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2006年11月30日 (木)

さねかずらをほんの少し、、

Img_0077_1 名にし負はば 逢坂山の さねかずら

  人に知られで くるよしもがな

麻機山の中腹に実蔓(サネカズラ)が、光沢のある真っ赤な珊瑚のような実をつけている所がある。

あまり人が来る所ではないが、自分だけの宝のように眺めていることにしようと、枝を立てて目隠しをしている。

実蔓、どんな理由でこんな名前がついた知らないが、別名が「美男蔓」ともいう。

はじめて聞いた時には、美男で有名な”在原業平”に関係しているのかと思ったが、この蔓の中にねばねばとした液があり、それを採って髪につけたところから命名されたとある。

つまり、古代の整髪料。今で言う「ポマード」(これも古いか、いまやグリースとかヘアーリキッドいう)がわりに使ったらしい。

古代、大宮人はどのくらいこの液を塗っていたのだろうか、「さねかずらをほんのすこしばかり、、、」なんていいながらべったりと光らせていたのではないだろうか。でも、「グリースを、、、」というより雅やかだよね。

そのころは、まだ椿油がまだなかったのだろうな。

椿油は、江戸時代は鬢付け油としてある種独特の匂いを発散させているが、実蔓の匂いははっきりしないくらい薄くて、少ない。(今の時期だから余計すくないのか?)

そういえば、やっとせんころ(先頃)まで、べったりとポマードを付けていた政治家が何人かいたのを思い出したが、この人たちの周囲も大変だったかも知れない。

今日剥ぎ取ったカレンダーで、今年も後一枚がひらひらとゆれているだけになってしまった。

北海道では、大雪になるらしい。百人一首に「あわれことしの秋もいぬめり」とあるが、、、、、。

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2006年11月29日 (水)

四寒三温

Img_0082_3 春先次第に暖かくなる時期を”三寒四温”なんて言うところから、今の時期をじいじは、”四寒三温”という。

その、三温にここ2~3日が当たるのか。昨日は曇ってはいたが、風もないのでそんなに寒くはなかったし、今日は快晴でまさに”小春日和”

ただ、上空は変な風が吹いていたのか見たことのない雲がかかっていた。(写真)

きのう、パンクしていたタイヤの修理をしてもらった、長さ2センチほどのビスがしっかりと刺さっていた。

まえに、テレビで見たのだが、タイヤに釘などが刺さるのはかなりいろいろな条件が重なり合わないと刺さらないものだといっていたが、まるで、ドライバーでねじ込んだようにびっちり突き刺さっていた。

パンク修理した人も、「前タイヤとは珍しい」と言いながら、チューブレスタイヤを簡単な方法でやっていたが、パンクした身にとってはどっちでも良いことで、余計な出費になったことだけがくやしい。

ただ、何時ごろからのものか分からないが、急激に空気が抜けないので気付くのが遅れていた。高速走行しているときでなく「良かった、良かった」

そして、今日も午後は孫の相手。熱の原因は検査してみたが分からないまま。

母親が、勤めから早く戻れたので、久し振りに長尾川の河川敷を散歩した。

Img_0073 Img_0067_2 長尾橋の前後、およそ1kmにわたって川の両岸の堤防下をコンクリートで固め、ところどころに大きな石を固定して、両岸を行ったり来たり出来るようにしてある。

ここが、写真のようにいま銀杏やけやきで黄葉まっさかり、河川敷にひらひらと落ち葉が舞いちり、腐葉土にするのか掃き集めている人もいて、穏やかな午後を演出している。

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2006年11月28日 (火)

藪蘭は忍耐

Img_0054 藪蘭(ヤブラン)が、いま、自慢げに黒光りのする珠を連ねている。

藪に生育する蘭だと思っていたが、百合科の植物だという。

いつの頃か忘れたが、すっかりこの鉢が気にってくれたらしく、最近は毎年のように20本近くの穂を立てている。

花言葉は、忍耐とか隠れた心などと言うようだが、普段は木の下などにほったらかしにされ、薄紫の花の時期といまからの時期だけ人前にでてくる所を見ると、花言葉通りだな、と思ってしまう。

きょうは、孫が土曜日以来熱を出し学校も休んで家にいると言う、今朝の熱はかなり低くなった、とは言うものの一人では寂しかろうと午前中から、お守りを兼ねて付き添っていた。

保育園のころは、よく熱を出して休むたびに自分の家に来ていたが、最近では熱を出したりすることもなく、本当にしばらくぶりに一緒にいたが、大分大人びてきたのが目に見えてうれしいかぎり。

しかし、話題は学校のことが中心であるため、同級生のことや近く行なわれる校内マラソンになったりすると、じいじには離れている地区のことなのでよく分からなくて、かみ合わなくなってきた。

熱のせいかポツリポツリと母親が帰る時間まで話し、相槌を打つ。何時の日かあの時はと思い出す時間かな?。

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2006年11月27日 (月)

しし食った報い

P1010031 今日は、「ししを食った報い」で一言。

ししとは、江戸時代まで猪や鹿、かもしかのこと言ったようだ。獣の肉を食べることを、いやしむ風潮があったが、肉のたんぱく質は身体に良いということが分かっていて、こっそりと滋養、薬と称して食べていたようだ。

高たんぱく質の肉を食べれば当然精力がつく、精力がつけば、とドミノ式に連鎖反応がつづき、、、、、「けものを食うと後が恐い」ことを言う。(けものとは毛の生えたもの)

ツキがツキを呼ぶというか、ここにきて猪の肉にツイていて、これで三度目の食卓になった。まさか来年の亥年を先取っている訳ではないと思うが、沢山いただき、牡丹鍋にした翌日は家の中に猪肉の臭いがこもっている。

野生動物にかぎらず、肉にはそれぞれの歯ごたえ、匂いなどなどを含めて味わいが違うものだが、冬眠をせずに走り回っている猪の腿の肉は、脂身が少なくて締まっている。同じ仲間の豚や猪豚など飼われていた動物とは違った味わいがあって、食べる側にも丈夫な歯とあごが必要である。

最近は、各地で熊、猪、猿、鹿、かもしかなどの被害が多発し、野生動物が減っていると言う環境団体と逆に増えているんではないかと言う被害地(者)の言い分を聞く。

いまは、街中に住んでいるためよくわからないが、昔に比べて野生動物を目にする機会が多くなっていることはたしかだろう。増えたのか、山に食物がなくて出てくるのかは研究者に任せるしかない、、、

昨日の新聞によると、岐阜県の裏金問題で、元知事が「懲戒免職にあたる行為をしたわけでないので、これ以上の負担は無理」といって、三千七百万円でけりをつけ、残りを千四百人余の県の幹部や管理職、OBで負担することにしたそうだ。

役職に応じて傾斜配分という名で負担を強いられる人の中には、全然関係も無く、おこぼれさえ与からなかった人もいるのではないかと思うが、裏金問題を知ってて放置し、利用した元知事がこんなんでは「やるせないね~」だけで済ませられるのだろうか、もし自分がそんな立場だったら支払いを拒否するね。

改革派知事、全国知事会長を勤めた大物などとはやされた人の往生際の悪さ、8億円もの横領(裏金)となれば懲戒免職は当然の人だった。(知らないとは言わせない)はず。

このほかにも、汚職で逮捕された知事たちを見ると、どの役所も叩けば埃の出ないところはない、という、不信感は募る。

裏金、汚職と自由に使える金がほしい、という、欲望から公金、税金をちょろまかしていると思うが、けっして、それは、滋養や薬にはならないはず。

しし食った報い」は、厳罰で、と思うのは自分だけでないはずだ。

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2006年11月26日 (日)

ふるさとの汽車 廃線

Img_0095_2 写真は野茨(ノイバラ)。赤い小さな珠をすっかり葉を落とした枝の先端につけている。

花は6月、真っ白な八重咲きを密集させていたが。薔薇の仲間だけにその匂いは微かながら芳しかった。

今日、テレビを見ていたら、ふるさとの山あいを走っていた汽車が今月いっぱいで廃線になるため、感謝イベントが開かれ、鉄道マニアが押しかけていると言っていた。

高山線猪谷駅から約20km。盲腸のように突き出た鉄道が開通したのは昭和41年だった。急峻な川沿いを走るため、六割以上がトンネルのため地下鉄みたいと言われた。

どこの鉄道もそうであったと思うが、この地方も名にしおう豪雪地帯でしばしば陸の孤島状態になったことや、終点近くの鉱山の製品搬出などが目的とされ、長年の悲願であった。

