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2006年8月11日 (金)

うちの○ちゃんにかぎって

Img_0116 先日、加藤由子という人の「うちの猫にかぎって」という本を中古本屋で買ってきた。

中身は、よくある猫好きの目から見た猫の本であり、ごくありふれたものだと思ったが、表題がその少し前に犬を放して散歩に連れていた人とおなじ文句だったのと、100円という値段に釣られて買ってきた。

いったい、この○○にかぎってと言う言葉、盲目的な信頼はどこから来るのだろう。

たとえば、犬、猫はまだしも、「うちのボクチャンに限って、、、」という人もいたが、それこそ”親ばかチャンリン茶のはかま”で、ろくな子どもではなかった。

犬を連れていた人も、「むかし他所の犬にかまれたことがあったが、この犬は気持ちが通じているから絶対です。まだ、このごろの人間のほうが危ないと感じています」とのことだった。

話が通じる人間でも、何するか分からないのに、言葉の通じない犬のほうを信頼するという心理。「動物は嘘をつかない」という通念に重きを置いているせいではないだろうか。

犬だって、ストレスがたまりいらいらしたり、衝動的行為をとりかねないことが多々あるし、じゃれているつもりが、しだいに興奮してきたり、相手が恐がったりで危害になってしまい新聞に乗ったことある。

犬好き、猫好きをみてよく思うのは、自分が好きな動物は、世の中全ての人も好きだと思っている錯覚の持ち主がかなりいる。

現に、犬好きはかならずしも猫好きではない、またその逆もあるというのに、飼い主にはその辺が分からない。おまけに愛情さえかければいいとばかりに、甘やかし放題にして、犬に引っ張られて散歩している人もいる始末。

どうも、しつけということが出来ない人がいる。もっとも、飼い主自身の社会的常識が欠けているのだから無理ないか。

昨年、長野県の小さな宿の風呂に入ったら、先客が犬を連れて入っていたり、食堂の入り口にあった「動物はご遠慮ください」という張り紙に抗議しているおばさんを見たが、ほかの人に対する気遣いと言うものが全然感じられない人がよくいる。

動物には、癒し効果があるいう、しかし、それは、孫や子どものように憎まれ口をたたかず、擦り寄ってくることにあるのではないだろうか。

となると、動物にしか気持ちが通じなくなる人生の終着点は何か寂しい。

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