ふるさとの汽車 廃線
写真は野茨(ノイバラ)。赤い小さな珠をすっかり葉を落とした枝の先端につけている。
花は6月、真っ白な八重咲きを密集させていたが。薔薇の仲間だけにその匂いは微かながら芳しかった。
今日、テレビを見ていたら、ふるさとの山あいを走っていた汽車が今月いっぱいで廃線になるため、感謝イベントが開かれ、鉄道マニアが押しかけていると言っていた。
高山線猪谷駅から約20km。盲腸のように突き出た鉄道が開通したのは昭和41年だった。急峻な川沿いを走るため、六割以上がトンネルのため地下鉄みたいと言われた。
どこの鉄道もそうであったと思うが、この地方も名にしおう豪雪地帯でしばしば陸の孤島状態になったことや、終点近くの鉱山の製品搬出などが目的とされ、長年の悲願であった。
そのため、着工が決まった昭和31年だった頃からと思うが、記念の駅伝がこの区間を往復する形で開かれ、生まれ故郷を高校生部門の区間賞で走りぬけ、晴れがましい思いをしたことがあった。
それから10年後に開通、昭和59年から第3セクターに移管。丁度40年後に廃線することになった。
そのあいだ、世の中は急速に変遷した。駅伝で走った当時の国道41号は自動車の轍がへこんでいる未舗装道路だった。
鉱山も従業員が三千人はいたし、その家族を含めて二万七千人の人口はもうすぐ町から市になるかとさえ思えた頃であった。
いま、この鉄道も思い出だけを残して、 役目を終え静かに消え去ろうとしている。
ちょうど、野茨の実を見て花を思い出すように、、、、、、
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