そのため、着工が決まった昭和31年だった頃からと思うが、記念の駅伝がこの区間を往復する形で開かれ、生まれ故郷を高校生部門の区間賞で走りぬけ、晴れがましい思いをしたことがあった。

それから10年後に開通、昭和59年から第3セクターに移管。丁度40年後に廃線することになった。

そのあいだ、世の中は急速に変遷した。駅伝で走った当時の国道41号は自動車の轍がへこんでいる未舗装道路だった。

鉱山も従業員が三千人はいたし、その家族を含めて二万七千人の人口はもうすぐ町から市になるかとさえ思えた頃であった。

いま、この鉄道も思い出だけを残して、 役目を終え静かに消え去ろうとしている。

ちょうど、野茨の実を見て花を思い出すように、、、、、、

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2006年11月25日 (土)

どうだん原はいま盛り

Img_0014 雲ひとつ無い夜明け(と言っても6時を過ぎている)の空を見て、島田の千葉山へ行ってみようとおもった。

少し前に、他所さまの庭でドウダンツツジが真っ赤になっているのを見て、千葉山のどうだん原もいま盛りなのだろうなと想像していたが、なにせ曇り空が続いていたので伸ばしに延ばしていた。

「あの赤い色は、青空に映える」と勝手に決め付けている、もう一人の自分がいて機会をうかがっていた。

「毎日、遊び歩いてばかりいて、、、」と言われるのも気にせず、今日は絶好の行楽日和とばかりにでかけた。

まだ、誰も来ていない智満寺下の駐車場に車を止めたのは九時少し前、足元の支度をして参道を登る。おそらく百段以上はあると思われる石段の上には仁王門があり、左右二体の仁王さんが「阿」「吽」と、目をむいてお迎え。かなり古いものらしく塗りはほとんど見当たらない。

山門を過ぎ、山中のお寺にしては広い境内に1,200年の歴史がある本堂内陣は開け放たれ灯が入っていた。

先日の新聞によると、{茅葺の屋根に自生している石解(セッコク 蘭の一種)を竹のような物でつつき落として盗んでいく人がいて警察に届けた。}とあったが、どこがその場所なのか分からなかった。

しかし、屋根の上にはいろんな植物が生えていていずれ近いうちに葺き替えをしなくてはならないことが予想されたので、お賽銭を少し奮発して、かわりに健康長寿を祈願した。

Img_0010 しばらく本堂を見た後、横手からゆっくりと山にはいる。この前来たのは昨年の6月だったから1年半ほどになるか、道の両側は冬枯れで寂しくはなっているが花茗荷(ハナミョウガ)の赤い珠が木の間から差し込む光りに映えて輝いている。

30分ほどで、標高478mの奥の院。頂上に着く。

何時見ても、大杉、達磨杉、雷杉、常胤杉などが、悠然と立っている。

何れも高さにして30~45m、太さが7,2~9,0m、となると幹周りはその3倍とすればかなりの大きさになり、見ただけで重量感が伝わってくる。

冷たい木肌に触れてみると、一本一本感触が違うような気がする。(写真は達磨杉)

しばらくそこで過ごした後、尾根伝いに降り、ペンションのある峠に到着。

Img_0033 そこから、僅かに降る道を15分、ドウダン原に到着した。

”ときはいま”とばかりにドウダンツツジが輝いている。道筋を中心に両側30mもないかと思うが、長さ300mほどが濃い薄いとりまぜて赤く染まっている。Img_0025

遠景は予想どおり、常緑樹の緑や空の青が引き立て役になっている。

そこでもしばらく見ていたが、大きな歓声と共に中年女性の一団がやってきたので引き上げることにした。

帰り道は、すれ違う人も次第に多くなり、ペンション横の駐車場には車が10台以上になり満車、これからさぞかし賑やかになっていくのだろうな。

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2006年11月24日 (金)

艶やかに妍を競う

Img_0093 野葡萄の実が熟してきた。

目立たない花からよくぞこんなに目立つ実がつくものと感心する。

昨夜の雨をうけて、ますます色艶やかになっている。

緑から白、紫、そして青と、翡翠色ともコバルトブルーとも言われる色彩を目指してひとつひとつの粒が妍っているようだ。

もしこれが、ジュズダマのように固かったら、きっと子どもの玩具になっていたことと思う。

山には、山葡萄が高い木の上になっていてよく登って、採ってきたものをそのまま食べたり、ぶどう酒にして飲んだものだが、これは食べようとも思わなかった。

ぶどう酒、といっても果汁を絞って砂糖をいれ発酵させるだけだったが、それでも身体が温まったことからすると、ひょっとして密造酒だった?。

このほかに、”くさぶどう”というものがあった。これは、その名のとおりごく低いところにあるつる植物の実で真っ黒、山葡萄を小さくした実だったが、これは美味かった。

いま、植物事典を見ても、名前が分からない。

Img_0121 今朝方見た怪し雲をひとつ、静岡からみて東の方向にたてに立つ雲あり。

飛行機雲にしては、その上にある南北方向に流れる雲より低い所にあるように見えたのだが、、、、、なんだろう。

きょうは、大正十年、東京に天文台が作られた日だ、とのこと。それを記念したわけでもないと思うが、、、、怪し雲にしばらくみとれていた。

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2006年11月23日 (木)

神のまにまに

Img_0113

このたびは ぬさもとりあえず

            手向け山

    もみじの錦 神のまにまに

菅原道真が歌った歌で、「旅に先立って、幣を捧げなければならないのですが、あまり急な旅ですので、手向け山を彩る美しい紅葉をささげます。神よ、御心のままに」という意味だそうだ。

森町にある遠州一ノ宮、小国神社に行ってきた。

紅葉が最盛期と聞きつけたのは自分だけではなかったようで、駐車場は満杯。随分と奥のほうにまで行かなければならなかった。

Img_0114_1 道の神社に向かって、右側にある小さな渓流の両側が紅葉の綺麗な所で川面に映って赤 黄色 緑と様々な色模様が丁度いい加減に織り成していた。

もともとは、ここが目的でなく、袋井の日帰り湯のついでであったが、帰ってきてみたら、「紅葉の方が印象深かったなぁ」であった。

さて、今日は「勤労感謝の日」勤労とは、辞書によると賃金を貰って、一定の時間、ある仕事をすること。と、書いてある。

最近の情勢を見ると果たして勤労に感謝できる状態なのかと疑われる所がある。景気はイザナミ景気を抜いて統計を取り出してから最長だと言うし、銀行や自動車会社など空前の利益を上げていると言うのに、その利益を上げるために働いた勤労者への還元が無い。

それどころか、税金の控除は次々と無くなり、医療費は上がるなど、生活水準は落ちていき、中流階級は無くなって一部富裕層と多数の貧困層に固定化するのは時間の問題となってきたし、そうなると、世の中は産業革命の頃や、昭和の初めころまでの日本に逆戻りしかねない。

山の紅葉は、赤一色でも黄色一色でも面白くない、その合いまに濃い松の緑があってはじめて赤い色、黄色い色が浮き立つのである。

荒れ果てて、枯れ木ばかりになった山の一部だけに点々と赤い紅葉があったとてなんとしょう。「近いうちに山崩れを起こすこと間違いなし。と、こんな風に卦が出ましたけど」と占い師は言う。

なにごとも、神のまにまに、、、、

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2006年11月22日 (水)

いい夫婦とは

Img_0087_2 きょうは小寒。

おおさむこさむ 山から小僧が泣いて来た、、、、と童謡にもあるように寒さもこれから本格的になり、寒がりにはさぞかし嫌な季節の到来になるだろう。

紅葉もようやく最終点に到達したと見えて、麻機沼まわりの木々も色ずいてきはじめた。

中でも南京櫨は色づきが早く、木によっては根元に赤い落ち葉をおりしき、白い実をはじかせている。

葉が全て落ちるころには、木の先端を白い玉で飾り電飾のように見せることがある。

南京櫨と言うのだから、中国あたりから来たもののようだが、日本古来の櫨同様、蝋をとるために持ち込まれたらしい。

Img_0088 手近かな実を取って、つまんで見るが固い。これでは鳥の餌にもならないかと思ったが、割れたのが幾つかあるのを見るとそうでもないらしい。

そうしてもひとつ、11月22日の語呂合わせで”いい夫婦の日”というんだそうだ。いい夫婦、どこかの新聞社のアンケートで男の人は、老後妻に面倒を見てもらいたい、一緒に旅行したいなどツマと寄り添って生きたい希望の人が多いのに、女の人はその反対で仲間内で遊びたい、墓も別がいいなどと思っている人が多いらしい。

