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2006年11月20日 (月)

信仰心が足りない

Img_0060_3 そのむかし、信濃の国に信心の浅い女がいた。

あるとき、千曲川の川原で布をさらしていると、牛が現れてその布を角に引っ掛けて走り出した、女はそれを追っかけて気が付いたら善光寺に来ていた、という。

牛は、善光寺の観音様の化身であり、女の信心を深くさせるためにしたことだといわれ、後ほどこの地に観音様をまつり「布引観音」と言われるようになったそうな。

なんども、この付近に行っていたのに、自分も信心の浅い身。ここ2日間は久し振りの深酒にひたった罪滅ぼしを兼ねてお参りすることにした。

昨夜来の大雨も上がったようだが、何時降りだすか分からないような天気なので傘を持って、駐車場を出発した。

布引観音は、千曲川がその北側に当たる御牧台地を削り高い所では200mにもなる崖を作っている。その一部に御牧から流れ出した小さい谷が崖を深く削っているところの中腹にある。

参道は、台地を形成している円礫凝灰岩や泥岩を削って作られており、雨で濡れた落ち葉がその上に積もって滑りやすく、歩きにくい山道になっている。

10分ほどで仁王門に着くが、ここに到るまで善光寺までつながっている岩穴とか牛や馬の形を現しているという表示板を見るが,どう見ても分からなかった。想像力の足りなさか、信仰心の欠如のせいか。

そして、仁王門の中にも大きな草鞋らしいものを見かけただけで肝心の仁王様が見えない、これも信心が足りないせいで見えないのかと思うと恐ろしい。

しかし、そこから見た朱色の観音堂は切り立った崖にはめ込まれて、これに紅葉が重なれば言うことなしの景色。(写真上)

お寺の脇まで上がると道は横道になり、岩をくりぬいた四角いトンネルの先に観音堂があった。張り出した手すりの外は登ってきた参道や本堂を見わたせ、その奥脇に暗い通路が「おいでおいで」と招く。

招かれれば、野次馬根性が我慢できない、暗い穴をくぐって向こう側に出る。すると、崖を削って作った道が頂上へ。槇柏(シンパク)の木の下をくぐり、手すりにつかまり、岩を削った足場を登って、中腹の展望台にいたる。

ここでは、真下に千曲川が流れ、その対岸の向うに小諸市の中心部が見えた。それからは道もジグザグと折れ曲がるもののなだらかになり、台地の突端、一応頂上に着くが展望もよくなく風が出て雨も余計に降り出したので早々に下山することにした。

Img_0074 帰る途中、車を止めて布引伝説の元になった崖に白い帯が連なっているのを眺めた、地質的には地層を断ち切る形の模様なので断層なのかどうか、一度近くによって見てみたいものだ、と思いながらも、これでは信仰心は何時まで経っても身につかないわけだ。とおもってしまう。

午後静岡に向かう。野辺山を越え清里に入ったとこImg_0076_1 ろで、141号線から2kmほどわき道に入ったところにある一軒家の蕎麦屋「北甲斐亭」へに立ち寄る。

いつものように「天ざる蕎麦」に舌鼓をうって、意気揚々と還御する。

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