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2006年9月 7日 (木)

辞世

Img_0262 いやぁ~ 参った 参った。

昨夜、テレビの番組に面白いものもなく、ビールを少しきこしめて、文庫本を読んでいるうちにうたた寝し、そのまま寝てしまったものだから夜中の2時過ぎに目が覚めてしまった。

と、いうのも正確でなく、身体は目覚めているのだが脳みその方は「まだ夜だから寝ていようよ」というものだから、なんかボーっとした状態、眠いような起きたいような、もやもやとして寝付けずいた。

朝になるまでの時間の長いこと、半分眠った頭で妄想をくりひろげていた。その結果が今日の題目、”辞世の句”である。

辞世の句、歴史上に名を残すほどの人は、ほとんどなにか名句を残している。

死の床について、苦しいさなかに作ったとは思えないから、生前元気な時に作っておいて、または作らせて、葵の印籠のように最後と思ったときに「これじゃ!」と出して見せたのだろうか。

それにしても、浅野匠頭のように朝出かけるときは、今日が命日になると思わなかった人が、切腹を前にして花さそう 花よりもなほ 我はまた春の名残りを いかにせんとや”なんて句を即座に作れたのだろうか。それとも後世に誰かがおもんばかって作ったものなのか、、、。

うかつな句をつくると、後世の笑いものになったり、恥の上塗りとなる心配があるのだから、日ごろのたしなみと覚悟がなくては出来るものではない。

そして、辞世の句で検索してみたら、句という形で残すのは日本人だけらしく、いずれも、平家物語の出だしのように無常観にあふれたものが多いように感じた、やはり仏教と関係があるのだろう。

典型は、秀吉の露と落ち 露と消えにしわが身かな 浪速のことも 夢のまた夢”であろう。

しかし、自分なりこういう風に行きたいなと思うのは、十返舎一九のこの世をば どりゃ おいとまに 線(せん)香の 煙とともに 灰はい)左様なら”に共感が湧き、このような心境で行きたいものと思っている。

また全国的な有名人ではないが、生まれた町の隣村にいた本郷村善九郎という若者の辞世の句がある。

彼は、江戸時代中期(1,773年)、いまは、日本一広い高山市に編入された上宝村の本郷と言う所にいた百姓だが、百姓一揆の頭取の一人として捕らえられ、その処刑を前にして、検視役に辞世の句を書き取ってもらったあと、土壇に付き、さらし首にされたと言われている。

その句のひとつとして、”寒紅(梅)は 無常の風にさそわれて つぼみし花の きょうや散りゆく””とある。(寒紅は勘考、はかりごとに引っ掛けてという説あり)

善九郎、このとき17歳と言う。

いくら早熟の江戸時代とはいえ、この若さで一揆の頭取に推されるくらいのひとは違う、近頃の何かというと親殺し向かう若者に一度読み聞かせたい。

もっとも、自分を含めた老人にもその覚悟が出来ていないのだから、迫力がないけど、、、、、、ね。

よって、自分には辞世の句を書くどころか、ジタバタと自分のことしか考えないであの世へ旅立つことになるのだが、、。

きょうは、旧暦の盂蘭盆会。江戸時代は虫送りにかこつけて一揆の犠牲者を弔うしかなかったそうだ。

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