近い将来、団塊の世代が定年退職をして小金持ちが多くなる中、旅行会社や銀行などがこの層を狙っていろいろと画策しているようだが、肝心の対象者が別々な希望や展望を持っていてはなかなか難しい。

かてて加えて、熟年離婚が女の人にいまより条件がよくなれば、男の人の立つ瀬が無くなる。

仕事人間は、趣味もなく付き合いも会社関係だけと来ると、会社から開放された途端することがなく、連れ合いの尻ばかり追いかけていてはますますうっとうしがられる。

赤頭巾ちゃん気をつけて、、、

六十歳の還暦を迎えて放り出されては、なんのため頑張ってきたか分からない。少しだけ先輩としていっておくことは、何にでも興味を持ちなさい。の一言。

それこそ、野次馬と言われようと”おだっくい”と言われようとかまわない。ただし、勤めていたときの地位などは綺麗さっぱり忘れること、でないと世間からもそっぽを向かれてしまう。

ゴーイング マイウエイ、この道はまだ先が長い。

いい夫婦とは、禅問答風にいえば、、、、、、無 わからない!

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2006年11月20日 (月)

信仰心が足りない

Img_0060_3 そのむかし、信濃の国に信心の浅い女がいた。

あるとき、千曲川の川原で布をさらしていると、牛が現れてその布を角に引っ掛けて走り出した、女はそれを追っかけて気が付いたら善光寺に来ていた、という。

牛は、善光寺の観音様の化身であり、女の信心を深くさせるためにしたことだといわれ、後ほどこの地に観音様をまつり「布引観音」と言われるようになったそうな。

なんども、この付近に行っていたのに、自分も信心の浅い身。ここ2日間は久し振りの深酒にひたった罪滅ぼしを兼ねてお参りすることにした。

昨夜来の大雨も上がったようだが、何時降りだすか分からないような天気なので傘を持って、駐車場を出発した。

布引観音は、千曲川がその北側に当たる御牧台地を削り高い所では200mにもなる崖を作っている。その一部に御牧から流れ出した小さい谷が崖を深く削っているところの中腹にある。

参道は、台地を形成している円礫凝灰岩や泥岩を削って作られており、雨で濡れた落ち葉がその上に積もって滑りやすく、歩きにくい山道になっている。

10分ほどで仁王門に着くが、ここに到るまで善光寺までつながっている岩穴とか牛や馬の形を現しているという表示板を見るが,どう見ても分からなかった。想像力の足りなさか、信仰心の欠如のせいか。

そして、仁王門の中にも大きな草鞋らしいものを見かけただけで肝心の仁王様が見えない、これも信心が足りないせいで見えないのかと思うと恐ろしい。

しかし、そこから見た朱色の観音堂は切り立った崖にはめ込まれて、これに紅葉が重なれば言うことなしの景色。(写真上)

お寺の脇まで上がると道は横道になり、岩をくりぬいた四角いトンネルの先に観音堂があった。張り出した手すりの外は登ってきた参道や本堂を見わたせ、その奥脇に暗い通路が「おいでおいで」と招く。

招かれれば、野次馬根性が我慢できない、暗い穴をくぐって向こう側に出る。すると、崖を削って作った道が頂上へ。槇柏(シンパク)の木の下をくぐり、手すりにつかまり、岩を削った足場を登って、中腹の展望台にいたる。

ここでは、真下に千曲川が流れ、その対岸の向うに小諸市の中心部が見えた。それからは道もジグザグと折れ曲がるもののなだらかになり、台地の突端、一応頂上に着くが展望もよくなく風が出て雨も余計に降り出したので早々に下山することにした。

Img_0074 帰る途中、車を止めて布引伝説の元になった崖に白い帯が連なっているのを眺めた、地質的には地層を断ち切る形の模様なので断層なのかどうか、一度近くによって見てみたいものだ、と思いながらも、これでは信仰心は何時まで経っても身につかないわけだ。とおもってしまう。

午後静岡に向かう。野辺山を越え清里に入ったとこImg_0076_1 ろで、141号線から2kmほどわき道に入ったところにある一軒家の蕎麦屋「北甲斐亭」へに立ち寄る。

いつものように「天ざる蕎麦」に舌鼓をうって、意気揚々と還御する。

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2006年11月19日 (日)

若干の余裕も無く

Img_0050 一位、イチイとは木の名前である。(写真)

そのむかし、飛騨の国から朝廷に献じられた赤くて硬いこの木を、聖徳太子の絵にもあるように両手で持っている杓として使われたことから付けられた名だというが、別名のアララギの方が有名かもしれない。

もっとも、アララギは文学界では知られていても、それが木の名前だとは知る人が少ないのだから、どっちもどっちか。

この木の実は、小さな種を核としてその周りに柔らかい甘い実をつけるため鳥は勿論、子どもたちも抓まんで食べる。

この木は、成長が遅く我が家にある2本の木も、30年ほど経っているのにいまだに太さが根元で10センチにも満たないでいる。そのため、「飛騨の木」として、みやげ物に使われる一位細工の原木は最近北海道から持ってきていると言われるくらい、少なくなってきた。

標高950mを越す山懐の春日温泉の温泉街も(と言っても六軒しかないが、、)今朝は曇っているため気温はさほどでもなく、霜が降りていなかった。

朝起きぬけに、周りの散歩に出かける。玄関を出たところの両側に「右近の桜、、」ならぬ「右近のドウダンツツジ、左近の一位」がたっている。

ドウダンツツジは、少し盛りが過ぎて上のほうが散り、枝が出ているものの、まだ真っ赤に色づいており、左近の一位は足元に赤い実を散らばかせながらもクリスマスツリーのイルミネーションのような実をつけている。

少し降ったところから入る源泉を見に行くと、湯量が豊富なせいで、温泉が湯気を上げて75mmのパイプから捨てられている。しかし、手を触れてみるとアルカリ温泉の特徴であるぬるぬる感が強いものの、熱いという感じがしない。鉱泉だが外気が低いせいで湯気があがっているのだ。

散歩の汗を朝風呂で流し、食事の後宿をでて、立科町のりんご農家に向かう、毎年のことなのですっかり顔なじみになった農家は、「親類価格だよ」なんてくすぐりも充分に聞かせて出してくる。

P1010046 もう霜が降りていることもあって、ほとんどとり終わっているので摘み取りは出来なかったが、りんごは球をつかみくきと枝の境目に指を置いて上に上げれば簡単にとることができる、しかしその後、傷が付き痛みやすいため細心の注意が必要なところは、みかんと逆な関係があるようで面白い。

そんなこんなで、各自 自動車の中は詰めるだけのりんごと新米、それに若干の野菜をで満杯にし、今回最後の食事会のあとそれぞれの方向に買出し部隊は四散した。

雨は、しだいに本降りとなる。

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2006年11月18日 (土)

長野は初冬のさびしさ

P1010032_1

山梨方面から見ると、鋭く三角形に切り立って見える八ヶ岳連峰の主峰赤岳も、野辺山辺りから見ると雪をかぶっているものの柔和な山に見えて、また登りたいいう意欲を掻き立てさせる。

午後には薄雲がかかるかもしれないと言う天気予報にも拘らず、11時の八ヶ岳には雲ひとつ無い。

長野に降りかけて姿を現した、浅間山は対照的に雲がまつわりついて、噴煙が定かではない。

今日は、毎年恒例になってきたりんご狩りに名を借りた兄弟会のため、山梨~野辺山越えで長野に向かっている。(写真は春日温泉から見た蓼科山2,530m)

今回はそれぞれの都合もあって、三人が夫婦ずれで望月町の春日温泉に現地集合という形で集まった。

いままでは、岐阜県と愛知県、静岡県からの参加のため、中央道は岡谷のインターで落ち合う格好だったが、何回ものりんご狩りのため、あのあたりの地形を覚えてしまったいま、現地集合が可能になった。

