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2006年9月30日 (土)

アーチスト

Img_0024 写真の木の実は、権蘂(ゴンズイ)という。

真っ赤なほうで黒い実をつつみ、いかにも悪役といった役どころか。

名前の出所として。魚の権瑞(ゴンズイ)に似て、役に立たない木という所から付けられたと書いてあった。

「私たちアーチストは、、、」とくちばしもまだ黄色い娘っ子がテレビで声高に話していた。

はてアーチスト?=アーティスト=芸術家。早口で横文字がらみの歌を歌っているオネーちゃんが、芸術家?ハァ~

前衛芸術がまだ理解できない自分としては、歌詞も曲もとても理解できない歌は芸術から程遠い。

そこで、見てみたら最近は若い歌手のみならず、美容師や爪を構う人などもアーチストというらしい。それもこれも芸術家?だとしたら芸術の値打ちが下がったものだ。

”でくの坊”ということばがある。漢字で書くと木偶の棒といい、手足のない木の棒の人形で「役に立たない、気が利かない」のと人をののしる時に使う言葉の代表でもである。

この木偶を操ってそれらしく見せ、投げ銭を稼いでいた人を傀儡師(くぐつし)といった。(陰の意向で政治があやつられる、傀儡政権というように)

それが、江戸時代に入って、三味線が伴った浄瑠璃の人形遣いになり、文楽と言う日本を代表する芸能にまで発達し、名人上手の中から人間国宝まで出てくるようになった。

同様、歌舞伎役者もその昔は川原乞食などとさげすまれた名前で呼ばれていた時代があった。それが、いまや梨園などと言われ、子どもは御曹司などとちやほやされている。

いずれ、黄色いヒョッコたちも、名人上手にはなるのかもしれないが、いまのように基本も修練も出来ておらず、2~3年もてばいいほどの者が名乗るほど安いものではないと思うんだが、、、、。十年早すぎるよ。

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2006年9月29日 (金)

久し振りの翡翠で、、

Img_0039_2 秋も本格的になり啓蟄で地上に出てきた虫、蛇、蛙なども秋風が身にしみて元に戻る”蟄中戸を閉ざす”と暦は言うが気温はまだ高い。

麻機山上りかけのところにいたヒバカリ(ごくおとなしい蛇)が結構身軽に草むらに入って行った所を見ると、まだまだ、隠居するには早いと見切っているのか。

水の枯れた水路で草刈をしている女性(おばさん)がいたので、少し話をした。

話は地球温暖化のせいで気候が不順、「この間も、こんなおっきい雨が降ったんよ」と指を丸めて見せ、雨水もここまで来たと水路の上を指差す。

「流通センタ-でも、野菜や果物の仕入れが去年より75%も高いんだって」という、「そんじゃ~おばさんちは、儲かるね」といったら「売るもんが出来やせん」とのこと。

沼のほうに降りてきたら、望遠鏡を片手にしたお年寄りがいたので、「なにか目当てがあるの?」と聞いたら「水鳥を見に来たんだが、今日はさっぱりだよ。やっぱり地球温暖化で北からの渡り鳥が遅れているんだろうかね」とここでも地球温暖化の話し。

たしか、今の時期沼にいる水鳥は少ない。「南側の草むらに入っているんじゃないですか、夜は付近の田んぼに入って稲をしごいているみたいだから、、、」と返事をしたが、これほどなにかにつけて「地球温暖化」という言葉が認知されているとは思わなかった。

その年、その年で少しばかりの変化はあるものの、ここ2万年ほどの間、地球がこんなに穏やかだった時期は地質学的には珍しいことだと言うのを聞いたことがある。

この気候に乗っかるようにして人類は大増殖、大発展したので、気候の変化など環境に対して、人間は実にひ弱な動物だそうだ。

そういえば、停電などが起きると都会は一発で麻痺してしまうものんな。

いつだったか、本屋で5千万年後の世界なんて空想絵本を立ち見したことがあるが、突拍子もない生物が書かれていた。

人間だって、類人猿から分かれたのが高々三百万年ほど。現代人は20万年ほどしか歴史を持っていないのだから、5千万年後には天変地異で消え去っていること間違いないだろうが、その前兆が始まっているのだろうか。なんて思っていた矢先。

”久し振り、お珍しいことで!”翡翠(カワセミ)が杭の上から、下の小魚をねらっているのが見えた、「あそこに翡翠が!」と指差し忍び足で、カメラをもって少しでも近寄ろうと進む、お年よりは目が悪くて確認できないのか望遠鏡を振り回している。

地球温暖化も妄想も一気に吹き飛ばして、小鳥に集中する。

所詮自分たちの談義も、目先の事件で一変する。この程度もんか

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2006年9月28日 (木)

中身はカラッポ

Img_0096_1 麻機山の烏瓜(カラスウリ)も色づき始めてきた。

Img_0344 先日まで、レースのカーテンみたいな一夜花を咲かせていたが、いつの間にか鶏の卵を一回り小さくしたような青い実をつけいま色づき始めた。

この実は漢方薬では喘息の薬として利用されるという。

冬枯れのころになると、赤い実が風船のようになり、中身がなんにもなくなるが。垣根などの目立つところにあり、子どもでも採りやすいので、いい玩具にされてきた。

十で神童 十五で才子 二十過ぎればただの人、さらに付け加えれば、六十過ぎたらなぁ~んにもない、とくる。

営々と会社や所属する団体の中で築いてきた地位や名誉もその職を離れればカラッポの抜け殻。となることを自覚し、それに甘んじる心を持ちたいものだ。

自分の家の近所にも、元役所のお偉いさんだの、元学校の先生や元警察だのにしがみ付いている人が随分といる。

先日も、静岡県の元県会議員の親睦団体に補助金がでていた問題で、”補助金を返せ”という判決が最高裁まで行ってようやく出た。

この団体に補助金を出すと県が言ったのか、出せと団体がいったのかは知らないが、元なんとかを捨てきれなかったことが原因であろう。

一度味わった生活水準を、定年になって収入が減ったため下げるのはなかなか難しい。同様に一度味わった「俺は人より偉いんだ」という感覚も同様なのか。

仕事で得た自負心、技術 能力をひそかに懐かしみ、楽しむのは良い。しかし、それを永遠だと思い周りにぶちまけるのは、傍迷惑と言うもの。

近いうちに、団塊の世代が大量放出されると言う。

一世代前の退職者を見て、くれぐれも”元なんとか”に頼らない社会人になって欲しいものと思っている。

いいですか「何事もカラッポ」の精神から出発。そうすれば烏瓜のように、子どものいい玩具なり、喘息の薬になって世の中のためになること間違いなし。

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2006年9月27日 (水)

懐かしのアメリカンハイウェイ

Img_0016 午前中の雨もやみ、天高く心地よい風の吹く秋空が広がる。

秋といえば、食欲、スポーツ、読書、競馬などいろいろな返事が返ってき、どれも捨てがたい。

そして、若い人は、夏休みに知り合った、片思いの相手にはっきりと拒絶されて”失恋の秋”という、、、、、。

失恋は、はっきり言われた方がいい。あいまいな断られ方はのちのちストーカーに変身される可能性があるからだ。それでも、自分本位にしか物を考えられない人には通用しないけれど、

そんなわけで、本日は”芸術の秋”を選択した。

九月十二日から、県立美術館で開かれている”ナスカ展”である。

ペルーで仕事をしていた時は、クスコやマチュピチに比べると知られておらず、後から考えると側まで行っていたのに、見る気がなくて帰ってきていたのだ。

いまから思うと残念なことだが、今日のバーチャル映像から見ると、ヘリコプターで上空を飛ばなければ分からないので、地上を行っただけでは仕様がなかったかな、とも思う。

今回、展示されたナスカの遺物は紀元前百年ころから紀元七百年くらいまでのものとあって、リマの天野博物館で見た、インカ時代の遺物より千年余古い物だった。

シャチ、猿の文様など、よく似たものもある中で目新しいというか、初めての物も数多くあった。

まず驚いたのは、ミイラとそれを包んでいたと言うマントの新鮮さ、さすがに雨の少ないお国柄がしのばれる。

日本の高松塚古墳などのように黴に侵されるなどという心配がないところなんだ。

それと、この時代すでに頭骸骨の矯正や手術をしていたらしいということ、日本の縄文文化に当たる時代に、、、

そして、一番印象に残ったのは、ほかでもないバーチャル映像の冒頭に出てきたアメリカンハイウェイだった。

砂漠の中を一直線に伸びるアスフアルトの黒い道。実に懐かしかった。

これぞペルー。また行けるものなら行きたいところのひとつであり、第二の故国という感じを持ちながら帰館と相成った。

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2006年9月26日 (火)

