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2006年12月 4日 (月)

野辺山は氷点

Img_0112_1 この木の実、多分錦木(ニシキギ)と思うのだが、ニシキギの特徴である枝にエラが出来ていない。

切られ切られても花を咲かせ、実をつけている様は修身の教科書にでも出てきかねない風情である。

多分先日までは、赤い葉を名前のとおり錦で飾っていたに違いないだろうが、長野の寒い霜にあって散らしたものと見える。

3日、法事はこの土地の古刹”津金寺”の若い(多分)和尚によって行なわれた。天台宗は自分の周りではない宗派なので、葬儀以来めずらしく見させてもらっている。

この和尚は、天台宗の本山延暦寺で修行されてきたとか。いまだ、学僧的な雰囲気が漂っていて、ほとんどが年上の人であろう参会者に熱っぽい口調で話していた。

自分の気持ちの中では、延暦寺と言えば真言密教、呪術的なお経で国家護持を主体とし、世間とはかけ離れている宗派という印象が強いだけに、いろいろと聞いてみたが、やはり、近代では世界情勢や他派の宗教についても研究はされているようだった。

また、葬式など法事の執り行い方も、自派の宗教一辺倒の所はなく、その土地ごとのやり方に合わせるため、神道、仏教、古来の習慣が交じり合ったものになっているなどとも、、、。

一切の法事が終わり、挨拶や買物を済ませて長野を出発したのが、三時半を過ぎていた。

陽は山の端に傾き、眩しかった夕日が沈むと日脚は早い、峠の手前海ノ口辺りから道路脇に白いものが見え出した。

「急いで、野辺山を越えなければ」の思いが強く気がせく、去年はスタッドレスタイヤだったが今回はまだ普通タイヤである。

野辺山の峠にようやく着いたときはかなり暗く、道路脇の温度計は氷点下をさしている。

小説の氷点とは違うけれど、重苦しさは共通する。若いころ飛騨で氷結道路の恐さはなんども経験し身に染みている。こんなときは、恐さを知らない方がかえって良いのかもしれない。

幸いにして道路は氷結した様子もなく通過し、ホッとしたのは、清里の急坂を降り切ったあたりから、暗い夜道がなんだか明るく感じたから不思議だった。

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コメント

残念でした。
隣の飛騨生まれです。夏涼しく冬寒いという点では変わりないのですが、飛騨と信州は雪の量が違います。

信州は、連れ合いのふるさとです。

投稿: オラケタル | 2006年12月 8日 (金) 06時49分

今深夜に失礼します。貴方様が長野方面かな?私は北海道で、生まれまして、東京32年居る。

投稿: 猫ちゃん | 2006年12月 8日 (金) 02時37分

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