宿は、毎年変わっているが、りんご農家は決まっているため、いつもどおり途中で農家に寄り、味見用のものを少し手に入れ、それを食べながら、わいわいがやがやと食事前のひと時を過ごす。

このあたりは、標高950mを越す蓼科山麓の北側にあたり、もう少し前なら春日渓谷の紅葉と蓼科山、反対側の浅間山と景色の良い所であるが、宿について見ると空いっぱいの高曇りで肌寒い風が吹いてきた。

唐松も落葉し、楢の木は茶褐色の葉となって、うらさびしい初冬の夕暮れを演出していた。

ゆっくりと温泉に浸かった後、夕食には追加料理として”鯉の笹焼き”を注文しておいた。

二枚に開いた50㌢くらいの鯉を、直火でじっくりと焼くのだそうだが、焼けた皮をはがすと白身の綺麗な肉が出てきて、ほぐした肉にレモンをかけたり、特製のたれにつけたりして食べた。

また、苦味の強い内臓は、自分の好みのものなので、ほかのものが手をつけないのを幸いにしてほとんど独占的に処理してしまった。

川魚の癖もなく、非常に食べやすい。「名物にうまいものなし」というが、これは例外のひとつと思う。

懸け流しの源泉に三度も入り、NHKの「チャングムの誓い」?だったかを付き合えば午前零時を回ってのお休みになった。

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2006年11月17日 (金)

さつまいもの花

Img_0039_5 近所の畑でさつまいもの花が咲いていた。

普通さつまいもは、花が咲く前につるを根こそぎ払って掘り出すのと、寒い地方では花が咲くことが無いので、あまり知られていない。

昼顔と言うか、豆朝顔によく似た花を咲かせている。この時期、蜜の取れる花が少なくなったためか、蜜蜂が沢山来て漏斗状の花の中に深々ともぐっている。

さつまいもの原産地は、以外にも、メキシコあたりではないかと言うぐらいしか分からないそうだ。原産地、流出ルートがよく分かるじゃがいもに比べて「へェ~」という感じは否めない。

日本で普及したのは、享保の大飢饉がきっかけだと言うが、荒地や気候の悪条件に耐えて出来る作物ということで、じゃがいもと共に以後の飢饉に役立ってきた。

自分の経験でも戦後の食糧難の時、芋どころか、葉の下にある茎まで煮て食べたが、癖もなく、ぜんまいによく似た歯ごたえで決して不味いものではなかったように思う。

いずれにしろ、男性までがさつまいもに貪りつかなければならない時代は、嫌な時代でであることには間違いない。

それにしても、夜中にピ~ッと汽笛を鳴らしてくる自動車に、女性はどうしてあんなにすばやい反応を示すのだろうか。いそいで食べ喉を詰まらせ、胸焼けしたと言っては胸を叩き、下からガスを発射しても恥じない甘藷を、、、

そういえば、盲腸の手術の後、ガスが出ると「おめでとう」と言われるそうだが、このときのガスは臭いんだろうか。

全然関係ない、こりゃまた失礼。

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2006年11月16日 (木)

モザイクはなんのため

Img_0060_2 Img_0022_1 櫨(はぜ)の実が黒く熟してきた。赤く紅葉した葉の間に見える。

櫨の木は漆の仲間なので、人によってはかぶれることもあるそうだが、鈍感な自分には通用しないみたいだ。

この実は、むかし蝋燭の原料として植えられていたこともあって、各地にあるが蝋燭がパラフインに取って代わられていまでは、ただ邪魔な木としか認識されていないようだ。

櫨の蝋で作られた蝋燭の明かりは煙も少なく、炎がゆらめくなど独特なものがあるが、テレビで見る江戸時代の夜のような明るさは無理である。

また、蝋燭そのものが非常に高価だったので、普通の家では使えず夜なべなどでどうしても明かりの欲しい時は、松の根などに火をつける「あかし」が主役だったと聞いた覚えがある。

したがって、夜になると、綾目も分かたぬ世界になるのが普通だった。

どこの誰かは知らないけれど

誰もが見~んな知っている

、、、、、、、、

ご存知の人も多いと思うが、昭和33年から放送された「月光仮面」の主題歌である。

この番組、今見るとちゃちなものであるが、当時かなりな人気があって平均視聴率が40%を超えていたと言う。しかし、人気のあまり真似をする子どもが高い所から飛び降りて怪我をするという事故が多発し、二年足らずで打ち切りになった。

いま、50歳を少し超えた世代、が少年のころ風呂敷を背中にくくりつけて走り回っていたのではないだろうか。

自分のころは、映画の「ターザン」遊びだったが、、、(余談)

最近、個人情報関連だと思うが顔にぼかしやモザイクの入った映像がテレビで流れる。

暴走行為をしている若者(?)、塵屋敷の主人、河川敷などで違法行為をしている人、場所を特定されぬためらしく道路や家など様々であるが、こういう場合のモザイクなどはどんな意味があるか不思議に思ったことは無いのだろうか。

自分が思うに、遠くはなれた所の人の場合、顔を出されたとしてもどこの誰だか「ああ そんな人もいるのか」程度の感じしかしないし、場所も分からない。

しかし、迷惑をこうむっている人やごく近くの人の場合だったら、どんなに顔や場所を隠しても「あの人だ」「あそこだ」と即座に言い当てること間違いなしだ。

つまり、どこ誰(世間的には)だか知らないけれど 誰(周りは)もが見~んなしっている、、、

となると、綾目も分かたぬようにしているモザイクはなんのためか。

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2006年11月15日 (水)

かまぼこの日

Img_0017 きょう11月15日は、七五三の祝いの日でもある。

各お宮さんでは、着飾った子供づれの親子が集中しているのだろうなと予想しながら、近くの浅間神社まで散歩の足をのばして見た。

ウイークデイにもかかわらず、いたいた、それこそ沢山の子どもが着飾ったうえ、お供を引き連れて、それこそお殿様、お姫様のように出かけてきていた。

普段着慣れない、羽織袴に押しつぶされるかのように猫背になった男の子が、履きなれない草履でよちよちあるきをしながら登場、ついで振袖姿の女の子。

女の子は、何人もいたが、嬉々として、また誇らしげに玉砂利を踏む。この辺に男、女の本性が出てくるのだろうかと感心しながら見ていた。

Img_0001_3 そして、今日は「かまぼこの日」古文書に1,115年に祝いの膳に供されたと書いてあったことから、蒲鉾組合が指定したそうだ。

かまぼことは、言うまでも無いが魚の練り製品のひとつであり、むかしはすりつぶして練った魚肉を割り箸のような木の棒に練りつけたもので、蒲の穂のようなものを言い、そこから「蒲鉾」というようになったようで、今のかまぼこというより竹輪のような形をしていた、とある。

このかまぼこ、その後各地に広がって、そこそこの材料の特徴を生かしたつくりになっており、味、風味、歯ごたえなどさまざまである。

自分も、あちこちのを味見したわけではないので、詳しくは無いがやはり育ったところに一番有った「富山のかまぼこ」それもあるメーカーの品物に尽きると思っている。

またしても、幼いころの思い出になるが、兄弟が多くて好きなだけ食べられなかったせいもあるが、一本丸かじりをしたいと言うのが夢であり、じぶんの給料で始めて実現した時と、富山へ機関紙の校正に行ったおり、まだ暖かい状態の物を食べた時のことは今でも鮮明に憶えている。

もっちりとしたなかに甘味のある味わい、向うに行くと必ず買って帰るもののひとつである。(お土産でなく自家用)

富山は、むかしからかまぼこを非常に大事にしていたらしく、結婚式の引き出物に色とりどりのかまぼこで作った縁起物の鯛などがだされ、その重量、大きさでかなりのものがだされた。

そのため、他所から招かれた客の中には、その価値(値段)も分からない人がいて、よく富山空港のロビーに置いて帰る人がいることから、「あそこに行けば蒲鉾が拾える」なんて話まで聞いた。

富山にかぎらず、関西系の蒲鉾はもッちり感を大事にするのに対して、小田原を初めとする関東系はさくさくとしたはぎれのよさを持ちみにしている風があり、自分としては、板に付いた蒲鉾は、味気なさを感じて買ってまで食べる気がしない。

