冬ここに至れり
今日は冬至である。当然のことながら自分のところではお日様が朝寝坊している。昨夜あんなに早く寝たのに、、、、年末も迫って疲れているんだろうな、雲の厚い布団にくるまって何時までも起きてこない。
「おおい、朝だよ。何時までもぐずぐずしてると眼が流れてしまうよ」って、そのうち「まだかい、早ようせんと遅れるがな、、」「なんに遅れる?」半分夢の中で聞いているんだろうな。
先日、早起き(といっても日の出が遅くなって七時近くでないと顔を出さない)して、旭日を拝もうと出かけてみた。
「朝日を拝もうなんて、年だね」と心につぶやいて、、、外は放射冷却で冷え込んでいる。まぶしい太陽が少し顔を出した所で振り返れば、道路上に足長おじさんが仰向けに寝そべっていた、長い長い道路の上に足の長い長いおじさんが、何も語らず、、、。
早いもので先日つけた朝鮮漬けが漬かり始めた。(写真は漬け込んだときのもの)
今年は、白菜が安く手に入ったので、少し多めに漬けてみたが暖かい静岡では、すぐに発酵して酢っぱ味が出てくるので、一月前半までに食べきらなければならないだろう。
雪国は冬になると農作業も屋内で出来るものしかなくなり、行動の自由を奪われるので囲炉裏やストーブ、炬燵を囲んで話しの花を咲かすのが日課となり、今日はあの家,明日はこの家と渡り歩いて酒の肴に漬物を賞味しながら語り合う。
女の人は当たり障りのない世間話や料理の話しが多いが、男同士になると政治や仕事の話から下ネタまで広範囲におよび、耳学問まで入り混じると口角泡を飛ばす状態になり、皆いっぱしの弁士になってしまう。
こうした付き合いを自分たちは”漬物文化”といっていたが、この漬物文化に一番遅く入ってきたのが朝鮮漬けだと思う。
これを始めて漬けだしたのは、昭和30年代朝鮮から戦争中に徴用されてきた人たちに習ったもので、いまのキムチのようにゴタゴタと何でも入れると言うものではなかった。そのため自分ではいまだに朝鮮漬けと呼んでいる。
日本は、先日も書いたが”葷酒山門に入らず”を守ってかニンニクの匂いを嫌う風習があったが、朝鮮ではニンニクを多用している。
仏教と儒教のちがいだけなんだろうか、気候風土の違いなのだろうか。いまだに分からない。
くどいようだが冬至の夜は、冬至かぼちゃに柚子の風呂!暖まった所で床に入れば風邪知らず。(ノロウイルスにも効くといっていた)
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