« くれそうでくれない | トップページ | いずこも同じ秋の夕暮れ »

2006年11月13日 (月)

仏の座も高くつく?

Img_0078 この花の名は仏の座(ホトケノザ)と一般に言われている。

春の七草のひとつと思っていたが、春の七草の”仏の座”とは別物だそうだ。

春の七草で言う”仏の座”とは田平子(タビラコ)という別名を持っている草で、花も形も全然似つかない植物だということを最近になって知った。

まったくややこしいことをするもんだ、おかげで生葉を口にしてみたが、すこし薬っぽい味がして「うん これなら食べられないことも無いな」と思ったのが恥ずかしい。

なにせ、育ったところが山奥の町、春4月まで雪に覆われているため、春の野山は草木が一斉に芽吹き、いちいち小さな草にはかまけていられないため、あったのか無かったのかしらないのだ。春はいそがしい、”春の七草”が何たるかは耳学問でしか知らずにきた。

かててくわえて、仕事中は植物になぞ関心がなかったせいで、見れども見えずの状態だったのでいらぬ恥をかいてきたことになる。

さて、日本では死後 成仏するという大乗仏教の考えから、ほとけになるという考えがある。

一般の人が死んだ場合、戒名と言うものが付けられるが、自分の場合、宗派は曹洞宗なので、信士とか居士が末尾に付くと思う。

田舎の和尚と話していたら「80歳まで生きたらそれなりの修行を積んだので居士は当然よ」とのことだったので、そんなものかと思っていた。

ところが、こちらで親戚の葬儀があった際に「連れ合いが居士なので見合った戒名をつけてください」といったところ「大姉をつけると戒名代が高くつきますし、後の付き合いが大変ですよ」といわれつけられなかった。

つまり、「あんたんとこ程度では、これは無理だよ、欲しければ金をもってこい」と、言われたようなものだった。

”地獄の沙汰も金次第”なのだ。もちろん、戒名と仏とは関係が無いそうだが、仏の座がいっぱい余っているなら、あの世へ持っていく金はないけれど、どいつかひとつ座らせてもらえないものかね。

もっとも座ったら座ったで、座り心地が悪くてじっとしていられないことは分かっているんだけれど。

今晩は仏様にご無礼を申し上げたが、くれぐれも根に持たないでほしいものだ。

|

« くれそうでくれない | トップページ | いずこも同じ秋の夕暮れ »

コメント

ナベショー様
私もつい最近(昨年)知ったばかりです。

知らずに生葉を口にして見ましたが、食べられない事は無いようです。
苦いとか辛いとかの味ではなく、薬っぽい味でした。

違う草なのに同じ名前を持ったものが他にないか調べて見たいものです。

投稿: オラケタル | 2006年11月16日 (木) 21時11分

春の七草の仏の座が田平子という花だとは、知りませんでした。
この仏の座とばかり思い込んでおりました。
そうと知らなかったら、来春には茹でて和え物にして食べるところ、、、

投稿: ナベショー | 2006年11月16日 (木) 20時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/12670328

この記事へのトラックバック一覧です: 仏の座も高くつく?:

« くれそうでくれない | トップページ | いずこも同じ秋の夕暮れ »