また、九州では、はんぺん系の黒い魚を使用しているのか、「此方の蒲鉾は色が白いのだけど、漂白剤を随分と使っているんだね」と言われたことがあった。

「白いのは、鱈など白身の魚を主体にしているせい」だと言ったものの、あちらから来た人には胡散臭い食べ物のように思われたには違いないと思っている。

以上、蒲鉾の日にちなんで、ひとりよがりの一家言。まことに食べ物のことに関してはうるさく、ガンコな爺さん。と自認している。

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2006年11月14日 (火)

いずこも同じ秋の夕暮れ

Img_0005 さびしさに 

 宿をたちいで

    ながむれば

    いづくもおなじ

                  秋の夕暮れ

午後になれば崩れると言う予想の天気情報だったが、雲が多くなった程度で夕焼けを迎えた。

こんな日は、富士山に笠雲でもかかるのではないかと、日没時に外に出てみたが、肝心の富士山はすっぽりと雲の中。

それでも、富士の上空には低気圧の前触れを示す風が吹いているらしく、幾つかの笠を載せており、その左側(海側)には布団をたたんだような重層雲がとどまっていた。

今日の新聞にも、GDPは2,4%の成長で好景気が続いているというが、働いている人には還元がほとんどなく、株式配当と設備投資ににまわされていると言う。

会社とは、誰のものかと言う論争もあったが、働いている人が働いたことを実感できる社会にならなくては、未来は明るくならない。

景気が持続しているのに、消費は落ち込んでいると言う。所得が上がらないのに税の控除が無くなり、社会保険の負担が多くなれば、消費なんか増えるはずもない、当然の話し。

富が満遍なく行きわたれば、先に希望が見えてこれもあれも買い換えようかという気もでて、消費拡大につながるが、金持ちがさらに儲けて、格差がさらに開き、固定化するような社会では消費にも限度がある。

何よりも恐いのは「あほらしくてやってられるかい」と仕事に対する熱意までもがなくなってしまうことである。(事実、その兆候はある)

一億総中流化社会と言われたのは遠い昔。じぶんのまわりでは、いずくを見ても秋の夕暮れ状態である。

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2006年11月13日 (月)

仏の座も高くつく?

Img_0078 この花の名は仏の座(ホトケノザ)と一般に言われている。

春の七草のひとつと思っていたが、春の七草の”仏の座”とは別物だそうだ。

春の七草で言う”仏の座”とは田平子(タビラコ)という別名を持っている草で、花も形も全然似つかない植物だということを最近になって知った。

まったくややこしいことをするもんだ、おかげで生葉を口にしてみたが、すこし薬っぽい味がして「うん これなら食べられないことも無いな」と思ったのが恥ずかしい。

なにせ、育ったところが山奥の町、春4月まで雪に覆われているため、春の野山は草木が一斉に芽吹き、いちいち小さな草にはかまけていられないため、あったのか無かったのかしらないのだ。春はいそがしい、”春の七草”が何たるかは耳学問でしか知らずにきた。

かててくわえて、仕事中は植物になぞ関心がなかったせいで、見れども見えずの状態だったのでいらぬ恥をかいてきたことになる。

さて、日本では死後 成仏するという大乗仏教の考えから、ほとけになるという考えがある。

一般の人が死んだ場合、戒名と言うものが付けられるが、自分の場合、宗派は曹洞宗なので、信士とか居士が末尾に付くと思う。

田舎の和尚と話していたら「80歳まで生きたらそれなりの修行を積んだので居士は当然よ」とのことだったので、そんなものかと思っていた。

ところが、こちらで親戚の葬儀があった際に「連れ合いが居士なので見合った戒名をつけてください」といったところ「大姉をつけると戒名代が高くつきますし、後の付き合いが大変ですよ」といわれつけられなかった。

つまり、「あんたんとこ程度では、これは無理だよ、欲しければ金をもってこい」と、言われたようなものだった。

”地獄の沙汰も金次第”なのだ。もちろん、戒名と仏とは関係が無いそうだが、仏の座がいっぱい余っているなら、あの世へ持っていく金はないけれど、どいつかひとつ座らせてもらえないものかね。

もっとも座ったら座ったで、座り心地が悪くてじっとしていられないことは分かっているんだけれど。

今晩は仏様にご無礼を申し上げたが、くれぐれも根に持たないでほしいものだ。

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2006年11月12日 (日)

くれそうでくれない

Pc230066_1 暮れそうで暮れない 

     たそがれ時は

暮れそうで暮れない 

     たそがれ時は

と、「人恋しくて」という歌の出だしで、歌ったのは、今はむかし南沙織という歌手だった。

”秋の日はつるべ落とし”というが、立冬を過ぎた最近ではつるべより早く、どさっと落ちるように沈むので夕方の景色を写そうと思うと、よほど前もって準備をしておかなければならない。

「たそがれ」とは、誰かそれは、という言葉から出来たといわれ、日が落ちて薄暗くなった時間帯をいい。明け方の薄暗い時間帯を「かわ(は)それ」彼は誰れ、と江戸時代ころから言うようになったという。

たそがれにしろ、かわそれにしろ、少し薄暗い状況は前の方に何かいるらしいがはっきりしない状況を言っているわけで、昔から「逢魔が時」つまり、魔物が徘徊する時間として恐れられてきた。そして、最近聞いた話では交通事故などもこの時間帯が多いとという。

今日は、天気が良かったものの冬型の気圧配置になり、関東地方から北では突風が吹くなどして、気象庁は木枯らし1号と発表したそうだ。

こんなに天気が良いとじっとしていられなくなり、手近な山でもと思ったが、時間が遅かったのと風が強いという予報で、藤枝は瀬戸の谷川沿いをと出かけてみた。

ところが、驚いたね。国道1のバイパス、谷稲葉インターの手前から渋滞気味。

どうもすぐ側の運動公園あたりで野球か何かの大会でもあるらしく、自動車が進まない。ようやくそこを抜けたら、すぐに農協関係と思われる農業祭があり、次はサッカーグラウンドで試合があるらしくまた止められ、そこを抜けて瀬戸の谷でまたまた農業祭と各地でとめられた。

こんなに止められるなら、寄ってみようかと整備する人の指示に従って進むと凄い車の列、ずっと離れた駐車場に入れられてしまった。

(みんな行くとこなくて近場でごまかしているのかな、それとも野菜が目当て?)

どうにかこうにか戻って、会場に入ると昨夜の雨でグラウンドがグチャグチャ、踏みしめる足元に水が浮いてくる。なのに人が一杯で進むに進まれず、戻るに戻れず人の後ろに付いて行くしかなく、買いたいものも列が長すぎれば意欲が無くなる。

Img_0102_1 すいている所は、お茶揉みと楽器を演奏している所とチエンソーで丸木を彫刻している所くらい、しばらく見ていたが特にほしいものも無く、何の収穫も無しに帰ることにした。

山越えで、藁科川沿いに出てきたら、羽鳥でまた農業祭の渋滞。

今日は本当に、農業祭日和だったらしい。

えッ、「人恋しくて」はどうなったって。

つまりこういうこと、試食コーナーで

   くれそうなそぶりで くれないおじさん

   くれそうでまってる たそがれじいじ ってとこかな

                     おそまつさま

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2006年11月11日 (土)

今どきの授業

Img_0095 今日は一日中小雨が降ったりやんだりの天気であり、外を出歩くにもチョット引けてしまうほどであった。

こんな日は、家の中で本でも読んでいるしかないかな。と思っていたら、娘から電話があり「孫の学校で今日は一般参観が出来るので、閑だったら来て見ない?」という。

ヒマ ヒマ、「今どきの授業を見てみたい」、という野次馬根性の塊は、渡りに舟とばかりに乗ってしまった。自分の子どもの参観日は数えるほどしか行ったことがないし、子どもと孫では全然気持ちが違う。

2時限と3時限が参観できるとのこと、着いて見ると2時限はもう終わりかけていたが、算数の掛け算ををやっていた。

ににんがし、にさんがろく、にしがはち、、、、この辺はむかしと同じことを言っていて、一種の安心感があり、見ていて思ったのは、今の先生は優しい。参観日だから特別なのかもしれないが、実に優しく教えている。