煙草の注意書き

Img_0108 写真のバッタは”おんぶ飛蝗”というそうだ。自分は随分と長い間”精霊飛蝗”だと思い込んでいた。

たしか、子供の頃オンブバッタとは言ったが、それは、子ども用語だと思っていたし、どのバッタを見ても交尾して背中に乗っていればオンブバッタと言ったように思う。

孫にもそのように教えているので、訂正しなければならないが、じいじはなんでも知っていると思っている孫はどう思うだろうか。思い込んでいると、調べるということがない、あとで恥ずかしいものである。

ちょっと連れが用事を済ます間、時間があって煙草自販機のそばにたっていた。

Img_0013 退屈しのぎに、自販機の中のサンプルを見ていたら、最近の煙草の箱書きが随分と変わっているのに驚いた。

禁煙して四十数年、といえばカッコいいが、実は若いとき人に勧められて少し吸ったのだが、味を覚える前によしてしまったので、世に言う禁煙の苦しみをしないで済み、それから煙草自販機を注意してみたこと覗いたこともなかった。

「肺がんの元、脳梗塞の元、肺気腫の元になりますよ。胎児や子どもに悪影響がありますよ」などと、箱の下半分にいろんな種類の警告が書かれている。

以前、海外の煙草にはこんなことが書いてあるとは聞いていたが、日本でもこんな風になっているとは知らなかった。

この文句を見ながら買って吸うのはよほど度胸のいることであろう。煙草のみには次から次とつらい環境になっていくようだ。

やっとこの間まで、何百年も煙草は大人の嗜好品、アクセサリー、精神安定のためよいものだといわれてきたのに、、、

今朝の新聞を見たら、俳優の丹波哲郎さんが、霊界のほうに行きなさったとのこと、生前あちらの世界をを紹介し、喜んで行きたいといっていた人だから、ようやく目的達成ということになる。

あちらの世界がどんなに良くても、此岸から彼岸に行くとき、出来るだけ安らかに生きたいと願うのが人の常であり、そのため”ぽっくり寺”なんてのもある始末。

しかし、あちらの世界に行くときは、老衰が一番であるが、最も多いのは、事故なり病気であり、その線は苦しいことが多いので此岸の人は不安になる。

丹波さん、できれば貴方の破天荒なキャラクターを生かして、霊界初の彼岸通信を送って貰うわけには行かないものだろうか。

そうすれば、人皆霊界を信じ、悪さを控えると思うのだけれど、、、、あるを前提にした思い込みでは効果がない。

こちらの彼岸は今日で終わる、僅かなすき間からそっと一枚でいいのだけど。

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2006年9月25日 (月)

やきもちではないつもりが

Img_0129 中学の傍に立つ桜。夏の暑さと虫に食い荒らされて葉をすっかり落としていたが、ここしばらくの気温の変化に反応してか、2輪3輪と花を咲かせ始めている。

51歳11ヶ月余で自民党総裁に就任。>>>>明日、日本では、異例の若さの総理大臣が誕生!、ということになるだろう。

選ばれし家の子。苦労を知らないお坊ちゃん>>>>大学時代はアルファロメオに乗り、祖父 親の七光りの元 順風満帆、  これまでの人生。

そんな人が”美しい日本”を唱え、教育基本法をいじくり、憲法を改めると言う。>>>>”美しい日本”とはなに、景色だけでないはず。戦争をしていた時期をどうみている?

かなりの、危うさを感じるのは、自分よりかなり年下、ということだけのせいなのか。

むかし、アメリカにケネデイなる人が若くして大統領になった時の熱意は海を越えて、自分たちにも伝わってきたが、今回はまったく感じられない。(こちらの年のせいか?)

大臣病、役職希望者に支えられての雪崩的勝利は、ポジションが足りず、すでに第二派閥から不満が、、、、希望が失望に変わったとき、恨みのエネルギーはどこに行くのか。

まったく関係のない自分。若さに対する嫉妬で言っているつもりはないが、新しいリーダーに新しい期待というものがない。

それどころか、どこへ引っ張って行こうとしているのかうすうす分かるだけに心配をする。ともあれ組閣という中でどんな不協和音が更にでるのか、第二幕が楽しみでないわけはない。

しかし、上の写真のようにくれぐれも「返り咲きの花も見ゆ」ということにならないように、、、、。

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2006年9月24日 (日)

茸採りがいっぱい

Img_0161_1 しばらくぶりに御殿場の秩父宮記念公園へ行ってきた。

やはり、季節の切り替え時なのか、不如帰(ホトトギス)はほとんど散ってしまい種になりかけ、咲いていたの秋明菊やダリアなど園芸品種が主だった。

その後、休日混雑が少ないところへと思い、富士の須走口へ向かったが、山中湖道路で渋滞にはまり、ようやく須走口から走れるようになった。ところが途中から腰に籠をぶら下げた人を多数みる。茸取りらしい。

こんなに沢山、それも素人衆が何なんだろうと首をかしげながら、終点の駐車場から山小屋に着くと、素人衆が採ってきた茸を、えり分けている人がいた。

えり分けているのはボランテイァなのか報酬を取っているのかチラッと見ただけなので分からなかった。

着いた時刻が丁度昼。店先にあった”きのこ弁当”を購入し食べてみたが、きのこは養殖物のうえ御飯はいわゆる山小屋風。つまり、いくぶんめっこ気味でなにか半分懐かしいような、と美味くないような気分を混ぜ合わせてで食べ、その後、弟と二人で小富士に行って来ようということになった。

この道は、林の中を縫ってほぼ水平に東へと向かうのだが、以前来たときにはいろんな道みたいなものが上下にあったので不思議に思っていた。

そのわけが、今回分かった。横道からあまり外れない範囲で何人もの人が茸狩りに入ってつけて道だったのだ。

茸を知らない人が、えり分けてくれる人がいるというだけで、こんなに沢山入っているのも始めて見た(飛騨では、コケ(きのこ)取り場は親子でも教えない)し、えり分けしている所ではまるで人任せで、憶えようともしていない。

まるで、現代社会の縮図を見る思いがした。

そんなことを思いながら、歩くこと20分ほどで植物を一切排除したガレ場に着き小高く盛り上がった所に、小富士の標識を見る。

この部分にだけ、植物が侵入できないのはなぜか。多分礫層に何か理由があると思うのだけれど、まだ聞いたことがない。

帰りは、近所の日帰り温泉に浸かって、ということで、裾野市のヘルシーパーク裾野”というところに寄ってみたがその途中御殿場市との市境一帯、大野原のススキは見事だった。

箱根仙石原なんか比較にならないほどの面積がススキの白い穂波で見る限り波打っている。隠れた名所だった、あまり人に知られて交通渋滞にならないよう願いたいものである。

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2006年9月23日 (土)

台風の影響?

Img_0132_1 本日は、秋の彼岸、お中日である。先祖に感謝し亡き人を偲ぶ日だという。

我が家は、墓が飛騨なのでお守は従兄弟にお願いしている。こちらでは弟を呼び、今年6回目の月下美人を眺めながら、来し方行く末をとめどなく語った。

この年になって知り合いの消息を聞いたりすると、先祖から健康に恵まれた身体を授かった喜び、感謝を実感している。

若いとき、体力気力が充実している時は、空気や水同様に当たり前と思っていたが、いまでは、空気、水同様に貴重なものと知る、、、。

午後になって、台風14号の前触れと言うのか風が強くなってきた。

朝から、上空には羊雲がかかり、田んぼの稲は早いところでは刈り入れだ始まっているが、まだの田んぼでは、稲穂を雀や鴨、鳩に食い荒らされないよう、手をかえ品を変えて、最後の闘いをおこなっている。

昔ながらの案山子から爆音までいろいろと工夫してきたが、鳥のほうも学習してきて、まずらしいうちは効果があるものの、しだいに危険でないと判断し、稲の間にはいりこんでいる。

Img_0134 午後になると、台風14号の影響らしい強風がときどき吹きだした。

蓮田の蓮は大きくなりすぎた葉に横風を受け、裏返しになり。土手の川柳は真横に枝垂れを吹き流している。

予報ではどうやら日本の東海上を通るようで、直接の被害は少ないらしい。今頃の台風は過去何回も大きな被害をおよぼし、静岡でも狩野川台風が有名である。

昨年は、直撃した台風がいくつもあった静岡だが今年は今のところない。

どうかこのまま、過ぎて欲しいものだが、、、。

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2006年9月22日 (金)

