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2006年10月17日 (火)

ほろ苦い思い出

Pa260016 庭の片隅で不如帰(ホトトギス)が咲き出した。

もう、10年くらいになるか、相良町女神で咲いていたのを一株も採ってきたものだった。

不如帰(鳥)の胸の模様に似ているため付けられた名前と聞くが、多彩で目立つ花、生命力の強さは抜群らしく、種をあちこちにばら撒いて到るところで芽を吹き出し、一時は雑草扱いにして、若芽を摘んで捨てていた。

こんな所は、鶯など他の鳥の巣に卵を産みつけ育てさせる不如帰(鳥)の生命力とも一致するのかもしれない。

小学校1年に2回、2年生の時1回、転校の経験し他の同級生の仲間入りが難しかったせいでもないと思うが、小さいころの自分はしょっちゅうヒーヒーと泣く気弱な少年であった。

いつも、母親の後ろに隠れ、着物のすき間から世間を覗いている風があった、と後になって思っている。

こんな少年は、同級生から見てもからかい易かった、面白かったのだろうと思う。しょっちゅう”いじめ?”の対象になっていた。

しかし、中学になって、クラスの一番ボス、ドラえもんのジャイアンみたいな子に追っかけられ、逃げ場が無くなったあげく”窮鼠猫をかむ”状態になって取っ組み合ったら意外と簡単に勝ってしまった。

当時、学校から帰ると地区ごとに子どもが群れを成してあちこちを歩き回り、隣の地区の子どもたちと会おうものなら石合戦などざらであったが、そんな時でも仲間内から弱い者扱いをされていた。

そのため、集団で遊ぶのは出来るだけはずれ単独行動を好み(今でもそうだが)自尊心は強く、内弁慶だったため、陰で弟や弱い者いじめをする根くらな少年だった。

ところが、取っ組み合いの喧嘩で、「頑張れば俺が一番!」という変な自信がついてからは、態度が一変してしまい、いまでも、同級会に出ると「クラスで一番性格が変わった男」と、まるで二重人格者みたいな言われ方をする。

あの時、あのことがなかったら今でも同じ性格を持ち続けていたのかと思うと、「人間どこで災難にあうか分からない」という言葉の反対で、何がきっかけで性格が変わらないものでもない。(逆でなくて良かった)

いま、学校ではいじめで毎年何人もの生徒が自殺している。

その予防も難しいのだろうが、周りに苦悩を聞いてやる人がいないんのだろうね、いれば随分と違うと思うんだけれど。

そして、学校の管理者や教育委員会が事なかれ主義で事態を隠しさらに傷口を広げていることに大きな問題があるのでなかろうか。

”美しい日本”は臭い物には蓋をして、表面上をつくろうものではないはず、大人と言われる人が先生、教育者を名誉職でなく真剣に責任を感じてもらいたいものである。

一方で、親が先生たちをとっちめている映像が各局で流されていたが、マスコミを集めた上での予定の行動だったのか、よく分からないが、親にも打ち明けずに自殺に及んだということは、親の責任はどうなるのだろうと番外で考えてみた。

ちなみに、いじめられっ子だった自分は、小中学校を通して一日も休まないで皆勤賞を貰っているし、学校を休みたいと思った記憶がないのだが、、、、、自分の場合、大したことなかったんだね、

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