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2007年1月31日 (水)

ケリの白い腹

Img_0091 あぁあ、早いものだ、一月も今日でおしまい。

気温も3月並みの15度まで上がった。冬の商品を扱っている所は大変なんだろうな、と同情をもうしあげる。

今日は久し振りに”おまち”(静岡では駅を中心にした市街地を女の人が言う)に一寸した買物がしたくて行ってきた。

本当に久し振り、駿府公園まではちょいちょい行くにだが、そこから先は大道芸以来だろうか、とすると、約3ヶ月行っていないこにとなる。

いま市街地もかなり変貌しているようだし、なんだか新鮮味がある。しかし、デパートの商品は相変わらず高い、包装紙が大事とばかり少し高いと思いながら購入した。(またしばらく行くもんか)

午前中、麻機田んぼの中を歩いてみても、春の気配は次第に濃厚になってきて、ケリが寄り添って歩くようになった。

この鳥は、地上にいるときは薄い褐色をしているため、田んぼの土や枯れ草にまぎれて分かりにくい存在であるが、もう少しすると卵を抱き始め警戒心が強くなる。

P1010067 甲高い声、「ケリケリケリ」と名前を名乗りながら侵入者を追っ払おうとする。相手が自分より大きなカラスは勿論、人間にまで急降下をして威嚇するようになる。

子どもを守る一心の行動で感心する一方、急降下されると腹が立つのも確かで、ときどき石を投げてやる。

このときは、上空にいるため、仲間の千鳥同様真っ白な腹を見せて飛んでいる。

いま、柳沢厚生大臣が批判の矢面に立っている。講演で「女性は子どもを産む機械だ、、」といった発言が元だった。

この大臣、やっとこの間まで「ホワイトカラーエグゼンション」なる難しい法案を出そうと懸命になっていた人である。

日本語に直すと残業代なし、とでもいうか、ある程度の収入のある人は残業代を企業の都合でなくしても良いとする法案で、経団連あたりが要望した法案だったが、過労死問題などを含めて世間の反発が強かったので参院選の影響を考えて首相が幕引きを計った際にも抵抗したようだ。

「女性は子どもを産む機械」発言は「経済の方を永くやってきたので、たとえ話として引用した」といっていたが、エグゼンションも労働者を機械みたいに見ていた、と何か通じるものがあるのではないだろうか。

本来、厚生労働大臣は国民の健康を真っ先に考える人でなきゃならんはずではないか。

ケリは、普段は保護色に身を隠していても、ときどき見せる腹は真っ白だが、国会議員全てとは言わないけれどかなりの人がチョッキの下の真っ黒な腹を見せては隠す。

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2007年1月30日 (火)

うそっこにしよう

Img_0112_3 本当に久し振り、鷽(ウソ)を見た。丸っこい身体、喉笛を赤く染めてポーポーと小さな声で鳴いていた。

この鳥は、涼しいところが好きらしく夏場はモミなどのある高い山で時々いるが、木が茂った中なのでめったに見ることがない。

しかし、山が寒くなって食べ物がなくなると大挙して降ってくるらしく、春先になると沢山目に付くようになり、小学校高学年の頃から鳥もち付けた竿をもって、木の枝越しにくぐらせ、よくとった覚えがある。

姿かたちは文鳥にも似て綺麗でだったが、雀と同じ形の口は大食漢で、膨らみ始めた桜の蕾など何羽も来て瞬く間に食べつくし、花の咲かない木がある年まであるくらいなので、嫌われもした。

しかし、名前が”うそ”ということから、鷽替え神事といって悪いことを嘘に変えて貰うときは、神さま扱いにされる。

「いまのは練習だよ、うそっこだよ」という言葉もこちらに来て始めて知った。静岡だけの言葉ではないが、大人まで”うそっこ”という言葉を使うので驚いたことがある。

今日も、リッチランドという会社の会長ら17人が逮捕された。嘘の投資話で桁外れの金(五百億以上)を集めたそうだが、5年間で二倍以上にして返す言うのが売り文句だったそうだ。

これらの記事を見て何時も思うのだが、騙す方もそうだが、こんな話をなぜ信用するのだろうか。

前にも書いたことがあるが、杜撰な管理をして泥棒しようという心を起こさせる人が悪いという考えもあるのだ。大事な虎の子ならもっと慎重に扱う必要があるだろう。

騙された後、「いままでのことは嘘っこにしよう」といわれても、ポーカーフエイスでいられるくらいでなきゃ、競馬などの博打や投資をするべきじゃない。博打や投資、先物買いは、余り金でするものだ。

被害者には一寸酷かもしれないが、確実なうまい話なんて、眉に唾をつけてても、尚渡らない方が良いと思う。

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2007年1月29日 (月)

プヤライモンディ

Img_0002 家から竜南小学校を回り真東に向かった。東高校の前を突きっきり瀬名の川伝いに土手を登っていく。しばらく行くと利倉神社という、このあたりの鎮守の神様がある。

祭りの時期には賑っているが、今日みたいに普段の日は人っ子一人いない。

昨年夏の祭りには、孫たちと寄ってみたことがあるが、その時子どもたちの幾人かが裏山に上っていくのを見て気になっていたので、尾根に通じる道でもあるかと登ってみることにした。

上り口は、ごく目立たないようにつけられている。ジグザグに登って神社の木立より高い位置に来たので標高で50mくらいか、突然道は荒れて行き止まりになっていた。

そこは、もと畑でもあったか少し広いところがあり、子供用の椅子と足が無く背もたれだけの椅子が一脚ならべておかれていた。

そして、その脇に雨露を避けるためらしく、絵本が10冊ほど入ったビニールの袋が写真のように広げてあった。

雑木が回りに茂っていて見晴らしは良くない。こんな場所でだれが何をしていたのだろうか?

ビニールをすかして見ると幼児用の絵本ばかりらしい。椅子が二つということは幼児を連れた親なのか、じいじばあばなのか。どうしてこんな所で詠み聞かせをしているのか。

事情を聞けば案外単純な理由かもしれないが、聞きたくても誰もいない場所では、いろいろと疑問が湧き想像が広がっていく。

よく、テレビを見るのに対して、ラジオ聞いたりや本を読むというのは、聞いたこ読んだこととを元にして、想像を膨らませ、考える力を育てるという。つまり、テレビは視聴覚全てを与えられるため、創造というものが無いといわれている。しかし、こんな謎めいた現場では、果てしなく世界が広がる

なぞがなぞ呼ぶ○○事件である。

Img_0069_1写真はヤナシラ峠でプヤ(PUYA)に寄り添った自分)

 そして、昨夜は懐かしいものを見た。NHKの”ダウインが来た”という番組にアンデス山中のプヤ.ライモンデイという世界一高い花、百年に一度しか咲かない花ということで放送していたが、自分が行っていた所の傍だったと思われる場所が映し出されていた。

慌ててアルバムを引き出してみたが、アンデス最高峰、アコンカグアの山の形がよく似ていたのでその感を深くした。

標高四千数百メートルのヤナシラ峠は峠とは言いながら広い草原のようになっていた。

そこに点々とプヤ(槍の穂先)が巨大な花を咲かせている。長い槍の穂に何万という花は壮観であImg_0100_1 った。テレビを見ていたら当時のことが甦り、丁度来ていた孫たちにアルバムを繰りながらいろいろと追加説明をしたが、後になって考えればはた迷惑だったろうとおもう。

もう一度行ってみたいものだが、夢のまた夢をなのだろうな、、、、

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2007年1月28日 (日)

カラスがあればスズメも

Img_0134_1 写真は烏宛豆(カラスノエンドウ)である。当然かもしれないがもっと小さい花で雀宛豆(スズメノエンドウ)というものもある。

この花も普通ならもっと遅い時期の花だが、もう家の近所の田んぼに蓮華草なんかと一緒に咲き出している、やはり、今年は暖冬なんだな。

本名は矢筈の宛豆というらしいが、世間的には”烏の宛豆”という通り名の方が知られている。

辞典によると、古代地中海の方では麦とともに栽培され、食されていたようだが次第に野草化し雑草になった草のようである。しかし、中国などでは今でも好んで食べられているそうだ。

もっとも、四つ足はテーブル以外なんでも食べるというお国柄だそうだから、つまんでみても柔らかいこの草は無理なく食べられそうだ。

いま、名古屋の地下鉄工事で日本を代表する大手の土木会社が絡んだ談合疑惑が持ち上がり、捜査を受けている。

土木工事の一端に携わったものとして、関心は高い。

静岡の会社に始めて来たとき、県からの天下りの人が風呂敷包みを抱えて、嬉々として(そのように見えた)今日は○○喫茶店で、明日はどこそこでと集まっては工事の受注会社を決めていた。

そこには、営業ということから随分とかけ離れた様子が察しられた。

その時から30年ほど、土木現場では日進月歩の勢いで機械化が進み、工事方法も変化してきた。しかるに、新聞記事を見る限りでは営業の方は全然進歩が無いようだ。新しいものを嫌うお役人根性の天下りのせいだろうか。

捜査の状況によっては、さらに拡大して日本の土木業界がにっちもさっちも行かなくなる可能性さえある。談合が何時までもなくならない原因として、もっとも大きいのはいつもトカゲの尻尾きりで罪を免れてきた、経営トップにあるのではないだろうか。

