から弱腰外交と対外政策を批判して、景気のよい強硬路線には強い魅力や共感がある。

自分も、北朝鮮に関しては、報道の通り、事実なんだろうと思いながらも、自衛のために「北朝鮮のミサイル基地を叩け!」という勇ましい声が出かけたのを憂慮している。

なぜなら、それこそ55年前の朝鮮戦争をさらに大規模にして再現することにつながるからだ。

中国にしてみれば、先の戦争で30万人とも言われる戦死者を出した義勇軍(実際は中国軍)の犠牲で守った北朝鮮を手放しで無視するわけがない。

中国にしてみれば、どう面子を潰されようと「出来の悪い子ほど可愛い」の心境なのだから、それを目先の考えだけで手を出し後からどうなるか分からない行動に大人はでないもんだ。

全てが、報道の通りかどうか判断する力を持ちたいものである。

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2006年7月 9日 (日)

マイフォトを御覧あれ

Img_0257_2 午前中ひとしきり激しく降り、大雨注意報まで出された雨も午後に入って曇り空になった。

普段は、午前中に散歩に出かけるのだが出端を挫かれたため、ごろごろしていたので、雨のすきを見て傘もちで出かけてみた。

相変わらず蒸し蒸しとし、すぐに背中が汗ばんできたのが分かった。

今日は、流通センター北側の第3工区に行った。目的は蓮の花。

土手沿いから池の裏にまわる、こんな日でも釣り人が入っていた「ごくろうさま」

蓮は今が見ごろ、「蓮のうてなに仏様が座ってござる」と子供の頃聞かされたが、開ききった薄桃色の花をひらひらさせているさまはそんなことも想像させてくれる。

この、遊水地は県の管理で工事しているのだが、計画者の意図がはっきりしていなくて、自然を大切にと言っている反面、”たこあし”など絶滅危惧種が幾つかあるところに園芸品種の繁殖力の強い花を植栽している。

いずれ、折り合いが付くものと思うが、それらをごちゃ混ぜにしていくつかマイフォトのせてみるので御覧あれ。

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2006年7月 8日 (土)

牛飼いと女工のデート

P1010025 生憎の天気で牧場の牛飼い、牽牛さんと製糸工場の女工、織姫さんのデートは見えなかった。(していたのだろうが)

下のほうの雲が地上の明かりの影響で灰色がかった桃色をしていて、月はかすかに見えれどもの状態であるし、もし空がきれいに晴れていても最近の空は星の数も少なく、ほとんど見えないことだろう。

デートという言葉さえ最近では古くなっているそうだが、その昔は”あいびき”なんていっていたに違いない。”あいびき”なんて言ったって肉じゃないよ。「逢い引」だよってんだ。

もっとも、逢い引きなんてものは、人さまに見せるもんじゃない雲のベールの彼方で行なうのが正常なんだよ。

それを、なんだか知らんが大勢の人が寄ってたかってみようというのは、”のぞき”って言って変態行為のひとつなんだよ。

(話が違うけどさァ、最近 Hをするという言葉があるけど、もともとは変態をローマ字に直してその最初の字から来ている言葉なの、で、変態とは異常であることを知っていたぁ?)

元に戻る、子供ころ、この話を聞いてほんとうに空の星が天の川を渡ってくっつくものだと思い、どの星が牽牛でどの星が織姫なのか大人に聞いたが、太い指の先にはいくつもの星が瞬いていて、どれがその星か分からぬまま今に到っている。

「空襲警報発令!」といって近所の兄さんが街中を走っていたころから空を見てきたが、飛騨の空や標高四千㍍のアンデスの夜は頭の上一面にこぼれるほどの星だった。星明りなんて言葉もあるくらい幅広い「天の川」が大空を横切っていた。

それが、こちらではどんなに晴れていても星が見えなくなるほど夜が明るい。エネルギーの使いすぎ?クールビズだ、環境に優しいだといっても昔には戻れないんだよ。

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2006年7月 7日 (金)

月下美人でチクッと

Img_0248_1 真夜中から明け方にかけてかなりむし暑かった。

網戸の窓を開け放して寝ていたのだが、我慢できなくてクーラーに切り替えてしまった。本日七月七日は七夕でもあるが、暦の上では「小暑」「温風 到る」となっているが、少々でなく大変であり、温風でなく湿気であろう。

