ヤマカンで
今日は、一日冷たい風が吹きまくった。冷たいといってもせいぜいが例年並だろうけど、、、。
しかし、陽だまりの中花全体が真っ白なナルシスが、少し顔を上げて自慢げな顔をし、花虻に愛撫させていたので写真にしてあげた。
子供の頃、周りに犬や猫が不思議といなかった。
戦後の食糧難の時代で、飼うだけの余裕が無かったためかもしれない、ひょっとしたら捉まえて食べてたかもしれない。(実際に闇汁で食べた肉が猫だった、と後で聞いたことがある、闇汁については何時の日か、、)
そのため、高校受験のとき泊まった宿の塀の上で、猫の恋歌を聴いたときは「なんだこりゃ~」だった。
猫がこんな大きな声で長鳴きすると知らないものだから何が鳴いているか分からないし、不気味だった。
近くに魅力的な雌猫がいたらしく何匹かで交互に鳴き、ある時間がたつとギャォッ!と喧嘩して屋根を走り回る騒々しさはかなりのものであった。
しかし、宿の人は勿論、近所の人も何の反応も示さないまま一夜が開け、寝つけなかった自分は、眠い気持ちのまま受験会場に向かった。
いまでも、猫の恋歌を聞くと当時を思い出す。
今日は、静岡の私立高校の受験日だとのことだが、まだ、近所の猫は小さな声でしか鳴いていない。
受験といえば、今ではかなり加熱し、複雑になり、一に勉強、二に願掛け、三にヤマをかけ、四に鉛筆ころがしとなるのは昔から変わりない相場であろう。
ただ、自分のころは学習塾(塾はそろばんだけ)なんて無い時代だし、早寝早起きの時代だったから、家族が九時ころ寝た後まで勉強はしたことがなかった。そのため、三、四が本命だった。
そうして、三が外れたら、四しかなかったが、皆がそうだったので(周りだけかもしれないが、、)そんなに苦にならなかったし、学校が身体が丈夫そうなのを主体に選んでくれたおかげで、なんとか形が付いた、、、。
ところで、「山を賭ける」というのは、江戸時代以前に金や銀、鉛など地下資源を探す、いわゆる山師が経験と感に頼って「一か八か」の投機的な冒険をすることからきている。そのため、山師のことを「千三ッつ屋」(千のうち三ッつしか本当のことが無い)という仇名さえあるくらいである。
現在のように、科学が発達した世の中でも鉱山開発は、「ヤマカン」を元に頼り、試験のたびにこの言葉は使われている。
自分も、ヤマカンが当たったせいで鉱山に入り、アンデスの山まで出かけ鉱物資源の調査をし、こちらに来ても、山の中に入っての仕事が多く”山を賭ける”の一端を荷なったのは、全ての出だしが山に関係していたことにあるのだろうか。
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コメント
慶さん
またうんちくですみません。
Narcissus(ナルシス)は水仙の学名の始めです。
ギリシャ神話の中に出てくる美少年の名前ですが、池に映った自分に恋をしてなった花が水仙でした。
以後、自分を異常に愛する人をナルシストというそうです。慶さんが写した水仙は園芸品種で、ペーパーホワイトという種類で最近作られたようですが、水仙はかなり変種が作りやすい花のようです。
もうひとつ、日本では別名を雪中花と綺麗に言いまして、加賀の千代女の句に
水仙の 香りやこぼれても 雪の上
と中学の教科書で憶えさせられて、今でも憶えています。静岡ではこんな句は実感が無いでしょうけど、、、
投稿: オラケタル | 2007年2月 3日 (土) 14時57分
この白いお花、ナルシスという名前ですか。大きさも小さいお花ですよね。慶の見つけた花もこの花かしら。花虻が本当にタイミングよく撮れてますね。いつもながら感心します。山勘の意味、そういう事だったんですか。オラケタルさんってグローバルなんですね。尊敬です(^^ゞ
投稿: 慶 | 2007年2月 2日 (金) 21時06分
ナベショー様
新商品というものは、買う人の気まぐれや、コマーシャルで随分と違うのでしょうね。
しかし、一旦嵌れば何にも努力しなでウハウハですから、止められない止まらない、、、ですね。
最近は、発明者対価の請求で裁判沙汰になることがちょいちょいありますが、どちらの言い分に加担してよいものか迷います。
投稿: オラケタル | 2007年2月 2日 (金) 14時37分
化学会社で新商品の企画と開発をやってましたが、やはり大当たりして成功する商品は「千三つ」って言われてました。
立派な有名大学の大学院まで出た優秀な研究者のほとんどが、企業に入って成功体験できぬまま、挫折の人生を歩んで、定年退職を迎える、、、
投稿: ナベショー | 2007年2月 1日 (木) 23時00分