ここでは、天下り個人も使い捨てらしく、責任を押し付けて片付けようという魂胆が見え透いている。

最近では、不祥事を起こした会社が必ずやる、経営者が頭を下げる風景は勿論、辞職などする気はさらさらないことは確実だろう。

国としても、そこまでして欲しいとは思うが、政府や検察は影響が大きすぎるので、どこを落としどころにして収束しょうかと頭を悩ましている、、、、、というのは、考えすぎだろうか。

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2007年1月27日 (土)

仲良きことは微笑しい

Img_0012 むかし、というほど古くは無いと思うが、食器、とくに皿に野菜や果物の絵とともに「仲良きことは美しき哉」と毛筆書きをした物がよく売られていた。

そして、その脇には実篤と画賛というか、書名が入っていた。この署名から当時、作家の長老、武者小路実篤先生のだと何の説明が無くても分かっていた。

家の軒先に吊るした蜜柑にメジロが毎日やってくることを前に書いた。先日この話を長野の人に話したら「なんてもったいないことするの!今年はやたらと高いのよ」といわれたが、この蜜柑は、山を散歩しているとき道端に捨ててあるのを拾ってきたものである。

鳥たちは、どういうことか分からないが皮がきれいについている蜜柑を突付かない。(皮にきらいな物質か匂いがあるのだろうと想像しているが、、)

そして、毎日、軒先の蜜柑に来るメジロを見ていると僅かではあるが特徴のあるものがいて、少し区別が出来るようになった。性格も用心深いのとか、意地悪なものとかがいて、人間臭さを感じさせる。

また、「目白押し」という言葉があるが、つがいまでが精一杯で何羽も一箇所に群がることはついぞ見たことが無く、ひとつの蜜柑を半分に割っても、もう一羽が来ると追い払うものまでいるくらいである。

それが、珍しいことにひとつの蜜柑につかまって仲良く食べているのがいた、春が近づいて恋心が芽生えてきたのか。毛づくろいまでし合っていた。

見ていても、仲良きことは微笑ましい。

午後一時過ぎ、裏のバイパスで地響きを交えてドカンと大きな音がし、少ししたらレスキュー消防自動車が何台もサイレンを鳴らして下り線を逆行しながら上がって行く、多分流通センター側からは入れないのだろう。

降ってくるトラックとすれ違いに手間取りながら強引に入っていった。こちら側からでは見えないので事情が分からないが、そのうち報道のヘリコプターが三機、我が家の真上で旋回を始めた。

いや~、写真撮影のためだろうが、低いところで三機のヘリコプターの爆音は押さえつけるような感じの音であり、すさまじいものがある。

バイパスの車が動き出したのは三時間以上たってからのこと、テレビではわき見運転のトラックが追突し何人もけが人が出たとのことだが、本当にわき見だったのだろうか。

若い人が2人重体とのこと、何とか若さで回復することをを願っている。

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2007年1月26日 (金)

ザクッ グググッと(長者ヶ岳、天子ヶ岳)

Img_0041_1 ザクッ グググッと音を立てながら高度を稼いでいく。

今日は久し振りの山行きである。目指す山の名は長者ヶ岳(1,360m)登り出したのは田貫湖の東端の駐車場からであった。朝七時三十分、寒暖計はマイナス二度を指していた。

耳が冷たく感じるが心地よい寒さである。支度して登りかけたのが四十五分くらい、足元に雪は無いが3cmくらいの霜柱が心地よく潰れる。

900m過ぎたあたりから雪の量が増え、冒頭の音が響きだす。最初のザクッはつま先が雪に突っ込んだ音で、次のグググッは足の重心が移動するとき、凍った雪がきしむ音。

小鳥の声もなく、下界の音も伝わらずただ自分の足音だけがする、これは単独で登る山のいい所。

前回登ったのは、一昨年の9月8日だったから暑くて下着一枚になってしまったことを思い出した。今日は天気が良い上、木の葉が落ちているので背中に富士山を背負ったような感じで登る。見わたすと下の田貫湖が鏡のように太陽を跳ね返して眩しく光る。そして、この山に連なる北側の山(毛無山、雨ヶ岳、竜ヶ岳)は軒並み雲につつまれ、富士山は腰に藻裾を巻いたようにたたずんでいる。

これから登る長者ヶ岳の上空にも薄黒い陰が忍び寄ってきた。なんとか、雲の中に入る前に頂上にと、普段より馬力を上げたのがよくなかった。

Img_0034 九時半過ぎ、ようやく着いた頂上でばててしまった。そして、富士山は着いてから5分ほどで霧の中に沈んだ。頂上のベンチにビニールを敷き、脈拍の静まるのを待つ、下着が汗で濡れているが、取り替えるのをやめて途中で脱いだヤッケをまた着なおしたあと、1.5km離れた隣の天子ヶ岳(1,330m)に向かうことにした。

曇り空の中、道はダラダラ降りに下がり20分ほどで山梨県佐野から登ってくる最低の鞍部(峠)に到着、それからの登りが大変だった。

北向きの斜面のため積雪量が多くなり、目印も少ないので道がはっきりしない、尾根と見られる部分を選んで結構急な斜面を登った。

約20分も登ったか、急に傾斜がゆるくなって山頂かと思ったが、それから300mほど歩いて、ようやく頂上を示す看板に出会った。

Img_0045_1 見通しがきかないうえ、他より高いという感じも無い変な頂上だった。そこを行き過ぎると一寸した広場があり、檜の根方に石造りに祠と中央に瓔珞ツツジとそのいわれを書いた立て札があった。

Img_0046_1 ここに来て、始めて空が明るくなっていることに気がつく、”富士見平”という矢印に従って、富士の見えるところに行くと先ほどの雲が全然なくなっているではないか。

写真(上)にして、反対側の急坂を白糸の滝目指して降る。こちら側は南斜面になるため雪はほとんど無いが濡れて滑りやすい。慎重に降って広い尾根筋から道はゆるやかに何時までも降り、約1時間で林道に着く。

そこからの長いこと、駐車場まで約1時間20分。これが今日一番のつらい歩きだった。駐車場に帰り着くと午後一時三十分。約6時間の行程だった。

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2007年1月25日 (木)

カメリアでひとくくり

Img_0119_1 常緑樹の薄暗い藪の中を歩いていると足元に赤い藪椿の花がひとつぽつんと落ちていた。

そこだけが、奇妙に色づいているようで映画の一場面のようで奇妙な感じがした。

静岡市、国道1号に平行してほぼ東西に伸びる谷津山。その一番東側の愛宕山に登っている時だった。

愛宕山といっても標高は90mしかないのだが、その昔(今川氏のころ)駿府城の出城、いや、見張り台程度の砦だったと思われた場所跡に作られたお宮さんで、小さいながら今でも縄張りが残っている小山である。

椿の花は、花弁が丸ごとポロリと落ちるところから、武家の家では忌み嫌われてきたと聞いたことがある。「武士道とは死ぬことと見つけたり、、」なんて”葉隠れ”で格好のいいことを言ってみても、本心はそうでないことが分かり面白い

Img_0122尾根続き愛宕砦(遊園地)から見た富士山と愛宕山

山茶花と椿の区別はよく知らないが、一般的には前に書いたように花弁ごとポロリと落ちるのが椿、花びらがバラバラに落ちるのが山茶花、寒さに向かって咲くのが山茶花、暖かさを求めて咲くのが椿といわれているが、どこの世界にも例外はあるもので細かく言うとはっきりしない。

そして、西洋ではCamel Lia(カメリア)と読んで一緒くただというから、日本人みたいに繊細にみてどっちがどっちなんて苦労はしないそうだ。

さて今日は、初天神だそうだが、一方で菅原道真が右大臣から大宰府権師(ゴンノソチ)に格下げされたことにはちなんで「左遷の日」というそうだ。

いろんな記念日があるものだ。

サラリーマンにとって、左遷とはいたってつらいことであるし、悔しいことであると思う。甘んじて受けるか、辞表をたたきつけるか、二者択一をせまられる。

「他人の不幸は鴨(蜜)の味」特に羽振りの良かった人には、「おごる平家久しからず」とか、やっかみもあって野次馬は喜ぶ。

菅原道真は、左遷を受け入れたが、死後大暴れをして天神様という神さまに祭り上げられ再チャレンジ?に成功した。

今度の、首相は”再チャレンジ”に成功したといって、宮崎県の新知事を自分の方針に沿ったことのように言ったそうだが、自分ら与党が推薦した人物が3番目だったことに今後どう対処していくのだろうか。

まさか、再チャレンジの道をふさぐような事をしないだろうね、でないと神さんになってしまうよ!。

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2007年1月24日 (水)

紫雲英の花束を

Img_0132_4

この広い野原いっぱい 咲く花を

ひとつ残らず あなたにあげる

赤いリボンの 花束にして

やっとこの間まで家並みの外れたところにある田んぼには、蓮華の花が一面に咲き乱れ、新聞に毎年のように載ったものである。

蓮華は別名紫雲英とも書くが、見渡す限り桃色に咲いている様を、低くたなびく雲に見立てての付けた優雅な名前である。

子供づれの若い母親が、田んぼの中に一緒になって入り、茎から抜き取った花をひも状にして遊んでいるの通りすがりによく見た。なんか日本の原風景といった感じがし、ほほえましくおもったものだった。