芋の煮えたもご存じない

”芋の煮えたも御存じない”という、いろはカルタがあった。

芋を煮るのはごく簡単なことなのだが、それさえ出来ない世間知らずを皮肉った言葉である。

もっとも、今ではスーパーなどに行くと温めればいいだけのものとか、電気ガスなどで自動的にやってくれるものもあるので、炊き方を知らない人も居るようだけど、、、。

公務員をしたことがないので、訓告とか戒告と言われても、どの程度のものなのか、出世にどのくらい響くのかも見当がつかない。

懲戒免職とか停職、減俸ならいくらかわかる。

先日、県が公表した飲酒運転をした職員に対する処分について、県の人事担当者と書かれた人が、「適切な処置だと思う、今後処罰を検討することは考えていない」といっていたが、最近の各自治体の処分状況から言って随分軽いなという感じがいなめない。

法律に従って人々の規範にならなければならない、公務員になぜ飲酒運転が多いのか、民間ではバブルがはじけて以来、接待や談合で呑んだり飲ませたりが出来なくなったが、公務員はそれほどでもなかったことにある。

このことについては、県職員を名乗るブログにも批判がでていたので、人事担当者というお偉方は身内をかばう気持ちはあっても、民意と言うものが分かっていないようである。

おりしも、静岡市はほかに見習って飲酒運転は原則免職とした、原則ということは例外もあるようだが、、、、、

さて、むかしむかしのこと、日本で芋と言えば里芋や山芋、長芋などをさし、時代が下って、じゃがいも、さつまいもが入ってきて、その生命力の強さから飢饉時に沢山の命を救ってきたと言われている。

里芋は、芋明月、煮しめ、雑煮などに使われ惣菜には欠かせぬ一品といわれているが、ぬめりと言うかねばりというのがあり、あまり好きだと言う男性をみていない。

かわって薩摩芋になると、甘味が強く胸焼けがするなど、と言ってこれまた男性は敬遠する。

というわけで、独断と偏見によれば芋はじゃがいもと言うのが、自分の評価である。

草の部分が茶色く枯れてしまったじゃがいもを、暑い夏の太陽に背中を焼きながら掘り出す、土が焼けているので芋の周囲の土は何もしなくてもきれいに落ちる。

こんな芋に、塩を目分量で入れて炊く、皮が少し破れ加減の所で箸をさして加減を見、ざるに山盛りにしてホクホクと言いながらみんなで食べる。

また、ちいさな小芋を油を敷いた鍋に放り込み、なじんだ所で水を入れて煮て作る煮っ転がし。砂糖醤油の味とあいまってふうふう吹きながら口にほうばる。

いずれにしろ、炊き立ての熱いうちが花。ここしばらくは芋で月を愛でよう。

いけない、今日は八朔 新月だよ。

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2006年9月21日 (木)

真澄の空はほんがらかに晴れて

Img_0103 おかを~越えていこよ

真澄の空はほんがらかに 晴れて

鳴るは~胸の血潮よ 讃えよわが春を

いざゆけ はるか希望の丘を越えて

昨日に続き今日も良い天気になった。しかし、予想通り足首の腫れが引かない。

それでも、膝屈伸で試した所そんなに痛みもないし、真澄の空は丘を越えていこうと誘う。

つい、いろいろ理屈をつけて、ほんのそこまでといつもの麻機沼に出かけた。と、そこに、先日、蝶について語ってくれた蝶専門の写真おじさんがカメラを構えて立っているた。

「どうですか、今日は何がいます?」と聞いたところ、樫の木の上を指差し、「ここ2~3日、一斉に孵ったらしい小斑蝶(コマダラチョウ)が群れている」とのこと、言われてやっと気が付いた。

孵ったばかりの若い蝶は、空高く飛べることがさも嬉しいとばかりに飛び回り、休むことを知らない。まさに”讃えよわが春を”の心境であろう。

先日まで木の葉の上で空を見上げ、その後、さなぎの間じっと動けずにいたのだから、自分が同じ立場ならやはり同じように、疲れきるまで楽しんだあと、はっと気が付いてから子作りだろうナ。

「で、いくらか写せました?」「いや、デジカメの反応鈍さで、なかなかフレームに入らない。さっきとまったと思って写したけんが、調べてみると羽の一部が欠けていて、、、」とのこと。

「この蝶の幼虫の食性は、この樫の木です、冬は下の草陰で過ごすので、下草を刈って欲しくないのですが、、、」「へえ~、そうですか。私はひっつき虫がきらいなので早く刈ってくれないかと思っていたんですが、やっぱり聞くと違うものですね」

そんなこんなで、ねばって写したのが上の写真。

Img_0094_1 大陸の秋風が入ってきているとか、湿気もすくなく気持ちの良い青空広がる中、遠くで百舌の高啼きがはじまり、洋種山ごぼうが早くも色づいてきた。

長い夏、虫に食われて穴だらけになり、縁のほうから機能が失われたか赤く染まっている、ご苦労さんとねぎらってやりたいぐらい。

いま、窓の外では蟋蟀(コオロギ)がかすまびしく鳴きかわしている。秋もいよいよ本格的になった。

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2006年9月20日 (水)

双子山から御殿庭(2,300m位)

Img_0078_1 八月初め、富士登山駅伝で大賑わいになる、富士 太郎坊の登山口も、朝八時を少し前にしたこの時間は、駐車している車がまばらにあるだけ。

朝起きてから、急に思い立った出発だったので、到着がこんな時間になってしまった。(写真上、フジアザミの蜜に誘われて孔雀蝶。この艶やかさはまた格別、学名をイオゲイシャというそうで、イオは美人の女神、ゲイシャは芸者をさすという。始めて見た)

右足、くるぶしの調子が今ひとつだったので、できるだけ高低差がすくなく、景色の良い山という基準で考えたら、最終的には富士山の寄生火山、双子山という結論になった。

支度をして、スコリア(粒の小さい火山砂礫)だらけの斜面に向かう。

「道なき道を踏み分けて、、」という文句があるが、ここの場合どこを歩いても良いくらい一面砂礫の斜面に先駆植物としてオンタデ、フジアザミなどが、点々と縞状の基地を作り、その後から唐松が追いかけて上る様子が教科書そのままに見える。

以前は四輪駆動車やモトクロス用オートバイで踏み荒らされていたが、いまは、立ち入り禁止のため轍の後は無い。かわって、2本駆動の足跡がそこいらじゅうにある。

斜面には、登山用の通路として、ロープが張られ、そこを添って歩く分には地面がしっかりと固まって歩きやすいので、ザクザクの斜面に付けられた足跡は、面白半分に荒らした人であると予想がつく。

斜面も少し上がると、人気が無くなり、無音の世界に入る。燕がやたらに多く飛び回っている。下にいるのと種類が違うのか少し大きく見える。(イワツバメ?)。

2~3日前に七十二候で「燕かえる」とあったのにと、思いながら登っていると、下のほうで”ドカン ドカン」と無粋な音がする。アメリカ軍が榴弾砲の訓練する音のようだ。

40分ほどかけて、山頂に到着、イザナギイザナミの命を祭る碑が建っているところで一休みの後、降って”御殿庭”の行けるところまでと西の方に向かう。

足のほうはここまでのところ順調である。

しかし、先年の台風でなぎ倒された栂の植林帯に入ったころから、上空に雲が入り、宝永山から上の視界が効かなくなったので「御殿庭上」を中に変えて覗くだけにして引き返してきた。

天気は、前半よく晴れ景色を堪能することが出来たが、花は御蓼(オンタデ)と富士薊、下のほうで野コンギクぐらいしか見えず、季節的には外れの方だった。

Img_0058_1 そのなかで、一番の景色は、双子山すぐ西から見た斜面で、赤い山頂、中ほどから下の黒い礫そしてすそに当たる部分を緑や黄ばんだ草の島が点々と散らばっている様は、加賀友禅の着物を衣文掛に広げて見せているように見えて、しばしたたずんで眺めた時だった。

いま、夜の9時、足首が随分と腫れてきた。明日は少々痛くなるかナ。

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2006年9月19日 (火)

秋の空はどっち

Img_0009 黄花コスモス、最近になって日本に入ってきた品種のようだが、従来のコスモスに飽いていたのか、急速にあちこちで見られるようになった。

黄花という名前はどこから来たのか、どうみても橙色と言った感じだし、30数年前はじめてメヒコ見たときには、”SunSet”(なぜか英語だった)と聞いたので、よくつけた名前だと思っていた。

Img_0011 たしかに、従来のコスモスは澄んだ秋空を背景にして写すと抜群の効果を発揮するが、黄花のほうは夕暮れが似合うような気がする。

「富士には月見草が似合ふ」と太宰治が天下茶屋で言ったそうだが、黄花コスモスもどこかに似合うものを見つけてあげたいものだ。

さて、「○○○心と秋の空は変わりやすい」というが、今朝ほどの心地よい青空も、昼過ぎには一面の曇り空になってしまった。

自分は、男なので○○○は女としたいのだが、人間の半数は異論があることと思う。

しかし、自分から見ると男女が別れた場合、女の人は割合と切り替えが早いのに、男はうじうじと何時までも尾を引き、復縁を求めて事件を起こしたと新聞種になっているのを見かける。