自分たちのときは先生は恐ろしいもの、学校では絶対の存在で、授業中によそ見しているのが分かるとすぐに叱られたものだったが、そんなけぶりは全然見当たらない。(チョークが飛んできたり、大型の木製定規で小突かれたのは中学になってから)

それとわかるのは、生徒に緊張感がまるでない、半分遊びながらみたいな生徒さえいる。

この授業の次は、”むかしのあそびに ちょうせんしょう”という時間になり、何人かの生徒の親やじいじ、ばあばが先生になって、こま回し、お手玉、メンコ、かざぐるまなどのしかた、作り方を教えるもので、いくつかのグループに分かれて習うことになった。

自分の孫が、こま回しを選んだ関係でこま回しグループを見ていたが、「こんな授業も自分のころにはなかったなあ」、というのが感想だ。遊びは、友達や上級生を通じて覚えていくものであり、大人から教えられた遊びなんてものは無かったと思うし、まして、授業の一環でなんかありえなかった。

しかし、同じだったのは、器用不器用が入り混じっていること、普段やったことがあるのか初めっから出来た子とどんなに教えても出来ない子が、むかし並みにいることだった。

そんなこんなで見ているうちに、あんまり不器用な子を見ておれず、こっそりと”昔とった杵柄を伝授”という仕儀になった。

この授業を見ていて、やはり孫を主体的に観察していたことを帰ってから気が付いた。

自分のこのころは、泣かされてばかりいたので、、、、孫の友達関係、今流行のいじめは、と、しかし、短時間の観察では小学2年生のこのクラスにそんな気配は微塵も感じられずヤレヤレと、、、、、

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2006年11月10日 (金)

水は腐らない

Img_0084 ”よどんだ水は腐る”という言葉があるが、水は決して腐らない。

腐るのは水に含まれた有機物が腐敗するだけである。

今年に入って、幾つかの県で大きな不祥事が起きてている、それもトップの県知事が絡んでのものが

長崎県の裏金はまだ県知事に波及するかどうかは分からないが、岐阜県の前知事がからんだ裏金問題、福島県と和歌山県は特定業者との癒着で何れも辞職しなければならないところにまで追い込まれているのは相当腐っているあかし。

この知事たちは何れも初当選は”清廉潔白””民意を汲んで風通しの良い県政”などを売り物にしていたが、当選を重ねると次第に初志をわすれ、傲慢、ワンマンになりただひたすら”自己保身 自己満足”に陥ってしまう結果であろう。

つまり、当選を重ねたことで、自分を腐りやすい有機物にしてしまったわけである。しかし、水の方も腐っていることを知ってか知らずか、あるいは、利用してか抱え込んで全体に臭みが回ってしまっている。

よく言われるが、「どんな臭いも僅かなうちは香水、臭っているのが自分で分かるようだと周りは鼻つまみもの、膿は早いうちに処分せよ」と

トップは初志を忘れないうちに早めに交代をしていれば、少なくともこんな大ごとにはならなかったのではないだろうか。

どんな職にしても、多選や世襲など一部の人だけが権力を握るのはは弊害が多い。選ぶほうもその辺をもっと真剣に考えなくてはなるまい。

口直しに  今日は、菜な花の種を土手に撒いてきた。

今年、近所の河川改修で菜の花が咲いているところを削り取って拡張してしまったので、工事前にそこに咲いていた菜の花の種を家に持ってきて採取しておいたものである。

このほど、工事も完了したので、種を撒く場所も少したがえて散布して来たが、来春には花を咲かせてほしいものだ、でも、これって悪いことかな?

Img_0083_2 上にあまり汚い写真を載せたので今土手に咲いてる花を一枚。

これも、誰かが種をまいた園芸品種と思うのだが、土手の彩り。あまり固いことを言わないで欲しい

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2006年11月 9日 (木)

むせぶもつらい

Img_0041 おもひ出ずる 

  折りたく柴の夕煙

むせぶもうれし 

    忘れかたみに

新古今集に載っている後鳥羽天皇の歌だという。

むかしの天皇は、よく野に出られたのか百人一首などを見ても庶民的な歌を物にしておられるが、本当に体験されたものかどうかになると「まず違うだろうな」というのが自分の感想である。(あまりの煙さにレンズも涙目になってしまった)

むせぶもうれし 忘れかたみに という言葉を除けば、いま、あちこちの田んぼや畑から煙が上がっている。農作業も一段落したため、邪魔物や廃棄物を燃やしているのだが、中にはプラスチック製品もあるのかとても耐えられない匂いや刺激のあるものがあって、とても”むせぶもうれし”なんて状況ではない。

一方で、静岡市が政令指定都市になってから、住宅地に指定された所にある農地は住宅地並みに課税されることになった。

当初は一気に上げる予定だったが、要望が強く何とか段階を踏むように変わった。しかし、地主は従来の農業では税金を捻出できないため、田んぼなどをいくつにも区分けして貸し農園に転換するところが多くなった。

これが、いまのところ野菜の高値や土をいじりたい人が沢山いるため、区分けするとすぐに満杯になるほど人気であるが、近いうちに供給が過剰になり、値崩れを起こすと言うのが近所の農家の人たちの話しだった。

しかし、いまのところ「にわか農家」「趣味と実益農家」は、肥料を沢山いれ手入れを欠かさないため、大根やキャベツ、白菜、ブロッコリーなど葉物野菜がまるまると育っている。細かい計算をしたら、、、、そんななことは度外視。

きのう、紋白蝶のつがっている記事を載せたら、ナベショーさんが卵を産みつけられるので日ごろ可愛い蝶も憎らしくなるとコメントされたが、作っている人にしたら苦労して育てた無農薬野菜を虫に食べさせたくない、というのはもっともである。

そして、いつもの道に見た立て札の中には「野菜をもって行くな!」「犬を園内に入れるな!」などに始まって極めつけは「土を持って行くな!」「塵(ゴミ)をおいて行くな」というのがあったが、同類の害も酷いものがあるらしい。

いろいろな注意書きは、被害が一度ならずあって、我慢できずに立てたものだろう。一回あたりの被害は虫の比ではないこともあるが丹精したものが一挙になくなったという精神的障害も大きい。

これを見ると「虫の害なんて小さい小さい」、、、、とも、言っていられないけどね。

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2006年11月 8日 (水)

どうにかして~よ

Img_0135_3 蝶の生態について何にも知らないので、自分の目から見た感想。

この時期に及んで、紋白蝶が合体していた。

寒くなって自分たちの寿命を悟り、大至急年越しの子孫を残そうと頑張っているんだろう。

晩婚のせいで身体はよれよれ、おまけに連れ合いは何もする気がなくてぶら下がっているだけ「好きにしたら~」なんてつぶやいている。

そこに怪獣(人間)がきて見つめるものだから、恥ずかしいやら、恐いやらでどこかに行こうとするが、重くて飛び上がれない。

この状態、どうにかして~よ

今日は、日米野球2006の最終戦が行なわれ五戦全敗という結果になった。

野球のことに関しては上記の蝶と同じように興味が無かったので知らないが、今回はどんな基準で出場者が選ばれたのかだろうか。

日米野球と言えば、以前はかなり人気があって、日本チームの出場者は一流の選手(名の知れた人)ばかりがでていて、1勝でもすれば大喜びで新聞に大きく載ったものだが、今では熱が入っていないらしく、出ていない選手の移籍などストーブリーグの噂話の方が大きく出ている。

対するアメリカチームは、これまで、優勝したお祝いや活躍した選手にボーナス代わりのに観光旅行をかねて来たりであまり真剣に対戦しているようには見えなかったが今年はどうなんだろう。

今年の、日本チームはどんな基準で選ばれたのか、どこかで知りたいものと思っている。

まず第一に分からないのはパリーグ最下位チームの監督が指揮していることである。まさか、誰もやりたくないので、罰ゲームよろしく指名されたわけではないと思うのだが、

そして、選手を見ると満遍なく各チームから出ているが、知っている人(今年活躍した)がほとんどいないことである。

これでは初めから勝てるわけ無いことがわかっている。出ている選手の気持ちはどんなんだろうといろいろ推察してしまう。

この状態、どうにかして~よ と試合中に言っていたと思うのは下司の勘ぐりだろうか。

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2006年11月 7日 (火)