昨夜は七時過ぎから開き始めた「月下美人」を肴に飲み会となった。いろいろとある花の中で、花見の宴会が開けるのは数少ない。

今年、最初の開花は昨年より四日早いものの、数は少し少なく四輪しか咲かなかった。

この花は、ひと夜だけの花であり、ちょっと目を放している隙にグッと開いたのが分かると言う面白さから「あれ、また大きくなった」など飲みながらの話題が尽きない。

花が艶やかで気品があること、香りはそこはかとなく漂い、あちこちに持ち運べいろんな角度から眺められるなど、と騒がれては花も満足なことであろう。

明けて七日は七夕、今にも降りそうな中短冊を見に出かけてみた。先日も書いたようにこの年になると願い事も何を書いてよいやら分からなくなってきているので、ケアハウスはどうなんだろうと野次馬気分で行ってみたが、昨年出していた託老所も今年は取りやめたらしく出ていなかった。

多分去年同様「健康でありますように」一色なんだろうな、それしかないもんな。だけど、長生きして明るいこと良いことがあるんだろうか?。

健康保険は上がり、市民税、介護保険料と軒並み負担は上がり、控除は削られていき、貧乏人に追い討ちをかけ、本当に暮らしにくくなった。この上消費税まで上げられたら早くこの世をおさらばしたほうが勝ちになる。あの世まで負担は追っかけてこないはずだから。

世論調査は、ポスト小泉は誰がいいか?なんてやっているが、自民党以外の選挙権のない人に聞いてみたってしょうがない。それより次の選挙で誰を選ぶかが自分たちに与えられた権利なのだから、ムードや宗教がらみでお願いされた人は入れないようにしょうよ。

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2006年7月 6日 (木)

シジミとセセリ

Img_0195 先日位牌岳に登ったおり、池の平公園付近で蝶(蛾?)の大群に囲まれたと書いたら、「ミヤマセセリという蝶ではないか」と教えてもらった。

さっそく、図鑑で見るとそのようであり、別名”道おしえ”というくらい人にまつわりつくとあったので、ますますその感じを深くした。

昆虫についても、名前の分からないものが多い。マニアに言わせると何千何万種とあるようだが、そのうち、50種ぐらいしか分からない。

なぜ、蝶の仲間に○○セセリとか××シジミという名の付くものが多いのだろう。

むかし、アンデスの山の中で現地の人に「ケ セスト(これはなんですか)」と聞いたところ、「フロール」という返事が返ってきたので、フロールという花かと思い、次の花を指差してこれは?、というと再びフロールという返事。

色形が違っても同じ種類なのか、と次の花を指差したら少しいらだった様子でまたフロールと来た。そこで初めてフロールは英語のフラワーに当たるんだと気が付き、「花の名前は?」と聞いたら何のためそんなことを憶えるんだときた。

花は花でいいじゃないか、というのがあちらの言い分。

花に名前をつけ、鳥に名前をつけるのは、閑人の趣味?、このブログのおかげで花の名前は随分と覚えた、しかし、虫の世界はとてもだめ。

それこそ、虫は虫でいいじゃないか、が心境である。

本日、月下美人が咲きそうである。たった一夜の饗宴にまた知人を誘って花見を行なう予定である。

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2006年7月 5日 (水)

竹取の翁 

P1010013 朝早く東の空が焼けていた。

”朝焼けに川越すな”のことわざ通り、まもなく大雨になり、裏の川の水位が高くなった。

今年の梅雨時の雨は、比較的節度があったようで、天気予報より空模様が明るい日が多かった。

そのため、ここ静岡では最近になく大降りはしていない、しかし、40年程前には”七夕豪雨”と言われた大雨で、かなりの範囲で冠水し、我が家の付近では1.5mも浸かったといわれるので、しばらくは気が抜けない天気予報である。

さて、ワールドカップのサッカーもいよいよ大詰めになった、ファンでもないので特に見る気もなかったが、年よりは目がさとい。何の気なしにテレビを入れていたら、テロップが流れ、北朝鮮が次から次えとミサイルを飛ばしていると言う。

ドイツーイタリヤ戦は点数が入らないのに、北朝鮮は次々とシュートする。そのうちに4発だ、6発だいや10発以上だと戦争状態みたいな口ぶりに変わってきた。

報道によると、その全てが日本海に沈没したとのことで、人に被害のでなかったことが幸いであった。とはいえ、池越えのホールをねらって打った玉が、何度打っても池ポチャになったみたいで可笑しかった。