これは女性の場合、包丁を持って押しかけても、力づくで負けてしまうせいだけではなく、「夢見るユメコさん」で後ろ振り返らず前向きに考え、男は過去を振り返って懐かしむセンチメンタルジャーニー的な所を持つためでないだろうか。

これにも異論はあるだろう。

”男とおんなの間には 深くて暗い川がある

         だーれも渡れぬ 川なれど

         エンヤコラ 今夜も舟をだす”

分からないから魅力があり、分かってしまうと”な~んだ”になってしまう。

いつまでも、秘密はもっていようね、聞かないっこしようよ。

男を、女を、卒業したなんて言わず”男には女がよく似合う”、と何時までも言いあいたいね。

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2006年9月18日 (月)

蛇の目のワルツ

Img_0028 台風の余波である雨も去って、午後、少しばかり日がさしてくると、庭のみどりを目指して、昆虫が寄ってくる。

迷惑な蚊も出没するが、一昨日あたりから、姫蛇の目蝶が来ている、以前は花に卵を産みつけ、葉を坊主にするため追っ払っていたが、最近は何事も自然か、と大目に見るようになった。

この姫蛇の目が、2~3羽がワルツを踊っている。10~20cmほど離れてくるくると螺旋をかくように上下する。時にはもう1羽加わったりするが、飽きもせず踊っている。

写真に収めようとするが、なかなかフレームにおさまってくれない、そこで踊りつかれるのを待ってようやく1枚。

さて、今世界には、無数の言語があるといわれている。

その数は、千数百とも数千とも言われているが、正確なことはわからないらしい。

理由としては、隣り合った国や土地で似通った言葉を話すとき、別な言葉か、その言葉の方言なのか分からないことや、小さな部族だけの言葉はどんどんと、消えていき調査が及ばないこともある。

そのなかで、日本語は1億人を越え、多くの人が話している割には、周りに類似語(朝鮮語くらい)がすくなく、特殊な方に属するようである。

そのわけは、文法にあり、英語などでは否定を表すノットや肯定を表すイエスが真っ先に来るが、日本語では最後に来るため、否定か肯定かは話を聞き終わるまで分からない。

おまけに、語尾を濁されるとまったく”不得要領を得ず”という状態になり、首をかしげて相手の気持ち(腹)を察すると言う結果になり、後になって言った言わないの問題に発展し、最後は腹を切ってお詫びしますとなる。

そして、現代ではこの典型が、自動車免許の試験問題に使われ、いわゆる引っ掛け問題といわれるものになっている。

もし、本当に交通法規を憶えているかどうかを試すのなら、素直な問題で試してもらいたいものだが、引っ掛けでは運が良いとか悪いとかになり、ろくに法規の分からない人が鉛筆の転がり方で合格になったりして、運転免許を取得をしていることがある。

また、特殊文法が英語の放せない人、苦手な人を増やしている。

よく、ヨーロッパでは何ヶ国語を話せると言う人がいるが、フランス語、イタリア語、スペイン語はラテン語系統でいわゆる方言だと思えば通じて当たり前であり、英語、ドイツ語など北欧系言語なども、文法的に一緒だと思えば簡単なはず。

しかし、自分としては、言葉なんて踏ん切りをつけるかどうかだと思っている。

前にも書いたが、はじめてペルーへ行ったときは、1から10までの数え方と朝昼夜の挨拶ぐらいしか出来ない状態で1人送り出されたが、ロスアンジェルス乗換えで無事つけた。

現地の人に囲まれた生活をすると、仕事の話は1週間ぐらい、2ヵ月後にはパスポート持参でペンションに泊まりにいけた。

イタリアへ行ったときは、スペイン語で何とか通じたし、スイスやオーストラリアでも一人歩きが出来た、フランスでは言葉を通じない振りをするタクシーの運ちゃんと喧嘩し、空手の振りをして蹴散らしたこともある。

娘に聞いた話だが、ある銀行の支店長は外人に対して日本流の発音で応対していたが、結構通じていたよ、と言っていた。

流暢に話そう、上手に喋ろうなんてことは初めっから放棄したほうがいい。

本日は敬老の日、としよりの基準がどんどん先送りにされることに不思議な感じがする、しかし、自分のことばかりにかまけて、敬われるようなことはしてこなかったので、初めっから当にはしていない。としよりは永遠に放棄している。

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2006年9月17日 (日)

おだっくい

Img_0030_1  いま、静岡市内の何ヶ所かで”おだっくいまつり”をやっている。

おだっくいとは、こちらの方言で、お調子者、キュートで愛すべき人という風に解釈すると説明がされていた。

方言には、標準語にすぐ言い換えられるものと、どうにも説明の仕様がないものがあり、イントネーションの使い方によってはまったく違うものになることもある。

”おだっくい”が、説明通りかどうか、今でもはっきり分からないが、静岡に来て始めて聞いた時には、面と向かって言うのだから悪口ではないだろうなと思いながらも、あいまいに笑ってごまかした。

理由としては、”おだをあげる”という言葉に近かったことにある。

酒を飲んでおだを上げると言えば、どうでもいいことを得意気に言うことや、目下のものに「近頃の若い奴は、、、」なんて威張り散らしているのを思い出し、ごまかし笑いの対応がよかったのかどうかだったのか、分からなかったからである。

前にも書いたことがあるが、静岡には江戸時代から続いている伝統ある民謡というものがない。(知らないだけかもしれないが)

自分の育ったまわり、飛騨や越中には、各村ごとに有名無名を問わなければいくつか必ず残っており、いまだに酒席や祝いの席、盆踊りに受け継がれ、誰もが幾つか歌えるものである。

「温故知新」 静岡には、江戸時代全然民謡がなかったとは思えない。

それがないということは、どうも文化を大事にしないというのか、進取の精神(新し物好き)に富んでいるのか。

とにかく、おだっくいまつりは、各グループごとにジャズ、ヒップホップ、阿波踊り(昔ながらのものでない)など自由な表現踊りを披露するという形式らしい。

出演者は、よほど練習しているものらしく、次々と出て来る子どもを含んだ一団は、揃いの衣装でステップを軽やかに踏む、この踊りがこれからいつまでも続いて末代に伝えてほしいものと思うが、、、、、

白鳥は哀しからずや 空の青 海のあおにも

          染まず ただよふ    牧水

今日は牧水忌、いつまでも静岡人になれない自分にはこの句が当てはまるというのはいささか”おだのあげすぎ”。

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2006年9月16日 (土)

足元はおろそか

Img_0176 荒地の花笠に蟷螂を見た。

まだ、これから大きくなるのかもしれないが、今どきの”かまきり”にしては小さい、指先で「このこの~」とちょっかいを出したら、文字通り蟷螂の斧を振りかざして威嚇していた。

「可愛いもんだぜ、長生きしろよ」と分かれてきた。イソップ物語に「蛙と少年?」というのがあって、石を投げる少年に向かって「そちらは遊びのつもりでもこっちは命がけだぜ」と言ったのがあったが、今日の蟷螂はまさにその線だったろう。

11日のことだからもう5日前の事になるが、散歩中に足を捻挫した。

「ギクッ」とした瞬間よこざまに倒れ、アドレナリンの突っ走ったのが分かり冷や汗が出た。「イテテテッ」と道路上に座り込んでしばし。

いつもどおり、田んぼの中の舗装道路を歩いていたのだが、足元はお留守で、きょろきょろと辺りを見回していたとき、道路右側の縁のアスファルトが少しかけていたところに、右足の親指とかかと部分しか乗らなかったみたいで、足を内側にひねってしまった。

しばらくして、歩いてみたが何とかいけそうなので散歩を続けて帰ってきたが、いまだに、腫れが引かず少々の違和感がある。

捻挫した後も、毎日の散歩や芋ほりなどをやったせいかもしれないが、前ならこんなに長引きはしないものをと、年齢に毒づいている。

もともと、自分の歩き癖は自覚していないのだが、両足とも小指側を少し下げ加減にして着地するようで、今までにも何回か転んで足首外側を傷めて腫らしたことがある。

足には目があるといった人がいるが、山登りの時でも、目で足の置き場をみても、実際に確かめて足を置くというのは、よほど、危険で慎重を期すときぐらいで、ほとんどは足元を見ていない。

