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2006年11月19日 (日)

若干の余裕も無く

Img_0050 一位、イチイとは木の名前である。(写真)

そのむかし、飛騨の国から朝廷に献じられた赤くて硬いこの木を、聖徳太子の絵にもあるように両手で持っている杓として使われたことから付けられた名だというが、別名のアララギの方が有名かもしれない。

もっとも、アララギは文学界では知られていても、それが木の名前だとは知る人が少ないのだから、どっちもどっちか。

この木の実は、小さな種を核としてその周りに柔らかい甘い実をつけるため鳥は勿論、子どもたちも抓まんで食べる。

この木は、成長が遅く我が家にある2本の木も、30年ほど経っているのにいまだに太さが根元で10センチにも満たないでいる。そのため、「飛騨の木」として、みやげ物に使われる一位細工の原木は最近北海道から持ってきていると言われるくらい、少なくなってきた。

標高950mを越す山懐の春日温泉の温泉街も(と言っても六軒しかないが、、)今朝は曇っているため気温はさほどでもなく、霜が降りていなかった。

朝起きぬけに、周りの散歩に出かける。玄関を出たところの両側に「右近の桜、、」ならぬ「右近のドウダンツツジ、左近の一位」がたっている。

ドウダンツツジは、少し盛りが過ぎて上のほうが散り、枝が出ているものの、まだ真っ赤に色づいており、左近の一位は足元に赤い実を散らばかせながらもクリスマスツリーのイルミネーションのような実をつけている。

少し降ったところから入る源泉を見に行くと、湯量が豊富なせいで、温泉が湯気を上げて75mmのパイプから捨てられている。しかし、手を触れてみるとアルカリ温泉の特徴であるぬるぬる感が強いものの、熱いという感じがしない。鉱泉だが外気が低いせいで湯気があがっているのだ。

散歩の汗を朝風呂で流し、食事の後宿をでて、立科町のりんご農家に向かう、毎年のことなのですっかり顔なじみになった農家は、「親類価格だよ」なんてくすぐりも充分に聞かせて出してくる。

P1010046 もう霜が降りていることもあって、ほとんどとり終わっているので摘み取りは出来なかったが、りんごは球をつかみくきと枝の境目に指を置いて上に上げれば簡単にとることができる、しかしその後、傷が付き痛みやすいため細心の注意が必要なところは、みかんと逆な関係があるようで面白い。

そんなこんなで、各自 自動車の中は詰めるだけのりんごと新米、それに若干の野菜をで満杯にし、今回最後の食事会のあとそれぞれの方向に買出し部隊は四散した。

雨は、しだいに本降りとなる。

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