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2007年1月11日 (木)

何をどうしてもどうにもならない

Img_0045 あぜ道脇の草むらに、キジバトの羽が散乱している。

多分、動けなくなってから他の獣に食い荒らされたものであろう。キジバトには気に毒ではあるが、他の動物の命をつないだと思えばこれも自然の摂理で仕様がないことか。

夏場もそうなのかも知れないが、冬場になると鷺や鵜などの大きな鳥もときどき同じような状態で見ることがある。餌が乏しくなって体力のないものから脱落していくのだろうと想像している。

この世の中で、人間とその周りにいる動物(ほとんど愛玩動物)以外は生を全うすることが出来ない。

しかし、人間はともすると機械によって生かされ続けることがある。自分はそうなりたくないと思っているが、先日、岐阜県でそんな人の家族が本人は前からそう願っていたし書面もあると説明。病院の倫理委員会も生命維持装置をはずす結論を出したが、県が許可しなかった。ということがあったそうで、こうなると何をどうしても、どうにもならないようだ。

昨日今日で、藤原正彦氏の「国家の品格」という最近のベストセラーを読んでみた。

この本、以前に本屋で立ち読みを少ししてみたが買いたいという気持ちにならなかったものだった。昨日、古本屋に行ってみたら半額だったので、まあいいかと思って買ってきたものだ。

裏表紙を見て知ったのだが、この人作家、新田次郎の息子さんで、数学者とのことであったので、なんか不思議な気がした。新田次郎の小説は若いころから好きでいろいろ読んではいたが、こんな息子がいるとは知らなかったし、数学者にしては、畑違いの本をかなり出している様子だった。

一読しての感じは、冒頭に書いてあるように一番身近な奥さんが「半分は誤りと勘違い、残り半分は誇張と大風呂敷」といったそうだが、丸っきりの的はずれではないように見えた。

いちいち詳しくは書けないが、お金より尊いものがある。卑怯 恥ずかしいの大切さ、合理主義のアメリカよりも伝統を重んじるイギリスなどをあげ、武士道精神から来る行動基準に従って「孤高の日本」を作り上げていこう。というものと解釈した。

随所にその通り、そうだ、と同意する場面もありながら、根本に武士道を持ってきたところに不思議さを感じる。

いわく、「武士道はもともと鎌倉武士の「戦いの掟」でした。戦場のフェアプレイ精神を歌ったものと言えます。しかし、260年間の江戸時代に武士道は洗練され日本人全体の行動規範となりました。」と賛美している。

しかし、戦争に不意打ちや寝返りなどざらにあり、フェアプレイ精神なんてあったためしがないことは、歴史が証明しているし、”卑怯や恥ずかしい”は下の人にだけ押し付けるためもあったもので、殿様は超法規で例外だった。

真のエリートは腐敗しない。に到ってはどうしてこんなことが書けるのか不思議でならない。彼の脳裏には明治も江戸時代も今以上に汚職などで腐敗していたことがさっぱり消えている。

どうも、NHKの「お江戸でござる」に出演していた石川英輔さんのように、江戸時代は良かったの一辺倒みたいに、昔は良かった式の本でしかないように思う。

この本が、べストセラーだというのはマスコミに載せられて買う人が多かったせいなのだろうか、自分は、あまり評価すべき本ではないと思うし、新田次郎さんの息子と言うのがザンネンである。

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