本人は真剣なんだけど、まわりに偉い人がいたため緊張して体が硬くなりあせればあせるほど失敗するってことないですかね。

それからが大変、テレビは北朝鮮専門家と言われるおなじみの人を総動員して、その深刻さを解説し始めた。

おりしも、アメリカは独立記念日なので、協賛の花火にしては物騒な話であり、新潟沖には、かの有名な「万景峰号」が接岸したいと来ているし、賑やかな一日であった。

午後になって、雨が一休み。「じいじ 竹のあるとこ知らない?」と電話があり、さっそく竹取の翁に変し~んして、雫を一杯つけた若竹を採ってきた。

「じいじ 願い事を書いていかないの?」じいじは困る。

最近お宮さんやお寺にに行っても、願い事がなにもないのだ。ただ黙って頭を下げるだけで、頭の中はカラッポ、なぁ~んのも考えていないのだ。

短冊に、「どうか ポックリ行きますように」とも書けないし、やっぱり頭の中はカラッポ

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2006年7月 4日 (火)

春蝉がかしましい山頂

Img_0212 位牌岳への山道は、登る人も少ないのか荒れている。両側からの細い木や竹で見苦しくなっているところをかき分けていく。

花は小紫陽花とウツギがさかりであるが、愛鷹つつじやドウダンツツジは済んでいて葉だけとなっている、他には黄苺があちこちに見られるので取りやすい所をつまんでは口に放り込む、この味は喉の渇きを抑える子どもの味。

尾根筋とは言いながら、あまり展望はない。それでも1,100m付近では谷を挟んで黒岳と越前岳の稜線のうえに富士山が顔を出した。結局この日富士山を見たのはここだけだった。

その後西からの風も強くなり、前方は霧とも雲とも付かぬものに巻かれ、先の目安が分からなくなった。しばらく、上下を繰り返した後、突然霧が取れ前方にブナの風倒木帯が現れる。いつの頃倒れたものか。

Img_0203 木が相等腐っている所から。10年以上まえ。いやもっと前だろうか。倒れた原因は台風だろうか、こんなに倒れるなんて、それにしてももったいないような木ばかりである。

ここを過ぎるとまもなく、谷沿いの道との分岐に到着し、あと30分ほどで頂上だと言う。

10分ほど登ると、愛鷹山からの道と合流し頂上へ到着したのは、上りだして3時間50分もたっていた。頂上は3mから5mほどの小さい木が沢山あり、見晴らしも何もない、ただ、春蝉が大量にいてかしましいの一言。

あまり喧しいので写真だけを撮り少しはなれたところで昼飯にする。風は相変わらず強いものの気温は低くないらしく、汗だらけの服を着ていても寒いとは感じない。

しばらく休んでから、降ることにし”つるべ落としの滝”を見んものと谷沿いのコースを取る。

このコース、案内板によると1.8kmで50分かかるとあるように、かなりの難コースであった、降り始めてすぐくらいに、粘土の露出層でスッテンコロリと尻餅をついたほか、コケの付いた濡れ石でも何度か足を滑らせた。

同伴者がいれば、さぞかし笑われたほど無様な格好だったろうが、誰もいないのでソコハソレで済んだ。

”つるべ落としの滝”名物にうまいものなしを地で行ったように、ほとんど水のない枯れ滝、「どこからこんな名前が付いたのか、まさか糸のように細い水をつるべの紐に見立てたわけじゃないだろうな」なんて毒づきながら再び下山する。

結局、もとの水神社に戻ってきたのは、約7時間も経ってからのこと、年寄りには結構つらい山登りであった。

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2006年7月 3日 (月)

位牌岳を目指して

Img_0185 愛鷹山塊の位牌岳(1,457m)に登ってきた。

愛鷹山、昔は足高山と言ったそうだが、自分の推察ではその前を”悪高山”といって、地元では恐ろしい山と思われていた筋があり、その主峰を位牌岳と名付けたに違いないと思っている。

位牌岳、こんな名前の持つ山も珍しい。山の高さだけから見ると、その北側にある”越前岳の方が50mほど高いが、愛鷹山塊のほぼ中央にあり何処から登っても時間と困難さはピカ一である。

沼津から登って水神社を参拝したのが、朝の八時であった。ここは、桃沢川の源に当たり、豊富に湧き出る水を信仰の対称にしているお宮さんかと思っていたら、日蓮宗のお寺でもあった。

堂守りの人に聞くと、神仏混交の寺であると言う。他の宗派を排する日蓮宗にしては珍しいこともあったものだと感心したが、詳しくは聞かなかった。

Img_0192 一旦戻り、鎖を張った道をよけて、荒れた林道をひたすら登り、途中から池の平入り口と書かれたところから山道に入る。水神社から歩くこと1時間”池の平公園”に到着。途中の展望台を含めて下草を刈り木製の展望台が設えてあった。