いまその風景がどこかに消え去ってしまった。蓮華の花が咲いていたのは、種を撒けば補助金が出るからだった、と聞いたことがある。

Img_0143 蓮華の根に窒素を閉じ込め、漉き込むと良い肥料になると聞いたのだが、結局は米の収量を上げるには天然ものより化学肥料の方がいいということだっただろう、いまでは、蓮華の畑は無くなった。

いっぽう、僅かではあるが田の畦などにその時散らした花の種が残っているとみえ、毎年僅かづつではあるが、絶えずに残りいま咲きだした。

多分、田に水が入って代掻きでかき混ぜる前に種を作ろうと、早く花を咲かせる遺伝子を持ったものだけがが残ってきたのだろう。名前の通り、蓮に似た淡い桃色、柔らかな茎ながら案外しぶとい草なのかもしれない。

今日24日は初地蔵、沓ヶ谷の日限り地蔵まで行って見た。幟を立て、五色の幔幕を張り、入り口のテントの中ではいろいろな厄除けグッズが並んでいた。

要望もあるのだろうが、なかなかの商売上手と見受けられた。そして、信心深いのか、悩みが尽きないのか、先に不安を抱えているのか、老男女が沢山列を成していた。

日限り地蔵なのだから、受験生がと想像していたが、考えてみればウイークデーだもんな、すると、件の老男女は代参ということか。

「エッ、自分ですか?  孫のこと忘れていました。帰ってから気がついたので遠い空から片手拝みに頼んでおきました。どうぞよろしくと、、、」

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2007年1月23日 (火)

バッカみたい

P1010082 青木の実が真っ赤に色づいてきた。

葉が一年中青いので青木というそうだが、静岡近辺では年中青い葉の木が沢山あるので、あまり目立たないが、雪深いところでは、雪の間から青い葉、赤い実を覗かせているのは印象的である。

この木はどちらかというと半日陰を好むので、園芸品種は紫陽花同様じめじめとした雰囲気があって好きではない。

また、木の葉は健胃剤として、有名な漢方薬”陀羅尼助”に含まれている。しかし匂いがあまり良いとは言えないので見るだけにしている。

ちなみに、ゴルフアーの青木は、向うでエーオーキとよばれているそうだ。

自分は、高校が男子校で、就いた仕事が鉱山だったので、男だけの職場で過ごした。またこちらに来てからもボーリングの仕事だったうえ、廃業するまで周りは、ほとんどが男しかいなかった。おかげで、女性の心理の機微に触れることも無く扱いもぶきっちょである。

こんな男だけの職場といえば、酒を飲める奴(勿論強い者)腕っ節が強い奴が相対的に幅を利かせていたし、話題もそんな方向に行った。

かなり法螺の入った自慢話の挙句、証明するためいろんな無理をしてしまう。

腕相撲をして上腕骨折をしたとか、チンピラ相手に足駄を持って立ち回りを演じじたとか、、、そして、そんなことまで自慢の種になった。

この傾向は、今でも続いているようで、娘の一人が石油のタンクローリーを運転しているが、最近女性が男の職場に進出したとはいえ、この業界はまだ少ないそうで、職場の懇親会などに行くと上のような話しになってしまうらしい。

先日も、自分のむかし話を聞いていた娘は、「男って単純なのね、バッカみたい」とあっさり切り捨てられてしまった。

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2007年1月22日 (月)

プティット フール

Img_0015_1

プティット フール 可愛い花

その花のように いつも愛らしい

ピーナッツの「可愛い花」の冒頭から

一年で一番寒いこの時期、何か寒さを感じさせるものが無いかと出かけてみたが今日もあったかくて春の兆しばかりが目に付いた。

Img_0102_2 地面には、仏の座やオオイヌフグリが咲き出しているし、柳の花、"ネコネコオンボ”(猫の尻尾の意)も膨らみだしてきた。

オオイヌフグリ、この明るく青い小さな花。差渡し5mmほどの小さな花は文字通り”プティットフール”である。

名前の出所はこの草の実が似ているからとのことであるが、生憎と種の状態で見たことがない。この草も外来種だとのことだが、名づけた人にもう少しデリカシーが欲しかった。

昨日、宮崎県の知事選挙でそんまんま東、を芸名にもつタレントが官庁出身者二人を引き離して当選したと、テレビ各局は競って出演させていた。

彼は、いままで幾つかの不祥事でテレビ画面を賑わしたこともある人なので、今回は彼が生まれて初めてといっていいくらい晴れがましい一日だったことと思う。

行政に対して、今まで未経験だった彼が当選できたのは、マスコミが報じているように既成政党に胡散臭いものを感じている県民の意向だったに違いないがこれからが大変であることを知って身を処してもらいたい。

青島幸雄、横山ノックたちのように最後は石もて終われるような結末を見たくないからである。

それにしても、オール与党の議会(どことは言わないでおく)は何度か傍聴に行ったことがあるが、委員会を含めて猿芝居より悪かった。質問する人がメモを見たまま読み上げれば、応える行政側もメモを見たままという状態。せめてメモから目を離して相手の目を見るだけの芝居をして欲しかった。

知り合いの議員に聞いたところ、前もって話はついているし、質問趣旨もだしている。はみ出した答えをすると問題になるので、メモどおりの受け答えになるということだった。これでは行政を監視するという議会の能力は無いに等しい。

それにしても、昨日は山梨県でも現職を破って当選した知事がいたが、此方はなんの音沙汰もなかった。宮崎県が他の人だったらもう少し扱いが違っていたのに、と思うと、、、、、、

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2007年1月21日 (日)

若草はしくによしなし

Img_0054_1 この花、繁縷(はこべら)。漢字で書くと随分と難しい、パソコンだったから書けたが、辞書を見ながらではチョッと難しい。

春の七草のひとつである。

花びらの直径は5ミリに満たない小さなものだが、よく見ると一枚の花びらが付根まで裂けていて、一寸見には10枚花弁かと見間違いそうである。

神はこんな小さいものにも手抜きせずに造っている、どんな虫を相手にしているのかしらないが、種になる率が高くて繁殖が旺盛である。

島崎藤村も、みどりなす はこべは萌えず 若草はしくによしなし、、、と書いているが場所によってはびっしりと柔らかなみどりの絨毯を作っている。

でも、柔らかすぎて尻の下で緑葉青汁が出ては大変なことになろう。そんな意味で敷くによしなのだろうか。

この柔らかさが、鳥のえさによくカナリアや鶏の餌としてよく採りに行かされたが、当時はこんなに無かった所を見ると餌のやり方も違ってきたのかなと思う。

話は替わって、先日のテレビで海外の日本料理店に「優良店指定制度」をつくり、認証しようと言う話しが出ていると言ってた。

たしかに、海外に行くと日本料理店の看板を出していながら、とんでもない料理が出てくることがあるようだ。アメリカの寿司なんかも日本人の感覚からすると結構ゲテモノがでてくると聞いた。

自分は、幸いと少ないほうだが、オリーブオイルで揚げた饅頭とか丸くて細い饂飩だか素麺だか分からない饂飩くらいであるが、食べ物と言うのはその店に来るお客の層によって違ってくるものだと思う。

ちなみに、メキシコではオリーブオイルで仕上げた中華料理。香港で食べたラウメンはとても喉を通らなかったが、そばで現地の人は美味そうに食べているのを見た。インドカレーもそうだときいた。

となると、日本の中華料理、イタリア料理(イタ飯)インド料理その外の国のだってその国の人から見れば、”似て非なるもの”に違いない。

しかし、日本人を相手にするなら、中国の味付け、ベトナムの味、インドの味でそのまま出せるわけは無い

数時間のうちに他所の国にいけるようになった現在、料理の味も混沌としてくる時代が近いに違いない。いまその過渡期だとすると、本物を食べたかったらその国に行った時食べればよいのではないか、外国での料理はいくらか似ている食べ物だと割り切っておいたほうがいいのではないかと思う。

意外と、日本料理を食べたいと思って日本にきたら、「もう、その料理を作れる人がいません」なんて言われたり、自分の国で食べていたもののほうが美味かったりしないでもない。

あまり、しゃかりきになって、これが日本が認めた「日本料理店」です、ともったいぶって看板を渡すのもどうなんだろうか。案外迷惑顔されたりして、、、

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2007年1月20日 (土)

なんだ こりゃ~

Img_0101_1 今日は大寒。一年でもっとも寒い時期だというが、今年はこれでお終いだとしたらかなり暖かい冬ということになる。

大寒を表す寒い風景を、と朝早く出かけてみたが、曇った空から陽も漏れず、そこそこ冷たいながらも風はなく、まずは穏やかなといった感じだった。

しかし、この寒空に屋外で夜を明かした動物にとっては寒かったらしく、駿府城のお壕に面した石垣に土鳩が15羽ほど張り付いてじっと動かずにいた。

いかにも寒そうな、こんな場所でと思ったが、この辺は捨て猫の多いところ、「安全第一」の場所かもしれない。

二~三日前の新聞で、納豆がここしばらく売り切れ状態が続いて、生産は勿論だが納豆を入れるパックまで品不足が続き、パンクしそうだと書いてあった。

納豆はむかしから健康食品だとは聞いていたが、生産が追いつかないほどだとはどういうことだろうと調べてみたら、テレビの番組で「食べて痩せる食材の新事実」として、納豆にダイエット効果があると、放送したのがきっかけだとあった。