しかし、これが中高年になるとそうはいかない、自分が思っているほどつま先が上がっていないので、ついつま先で木の根や岩角を引っ掛けて、転倒したり、捻挫をして身動きが出来ず遭難、ということが多々あるらしい。

急性なら自覚もするのだが、徐々に進んでくる老化現象は気が付かない。

先日も、(と言ったってかなり前)家の中で柱の角に足の小指をいやっと言うほどひっかけてしまい、小指がもげてしまったかと思うほど痛かったことがある。

やっぱり、足には目が無い。といって足元ばかり見て着実に歩くと言うのは、姿勢もさることながら、世渡り、仕事につけても自分の性にはあわないので、いつもおろそかにして、後で反省のくりかえし。

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2006年9月15日 (金)

尾羽打ち枯らして

Img_0002 秋も本格的になったか、花ばかりでなく昆虫や動物にも変化が見え始めた。

いつもの麻機沼も次第に水鳥の数が増えてきた。といって渡り鳥が増えたのではなく、いままで、田んぼを初め周りに散らばっていた、カルガモやヒドリガモと大中小の鷺や青鷺が集結を始めたといった感じである。

また、あんなに沢山いた黒い戦士 蝶蜻蛉やヤンマの仲間は、めっきり数を減らし、赤とんぼ系統が増えてきた。

蝶の仲間も、セセリチョウなど小型の蝶にはまだ変化が見られないが、アゲハチョウの仲間は文字通り”尾羽打ち枯らした”という状態のもが多くなってきた。

大きいだけに、風当たりや木や草にふれて破れたのか、見るも気の毒なものが飛んでいる。

そんななか、麝香蝶が一羽家の中に飛び込んできた、胴体を朱色の染めた揚羽蝶、「窮鳥懐に入れば猟師もこれを打たず」とかいうが、我が家では自称写真家がいるので黙っては返さない、一応モデルになってもらった上でないと、釈放しないのだ。

しかし、写そうと思ったが、ためらってしまった。羽の鱗粉がかなりはげてしまっている、遠目ではまだ特徴を残しているが、”近くば寄っては目にも見よ”とはとても言えないほどやつれている。

不憫には思ったが、「うばざくら 先ゆく道はなけれども 今日のすがたをしばしとどめん」(山人)とて、老い先が短いであろう蝶を開放した。

さて、昨日の新聞によると、やる前から圧勝が予想される自民党の候補者が、次の党役員候補に対立候補者を幹事長に当てると新聞辞令がでていた。

幹事長といえば、党の代表の一人であり、総裁と二人三脚で歩まなければならない人である。

もし本当なら、傲慢もいいところだし、選挙をしなければならないほどの対立軸、政策がない事になり、選挙する人を馬鹿にした話ではないだろうか。

今井久男という政治評論家は、民社党の党首選無投票を批判していたが、自民党のこれは、「枯れ木も山の賑わい」選挙といっても良いのだろうと思う。

いずれにしろ、26日には新しい首相が決まるわけだが、尾羽打ち枯らした旧首相は、どうなるのだろうか。

もしかして、近い将来フェニックス(不死鳥)やピラミッドのミイラのように復活することの無いよう望む。

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2006年9月14日 (木)

細かく見るか大まかか

Img_0005_3 きょうは、今年はじめて彼岸花を見た。

やっと先日、(何時だったかもう忘れている)草刈をしたばかりのところだった。そのときは、まだ地面の下にいたのだろうから、花茎の成長の速さ、つぼみをつけるや否やで花を咲かせたものと見える。

彼岸花も、昼夜の時間を見て花を咲かせるようだから、ここ2~3日の曇り空と気温の低下で咲き出したのだろうか。

真っ赤で火炎のようなこの花、どこにあっても目立つせいか、正式な名前のほかにいくつもの通り名を持つ。シビレバナ、ニガクサ、ジゴクバナ、シビトバナなど、人によっては100通りもあるなんていう。

この中で例外的な名は「曼珠沙華」であろう。仏典でめでたいときに天から降る赤い花にたとえて名付けられたそうだが、縁起の悪い名前の多い中、この名でどうにか救われている。

さて、一昨日長野で泊まった時、「食事は大広間でお願いします」ということだったので、時間に行くと、年配の婦人二人と自分たち4人がテーブルは別ながら一緒に食事をすることになった。

先客に軽く会釈をすると「兄弟でしょう、よく似ているもの」と言われた。

自分たちとしては、そんなに似ているとはお互い思っていなかったので、「分かります?そんなに似ていますか」といったが、考えるまでも無く、製造元が一緒ならコピーとは言わなくても、似ていて当然のことであろう。

ただ、自分たちは互いに細かいところを見て、違う所の多さから判断していると思うし、初対面の人は、顔つき態度はもちろん、話の仕方やアクセントなどおおまかに見て感じているのだと思う。

最近は、細胞の一部に卵子を注入することで、同じ生物組織を持ったクローン作成法なる学問が出来、牛や犬、羊などの動物で試され、人間まで作り出そうとしているやに聞く。

人間にまで行くと、難病の治療などに効果はあるかもしれないが、ここは、神さまの領域であると反対もしくは研究を禁止している国も多い。

ただ、植物においては、自分もやっている挿し木がクローン作成だと聞くと、植物に対しては自分は神の領域に踏み込んでいるのかなと、心配してしまう。

よく一卵生双生児は、言うことも考えることも一緒だと言うが、クローンの場合どうなるのだろう。

自分たちは、製造元は一緒だが、製造年月日が離れているうえ、使用方法(社会経歴)も違う、そしてなによりも違うのは全てが手作りのアナログ製品であるため、かなりの違いをふくんで世の中に変化をもたらしている基本なのである。

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2006年9月13日 (水)

べと付いた鍬は重い

Img_0005_2 「プルーンが実ったから採りにおいで」という電話でほいほいと長野県は立科町まで出かけた。

昨日、静岡を出かけるときから雲が低く、何時振り出しても不思議ではない状態であったが、韮崎にさしかかるころから降り出し、野辺山から向うは深い霧もまいてきた。

雨は~ ふるふ~る  人馬はあ~ ぬれる~

こ~すに~ こ~されぬ  たばる~ざあ~か~

なんて口ずさみながらも、霧の中を見据え、前のトラックの尾灯に従って降っていく、今どきは馬(車)が濡れても人は濡れぬから気楽なもののはずだが、霧の前方で何が待っているか、馬は無関心で察知しないから、人が気を抜かないで注視するしかない。

今朝になっても雨は、しとしとと降り止まない。テレビは秋雨前線が横たわっている、と解説し、これから一週間同じ雲と傘マークを連ねている。

プルーン農家では、こんな雨でも収穫しているのだろうか、と心配しながらも午前中は野菜を初めこの辺でしかないものの買物、そして、あきれた顔をされながら雨の中でじゃがいも掘り、ブルーべり摘みを、宿で落ち合った弟夫婦らと始めた。

空は暗く、雨は合羽を着ようかどうしようかという程度で降りつづける。

芋ほりの鍬にべと(泥)がこびりつき重い、木の株に鍬を叩きつけて落としながらそれでも30kgあまりの芋をブルーベリーとともに収穫し、べとで汚れた衣服を着替える。

これが、仕事でするなら不平たらたらだろうけど、泥の撥ね散りかた、長靴が掘った土にめり込み足が不自由になるのさえ面白く楽しい。久し振りの農作業で使わない筋肉はびっくりしている。

多分近所の家から見ていたら、「いいとしよりが、、酔狂なことして」と笑っているかもしれないが、そんなことはお構いなしだ。

だって、後になって思い出したり、笑い話の種になるのは、決まってこんなことなのだと思うと、この時間がいとおしくさえ思える。

そんなこんなの末、約束に時間におまけのプルーンも貰って意気揚々と来た道を下ってきた。

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2006年9月11日 (月)

”きれる老人”考

P1010055 米の収穫が遅いここ静岡でも、稲の穂に実が入りだしたのか穂先を下げかけてきた。

”実るほど そっくり返る稲穂かな”といった人がいたが、見方によってはそう見えないこともないし、最近はそんな人が多い”金持ちや成功した人をねたむ風潮があるが、そんな人を尊敬し見習うことで社会が発展する”と首相や元経団連会長がそんな趣旨のことを言っていたが、まともに汗してのことならともかく、時流に乗ってお金を玩具のように扱い、あぶく銭をしまいこみ、”勝ち組”に名乗りをあげている人を批判するのは当然ではないだろうか。

話を戻してと、今田んぼの状況は、田の草取りも済み、水も退いて実りを待つだけとなったが、これからは、雀や鴨の仲間が柔らかい所をついばみ、倒れでもしようものなら鳩も参加してくる。

