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2006年10月24日 (火)

御苦労様は駄目?

Img_0112 ときどき小雨のぱらつく中、蓮根畑に入って蓮根堀をしている夫婦がいた。

やっと先日まで、猛々しいばかりに茂っていた蓮の葉も時期を見てか、茶色く枯れ果てている。

いくら、泥の中の作業とはいえ、小雨が降る中で掘りたくないことぐらい、傍目から見ていても分かる、それなのに夫婦で泥をかき回しているのは、特別な注文でもあったのか。

理由は分からないが見ていて「ほんとうに御苦労様です」と声をかけてあげたい気持ちになった。

自分らは知り合いの農家が少し離れた所で蓮を栽培しているものだから、此方のものは食べたことがないが、このあたりの蓮根も、麻機蓮根といって評判がいいらしい。

いつも通りすがりに蓮を見ていて感心するのは、その成長力の速さである、春先までに一部を残して掘り取られた沼田に芽を吹き出したかと思うと、水面いっぱいに葉が広がり、2ヶ月もすると葉の差渡し60センチ、高さは背丈をはるかに越して花を咲かせる。

まったくあれよあれよの半年である。

お釈迦様が、蓮の花のうてなに乗っているのは、花が綺麗なだけでなく、この生命力の強さも見てのことでないかと素人考えをするのだが。まるっきり見当違いなのかな。

さて、今日の新聞を見ていたら、文化審議会のなかで、敬語の使い方を来年にも文科相に答申するそうな。

見ていると日本語はつくづく難しい言語だと言うことを再認識する。言葉を知った上で、人を見て使い分けて行かなければならない。

ひとつのことを言うのに、敬語、丁寧語、謙譲語、そして、謙譲語の中に美化語と言うものまで区分けして使うと言うのだ。

たしかこの年になると、聞いていて変な使い方をされると気になる。

「私のお母さんがこういっていました」「千円から頂きます」や近頃病院に行くと「患者様」など丁寧(?)すぎて、馬鹿にされているのかと思える言葉が山ほどある。

このことについては、まだいろいろあるので後々の種にとっておくが、「御苦労様でした」は目上の人に対して駄目で「お疲れ様」を使いなさい、という。長い間、誰彼なしに「御苦労様でした」を使う会社で育ってきた身にとっては納得のいかない。

また、同僚にはどうなのか。此方が同僚と思っているのに、向うはそうでないと思っていたときは些細な言葉で摩擦の原因になる。

なにも、相手を見下して「うん、ご苦労 ご苦労、よくやった褒めて取らすぞ」とそっくり返っているわけではないのだ。

要はイントネーションによって、感じが良くも悪くもなる言葉ではないだろうか。どんなに敬語を使っても、話し方で良くも悪くもなる言葉がある。

お疲れ様と御苦労様、同じ意味を身分で分ける(?)には、すこし意味が違うと感じるのは、自分だけ?

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