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2007年1月 5日 (金)

蒲の穂が散って

蒲の穂がはじけている。

Img_0031 秋にはソーセージのようだった筒も崩れて、小さな種を風のまにまに吹き散らかして、落葉した傍の小楢の木に雪が積もったようにくっついている。

一本のソーセージから、タンポポの綿帽子をさらに小さくした種を飛ばしている。ものの本によると、10万個以上の種だそうだが、このうちいくつが芽を吹くことが出来るのか、まさに、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式の大盤振る舞い。

そういえば、人間だって精子のときはそうなのだが、、、、、、

昨夜、テレビで「佐賀のがばいばあちゃん」というのを見た。

漫才の島田洋七の少年時代の回想録ということだった。母親が女手ひとつで育てられないといって、小学生の少年を佐賀のおばあちゃんの家に預け、中学を卒業する間のことを書いたものだった。

がばいとは、佐賀のほうの言葉ですごいと言う意味らしいのだが、婆ちゃん独特の生活哲学で孫と付き合っていく場面が描かれ、こんな婆ちゃんと一緒に過ごせれば、子どもも幸せ?なのかもしれない。

このテレビを見ようと思ったきっかけは、自分も僅かな期間であったが、小学校1年生の時、姉と二人で婆ちゃんの家に預けられて過ごした経験あったためである。

戦争が済んで、すぐに時期だった。自営業だった親父が2度目の兵隊にとられるのを嫌って軍需工場に行っていたが、敗戦と共に引き上げてきて後、仕事も無いため奥山に炭焼きに入ることになった。

当時は、石油産業なども無く、炭焼きは重労働だがいい金になるので入ったそうだ。しかし、学校から遠すぎたので婆ちゃんのいる町に転校して通うことになった。

自分たち世代から上には、集団疎開で両親と別れて過ごした経験をしている人がかなりいるが、戦後になってはあまりいないと思う。親から離された1年坊主は泣き虫だった。

いま考えると、あの食糧難の時代によく二人の子どもの面倒を見てくれたものと感謝しているが、この婆ちゃんも独特の哲学を持っていて僅かな間ながらいまだに覚えていることが幾つかある。

がばいばあちゃんにしても、武田鉄也の母親にしても、そうだが、昔の人は充分な教育を受けていないにも拘らずそれぞれが生き方について自分を持っていたし、その時その時に絶妙な言葉を発したので、いまだに思い出すことがある。

自分らの婆ちゃんもそんな人だった。頑固で怒りっぽかった。いま思うとその2年前に婆ちゃんの末っ子を戦死させていたのに、、、、、、とにかく語ることはいっぱいある。

いま、猫も杓子も高校は当たり前。半数以上が大学をでていながら金太郎飴のように同じ考え、手焼きせんべい以上にくにゃくにゃと薄っぺらになったのは、なぜだろうか。

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コメント

高凛さま

カマイタチ、最近はどこへ行ったのでしょうね。
この妖怪も、明るい照明で居場所をなくしたのでしょうか。闇に隠れて、スパッと人を切る、切られた人は後から気が付く、、、

学校も家庭も、お友達と思っていたら後から内申書などのようにしっぺ返しを食うなんてね。
冗談言ってる場合じゃなくなるかも、、、、

投稿: オラケタル | 2007年1月 7日 (日) 21時51分

昨秋、麻機沼のウインナーのような「ガマの穂」5本を頂戴し籠に入れておいたところ、良い雰囲気で年越ししてくれました。今日あたり出向こうと思っておりましたが「風の強い日に外に出るとカマイタチにやられるぞ」と、祖父母から言われたことが後遺症で?、冬季の風の強い日の外歩きは敬遠、コタツムリで無為な一日となりそうです。(単なる横着者ですヨ)
私は、祖父母(半農半漁)、父母と弟二人の三世代家族で生育。勤め人の両親よりも祖父母と一緒の時間が長く、長じた今でも、やさしさと思いやりが根底にある頑固な「明治気質」の祖父母の訓え?言動を(強烈に)思い出すことが多々あります。
今は(私も含めて)、親も教師も、子供と「お友達」に成り下がり、家庭は社会の一単位の認識に欠け「仲良しクラブ」になってしまっているのではないかなと思います。こんな事いったら「なま(生意気)言うな!」と、叱られそうです。
それにいたしましても、ケタル兄のお孫さん達はお幸せだと思います。
今年も、どうぞ「モノ」申して下さいますよう。

投稿: 高凛 | 2007年1月 7日 (日) 10時13分

慶ちゃん

何十年かたって孫たちが、爺ちゃんが、婆ちゃんがこんなこと言ってた、とか「昭和の人はいうことが辛辣だった」というんでしょうかね。
いまのところ、小2の孫からは、じいじはなんでも出来て知っているという、うれしい評価なんですが、、、

いつ化けの皮がはがれるか心配。

投稿: オラケタル | 2007年1月 6日 (土) 07時38分

私のおばあちゃんもかばいばあちゃんでした。いってみればおしんのような人生を送った人ですが、何気なく言う言葉や行動が今でも慶の心に残ります。「お天道様」を拝む。道端のおじぞうさんに手を合わせる。ご飯の時「頂戴します。ご馳走様でした。」と頭を下げ手を合わせる。「背負い水(人の一生で使える水の量は決まっていて、無駄に使うとあとで使えない)」「足を動かせば必ず峠は越せる」「荷物が重かったらゆっくりゆっくり止まらず歩く」

投稿: | 2007年1月 5日 (金) 23時03分

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