さて、今朝のテレビで”きれる老人たち”というのをやっていた。

河川敷などで禁止されているゴルフ練習を注意すると、注意した人に食って掛かり、はては道具などを振り回して脅す、という趣旨のものであった。

はた迷惑なことがあったから、禁止されたのだろうけど、禁止項目やはた迷惑には、犬を公園で放し飼いにしていたり、いま自分の散歩コースの途中にあるあずまやのベンチが3年続けて花火の不始末で焼けているのだが、これらを見ると、一概に老人だけの問題ではない。

”きれる老人”と企画の誰かが言い、そのテーマの沿ってテレビ局の作ったことだから、そこに到るまでのいきさつは放送せずに省略し、企画に沿った取材だけを強調して放送しているに違いないのだ。

しかし、そう思いながらも、自分の場合、怒りっぽくなってきたのは間違いない、といくぶん納得している部分もある。

自分に体力がなくなったり、病気などで気力がなくなれば少しは自信ももなくなり、怒る回数も減るのだろうけれど、いまの老人は結構体力があるという。

それも当てはまるのかな。

昔話に出てくるのは、意地悪ばあさんとニコニコ笑っているおじいさんが多いが、なかなかそんなおじいさんにはなれない。

何とか大学の先生に言わせると、人間の感情を左右する前頭葉が萎縮してくると、感情を抑えるのが次第に難しくなってくることから起きる現象で、老化現象のひとつだという。

な~んじゃ、そんなことなら仕方がないじゃないか、棒っきれさえ振り回さなければ少々のことは勘弁してもらいたいな。

だって、いまの世の中、ただニコニコ笑って縁側で日向ぼっこしている方が可笑しかないかい。そこまで行ったらただのボケ老人じゃぞ。

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2006年9月10日 (日)

ことわざ尽くしで一席

Img_0161 朝起きたらにの空がやけに赤い。

みると、頭の上は雲がないのに西の空の入道雲が見事といってよいほどの濃い朱色、その朱が反射して窓を赤くしていたのだ。

家の窓からでは、電線や隣の軒先が邪魔になるので、カメラをつかんで田んぼの中を急ぐうちに、雲は明るくなり、雲は穏やかに白っぽいピンクになってきた。

仕方がないので、東のかた、日の出方向の雲を写したのが上の写真だ。

朝焼けは天気が崩れる前兆という、言い伝えも今日の天気には当てはまらなかった。おかげで、今日は宝永山か足柄峠の笛祭りをと思っていたのを中止して残念のきわみ。

それにしても朝焼けに、もうすこし早く気付いていれば案外傑作が出来たかも知れないと思うと、「残念だった」というくらい今朝の朝焼けは良かった。

まったく運と言うものはどこに転んでいるものやら、そこで思い出したのは”幸福の女神の後ろ髪は捕まえられない”という文句。

静岡麻機沼の南側の畑。道路に面したところに「ごみ捨てるな バカ」などと書いた立て札が立っている。

そこには、これまでもいろいろなごみが捨てられ、畑の持ち主も始末に苦労しているようだ。

いままでに、一番大きかったのは小さめだったが冷蔵庫、そして洗濯機など自動車で運んできても下ろすのに大変だったと思われるものもあった。

しかし、なぜここに捨てられるのか?、結構見通しの聞く所なのに。

理由は、そこの地主が道路の脇でごみを燃やしたり、畑で使った竹ざお、針金、雑草などを置いているからだと思う。つまり、汚いからだ。

”類は友を呼ぶ”これはどうも人間の付き合いだけを言ったものでなく、ごみもまたごみを呼ぶのではないだろうか。

前にも書いたようだが、「うちのボクチャンにかぎって、友達の○○さんが悪いんです」というおばさんがいるが、人は居心地の良い所に群れたがるものであり、当然その人につりあった友達が出来るものである。

今日はなんとなく、ことわざ尽くし、取り留めのない一席をでおそまつさま。

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2006年9月 9日 (土)

くすぐりは耳に心地よし

九月九日は重陽の節句。菊の節句だと言うが、菊はまだ蕾さえわからない状態である。

それもそのはず、旧暦なのだから本当の重陽の節句は今年の場合10月30日になり、そのころなら菊も満開を迎えているころと思う。

菊というものは、昼間の時間を感じて花を咲かせるそうで、それを逆手にとって電照菊など、電灯の照明を調節して、花を咲かせているため、今では年がら年中、菊が生産されるようになった。

つまり、菊は人によって良いように手玉に取られているわけである。

さて、話は全然違うのだが、小学生のころくすぐるのが流行った時期があった。何人かで一人の子どもを押さえつけわきの下、わき腹、足の裏をコチョコチョッとくすぐって、もだえさせるのだったが、犠牲者は大抵弱い子だった。

いまなら、いじめ問題などといって親がしゃしゃり出てくるのだが、当時はそんなことを考えた事もなかったのか、何事もなくときは過ぎていった。

自分も、そんなわけで犠牲者の一人になったこともあったが、くすぐられても感じないように、自分で足をくすぐったりして耐える訓練をした。

その甲斐あってか、しばらくするとなんともなくなり、なんともないとくすぐりの対象外になった。つまり、小学生にして立派な”不感症”になったのだ。

しかし、心のほうは何時までたっても”くすぐり”にはよわい。

遊び心をくすぐられるとかいうのは、自分から向かっていくので問題がないが、くすぐり上手という人にかかるとこれがいけない。

見え透いたお世辞には、この年になるといくぶん抵抗力も付き、軽く受け流す術も身についているつもりだが、自尊心を軽くくすぐられのは本人もそう思っているだけにすぐ乗っかって高みにいってしまう。

自分らは、何の権力もないからあとで上手にやられたワイ、ぐらいで終わるが、権力を持った人の場合、その影響が甚大で周りが迷惑するのは、歴史が証明している。

一国の大統領、首相、会社の社長などといった人は、任期が長くなれば何れも耳に心地よい言葉にくすぐられることを好み、度が過ぎると一挙に転落する。

そのかげで、これらの人を手玉に取った者は安全圏にかくれたり、消え去って、ほくそ笑み、利益を貪っている。

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2006年9月 8日 (金)

揺すってチャンスをつぶす

Img_0139 今日は、白露。陰陽道でいうと、暑い灼熱の陽気も終わりを告げ、陰気が強くなり始めると言う。

一般に陰気と言うとマイナスイメージが付きまとうが、陰陽道では、陰と陽が一対になって森羅万象を作り上げているので、現在言われているような印象はなかったようだ。

七十二候では、”草露白し”とこれまた優雅に表している。

今朝方3時すぎから、部分月食だといっていたが2時すぎ、小用で目ざめた時には雲の多い夜空だったので、天文フアンには拍子抜けだったかもしれないが、自分にとっては昨日の二の舞になるのを恐れて、脳みそを目覚めさせないよう、少しクーラーを入れて湿気を追い払い、寝苦しくならないようにし、早々に寝付いた。

さて今日は、久し振りに沓ヶ谷方面に行ってみた。

行程的には、9時30分愛宕山発清水(きよみず)行き2時間半コース、といったところか。

もちろん、原動機はいつものとおり、二本の棒ッ杭。

尾根筋は、期待に反して風もなくむし暑い、おまけに今の時期花の数がやたらと少ない、すれ違う人の数も少なく、メリハリがない。などの悪条件で次第にスピードが上がる。

ついに、最高地点”沓ヶ谷古墳”脇でオーバーヒートして一休み、そこから、北の方はるか、自宅付近を遠望して「この調子だと、帰りはバスかな?」なんて弱気になる。

「今日は、どうしてこんなにイラ付いているんだろう」と反省し、腰を上げてみれば、目立たないながらも藪茗荷は花と黒い実をつけているし、水引 狐の孫もみられ、野襤褸菊(写真)の綿毛も飛び立つ時期をはかっている。

少しの風を捉えて、より遠くへ飛んで根付く。

少しのチャンスを生かしきれるかどうか、その結果、落ち着いた先がどうなのか、運のいい悪いは自分ではきめられない、まさに神のみぞ知るの世界だ。

まるで、人生ドラマを見ているようと、綿毛をゆすってみた。風もない時だったので、ゆっくりと固まって下に落ちる、人間的に言うなら悪魔の所業となるか。

Img_0146_1 そんなこんなで、気を晴らし、清水公園の人口滝の下のベンチに到着したのが10時20分。大量に水が流れ降る音で気を静め、1時間後バスも使わず文字通り足を棒にして帰還。

総行程12キロ余。パンツはおろかズボンまでラジエーター液(言うまでもなく汗)で濡らしての帰宅と相成った。

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2006年9月 7日 (木)