聞くところによると、放送の効果は抜群で、普段ならその日の分だけ買うのに品薄だと言うことで纏め買いに走り、さらに拍車をかけたようだ。

まるで、むかし石油危機が起きた時のトイレットペーパー狂乱の二の舞をやっていたことになるし、去年だったかバナナがやはり放送のため、売り切れ状態になったことがある。

衆寓という言葉があるがなんとも乗せられ易い国民性をあきれてしまう。首相が男前だといって宣伝車を取り囲み、ヨン様がきたといっては走る。そこにはみんなが行くから自分もと言う主体性の無さ(幼児性)が溢れている。

そんなに、苦労せず痩せたいものなんだろうか?「みんなが痩せたがっているから私も、、、」というのだろうか。

自分なんか毎日5~10kmの早足散歩をやっているのにちっとも痩せない、つまるところ食事を減らすしかないと思っているのだが、食事が美味くて減らせないと諦めている。(現状より増やさないを選んだ)

ここまで書いていたら、九時ころになってフジテレビで、納豆ダイエットはデーターが架空でしたと、偉いさんが頭を下げていた。”なんじゃ こりゃ~”だ。

さあ、明日が面白くなるぞ、なんだかわくわくしてきた。スーパーが怒るだろうな。

今日までの状況で生産者に無理を言って納豆を納めさせたものがどっと入ってくる。お客はしらけて買わない。陳列棚に納豆が溢れかえってしまう。そのさきはどうなる、どうなる。

きたいしてまっせ、空振りにならないように、、、、、、。

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2007年1月19日 (金)

桜に目白 チーチュルル

Img_0077_2  昨日はこのブログで梅を紹介したのに、今日は桜である。

駿府公園北側に、寒桜が2本あり、何れも満開になっていた。淡い桃色もきれいで、もう咲き出していると聞く由比薩侘峠の緋寒桜よりは大きく花びらを広げている。

Img_0083_1 おりしもメジロが蜜吸いに現れ、”梅に鶯ホーホケキョ”ならぬ”桜に目白チーチュルル”となった。

もっとも、梅に鶯はめったに現れないことで、元になった花札の二月の図柄は目白がモデルだとのことだから、上の写真は二月と三月の合作といったところか。

満開とはいえ、今頃の桜は開花期が長いので今しばらくは咲いていることと思う、2本だけど近くの人は花見に出かける時間はあるだろう。

今日は、城北公園から浅間神社~国分寺をへて駿府公園を回ってきた。

Img_0068_3 そこで、国分寺について、、、

静岡の国分寺は、浅間神社の東500mくらいの所にこじんまりと建っていてうっかりすると見落としてしまいそうな場所にあり、日本に現存する国分寺の中で最小の部類になると思われる。

かってはこのあたりに七重の塔、金堂、講堂、鐘楼など七堂伽藍が建っていたのかと思われるが、その痕跡はいまの所分からないようだし、人家が建て込んでいて規模、配置など想像も出来ない。

一説には、東名の下になっている片山廃寺が国分寺跡ではとも言われているが、こちらも決定的なものが無く、現国分寺が「私のところ、この場所です」と言われればそうするしかない、といった状態である。

静岡は、語弊があるかもしれないが、一帯に古いものが見当たらない土地柄であり、長野県の中山道筋や北国街道の町並みに似た風景すら皆無といってよい。

僅かに残っているのは、東海道の松並木がところどころにといった程度、いま街中を歩いてみても、明治のころの建物さえ数えるほどにしかない。

そんな土地柄もあってか、国府跡、守護所、安国寺、国分尼寺など天平時代に作られたはずの遺跡はすべて闇の中。いや、土の下に眠っているのだろうか。

なにかの折に、隣接する静岡高校や浅間神社付近の公園を掘り下げてみたらどうなるのだろう、また面白い事実が分かるかもしれない。

「えッ 昔話と伝説の中に夢を隠しておいた方がいいって?」

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2007年1月18日 (木)

梅一厘を求めたのに

Img_0058_2 外に出たら意外と暖かい。昨夜来の雨で道路が濡れているのに、、、。

大寒を前にして「これはチョットあったかすぎるんじゃないのって」言ってみてもしょうがないことなんだけど、、、。

新聞では、「熱海の梅園で早咲きの梅が開花し始めている。」と言う記事があった。しかし、家の周りの梅ノ木はかなり蕾を膨らませているが、まだ咲いていないので、麻機山に登ってみた。

梅一輪 いちりんほどの あたたかさ  を確かめたくて、、、

普通、低い所の方が暖かくて、高くなれば気温が低くなるものと相場が決まっているが、どうしたことかこの山の斜面の方が暖かい。

南側に斜面が開けているためか、気流のせいと思われるが分からない。

Img_0049_1 上りだしてすぐに、ポツポツと咲き出していて、これは予想通りと写真を写しながら登っていくと、あまり日当たりも良くないと見えるところでいきなり満開に近い梅に出っくわした。びっくりしたね。それからはもう上を見るのはよした。

足元の、たんぽぽ、大犬ふぐりなど下ばかりを見て帰った。まさか満開の梅があるとはね。今年はやっぱり暖冬なのか。

さて、マスコミはいま、「不二家」にはまっている。

むかしの従業員まで引っ張り出して旧悪露見、駄目会社を世間にさらしている。多分、不二家はかなりのダメージを受け再起できるかどうか、予想が付かなくなっているのではないかと思う。

自分としては、いつもどおりの日本がでてきたなとしか感じない。というのは不正が発覚した当時、「パートの従業員の不始末」だと一番弱い立場の人に責任を押し付けて逃げようとし、どうしょうも無くなれば社長を辞めましたで事を済ませ、後は野となれ山となれと逃げ出して、チョン!。

NHKが紅白歌合戦で、裸に見える衣装を着たとして批判がでたら、さっそく出演者のせいにしてしまったし、政治資金の使い道では「適正に処理をしているから、、、」とだけ答え、明細など一切示さずに逃げようとしていることと一緒であり、赦せないの一言である。

先日読んだ「日本の品格」によれば、武士道精神にのっとればこんなことにはならないはずなんだが、、、、

もう~いや!、ちょっと温くとうなって来かけると夢もうつつも見さかいがなくなってしまう。

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2007年1月17日 (水)

還暦の赤頭巾ちゃん

Img_0001_3 よく「あの人の歩いた後はペンペン草も生えない」という言葉があるように、雑草の中では何も生えないところでも、この草が最後まで残る草のように思われている。

そして、ぺんぺん草の由来は、種の形が三味線の撥のような所からつけられたらしいが、昔の藁屋根などに生えると貧乏の代名詞みたいに扱われたりして、印象的には良くない。

しかし、このぺんぺん草も、正月の七草粥のときだけ”薺(ナズナ)」なんて高尚な名前で呼ばれ、重宝される。

今年は、戦後復員してきた兵士が結婚したりして、どっと生まれた子どもが定年を迎えるそうで、各界で「団塊の世代を狙え」と手ぐすねを引いているそうだ。

銀行、証券に預けてとか、起業して社長に、先物取引で大儲け、海外移住で悠々自適などいろいろと甘い言葉で退職金を使わせようとしている。そして、これらに負けじと自治体までがわが町に来てくださいと争奪戦をくりひろげているそうだ。

年をとって固くなった頭で、住み慣れない町に移住し、慣れない近所づきあいは大変であるし、それまでの会社や役所内での役職は、口にするだけで嫌われるが、何にも他に話しすること無い。

そのうえ、老後を迎えたとき、介護や福祉を受けようとすると厄介者扱いを受けかねない。

「還暦(団塊)の赤頭巾ちゃん、くれぐれも気をつけてね。甘い言葉の裏には毒があるものだよ」と先輩面をしていってあげたい。

「団塊の世代」なんて冠言葉をつけられるほど人口が多いがゆえにひとくくりにされ競争もしたが、団結もしてきたてきた、しかし、定年過ぎたら沢山の老人のうちの個人個人になるだけ、、、。

いままで競争にさらされてきて、持ちつけぬお金(退職金)があるときだけちやほやされ、あとは再び団塊を厄介者扱いにされかねないのだから、、、。

「これじゃ、ぺんぺん草と同じじゃん」と言ってみたって、そんときゃ遅い。

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2007年1月15日 (月)

かたよる番号

Img_0009_3 今日は小正月。

松の内に忙しく働いた女衆をねぎらう意味で「女正月」という土地もある。しかし、もともとは旧暦で元旦は月が見えない日のため最初の満月を祝うことから来たらしい。そして、七月十五日を中元というのに対して今日は上元というが、誰も何も持ってこない。(持っていく必要も無いが、、、)

先日、田の神さまを祭ってあった田んぼで、早速田起しをしていた。搭乗式の耕運機の運転は中年の小母ちゃん。あまり慣れていないのか慎重運転と見受けられた。そして、その周りをチュウサギが一羽走り回っている。

