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2006年12月25日 (月)

ふじのふじのみや

Img_0076_2 山に食べ物がすくなってか、庭先の蜜柑にヒヨドリが連日やってくる。

灰色の地味な衣装で警戒心の強いこの鳥は、蜜柑をつつきながらも、家の中にいる自分をいつも見ているらしく、少しでも動くと”ピピイッ”と甲高く鳴いて飛び去り憎たらしいこと限りなし。

おなじ、蜜柑を突付きに来てもメジロは、よほど危険を感じないとその場から離れないし、つがいで来るのも愛らしくてニコニコと笑って眺めている。

このメジロを体格の差で追っ払う、集団で来て甲高く鳴き騒ぐぎ、糞を撒き散らすなど、ヒヨドリはすっかり憎まれ役を買っているが、彼らだって恐い人間の側には来たくないのだろう、しかし、「背に腹は換えられない」といったところか。

しかし、よそ目ではメジロに対して「俺は強いぞ(偉い)」といっておきながら、それより強いものにはオドオドとした態度をとる人間臭い鳥に見えるのは、擬人化のしすぎか。

Img_0058 もう30年ほど前になるが、”テレビ静岡”という地元テレビ局が夕方?になるとよく流していた歌に「御殿ばあさんのうた」というのがあった。

ふじのふじのみや ごてんばあさんおって

富士(市)の富士宮(市)    御殿場(市)さんおって

ふじぐんぐんぐん  いはら うはら すそのにおりてきて

富士郡ぐんぐん       庵原(郡) うはら 裾野(市)に下りてきて

すんとうしてたら こりゃぼうず、、、、、、

駿東(郡)してたら   こりゃ坊主、、、

こんな調子で静岡県の市と郡を東西に分けて上手く歌いこんだ歌だった。

歌詞も面白かったが、曲も軽快で良かった。来たばかりなので地名などを覚えるにも都合がよく、よく聞いたものだった。

ところが、平成の合併により郡や町が無くなり「ここらを昔は富士郡といったようだ」などというようになって、この歌詩も、次の世代では研究者にしか分からない歌になってしまいそうだ。

町村が無くなり、小さな市も大きな市に呑み込まれなくては財政的に自立できなくなってしまう。そうした中で、小さな集落ではきめ細かな施策は望むべくもないし、ひょっとすると市長が「うちの市にそんなところがあったのか」と言い出しかねない事態になりかねない。

よく、財政改革というと、議員の数を減らして、、、というがきめ細かな施策を施すには議員の数を減らすのではなく、歳費を減らすことで対処できないものだろうか。

「そんなことすると議員のなり手がいない」といった人がいたが、議員なんてものは地方の世話をしたい意欲の持った人がするべきで、地位や名誉や勲章、収入や議員年金のためにやるものではないはず。

そんな人が得てして人より偉いと思い込んで威張った行動をするもんだ。

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コメント

慶ちゃん

動物は人を含めて、食欲が命より大事な時があります。
戦後の、食糧難はそんなことを実感させる時代でした。

あの、用心深いヒヨドリもよほど餓えているのでしょうね。

投稿: オラケタル | 2006年12月27日 (水) 08時09分

すごいですね。よく鳥を写真でこんなに綺麗に撮れますね。望遠レンズで撮るんですか?家にも鳥が来るので挑戦したことがあるんですが、全然撮れません。逃げられたり、ぶれたり。ヒヨドリは困りますね。なんであんなに糞が汚く散ってしまうんでしょうね。声も聞き苦しいですが。今鳩が庭に来ています、ペアなのでまた巣を作ると思います。

投稿: | 2006年12月26日 (火) 21時46分

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