辞世

Img_0262 いやぁ~ 参った 参った。

昨夜、テレビの番組に面白いものもなく、ビールを少しきこしめて、文庫本を読んでいるうちにうたた寝し、そのまま寝てしまったものだから夜中の2時過ぎに目が覚めてしまった。

と、いうのも正確でなく、身体は目覚めているのだが脳みその方は「まだ夜だから寝ていようよ」というものだから、なんかボーっとした状態、眠いような起きたいような、もやもやとして寝付けずいた。

朝になるまでの時間の長いこと、半分眠った頭で妄想をくりひろげていた。その結果が今日の題目、”辞世の句”である。

辞世の句、歴史上に名を残すほどの人は、ほとんどなにか名句を残している。

死の床について、苦しいさなかに作ったとは思えないから、生前元気な時に作っておいて、または作らせて、葵の印籠のように最後と思ったときに「これじゃ!」と出して見せたのだろうか。

それにしても、浅野匠頭のように朝出かけるときは、今日が命日になると思わなかった人が、切腹を前にして花さそう 花よりもなほ 我はまた春の名残りを いかにせんとや”なんて句を即座に作れたのだろうか。それとも後世に誰かがおもんばかって作ったものなのか、、、。

うかつな句をつくると、後世の笑いものになったり、恥の上塗りとなる心配があるのだから、日ごろのたしなみと覚悟がなくては出来るものではない。

そして、辞世の句で検索してみたら、句という形で残すのは日本人だけらしく、いずれも、平家物語の出だしのように無常観にあふれたものが多いように感じた、やはり仏教と関係があるのだろう。

典型は、秀吉の露と落ち 露と消えにしわが身かな 浪速のことも 夢のまた夢”であろう。

しかし、自分なりこういう風に行きたいなと思うのは、十返舎一九のこの世をば どりゃ おいとまに 線(せん)香の 煙とともに 灰はい)左様なら”に共感が湧き、このような心境で行きたいものと思っている。

また全国的な有名人ではないが、生まれた町の隣村にいた本郷村善九郎という若者の辞世の句がある。

彼は、江戸時代中期(1,773年)、いまは、日本一広い高山市に編入された上宝村の本郷と言う所にいた百姓だが、百姓一揆の頭取の一人として捕らえられ、その処刑を前にして、検視役に辞世の句を書き取ってもらったあと、土壇に付き、さらし首にされたと言われている。

その句のひとつとして、”寒紅(梅)は 無常の風にさそわれて つぼみし花の きょうや散りゆく””とある。(寒紅は勘考、はかりごとに引っ掛けてという説あり)

善九郎、このとき17歳と言う。

いくら早熟の江戸時代とはいえ、この若さで一揆の頭取に推されるくらいのひとは違う、近頃の何かというと親殺し向かう若者に一度読み聞かせたい。

もっとも、自分を含めた老人にもその覚悟が出来ていないのだから、迫力がないけど、、、、、、ね。

よって、自分には辞世の句を書くどころか、ジタバタと自分のことしか考えないであの世へ旅立つことになるのだが、、。

きょうは、旧暦の盂蘭盆会。江戸時代は虫送りにかこつけて一揆の犠牲者を弔うしかなかったそうだ。

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2006年9月 6日 (水)

モデルも疲れるのよ、と

Img_0111 散歩の帰り小紫をみつけた。

本当に久し振り、という感じ、何年ぶりだろう。

めっきり数を減らしているそうだから、次はどこでとアポイントを取らなくては、、、

植物にも同様の名前があるが、こちらは蝶である。

コムラサキ、濃紫と書くのか小紫と書くのか、多分”大紫”と言う国蝶がいるから小のほうなんだろうと思っている。

麟粉がどう付いているのかは知らないが、見る角度によって、茶色になったり濃い紫になる。自然とは不思議なものだと再確認させられる。

初めは、豹紋蝶の大きいのかなとしか思っていなかったが、近づくと色変わりをした。

遠方から2枚、移したところで欲を出し、接写をするためカメラを調節していたら「もう良いでしょう、「モデルも疲れるのよ」とばかり飛び去ってしまった。

雨の降り間を利用して、笠持参の散歩は遠出が出来ない。

テレビはどこ見ても同じことを延々とやっている、テレビ関係者は予定していたもの、貯めておいたものを一気に吐き出しているのかもしれないが、何の関係もないものにとっては他の番組までふっとばされて、退屈な一日になった。

こんなこと書くと、家を焼かれるかな。

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2006年9月 5日 (火)

冥府の王は闇の中

Img_0061_1 映画”地獄の黙示録”の中で泥沼のなかに潜んでいた兵士が、ぬーっと水面に顔を出すシーンがあったが、ここ麻機沼の一角にある小さな沼一面に鬼蓮が広がって、その下の世界にはなにも生やさない仕組みが出来ている。

その葉をつきやぶり、水面に顔を出した花はさながら隙を見て顔を出した兵士をかさねるのは無理があるか。

この花、これで満開らしくいつの間にかまた消え去る。

暗い事件の多かった今年の夏の話題のなかで、唯一面白かったのは、国際天文学連合の会議で冥王星が惑星の中から消え去ったことだった。

当初、現在九つある惑星を12個にしようという提案だったはずである。(写真 蓮の葉を突き破って顔をのぞかせた鬼蓮の花)

なんだか、数字だけで名前の無い星まであった。「これは、憶えるには大変だぞ」という感じだったが、賛成する人が少なくいとみると、今度は冥王星をはずして8個にするという話になり、可決されてしまった。

惑星の枠を外れたといって、冥王星が消えたわけでなく、「冥府の王」という名前のとおり、暗い夜空の奥でじっと地球、いや人類の行く末をうかがっている方が似合うのではないだろうか。

いろいろと、教育の面でも混乱がおきるという人もいたが、増えるより減る方が簡単である。それより、最近の天文学大国になったアメリカを気遣って数を増やそうとしたことの方が教育には良くないことだろう。

天文学的数字という言葉があるが、幾千万以上の星が瞬く夜空を仰いで、名前のいえる星座が僅かしかない。

最近の夜空は明るすぎてほとんど星が見えない。「じいじはなんでも知っている」と思っている孫から、星のことを聞かれることもなく、恥ずかしい思いをしなくて助かっているのだが、子供の頃見たいてつく冬の星空、アンデスの高地で見た南半球の全然知らない星空がなつかしい。

ほ~しの流れに 身をうらなって~

ど~こをねぐらの 今日の宿

という歌があったように、女性の中に「六星占星術」「十二星座占い」などをかなり気にする人がいるようだ。

ためしに、今日の自分を見てみたら非常によい、恋愛 仕事 健康 金運ともにどれもかなり良かったが、今の時刻になってほとんど何も当たっていない。

大体が、金運 恋愛運 仕事運には関係のない身になっているのだから、期待の仕様がない。

地球上に60億を越える人がいる中で、何人がこの占いに当たるか知らないが、確率的には非常に低いものがあると思う。「これ以上言うと後が恐いので止めておく、、、」

さて、冥府の王、プルートを冠したものに、ディズニーのキャラクターがあるが、そのほかにプルトニュームという鬼っ子がある。

原子力発電などの副産物として、派生した原子であるがこれの管理も充分に気をつけないと、冥王星同様、六ヶ所村の地下深くから、いや核大国の奥深くから、人類を冥界の彼方に引きずり込もうと息を潜めて機会をうかがっているはずである。

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2006年9月 4日 (月)

ひっつき虫め

Img_0044_1 澄みゆく水に 秋萩垂れ

玉なす露は すすきに満つ

想えばにたり 故郷の野辺

     ああ 我がはらから

       たれと遊ぶ

ご存知(最近の若い衆は知らないか)故郷の空の二番の歌詞である。

原曲は、スコットランド民謡の”ライ麦畑でつかまえて”であり、直訳すればドリフターズが歌った、”誰かさんと誰かさんが麦畑、、、”のほうが近い。

しかし、自分たち旧世代にとっては、夕空晴れて秋風吹き、、、の出だしをもつ「故郷の空」の方が親しい。

そして、二番の歌詞にある萩が咲きだしてくると、秋もまじかに感じるようだ。

今日も歌のとおり、直射日光は暑いものの湿度がないせいで心地よく散歩の汗を流したが、通りすがりにこれからの厄介者がそれとは感じさせないような顔をして微笑んでいた。

Img_0053_1 その名は、”盗人萩”薄赤い紫色とでも言うか、小粒の花をあちこちに咲かせている。

名前の由来は、花の後に出来る種を包む鞘が、サングラスのような形をしているのだが、昔の人は抜き足 差し足 忍び足と泥棒の足形を連想してつけてようだ。

この鞘が難物、植物側としては版図を広げるため遠い所に種を運んでもらいたいのだろうが、くっつかれた側にとってははた迷惑。

こんな植物は、むかしひっつき虫といい、猪子槌(イノコヅチ) 雄生揉(オナモミ)など沢山あるのだが、盗人萩のしつっこさはまた格別である。

そういえば、やっとこの間まで「じい じいじ」とまとわり付いていた孫も二年生になり、上の中1を見習ってか今年の夏休みは、ほとんど来ていない。

いままでは「このひっつき虫め」なんて嬉しい声を出す反面、子ども相手の煩さも感じていたが、来ないとなると物寂しく、時々は用もないのに様子見だけで行く。

もう少しして、人生の秋が進んでくると、こちらの脳みそも熟してきて、今度はこちらが”相手をして~な”とばかりに無視されても 嫌われてもひっついて行くのだろうか。

でも、そのときを想像するのはいやだな~

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2006年9月 3日 (日)