何れも、晴れていれば箱根や伊豆半島が一望できると書いてあるが、下界は一面雲の下、展望も何もない。また、この公園、”池の平”というわりには、池の痕跡も見当たらない。こんもりとした尾根の高みである。昔はあったのだろうか?もう少し実勢に合った名前がほしいものである。

上を見れば、足早な雲が千切れ飛び、下からは霧が吹き上がって愛鷹山を、ベールで隠すように時おり見えなくする。

「静岡を出発した時は青空だったのに、これでは頂上はどうなるのか」と心配させる雲行きだ。

公園をはさんでの両側は、幅広く刈り込んではあるものの、細い竹やぶが密生しており、とても、もぐりこめる状態にはない。そして、何という名前の蝶か(胴が太いのでもしかして蛾)は知らないが、歩くにつれて飛び出し、乱舞状態になる。

10分ほど歩いた時点で”つるべ落としの滝”との分岐にでる、そこからは手入れの悪い山道になる、天気の様子から見て迷ったが、尾根づたいに登ることにした。

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2006年7月 2日 (日)

半夏  生ず

Img_0141_1 半夏 生ず。

7月2日は暦の上では半夏生とある、辞書によると古くからの言い伝えで、梅雨末期になると天地に毒が満ち、半夏という毒草生ずる、とか空から毒気が降ってくるので、井戸の蓋をし野菜を食べないように。とあった。

一方、草の図鑑によると、半夏は漢方薬のカラスビシャクで、その根を煎じて腹薬に使用すると言い、一般的にはこの時期葉の一部が白くなる半化粧(半夏生)さしているといい、なんだかややこしい植物である。(写真)

きのう、元首相の橋本竜太郎氏が死去。享年68歳と聞けば、今時では若いのだろうが政界の頂点を極め自分の運を使いきったのだからやむをえないか。

国会議員の諸氏はいずれも業績を挙げて「惜しい人を亡くしました」と悔やみの言葉を上げていた。

日本では死んだら全てが神仏になるため、死者をむち打つようなことをしない習慣になっているのだが、本当にためになる政治家だったかというのはもう少ししてからの話になるに違いない。

自分としては、テレビを前にして記者の質問を馬鹿にしたようなもの言いようや消費税を引き上げて人と言う印象がかなり強い。

そして、一番晩節を傷つけたのは、政治献金を1億円も取っておきながら否定した後、「みんなが貰ったというから貰ったのでしょう」というに及んでは無責任もいいとこだった。

直接会ったわけではないので、本当の人柄は分からないが、政治家と言うものは国民に対した時と、仲間内では随分と違うそうだ。

つまり、国民に対しては半分本音、半分化粧で隠した半化粧状態なんだろうな。

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2006年7月 1日 (土)

記念日が盛り沢山

P1010007 今日七月一日は、”大祓えの儀”もすんで後半に入る初日だけあって、いろいろな行事や記念日が重なっている。

銀行の日、建築士の日、弁理士の日など聞いたことのない日を含めて、東海道本線が全通した日(明治42年)名神高速が開通した日(昭和40年)山形新幹線開通(平成4年)などやはり区切りをつけるによい日だったのだろう。

しかし、一番世に知られているのは”山開き”海開き”である。

先日も学校のプールのそばを通ったら、すでに中から水音と歓声が聞こえてきたし、山登りも年中登山客が絶えないことから、”海開き””山開き”も名目上のことになっているが、やはり、神主を呼び しめ縄を張って、榊を振り回せば夏が来た~。を実感し、身体の方も夏モードにはいる。

そこで、本日は手近な山にでもと思っていたが、明け方の激しい雨に出鼻をくじかれ、自分の山開きは延期になってしまった。

九時すぎ、麻機山を登りながら富士山方向を見たら、靄でうっすらではあるがほとんど全体が見えるではないか。惜しかったな~が感想。

また、今日はタバコの大幅値上げの日。これを機会に止めようと思っている人もいるに違いないので、そんな人にとっては「禁煙記念日」となる可能性もある。

はたちのときに禁煙をした自分にとって、今は けむいだけの存在になったが、長年吸い続けてニコチン中毒?かな~なんて思っている人には、最近の情勢は随分と肩身が狭いし、何とかしなければとあせっている人もいることだろう。

実際に害は多いようだが、不思議なことには「禁煙」をしょうと努力しているのは、どうも、男に限られているようにしか感じられない。

女の人は、男みたいに「禁煙」なんて大上段にふりかぶって宣言しないせいか、はたまた、する気がないのか。

聞いてみたいのだが、どうもオッカナクテネ

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