冬来たりなば

Pc220052 昨夜来の雷は夢うつつの状態で聞いていたが、明け方になっても雲が厚く夜明けの遅い朝になった。

雨による草の露も落ちたころを見計らって、麻機沼を一周して来たが、鴨の仲間がいつもより随分と多かった。

よくみると、マガモやバンが多くなっていたので北国ではすでに寒くなっているのが想像できる。

”冬来たりなば 春遠からじ”とかこれからしばらくの滞在になるのだろうが、まだ人なれしていないので、岸辺に寄ってくる鳥は少ない。でも、食べるものがなくなれば否応なしに餌をねだリ、人前に出てくるだろう。

午後になって風が強くなり、空の雲を吹き払い、厚化粧で真っ白になった富士山が顔を出した。

夕方になって、久し振りの赤富士になるかと思い、急に思い立って富士の見えるところまで行ったがそんなに赤くならなかった上、靄もあってか綺麗な画像にはならなかった。

ところで、テレビを見ている限りでは、今日の風をこがらし1号とは言っていない、木枯らしにしては、温か過ぎた、つまり北風でなく南からの風だったせいなのかな。

また、春は一番と言うのに木枯らしはなぜ台風みたいに1号と言うのだろうか、そんなことを思っていたら北海道で死者の出る竜巻があったそうだ。台風と違って準備する間が無いだけに恐ろしいし、破壊力も機関車を脱線させたりするくらいだから相当ものである。

今日は立冬、いよいよ冬の季節に入ったことになる。

「何時までも暖かいなどと言わせずに季節に見合った寒さがほしいものだ」といったら、「寒くなればストーブに炬燵、生活費がかさむと懐から気持ちまで寒くなってトゲトゲしてしまうんだよ。わたしんちだけでも暖かくならないもんかね」とどこかで寒がりさんがおっしゃっておられました。       敬具。

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2006年11月 6日 (月)

ひりりと辛いは山椒の粉

連休中良い天気をもたらしていた高気圧も休みがすんでホッとしたのか、午後になってお漏らしをしてしまった。

今日、郵便局に予約しておいた年賀葉書を受け取りに行った。年賀葉書も時代の趨勢にあわせて今年は写真用の艶だし葉書を発売したので、100枚のうち40枚をそれに当ててみた。

仕事をリタイアしてから会社関係の付き合い年賀はほとんど無くなっては来たが、それでも100枚と言うことは、むかし人間の性なのか、長生きのせいか。

とにかく、これを1ヶ月寝かせておいて、発酵(構想がまとまった)したところで、3~4種類の印刷に入ることするつもりだが、一日延ばしに延ばして最後は慌ててと言う例年のパターンに陥りことになるだろう。

そう思いながら、今日は今春貰った賀状を出してきてながめたが、これまた会えなかった人を思い出して時間を過ごしてしまった。

Img_0127_1 麻機山の中腹に真っ赤な実を沢山つけている山椒の木が一本あった。それも藪の中にあるところを見ると、植えたものではなく鳥か何かが実を落としたものから生えてきたものと思えるが、こんな辛い実を食べる鳥や獣がいるのだろうか。

”蓼食う虫も好き好き”というからいるのだろうが、山椒や山葵などの辛味が分かるのは大人になってからだから、咥えてきたものも大人だったか、辛すぎて放り出したものかなど、やっと一本の山椒を見ていろいろと妄想した。

また「山椒は小粒でもピリリッと辛いって言うぞ」と、子どもの時、先生が背丈の低い生徒の頭をなでながら励ましていたのを思い出した。

山椒は香気が高い所から、若葉を澄まし汁に入れたり、たけのこの木の芽和え、豆腐の木の芽田楽になどに使い、花や青い実は勿論赤く熟れるまで季節によっていろいろな使い方をする。

そして、最終的には手ごろな幹や枝はすりこ木や杖にと、日本人は鯨同様全てを使い尽くしてきた。

江戸時代、山椒の実などを売り歩く天秤担ぎの行商人の囃子言葉に、こんなのがあったそうな。

「ひりりと辛いは山椒の粉、すいすい辛いは胡椒の粉、けしの粉胡麻の粉陳皮の粉、中でよいのが娘の子、とんとんとんとんとん辛子、、、、、」とね。

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2006年11月 5日 (日)

ヤタのホシガラス

Img_0076 大道芸ワールドカップも今日で済んだ。

満月のもと、誰が優勝したのか。自分たち素人の目は、大仕掛けのもの、派手なもの、外人の方に目が奪われてしまうが、昔ながらの大道芸と言うものから少しはぐれてきているように思う。

しかし、日本古来の大道芸と言えば、角兵衛獅子や皿回し、南京玉簾など何かしら物悲しい面が見えてきて、チョット楽しむ雰囲気にはなれない。

さて、今日で久しく続いた快晴も一段落すると言う予報なので、大井川沿いの山”蕎麦粒山1,627m”と高塚山1,621m”を1年ぶりにめぐってくることにした。

朝七時、藁科川を登り千頭に下った後大井川沿いを降って上長尾から林道を登った。八時半ガタガタ道をゆっくりと登って山犬段に到着する。

すでに、駐車場には10台くらいの車が来ておりその端っこに止めて支度する。

側に地元シルバーセンターのの人が来ていて、携帯用のトイレを持って行けと言う。あちこちで"雉を打つ(野糞)”人がいるせいなのか。よく分からないが只だというので1個貰って登り出した。

Img_0007 蕎麦粒山に登りだして、まもなく目の前で星烏(ホシガラス)が一羽ブナの実をついばんでいる。

初めは「どうしてこんな低い所に来ているのか」とびっくりしながらも、驚かさないようにと遠くからカメラのシャッターを切っていたが、なかなか逃げない終いには1~2mの至近距離まで近寄れるくらいになり、何枚か写したあと前に進むとホシガラスの方も10mくらい飛んでは自分が来るのを待っているような状態を続けて繰り返した。

まるで、”ヤタのカラス”みたいだな「足が三本無いだろうか」と確かめてみたがなかった。

40分らずで蕎麦粒山頂上、そこには先客すでに7~8人が休憩をしていた、視界は霞が立っているため富士山さえ見えない。10分ほど休んだ後、高塚山を目指しくだりに入る。

紅葉は、千㍍チョットの地点くらいまで下がっているため、尾根筋は落葉したものが多いうえ、今年はやはりあまりよくなかったのかなという印象を受ける。

五樽のコルまで降った後、再び登りに入り”三ッ合”の分岐に着いたのが十時半、ここでも四組14~5人昼にしていたので、つられてここで早飯にした。

Img_0039_3 展望は開けているが、ここも蕎麦粒山同様全て見えない。

十一時、高塚山を目指し、きつい降りに入り隈笹(クマササ)の多い尾根を過ぎ、ゆるやかな登りの先に高塚山の頂上が開けていた。

広い頂上は、展望も効かず着いたというだけの印象、ほんの少しいただけで戻ることにした。先客も同様だったらしい

遠くから見るのと、頂上の印象が違うことがよくあるが、この山もそのうちのひとつであろう。

早々に、五樽のコルに引き返し、その下の林道に降り、駐車場に戻ることにしたが、林道は今年全然手入れが無かったせいか、荒れ放題に荒れていたこともあって、疲れて足には遠く長く感じられた。

もともとこんな所に林道を作ったのが間違いであろう。もろい山腹に付けられた道路のためあちこちで上下に土砂を崩壊させている様は、自然破壊もいいとこである。

しかし、道下には今を盛りの紅葉や黄色いカンバの葉などがモミの木の緑とあいまって、裾模様をかざっている。

駐車場には、午後二時の到着、駐車場に入りきれない車で一杯になっていた、こんなに沢山の車は今まで見たことが無い。と思いつつ無事の下山を祝って、最後のお茶を全量消費した。

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2006年11月 4日 (土)