たぶん、冬眠中の蛙か虫が転がり出てくるのを楽しみにしているのだろうが、傍目からはまるで飼っている鳥のように、機械になついていた。

ということで、散歩から帰って後の関心は年賀葉書の当選番号調べに移った。

抽選は昨日行なわれたのだが、失念していて今朝の新聞で知った。見ると下3桁がない、これまでここまでは当たったことがあるのに今年は無いのだね。

これも、郵政民営化のひとつなんだろうか、葉書を片付けてある場所から持ってきて、新聞発表と一枚一枚照らし合わせながら裏表を見直す。

やっとこの間来た物なのに、こうして見直すと読み落としているところがあるのに気が付き改めてじっくりと懐かしんだ。しかし、当選番号が無い、百枚を越える葉書があるので、平均すれば三等だけでも3枚あるはずなのに、始めは「なかなか無いもんだね」と高をくくっていたが次第にあせってくる。

後20枚ほどになって、「こんなはずじゃない」と思ったがとうとう最後まで無かった。今年は全然駄目。

見ていて気付いたのだが、下二桁だけ見るといくつも重なった数字がある一方で全然無い数字がるあることであった。83という数字に到っては5枚もある。どうして、こんなに数字がかたよるのだろうか。何か数学的根拠とでも言うものがあるのだろうか、と考えてみたが分からない。

かろうじてこれかなと思ったのが、最近はパソコンで印刷するのが多いから、50音順に印刷すると、自分の姓は後ろのほうになるので、、、と推理したが、そのほかに何か根拠があるとすれば知りたいと思っている。

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2007年1月14日 (日)

究極の商売上手か

Img_0123 1月も月半ばにしてようやく足慣らしの山登りに行ってきた。(静岡市街地の向うに富士を望む)といっても、御近所の低い山。満観峰(470m)である。

この山は、手ごろなハイキングコースともなっており、何時登っても人のいる山であるが、自分はほとんどが南側の小坂側からしか登っていないので、今回は国道1号側、逆川集落から登ってみることにした。

本当は、バスで行って降りは別の道に下りようと計画していたが、降りたところのバスの時間も分からないし、時間あわせなどを考えるとつい面倒くさくなって、自動車で麓に向かってしまう。

”宇津の谷”の道の駅手前で左に折れて、集落に入ったところの農家の庭先に車を止めさせてもらったのが、午前九時。

それから、道標に従って谷沿いに登ること20分で、二軒屋から来る道に合流、そして、歩き出して45分で山頂に到着した。山道は静岡のどこのでもある手入れがされていない杉林とお茶の畑を縫って続いている。

杉林の中にある石積みは以前ここで農業が行なわれていたのだろうし、伸び放題になったお茶畑は、年老いて手入れが出来なくなって放置されたことを想像させてものがなしい。

それでも、初めての山道の楽しみは、景色もあるが、山のどの辺に顔を出すかというのもある。登りながら、どの辺で尾根に出るのだろうか、それとも直接頂上なのだろうかと想像する。

地形図は前もって頭に入れておくのだが、古いカーナビが海の上や山の天辺など道なき道を走るように、地図上の道と違う所を歩く場合がある。

頂上は風もなく穏やかな天気の下、富士山が少々霞みながらもきれいに見えた。そして、誰もいない山頂を独り占めをしていたが、五分としないうちに大きな鍋を背負った人と別の二人連れが来た。

鍋を背負ってきた人に聞いてみたところ、焼津花沢の里からバス1台分の人が登っているので、その先回りをして食事の準備するのだとのこと。

そんななかにはまり込んだら大変だ、と思い少し話を続けたあと、そうそうに下山することにした。

駐車場にもどってきたら、この家の主人が軽トラックに蜜柑とポンカンを摘んで戻ってきた所だったので、味見をした後少しばかり分けてもらうことにし、いざ財布をさがすとどこにもない。

「しまった、忘れてきたので後ほどまた貰いに来ます」と言ったところ「いいから持って行け、お金は今度の時でいいから」と自分の自動車に乗せてしまった。

見ず知らずの男を信用して名前も住所も聞かない。究極の商売上手か、性善説者か。こんなことをされるともし悪意があったとしても遂行することができない。

結局は、家に帰って財布を取り、再度出直しをすることになったが”世間捨てたものじゃない”の確認をし、嬉しい山行きになった。

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2007年1月13日 (土)

空師 空を飛ぶ

Img_0039_8  世の中いろんな仕事がある。

勤め人や商売人では、大きく見るとかぎられてくるが、職人の世界では分業化、専門化しているため聞いた事も無い仕事がある。

先日、始めて「空師」という職人の名前を聞いた。「空師」とは、樹木を伐採する仕事のひとつで、木の周りに人家などがあって根元から切り倒されない木を撤去する仕事する人を言う。

方法としては、まず上部の枝を切り払ってから次第に下へ下がってくるのであるが、木を切る人が上にいるので使われるようになったようだ。

自分も、何度か手伝ったことがあるが、そんな名前があるとは知らなかった。

作業の方法としてはまず、木の幹に「男を立てる」といって細丸太の上に滑車をつけ、そこを通したロップ(職人はロープをこう読んだ)を切り落とす枝のバランスを考えて縛り、下から何人かで引っ張っている。そのあと、上にいる者が鋸で枝の元を切り、静かに下に下ろすという作業を繰り返すのだが、枝がいよいよ切れるときが一番恐い。

経験と感でやる作業だけに、切れた枝が跳ねたり、立てた男が折れたり、曲がったりで予測できないことが起きるからである。

ちなみに、「男を立てる」とは、大人のシンボルをそのまま表現したもので、むかしは、鉄塔など櫓を組んだり解体するとき、資材の上げ下ろしに空師と同様な仕事をした。

最近では、このほとんどをクレーンでこなすため、どこの現場に行っても男が立つことはなくなって寂しい思いをしている。(変に勘ぐってください)

そしていま、空師は文字通り空を飛んでいる。

先日静岡の浅間神社の北側に「喜久屋」という、由緒ある料理屋があったがいろいろ事情があって名園と言われる庭を残してきれいさっぱりと解体され、その裏山を工事するに当たって、庭を傷めないようにする配慮からか、空師が木の枝を払っていた。

25トンクレーンをいっぱいに伸ばしていたから、先端の高さは30mは越えていること思う。そこから下げたフックに身体をどう結び付けているのかチェンソーを持った男があっちの枝、こっちの枝の振り回されていた(実際は指示しているのだが、、、)

自分らみたいに、一本一本木に登って枝払いをしたり、ボーリングの櫓を組んだりしたのに比べれば、格段に能率を上げられるのだろうが、随分と危険な作業のように見受けられしばらく見ていたら、人だかりが出来てワイワイガヤガヤの騒動になってしまったのでこっそりと抜け出した。

ああそうそう、静岡ばかりでないと思うが、こちらに来て知った言葉のひとつに「空を使う」というのがあった。”とぼける”とか”知らんふりをする”と言う意味があるそうだが、クレーンにぶら下がった、いまどきの空師は下を見ても空を使っているのだろうか。(チョッと苦しい駄洒落)

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2007年1月12日 (金)

この罰当たりめが、、

Img_0112_2 久し振り、田んぼに鶫(ツグミ)が来ていた。

ひばりなどに似て、小鳥というには結構大きい身体をしているのに、茶色っぽい羽は刈り取りが済んだ稲株などにまぎれて、見分けが付きにくい。

こんなこと書いても、もう50有余年も前のことになるので、時効成立していることと思うが、そのむかし、日本で焼き鳥といえば、ツグミが最上級、ついでスズメを指していた。ひよこの雛に替わったのはいつの頃だか忘れてしまったが随分と後になってのこととである。

ツグミは、秋も遅くなって、中国北部など大陸から群れになって大挙渡って来た。山の尾根をすれすれに飛び越えていくものだから北陸地方では、尾根に霞み網を張って捉えて商売にする人のいたという。

勿論そのころでも、とってはいけない鳥だったので、ときどき警察に逮捕されたと新聞に載っていたが、広い山の尾根のどこで張っているのか分からない、が理由でほとんどが見逃されていたことと思う。

また、肝心の霞網は害鳥駆除とかで店先に売られていたし、自分が買ったのは少年雑誌の広告を見て注文したのだから、空気銃同様、子どもの遊び道具でもあったのだ。

余談ながら、空気銃(今で言うエアガン)は、欲しかったのだが高くて手が届かなかった。

この網を持って、普段はヤマガラなどを捕っていたのだが、秋になると木の低い尾根筋に張った。しかし、ツグミは北陸の尾根を越えた後分散して各地に散らばるため、話しに聞いた、かかり過ぎて網が倒れてしまうほどの収穫は無く、せいぜいで10羽といったところでおわった。

その後、ツグミの激減と取り締まりが効いて、霞み網猟もなくなったと思うが、最近では鳥インフルエンザの流行で渡り鳥は逆の意味で怖いものになった感がある。

Img_0104 久し振りと言えば、もうひとつ。広い麻機近辺の田で一箇所だけ”田の神事”を行なったような後を見た。

写真のように、薄の穂に御幣をさげてあってが、ここの地主はこの場所で敬虔な祈りを捧げた様がさっしられる。

古来、稲作が農業の中心になってきた日本では、豊作を願っていろいろな願い事してきた。静岡でも各地の神社で”田遊び神事”といってお宮さんで踊りを奉納したりしているが、田んぼのなかでやっているのは見たことがなかった。

