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2006年8月 8日 (火)

富士に文化遺産は似合わない

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今日八月八日は暦の上とは言いながら早いもので立秋であり、七十二候では”涼風到る”という。

しかし天気図は、涼風でなく台風なので、湿った梅雨空の様相を示している。

さて、今日は富士山について。

日本人で富士山を知らない人はまずいない。その端麗な姿は、子供の頃台形を書いて、上3分の1くらいにギザギザいれ白く塗れば、それは富士山であった。

ちょうど象形文字のように、誰も他の山だとか、違うとは言わないで認めてくれた。

かく言う自分が始めて本当の富士の山を見たのは、かなり遅く20代になって北アルプスの槍ヶ岳から、ご来光を見るため、東の空を見ていたときだったと思う。

真っ赤な朝焼けの彼方に小さな黒い台形を見つけ、隣の友達に確認をとらなければならないほどのものだったが、なぜか、感激したことを覚えている。

ひるがえって、いまでは天気さえ良ければ、すぐに見えるところに住んでいる。国道1号のバイパスが出来る前は、家のベランダから、むかし書いたギザギザ部分から上が見え、母親を喜ばせたものだが、いまでは、どう背伸びしても見えなくなった。

この富士山を、今度は世界文化遺産にしようと一部では騒いでいる。

以前に世界自然遺産にしようと申請したが、塵やし尿の管理不備などで却下されので、目先を変えてのことらしい。

この時のことを、世界遺産推進室長だった伊藤という人が言っているが”塵の山”以外に①富士山は利用されすぎている②多様な特徴含んだ火山ではない、などから、「富士山はそもそも自然遺産の案件を充たしていなかった」と後から言っている。

となると、そのときの騒ぎはなんだったのか。

そして今度は文化遺産だというが、いまの富士山は信仰の山だといえるのか。きれいになったと言うが裾野の産業廃棄物は相変わらず、さらに文化遺産は放っておくと崩れたり、なくなってしまうものや、しきたり、文化が主体だと聞いている。

となると、踊らされた後に「やっぱりだめでした」という報告を聞く可能性が強い。

さらに、何故、文化遺産の指定を受けたいのか、その後どうなるのか、どんな効果や制限があるのか、などの説明を聞いたことがない。最近の大学入試と一緒で、合格したらそこで燃え尽き目的がなくなった青年のようになりはしないのか。

富士山はいまのままで充分にきれい(遠望は)だし、有名でもあり、日本の象徴でもある。

塵やし尿処理などは、文化遺産とは関係のない視点で施工し、裾野の自然回帰を含めて人工林、工作物など私権の制限などは、日本の宝と認めるなら、文化遺産のあるなしに係わらずするのが当然である。「声高に叫ぶのは裏になにかある」のでは、と勘ぐるのは下司のせいだかね。

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