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2006年12月12日 (火)

名残りの磯菊

Img_0136  磯菊が店じまいにかかっている。

先月の半ばに花芽を出して、たちまち黄色い小さな花を密集させて咲いていたのだが、ほかのものに変わられてブログに登場する機会がなかった。

しかし、黄色い花の部分が残り少なくなってきたので、名残りの一枚として登場してもらうことにする。この花、何かに似ていると思って眺めていたが、ようやく「ふきのとう」だと気が付いたのはごく最近、あまり、黄色い色のほうに関心が行っていたため分からなかったみたい。

そしてもうひとつの特徴は葉っぱの縁を彩る白いふち模様。丁度今頃だったか、南伊豆の海ぎわの現場を囲むように咲いていたのを思い出させる。

話は変わって、西洋漫画に見る日本人と言えば、背が低くて出っ歯、眼鏡をかけてカメラを首からぶら下げている。図を見たことが何回かあった。

どちらかと言わなくてもマイナスイメージが強く、白人種の優越感を表しているものである。

そうしたなかで、日本人も最近では食糧事情のためもあってか、背も高くなり顔つきも従来の日本人離れをした顔が増えてきたように思う、しかし、眼鏡人口は、相変わらずのようで眼鏡屋さんは大繁盛している様子だ。

日本人の目はそんなに悪いのだろうか。

先日、テレビで”のすり”と言う鷹の仲間を写していたが、この鳥は、150m先のモグラが自分の巣穴の土を押し上げる僅かな動きを見て、捉まえるといっていた。

”鵜の目 鷹の目”というくらいだから鳥の目は特別なものがあり、哺乳類は色の判別が出来ない色盲がほとんどで、目は全体的に良くないという。

しかし、アンデスの山中で働いていた現地の人は、10kmくらい先にいる人がニーニャ(チキチーター)かセニョリータかで懸け、よくとおる口笛を吹きたてていたことがあった。

自分は当時視力1,2の平均的日本人だったが双眼鏡で覗いても羊の群れと羊飼いが一人いるらしいくらいにしか見えなかった。

結果として午後になって羊飼いは近くまで来たが、小学生クラスのニーニャーだったためガッカリしていた。多分そこまで見通せる彼らの視力は6とか7クラスだったのだが、おなじ黄色人種の子孫でありながらこの差はなんだったのか。

この付近では、当時(今でもそうだと思う)電気もなく日が暮れると寝てしまう生活だったことから、日本人の目は電気が悪くしたのだろうか。

文明とは、かくも人間の能力をだめにしてしまうものなのだ。というのは言いすぎか。

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