米は、長い歴史の中で改良されてきた、とはいっても日本古来の植物でないだけに、気候の変化を受けやすい。江戸時代には享保、天保、天明の飢饉で各地で餓死者がでたし、明治、大正、昭和になっても大凶作があり、大地主と小作の関係もあっていくつもの悲劇があった。

米あまり、飽食の時代となったのはほんのごく最近になってのことだが、平成5年の冷害では、外米を輸入しなければならないほど脆弱な食物なのである。

正月に”ごっつおう”を食べすぎ、それをを当たり前のことと思っている身にとって「この罰当たりめが、、、」と田の神に近いうち言われそうで、、、

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2007年1月11日 (木)

何をどうしてもどうにもならない

Img_0045 あぜ道脇の草むらに、キジバトの羽が散乱している。

多分、動けなくなってから他の獣に食い荒らされたものであろう。キジバトには気に毒ではあるが、他の動物の命をつないだと思えばこれも自然の摂理で仕様がないことか。

夏場もそうなのかも知れないが、冬場になると鷺や鵜などの大きな鳥もときどき同じような状態で見ることがある。餌が乏しくなって体力のないものから脱落していくのだろうと想像している。

この世の中で、人間とその周りにいる動物(ほとんど愛玩動物)以外は生を全うすることが出来ない。

しかし、人間はともすると機械によって生かされ続けることがある。自分はそうなりたくないと思っているが、先日、岐阜県でそんな人の家族が本人は前からそう願っていたし書面もあると説明。病院の倫理委員会も生命維持装置をはずす結論を出したが、県が許可しなかった。ということがあったそうで、こうなると何をどうしても、どうにもならないようだ。

昨日今日で、藤原正彦氏の「国家の品格」という最近のベストセラーを読んでみた。

この本、以前に本屋で立ち読みを少ししてみたが買いたいという気持ちにならなかったものだった。昨日、古本屋に行ってみたら半額だったので、まあいいかと思って買ってきたものだ。

裏表紙を見て知ったのだが、この人作家、新田次郎の息子さんで、数学者とのことであったので、なんか不思議な気がした。新田次郎の小説は若いころから好きでいろいろ読んではいたが、こんな息子がいるとは知らなかったし、数学者にしては、畑違いの本をかなり出している様子だった。

一読しての感じは、冒頭に書いてあるように一番身近な奥さんが「半分は誤りと勘違い、残り半分は誇張と大風呂敷」といったそうだが、丸っきりの的はずれではないように見えた。

いちいち詳しくは書けないが、お金より尊いものがある。卑怯 恥ずかしいの大切さ、合理主義のアメリカよりも伝統を重んじるイギリスなどをあげ、武士道精神から来る行動基準に従って「孤高の日本」を作り上げていこう。というものと解釈した。

随所にその通り、そうだ、と同意する場面もありながら、根本に武士道を持ってきたところに不思議さを感じる。

いわく、「武士道はもともと鎌倉武士の「戦いの掟」でした。戦場のフェアプレイ精神を歌ったものと言えます。しかし、260年間の江戸時代に武士道は洗練され日本人全体の行動規範となりました。」と賛美している。

しかし、戦争に不意打ちや寝返りなどざらにあり、フェアプレイ精神なんてあったためしがないことは、歴史が証明しているし、”卑怯や恥ずかしい”は下の人にだけ押し付けるためもあったもので、殿様は超法規で例外だった。

真のエリートは腐敗しない。に到ってはどうしてこんなことが書けるのか不思議でならない。彼の脳裏には明治も江戸時代も今以上に汚職などで腐敗していたことがさっぱり消えている。

どうも、NHKの「お江戸でござる」に出演していた石川英輔さんのように、江戸時代は良かったの一辺倒みたいに、昔は良かった式の本でしかないように思う。

この本が、べストセラーだというのはマスコミに載せられて買う人が多かったせいなのだろうか、自分は、あまり評価すべき本ではないと思うし、新田次郎さんの息子と言うのがザンネンである。

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2007年1月10日 (水)

田舎は寒修行

Img_0027_1 茅萱(チガヤ)が白い穂先を揺らしていた。

冬の陽だまりの中で。小さく弱弱しく見えないことも無いが”世界最強の雑草”なんて異名もあるくらい絶やすには難しい草である。

万葉集に、  跡たえて 浅茅がすえになりにけり

          たのめしやどの 庭のしらつゆ

ともあるように、手入れを怠れば一旦進入したチガヤはなかなか絶やすことができない。

その一方で、茎に少し甘味があるようで、子どもが引き抜いて味わったとか、穂が強壮剤に使われたとか、6月末の茅の輪くぐりはこの草で作る、粽はこの葉で作ったとかいろいろ人との係わり合いのある草でもある。

今日は、語呂合わせで110番の日だとも言うが、ふるさとでは”初金毘羅”といって、讃岐の金毘羅さんからのお札を先頭に商売繁盛、家内安全を願って、木遣りと芸者衆と商人の行列が街中を練り歩く行事がある日である。

雪が降り積もった街中を知った顔ぶれが歩く、自分らは商売人ではないため、同じ町に住んでいても部外者で見物役であるため、最後の団子撒きにだけ参加させてもらった。

その町も、今では鉱山の衰退で人口が半減し、芸者もいなくなり、替わって雪中にクリスタルキャンドルをして盛り上げた、と去年は言っていたが今年は音沙汰が無い、聞かないだけなら良いのだが、、、、。

寒い季節を迎えて、禅寺では寒の修行に入っているが、北海道の夕張を見るまでも無く、いまや日本中の田舎はいつ明けるとも知れない”寒修行”にはいっているようだ。

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2007年1月 9日 (火)

エナガの群れに囲まれて

Img_0068 久し振りに寒い朝が続いている。北国の人には悪いが、上空に雲が無いため放射冷却を起こしているためであろう。

このごろ、山の餌も深刻になってきたのか、目白が何羽も入れ替わりに蜜柑をついばみに来る。

毎日一個を二つに割ってつるしているのを知ってのことと思うが、最近では、中身の無い皮にぶら下がって請求するような仕草をするものまででてきた。(この目白何故だかあごのところが赤いが蜜柑のせいではあるまいな、、)

今日で冬休みが済み、登校の小学生が少しばかり張った氷を割って遊んでいた。なにしろ、冬でも氷点下にあまりならない静岡では、たまに張る氷を大人まで喜んで割っているのを見たことがある。

緑の葉に白く降りた霜も、日が差し始めると瞬く間に消えていく。今日もいつものコースを散歩してきたが、麻機沼の一角にある雑木林にエナガの群れが餌を探しながら移動してきて、一時的に群れの中入ってしまった。

Img_0021_1 小さな声でささやきあうように、チーチー ジュルルーと啼き交わしている。20羽はいただろうか、木の幹のまわりを廻り、小枝から落ちるかのようにして下の木に移る。

エナガは日本にいる鳥の中ではもっとも小さい種類の属していて可愛らしい鳥である、尾羽が長く突き出しているのが名前の由来になっていると聞いた。

エナガは体格が小さい割に、人怖じをしないので近寄りやすいが、それでも、脅かさないように少しづつ群れについて移動しなければ、なかなかデジカメのフレームに入ってくれない。高性能なカメラならアップにしないで写してからトリミングすればよいのだが、500万画素くらいでは荒れた画像になってしまう。

エナガはその後、沼の奥の茂みに移動してしまい、付いていけなくなってしまった。

今日の新聞によると、防衛庁が省に昇格して長官から大臣になったそうだ。これでまた大臣の椅子が増えたと喜んでいる人が増えたに違いない。

首相は、「戦後体制から脱却し新たな国づくりを行なうための基礎、、、」といったそうだが、これも「美しい国づくり」の一環なのだろうか。

ろくに論議もせず(一般には分からないので)、教育基本法をいじくり、最終的には憲法もうやむやのうちに変え、将来どんな日本に持っていこうとしているのか。全体像を隠して手のつけやすいところから巧妙に変えていこうとするやり方に見えて仕様がない。

どの政党も当てに出来ないとなればどうする。「いいさ、どうせ自分の生きている間は、、、」で過ごせばいいのだろうか。

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2007年1月 8日 (月)

気になる賀状の遅延

Img_0075_2 (本栖湖の湖尻。引き上げられたボートの上にも雪が積もって、、、近寄った足跡さえない)

元日にどさっと来た後、二日からボツボツと五月雨式に続いていた年賀状も今日で途切れた。

110枚ほど送ったうち10枚ほどが返事が無い。この年になると社交儀礼的な付き合いの年賀状はほとんどなくなっているし、友達 親戚などは減ることはあっても増えることはあまり無いため、来ない人はどうしているか心配になる。

日ごろ、ご無沙汰している中で、身体の具合が悪いと聞いていた人や高齢の人から来なくなった場合はよけいに気にかかる。

筆不精で遅い人さえきているのに、、、

さて今日は成人の日だという。少し前までは1月15日と決まっていたため、分かっていたが月曜日が赤字で書いてあると、さてなんの日だたかなと、首をひねってしまう。該当者がしばらくいない我が家に定着するのは何時のことやら、、、

さらに、なんの都合か昨日成人式を済ませたところがかなりあり、こんなのを見ると、何のためにわざわざ成人の日を作ったのかわからない。

そして、今朝のテレビなどでは荒れた沖縄の成人式参加者と手作りの夕張市の成人式を各社で対比する形で放送し、したり顔のコメンテーターが意見を述べていた。

そもそも、「成人」とは何ぞや。辞書によると「心身が十分に成長した人。おとな」とあり、さらに「おとな」とは「一人前に成人した人」のほかに”おとなしいこと””静かにしていること”という注釈もあった。

