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2007年1月 6日 (土)

百人一首に花札にと

Img_0107 きょうは、暦の上では”小寒”である。昨夜来低気圧が日本を横断しているためかなりまとまった雨が降っていたが、北陸地方をはじめ各地で大雪が降るとの予報が出ていたが、寒さもこれからが本番になりそうだ。(夕方になってようやく上がった雨、とんびがホッとしたような顔をして、、、)

昨年の今頃は各地で記録的な大雪が降り、テンヤワンヤの騒ぎであったが、今年は打って変わって少ない。故郷飛騨でも今年は年末になってようやくスキー場をオープンする始末。

今年、80歳になる従兄弟も昨年の豪雪に懲り、今年は、かなりの出費をかけて屋根に融雪装置をつけたが、いまの所全然役に立っていない、と言っていた。

降りすぎれば交通遮断、降らなければ滑れない、スキー場周辺で民宿などやっている知人は「毎年博打をやっているようなものだ」とこぼしていた。

今日の夕刊に百人一首の日本一を決める大会が開かれていると書いてあった。この大会は毎年のようにテレビなどで放送されるので、目にすることがあるが、言われているように遊びでなくスポーツであることが分かる。

上の句の一部で下の句が書いてある札を取るのだが、その反射神経の速さにびっくりするばかり、、、、。

自分たちが小学生のころの遊びのひとつに、この百人一首があり、友達ともしたが、家族ぐるみでやったのが一番多かった。

このおかげで、いまだに百枚の札、全てを暗誦できる。この遊びには両親も入り子ども5人を含めて、真剣に争ったものである。そして、それぞれが好きな歌は人に取られたくなく、頑張ったが、いざ取られでも仕様ものなら、たとえ枚数が多くても悔しかった。

父親は、順徳院の「ももしきや ふんどししめて、、、」と狙っていたし、母親は年甲斐もなく「あまつかぜ、、」だったように思う。そして、自分は「いにしえの、、、」にこだわった。

そのほかに、花札を使って、バカ花や六百間、雨、桐をはずしての”おいちょかぶ”などもしたが、こんなとき、同じ家族ながら性格の違いがでて面白いものがあった。(いまになって思うと、、)

特に父親は、子どもを相手に真剣にマッチ棒のやり取りをしたことが、正月の思い出としてある。

百人一首は、平安時代を中心にした上流搾取階級の歌人が、想像だけで書いたものだと毛嫌いし、万葉集に興味を移した時期もあったが、このようにしてよい歌をそらんじることが出来、家族団らんの思い出が今でもときどき、何かの拍子に甦ってくる。

とくに、寒さが厳しくなればよけいに、、、、

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