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2006年7月16日 (日)

トンチャン

Img_0315 トンチャン。飛騨神岡に住んだことのあるものにとって”懐かしい”と感じる味のひとつであろう。

そして、この味は彼の地独特のものらしく、いまだ他の土地では味わったことがない。

トンチャンとは、どう書くのかは知らない、多分朝鮮言葉で間違いないだろう、自分では「豚腸」と書くのではないかと想像しているが、確かなことは分からない。

トンチャンというのは、戦後食料難のころでも日本では食べる習慣がなく、腐敗が早いため屠殺場で処分に困っていた動物の内臓を、戦争中日本に連れて来られていた朝鮮の人が、味噌を主体にニンニク、唐辛子などでたれを作り、ぶつ切りにした内蔵を焼いて食べたのが始まりと思う。

そのころのトンチャンといえば、薄暗い店(飲み屋?)の土間に長い腰掛があり、火をおこした七輪の上に金網を置きその上にセメントの袋を置いて、たれをつけた内臓のぶつ切りを入れて焼くといったふうで、衛生もなにもなかった。

鉱山の城下町であった神岡は、飛騨でも特殊な存在であった。

町内に住む人の過半数は、他所から入ってきた人、特に戦後の一時期は公職追放を受けた人、その後にレッドパージーに関係した人などそれぞれに一家言を持った弁舌巧みな人が沢山居て、この人たちの高言を聞きながら、トンチャンをつつき、長じては自分たちもトンチャンを前にして、口角泡を飛ばして相手をねじ伏せあったものである。

自分が今”懐かしの味”というのは、味覚だけでなく食べ物を前にして、議論したことも合わせて思い出すからである。

きょう、姉からトンチャンの冷凍したものが送られてきたので、早速解凍して食べてみた。

その味、舌触りは懐かしさを呼び起こしおもわず「うまい!」、さらに最後の仕上げにうどんを放り込み、鍋のそこまで野菜でかき混ぜ食べつくす。

動物性脂肪といい、塩分濃度といい、酒の進み具合といい、腹八分をかなり通り越して健康的には具合が悪いのは承知のこと。

しかし、向かいの人を相手に議論は感情論になりそうなので控えてしまう、すると、折角の味も約七分に下がってしまう。

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