ある日帰り温泉(整理期に入ったか)

Img_0128 「えッ そんなにするの?やっとこの間まで800円でなかったの?」

「申し訳ありません、経営が苦しくて7月から元に戻したと言う格好で、もともとはいまの料金だったのです」

「うーん どうしょうかな、いまから他の温泉に行くわけには行かないからな、、、」

芝川町の町営(?)温泉ユートリオ受付での会話。

義妹から貰った籾米を精米にするため、山梨県南部町まで出かけた。

静岡には、玄米を精米する無人精米機はあるのだが、籾米を扱う所がない、農機具メーカーの出張所に聞いたところ、籾摺り機が各農家に普及しているため、まず、使う人がいないので「無い!」とひとこと。

それで、仕方なく隣の県にまで出かけて行くしかないのだ。

その帰り、折角ここまで来たのだから、どこか日帰り温泉でも寄ってみようかと、近くの佐野川温泉に久し振りに行って見ると、ここは、新築にしたせいか休憩を含めて1,650円だという。前回に比べるとひどい値上がりのしようだ。

個人経営だから、しようがないかとあきらめ、稲子川沿いの公共の施設ならと、出直したところが、上記のような会話になったしだいである。

よく、床屋さんのことで論議したことがあるが、昭和40年代、長髪が流行り床屋へ行く若者が減ったため、床屋さん組合は毎年のように値上げをした。

その結果、高いから行くのを控える。客が来ないから経営を維持するため値上げをするの循環で、かなりの床屋さんが廃業した時期があった。

これで懲りたのか、以後15年以上、いやもっとになるか、自分のなじみの床屋さんは値上げをしていない。

同じように、日帰り温泉もそんな時代に入ってきたのかもしれない。

日本では、どこにいても2時間以内に温泉場に行ける温泉大国と言われていたが、竹下内閣の「ふるさと創生資金」だったと思うが全国の市町村に1億円づつをばら撒いた時、使い道として温泉を掘った所が多く、温泉大国だった所に、さらに自治体が営業する公共の温泉が追加された。

温泉は天然物だけに中身は千差万別である。しかし、営業する方がお役所で、同じような施設と規模であるため、当然温泉同士の競争が起こる、さらに最近では燃料の値上がりが追い討ちをかけて、源泉の温度が低いところは、かなりの打撃のようだ。

いずれにしろ、公共の日帰り温泉で、1日1,500円は高い。食べ物の持込を禁止して、食堂の利益を上げようとしているが、入湯料が高いことを理由に客足が遠のけば、ひとっころの床屋さんみたいになってしまうだろう。

そんなことを考えながら帰ってきたら、長野県の高峰温泉から小包みが届き中を見たら、八月十四日、「籠の塔山の駐車場に落ちていた」と財布が送られてきた。

財布を落としたと気がついたのは、麓に降りてきてからのことだし、無くなった場所さえどこか判らなかったので、諦めて探してもいなかったものだった。

お金は、常に二つに分け、財布の中にはその日必要な額しか入れていないので余計に諦めがしやすかったのだが、このことで、また、「山に登る人には悪人はいない」が信念になりそうな出来事であった。

小さな手がかりで、静岡の自分にたどり着き、送っていただき「真に有難うございました、お礼の申し上げようもございません。中身以上にありがたく受け取りました」

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2006年9月 2日 (土)

Love Me Tender

P9030043 ひさしぶりに半月であるが輪郭のはっきりした月が窓から見える。

中秋の名月をまじかに控えての予行練習なのだろう。

空気も乾燥していて、日中は汗ばんだものの清々しい一日であった。この調子が続くと、「天高く馬も人も肥ゆる秋」となるので、胃袋や口にはつらい季節がやってくることになる。

パブロフの犬、おあづけを食らった犬、よだればかりは止められない。

先日、小泉首相がプレスリーの館に訪れて、子どものようにはしゃいでいた映像が流されていた。

プレスリー、この15年ほど前までは好きな歌手ではなかった。

ど派手な服装、晩年の肥った写真などから、自分は外見をどうしても重視してしまうのと、世間が騒ぐと(それもわけの分からないミーちゃんハーちゃんが、、)すぐに拒否反応を示し、無視してしまう損な性格を持っている。

そのため、ビートルズなども日本に来た時は全然知らなかったと言うか、興味がなかった。

フランスに観光旅行に行ったとき、現地案内人の女性(日本人)がプレスリー好きで、ハワイまで追っかけに行ってきたと話し、無関心の自分があまりと言うかきらいな歌手の一人だといったら、翌日45回転のEPレコードを持ってきて、土産にやるから「日本に帰って聞いてみなさい」と手渡された。

それが、プレスリーがデビューするきっかけになった、Love me tender だった、この曲はもともとは南北戦争の時兵士が故郷の恋人を思って歌ったオーラリー(aura lee)のカバー曲だったこともあって余計に好きでない歌だったのだが、、、

レコードは、いいものである。目の前にキンキラキンの衣装をまとった人がいないので、歌詞に没頭できる。

そして、何回も聞くと情が移ると言うか、歌手本人も含めて好もしい歌になってくるから不思議である

結果として、以外にも分かりやすい英語であった。英語が苦手の自分にも分かる単語を、判るように歌っている。

変に巻き舌がはいらず、サザンの歌う日本語らしかぬ言葉のような歌ではなかった。

それから、歌詞カードのないレコードを何回も聴き、口伝えというのか、耳かじりとでもいうのかで覚えたものだ。

(後で聞くとアメリカのレコードには歌詞カードが無いそうで、歌詞カードは日本独特のものだそうだ)

love me tender love me

neverlet me go sweet

you have made my life complete

and i love you so ,,,,,,,,,,,,

追記、一国の首相が大統領やマスコミの前であんなにおどけて見せるとは、、、ポチ丸出しもいいところ。

というのは、目くじらの立てすぎだろうか、もっと修行を積んで頭ばかりでなく心もまろやかにと願っているのだが、、、。

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2006年9月 1日 (金)

二百十日の雨

Img_0019_1 昨夜来結構激しい雨が降っていた。そのおかげとも言うべきか、気温の方は終日25度を越えなかったそうだ。

なんのかのといっても、秋は着実にそこまで来ているのを実感させられた1日であった。

今日九月一日は、”防災の日””二百十日”そして、越中八尾の”風の盆”と来れば三題話にならないかと趣向を凝らしてみたが、脳みそが枯れてトンと思いつかない。

二百十日というのは、立春から数えての日にちであるが、むかしはよく台風が来たような気がする、そしてこの日より恐いのが二百二十日だとも言われていた。

いまのところ、洋上に上陸しそうな台風がないようだから、ひとまずはこの雨降りを宛がっておこう、その雨のせいらしいが、庭に咲いていた、鉄砲百合が弓なりに倒れ、今満開状態の花を地面すれすれにまで下げている。

栄養状態が良かったのか高さが2mを優に越していたものなので、邪魔になると思い、竹の棒で支えを作って立ててみたら、花が上向きになり雨がどんどん入っていく、”自衛策で寝ていたのだろうか?”分からないので50センチばかりのところで切り落とし、仏壇にあげてしまった。

午後には小止みになり、防災訓練の一環として小学校2年生の孫を教室まで迎えに行くことを頼まれていたので出かけてみたが、本当に地震が来て被害が出た場合、こんな方法でいいのだろうかと思った。

道路が、破壊され火事が起き、自分が無事だったたとしても、自動車で10分くらいの距離だが歩いていくしかない。さらに、回り道、行きつ戻りつしていては何時になるか分からないのではないだろうか。

世間が、大局的見地からヘリを使い、ライフラインを守り、救助訓練をやっている中で、個人的な見方でしか考えていないのは卑小に過ぎるかもしれないが、一番の元は個人にあるのではないかと思う、出なかったら越中小原の文句でないが”謡われよう~オオ~わしゃ囃す~”とはならない。

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