たしかに、老年の大人になると騒々しく動きたくないようになるのでさもあろうと思う。

しかし、成人式の日に、なんの意味も無く、ただ目立ちたいと、はた迷惑も省みず、騒ぐのはまるで子ども以下であろう。何かで自己主張をしたくてもする手段見つけられないから騒ぐのか。

社会に閉塞感があり、いったん負け組みに組み込まれると何時までたっても浮かぶことが出来ない仕組み(ワーキングプアー)(フリーター)など。首相の再チャレンジでも救いきれない。(再チャレンジは事業で失敗し周りに迷惑をかけた人が対象だから、、、)

昔、読んだ芥川龍之介の「くもの糸」のように地獄に落ちた人を御釈迦様が蜘蛛の糸で引き上げるように、ごく細い救済策しか望めないせいなのか。

ただ、大人が望むように、若者が大人しくなってしまったときには、日本は異常事態にはいっていることだけはたしかである。

そうなると、若者の空騒ぎを苦々しく思いながらも、容認しなければならないのか、時々きれて怒りまくり、この年になっても大人しくなりきれていない自分は迷ってしまう。

と、いうことをさておいて、本日は天気も良し、富士山見物と日帰り温泉めぐりをしてきた。

Img_0089_3 昨日になって、ようやくスタッドレスタイヤに履き替えた所なので、その調子見を兼ねて、朝霧高原道路を上り、富士山の西側の山の積雪状況を探り、本栖湖、下部へ降った後”南部の湯”に浸かった。

元富沢町の六地蔵から、夕焼けの富士を写真にしょうと粘ってみたが、雲がかかり結局は、着いた時に写したものしかなかった。

また今度の楽しみ、ということで引き上げてきた。

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2007年1月 7日 (日)

変り七草で

Img_0069 発達した低気圧の影響で風が強い。

朝方、その風に乗って雪が飛んでいた。静岡気象台はそれを指して”初雪"だといっていたが、空を見ると北側の雪雲から飛んではくるものの、南側は明るい。

富士山の初雪は、下から観測できて初雪と言うそうだから、積雪はなし上空は明るいとなると、単なる”風花”では無いかと思うが、相手は気象のプロだから頭を下げるしかないか。

しかし、そんな風を恐れてか、めったに来たことの無いシジュウカラが、庭の隅に二羽で来てしばらくジッとしていたが、それより小さい目白が「ここは俺たちの餌場だ!」と主張するように何度も傍の木を揺するものだから、20分ほどねばっていたが立ち去った。

Img_0060_1

上 三草粥と明日葉のおひたし  

君がため 春の野にいでて若菜つむ

    わがころもでに 雪は降りつつ

昨日の夕方、雨が上がりかける少し前、七草粥の材料を、集めに出かけてみたところ、丁度、百人一首の中の光孝天皇の歌のような状況になってしまった。

結局時間の関係もあって集めたのは、すずな(大根)すずしろ(かぶら)は納屋からもってきて、セリと明日葉、からし菜、クレソン、蕗のとう前から目をつけていた場所へ出かけて調達するということになった。

むかしから、"秋の七草”は見る。に対して”春の七草”は邪気を祓って万病に効くといわれてきたが、ハコベ(はこべら)や、なずな(ぺんぺん草)ごぎょう(母子草)仏の座(田平子) は食べる気がしないので敬遠し、代わりに上記のものにした次第である。

いずれも二人分でいいので良いところを少しつまんで、余った分は知人におすそ分けで処分し、明日葉と、からし菜はおひたしに、クレソンはサラダに、蕗のとうは味噌和えにとした結果、かゆに入るのはすずな、すずしろ、セリだけになる。

スーパーでもそろえているらしいが、「栽培したセリではちょっと風味が欠けるネ」と首をかしげて自己調達。

先日も聞いたのだが、独活なんかでも「野生のものは匂いがきつくて硬い」といってわざわざ栽培したものを買う若い人がいると聞いて驚いたことがあるが、さらには、そんなもの食べなくてもと言うのがいると聞くと、「春の七草」の運命もそう永くは無いようだ。

からし菜にしろ、クレソンにしろ、このあたりにある明日葉にしろ一度は人間に栽培されたものが逃げ出して野生化したものだが、何れも独特の味わいを持っていて美味い。しかし、混ぜ合わせてはどうなのか、相性が悪かったらと思うと単品づつの食べ方になってしまった。

いずれにしろ、七草もいつまでも昔のままで無く、その時によって変わって行くのも一興。正月の腹休め、胃腸薬と思えばこれもまたよしとするか、、、。

写真:上からからし菜、明日葉、蕗のとう、セリ、クレソン、

Img_0047_1 Img_0049 Img_0056_1 Img_0009_2

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2007年1月 6日 (土)

百人一首に花札にと

Img_0107 きょうは、暦の上では”小寒”である。昨夜来低気圧が日本を横断しているためかなりまとまった雨が降っていたが、北陸地方をはじめ各地で大雪が降るとの予報が出ていたが、寒さもこれからが本番になりそうだ。(夕方になってようやく上がった雨、とんびがホッとしたような顔をして、、、)

昨年の今頃は各地で記録的な大雪が降り、テンヤワンヤの騒ぎであったが、今年は打って変わって少ない。故郷飛騨でも今年は年末になってようやくスキー場をオープンする始末。

今年、80歳になる従兄弟も昨年の豪雪に懲り、今年は、かなりの出費をかけて屋根に融雪装置をつけたが、いまの所全然役に立っていない、と言っていた。

降りすぎれば交通遮断、降らなければ滑れない、スキー場周辺で民宿などやっている知人は「毎年博打をやっているようなものだ」とこぼしていた。

今日の夕刊に百人一首の日本一を決める大会が開かれていると書いてあった。この大会は毎年のようにテレビなどで放送されるので、目にすることがあるが、言われているように遊びでなくスポーツであることが分かる。

上の句の一部で下の句が書いてある札を取るのだが、その反射神経の速さにびっくりするばかり、、、、。

自分たちが小学生のころの遊びのひとつに、この百人一首があり、友達ともしたが、家族ぐるみでやったのが一番多かった。

このおかげで、いまだに百枚の札、全てを暗誦できる。この遊びには両親も入り子ども5人を含めて、真剣に争ったものである。そして、それぞれが好きな歌は人に取られたくなく、頑張ったが、いざ取られでも仕様ものなら、たとえ枚数が多くても悔しかった。

父親は、順徳院の「ももしきや ふんどししめて、、、」と狙っていたし、母親は年甲斐もなく「あまつかぜ、、」だったように思う。そして、自分は「いにしえの、、、」にこだわった。

そのほかに、花札を使って、バカ花や六百間、雨、桐をはずしての”おいちょかぶ”などもしたが、こんなとき、同じ家族ながら性格の違いがでて面白いものがあった。(いまになって思うと、、)

特に父親は、子どもを相手に真剣にマッチ棒のやり取りをしたことが、正月の思い出としてある。

百人一首は、平安時代を中心にした上流搾取階級の歌人が、想像だけで書いたものだと毛嫌いし、万葉集に興味を移した時期もあったが、このようにしてよい歌をそらんじることが出来、家族団らんの思い出が今でもときどき、何かの拍子に甦ってくる。

とくに、寒さが厳しくなればよけいに、、、、

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2007年1月 5日 (金)

蒲の穂が散って

蒲の穂がはじけている。

Img_0031 秋にはソーセージのようだった筒も崩れて、小さな種を風のまにまに吹き散らかして、落葉した傍の小楢の木に雪が積もったようにくっついている。

一本のソーセージから、タンポポの綿帽子をさらに小さくした種を飛ばしている。ものの本によると、10万個以上の種だそうだが、このうちいくつが芽を吹くことが出来るのか、まさに、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式の大盤振る舞い。

そういえば、人間だって精子のときはそうなのだが、、、、、、

昨夜、テレビで「佐賀のがばいばあちゃん」というのを見た。

漫才の島田洋七の少年時代の回想録ということだった。母親が女手ひとつで育てられないといって、小学生の少年を佐賀のおばあちゃんの家に預け、中学を卒業する間のことを書いたものだった。

がばいとは、佐賀のほうの言葉ですごいと言う意味らしいのだが、婆ちゃん独特の生活哲学で孫と付き合っていく場面が描かれ、こんな婆ちゃんと一緒に過ごせれば、子どもも幸せ?なのかもしれない。

このテレビを見ようと思ったきっかけは、自分も僅かな期間であったが、小学校1年生の時、姉と二人で婆ちゃんの家に預けられて過ごした経験あったためである。

戦争が済んで、すぐに時期だった。自営業だった親父が2度目の兵隊にとられるのを嫌って軍需工場に行っていたが、敗戦と共に引き上げてきて後、仕事も無いため奥山に炭焼きに入ることになった。

