視れども見えず(確定申告)
いま、我が家のシンビジュームは黄色味がかった大柄の物が咲いている。
手入れ方法にもあまり関心がなく、庭先の半日陰にほったらかしておいて、秋も遅く蕾の付けそうなものだけを、冬になると屋内に入れてやるという信賞必罰式の栽培法を取っている。
このほかの蘭も同様に扱っているが、これらの花も以前は高くて眺めるだけの花だったが、最近では、栽培技術も発達してかなり安くなってきた。
それでも、国際蘭展に出品されるほどの品種は、見るだけの花である。
そして、シンビジュームを見ていると、蕾の時期であるが、付根に蜜を蓄えている。本を読んでもこの蜜について何も書いてないが、何故なのだろうか。
自分も始めは、水滴かと思っていた。指ですくって見ると粘り気があって「あま~い」 癖のない蜜そのものである。
蕾のうちだから、虫を誘っているわけではないように思うが、知っている方は教えて欲しいものだ。
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漢文の授業で習った文章を50年以上たった今でも覚えている。そのひとつに、
心ここに在れば 視れども見えず 聴けども聞えず
食らえども その味を知らず というのがある。
きょうは、なんだかだと延ばしていた確定申告に行ってきた。
もう、20年くらい(税理士に任せたのを含めて)やっているので慣れてもいいのだが、最近は毎年のように税制が変わってきて、固い頭には難しく、嫌なことからは出来るだけ避けたいと思う心と、どうせ何時かはしなければならないのなら早く済ませてホッとしようよ、という心の葛藤の末、ようやく重い腰を上げたのである。
大体のことはしてあるのだが、分からない部分が毎年のように出てくるので、申告会場で清書しようと、書類を持っていつもの会場に来て見ると、誰もいなくて「会場は2kmほど離れたところです」という張り紙と自分同様な人が二人いた。
急に変わったのではない。申告書の封筒には別の場所ですと赤字で書いてある。先日何時から何時までやっているのかと確認のため、見たところなので読んでいるはずだが、”視れども見えず”の状態だったのである。
ここ3日間、歯医者で口の中をかき回されているせいではない。春が来て頭がボーっとしているせいではない。年をとって呆けたせいではない。”心不在”だったんだと一所懸命に自分をなだめる。
さて、バスで、ここに来たものだから、歩いていくかタクシーしかない。静岡の一極集中型(バスセンターを中心に放射状なので、一旦戻らなければ他に行けない)の交通システムがうらめしい。他の人は帰って出直すというので、自分は歩くことにした。
高いアンテナのある傍なので目印にはなるが、交通の激しい南幹線沿いを歩いても目標は近づかない、ようやくの思い出到着し。赤い修正印をいっぱい打ってようやく提出。
ここで、気が付いたのは提出する場所が二つあることだった。一方は「葵区。駿河区」もうひとつは「清水。蒲原」となっていた。「そうか、いままでは旧静岡市だけだったのが、政令指定都市になったものだからこっちに来ることになったのか。と、すると蒲原町の人は自分たち以上に大変なんだ」
政令指定都市になっても、一般の人には何も良いことがない。をまたひとつ証明したようなもんだ。
外は晴れ渡って暖かい春の午後、会場の後ろには富士山がすっきりと映え、いまの気分と同じである。やはり、確定申告が重荷になっていたのかな。
東静岡駅からのバスを見ると一時間以上も待たなくてはならないので、再び家に向かって歩くことにした。
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