みんなで渡れば恐くない

赤信号 みんなで渡れば

            恐くない

こんな言葉がひとっころ流行ったことがある。

全国あちこちの高校で、必修科目をはずして、大学入試の試験科目に集中してたことが明るみにでて、大騒ぎになっている。

結局は、自民党を中心にしておおまけの負けた内容で納めることになるらしいが、ここ何年かは受験校と言われる所を中心に、世界史などを他所において頑張っていたらしい。

そして、一様に言われたのは、この時期に及んで補習授業をしなければならない「生徒が被害者だ!」という言い方だったが、そうだろうか。

自分が思うには、大まけに負けてもらえば、授業を完全にやってきた生徒や学校が一番の被害者になるのではないかと思う。

「真面目にやってきたものが報われる社会」だったのではないだろうか、再チャレンジが出来る社会の前には、「みんなで違反をすれば怖くない」と言った風潮に御墨付きを与えたのではないだろうか。

この問題を苦にして命をささげた校長と、のらりくらりと応えていた他の校長や教育委員会はなんだったのか。

また、世界史が必修科目なのに、日本史は選択科目だというのはどういうことなんだろうか。

長い間、高校の授業がどんなものか関心のなかったものにとって腑に落ちない。

自分のころからそうであったが、歴史の試験とは、何年に何があったかということを憶えるのが問題で、何というのはほとんどが猿飛び佐助や太閤記、西洋史は三銃士やロビンフッドなど漫画や絵本で覚えたことが主であり、学校の授業で何を憶えたのか思い出せないほど、無味乾燥の話ばかりだったように思う。

さらに、近代史に及んでは、中 高校とも学期末までには入れずいつも未修のまま終わっていた。

最近の学説には、聖徳太子がいなかったなど日本史に異論がいろいろと出てきているがが、資料がなくよく分からない人や、「いい国作ろう鎌倉幕府」ばかりを教えて、明治以降日本がどうして来た、という、近代史は無視すると言う変な教育がまかり通ってきた。

Img_0059_1 Img_0070

今日も静岡は良い天気が続いている。

午後になって、することもないので再度大道芸を見に出かけたが、後ろにいた同年くらいの爺様が孫に「前の人の足元を伝って一番前に行け」といい、孫はチョコマカとくぐって出ていった。

開演時間ぎりぎりに来て、早くから来ている人を出し抜いていく術を覚えた孫は、人を出し抜けなかった時、「一番の被害者は私だ」というのだろうか。

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2006年11月 3日 (金)

大道芸

Img_0021 あんまりテレビが騒ぎ立てるので、大道芸を見に行ってきた。

1,992年からだと言うから、今年で16回目になるのかな。今では秋の行事として定着した感がある。

昼ご飯を済ませて一休みした後、自転車に小さな脚立をつけて、エッチラオッチラ漕ぐこと15分で駿府公園に着く。

着いて見ると凄い混雑。天気の良いのもあるが、男のトイレさえ長蛇の行列を作っていた。これは、昨年より凄いとことだぞと身構えて入ったが、どのパフォーマンスも黒山の人だかりで中が見えない、後ろから見るために持ってきた脚立も今年はもっと高い脚立を持った人がいてなかなか見せてもらえなかった。

夕方までいて、ようやく幾つか見たが、なんだか今年は数が少ないような気がした。それで余計に人だかりがしていたのだろうか。

もしそうだとすると、見物人が飽きたのではなく、出演者が飽きたのかほかにもっといい所があったのかになるが、後者だとすると運営方法を考えなくてはなるまい。

Img_0008 あまりの人出のため、少し木陰で休んでいたが、その場所から丁度頬っぺたにペンテイングする所が見えるので、しばらく覗かせてもらった。

一人5分ほどで仕上がるとのことだが、ここも子どもでいっぱい。しかも並んでいる子どもはほとんどが小学生の女子らしい。

書いてもらっている表情が、また真剣そうに見えて良い。女の子はもっと小さいころから化粧と言うものに興味があるんだということが見て取れる風景である。

今日見ての感想は、中国人の綱渡りと、ここ毎年来ているオランダ人グループの”ベンチャー”が飛びぬけていたように思う。

とくに、ベンチャーは、昨年まで門形の櫓でやっていたが、今年はクレーンに変えていた、毎年来ているだけに趣向を変えなくてはならないと、クレーンにしたのだろうけど、する方としては、計算外のゆれがあり難しいと思うが、自分としては門形のほうが良かったように思える。

ちょうど、日没時で夕日を浴びての芸は神秘的でもあり、これは良かった。

空には半月の月もかかり、会場のあちこちに大きな行灯がつきだし明るく輝きだしたころ、カラスに誘われるようにして、チャリンコにまたがりまだ賑やかな会場を後にした。

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2006年11月 2日 (木)

奥歯に物がはさまった、、、

P1010003_1 稲刈り、脱穀も終わって、雀の大群も食べ物が急に減ったことを不思議がっている様子。

この春、大量に生まれた小雀もこれからが試練の季節になるそうだ。雀は留鳥だと思っていたが、食べ物関係か随分と遠くへ行くのもいるとかで結局は、食糧難で追い出されているのかな。

このうち、いくつが無事春を迎えて子育てできるやら、、、

二~三日前から、奥歯のどこかに物が詰まっていて取れない。爪楊枝でつついてみるが取れないので、歯医者に行ってきた。

ごく小さいものだったが、気にしだすと違和感があって、舌がそこに行きたがり、あまりしつっこくやると舌先があれて食べ物が美味くない。

歯医者の方では、いいカモが来たと見たのか、「詰まったものを取って」と言ったのに、あれよあれよとレントゲンを撮り、此方も悪いので治療しましょうと構い、「来週もどうぞ」と送り出された時には予想外の出費になってしまった。

まさに、「奥歯に物がひっかかっている、、、」ときに口をあけさせ、ろくにものを喋れなくして、トントントンと手際よくやられた感じである。

若いころは、食事の後爪楊枝を使っている中年の人を見ると「人前で歯をほじくるとは失礼な、普段、礼儀だ作法だと言ってるくせに偉そうな事いうな」なんて思っていたが、最近では我慢が出来ない身の上になってしまった。

もともと歯は丈夫で、ビール瓶の蓋を口でこじ開けたり、少々のものは前歯で噛み切って自慢していたのだが、歯茎が悪かったのか、綺麗な言葉で言うと歯周病(むかしの言葉で言うと汚らしい)というやつにやられてしまった。

そのため三年前、虫歯でもない歯を土台が駄目だからと奥のほう5本を抜かれてから詰まるようになった。どうやら、歯というものは奥を抜くと移動するものらしく、あちこちに隙きまができてしまった。

人の身体は敏感なもので、多分詰まったものもごく小さいものだったと思う。同様に、靴の中に1mmほどの小さい石があっても気になって取り出さなければならない。

そこへいくと、耳や鼻、挙句には舌にまで穴を開けて金属片をさしている人たちはどんな感じなのだろうか。

その辺は未経験なので分からない。ただ言えることは入れ墨を含めて「未開の野蛮人」といわれた人々がやっていた風習であり、昨日逮捕されたカリスマと言われた人も、衛生面(医師法とか)で問題があったようだが、五体満足をあえて傷つける必要がどこにあろう。

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2006年11月 1日 (水)

チョットおかしい

P1010021 今年は、秋はちょっとおかしい。

まず、赤トンボがあまりいない。本当なら竹の先が足りないくらい群舞していなければならないのに、、、、(マスコミが騒いでいないので、自分の目の前だけの現象なのだろうか)

そうなると、「色即是空 空即是色」の世界になり。仏の世界に足を踏み入れてことになる。

本来なら、10月の上旬に実らなければならないアケビが今ごろになってあまり多くないが口を開いていた。今年は裏年らしく、出来が悪いとは思っていたが、盛りのはずの時期に見ていないのだから、遅れていたようだ。

また、麻機沼の高台にある山帽子の実が、いま二度目の実を熟れさせている。

公孫樹の葉っぱがまだ青々としている。銀杏は熟れたらしく農家の庭先の笊に入れてあったのに、、、、、、

静岡の週間天気予報をみていたら、最高気温は21~3度くらいまで下がっているが、最低気温が14度くらいまでしか下がっていない。

最低気温が低くならないため、紅葉が起きないのだろうと思う。

「なんか変だなあ~」と思っているのは自分だけか、今日の散歩も半そで一枚で汗ばむ、もう11月だよ。

長い"小春日和”というにはちょっとおかしい。年寄り特有の気ぜわしい現象なら良いのだが、、、、、

「温暖化?」今年は灯油が高くなりそうなので、天が味方してくれてるのか。

だといいんだけれど。

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