当時は、石油産業なども無く、炭焼きは重労働だがいい金になるので入ったそうだ。しかし、学校から遠すぎたので婆ちゃんのいる町に転校して通うことになった。

自分たち世代から上には、集団疎開で両親と別れて過ごした経験をしている人がかなりいるが、戦後になってはあまりいないと思う。親から離された1年坊主は泣き虫だった。

いま考えると、あの食糧難の時代によく二人の子どもの面倒を見てくれたものと感謝しているが、この婆ちゃんも独特の哲学を持っていて僅かな間ながらいまだに覚えていることが幾つかある。

がばいばあちゃんにしても、武田鉄也の母親にしても、そうだが、昔の人は充分な教育を受けていないにも拘らずそれぞれが生き方について自分を持っていたし、その時その時に絶妙な言葉を発したので、いまだに思い出すことがある。

自分らの婆ちゃんもそんな人だった。頑固で怒りっぽかった。いま思うとその2年前に婆ちゃんの末っ子を戦死させていたのに、、、、、、とにかく語ることはいっぱいある。

いま、猫も杓子も高校は当たり前。半数以上が大学をでていながら金太郎飴のように同じ考え、手焼きせんべい以上にくにゃくにゃと薄っぺらになったのは、なぜだろうか。

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2007年1月 4日 (木)

痰きり豆は痰きらず

P1010071 道端の”痰きり豆”がつややかな黒い豆を見せびらかしていた。

上手に、種を両側に広げている。

痰きり豆という名前から、何か薬効があるのかと思っていたが、漢方薬の中に入っていないので薬にはならないらしい。しかし、こんな名前がつく以上、何かあったに違いないとにらんでいる。

よく、健康雑誌とかいうものに、いろいろなものが癌に効くとか、腰痛に効くとか言って騒ぎ立てているが、データーが少なすぎて本当かどうか分からないものばかりだと言う。

しかし、溺れるものは何にでも頼ってみるため、たとえ効かないとしても、大金を払って購入する、一種の詐欺行為だと見るが手入れをされたとは聞かない。

さて、今日は魚について一言。

海外で仕事をしていてある程度日にちがたつと、無性に日本食が食べたくなる。自分が言っていた中南米では、何でもかんでもオリーブオイルを使った料理になるので、集まると「秋刀魚か鯖の熱い塩焼き、ジューッと油の滴るやつを食べたい」とか「鯖の味噌煮がいい」「冷奴でセルベッサ(ビール)」「ここで漬物が出てきたら最高だね」なんて日本にいれば何時でも手に入るものが懐かしくなる。

たまに、町に下りると日本食堂を探して出かけるが、刺身よりこれらのものに興味がいってしまう。

他所から来ると、静岡は勿論だが、東京から東海地方にかけて鮪と鰹に非常に執着しているように見える。どの店に行っても売り場面積が大きく、一番良いところにある。

さんま、いわし、にしんなど小骨が多く、内臓まで食べるものは、売れ行きが悪いのか横に追いやられている。

先日も、小料理屋で出されたこれらの魚を背中の一部だけ食べて止めている人を見たが、自分らからすると「一番いいとこを食べないでどうすんの」「日本人なら身のほぐし方ぐらい、、、」「もったいない」という言葉を飲み込むのに精一杯だった。

鮪や鰹には小骨が無いものナ。鮎などは頭からがりがりと食べるのが美味いと思っている者からすれば、楽しみで行った小料理屋で、隣の他人の食べ方にケチ付けるわけにも行かず、ストレスがたまってしまう。

そして、こんな奴に限って箸の使い方がなっていない。「ええい、もう二度とあんな店には行きとうないわ」と業を沸かして(ごわかいて)帰ってきる。

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2007年1月 3日 (水)

似て非なるもの

P1010076_1 日差しは、薄ぐもり、富士の山も霞んでいたが冷え込みは和らいでいたため麻機山を廻って来た。

この冬は、”蔓梅もどき”を見ないと思っていたら、鞘がはぜて赤い実がでる傍から小鳥に食べれているらしく、黄色い鞘だけで中身がなく目立たせなくなっているようだ。

蔓梅もどきにとっては、食べられて遠くに種を持っていってもらって良いことには違いないのだと思うが、ちょっと人間にも愛でさしてもらいたいものだが、食糧難の鳥たちには通じないようだ。

さて、植物を初め物にはよく”なんとかもどき”といものがある。ピラカンサスを和名で”タチバナモドキ”というし、ウメモドキ、がんもどき、蟹風かまぼこは蟹もどき。ナイロンは絹もどきとして、絹を一時追っ払ってしまったことがある。

しかし、似て非なるものであることは紛れも無い。

むかし、韓国のみやげ物売りの商人が、別々のブランドのマークを裏表に印刷したベルトを高々と掲げて、「こっちもこっちも本物よ」と見せていたのを思い出す。こらも、モドキ商品と言うかもしれない。

今年の正月にそこらを歩いていて感じたのは、正月の風習が著しくなくなってきたということである。

Img_0081 子どもの、凧揚げとか羽根突きはとっくの昔話になっていることは分かっているが、各家庭の玄関から、しめ縄、日の丸を見なくなったし、自動車の前面の飾りも見なくなった。

我が家でも、日の丸を出したことは無いので言えた義理ではないが、今度の首相が「美しい国」をキャッチフレーズにして昔の日本に戻そうと画策しているが、この調子では、”笛吹けど踊らず”で美しい日本もどきで終わりそうだ。

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2007年1月 2日 (火)

おすがりの藁

Img_0114_2 いやぁ~、今でも中学生の食欲はすごいものがある。

自分も、中学のころ御飯を一食に五杯以上食べてことがあるので、その遺伝かもしれないが、二人の孫が昨夜五合の御飯を二人でペロリと平らげてしまった。

おかげで、大人3人は鍋物の残り汁にうどんを入れて間に合わせたが、そのうどんにも参加してきた。「近頃の若い者は食が細くて、、」といってきたが修正しなきゃならない。

半年以上会っていなかった孫たちだが、身長も伸びてとうとうじいじに追いついてしまった。(もっともじいじのほうは、縮んでいるのだからしょうがないか)

腕相撲も、左手は勝ったが右手は互角で延長戦で負けた。

力強い成長に嬉しい思いをした。学業成績は駄目だそうだが健康でさえあればいい。

ということで、今朝は磐田市の見付天神へ、最後の神頼みに行くというので付いて行った。

ここは、いままで来たことがないが、かなり有名なお宮さんで名前だけは知っていた。着いて見ると案外小さな社で驚いたが、受験生を相手にいろいろなお守りを始め、各種の願い事のお札などで、”商売上手”といった感じがする。

それと、変わっていたのは狛犬ならぬ"願掛け牛”という雄雌の牛の像が両側に2体あり、軒先から”おすがりの藁”というものがぶら下がっていた。

「溺れるものはわらをもすがる」という意味なのか天神さんの元、菅原道真を引っ掛けたものなのか、どこかに由緒書きがないかと探してみたが分からなかった。

あまり、部外者面をしていると罰が当たりそうなので、賽銭を少しばかり上げて孫の学業成就をお願いした、「どうぞ、じいじのご無礼もおゆるしください」という言葉に添えて、、、

帰りは、「掛川花鳥園」に寄るというので着いていくと、65歳以上割引ありというので早速利用させてもらった。

この園も、これで3度目になるが、毎回拡張し施設の充実を図っているようで、目新しいものが毎回ある。

こんな施設だと、リピーターも付くに違いないなと、思いながら上手にインコに餌を取られてかえった。

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2007年1月 1日 (月)

猪突猛進(妄信)

Pc230059_1 天気予報を裏切って久し振り、快晴の幕開けとなった。

こんなに良い天気なら少し遠出をして、初日の出を、と計画しものに、とおもったが、

めでたさも ちうくらいなり

         おらが春    小林一茶

と、あまり万点を望まぬことにしよう。

とりあえず、梶原山へと向かった。山頂近くの道路にはすでに先客が路肩駐車をしていたので、これは駐車場に入っても戻ってくるだけと思い、少しあったすき間に車を止め、急いで登った。まさに猪突猛進!着いたときには恥ずかしながら息切れし、人に気付かれないようにするのに一苦労した。

頂上にはすでに数十人の人がいて、満杯といった感じ、すぐに富士山に日が差し染めてから5分くらいして、低い雲が燃えだした。

日の出は七時少し前。いつもの日の出と変わるはずもないが違って見えた。周りの人も「わぁ! きれい」と感嘆詞一言のみでおしだまっている。

亥年をどうして猪に当てたかは知らないが「今年は猪突猛進(妄信。盲進)」の年にしてほしくないものである。そのためには行く先に何があるか、よく吟味して向かう心構えが、より必要になってくる。

首相は国民投票法案を成立させ、任期内に憲法を改めようとしているそうだが、これを助走にしてホップ.ステップ.ジャンプとどこかへ飛んでいくのだけはやめて欲しい。と浅間神社まで歩いていって願ってきたが、

さて、神さまはどっちの味方をするんだろうか。

そうこうするうちに、我が家に二人組みの強盗団が二組来た。

中学生3人に小学生1人の4人とくれば年も年だしいい加減の額と言うわけにもいかない、4人にとって、じいじは自分ひとりなれば、なおさらだ。

しかし、当家の御亭主(ゴテ)は、満面の笑みで”有り金残らず”とはいかないが、かなりの部分(じいじにとって)を払っていたが、、、、

あとのお返しがこわいぞ~、とつぶやいて、、、。

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